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caoxiaojing12@outlooのブログ一覧

2018年10月19日 イイね!

芯貼りのほうは指示


今日も何とか頑張ってこれました・・・・・芯貼りのほうは指示出す先輩が忙しいようでいなくなったりいなくなったりでちょっと手持ち無沙汰になったり・・・・・・・・・・・・・・色々あって自分の予定より少ないお仕事で終わってしまったり色々あったのですが風邪は大分良くなりました・・・・と思ったら今度は〇理とか・・・・・つ・・・疲れる。休まねばいけない^^;

そんな感じで今日も少し休ませていただきたいと思います^^;
それにしても疲れた・・・・・土日・・・・ワイルド観たいけれども怖いなとか思いながら・・・・・・・(楽しみにしすぎて逆に観るのが怖いっていう・・・・・)そんな感じもありますが疲れた・・・けど土日は絵描きできたら幸いです。

まだ明日があるんですけどね。明日はまた定着支援があるんですけどね。眠い。
そんな感じで帰って着ました。とりあえず疲れたので休みます・・・・・・・・・・・・・朝もう一回サンデーパラ見したんですけどやはりツカサちゃんは強烈だった・・・・・^^
Posted at 2018/10/19 11:35:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年10月08日 イイね!

そういう単純かつ

人間の記憶というのはふしぎなものだ。
きのう女房とした喧嘩の原因は思い出せないのに、大昔のできごとは細かく鮮明に覚えている。
前回、洗濯好きの女房のことを書いたら、かつて母親との間であった、ある洗濯がらみの情景がよみがえった。
今からわずか75年ほど前のことにすぎないのだが、まるでおとぎ話のようだ。「お爺さんは山へ柴刈りに・・・」の世界と大して違わないことに驚く。

わしの母親は明治の生まれで、大正が昭和に変護膚品推介わるころに結婚した。母は家つき娘で、父が婿に入った。

当時は女性が職業をもつこと自体一般的ではなかったが、母親は結婚後も仕事を辞めず、土曜の午後と日曜日しか昼は家にいなかった。
食事の準備をはじめとする家事の多くは祖母がやっていたのだけれど、洗濯だけは老体にはこたえるのか、日曜日にまとめて母がやっていた。

当時家族は8人。うち5人はケダモノみたいに野山を走りまわる子供たちだったから、1週間に出る洗濯ものはハンパな量ではなかった。
実際、日曜日の午前に洗濯盥(たらい)に向かう母親のかたわらには、洗濯ものが文字どおり山を成していた心意卡。その山の光景がいまも眼の底にうかぶ。

日曜日になると母親は必ず(天気のよい日はもちろん雨の日も風の日も)、大きな丸い木製の洗濯盥(たらい)の傍らにしゃがみこんで、シコシコと半日がかりで洗濯をした。たらいのなかには洗濯板(→冒頭の写真参照)が1枚入れてあり、その上でひたすら汚れものを手で板にこすりつけたり、もんだりして洗うのだ。

そういう単純かつ原始的な作業を、母は毎日曜日に午前中いっぱい続けて、一家の一週間ぶんの汚れ物の山を片づけた。週日は外で働いて日曜はこれだから、大変だったろうと思う。
そのうえ、育ててはもらったが継母だった祖母との関係も、家事を助けてもらっている負い目も加わり、精神的にも重い學位分配ものがあったらしい。

その頃わしは小学校へあがる少し前だった。まだ母親に甘えたい年頃だ。だが母親はほとんど家にいない。それだけに1日じゅう家にいる日曜日はうれしかった。できるだけ母親にまとわりついていたかった。

でも、その日曜日がくると、母親は必ず朝から洗濯たらいの相手ばかりしている。虫の居所のわるいと、「汚れた水がかかるからもっと離れていなさい」といって叱られる。
不満だった。

