先日、水泳選手の池江璃花子さんが白血病にかかった発表がありましたね。
日本の競泳界を引っ張てる日本のエースである彼女のこのニュースは、世界中が驚いた出来事だったと思います。
このブログで、自分が経験した「骨髄バンク」の話を書かせていただきます。
尚、生意気書いて恐縮ですが、「冷やかし」イイねはいりません。
共感出来ない事もあるかと思います。
色んな意見があると思いますので、コメント残していただけましたら、遅くなっても返事を書きたく存じます。
自分が骨髄バンクの登録をしたのは、今から24年前の1995年。
きっかけは何だったか覚えてませんが、アイバンクの登録(こっちは登録したきっかけを今でもはっきり覚えてます)、献血マニアの延長で「調子に乗って」が正解ではないかと思います。
はじめてドナーとして適合通知が来たのは、確か2003年頃だったと思いますが、理由は覚えてないけどすぐに流れました。
次に2008年5月頃、当時は無職の休職中で、仕事を探しながらのコーディネート(骨髄移植推進財団の職員がドナーと患者さんの手術日程調整等の手続きをすること)だったため、どうしても自分都合の調整になってしまったため、もうひとりのドナーさんに決まったと記憶しています。
3度目の適合通知は2011年4月。
この時も定職に就かず、運転代行のアルバイトで暮らしていた頃です。
今回は比較的時間も自由に決める事が出来て(自分の)、患者さん優先で全て動いていただくようにお願いしたものの、自分の心の余裕が無く、担当コーディネーターにかなりの迷惑をかけたなと、今更ながら反省しています。
さて、簡単な流れを、残してる書類で確認します。
ドナーコーディネート開始(4月19日)
アンケートに記入して提供可否の連絡
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コーディネーター決定(4月26日)
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初回面談並びに血液一般検査(5月16日)午後から2時間くらい
骨髄移植の説明等を医師を交えて説明。
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ドナー決定通知(5月23日)
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最終同意の面談(6月6日)午後から2時間くらい
医師、コーディネーター、第三者の立ち合いのもと、本人並びに家族の同意を確認。
この日に同意を交わすと、キャンセルは不可となります。
骨髄採取する病院の決定。
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骨髄採取予定日の決定(6月10日)
8月10日の予定で決まった。
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健康診断(7月1日)※午前中
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自己血採取1回目(7月21日)※400ml
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自己血採取2回目(7月28日)※400ml
いずれも緊急用に自分のために使用するためだったと記憶してるが、もしかしたら患者さんに使用されるのかも。
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入院(8月9日9時30分)
翌日の骨髄採取のための説明、準備等
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骨髄採取(10日9時頃~)
全身麻酔で骨髄採取。確か800mlくらい(ドナーの体重により決定される)
採取終了(11時30分頃)
骨髄に専用の太い針を打ち込み、何百回と針を差し込み採取するらしいので、止血は自分の体重で仰向けになって1日中安静にする。
麻酔が効いてるみたいで、その後ぼんやりとした時間が経過していたが、昼過ぎにコーディネーターさんが、相手方患者さんの書いた手紙を見せてくれた。
涙が流れ、しばらく泣いていた記憶がある。
その後眠ったりぼんやりの繰り返し。
翌日から歩くことは可能。
ただし激しい運動は厳禁。
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シャワー許可並びに退院(4日目・8月12日14時頃)
マイカーで来ていたため、運転は自分でしたが、腰の痛みが残っているため、屈み姿勢がきつかった。
痛みはその後1週間くらい(違和感を含む)、歩く時も腰を庇うような歩き方になるため、かなり変な歩き方をしていたみたい。
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術後診断(記憶では2週間後?1時間弱)
どんな事でもいいので、体調の変化等を報告。
特に無かったのですぐに終了。
尚、皆さんが気になる費用等につきまして、
ドナーの入院費用はかかりません。
入院準備金として、5,000円、コーディネート等で移動した際の交通費は実費請求。
以外の金銭授受はございません。
幸い自分がドナーになった時は自分の時間は十分過ぎるくらいありましたが、正直ドナーの負担は大きいです。
万が一ドナーに医療事故が発生しても、1億円の範囲内の補償(自分がドナーになった時の保険金)があるだけでした。
今でこそ一部の自治体が公的給付をしたり、医療保険で数万円の給付金を用意していますが、バンクドナーになる方は、ある程度の覚悟が必要かもです。
言い方は悪いですが、献血と同じで善意のボランティアによる提供となりますので、営利目的で出来る事では無いにしても、ドナーの金銭的、精神的なケアを含めて、もっと何らかの待遇があってもいいのではないでしょうか?
コレについてはドナーからは言いにくい事が故に非常に難しい事ですが、国がもう少しサポート出来る体制を作っていただければとも思います。
ひとりでも多くの命を救うとなれば、善意だけでは解決出来ない事も沢山ありますので。
さて、自分が提供した患者さんの情報ですが、
四国地方にお住まいの40~50代の女性
これだけしか知らせてくれません。
どこで手術してるか、それすらもわかりません。
(これ以上は知ったところで何が出来るワケではないですけど)
自分が骨髄バンクドナーになってよかった事ですが、
・禁煙成功
全身麻酔をするにあたり、喫煙者の呼吸不全になるリスクを回避するため、採取日1か月以上は禁煙を依頼されます。
それまで1日1箱以上喫煙してましたが言われるがままに禁煙。
採取後は喫煙してもよかったのですが、吸わなくてもいい身体だったらいっその事止めようと、禁煙に成功しました。
・母親に唯一褒められた
母方の祖母が、長らく再生不良性貧血で闘病していた事もあり、血液の病気には結構心配性でした。
そんな中、自分がバンクドナーになる事を非常に心配していましたが、自分が貴重な体験をしたいから是非やりたいということで、半ば強行で提供しました。
採取の翌日、姉と一緒に見舞いに来てくれた時に言った一言
「他人の役に立ててよかったね」
この言葉は一生の僕の宝物になっています。
あとは特に無いかな?
当初は見ず知らずの他人のために貢献出来たと自己満足していましたが、家族間でも1/4しか一致しないHLA型(骨髄の種類)が、自分の骨髄を必要としている他人と一致する事の奇跡がたまたまあっただけだと、時間を追うごとに思うようになりました。
今はワケあってバンクドナーはおろか、献血にも行けない身体になってしまいましたが、待遇云々の改善がされなくても、機会があれば是非、もう一度提供したいと思います。
これは今でも残っている、その時の「感謝状」と、患者さんの「お礼の手紙」です。

患者さんと提供年1年で合計2回の文通が匿名で可能でしたが、結局この文通でそれ以降文通していない事が唯一の心残りです・・・
最後になりましたが、池江璃花子さんの元気な姿を再び応援出来る日を心より楽しみにしています。
そして、色々な病気で闘病されてる皆様、無責任なエールで恐縮ですが、マイペースでもいいので、再び元気になることを祈っています。