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とりつきいver.2のブログ一覧

2020年03月04日 イイね!

2020年3月1日 京都府福知山市 国道176号線旧道 坂浦峠

2020年3月1日 京都府福知山市 国道176号線旧道 坂浦峠
今回は久々の旧道ネタです。

先日、2020年3月末にて閉園予定の加悦(かや)SL広場(京都府与謝郡与謝野町)へ行ってきましたが、その途中にてかつて国道176号線だった道に立ち寄ってみました。

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(画像出典:グーグルマップ)

今は立派な快走路の国道176号線の福知山市下天津交差点以北の区間、かつては狭いヘロヘロ道が延々と続く「酷道」でありました。昭和50年代以降にバイパスの整備が進められ、かつての酷道区間は順次国道指定から外れていきましたが、今も国道標識等その名残が残っている所が点在しています。

なお、地図上にて現道にまとわりつくように並行して存在する細い道筋を確認する事が出来ますが、それがかつての「酷道176号線」です。

今回はその一つ、「坂浦峠」区間を訪れてみました。

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↑「坂浦峠」とは福知山市下野条地区と坂浦地区の間にある峠で、今は「坂浦トンネル」(1983年竣工)経由のバイパスが現国道となっています(画像出典:グーグルマップ)。

この峠の正式名称は不明ですが、ネット上では「坂浦峠」と記されている事が多いです。

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↑こちらは1976(昭和51)年の航空写真(画像出典:国土地理院)。現国道は影も形もなく、峠を越えるヘロヘロ道が存在するだけです。



↑国道176号現道を北上、下野条交差点から府道528号線に入り、さらに右折して坂浦峠旧道区間に入ります。

農道にしか見えない道ですが、イキナリ「おにぎり」こと国道標識がお出迎え。



↑国道標識の先には案内標識も。



↑冬枯れの風景の中、古びた国道標識がポツンと建っていました。



↑標識のおにぎり板部分はまるで顔を背けるかの如く、草むらの方を向いています。

「176」の文字も消えかかっているので、撤去の必要はないという事でしょう。



↑冬枯れの山里にポツンと佇む「青看」こと案内標識。

柱とガードレールのサビ具合がイイ感じです。



↑この道が現役の国道だった頃、福知山は「近くて遠い」所だったハズ。快走路に生まれ変わった今からでは想像もつかないですが。

ちなみに三岳は国道426号線沿いにある集落で、こちらへの道も改良が進められました。



↑「廃」なムード満点の風景がここに。

「おにぎり」と「青看」の存在がただの田舎道ではない事を如実に物語っています。



↑振り返ると山へと続く上り坂。早速、峠へ足を踏み入れてみる事にしましょう。

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↑っと、その前に余談ですが、上の画像は現国道176号線の「坂浦トンネル」(上)とそこに至る下野条地区のアプローチ路(下)。トンネルに至るまで結構な急勾配ですが、登坂車線もあり、旧道とのギャップが凄い道だったりします。

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↑パイザーで旧道を進んでいきます。上り坂ながらもしばらくは長閑な山里の風景が続きます。

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↑そして鬱蒼とした山林に突入。

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↑この手の道のお約束、落ち葉や木の枝等の路面堆積物が多いです。そして片付けられてはいるものの、倒木・倒竹多数。

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↑勾配・カーブ共にキツくなってきました。

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↑峠の頂上付近に到達。忘れられたような石碑が建っています。

が…カーブした先に道を塞ぐ形で停車していると思しき軽自動車の車列が!!  とりあえず道の右側のスペースに避けて様子をみる事に。

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↑超徐行で進む謎の軽自動車御一行様。この道にて対向車、それも隊列走行の一団に出くわすとは全くの予想外でした(^_^;)。

この先進めるか否か不安ではありましたが、対向車が来たという事はこの先通行可という事なので、先へ進む事に。

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↑峠の頂上は切り通しになっていて、古い石垣が両側をガードしています…が、道の脇から草木が侵食、さらに路面堆積物等で有効な幅員はかなり狭くなっています。

