1960年代 英国などでライトウエイトオープンスポーツカーの文化は花開く。
(ロータス エラン)
(MG B)
(オースチンヒーレースプライト)
(トライアンフ スピットファイア)
その後 ライトウエイトオープンスポーツカーは時代の流れに 廃れていった。(廃れた理由:これらのメーカーは俗に言う ビルダーと言われ 小ロット生産で製造したメーカーで ロードスターのように乗用車を生産していたマツダとは流用するパーツを持たない自動車メーカーだった。だから安く作ることの限界が低かったのだと考えられる。)
そして迎えた 1989年に初代ロードスターが登場するや、世界中の市場が熱狂をもって迎え入れられました。
初代NA型ロードスター

(当時ベース車両は170万円)
それまで「不毛の領域」と思われていた、ライトウエイトオープンスポーツカーのジャンルへのニーズは本来、以前からあったのです。
しかし、たまたま「安価な新車がなかったから」とされている。
だとすれば、何故 ロードスター以降に登場してきたライバルたちは居なくなってしまったのだろうか?
またロードスターとライバル車の決定的な違いは駆動方式の違いか? それともヨー慣性の少なさなのか?
それはもちろんロードスターの最大の魅力の根本ではあるけど、一番大きなのは「多くの人々に愛されるライトウエイトオープンスポーツ」のエッセンスを開発スタッフが知っていたことにあるのではないだろうか。
そのエッセンスに、ロードスターはかつて大衆車と呼ばれたクルマの価格帯で販売され、幌の開閉機構は単純かつ簡単であり、異常なまでの防水性と耐久性が露天駐車場でも平気だった事。
またパワステ、エアコンも選択可能だったから人に我慢を強いることもないし、必要最低限のトランクルームが旅行はもちろんの事、日常の買い物にも使えたり、通勤だって可能だった事が最大の魅力。
そして休日は峠やサーキットで、純粋な本物のスポーツカーライフを味わえる。
これらの要素が実は世界で圧倒的支持を受けてきた先輩ライトウエイトオープンスポーツカーの必要条件であったのです。
ではその後に発売された 消え去ったライバル車種は、高性能を求めるあまり価格帯を無視し、走りの為と偽りトランクスペースを無くし、駆動方式でさえ、FF車やミッドシップを選択したが上手く行ったのだろうか?
そして何より運転して心の底から楽しかったのだろうか?
オープン2シーターを持てる喜びは他のクルマでも味わえる。
しかし「日常乗れるし、毎日乗りたい」ライトウエイトオープンスポーツカーとなると、それを根強く評価されたのはロードスターだけなのかも知れませんねぇ。
当時 ハイパワーのホンダ・S2000が消え、純粋なミッドシップライトウエイトオープンスポーツカーのトヨタ・MR-Sも消え、価格帯の安いスズキ・カプチーノやホンダ・ビートも消えた。
(ホンダS2000)
(トヨタMR-S)
この消え去った最大の理由は特化してこだわった為や、コストが高く、企業として儲からない、採算に合わない事だったと思う。
その点、ロードスターの生産ラインはマツダ・デミオの同じラインで作り、マツダ・ファミリアのエンジンを使う、足回りのダブルウイッシュボーンは他社のストラットよりコストは安く、トランスミッションはマツダ・ルーチェのを採用し、開発費を抑えたのだ。
内装の内張りはダンボール見たいなものにスポンジにビニールシートで包みこんだものだし、灰皿などはマツダのトラックで使われていたものを流用していた。
これによりコストは安く押さえられたのは、開発者たちの知恵を絞り出した証。
またこのクルマに対する開発者の思いは「自分達が乗りたくなるようなスポーツカー」を作るが、コスト面、機能面、メンテナンス面、カスタマイズ面、そして何より走りのピュアな心を忘れないで魂を形にした事が成功に導いたと信じるさーぱぱなのです。
Posted at 2017/11/11 00:57:52 | |
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