
「申し子」の本来の意味は
「神仏から授かった子供」なのだそうです。
1年半、帰省できずで昨年1月に亡くなった父の遺品や家財処理は、
弟がコツコツやってくれていました。
私もお盆に実家の一掃(母も既に他界)をお墓参りの流れで手伝いました。
その際、屋根裏や農機具小屋から出てきた私の古い所有物もある程度処分したのですが。。。
バイク部品、カートの残骸(笑)などなど。 ステロステロ~♪
(ネットオークションに出せそうなものもw)
漸く県跨ぎがOKになりましたので、
残してたダンボール5箱を持って帰ってきました。
ヨッコラショ
先日から、仕事関係の 4箱を処理し(;´Д`)クタクタ
で、残った1箱を開くと・・・。
雑誌ですねー、クルマやバイクばっかり(笑)。
ダンシャリと称して、今までもゴッソリ溜め込んだ雑誌は結構処分さ・・・
しました。
こればっかりは私の財力の無さでどうしようもないですね。。。、
素敵な書斎や、人も羨むほどの大きなガレージも無い・・・
小さな家なものですから。(~_~)
都度、溜まった雑誌を処理した筈でしたが、ドーシテモ(ジローモラモ)
捨てられないものを置いていた様です。
「BIKERS STATION」「oldtimer」「BIKE_JIN」「ノスヒロ」「Tipo」
「Mr.BIKE & BG」え~と、
「Clubman」「OUTRIDER」「風まかせ」「ROAD RIDER」「RIDE」
他特集版など。
かと言って、置いておいても見るかと云うと、、???ですね(笑)。
ごそごそ懐かしむと、
('◇')
お~~!懐かしい
ペラペラと。
(時の人?)今すっかり潜んでしまったこの方がレース始めた頃でしょうか。
TAGポルシェが席巻していた時代ですかね。ラウダサンフッキノコロカ
栄光の第2期の少し前ですね。
実は「私のバイブル漫画」にもご出演されて居たり(⋈◍>◡<◍)✧♡するわけでw
なるほど! 84年の雑誌でしたか。
(発刊日は字がっ小さすぎて見えないです!/昔は見えた♪)
歴史的にあったレース中の事故を特集したものでした。
カーボン・モノコックになる以前のオープンホイールのレースカーは、
レーサーの死亡事故も沢山ありましたね。
海外・F1等の有名レーサーの出来事は一般的に周知され
(この頃はF1も未だそうでも無いのかも)ておりましたが、
その頃の私には、
中々知る機会の無かった日本人ドライバーのご不幸も紹介されておりました。
と、
私が、この雑誌を買った理由は此方の記事でした。
「・・・の申し子」と、誰が付けたのか。
マスコミの後付けな見出しにも思えますけど。
ウィングカーでなくても速かったのに。
この年より少し後年、日本人最初のF1ドライバーとなったあの方から、
当時「あのタイムは俺には出せない」と言わしめた程の逸材。
それ以前にも沢山の素晴らしいドライバーの方々
(生きた方も、亡くなった方も)が日本にも居られました。
当時レース観戦できる程の余裕も縁も無かった私なのですが、
ただ年齢も近いというだけで、勝手に親近感を持っていました。
85年の日航機の消息不明は、夕方の移動中に車内のラジオで聞いたのを覚えています。
この時代はレースに対して現代よりも未だ、世間の社会的認知度が低く、
とても軽薄なTVニュースだった記憶です。
逆にSNSで吊るし上げられる事も無かったと思います。(無いので^^)
しかし、現在も動画サイトに(多分)上げられているだろうこのレース事故の映像は、その夜のTVニュースで何度も何度も繰り返されていた扱いを思い出しそうで暗い気持ちになります。(まぁ観ませんけれど)
後年までレース主催者や、本人のご家族、賠償問題が大変だったそうですね。
残念でした。
1977年に富士で宙に舞い、
1982年また 舞って逝かれた「不遇のヒーロー」に憧れていたそうです。
昭和35年生まれの方ですから、ご存命ならば 61 歳ですね。
奇しくも、同じ1960年生まれのブラジルカラーのヘルメットの貴公子が、
F1デビューをしたのは、この事故の翌年 1984年でしたよね。
1960年生まれの人は天才が多いのでしょうか(*^-^*)
生きていれば、初の F1フル参戦の日本人 に一番近かったかもしれない。。。
タラレバですね。
日本自動車レースの創世記から現代まで、
亡くなられた多くのレーサーの皆様のご冥福をお祈り致します。
そんな10月23日。
梲の上がらない・ただの一般人がナニを言う(笑)
明日はセブン! 晴れたらイイなぁ。
ホンヲショブンスルトキ、ナゼカミイッテシマイ ススマナイw