たぶんそんな時だったのだと思う。
天気のよい日で母は庭に出て洗濯をしており、わしはその母親の背後に、暖かい季節だったのだろう地べたにペタリと座りこんでいた。
そして、何とはない欲求不満の気分を抱えながら、洗濯たらいに向かう母親の背をぼんやり眺めていた。手近に落ちていた枯れ枝を拾い上げて、母親の背をたたくように振りまわしていたように思う。

そうしているうち、ふいにどこからか一匹の蝶が飛んでくるのが目に入った。そして母親の頭のうえを舞いはじめた。

あまり大きくない白っぽい蝶で、どこといって特徴的なところはなかった。しかしふつうと違ったのは、母親の頭の上からいつまでも離れなかったことである。

ふつう蝶は人にはあまり近づかないし、たまたま近づくことがあってもすぐに離れていく。
ところがそのときの蝶は、母親の頭のうえ1メートルくらいのところで、いつまでもヒラヒラ、ヒラヒラと飛び回り続けたのである。

子供ごころにもそのことをちょっと奇異に感じたわしは、気をひかれてその蝶をずっと注視していた。
それもかなり長い時間で、しびれを切らした感じでそのこと(頭のうえを蝶が飛んでいること)を母親に知らせようと口を開きかけたとたん、母親がひょいと振り返った。そして体をねじったまま無言でしばらくわしを見つめていたが、ふいに立ち上がって近づいてくると、わしを地べたから抱き上げてぎゅっと抱きしめた。

母親の着ていた割烹着がぬれていて、それが冷たかった感覚がいまも残っている。

何十年ぶりかでこの情景を思い出して、今なんとなくこんなことを思う。
わしの母親は事情があって、生まれてまもなく産みの母親から引き離された。その産みの母親はその後数年で亡くなったと聞いている。
あのとき庭で洗濯する母親の頭のうえへ飛んできた蝶は、ひょっとすると、その引き離されて亡くなった産みの母親だったのではないか・・・というようなことをぼんやりと考える。

育ての親がどんなに良くしてくれても、実の母親に育てられなかった子供の心に忍びこむある種の孤独。
それは、いつも母親とある距離をおかれて過ごしていた幼児のわしが持っていた孤独と、どこか通じるものがあるような気がする。

母親は、自分が幼女のころに味わったのと同じ悲しみを、われ知らず自分の子供にも与えていた。そのことを気づかせるために、母親の母親、つまり産みの母親が蝶となってやってきたのではないか。・・・

そんな浮世ばなれしてフェアリー話めいたことを、夢かまぼろしのようにぼんやりと思ったりするのは、わしもいよいよあの世が近くなったせいなのかもしれない。
Posted at 2018/10/08 15:39:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年10月08日 イイね!

食肉の代わりに

ヴィーガンの現時点における大きな欠陥である。ビタミンB1は動物性食品でしか、それも畜産系のものでしか存在しないから。畜産摂取をしなかった江戸時代までの日本人は大体体力が弱く、早死傾向でもあった。その結果、結核も蔓延する社会になっていたわけである。明治以降も、菜食主義であった詩人の宮沢賢治は多病で、早く他界したわけだし。それも克服課題の一つである。また、大豆からの人造肉はとっくの昔にできているわけである。かなりが安いハムなどの中にも入れられている。又は、大豆で作られたカニ肉みたいな食品も売られており、僕もいつも食べている。でも、それが普及しない理由も、ビタミンB1が欠落しており、食肉の代わりにはならないからである。

これだけ科学が発達している以上、今後はビタミンB1を化学合成できないものかと思う。又は、ヴィーガンや大豆を遺伝子操作して、ビタミンB1を作る事ができるヴィーガン豆や大豆を作るとか。

物事は何でも良い面と悪い面があるから、その両方を冷徹に見て、悪い面については解決策を模索する必要があると思われる。以上もその一つである。
Posted at 2018/10/08 13:02:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年09月18日 イイね!