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↑頭上には倒木、道の脇には落石と崩落した土砂…廃道ではないけれど、「廃」な雰囲気が漂っています。

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↑轍を忠実にトレースして進んでいきます。

元国道とは思えぬ荒れ具合でした。

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↑切り通しを抜けると、パッと視界が明るく開けます。あとは峠を下るのみ…。

ここから先は荒れた感じはありませんでした。



↑下りカーブの途中にて、これまた面白そうなモノを見つけました。



↑またしても「おにぎり」発見!! しかも直角に折り曲げられています。



↑標識無効化の為に人為的に折り曲げたのか、天変地異で折れ曲がったのかは不明ですが、きれいにほぼ直角に曲げられています。



↑国道標識を背後から。かなり錆びています。



↑冬の枯れ藪に折れ曲がった標識、そしてひび割れた路面。何とも侘しき風景哉。



↑標識のある辺りから見た坂浦方面。カーブが連続しますが、コンパクトカー同士ならすれ違える幅員です。



↑旧道から見下ろす現国道。なかなか良い眺め。

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↑さらに峠を下ると、やっと人家が見えてきました。とりあえずはホッと一息。

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↑坂浦の集落内をクネクネと。

昔の航空写真によるとこの旧国道176号、点在する集落を繋ぐ形でヘロヘロとした道筋が続いていました。

昔日の丹後の人々がこのルートで福知山方面に向かうにはかなりの苦行だった事が窺えます。

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↑ようやく坂浦側の現道との合流点に到達。旧道は一旦現道に取り込まれ、ここから120m北の地点にて西側へと分岐していきます。



以上、福知山市下野条から同市坂浦まで所要時間7分位の旧酷道の旅でした。

Posted at 2020/03/04 16:05:52 | トラックバック(0) | 旧道 | 旅行/地域
2020年01月22日 イイね!

2020年1月22日 或る消えゆくモノ

2020年1月22日 或る消えゆくモノ実に久しぶりのブログです(汗…)。そして、今回も車とは無関係の内容ですが、よろしければお付き合い頂ければ幸いです。

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↑電車に乗って近鉄長野線の河内長野駅(大阪府河内長野市)にやって来ました。まずはここまで乗ってきた電車をパチリと。

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↑ここ河内長野駅は近鉄長野線と南海高野線の接続駅。上の画像の左側が南海高野線、右側が近鉄長野線で駅の北側にてY字型に合流しています。

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↑駅の規模は結構大きめですが、南海がかなりの部分を占めていて、近鉄はその片隅にちょこんと乗り入れている感じです。

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↑画像左側が近鉄の終端部。右側の南海高野線の線路は紀見峠を越えて和歌山県の橋本へ、そして高野山へと続いています。

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↑今回この駅にやって来た目的はコレ。今や絶滅危惧種と化した字幕回転式(フィルム式)発車標」です。

1960年代に登場し、全国各地の駅にて使われていましたが、近鉄ではここ河内長野駅に残るこの個体が最後の1台となっています。

この発車標は1976(昭和51)年に設置され、以後44年間に亘って稼働し続けてきました。

上の画像は南側から撮ったもので、日焼けして黄ばんだ幕がその長い歴史を物語っています。

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↑反対側(北側)から撮影。こちらは日焼けしておらず、白さを保っています。

44年間に亘り、現役であり続けたこの発車標ですが、ついに2020年1月30日を以って機器更新の為に撤去される事となりました。

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↑ホームにはこの発車標の引退を告知するポスターが。さらに記念切符まで発売されるそう。

この手の設備は人知れず消えていく事が多いのですが、近鉄の中の人もノリノリですな…と感じます。

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↑結構マニアックな内容です。

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↑ちなみに字幕回転式発車標の一世代後のフラップ式、これも全国的に見ると絶滅危惧種ですが、近鉄線内のあちこちの駅にて未だに現役。上の画像は近鉄長野線の富田林駅のモノで、もうしばらくは使い続けるようで。

