
その御方を知ったのは、中学校1年の図書室でした。
私・早生まれなのでだいたい12歳の時ですね。
どんな部類の書籍だったかは覚えていないのですが・・(笑)。
1964年、私が生まれた年に自分たちの車で海外で挑戦した人たち的?メーカーのお話だったかと。
多分、漢字が少なく大き目の文字の本。(今の私に相応しい?(←それでも老眼鏡必須)(TT))
年を取って、なんとなく子供向けに補正された内容であった事を知るのですが(笑)。
1976年は、中学生になり色々な出会いや情報を得る事となり、多感な時期で得るものも沢山ありました。
私は上に男兄弟がいなくて、友達になったやつらにはビックリですね!
マセてるしィ、兄ちゃんやその友達とかからの情報たっぷりで、エロ事も教わりましたしね^^。
その年のある時、仲良しになったばかりの「前○」君(当時は”ましゃみ”と呼んでいた) の家へ遊びに行きました。
そこで見た留守のお兄ちゃんの部屋(。・o・。)✧♡
壁に大きなF1のポスター群、山積みのAUTO SPORTS?とかの当時少ない車雑誌、タミヤの1/12のF1プラモデルがばーん!と。
(エロ本も・・・、ご本人の為に無かった事にします^^)
衝撃!!でしたね~(笑)。
えふわん? って言葉をここで知り、お古の車雑誌を頂きました^^。
(お兄さんの了解を得ていたか否かは不明)
本当に穴が開くほど、、毎日毎日その雑誌がボロボロになるまで読みましたね。
(しかし、、、教科書やノートは折り目も無くピシーっとしてましたね~~)
田宮1/12は、出たばかりの真っ赤な312Tだったと思うのですが75年Chanpion-carなので76年に発売されてたかな?ここらへんは曖昧な記憶です( ̄▽ ̄;)。。(312Bかも)
なんしか、インターネットなんぞ普及?開発?もされていない時代ですから、情報は書籍か人伝いの言葉でしたね。
恐らく、冒頭の図書室へ行ったのはこのあとだったと思います。
そこで知った方が、私の中の第一の憧れの人。
世の中に無かった「自動遠心クラッチ」の無理難題を押し付けられて、確か6~7案?(←凄いス)から、市販まで達成。
そのメーカーの屋台骨の資産を造り上げる発明者として優遇されること無く、その会社の変貌に関わる4輪車開発をもご担当され、見事に立ち上げられて。
飛行機の夢絶たれて、見つけた夢の実現のために(オソラク)すべてが通過点だったのでしょうね。
でもきちんとした結果で目標に邁進される姿は車好きのと言うよりも、技術者としても人間としてもとても感銘を受けます。
いつもブログで書いてますが、、、、私、低知能の幼稚野郎です。
ほぼ、マンガ位しか読んでこなかったエエ歳したおっさんです(爆)。
珍しく本棚に並んでいるのがこの方の遺稿までの書籍です。(今、埃がアリャリャ( ノД`))
なんせ分かりやすく読みやすく、そしてオモロイ!。
F1の未来をずっと危惧されてましたね。
個人的には(あくまででも個人的主観)ですが、フジテレビがF1の地上波放送を止めてよかったかと思ってます。
86年から94年位までの人気が異常すぎて、男性アイドルさんや芸能のおばさんがモナコで騒いでいたのはちょっと・・・。
(出来れば最初から・・・・)(-。-)y-゜゜゜
以前にも書きましたが、77年の富士GPをビデオが無い時代にTVにカブリついて見てたガキとしては、遠い憧れの世界のままであってほしかった。
80年代の前半だったでしょうか、車雑誌でもない様なふつーな男性誌でF1特集された雑誌がありました。
【F1は大人の世界】?【F1は大人のスポーツだ】?的な(笑)(←実は見出し曖昧な記憶)
また、私の主観で話がズレました。(ヅラはズレてません!ダイジョウブ)
興行的、安全性、制限・制約、時代性、人権的なものも含まれてきて。
技術の進歩と社会性が副えない伴わないならば、、、この時代。。。
明日、 12月3日 はその御方の命日。
公共のネット使って何を書いてるのでしょう(笑)スミマセン。
まっ、世間の人は見ないからええか~って(*^-^*)。
盟友として歩まれたジョンさんも先の春にお亡くなりになられて。
東京・青山のショールーム、、、行けばよかったとちょっと後悔。
青山?
青山高原?
久しぶりに明日行ってみますかね~。
今までバイクでしか行った事無かったけど、初の4輪で!
晴れるといいな。
セブンサムイッス(。・ω・。)ノ♡