前の日記帳のページ数が尽きたようなので、三冊目。
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〔日記〕
19.13.15(日)
日記帳がいっぱいになった。。
ふと思いついたネタの半分以上が、忘却の彼方へ消えたりする。orz
思い出せなくて、もどかしいよ。
やっぱりメモは必要だなぁ。。
19.13.14(土)
プーアルの忠誠心の源を知りたい。
1′39″
19.13.13(金)
はるか遠隔地から、自分のページにログインした。なんか変な感じ。
日記帳を見てみると、お絵描きの色合いが違う~!
うぅ、マイPCでは、こんなじゃないのに。。(TT)
…ということは、訪問者ごと、そのPCごとに映え方が変わって、私のイメージと違うイメージで伝わるかもしれないんだ。。
こればかりは、どうしようもないのかな。(><)
19.13.12(木)
先月中旬の話。
播州の書写山円教寺と日本玩具博物館、もちむぎのやかたへ行った。
円教寺は、西国三十三番札所のうちの第二十七番。
ラストサムライのロケ地になったことでも有名。
二時間以上かけてはるばるたどり着いたら、
<書写山ロープウェイ運休のお知らせ>
11/26~12/28までの33日間、定期検査を行いますので営業を停止いたします orz
なんで点検等にそんなに日数がかかるのだろう?
まさか、西国三十三番にちなんでのことなのか?
再度の訪問を誓い、姫路から市川を北上した。
日本玩具博物館は、日本を中心とした古き玩具を集めた、私設の博物館。
相方が当初、「ここって6号館まであるらしいで。民博くらい大きいかも」と言っていたが、
実際は、ほどほどの敷地に小さめの建物がギュウギュウ。(休憩所の古い家屋が5号館…)
それでも、置いてある玩具の多彩さは、民博を(少しだけ)彷彿とさせた。
ここからさらに、市川を北へ遡った。
もちむぎのやかたは、もちむぎを使った商品をつくり、レストランも備えている施設。
実は、ここを訪れるのは二度目。なので、10/19を参照のこと。
かじかむ手で箸を持ちつつの鴨つくね南蛮は、ほっこら温まっておいしかった。
所在地
円教寺 日本玩具博物館 もちむぎのやかた
走行距離192.5km 燃費計13.4km/l 高速道路不使用
19.13.11(水)
八木荘司の
古代からの伝言(角川文庫)、面白くて壬申の乱前夜まで一気に読んだ。
古代日本は、なんて国際的でダイナミックな動きの中にあったんだろう。
次は血潮たぎる壬申の乱、関が原の合戦並みのドラマなり。
19.13.10(火)
クリスマスの話。幼稚園から小学生の入りたての頃だったか―――。
クリスマスの日の
一週間くらい前から興奮して、早朝、ムクッと起きては枕元を見、何もなければ玄関までダダッと走ってプレゼントがないか確認しに行ってた。
無邪気だったんだなぁ。。
小学校の4、5年にもなれば、自然に真相がわかってくるモノだが、それまでは、
「なんでウチはエントツないのに、ゲンカンにカギかかってるのに、なんでサンタさんはウチの中に入ってこれるんやろ?ぜんぶの家のアイカギもってるんかな…」
朝、鍵のかかった玄関の扉と睨めっこしながら、そんなことを考えていた。
19.13.9(月)
会津に行くかもしれない! かの憧れの地へ!
うむぅ、今のうちに、詳細な候補地を考えないと。
やっぱり、保科正之公ゆかりの場所は、みんなまわりたいな。
佐川官兵衛の本も読み返してみよう。
会津出身若しくは会津へ観光したことのある方、宜しければメールで情報ください。m(_ _)m
19.13.8(日)
今年のイチローの動画を見ようと思ったら、こんなの拾った。
左の女性が、結構言う言う。
ついでに、こんなのも拾った。
足の古傷さえなければ日本最高の投手だと、心から思う。
19.13.7(土)
シルフィで思い出した。
先代シルフィが登場したときの、旧友とのセピア色の会話。
S「知ってる? 今度出るシルフィって、排気ガスが都会の空気よりキレイらしいで」
浮「おおっ、そりゃスゴイな! じゃあ、ホースつないで排ガス吸ってりゃ、むっちゃ肺にいいんちゃうん!?」
S「そやなー! それグッドアイディアやなー!」
そろってアホだよね。
いくら有害物質が少なくても、酸素が足りなくなるよね。
19.13.6(金)
朝起きたら、ガレージのレガシィが
シルフィに変わっていた!
