2021年05月のみんカラ企画「最初の愛車はコレだ!」の勝手な続編。
ご興味がある方は「4番目」までは以下の通り。
3番目の愛車はコレだ!1988 Honda Accord Coupe LXi
勘当同然でハワイから単身帰国。
アルバイトを経て某商社に入社する頃には一家全員帰国。
朝の満員電車で「日本の現実に鍛えられる」こと約半年。
クルマ通勤が認められていたので早くクルマが欲しかった。
ホンダ党だった私が探したのが「EF・CR-X」でした。
近所の中古車屋さんでノーマル・黒「Si」を発見。
当時は現在のような法外な価格ではなく、普通に買えたクルマ。
小学生時代の友人に「見積書」を見せに行くと予想外のことを告げられる。
「商売で軽自動車が必要なんだけど「Z」に乗らない?」
当時、コンビニを営んでいた彼から急遽、転がり込んできたオファー。
しかも「軽が買える金額でいいよ!」という…。
彼は生粋の「日産党」だった。
覚えているだけでパルサー、R32 Type-M、RPS13、Z32。
Z32の後は歴代のグロリアを数台。
そんな縁で初めての日産車。バブルの延長、勢いだけで乗ることになる。
今日までこのクルマの新車価格を超えるクルマには乗っていない。
1991 Nissan Fairlady Z Twin Turbo
新車から最初の車検も迎えていない、週末専用の「極上車」。
「A/T」だったのが残念でしたが、迷っている場合ではなかった。
貯金では足りなかった分を親から借金し、購入。初めて陸運で名変を行う。
自社オリジナル「Zisa」ホイールは長期在庫品を1本¥1,000で購入。
エアクリも自社製品「Forza」パネルタイプを装着。
お約束のステアリング交換は「クルコン」のせいで苦労した。
ホーンボタンにクルコン・スイッチがある社外ボスが高かった!
「NARDI」担当だったので、数えきれない本数の「NARDI」を装着。
シフトノブも「O/Dスイッチ」を移設→社外品に交換。
この写真はまだノーマルだけど、内装も大好きだった。
「V6」はレイアウト上、パーツが全て2倍になるのでとにかくお金が掛かった。
マフラーは当時リリースされたばかりの「HKS Dragger」を選択。
片側1本出しを選んだ理由は「安かった」から!
今考えると軽量化にもなったので良し。私の街では第1号だったはず。
吸・排気系のみでしたが「速かった」!
仕事帰り、夜の中央道は気を付けないとあっという間に〇〇〇㌔に到達。
夏休み前に速度超過で御用となり、即・免停+罰金¥80,000は苦い思い出。
雨天時の急発進は禁物、コーナーも気を付けないとマンホールでズルッとなる。
職場の先輩のBNR32に乗せてもらった時、圧倒的な加速・コーナリング性能差は身を以て知らされたけど「優美さ」では「貴婦人」(Z)の方が上!という考えは今日も変わらず。
(しかし、新入社員のクセにこのクルマは相当「生意気」だった)
独身だったからこそ乗れた、思い出深い「Z」は今見てもカッコいい。
あの時代の「最先端スポーツカー」に乗れたことは本当に幸運だった。
燃費は悪かったけど、気にしたら乗れないクルマ。
毎週金曜日の仕事帰りは「ハイオク・満タン¥10,000超え」!
夏場エアコンON、渋滞時は「リッター3㌔」という恐ろしい燃費。
「NARDI」ホイール・カタログにも採用された自慢の1台。
この撮影の為にマフラーは強制的にノーマルに戻されたけど、テールは真っ黒!
リア・サイドとハッチのスモークも苦労して自分で貼った。
「Z」に乗り始めた直後、思い出の1枚。
当時、大好きだった子との初ドライブの行先は横浜。
「この包み込まれる感じがいいね…」って助手席で言っていた。
今頃、どうしているかな…?少し切ない気持ちになる1枚。
入社して1年ちょい…「Z」と過ごす日々は公私共々順調でした。
…でしたが、とある昼休みの一言で自ら人生を大きく変えてしまう。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
6番目の愛車に続く。
Posted at 2024/05/27 14:45:27 | |
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