通称「パタパタ」とも呼ばれるこのタイプの発車標ですが、いかにも1980年代という感じです。

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↑河内長野駅の場合、表示される幕はこの6種類だけ。急行大阪阿部野橋行きは朝のラッシュ時間帯のみ、普通は深夜時間帯のみのレアな表示です。

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↑この時刻表に示されている通り、この駅から発車する電車のほとんどが準急大阪阿部野橋行きなので、あまり幕を回す必要がありません。この駅にて最後まで昭和50年代の字幕回転式発車標が残ったのはそれも一因かと思われます。

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↑レトロな発車標が残る近鉄ホームの向かい側、南海高野線のホームには平成のフルカラーLED式発車標(2011年設置)があります。

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↑平成20年代のフルカラーLED式発車標(左)と昭和50年代の字幕回転式発車標(右)の並び。対照的なこの光景、見られるのもあと僅か。

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↑南海電車と近鉄の字幕回転式発車標。

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↑停車中の近鉄6200系電車と字幕回転式発車標。共に1970年代生まれです。電車の方はまだまだ更新しつつ走り続ける予定だそうで…。

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またひとつ、身近な「昭和」が消えていきます…。
Posted at 2020/01/22 16:20:39 | トラックバック(0) | 鉄道路線・駅巡り | 趣味
2019年07月03日 イイね!

2018年11月15日・2019年5月30日 奈良県奈良市 JR桜井線 帯解駅

2018年11月15日・2019年5月30日 奈良県奈良市 JR桜井線 帯解駅
実に4ヶ月ぶりの(汗)ブログです。みんカラではしばらくROMに専念しておりましたが、久々に投稿してみます。

今回はこれまた久しぶりの鉄道駅めぐりシリーズです。そして今回も車ネタは皆無ですので、ご了承の程を(汗)…。



↑今回はJR桜井線の帯解(おびとけ)です。奈良県奈良市にある駅で、古い木造駅舎が今も健在です。



↑駅の取材を行ったのは2018(平成30)年の11月ですが、翌2019(令和元)年の5月30日に画像の105系4扉車を撮影すべく帯解駅を再訪しました。

過去記事で何度か取り上げた車両で、元は昭和40年代後半に製造されて常磐線~営団地下鉄千代田線直通で活躍した103系1000番台、1984(昭和59)年に105系に改造されて奈良線・桜井線・和歌山線に投入されました。

奈良線からは早々に撤退したものの、桜井・和歌山線では35年間に亘って主力として活躍してきました。ついに新車227系1000番台の登場により、2019年秋までに全車引退する事になっています。

※本記事中の105系電車の画像は動画から切り出したものです。その為、画質はあまりよろしくありませんので何卒お含み置きを…。



↑「帯解」と書いて「おびとけ」と読む曰くありげな駅名ですが、駅のすぐ近くにある「帯解寺」に由来しています。「帯解寺」とは安産祈願で有名なお寺です。



↑駅前の風景。秋の穏やかな陽光が降り注ぎ、ゆったりとした時間が流れる居心地の良い空間です。

駅名の由来となっている「帯解寺」は駅前から続く坂道の突き当たりにあります。



↑駅舎の出入り口脇にある「建物財産票」。これによるとこの駅舎は1898(明治31)年4月築です。



↑そして駅舎出入り口の上には昔懐かし電電公社マーク入りの古びたプレートが。



↑無人駅ですが、自動券売機とIC用の簡易改札機が設置されています。



↑ホーム側から見た改札口。



↑ここ帯解駅は北隣の京終(きょうばて)駅と共に奈良市にありますが、南隣の櫟本(いちのもと)駅から先は天理市になります。

京終・帯解・櫟本と難読駅名が連続する区間でもあります。



↑改札口付近から見た天理・桜井方面。この先は隣の櫟本駅までほぼ直線が続きます。



↑こちらは奈良方面。例によって上下ホームは屋根のない跨線橋で連絡されています。



↑駅の奈良寄りには県道51号線との立体交差があり、その橋台の一部は古風な煉瓦積みとなっています。



↑県道に隣接して歩道橋があり、その上からこういう画像が撮れたりします(2019年5月30日撮影)。

画像の車両は「クハ104-551」。1989(平成元)年の踏切事故で廃車となった「クハ105-7」の代替として、1969(昭和44)年製の103系の中間車「モハ102-385」から改造されて翌1990(平成2)年に生まれた車両です。