…そんな悪夢を見た。
でも燃費16.0km/lだって。スゲー
19.13.5(木)
未だにブートキャンプの二日目に行けない。(9/27参照)
一日目のDVDをエンドレス。。orz
19.13.4(水)
讀賣新聞に、
シュライカー大阪というフットサルのチームが紹介されていた。
シュライカーとは、「シュライク」と「ストライカー」との組み合わせで、シュライクは「百舌鳥(もず)」のことだという。
――シュライク――
十年以上前の某ゲームを思い出した。
数多の戦場を駆け抜けた主人公の愛機の名だった。(7/15参照)
-作戦要項-
ハフマン島オシアナ共同連合領メナサ市を夜間に出発。
小型潜水艇にてUSNフォートモーナス市沖合30キロ地点まで移動後、
偽装船舶に乗り換えて上陸。USNラーカス地区にある敵の工場を極秘偵察せよ。
なお、両国間の政治的緊張を考慮し、戦闘行為は厳禁とする。
カレン「こちらラビット1、偵察ポイントに到着しました」
ロイド「状況はどうだ?」
カ「不思議だわ、静かすぎる。誰もいないみたい」
ロ「油断するな」
カ「大丈夫。こんなところで死ぬ気はないわ、ロイド。ラビット1偵察を開始します」
サカタ「やっぱり婚約者のことは、気になりますか?」
ロ「作戦中の無駄口は銃殺だぞ」
サ「失礼しました、大尉殿。しかし、どうしてまた条約違反をおかしてまで、こんな工場を偵察しなきゃならないんですかね?」
ロ「さあな、どうせ事務屋たちの考えだ。ろくでもない事だろう」
カ「こ、この工場は……」
ロ「どうした?カレン」
カ「し、信じられない……こんなことって……」
ロ「返事をしろカレン!!」
サ「敵部隊が現れました!」
工場のまわりの林の中から、敵部隊が多数出現した。
サ「バカな! あんな所に隠れていたなんて……」
ロ「カレン機を援護する! 全機突入!!」
しかし、既にカレン機は敵ヴァンツァーに包囲されていた。
カ「囲まれた!?」
ロ「カレン! はやく逃げろ! やつらは俺達が相手をする!」
カ「だめ! ロイド! こっちにきちゃだめ!!」
見たこともない巨大な漆黒のヴァンツァーが、マシンガンを放った。
轟音とともに、一弾一弾がカレン機の装甲を剥ぎとった。
カ「きゃあぁぁぁぁ!」
ロ「カレン!? カレーンッ!!」
一撃で、カレン機は沈黙した。カレンの退避が確認できない。
ロ「よ、よくもカレンを!」
逆上したロイドは、シュライクを駆って突撃した。
敵ヴァンツァーが近接戦闘を仕掛けてきたが、二機はロイド、一機はライオウに搭乗するサカタが撃破した。
ロイドは、黒のヴァンツァーの正面に躍り出た。
?「もう十分だな、そろそろ証拠を消す事にしよう」
ドーーン! ドーーーン! グォォォオオ!
「な、なんだ!?」
突如、工場が大爆発を起こした。
と同時に、残りのUSNの部隊も撤退を始めた。。
サ「隊長、離脱してください! 隊長、隊長!! 」
ラーカス事件……
ニューコンチネント合衆国(USN)はハフマン島の自国領ラーカス区の軍需工場が、
オシアナ共同連合(OCU)のヴァンドルングパンツァー4機に襲撃され、工場が破壊されたと発表した。
これに対しOCUは、襲撃の事実を否認。すべてはUSN軍の狂言であると反論した。
両国の和解は進まず、ついに、ハフマン島全土が戦闘状態に突入した。
第二次ハフマン紛争の勃発である……。
19.13.3(火)
先月放映していたニュースの話。
石油高騰のために
ビニールハウスの暖房が稼動できなくなった農家を取材していた。
野 菜 や 果 物 も 石 油 で で き て る ん だ
あらためて、痛感した。。
19.13.2(月)
先日描いた落書きに、色塗りしてみた。(12/22参照)
特に背景が小学生並みで、恥ずかしい。。
以前訪れた三木の
志染の岩室には、流浪の二皇子の伝承(12/29参照)が残っているが、播磨風土記によると、二皇子たちにとってのヒロインがいたそうだ。その名も根日女(ねひめ)。
