2018年03月17日
回答編です。
MR2につくかもしれなかった名前。
そのヒントにピッタリな当時のCR-XのテレビCM集がありました。
まずこちらをご覧ください。
「デュエット・クルーザー」
これがCR-X新発売のときのキャッチコピーです。
都市伝説の回答です。
SV-3(MR-2のコンセプトモデル)の市販車名候補に挙がっていたひとつに
「デュエット」があったのです。
デュエット。つまり二人で歌うこと。二人乗りのクルマにつけたくなる名前ですね。
自動車メーカーの中でも、音楽にちなんだ車名にこだわってきたのがホンダです。
プレリュード、バラード、コンチェルト、ビートといった具合に。
三菱が所有していた「プレリュード」の商標を、ホンダが譲り受けたとも言うエピソードは、たまに耳にする話です。
ここでもう一度、CMを見てみましょう。
2本目以降のCMでは、このキャッチ・コピーが使われていません。
それはトヨタが「デュエット」という商標を持っていたから。
もうお分かりですね。その後、ダイハツストーリア(5人乗り)のOEM車には
トヨタ・デュエットという名前が授けられました。
市原悦子さんの「家政婦は見た!」をモチーフにしたCMが印象に残っています。
繰り返します。これは都市伝説です。
ただ本当だとしたら、それは当時のホンダさん、トヨタさんの社員の人たちの情熱を感じてほしいです。自動車メーカー社員へのリスペクトです。
ホンダの社員の方は、たくさんの人にCR-Xを選んでほしいとキャッチコピーを考えぬいた結果です。
トヨタの社員の方は、自分たちのクルマに将来名づけたい商標を大切に守ろうとしたってことです。
MR2には、MR2という一番ふさわしい名前が授けられたと思います。
地面すれすれに飛んでいるような小型飛行機のようなテレビCM。
硬派で、いま見てもかっこいいです。
子供につけようとした名前が、知り合いの子供のニックネームと被ってしまった
というのが、今回のお話しでした。
楽しんでいただけましたでしょうか?
Posted at 2018/03/17 22:10:30 | |
トラックバック(0) | 日記
2018年03月12日
3回目 の予告です。
MR2の発売は1984年、バラードスポーツCR-Xの発売は1983年です。
つまりMR2の方が1年後ってことになります。
そうすると、トヨタがCR-Xに対抗して、似たようなアルファベット系の車名をつけたのではないかと
想像してしまうのは、私だけではないと思います。
ここから先は都市伝説の世界です。信じるも信じないもあなた次第。
MR2には、もともと別の車名が授けられる予定だったというのです。
ただそれはトヨタがホンダに仕掛けるために変更したというよりも、
1年前登場のCR-Xに、トヨタが翻弄されたというもの。
子供の名前を一生懸命考えて決めていたのに、
ライバルが似たような名前を先につけてしまったという類のものです。
次回ブログ(をいつ書くかはわかりません)まで、正解をあれこれ想像してみてくださいね。
Posted at 2018/03/12 22:38:22 | |
トラックバック(0) |
うんちく | 日記
2018年03月11日
引続き、トヨタMR2とホンダCR-Xの数奇な運命 の2回目、CR-Xの番です。
MR2に比べ、CR-Xの方が、よりメーカー主導で翻弄されたクルマといっていいでしょう。
デビュー当時は、シビックの兄弟車バラードの1モデル。バラードスポーツCRXでした。
カー・ルネッサンス・Xの略と当時の先輩から教わったのですが、シビック・ルネッサンス・Xという説の方が主流のようです。
(ウィキペディアの記述は、誤記というか入力者の思い込みによる虚偽があるので鵜呑みにはできません。)
話は少し脇道にそれますが、1970年代から1980年代半ばにかけて、アメリカの自動車保安基準のひとつとして、SAE規格のヘッドランプの採用義務がありました。
1970年代半ばまでの車のほとんどが丸目形のシールドビーム(ヘッドランプそのものが電球で、球切れ交換時は、電球をまるごと交換するタイプ。その後、角目形、デザインの自由度が増した、ヘッドライトバルブを交換する異形タイプに移行していきました。)で、角目型に移行してきました。
キャデラック、シボレーカプリス、フォードクラウンヴィクトリアなど、挙げたらきりがないですが、当時のアメリカ映画に出てくるパトカーやタクシー(イエローキャブ)といえば、みんな角型ヘッドランプだったものです。
三代目ギャランシグマタクシー/エテルナシグマEXEをイメージするとわかりやすいのですが、マイナーチェンジで角目4灯となったのは、単にアメリカ仕様の顔を持ってきたものです。
