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りがとみ~ぬのブログ一覧

2018年10月28日 イイね!

平成最後の秋に栗子隧道・訪問編


(前回からの続き)

平成最後の秋に、初代・万世大路と栗子隧道の現在の様子を見に行ってきた。
前回の記事でどんな場所かを解説し、今回の記事で実際の訪問の様子を綴っていく。

訪問の様子

廃道マニアの間では割と有名な遺構なので、ネット上にたくさんのレポートが残っている。バイクで辿り着くものが多いが、今回は地元の人間として歩いて訪れてみた。


砕石場を通りすぎたあとの車止めの部分。ここから距離にして4km、標高差で400m弱を登る。1~2時間はかかると予想した。


「七曲り(方言で「ななむずり」)」と言って、ヘアピンカーブが7回ある。その度に数をカウントしていく。


「長坂」という地点を通過中。ここで道が戦前のものっぽくなった。なんというか、山道なんだけど軽トラが走った形跡がない。軽トラ特有の轍がない。


「太助茶屋跡」に着いた。昔は茶屋もあったのだ。


チシオタケという傷つけると真っ赤な乳液が出てくるキノコを見つけた。


「六の曲り」を過ぎたところで、野生動物の糞に出くわした。たぶんツキノワグマのものだと思う。標高600~800mの区間は、何らかの野生動物の生活の場という気配がして、かなり緊張した。


「切通し」を通過。「山を掘削し切り開いた道」とある。


極めつけに真新しい排泄物に出くわした(中央下のオレンジのヤツ)。ついさっきまで大型の野生動物がここにいた気がして、かなり怖くなった。


大型の野生動物の足あとなんじゃないのかな~???

「七曲り」が終わってもまだヘアピンカーブは続く。ヘアピンカーブによって高度を稼ぐパターンなのだ。そのカーブを曲がるたびに、その先に野生動物がいて、ビビった向こうが襲い掛かって来る予想図を浮かべながら進んだ。

明治天皇が「永キニ渡リ人々ニ愛サレル」ことを願った初代・万世大路は、様々な野生動物が徘徊しては糞塊や足あとを残していく、いわばケモノのための万世大路と化していた…!


「石積み」という場所についた。昭和の大改修のときに組まれたもの。これによって土砂の崩落を防ぎ、車の通行を可能にしていた。団塊の世代の方までは、ここの光景を覚えている人も多いだろう。


高度800mを過ぎると、樹々のあいだから紅葉に染まった栗子山塊が垣間見れる地点が増えた。雲の影がゆっくりと山肌を泳いでいた。


隧道跡まで残り500m地点まで来た。真新しい糞の後は恐怖の連続だったけど、ここから見える紅葉は素晴らしくて、緊張もほぐれた。


パノラマで撮ったもの。ここから先は自分も紅葉地帯のなかに入った。


ようやく到着した。栗子山塊の山頂直下、900m地点にある明治と昭和の隧道跡…。見えているのは昭和の方の入り口。


もっと近づく。右が明治時代の入り口。左が昭和初期の大改修後の入り口。二つは奥で合流している。


明治時代の入り口。1881年開通。ノミによる手掘りと外国から持って来た掘削機によって掘り進んだらしい。長さ864m。もう自然の洞窟にしか見えない。天井部分にやや人の手に拠るものって痕跡が垣間見えるか。
工事を決断した三島県令の歌は「ぬけたりと よう一声に夢さめて 通うもうれし 穴の初風」。たぶん、福島側の穴と初めてつながったときのもの。


昭和初期の大改修後の入り口。真上のレリーフには「道隧子栗 月三年十和昭」とある。戦前だから右から左に読むのだ。


少し中に入る。天井の腐食っぷりが気持ち悪い。崩落した瓦礫の先まで行ったレポートもあるが、自分独りでは行く気になれなかった。


目的を果たすと、あっけなく何もすることが無くなる。紅葉の栗子山山頂部分(1217m)を眺めた。山頂は樹々が無く金色の野原になっている。なので見晴らしはかなりいいと思う。正式な登山道はなく、登頂するには藪こぎを強いられる。いつか登ってみたい。

感想・まとめ

「昔の人が通った道を自分の足で歩いて、文明の進歩を実感する」という目的は無事果たされた。
かつて人の通る道だった栗子隧道・万世大路は、見事なまでに野生動物の歩く道になっていた。次行くときはバイクか複数の人数でにしたい。