ネヒメは、播磨国賀毛にあった豪族、国造許麻(こま)の娘。
恋に落ちたオケとヲケは、ここでもやっぱり譲り合い。結局、モノにできぬまま。
大和へ帰り大君となり、やっとネヒメを迎える決心をしたとき、ネヒメは二皇子を気遣う心が過ぎるあまり、心労に倒れてしまったのだった…。
ネヒメの死を深く悲しんだ兄弟は、賀毛の里の朝日も夕日を受けるところに、玉のようにかがやく御陵(みささぎ)を造った。
それは古の愛の記憶―――。
加西市に残る
玉丘古墳がそのネヒメの御陵とされている(
玉野の地名も今に残る)が、玉のような葺き石は今やなく、しかも、明治16年に 盗 掘 に 遭 う 。
あゝ儚きかな、愛の記憶。。(TT)
所在地
玉丘古墳
19.13.1(日)
先日、OMS(12/17参照)でもらったパンフレット類をぱらぱら見ていると、
多田自動車商会 〒673-0433 兵庫県三木市福井2265 ……
三木の地名が目に留まった。
そういやアンケートに答えて何か粗品もらったっけ。三木だったのか―――。
急に親近感が湧いたのだが、中古パーツ屋さんのようだから、どノーマルレガシィ乗りの私が買えるものなんて、ほとんどないだろう。
でも、
現行のアゼストのオーディオから
mp3やwmaを聴けるオーディオに買い換えた際には、古いオーディオを買い取ってもらえるのだろうか。
「廃車買取り」としか書いてないけど、一応、気には留めておこう。
19.12.31(月)
12/9の給油記録。
彦根:277.5km(うち高速道路216km)
三木:134.6km
…を含む。
446.4km 13.2km/l(燃費計) 36.01L(レギュラー)給油 @149
446.4÷36.01=12.396… → 12.3km/l(満タン法)
12.3-13.2=△0.9
∴燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される。
19.12.30(日)
自動車業界(に限らないけれど。)は、それはもう必死に環境への負荷の軽い、持続可能な車社会を目指して研究に明け暮れているわけだが、ハイブリッドもディーゼルも電気も燃料電池かなわない(?)一番効果的な方法が、ほんの足元にあるのに気付いていない。それは―――
国 民 総
エ ッ セ (ECO:682,500円)
…反乱は避けられんね。。
19.12.29(土)
先月上旬の話。
播州三木の志染の岩室と湯の山街道、三木総合防災公園へ行った。
志染は「しじみ」、岩室は「いわむろ」と読む。
大君を座を得るために多くの兄弟を殺したオオハツセは、最後の政敵・イチノヘノオシハを狩りの最中に射殺し、オオハツセワカタケルの大君(雄略天皇)となった。
イチノヘノオシハの二人の皇子は、暴虐な大君の手が伸びるより先に、大和から逃れた。
幼い兄弟オケとヲケは身分を隠し、播磨の豪族の屋敷に小間使いとして拾われた。
それから何年経ったろうか。兄弟が潜り込んだ豪族の屋敷の新築祝いがあった。
たまたま大和から遣わされていた使者も呼ばれての宴会、大いに盛り上がり、下で控えていた兄弟も余興にかり出された。
兄弟はお互い譲り合い、周囲の失笑を買ったが、兄のオケが雅に舞い、みな静まりかえった。
次いで弟のヲケは、自分たちがイチノヘノオシハの皇子であることを舞に乗せて歌い、告白した。
驚いて転げ落ちた大和の使者は、皇子の生存を泣いて喜び、大和へ連れ帰った。
そのころ大和は、ワカタケルの大君はとうに亡くなり、その子もじきに亡くなったため、大君の座は空位になっていたのだった。
兄弟は、どちらが大君に就くか、また譲り合いをはじめた。
オケ「播磨に隠れ潜んでいたあのときに、あなたが名を明かさねば、今のわれわれはなかった。これはすべてあなたの功なのだから、私は兄ではあるけれど、先ずはあなたが天(あめ)の下を治めるべきです」
これが決め手となり、弟が大君となった。ヲケの大君、のちでいう顕宗天皇である。
