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ロードスターさーぱぱのブログ一覧

2017年11月30日 イイね!

イタリアン ライトウェイトオープンスポーツカー紹介

英国のライトウェイトオープンスポーツカーと違うテイストを持つイタリア製 ライトウェイトオープンスポーツカー。

そんな魅力を考えてみましょう。

【アルファロメオ スパイダー】
このクルマは1966年から1993年の27年間 製造された ロングランスポーツカーで ボディデザインは初期型のボートテール型と後期型のカムテール型の2つのデザインが特徴的なスポーツカーです。



(ポートテール型)


(カムテール型)


また操作系の特徴はシフトノブがインパネ下部から斜めに生え出てくるのも特徴で あえてシフトチェンジを意識させてくれるクルマです。


【アルファロメオ ジュリエッタ スパイダー】
1954年にジュリエッタが登場した翌年の1955年にこのスパイダーモデルが発売。

以降 1965年まで製造されたライトウェイトオープンスポーツカーです。


この二台のアルファロメオは私も所有してみたいクルマ達です。


【フィアット124スパイダー】
1966年から1985年まで製造されたこの124スパイダーは 国外生産モデルは2012年まで製造されたロングランなライトウェイトオープンスポーツカーです。



(左側が旧型 右側が現行型)



【フィアットX1/9(エックスワンナイン)】
このクルマはフィアット850スパイダーの後継としてベルトーネが公案した アウトビアンキ ラナバウトの1969年を原型にしたモデル。

1972年にイタリアのタルガフローリオで発表され 以来フィアットモデルは1982年まで作られた。

この以降はベルトーネで生産され1989年のユーノスロードスター誕生の年まで製造されました。



特徴はリアミッドシップマウントエンジン リアドライブのスポーツカーで トヨタMR2も参考にしたモデルとも言われています。

尚、ここまでフィアットモデルをご紹介して来ましたが フィアットバルケッタについては前輪駆動のため ドイツで行われた「スポーツカーとスポーティーカーの裁判」に基づきスポーティーカーの分野に分類されるため 次回 別の機会にご紹介したいと思います。

【ディノ246GTS】
このクルマをライトウェイトオープンスポーツカーとして語るのは 少し場違いなのかも知れませんが 車重約1120kgと軽く ミッドシップレイアウトで後輪駆動 タルガ形状のオープン機構を有していると言う事とアルフレッドフェラーリの偉業を讃えて あえて掲載致します。

1968-1974年製造のこのディノ246GTSは あのスーパースポーツカーメーカー「フェラーリ」の創設者エンツォフェラーリの長男として生まれた 若くして亡くなったアルフレッドフェラーリの病床時に設計したモデル。



当時 父エンツォはこのディノにフェラーリのマークを付けさせなかったのは エンツォの12気筒エンジン搭載車こそフェラーリと言うプライドが親子の溝を作る原因だとも言われています。

しかしアルフレッドの死後 エンツォはこのことを悔やみ このディノもフェラーリと認め今日に至る。

このモデルは日本ではあのカーグラフィック創設者の小林彰太郎氏が「ディーノ246ほど、ワインディングロードを速く、安全に飛ばせる車はない。操縦性、ロードホールディングは文句なく絶品で、しかも視界がサルーン並みによいからだ。ドライビングの楽しさでは、ディーノはカレラRSに勝るかもしれぬ」と絶賛しているほど素晴らしいモデルでした。

以後 フェラーリはこのディノミッドシップモデルから308 328 348 355 360 458 488モデルとホモロゲーションモデルの288GTO F40に発展した初期モデルでもあります。

以上 イタリアのライトウェイトオープンスポーツカーをご紹介致しました。

私はこのイタリアンなテイストはNB型ロードスター以降にも生かされたモノだと思います。

やはりこれらイタリア車は海沿いのワインディングロードと朝焼けや夕日が似合うスポーツカーだと思いますねぇ。



Posted at 2017/11/30 03:13:00 | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年11月29日 イイね!