2009年に経済産業省の近代化遺産に登録されたため、現地の人々から全く無視されている訳ではない。倒木は取り払われて人が訪れることが常に可能な状態になっている。「隧道まで残り○○m」という標識が500mごとに建ててあって助かった。保存会のようなものがあるのだ。

もっと頻繁に人が訪れれば野生動物もビビって徘徊しなくなると思うけど、今のように「捨てられた遺構そのもの」な雰囲気も大事な気がする。完全に捨てられると、藪こぎになって誰も訪問できなくなる。自然に帰すか、どの程度人間が訪れるようにしておくか、その辺のサジ加減が何とも難しいと感じた。地元の人間の一人として、今後も様子を見守っていきたい。
2018年10月24日 イイね!

平成最後の秋に栗子隧道・資料編


私の暮らす置賜地方には、50年前に廃道となった初代・万世大路と栗子隧道という遺構がある。平成最後の秋に、これらの今の様子を拝みに行ってきた。
資料が膨大な量になったので、前半・後半に分けて綴っていく。最初は資料編。


標高約1200mの栗子山塊の直下にある。紅葉のピークに合わせて訪問した。


栗子隧道とは? 万世大路とは?

山に囲まれ大雪が降る東北地方は、廃道や廃線のメッカと言われる。文明の進歩に合わせて道が切り開かれては捨てられるのだ。山に囲まれた各地域を結ぶ道路は、雪による浸食を受けて絶えず崩壊していく。使われにくくなった道路は捨てられ、付近にまた新しく道路が切り開かれる。何十年単位の話しである。

万世大路は福島市と米沢市を結ぶ道路のことを言い、栗子隧道は明治時代に掘られた最初のトンネルである。この二市のあいだには日本の背骨である奥羽山脈(標高1000~2000m)がそびえている。置賜の人間が福島やさらに南の東京方面に向かうとき、または様々な物資を遣り取りするにも、この山脈が壁のように立ちはだかってきた。これを如何にして越えるかは、置賜地域に住む人々にとって昔からの課題だった。

栗子隧道が歴史的・地形的にどんな場所かを知るには、以降に切り開かれた道路やトンネルを含んだ鳥瞰図を眺めるのが一番である。
時代を経るにつれ、トンネルの入り口が低い方へ手前の方へと移動し、トンネルの長さも桁外れに長くなっていく様子が一発で分かる。

鳥瞰イメージ1(クリックで拡大)

トンネルの入り口が低い方へ手前の方へ、つまり山の麓、都市の方へと移動している。

奥羽山脈を壁のように見立ててもう一枚

栗子山と杭甲山の標高は1200mほど。最後の急登部分をトンネルによって省略している感じ。今のスキー場や採石場砕石場のてっぺんよりも高いところに入り口がある(あった)。

去年の秋に東北自動車道の新しいトンネルが開通し、早速何度か通ってきた。このトンネルができたことによって、例えば家族連れで東京に向かう場合、新幹線で一人ずつ切符を買うより、ミニバンをレンタルして車で行った方が安上がりだし、時間もそんなに変わらなくなった、、、とか言われる(地元では)。

また一つ世の中が便利になったのだ。…ではその便利さとはどのくらいのものなのだろう??? というわけで最初にできたトンネルまで徒歩で向かい、現代の置賜人がいかに恵まれているかを体感してみようと思い立ったのである。


各隧道・トンネルの概要



・栗子山隧道、栗子隧道
明治と昭和初期の隧道(トンネルの昔の言い方)跡。明治のは人力車や馬車、昭和初期のは自動車用。標高920m付近にあり、杭甲山(1203m)の最後の急登部分を省略する形になる。1年の半分は冬季閉鎖されていたらしい。

栗子山隧道は、1881年に明治天皇の行幸を迎えて開通した。天皇は「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」という願いを込めて「萬世大路」と命名した。
1899年に奥羽本線が開通すると、利用者が減った。大正から昭和にかけて自動車の利用が増え始めると、改修が進められた。当初は手掘りだった壁もコンクリートに変わった。1937年に「栗子隧道」と名を変え、改修が完了した。明治期の隧道の脇にもう一つ入り口を掘り、やや進んでから合流する形になる。東側(福島側)の出入り口は変わらず一つのままである。