あるときヲケの大君は、父の仇のオオハツセの大君の御陵を壊して父の御霊に報いなければ、と考えていた。
そのために人を使わそうとしたとき。
オケ「この御陵を壊すのに、他の人を遣わすべきでありません。私ひとりで出かけ、大君の御心のままに壊して参りましょう」
兄のオケは自ら河内のオオハツセの大君の御陵へ赴くと、その御陵の傍らを少しばかり掘って、宮に戻った。
オケ「すでに掘り壊して参りました」
大君「いかにして壊したのか」
オケ「傍らの土を、少しだけ掘りかえして参りました」
大君「父の仇に報いることを思えば、すべてを壊してしかるべきであろうに、どうして少しだけなのか!」
オケ「ならば申し上げます。父の恨みを晴らすためにオオハツセの大君に報いを与えようとすること、これはまことに理にかなっております。しかしオオハツセの大君は、憎き父の仇ながら、われらが血を同じくする叔父でもあるのです。ましてや、かつては天の下を治めたもうた大君であったのです。それを今、父の仇に報いる志のみ重んじて天の下を治めたもうた大君の御陵をすっかり壊してしまったなら、後の世の人々は、必ずわれらの振る舞いを誹るでしょう。ただし父の仇だけは、どうしても報いなければなりません。それで、傍らを少しだけ掘ってきたのです。この辱めだけで、後の世への示しとしては充分でしょう」
大君「……そなたの振る舞いは、すべて理にかなっている。まったく、その通りだ」
ヲケの大君の死後、兄のオケが大君となった。これが、のちでいう仁賢天皇。
やがて、オケの大君も皇子のないまま亡くなり、かくて皇統断絶の危機が訪れたのだった―――。
志染の岩室は、オケとヲケの二皇子が難を避けるために隠れていたところ、と伝えられている。岩室の下には泉が湧き出ており、稀に金色に変わることから、「志染の金水」とも言われている。
湯の山街道は、かつて別所氏が本拠としていた三木城の北側に東西に伸びる街道。
湯の山は有馬を指す。
織田家臣の羽柴秀吉が別所を攻め滅ぼした三木合戦(10/9参照)で三木は荒れ果て、以来三木は復興のために税を免れることとなった。
そして大工や鍛冶屋が大勢集まり、金物の町として有名になった―――。
…というのが良く聞かれる話なのだが、湯の山街道の古老の話では、500余軒が並ぶこの街で一番多い店は、紺屋。つまり、木綿が根幹産業とのこと。
街道に、日月くらぶ(じつげつくらぶ)という喫茶店があった。
こだわりの自家製パンをはじめ、ひとつひとつが美味しかった。これはお勧めだ。
三木総合防災公園は、食料・毛布などの物資が備蓄されているそうだ。
しかし、見てみると……
20,000人収容の競技場やその他多くのグラウンド。テニス専用の馬鹿げたドーム。
どう考えても身の丈に合わないハコモノだ。兵庫県の壮大な無駄使いか?
地震を再現する実験施設もあったが、見学することは出来なかった。(ノ_・。)ガッカリ
所在地
志染の岩室 湯の山街道 三木総合防災公園
走行距離134.6km 燃費計13.8km/l 高速道路不使用
19.12.28(金)
映画「
マリと子犬の物語」を、封切りの日に観に行った。
……。
…………。
………………。(ノ_・。)
ハッ!
なっ、泣いてへんよ! ちょっと目にゴミ入っただけやから!
映画に出てくるマリは柴だけど、実際のマリは雑種で、
ミッキー(あるいは
ベジータ)ばりの面構えをしていた。。
M字…
19.12.27(木)
数年前の話。
某駅前にて、白人夫妻に(たぶん)道を尋ねられた。
もちろん、英語だ。
私は一言でいえばアホなので、夫妻が何を言っているのかサッパリわからなかった。
緊張に耐えかねた私は、
あ、あいきゃんとすぴーくいんぐりしゅ…
…と、逃げるように―――いや、 逃 げ た の だ 。
そのとき紙とペンを携帯していなかった自分を恨んだ。
紙とペンさえあれば!
それから一年ほどのち、某駅のホームでアラブ人の男性につかまった。
以前の苦渋が脳裏をよぎり、カバンをまさぐった。
紙とペン、紙とペン……ない!?