走りに大切なのは リズム 筑波山で走りの指揮棒を振る私。

私が昔 筑波山で乗っていた紅のNA型ロードスター



通称 『筑波の赤い彗星』と呼ばれていたあの車です。

「峠の走り」と言う音楽(走りのリズム)に対して 私が指揮棒(ドライビング)を振る。

そのバンド名は広島出身の「ユーノス ロードスター」

バンドのメンバーは、動力担当のレシプロップB6・エンジン氏



タイヤのアライメント変化を担当する 足回り担当のダブルウィッシュボーン氏。



走りのリズムの方向をつかさどる 舵取りのラック&ピニオン氏。



走りのリズムを取りまとめる担当するモノコック氏とパワー プラント フレーム氏。

峠と言うコンサートホールで はじめのか曲はスローテンポの序曲から始まり やがてだんだんアップテンポの曲に・・・‼︎

そして 最後は「峠の走り」と言う曲を演奏する。

この曲の主旋律はレシプロップ エンジン氏の加速感から始まり、曲がりに対して ラック&ピニオン氏が曲にメリハリを付け、この大地とのメリハリからダブルウィッシュボーン氏がタイヤに荷重変化を与え 峠の走りと言う曲に 一体感を演出する。

この一体感の影の力になっているのが モノコック氏とパワー プラント フレーム氏。

この一件バラバラに見えるこのリズムをしなやかで粘りのあるリズムに変える モノコック氏。

曲の句読点的な役割 シフトチェンジをしなやかでカシカシ感を演出する パワー プラント フレーム氏。

この絶妙なマイスト達の奏でる 性能を活かしタクトを振る私。

最終コーナーを曲がり 曲の最後 私はこの曲とマイスト達と一体感を味わう。

まさに人馬一体。

[ここで簡単にバンドのメンバー紹介]



・レシプロップBP・エンジン氏
このエンジン氏はマツダファミリアと言うバンドに所属し、その演奏の才能から採用されました。

この方のバンドのパワーバランスは絶妙で、何かバンドのメンバー達を楽しくしてくれるムードメーカー的存在ですねぇ~。

・ダブルウィッシュボーンさん
この方はタイヤの暴れたいと言う心理をアッパーとロアのアームでたちどころに安定させてしまいます。

またロアとアッパーアーム(非等長リンク)の長さが違う楽器を使い、コーナーや荷重変化時にキャンバー変化を起こして適切にタイヤを路面に打ち付けてくれる頼もしいバンドマンですねぇ~。

・ラック&ピニオン氏
この方の性格は路面からのキックバックを優しくバンドメンバーに伝える優しい性格の持ち主。

また指揮棒であるタクト(ハンドリング)対して俊敏に大地に伝えてくれる頼もしいバンドマンですねぇ~。

・モノコック氏
この方はオーケストラ(ボディー)全体のまとめ役。

固過ぎず、柔らか過ぎずのオープンボディーには最高のバンドマンですねぇ~。

・パワープラットフレーム氏
この方は広島の楽器メーカー?(自動車メーカーMAZDA)の貴島氏の「走りの教え」を忠実に守り通してきた方です。

役割はトランスミッションとデフケースをつなぐ金属フレーム(アルミ製)です。

この効果はアクセルを踏むと背中をスッて押し出す感覚とトランスミッションとプロペラシャフトの暴れを見事に抑えアクセルワークを大地に嫌みなく伝える働きをしています。

メンバーの皆様は広島県出身の世界的な著名人と最高の裏方である、コン・ピューター氏により実現した軌跡のバンド『ユーノス(マツダ)ロードスター』。

私にとっても最高のステージ(筑波山)に立たして頂き総指揮を振らせて頂いております。

今後共、宜しくお願い致します。

さーぱぱより。












Posted at 2017/11/30 01:38:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年11月28日 イイね!

