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ロードスターさーぱぱのブログ一覧

2017年11月27日 イイね!

英国ライトウェイトオープンスポーツカーをご紹介。

私が昔の英国ライトウェイトオープンスポーツカーと言われ思うのは まず軽いクルマである。また屋根を簡易的なオープン機構を持ち そして軽快な走りの出来るスポーツカーである事。

そんな私の大好きな 昔のライトウェイトオープンスポーツカーをご紹介致します。


英国のライトウェイトオープンスポーツカーの代表格として ロータス エランです。


1962-1975年の13年間を製造されたライトウェイトオープンスポーツカーで初期のモデルS1型は1500ccエンジンでは100馬力と言う 今では非力だと言われますが 車両重量が639kgと超軽量なFRP製のボディーで当時0-100km加速が7秒代は現代のロードスターでも出せない記録で そのスペックが50年前に出していたとはさすがロータスと言える一台ですね。

また特徴的なところはサスペンスがフロント ダブルウィッシュボーン リアにチャップマン式ストラッドを採用 シャシにはXボーンフレームでしなやかな剛性を実現させました。

このクルマをお手本としたと思えた国産ライトウェイトオープンスポーツカーはこちらかなぁ〜と思いきや?

(マツダ ユーノス ロードスター)


マツダはこのユーノスロードスターを開発に関して ロータスエランをお手本にはしていないと言うが 私はデザインはこのクルマ スペックはホンダのS2000に近い走りをするクルマだと思います。


ロータスが贈るスパルタンライトウェイトオープンスポーツカーの代表作 ロータス7
(写真はケータハム スーパー7)


このロータス7は1957-1970年代まで製造されたクルマで その後 製造権をケータハム社に譲渡され現代でも作り続けられるスポーツカーです。

特徴は車両重量 約500kg代のシャシにフロント ダブルウィッシュボーン リアはドディオン式サスペンスで構成されています。

現在では300馬力を超えるスペックのエンジンを搭載する620Rと言うモデルがあり 0-100km加速は2秒代。まさにフォーミラー1(F1)並の加速をするクルマです。

このクルマとユーノスロードスターを融合させたライトウェイトオープンスポーツカーがこちら。

(光岡自動車の光岡ゼロワン)


私のこのクルマに対する印象はデザインはスーパー7でエンジンやドライブトレインはユーノスロードスターを流用しているクルマです。

スパルタンなスーパー7の走りを丸くまとめたクルマですね。

またエアコンもつけられるのもグッドです。


英国 オースチン社が誇るライトウェイトオープンスポーツカー オースチン ヒーレー スプライトです。


このクルマは1958-1960年にかけて製造されたクルマで長い名前と愛くるしい姿が人気を博したモデルでした。

愛称はカニ目と呼ばれ 親しまれたスポーツカーです。

このクルマを真似したと言い張るユーノスロードスター

(ユーノスロードスター達)





英国バイクメーカー トライアンフが作るライトウェイトオープンスポーツカー トライアンフ スピットファイア

このクルマは1962-1980年まで製造されたライトウェイトオープンスポーツカーです。

特徴は第二次世界大戦で英国戦闘機の名機 スピットファイアの名を付けたスポーツカー。

しかしクルマ自体は当時でも古臭い匂いが香る走りがまた良いと言う人も多く 長く愛されたスポーツカーでもありました。


英国 MG社が誇るライトウェイトオープンスポーツカー MG Bです。


このクルマは1962-1980年までに約52万台を生産されたライトウェイトオープンスポーツカーで このクルマをベースにGTモデルも作られたのも長い間 人気を博すクルマでした。

(MGB GTモデル)


トライアンフ スピットファイアとMGBを真似たと思えるライトウェイトオープンスポーツカーがこちら。

(ホンダ S500)


ホンダもトライアンフも お互いにバイクメーカーである。やはり当時のバイクメーカーが作るクルマはこんなデザインが作りやすかったのかも知れませんねぇ。


英国ライトウェイトオープンスポーツカーと言うより馬車の伝統を受け継ぎ続けるスポーツカーメーカー モーガンが贈る モーガン4/4です。


モーガンは昔 三輪車(スリーホイラー)メーカーとして有名でしたが 時代の流れにより4/4モデルとして1936年から生産し今日まで作り続ける。

(モーガンのスリーホイラー(三輪車)車)


また車体の特徴であるのは木製である事。


まさに馬車の名残を色濃く残す 伝統の英国社だと思います。

これらが今から50年前のクルマ達です。

では50年前 日本ではどんなライトウェイトオープンスポーツカーがあるの?