先頭車化改造に際して無傷だった「クハ105-7」の顔面を移植しました。同時に冷房改造も施工されましたが、その結果、桜井・和歌山線系統の105系4扉車では唯一の分散式クーラー搭載車となりました。

その車番から「蓬莱」というニックネームで呼ばれ、そしてその数奇な経歴と分散式クーラー搭載による独特の外観から桜井・和歌山線系統の105系の中では人気の高い車両です。そして撮影に行く度になぜかこの「蓬莱」によく遭遇します(笑)。



↑駅舎の向かい側のホーム(上りホーム)には木造の待合所が。このホームには奈良方面行きの電車が発着します。



↑跨線橋の階段から見た駅舎と構内。



↑上りホームから見た先程の県道との交差部。



↑こんな感じで電車がやってきます(2019年5月30日撮影)。



↑奈良方面行きホームから見た駅舎。午前中の撮影の為、思いっきり逆光になっていますが(汗)…。



↑寺院で埋め尽くされた名所案内。

↑穏やかな陽光が降り注ぐ帯解駅。日中は30分間隔でしか電車が来ない為、ひっそりと静まり返っている時間が長い駅でした。

↑駅の南側には長閑な田園の風景が広がっています(2019年5月30日撮影)。



↑例によって動画です。2019年5月30日に帯解駅とその周辺にて撮影した105系電車の動画集です。ほぼ11分と長めですが(汗)、お時間のある方はどうぞ(^^)



↑初夏の田園風景の中を行く「地下鉄顔」の105系電車(2019年5月30日撮影)。

さて、この画像・動画を撮った翌々日の6月1日から新車227系1000番台の営業運転がここ桜井線でも開始され、運用の半分くらいが新車に置き換えられました。

昭和40年代に生まれ平成を駆け抜けて令和の時代まで生き延びた「国電」の生き残りである105系4扉車、いよいよその終焉の時が近づいてきたようです。
Posted at 2019/07/03 13:06:49 | トラックバック(0) | 鉄道路線・駅巡り | 趣味
2019年03月04日 イイね!

2018年10月~2019年2月 奈良県五條市 国鉄和歌山線旧線 真土トンネル

2018年10月~2019年2月 奈良県五條市 国鉄和歌山線旧線 真土トンネル
またしても(苦笑)、久しぶりのブログです。

今回記事の「真土(まつち)トンネル」は前アカウント時代に訪問し、記事化した事のある物件ですが、最近再訪する機会が何度かありましたので改めて再取材・再記事化してみる次第です。

なお記事中の画像は2018年10月から2019年2月にかけて撮影したものです。

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↑その「真土トンネル」の位置を(グーグルマップ)。

奈良・和歌山県境近くに存在する旧国鉄和歌山線のトンネルで1898(明治31)年の同線開業時から1951(昭和26)年まで使用されていました。トンネル老朽化の為1951(昭和26)年に山裾をなぞる現在のルートに変更され、以後廃隧道となっています。

一般的に「真土トンネル」と呼ばれていますが、所在地は奈良県五條市相谷町であり、「相谷トンネル」と呼ばれる事もあります。


↑「真土トンネル」最寄り駅のJR和歌山線隅田(すだ)駅(和歌山県橋本市)。トンネルはここから東へ歩いて7分位の所にあります。

この駅の特徴でもあるカラフルなイラストで彩られた駅舎は相変わらず健在でした。



↑隅田駅の東にある「落合第二踏切」、実はここが新旧線の分岐点だったりします。

踏切の向こうに見える道が「真土トンネル」に至る旧線の跡です。



↑「落合第二踏切」から見た旧線跡(左)と現在線(右)。



↑旧線跡の道をテクテクと歩いて東へ。この地点から20mくらい先が奈良県と和歌山県の県境です。

この時点で目指す「真土トンネル」が見えています。



↑奈良・和歌山県境の落合川に架かる「落合川橋りょう」。1951(昭和26)年竣功のモダンなコンクリートアーチ橋です。



↑「落合川橋りょう」上を行く和歌山線の105系電車。

今年2019年秋までに引退の予定です。余談ですが、最近はこの電車の動画撮影にハマっております(^_^;)