マツダが世界のスポーツカーを作る。

今回 マツダロードスターのDMAが世界のスポーツカーに息づく(作る)。と言うテーマをブログに書いてみます。

【エンジン編】
[ジネッタ G40]


(マツダNC型ロードスターのMZRエンジン)


(ジネッタG40のエンジン)


マツダは英国のスポーツカーメーカー(ビルダー)にエンジン供給をしています。

このエンジンはマツダ三代目NC型ロードスターのシリーズ1のスペック170馬力をほぼ流用し 車両重量795kgとクーペスタイルでは超軽量化を実現したスポーツカーです。

(ジネッタG40の外観)


フロントマスクはどことなくマツダ2代目NB型ロードスターに似ているように見えるのは私だけでしょうかね。


[ゼノスE10型]


ゼノスのエンジンは基本的にはフォード製ですが ベースとなった設計はマツダMZR型2000ccエンジンです。

このエンジンをリアミッドシップにマウントしたパワーレイアウトでNA(ナチュラル アスピレーション)で200馬力 E10Sのターボチャージで250馬力 最近発表になった2300ccターボで300馬力とメリハリの付けたラインナップも走り屋の心をくすぐる逸品です。

尚 クルマのデメリットはドアが開かないため 乗り込むときに股がなければならず 女性のミニスカートでの乗車は要注意ですねぇ。


[ケータハム スーパー7]


最近ではスズキの軽エンジンを搭載され 話題となるケータハム。

しかし本来の白ナンバーモデルは フォード製デュラテックエンジンで このエンジンもまたマツダMZR型エンジンを吸気側だけでなく排気側にもVVT(バリアブル(可変) バルブ(弁)タイミング(瞬間))を採用していることが 最大の特徴です。

これによりマツダのMZR型エンジンの強みである低中速域での使い勝手に 新たに高回転域での気持ち良さをプラスしたエンジンで 海外ライトウェイトスポーツカーメーカーは この高回転域でのレスポンスが無いのがマツダ製エンジンでなく マツダ製エンジンを改良したフォード製を選ぶ最大の理由なのかも知れません。(尚 この手のライトウェイトスポーツカーメーカーは資金的提携や関連会社にフォードがいるからこのフォード製エンジンを選ぶのも事実かも知れませんね。)


番外編 日本の自動車メーカー光岡が作ったスーパー7
[光岡ゼロワン]


このクルマが発売された当時 マツダのロードスターは初代ユーノス ロードスター。


エンジンもこの通称 かまぼこヘッドで搭載。


和製スーパー7にロードスターのDMAが融合した一台で 本家のケータハムと大きな違いは 光岡ゼロワンはリアサスペンスにドディオン式でなくダブルウィッシュボーン式にしたのと サービス面ではエアコンがつけられるようになった事が特徴の一台です。

【総括と苦言をマツダにもの申す。】
マツダのガソリンエンジンは低中速域の使い勝手の良さはディーゼルエンジン並にトルクフルであるのに対して 高回転域ではスカスカ感が大き過ぎる。

高回転域はただ回っていれば良いという時代は昔々の話です。

マツダの場合 RX-7 8のロータリーエンジンでの高出力モデルとロードスターの低次元での楽しい走りを楽しむクルマに色濃く 分けられているのは良いのだが 現在 ハイスペックのRE(Rロータス Eエンジンの略)シリーズが無い現状 この二枚看板をロードスターが背負っていかなければならないと思います。

またトヨタ86乗りからはロードスターを「走りは楽しいが エンジンの出力にワクワク感が無い」と言われるのは悲し過ぎる。

究極はロードスターの取材に来られた方から軽さが武器?ハァ 重くてハイパワーでも峠を速く走らせられると言われる身になって欲しい。

ロードスターに多くの欲は言いません 分速回転7500まで気持ち良く パワーフルに回るエンジンの搭載を望む。

あるマツダの方は言う。マツダはトヨタやホンダは目指さない。(私からすると目指せません。) ポルシェを目指す。と豪語するならもう少し私を気持ち良く ワクワクさせるエンジンを搭載させてくれたならマツダをもう一度 大好きになれるのかも知れませんね。

最後は長々と私の本音の愚痴になってしまいました。

しかしマツダロードスターは私にとって永遠に心のオアシスであるのも事実と思う さーぱぱなのです。






















Posted at 2017/11/28 09:27:41 | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年11月27日 イイね!

