軽自動車の革命児! ワゴンR!!
小さくてバカにされていた軽自動車だったが、車高が高くなり室内も広々。
エンジンもパワフルになり普通乗用車よりも優れた居住性、動力性能、運転性能で瞬く間に販売台数が日本一となったクルマ。
誕生当時、軽自動車の弱点であった室内の狭さを、全高を高く取ることで克服し、軽自動車市場に革命をもたらしたモデルである。「男性にも受ける軽自動車を作ろう」というコンセプトの下で開発が開始され、1987年頃に原型は完成していたが、紆余曲折を経て1993年に発売された(当初のキャッチコピーは「クルマより楽しいクルマ、ワゴンR」)。
それまで軽自動車といえば、低車高の乗用型、もしくは、商用車派生型で車内容積は広いが乗り心地に劣るワンボックスモデルしかなかったが、ワゴンRの場合はフロアパネルを二重構造とし座面も高く取ることで、足を窮屈に曲げずに座ることで圧迫感を軽減し、視点を高くすることにより眺望性・視認性および開放感を向上させた。床面が高く乗降が不便なワンボックスモデルに対し、ワゴンRの床面は地面から一段の高さのため、乗降も容易となった。
ワゴンRはまた、厳しいコスト管理により徹底した部品共用化が図られた。スズキがバブル景気の後遺症でコスト削減の筋道を探っていた当時、現スズキ会長兼CEOの鈴木修がフォルクスワーゲン(VW)の製造工場を見学した折、車種の多様さと比べて基本の車台(プラットフォーム)が少なく絞られている事実に感銘を受けた。この時の知見はその後のスズキの徹底した部品共用化へのきっかけとなっており、ワゴンRも既存のスズキ製軽乗用車・商用車から多くのパーツを流用して、コスト削減が実践されている。
当初は月販目標台数を4,000台としていたが、受注はそれをはるかに超え、発売数か月後に増産に対応すべく、約1億円の費用を掛けて生産ラインを拡張したほどである。若年の男性ユーザー層を対象購買層としていたが、優れた使い勝手で購買層は瞬く間に老若男女の幅広い層に拡大した。 劣っていた動力性能についても過給機と中間冷却器を搭載したモデルが登場すると、小型乗用車並みの性能を発揮するようになり、新規格後は相対的に維持費の高額なコンパクトカーから乗り換えるオーナーが増えるようになった。
競合他社に与えた影響も大きく、ダイハツ・ムーヴやホンダ・ライフ(2代目)など類似車種が多数登場した。
販売台数においては、おおむね軽自動車市場の市場占有率第1位を長らく維持し、車名別月別国内販売台数1位、すなわち、登録車(普通車)の販売台数1位車種の販売台数を上回った時期もあった。
2009年 - 2010年に実施されたエコカー減税・補助金などに端を発するエコカーブームの影響によりシェアは低下し、2009年以降、国内販売台数1位の座はトヨタ・プリウスに譲ったものの、全国軽自動車協会連合会の記録がある2006年 - 2011年までの5年間にわたり年間軽自動車販売台数1位の座を維持。年間軽自動車販売台数1位の座を譲った2012年から4年間も年10万台以上の販売台数を記録し、2016年は約8.1万台の販売台数を記録している。
ワゴンRの派生車種としては、OEM車種のマツダ・AZ-ワゴン(4代目まで)およびフレア(5代目以降)、初代ベースでサイズを拡大した登録車(普通車)のソリオ(ワゴンRワイド→ワゴンRプラス→ワゴンRソリオ→ソリオと改名、2代目まで)があり、さらにソリオ派生のシボレー・MWもある。また、日本国外では、ワゴンRプラスをベースとしたオペル・アギーラがポーランドで生産されていた。
軽トールワゴンでは減少しつつあるマニュアルトランスミッション(MT)車の設定を(未設定だった期間はあるものの)現行の6代目まで継続している。2021年7月現在、OEM車であるマツダ・フレアを除いた軽トールワゴンの中で、MT車の設定があるのはワゴンRが唯一である。
フロアパネルは1990年発売の4代目セルボからの流用であり、サスペンション構造や2,335mmのホイールベースも同一であるが、客室フロアを二重構造として約80mmのかさ上げを図ることで相当にフラットな床面を実現している。デビュー当初は全車F6A型3気筒EPIエンジン(SOHC12バルブ)のみ。初代モデルは当初、全グレードが「ターボなし(N/A)」「右後部ドアのない1+2ドアモデル」「後席ヘッドレストなし」「AT車は3速ATかつフロアシフトのみ」であったが、好調な販売に支えられ、後に「ターボ付モデル」「4速ATモデル」「5ドアモデル」「前席ベンチシート/コラムATモデル(ワゴンRコラム)」「後席ヘッドレスト付き」とラインナップが増えた。そのためこの代のモデルは多岐にわたる。