
私の遠い親戚に車屋さんがいます。
もういい歳のおっちゃんが社長です。
そこにずっと前からワーゲンのType1、いわゆるビートルがありました。ナンバーがまだ群ナンバーです。
昔からナンバーが切れてません。
これをいつか手放す時、私に譲ってくれとお願いしたら、すでに先約がありました。
惜しい。
そしたら、こんな話になりました。
「これやるよ」
ボルボ940GL
平成4年式
ボルボは240のワゴンが憧れ車の一つでしたが、今回のはセダン。
ちょっと悩みました。
そして良く調べてみました。
諸説あれこれ…
故障もあるが、良い車
オーナーとから、長年乗り続けたくなる何かがあるらしい。
そして、もう一度乗りたいと思うらしい。
オーナーが発する言葉で私にぐっとさせたものは、
「飛ばすと言う行為がバカらしくなる車」
私の車好きの発端は、小学生4年生で見たWRCのビデオでしたから、モータースポーツは切り離せません。
しかし、車を所有してみると、なんだか、車で何かするって性格じゃないようでした。
そして歳をとるごとに、車へ求めるものが変わっていき、より明確になってきました。
実用だけでもなく、道具でもなく、飾りでもない。
工業製品として鉄の味がして、ゆったり、車感を感じるもの。
そして相棒感。
快適やらエコやらはいりません。
でも運転が楽しくないのはいけません。
そんな視点で最近の自動車を見てみますと、
…
家電では?
そう思えて仕方ありません。
そんな気持ちから、興味のある車が古くなってきました。
で、ジムニー乗るようになったら、もう今時車に耐えられません。
車はこうでなくちゃって感があり、私の手の内に入る丁度良さ。
それ以来、エルグランドをもて余してきました。
今時と言うには古い型ですが、手の内に入らないんです。
乗って感じるワクワクはありません。
人がたくさん、荷物がたくさん乗る利点のみでした。
用がなければ、乗りたい理由がなくなっていました。
なのに維持費は高い。
これでは、手の内に入りません。
ボルボを試乗した時、ドアを開ける時から、工業製品を扱ってる感がありました。
閉めるのも中から開けるのも、それだけでもいちいち感じるものがありました。
シートの乗り心地は、今まで経験したことがありません。
しっかり骨盤をサポートする座面形状は生体力学、解剖学までも取り入れているでしょう。
後部座席の座面の形状は、日本車で経験したことがありません。
あれは、シーティングという、人の座位姿勢をコントロールするのに重要な骨盤の前後サポートが確保されているように感じました。骨盤に対してアンカーとなるような形状です。
エアコンやオーディオが少し運転席側を向くのもいいですね。
作りは手間でしょうが、「ドライバーが操作するのですよ」というメーカーの意志でしょう。
「それをより安全に見やすく、操作しやすくしますから乗員を安全に快適に運んで下さい。」と言われているようです。
目的が明確な車です。
乗用車です。
決して走りがどうこう語る車じゃないんですね。
飛ばす気になりません。
重いし。
でも、他に代わりがいない感が強かった。
ボルボらしさとして評価の高い940ですが、
入門には最適な気がしました。
どういじろうかと真っ先にあれこれ調べましたが、行き着いたのは、ノーマルがいい。
でした。
そんな選択に至らせてくれた段階で大事な教材になりそうです。
乗り換えて後悔するか、素敵なカーライフが始まるか、
どうせ後悔するなら、やって後悔するべし。やらないことへの後悔はしない。
という、モットーにより、この縁に乗ってみようと思います。

Posted at 2017/01/30 00:20:18 | |
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