↑県境を越えて奈良県入り。「真土トンネル」に近づいてきました。

トンネルに至る旧線の路盤がしっかりと残っています。ここ和歌山寄りの坑門前は地主さんのご厚意により、常にキチンと手入れされていてアプローチが極めて容易です。


↑「真土トンネル」西側坑門。

1898(明治31)年に和歌山線の前身である私鉄の紀和鉄道の手によって穿たれたトンネルです。煉瓦積みの荘厳な造りの坑門で今もかなりの存在感があります。



↑ちなみにこの「真土トンネル」は和歌山線で唯一のトンネルで、廃止により和歌山線はトンネルが皆無の路線となりました。

同線唯一のトンネルだけあってかなり凝った造りの坑門です。



↑坑口は柵で封鎖されていますが、これはやむを得ますまい。



↑例によって柵の隙間から洞内を覗ってみました。

洞道は緩やかにカーブしていて、その先には漆黒の闇があるだけでした。



↑木漏れ日に照らされる煉瓦積みの壁が良い感じです。



↑坑口前から見た隅田駅方面。

穏やかな陽光に照らされて、ゆったりとした時間が流れる空間でした。

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↑さて国土地理院のサイトにて真土トンネルを含む旧線が現役だった頃の航空写真を閲覧する事が出来ます。

廃止の4年前の1947(昭和22)年米軍撮影の写真です。これによると線路はまるで何かを避けるかのように山側へ逃げています。



↑現在線沿いの道を東へ歩いていくと、こんなガーダー橋がありました。



↑この橋の名は「相谷橋りょう」。裏山の真土トンネルが廃止された1951(昭和26)年10月竣功とあります。



↑東側から見た相谷橋りょう。

線路沿いの道は狭く、通行はほとんどありません。



↑相谷橋りょう上を行く105系電車。轟音を立てて走り去るその姿はなかなかの迫力です。

このすぐ裏に廃隧道が眠っていると思うと胸が熱くなります。



↑さらに東へ歩くと、こんな脇道が。

一見、線路沿いの墓地へのアプローチ路に見えますが、その先には線路際に至る階段がありました。



↑階段を登っていくと、線路の向こうの藪の中に石積みの構造物が!!



↑拡大してみました。これが真土トンネルの「幻の」東側坑門です。

坑門前はかなりの激藪でとてもではないですが、一般の人間が近寄れる状況ではありませんでした。




↑動画です。新たにビデオカメラを購入しましたので、それのテストも兼ねていたりします。



↑最後に夕日を浴びる真土トンネル西側坑門の姿を。

駅から歩いて7分位の廃線隧道でした。
Posted at 2019/03/04 16:31:34 | トラックバック(0) | 鉄道廃線跡・遺構巡り | 趣味
2019年01月27日 イイね!

2017年11月15日 和歌山県田辺市・西牟婁郡上富田町 岡阪隧道

2017年11月15日 和歌山県田辺市・西牟婁郡上富田町 岡阪隧道「鉄」ネタが続きましたので、今回は久々に隧道ネタでいきます。

今回記事の「岡阪隧道」は和歌山県田辺市と西牟婁郡上富田町の境に位置する大正時代の古隧道です。過去記事の「(旧)卒塔婆隧道」訪問の後に立ち寄ってみました。



↑例によってその大体の位置を(グーグルマップ)。参考までに過去記事の(旧)卒塔婆隧道の位置も書き込んでみました。
(旧)卒塔婆隧道から北西方向へ、上富田町を端から端へと移動した所に岡阪隧道があります。

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↑そして拡大。かつて和歌山県道35号上富田南部線だった道にある隧道です。新トンネルを含むバイパス開通により、旧道化。現在は県道指定を解除されています。

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↑ここが上富田町側の現旧道分岐。右折して旧道に入ります。

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↑旧道に入るとこんな道。道は狭いですが、この日の午前中に訪れた卒塔婆峠旧道に比べればここは遥かに快走路…。

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↑しばらく進むと集落の中へ。沿道にみかん畑があるのがいかにも和歌山らしい風景です。

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↑集落を抜けると目指す「岡阪隧道」が出現!!