(トヨタ スポーツ 800 1965年製)


(ダイハツ コンパーノ スパイダー 1965年製)


(ホンダ S500 1964年製)


(ダットサン フェアレディ SP310型 1963年製)


市販のセダンをクーペ化(2枚ドア)し さらに簡易的な幌を付けてオープンカーを成立させたモデルが多かったのもお判り頂けたと思います。

またライトウェイトはこの頃の市販のクルマでも軽いクルマがたくさんあり またエンジンパワーは非力が当たり前の時代と融合しライトウェイトオープンスポーツカーは生まれたのだと思うさーぱぱなのです。









































Posted at 2017/11/27 08:49:24 | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年11月23日 イイね!

マツダロードスターとトヨタ自動車の以外な関係に付いて語る。

マツダロードスターとトヨタ自動車が一致するキーワードは累計生産台数100万台に27年間の歳月を要した事。

(ロードスター100万台記念車)


1989年に贈り物と言う言葉「ミアータ」MX-5 日本名:ユーノス ロードスターが100万台達成したのが2016年。この間 たくさんの人々から愛されて来ました。

(ロードスター4世代モデル)


そして今回ご紹介するのが トヨタ自動車の100万台達成したのが27年間。

1935年 豊田自動織機製作所自動車部は日本純国産乗用車を作った。

そのクルマが豊田A型試作車でした。

(豊田AA型乗用車)


(戦後初のトヨタ国産乗用車 SA型乗用車 1951年製)


商用乗用車から国民乗用車になった時代。
(大ヒット車 トヨペットクラウン RS型 1955年製)


一般の家庭でも購入出来た国民大衆車
(国民大衆車 パプリカUP10型 1961年製)


そして豊田A型試作車の製作した1935年から27年目の1962年 トヨタ自動車は生産台数100万台を達成しました。


ここであなたに問いたい。

壊れるとわかっている国産乗用車を買いますか?

それとも壊れにくい海外の高いクルマを買いますか?

この質問は今から約80年前 弱小自動車メーカー「トヨタ自動車」が日本国民に問いかけた事でした。

国民は当時 純国産のトヨタ製自動車を選び そのトヨタは壊れても直ぐに対応できるサービス体制を確立し 共にクルマを育てて来た結果 自動車メーカートヨタ自動車は壊れにくく信頼のあるクルマを作りあげ 今日の日本の自動車産業を支える太い幹へと成長させて頂いたのだと思います。

その精神は各国産自動車メーカーへと波及し今日のクルマづくりの礎となったのだと思います。

クルマとは国民の生活を豊かにし より便利にし そして何より走る楽しさを教えてくれた道具です。

このクルマと言う道具は 人から愛されて愛車と変わるのです。

これからもたくさんの愛のあるクルマ作りをして欲しいと願うさーぱぱなのです。






Posted at 2017/11/25 04:34:29 | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年11月23日 イイね!

さーぱぱを育ててくれたトヨタエンジン「4A-GE」を紹介!!


トヨタ自動車が「走りに熱い情熱」を注いだ時代があった。

軽量、コンパクトでハイスペックを求めるためのパワーユニットづくりに着手。

その後の1600ccDOHCエンジン戦国時代に勝つために。

OHV型エンジンをベースにしたT型エンジンに変わる新しいエンジンの音開発は急務で ただ燃焼効率と回るエンジンからエンジン回転域にパワフルさと乗用の使い勝手を求めるエンジンが2代目4A-G型エンジンでした。

(AE86搭載の4A-GEUエンジン)


名称:4A-GEエンジン
エンジン型式:水冷4気筒DOHC16バルブエンジン
排気量:1,587cc
ボア×ストローク:81.0×77.0
圧縮比:9.4
最高出力:130ps/6,600rpm(グロス値)
最大トルク:15.2kgm/5,200rpm(グロス値)