ホンダさんも事情は同じで、複数の販売チャンネルを持ち、日本国内向けの2代目アコードは異形ヘッドランプで、兄弟車の初代ビガーは、北米アコードの角型4灯ヘッドランプフェイスをもってきてこしらえたものです。
2代目バラードは、3代目シビック(ワンダーシビック)の角目仕様にしたベルノチャンネル向け派生車種だった訳ですね。そのほかにもバラードはイギリスローバー向けの国際提携車(のちのコンチェルト、ドマーニ)の重要な役割を担っていました。
ようやく話はCR-Xに戻ります。
2代目のCR-X【EF6系:ブラックのタイプばかりでしたね】は、当時通っていた学習塾の先生が乗っており、居残りで遅くなった自分を自宅まで送り届けてくれました。
高速でメーターの振り切れた1*0km/h(自主規制)まで出せたと言っていました。
とにかく車体が浮いてしまうのではないかというぐらい軽さを感じましたし、当時のホンダ車らしい軽量で(剛性そっちのけで)、とにかくボディのそこかしらでミシミシ音がしていました。
また攻める、若々しいボディスタイルの一方で、キャブ車のような音がして、パワートレーンに時代・年齢のずれを感じたものです。
「ホンダはバイクの理念で(軽くて高回転型エンジンの)クルマを作っている」というのは、まさにこういうことなのかしらと思ったほどです。
3代目のCR-Xデルソルは、アルバイト先の先輩が新車で購入しました。
回りにせがまれて電動格納式のオープンルーフを何度もみんなの前で披露してくれました。クルマというよりも、遊び心のあるおもちゃのような印象をもちました。
可動式の屋根で、閉じたモノコックになっていない訳ですから、ボディーに軽さと不安を感じながら、アルバイトを終えたあと、自宅まで送ってもらった記憶があります。
その後、MR2→MR-S同様に、CR-XもCR-Zと改名されます。
肝心な3回目は後日書きます。
Posted at 2018/03/11 03:18:01 | |
トラックバック(0) |
うんちく | 日記
2018年03月11日
トヨタMR2とホンダCR-Xについて、3回に分けてお話しします。
(3回目がきっと面白いと思います。)
何かにつけて、ネオノスタルジックカーとして比較されるこの2台。
実質的に、あるいは厳密に2シーターであったり、オープンカー仕様になったり、ミッドシップ(もどき?)、コンセプトがメーカー主導で変化させられ、最後は途絶えた迷走したクルマであり、いまも根強いファンが多い車です。
自分もいくつかの世代は同乗させて頂いたり、運転もさせて頂きました。
今回はMR2について、雑感をお話しさせていただきます。
初代はAW11型。カローラのレイアウトを前後ひっくり返したものと揶揄されましたが、型式にAがつくとおり、4A-GE系エンジンを搭載していました。
プラットフォームは一般人には想像もできないぐらい大変な開発費がかかり、そしてその償却費も大きくなります。
まったく同一ではないにせよ(通常、プラットフォームは前後二分割方式が多く、リヤはホイールベースが延長され、別もの、別方式サスペンションになることはあります)、同一ファミリーのプラットフォームで、派生車種を作り、成功させることは自動車メーカーの自然の摂理ともいえるでしょう。
ちなみにパジェロミニはミニキャブトラックのシャーシを基本に開発されています。
1回目はMR2について。
2代目のSW20のG-Limited(だったと思う)をアルバイト先の先輩が中古で購入し、一度だけ運転させてもらいました。
2代目は、型式先頭にSがつくとおり、3S系エンジンを搭載し、1ランクアップしたセリカ、カリーナがベースでした。
MR-2は、ミッドシップ・ラナバウト・2シーターの略だったと思います。
ランナバウトは日本ではまだなじみが薄いですが、フランス凱旋門前のようなぐるぐる回る円形交差点のことです。
(→後日訂正。ランナバウトは小型ボート意味で、交差点はラウンドアバウトだそうです)
で、話も戻ってSW20のインプレッション。
とにかく気持ちよく回るエンジン。ただ三菱党にとっては、低中速トルクが薄いエンジンは、あまり慣れないというか、使いにくさを感じました。
(良し悪しではありません。好みの問題です)
そして肘を置くぐらいの高さにあるセンターコンソールとシフトレバー。
とにかく"カチカチ感"、すこすこ当てはめる、マニュアルトランスミッションが印象に残りました。
その後、MR2はMR-Sと車名をかえて生産終了を迎えます。
次回はCR-Xについてお話しをいたします。
Posted at 2018/03/11 02:35:01 | |
トラックバック(0) |
うんちく | クルマ