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↑例によって一旦隧道内を走り抜けてみます。



↑隧道を抜けた先の田辺市側坑門前にて。隧道手前には待避用と思しきスペースがあります。

パイザーの背後、隧道の坑門脇には高さ制限標識と何も付いていないポールの姿が。
この何も付いていないポール、実は県道標識のモノで、かつては青いヘキサゴン標識が頭に付いていました。



↑これが「岡阪隧道」の田辺市側坑門。古風な煉瓦積みで、かなりの存在感があります。



↑制限高は3.1m。車一台分の幅員で、狭小の部類に属します。



↑坑門の左側にはコンクリートで補修した跡が。

それにしても画像右側の石垣から斜めに生えている樹木が気になります…(^_^;)



↑この田辺市側の坑門の特徴…それはこの切石で囲む形で表現された巨大な扁額でしょう。そして隧道名・施工年・工事請負人の氏名が煉瓦に貼り付けられた切り抜き文字で標示されている点が挙げられます。

なかなか凝った造りです。



↑隧道名の右側には「大正二年」の文字。



↑左側には「工事受負人 堀儀太郎」とあります。サイトや文献によっては「堀儀太」と記してある所もありますが、「郎」の文字が判読出来るので「堀儀太郎」としておきます。



↑早速歩いて入洞してみます。

洞内は素掘りですが、白いモルタルにて仕上げられています。なかなかキレイな洞内です。



↑洞内から見た田辺市方面。



↑照明はないですが、短い隧道なので怖い感じはありません。が、夜間は結構雰囲気ありそうです。

この手の素掘り隧道を歩く度に思うのですが、巨大な生き物の体内に入り込んだような感じがします。



↑田辺市と上富田町の境界は隧道内にあります。



↑程なく上富田町側に到達しました。

すぐ近くに民家が見えます。卒塔婆隧道が人里離れた深い山の中に立地しているのに対し、ここは人里の真っ只中。新トンネルが出来ても閉鎖にならなかった理由がこの風景から伺えます。



↑上富田町側の坑門です。こちらも煉瓦積みですが、周辺の緑に押されて風景の中に溶け込み、田辺市側とは対照的な感じがします。



↑ここ上富田町側にもかつて県道標識を掲げていた首なし標識(左)と高さ制限標識(右)が建っています。



↑煉瓦積みポータルですが、どうしても周囲の緑に目が行ってしまいます。



↑上富田町側から見た洞内。モルタル仕上げでも素掘りのゴツゴツ感が良い感じです。




↑例によって動画を。こちらは愛車パイザーでの岡阪隧道通過の動画です。

↓こちらは隧道内歩行動画。どちらもお時間のある方はどうぞ(^^)



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↑この後田辺市方面へ向かって旧道を下ったのですが、沿道に人家が見当たらない鬱蒼とした道で、上富田町側とは対照的でした。

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↑程なく県道35号線との合流点に到達しました。



↑最後に岡阪隧道前にて撮った我が相棒の姿を。
この日はあと一箇所、近くの古隧道を訪ねてみました。近々UPの予定です。
Posted at 2019/01/27 23:03:47 | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域

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「悪戦苦闘の末、キャンバスにペダルカバー付けました。久しぶりの車イジりです。」
何シテル?   12/11 13:27
とりつきいver.2(旧とりつきい)です。 みんカラでは愛車パイザーでのドライブの記録、趣味の乗り鉄などの記録をブログ・フォトアルバムでの投稿をメインに行...
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