
やりましたね、ハーフパイプ男子、平野歩夢選手。
2連ちゃんの銀メダルです。
恐るべしショーンホワイト。
でも次は必ず歩夢が金を取るでしょう。
今から二十数年前、スノーボードが流行り始めました。
それまではスノーサーフィンと言っていて、新雪を滑る物だったと思います。
モーグルは難しすぎて上達しなかったのですが、小学生の頃スケボーにもハマっていたので、
スケボーと似ていたスノーボードにすぐに飛びつきました。
間違いなく今までで一番ハマった遊びですね。
モーグル仲間達と試しに借りてみましたのが始まりです。
サーフィンの上手い先輩と、スケボー経験者の私は、すぐに滑れるようになりました。
とても楽しくて、すぐにハマりました。
それからはモーグルはやめて、空いている日曜日のナイターで毎週のように練習しました。
ナイターはほぼアイスバーンなので、転倒するとめちゃくちゃ痛く、
その時は、お尻用のプロテクター等知らなかったので、モロに尾てい骨を何回も打ちました。
お陰でおそらくその時折れたんだと思いますが、私の尾てい骨は触ってもどこだか分かりません。

▲K2 juju
最初に買ったボードはK2のjujuという短めの板でした。
少し上達すると、もっと長めの板が欲しくなり、SIMSのオールマウンテンという板に乗り換えました。
そしてしばらく経って、板が硬すぎるのと幅が細すぎる事に気づきました。

▲SIMS ALL MOUNTAIN
この時点でかなり上達していたので、自分の滑りに合う理想の板を探しました。
色々と研究してたどり着いたのが「BURTON」と言うメーカーの「CUSTOM 55」という板でした。
研究するまでは、BURTONが老舗メーカーだということさえ知りませんでしたし、
他メーカーが身長から適応する板の長さを割り出していたのに対して、BURTONは体重から割り出していました。

▲BURTON CUSTOM 55
当時は安いネットショップは無かったし、たまたま池袋のフィールドに知り合いがいたので、
値引きしてもらい購入しました。確か10万円近くしたと思います。
バインディングもバートンの上位モデルを選びました。
残念なことにブーツだけは足型が合わなくて、違うメーカーになってしまいましたが。
そして初めてその板に乗った時、今までとは全く違う滑り心地がしました。
とても軽く思ったようにコントロールが出来て、板との一体感が有りました。
サーフィンで言う所の「マジックボード」とは正にコレなんだなと思いました。
それからはバートン信者となり、ゴーグルやウエアー等、全てバートン製品に買い換えました。
それから2年ぐらい経つとあと3~5センチ長い板(もちろんバートンカスタム)が欲しくなりましたが、
結婚して状況も変わり、結局買わないまま終わってしまいました。
オリンピックなどの大会で、上手い選手はみんなBURTONの板なのも納得です。
まあ、バートン所属の選手が上手いのですが。
ショーンホワイトも平野歩夢もバートンの板です。
どこのメーカーの板が良いのか尋ねられたら、私は「バートン以外あり得ない」と答えます。

▲エアをキメる私。妻(当時は彼女)が写ルンですで撮影
シーズン中は雪がある限り毎週のようにゲレンデに出かけました。
ワンシーズンで30回以上行っていたと思います。
当時のゲレンデはスキーメインで、スノーボードにはあまり好意的ではなく、
スキーとコースが分かれていたり、そもそもスノーボード禁止のゲレンデも有りました。
ビデオに出てくるようなハーフパイプやレールやテーブル、ワンメイク用のキッカー等は皆無でした。
たまにパイプが有るゲレンデも有りましたが、シェイパーがいて整備されているわけではなく、
パイプっぽいけどまるで違うものだし、キッカーも無いので自分たちで雪を集めて作ったりしていましたが、
すぐにパトロールに壊されたり、安全に練習できる環境は何処にも有りませんでした。
でも、チャンスが有ればコースの端にジャンプ台を作って遊びました。
そのうち360°(スリーシックスティ又はサブロク)が出来るようになりましたが、
かなり危険だし怖いので、あんまり高くは飛べませんでしたが。
ある日着地に失敗して手首を骨折してしまいました。
ギブスで固定されているので痛みがなかったを良いことに、そのまま数回滑りに行きました。
転んだらヤバイですが、無茶さえしなければまず転ばない自身があったのと、
本当に滑りたくてしょうがなかったので。
スノーボードのDVDも沢山見ましたが、無茶な滑りをしているとても面白いものばかりでした。
BGMも凝っていて、流行してないけどカッコ良い曲も多く、湘南乃風も流行る大分前から使用されていました。
そして、ビデオの中で、ビッグエアーをキメて抜群の安定感のある物凄い中学生が出ていました。
日本人の中にとんでもなくスゴイヤツが現れたと思い、珍しい名字だったので憶えていたのですが、
数年後にやっぱり出てきました。そいつの名前は「國母和宏」です。
でも、結果は残せず腰パン事件で有名になり、もともとゲレンデの嫌われ者だったスノーボーダーの、
悪い印象に拍車をかけただけのただの迷惑者でした。本当にガッカリです。
まあ、結果を出せないのは成田童夢の頃からですが。
東京オリンピックはスケボーが正式種目になったので、
ここでもショーンホワイトと平野歩夢の対決が見られるかも知れません。
今から楽しみです。