尚、グロス値とはエンジンを単体でスペックを計測した数値で、現在の車体搭載計測のネット換算だと10~15%ダウンしたスペックだと思われます。

[初代4A-GEエンジン紹介]

トヨタがこれまでの2T-G型エンジンに代わり、次世代GTエンジンとして、高回転(毎分7700rpmのレットゾーン)、ハイレスポンス(レットゾーンまで0.96秒)型のエンジンをヤマハ発動機と共同開発したエンジンです。

今のエンジンのようにトルク感のあるエンジンとは違い、4000rpm以上での気持ち良いレスポンス感はパワーの盛り上がりで気持ち良く走るエンジンで、操り安いエンジンでもありましたねぇ。

[初代4A-GEエンジンの写真の進化と古さ]

(インテークマニホールドにT-VISの文字)

そのこののDOHCエンジンと言うと 高回転域は気持ち良いのに中 低回転域ではもたつく!を解消するため トヨタ自動車が開発したのがトヨタ-バリアブル インダクション システム(T-VIS)です。

このシステムはDOHCエンジンの2つのバルブポートの内 中 低速回転域では片側のポートを閉じる働きをするシステム。

これにより中低速域での吸入速度を上げ 当時まだ未発達の電子燃料噴射のノズルを補うシステムでした。

(古いと思わせるところは点火方式)

エンジンヘッドの写真下部に4本のプラグコードの束ねる部が通称 ディスビ(ディストロビューター)です。

ではこのディスビはエンジンのどんな事を行なっているかと言うと 点火プラグに適正回転時期に圧送電気を送り 点火プラグを放電させる役割をしています。

しかしこの頃 ディスビに変わりダイレクトイグニッションシステムに変わり始めた時期で トヨタやマツダはこのシステムの使用が遅かったのです。


またこのエンジンを搭載したクルマ達をご紹介致します。

[カローラFX1600GTツインカム16]




私が初めて所有したクルマで、コンセプトは「2ボックス上級生」のキャッチが私の心をつかんではなさなかったクルマ。

当時国産2ボックスのベンチマークだった「ワーゲンゴルフGTI」に追いつけ、追い越せと言うことで、ベースの80型カローラのデザインはデロリアンを担当した「ジュジアロー」が監修、2ボックス初のDOHCエンジンと当時の私の評価は二重丸でした。

購入後のテストでも時速180㎞・1時間継続運転にも耐え、満足ゆくクルマだと今でも思っています。


・フロントエンジン、リアドライブ(FR車)
[86式カローラ・レビン、スプリンター・トレノ]


私がこのクルマを初めてテストした印象は一言で今言うと(当時もあせあせ)少し古臭い印象を持つ車でした。

足回りがフロント、マクファーソンストラッドは良いのですが、リアが車軸式にコイルスプリング式に伴うラテラルロッド・コントロールアームを併設した5リンク式は この時代の後輪駆動のリアサスはセミトレーリングアーム式が時流になっていました。また、デフを車体に固定したドディオン式車軸サスでも良いのではと言う事と、ボディーが先代カローラの70式をベースにしているためにボディーのよじれに不安があるクルマと感じました。

しかし、その後改造を施し、ドリキン土屋選手やイニシャルDで脚光を浴びると、トレノを買っておけば良かったと後悔してしまうさーぱぱなのです。

・ミッドシップマウントエンジン、リアドライブ
[トヨタ・MR2]


このクルマは本来、ラリー用4WDとして開発されたクルマで、ミッドシップマウント&フルタイム式フォー・ウィル・ドライブ車をテスト車としてカローラFXのシャシを前後反対にして四駆を作成していましたが、ホイールベースが短すぎて、とてもピーキーな動きをすると言うことでお蔵入り寸前での販売モデルとして陽の目をみたクルマでした。