東京ぶらり散歩&ロードスターサンタプロジェクト

朝早く東京をぶらり散歩をしてみると 目新しさと歴史が融合した街に気がつく。

そんな私の大好きな街 東京 そして住むにはゴミゴミして嫌いな街 東京の一部をご紹介致します。

この日 私の住む茨城県取手市から国道6号線(通称 水戸街道)を通り 江戸川 中川 荒川を渡り 隅田川(旧 大川)を渡る橋が言問橋です。


(言問橋)


(完成当初の言問橋)

江戸時代 水戸街道(陸前浜街道)は五街道に付随する道として江戸と水戸を結ぶ街道で 当時は今の千住大橋を日光街道と一緒に隅田川を渡っていました。

この言問橋は昭和3年に完成した橋ですね。


写真は浅草 雷門とロードスター


この雷門の起源は生暦941年にさかのぼる。
平 公雅が武蔵国(今の東京)に赴任した際 天下泰平と五穀豊穣を祈願し 建立した。

その後 行く度の震災や戦災で焼失し 現在の雷門は1960年に松下幸之助氏が病気だったころにお参りし 全治したことのお礼に寄進されたものですねぇ。


写真は日本橋とロードスター


1911(明治44)年に19代目日本橋として架け替えられた花崗岩製の橋で 東京を起点とする国道の出発地点でもあります。



橋の中央には起点を示す 道路元標があります。


写真は東京駅丸の内口とロードスター


この東京駅は計画時の名は東京中央停車場と呼び 1914(大正3)年に完成した日本最大の鉄道ターミナルです。

またこの東京駅では歴代2人の総理大臣が暗殺と暗殺未遂事件が起こっています。

1870年5月1日 浜口 雄幸 総理大臣 銃撃と1921年11月4日 原 敬 総理大臣が刺殺ました。

機会がありましたらその現場にプレートが貼ってありますので探して見てはいかがでしょう。


写真は第一生命ビルとロードスター


全体写真


ここはかつて 日本が占領されていたころのGHQが本部を置くビルです。

日本の統治はここから始まった。


写真は法務省の旧庁舎とロードスター


レンガ造りの建物は 歴代の重みを感じます。

【RCOJ主催のロードスターイベント 東京サンタプロジェクト】

マツダ東京本社内の地下駐車場の一角でロードスターにクリスマスデコレーションを施しています。







今回は24台のロードスターが参加して頂きまし
た。

飾り付けが終わるとマツダ東京本社の会議室で皆さん サンタに変身。

変身後には 今回のイベント内容の説明。


その後 二班に分かれてコースの下見を兼ねて 試走。

写真は当日のコース


いよいよ 東京サンタプロジェクトの始まりです。








この日 子供達を乗せて オープンカーであるロードスターを堪能して頂くイベント。

尚、プライバシー保護のため お子さんやお母さんの写真は掲載出来ないので残念ですね。

そして3人のお子様に乗って頂き とても喜んでいましたねぇ。

最後に再来週は横浜サンタプロジェクトに参加して参ります。

今回 参加して頂いたロードスター乗りの皆様にお疲れ様でしたと申し上げるさーぱぱなのです。



















Posted at 2017/11/27 12:19:11 | コメント(1) | トラックバック(0)
2017年11月27日 イイね!

英国ライトウェイトオープンスポーツカーをご紹介。

私が昔の英国ライトウェイトオープンスポーツカーと言われ思うのは まず軽いクルマである。また屋根を簡易的なオープン機構を持ち そして軽快な走りの出来るスポーツカーである事。

そんな私の大好きな 昔のライトウェイトオープンスポーツカーをご紹介致します。


英国のライトウェイトオープンスポーツカーの代表格として ロータス エランです。


1962-1975年の13年間を製造されたライトウェイトオープンスポーツカーで初期のモデルS1型は1500ccエンジンでは100馬力と言う 今では非力だと言われますが 車両重量が639kgと超軽量なFRP製のボディーで当時0-100km加速が7秒代は現代のロードスターでも出せない記録で そのスペックが50年前に出していたとはさすがロータスと言える一台ですね。

また特徴的なところはサスペンスがフロント ダブルウィッシュボーン リアにチャップマン式ストラッドを採用 シャシにはXボーンフレームでしなやかな剛性を実現させました。

このクルマをお手本としたと思えた国産ライトウェイトオープンスポーツカーはこちらかなぁ〜と思いきや?