意味があるのかと

その日は安室奈美恵さんの引退の日。

もうそれだけで芸能関係のニュースは一色に染まると思っていた日だったと思います。

だけど、そこに樹木希林さんの訃報が入りました。亡くなったのは前日の15日。

なんだか不思議な感じがしました。安室さんの引退も16日でしたが、最後のライブは15日だったから。

単なる偶然であっても、何でだかその偶然に何か意味があるのかと珍珍薯片、それこそ意味もない事を想ってしまったりもしたのです。

樹木希林さんは、何気にシニアにアイドルで映画などの集客力があるのだと近頃しみじみと思っていました。もちろん世代関係なく人気はあったわけですが。

この「敬老の日」を含む三連休に亡くなったのも意味があったのか・・・・

まったく !?

そんなことを呟いているのを希林さんが聞いたら、何を言ってるのかと叱られそうですね^^

かなり前の事ですが、パン屋さんのイートインコーナーでちょっとだけ言葉を交わした人が、樹木希林さんの同級生で浴室用品、毎年同窓会をやっているのだと教えてくれた事があるのです。その同窓会は、彼女を気持ち良くもてなす為のモノだと、そう語っていた人も楽しそうでした。

また会おうと連絡先を貰ったのに、とうとう連絡じまいになってしまいました。ちゃんとまた連絡していたら、希林さんの面白い話もたくさん聞けたかもしれませんね。

今年になって、樹木希林さんが出演している映画を二本みました。両方とも義母に誘われての事でした。義母は彼女のファンなのです。思わずメールを送ってしまいました。

「昨日の樹木希林さんの訃報には吃驚もしたし葵涌通渠、ショックでしたね。彼女の生きる姿勢からは学ぶことがたくさんあったように思います。そんな彼女の素晴らしい映画を、今年、沢山、見る事が出来たのはお母さんのお蔭だと思います。ありがとうございました。  また、ご一緒させてくださいね。」

そう言えば、今年も「敬老の日」と言うものには、私はスルーです。

平成最後の夏の日々が、また終わっていきますね。
Posted at 2018/09/18 12:20:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年09月18日 イイね!

授業を観ること

昨日は、およそ3カ月ぶりに「仕事」に出向いた。その内容は、①特別支援学校高等部の授業を観ること、②授業者に助言すること、③高等部の部内研究会で助言すること、である。その日の予定は3月から決まっていたので、退院後ただちに仕事の交替を申し出たのだが、「ぜひとも・・・」と強く希望されたので、体力には全く自信がなかったにもかかわらず、また「ある程度負荷をかけてみてどんな結果になるか、様子を見てみたい」という気持ちもあって、あえて出向くことにした。日程は12時50分から17時まで組まれている。学校からは「体調に合わせて参加してください。いつ中断、終了してくださっても結構です」と言われたので、どこまで「仕事」を続けられるか試してみたのである。 その結果、①と②はどうにかこなすことができたかもしれない。授業は、校庭グランドでの「体育」だったが、テントの中で座って観ることができた。子どもたちは、指導者のねらい通り、精一杯活動し、自分の力を十分に発揮していると思った。いくつかの課題も指摘して、②までは終わったが・・・。③は15時45分から17時までの予定だったが、冒頭で10分程度の助言をして「途中退席」することになってしまった。疲労が限界にまで達したからである。 
 しばらく休憩の後、学校職員の自家用車でおよそ50分、自宅付近まで送ってもらった。家を出たのが11時30分、帰宅したのが16時50分、およそ5時間あまりの外出だったが、やはり相当に疲れた。18時に夕食後、まもなく就寝というありさまで、まことに情けない。途中、23時頃に目を覚ましたが、引き続き今日の5時まで「浅い睡眠」をとることができた。昨日の疲れが完全にとれたわけではないが、体温、血圧、脈拍に異変はないので、ひとまず「仕事」復帰への足がかりができたかもしれない。学校関係者の、きめ細かな御配慮に感謝申し上げる。
Posted at 2018/09/18 12:04:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「瀟洒なものにした http://cvw.jp/b/2842123/42233352/
何シテル?   11/26 15:37
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