・西栗子トンネル、東栗子トンネル
高度経済成長期のトンネル。山形~福島間に大小7つのトンネルが掘られ、中でも西栗子トンネル(2675m)と東栗子トンネル(2376m)の2つが飛び抜けて長い。1966~1970年に随時開通していった。山形側の入り口である西栗子トンネルは標高590mの位置にある。
この新しい万世大路が開通した直後、1972年に旧・栗子隧道は落盤が発生し、閉鎖された。岩盤が脆くなっていたことは予測されていたのかもしれない。
1992年、板谷峠の方に山形新幹線が開通し、山形~福島間は鉄道による移動もより活発になった。

・東北中央自動車道の栗子トンネル
2017年11月4日開通。


その他の資料


動画:昭和の風景「栗子国道」

建設省・東北地方建設局による映像資料。1966年制作。この記事で言う3代目のトンネルまでの歴史がまとめられている。2:28辺りから、当時の初代・万世大路の様子が述べられ始める。かなり貴重。

webページ:
● 写真の中の明治・大正(国立国会図書館)より「2 栗子山隧道と三島通庸」

● 自作おすすめスポットのページ

後半に続く
2018年10月22日 イイね!

秋の軽めの掃除の続き


10/21の整備手帳「●山仕事の合間に軽めの掃除を行う! 」の続き。

RVBoxのその後


鍵部分が振動の繰り返しで突出してきた。

私のカブライフを劇的に変えたRVBoxであるが、やはり振動の繰り返しによって少しずつダメージを受ける。耐震マットは消えて失われるので、数か月に一回は補充する必要がある。100円なので値段は気にならないけど。

この鍵部分の突出は形状的に外れることはない。でも揺れすぎてこれが180度回転して、そのまま固定することがある。そうなると鍵が回せなくなる、形状的に。
まぁ、鍵って言っても気休め程度で、本当に盗難を企む悪モノは箱ごと持っていくこともできる…。

コンビニとかに停めるとき、箱の中身を蓋で隠せればよい、、、つまり一時的な蓋で構わないので、気にしないことにする。「大事なものを入れて、人目のつくところにバイクを長時間放置」は元々ムリなのだ。


日常の一コマ

ある日、停車寸前で走行ラインすぐそばに巨大なアオムシがいることに気づき、「アッー!」と大声を上げてしまった。


無事だったけど。ビビって丸くなった。


色が似通ったお仲間なので、そういう意味でも弾き殺したくないなぁ~。

「こんなデカい図体で目立つコンクリート部分を徘徊するな! 鳥に捕食されるゾ!」と叱りつけて、草むらに放っておいた。
2018年10月06日 イイね!

登山系のブログ


登山系のブログを始めたので、ここでもご紹介する。

ポルピュリオスの樹の下で・自然館
http://blog.livedoor.jp/porphyriantree/

タイトルは小さく変更するかもしれない。
シボクルちゃんのことと登山のことを一緒にこのSNSで記すのが大変だったので、分離させた形になる。
日記がだいぶ空いてしまったのは、デザインを様々考えていたため。

夏のあいだ、、、


山形神室・仙台神室という奇怪な形の稜線に挑み、、、(記事はこちら


朝日連峰の最高峰、大朝日岳(1870m)の登頂にも成功した。(真ん中の山:記事はこちら


先日は錦秋の月山にも登ってきた。


記事はこれから。


朝早くに出発して、クルマでの登山口への移動が重要なんだけど、シボクルちゃんのおかげで、今のところ上手く登山ができている。

思えば、雪国で暮らし、山岳地帯をよく走る自分には、シボレー・クルーズはピッタリのクルマだった。軽自動車だと、坂道で「う~ん、チョット苦しいよね~! ごめんね~」という動きになる車種もある。
かといって余りにも大きなSUVだと、細い山道で苦労することもある。最小回転半径が大きくてカーブが曲がりにくいとか、すれ違いが大変だとか。

シボレー・クルーズは、その中間にあるしっかりした造りの車種なのを実感する。
とりあえず、自分独りで山に挑むって範囲では、この世で一番のクルマに出会えたと思える。

もうしばらくはシボクルちゃんと一緒の登山に集中したい。

プロフィール

「ハスラー搭乗日記3~4週目 http://cvw.jp/b/2925090/48491529/
何シテル?   06/17 21:12
りがとみ~ぬです。車には20年近く無関心だったけど、突然変わりました。よろしくお願いします。 その他の出没場所: ツイッター(音楽関連)→ https:...
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