私もテスト車のレース用のクルマを乗りましたが、エンジンのバイブと爆音でいらないと感じたクルマでもありました。

また、操ると言う意味では0カウンター領域での姿勢維持コントロールがシビアだったのも今となれば善き思い出でしたねぇ~。

今、ロータス・エキシージを操ると当時のミッドシップスポーツカーの完成度と現代の完成度の違いを感じますねぇ~。

総括
さーぱぱのクルマ人生でこの4A-GEエンジンで3タイプ(FF、FR、MR)の車両をテスト出来たのは最高の思い出であり、その後の3種類のクルマ(FF:流面系セリカ、FR:AE86の再来 トヨタ86、MR:2代目MR2)に受け継がれ、MR-Sの生産中で幕を閉じたトヨタスポーツカー。

その後、トヨタ86でスポーツカーを復活させたように見えますが、本当の熱いトヨタ自動車はこれからだと期待してしまいたいさーぱぱなのです。
Posted at 2017/11/23 07:54:42 | コメント(1) | トラックバック(0)
2017年11月22日 イイね!

茨城県牛久市 とんかつ かさま

本日 無性にとんかつが食べたくなったので ここに行ってきました。

特選ロースかつ


特選エビフライ


とても美味しかったですね。☺️



Posted at 2017/11/22 22:11:24 | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年11月22日 イイね!

平成21年11月15日沖縄~羽田へ向かうコックピットでの様子!! 紹介


この日、仕事の達成祝いに会社のプライベートジェットで沖縄旅行の帰りのフライトで貴重な体験をさせて頂いた事をお話致します。

那覇空港を離陸した飛行機は約30分で屋久島上空(沖縄は嘉手納基地があるため、離陸してしばらく低空飛行して迂回しなければならない為、高高度に達するまで時間がかかるのです。)を高度13000m上空に達していました。

それは成層圏を超えた瞬間でした。



成層圏は約高度10000mでそこからは空気が極端に薄くなる所です。

そこは宮崎アニメの「紅の豚」で言っている「雲の平原」みたいで地上を見れば雲海、上空は真っ青な宇宙って感じです。

紅の豚と死闘を繰り返したカーチス氏


また地平線も高高度なのではっきり見え、わかっていることですが「地球が円い」事が見れたのも感動でした。

私は多少、飛行機の知識があったので、機長(会社の社員さん。)さんのご厚意でコックピットに入ることに。(本当は違法行為なので、内緒ですよぉ。)

フライト中のコックピットは初めての体験で少し緊張しました。

飛行計器をみるとこの時期の高度13000mは外気温:マイナス50℃、機体温度:マイナス41℃、速度は時速約680㎞、エンジン燃焼室温度:600℃、オイル温度:56℃、この日のジェット気流は時速約200㎞で西から東に吹いていました。

プライベートジェットのように小型機は低空を飛ぶより高高度を飛んだほうが揺れないのはわかっていましたが、自動操縦なしで飛ぼうとすると相当揺れるそうで、機体の各所に付いているカナード羽を調整して安定性を保っているそうです。(ここでも電子制御の素晴らしさを実感させられました。)

浜名湖、海上上空から徐々に高度を下げ、以前つぶやきでご紹介した写真は伊豆半島の下田の町で陸地に近づき、房総半島から九十九里をかすめ千葉マリンスタジアム、ディズニーランドから羽田に無事着陸しこの旅も終わりました。

尚、今はGPSやビーコン(飛行機の標識)等や自動操縦技術が発達しているから安全に航行出来ますが、昔の飛行機乗りは有視界飛行と言う、目視だけで数千キロも飛ぶのですから経験や地理能力、度胸、気象学、操縦技術が桁違いだったと思います。

ですから私もパイロットと言う職業に憧れた事もありました。

冒険飛行家:ポルコ・ロッソことさーぱぱなのです。




Posted at 2017/11/22 06:55:10 | コメント(0) | トラックバック(0)

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「@*はる* 軽ミは不参加だったんですね。来年は参加されることを願っております。😃また機会がありましたら爆走のお供にをさせてくださいね!」
何シテル?   05/27 22:35
はじめまして ロードスターさーぱぱと申します。 以前はサーパパと言う名前でみんカラをやらせて頂いておりましたが 携帯電話の機種変更によりロードスターさーぱぱ...
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マツダロードスターとトヨタ自動車の以外な関係に付いて語る。 
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2021/01/01 21:55:08

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