(マツダ ユーノス ロードスター)


マツダはこのユーノスロードスターを開発に関して ロータスエランをお手本にはしていないと言うが 私はデザインはこのクルマ スペックはホンダのS2000に近い走りをするクルマだと思います。


ロータスが贈るスパルタンライトウェイトオープンスポーツカーの代表作 ロータス7
(写真はケータハム スーパー7)


このロータス7は1957-1970年代まで製造されたクルマで その後 製造権をケータハム社に譲渡され現代でも作り続けられるスポーツカーです。

特徴は車両重量 約500kg代のシャシにフロント ダブルウィッシュボーン リアはドディオン式サスペンスで構成されています。

現在では300馬力を超えるスペックのエンジンを搭載する620Rと言うモデルがあり 0-100km加速は2秒代。まさにフォーミラー1(F1)並の加速をするクルマです。

このクルマとユーノスロードスターを融合させたライトウェイトオープンスポーツカーがこちら。

(光岡自動車の光岡ゼロワン)


私のこのクルマに対する印象はデザインはスーパー7でエンジンやドライブトレインはユーノスロードスターを流用しているクルマです。

スパルタンなスーパー7の走りを丸くまとめたクルマですね。

またエアコンもつけられるのもグッドです。


英国 オースチン社が誇るライトウェイトオープンスポーツカー オースチン ヒーレー スプライトです。


このクルマは1958-1960年にかけて製造されたクルマで長い名前と愛くるしい姿が人気を博したモデルでした。

愛称はカニ目と呼ばれ 親しまれたスポーツカーです。

このクルマを真似したと言い張るユーノスロードスター

(ユーノスロードスター達)





英国バイクメーカー トライアンフが作るライトウェイトオープンスポーツカー トライアンフ スピットファイア

このクルマは1962-1980年まで製造されたライトウェイトオープンスポーツカーです。

特徴は第二次世界大戦で英国戦闘機の名機 スピットファイアの名を付けたスポーツカー。

しかしクルマ自体は当時でも古臭い匂いが香る走りがまた良いと言う人も多く 長く愛されたスポーツカーでもありました。


英国 MG社が誇るライトウェイトオープンスポーツカー MG Bです。


このクルマは1962-1980年までに約52万台を生産されたライトウェイトオープンスポーツカーで このクルマをベースにGTモデルも作られたのも長い間 人気を博すクルマでした。

(MGB GTモデル)


トライアンフ スピットファイアとMGBを真似たと思えるライトウェイトオープンスポーツカーがこちら。

(ホンダ S500)


ホンダもトライアンフも お互いにバイクメーカーである。やはり当時のバイクメーカーが作るクルマはこんなデザインが作りやすかったのかも知れませんねぇ。


英国ライトウェイトオープンスポーツカーと言うより馬車の伝統を受け継ぎ続けるスポーツカーメーカー モーガンが贈る モーガン4/4です。


モーガンは昔 三輪車(スリーホイラー)メーカーとして有名でしたが 時代の流れにより4/4モデルとして1936年から生産し今日まで作り続ける。

(モーガンのスリーホイラー(三輪車)車)


また車体の特徴であるのは木製である事。


まさに馬車の名残を色濃く残す 伝統の英国社だと思います。

これらが今から50年前のクルマ達です。

では50年前 日本ではどんなライトウェイトオープンスポーツカーがあるの?

(トヨタ スポーツ 800 1965年製)


(ダイハツ コンパーノ スパイダー 1965年製)


(ホンダ S500 1964年製)


(ダットサン フェアレディ SP310型 1963年製)


市販のセダンをクーペ化(2枚ドア)し さらに簡易的な幌を付けてオープンカーを成立させたモデルが多かったのもお判り頂けたと思います。

またライトウェイトはこの頃の市販のクルマでも軽いクルマがたくさんあり またエンジンパワーは非力が当たり前の時代と融合しライトウェイトオープンスポーツカーは生まれたのだと思うさーぱぱなのです。









































Posted at 2017/11/27 08:49:24 | コメント(0) | トラックバック(0)

プロフィール

「@*はる* 軽ミは不参加だったんですね。来年は参加されることを願っております。😃また機会がありましたら爆走のお供にをさせてくださいね!」
何シテル?   05/27 22:35
はじめまして ロードスターさーぱぱと申します。 以前はサーパパと言う名前でみんカラをやらせて頂いておりましたが 携帯電話の機種変更によりロードスターさーぱぱ...
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