現代の皆様は60馬力のエンジンと聞くと えぇ〜非力と馬鹿にしてしまう方が多いのではないでしょうか?
今から50年前 東京から房総半島一周や三浦半島の城ヶ島にドライブなど まだまだ未舗装が残る道が多かった。
まさに冒険旅行のようでした。
また箱根の旧道はまさにクルマ泣かせの山で 気圧変化と過剰なエンジン負荷にオーバーヒートが続出するほどの過酷なコースでした。
そんな当時の名車達をご紹介します。
トヨタスポーツ800
トヨタスポーツ800は、1962年のモーターショーで発表されたプロトタイプであるパブリカスポーツを祖として、1965年4月に登場。空気力学を重視した機能的なスタイルをそのままに、パブリ力のコンポーネンツを用いてコストダウンを考えた大衆のためのスポーツカーであった。価格は59.5万円。デタッチャブルトップの開放感と、わずか790ccの空冷水平対向2気筒から得られる、155km/hの最高速度はドライブの楽しさを一般的なものにしたのである。
ダットサンフェアレディ
この車は、1962年わが国で初めて本格的なスポーツカーとして開発された。
スマートなボディに直列4気筒OHVエンジンを搭載しブルーバード312型と同じシャシーを使用、リアには横向きの変則的なシートを持つオープン3シーターである。1963年に開催された第1回日本グランプリに出場、ポルシェ、トライアンフTR4など外国製スポーツカーを相手に見事クラス優勝した。その後、フェアレディは1600(SP311型)、2000(SR311型)へと発展、モータースポーツで大いに活躍した。
ホンダS500
当時、すでに2輪メーカーとして名を馳せていたホンダが4輪分野へ進出、本格的なライトウェイトスポーツであるS500を送り込んだ。デビューは1963年、前年に発表したプロトタイプS360の生産型である。531ccの超小型4気筒ツインカムには4基のCVキャブを装着して44hp/8000rpmの出力から最高速度は130km/h。小型車としては驚異的なパフォーマンスと軽快な2座オープンボディから若者の憧れを一身に集めることになった。その後、このモデルはS600、S800へと発展、本田技研工業の自動車部門の基礎を築き上げた。
ダイハツコンパーノスパイダー
コンパーノ ベルリーナ800をオープンにしたファミリースポーツモデルで、1リッターの高出力型エンジンを載せ、足まわりを硬めにして最高速度145km/hを出した。当時は日本グランプリレースの開催や名神高速道路の開通などが相次いで、各社がスポーツカーや乗用車派生のスポーティモデルを競って商品に加えた時期であった。
今の人から見れば カッコ悪いクルマかも知れませんが このクルマ達がいたから 今日のスポーツカーがあるのも事実です。
私の大切なクルマ達ですね。
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2018/04/09 21:43:20