私は腹を据えた。とりあえず、言い分を聞こうではないか。
英語をしゃべっていたのか何語をしゃべっていたのか、今に至るも不明だが、「ニガワ」だけは聞き取れた。
『仁川?』
アフマド(仮名)は、コクコクと頷く。
よし、仁川が目的地か。ならば、
『ここ、南口。ミナミグチ。次、逆瀬川。サカセガワ。次、小林。オバヤシ。次、仁川。ニ・ガ・ワ』
空中に横一線の路線図を描いて、両手を大きく振りかざして、順番を示した。
おお、わかった、というような安心感を見せたアフマドは、少し離れた席に座った。
しばらく小豆色の電車に揺られ、仁川が近づいてきた。私はアイコンタクトを図り、
『次、仁川。ニガワ。ここやから』
アフマドは、立ち上がりながらにっこり微笑み、駅へ降りていった。
ヒゲ面もいいものだな、と思った。
結論 : 人生、日本語だけでも何とかなる。
19.12.26(水)
初音ミク(機械音に歌わせるソフト?)とやらにハマりつつある自分がいる。orz
…というわけで、
大地讃頌(だいちさんしょう)を拾ってきた。
雲と地表との間に起こる放電現象をあらわす大和言葉は、たくさんある。
① かみなり/なるかみ ② いかづち ③ いなづま etc…
①は、神が鳴る、の意だろう。わかりやすい。
②は、厳(いか)つ霊(ち)の意。厳ついまでに荒々しい霊力、くらいの意味か。
ちなみに、同じ用法によると、火の神「カグツチ」は「輝く霊力」、ヤマタノヲロチの「ヲロチ」は「尾に宿る霊力」となるのだろうか。
③は、稲妻と書く。今は「妻」の字だが、昔は「夫」も「つま」と呼んだ。
母なる土(つち)に青い稲が育ち、荒々しい天(あめ)から一閃、夫(つま)が駆け下りる。水の恵みを伴って。
そして豊かな稲穂が実る。それは夫婦の営みのように。
古よりのあめつちの理。
【追加:某中学校の合唱、サウンドオンリー】
19.12.25(火)
今だから言える。
「きな臭い」を、「きなこ臭い」の略だと思ってた。
きなこはあんまり臭わないよね。
19.12.24(月)
先日に引き続きユーチューブを検索してたら、こんなの見つけた。
村治嬢が社町に来たとき、この曲の演奏を初めて聴いた。
アルハンブラ宮殿が、アブラハム宮殿と聞こえた。
CD「ビバ! ロドリーゴ」買った~!
うおぉぉ! なにこの淫靡な雰囲気のジャケット!?
DVD「トレス」も買った~!
うおぉぉ! 弾く姿より、街に(意味ありげに)立ち尽くす姿の方が圧倒的に多い!?
2ndアルバム「グリーンスリーヴス」以来のファンだけど……本当に良いのか、この路線!?(><)
19.12.23(日)
一番槍さんのところで初めて聴いた初音ミク。
ジブリの中で一番のお気に入りのもののけ姫を紹介してみる。
そして
涙するが良い。
19.12.22(土)
明日香のおとめをイメージして、適当に落書きしてみた。
背景は、明日香の甘樫丘のはずだったのに、オオハツセワカタケル(雄略天皇)のエピソードを思い出した。
ある年、大君は国をめぐって美和河(三輪近くの川?)へ行ったとき、河のほとりで衣を洗うおとめに出逢った。
その姿はうるわしく、大君は、
「そなたは誰の子ぞ」
「……ヒキタベノアカヰコと申します」
「そなた、誰にも嫁ぐな。そのうちにわれが召そう」
そう告げて、宮へ帰った。
ところがアカヰコは大君の御召しを待ち続け、待ち続け、とうとう八十年が過ぎてしまった。
(大君の仰せを待っている間に歳かさね、老い衰え、頼みの美しさも失せてしまった。けれど、この待ち続けたきもちを告げぬことには、この苦しみは晴れない……!)
「おぬしはどこの老女か? なぜここに参ったのか?」
「ある年、ある月に大君のお言葉を頂き、御召しを待ち続けて八十歳を過ごしてしまいました。頼みの美しさも今はありませんが、しかし、わたくしのきもちだけは打ち明けたいばかりに参上したのです」
「むむ、すっかり忘れていたわ。……そなたがわれの言葉をまもり、いたずらに女ざかりを過ごしたことは、気の毒である」
大君は、アカヰコを迎えようとチラッと思ったが、あまりに老いていたためそれもためらわれた。
大君は、歌を贈った―――。
御諸の神の樫の木の その樫の木の下にいる 手を触れがたきカシハラのおとめよ
引田部の若い栗林よ 若いうちに共寝すればよかったのに あゝこんなに老いさらばえて
歌を聞いたアカヰコの涙が、赤い衣の袖を濡らした。そして、歌を返した。
御諸に築いた高い垣 斎き残れば誰を頼ればよいのでしょう 神に仕えるわたくしは
日下の入江の花咲く蓮 その蓮のごとき若い盛りの人たちの なんと羨ましいことでしょう
大君は多くの贈り物をアカヰコに賜うて、里に帰した。
このときに歌われた四首の歌を、しつしつと静かに歌う志都歌というそうな。
19.12.21(金)
少し前に、新聞広告で加島祥造なる人物の著書の広告が、何度も出されていた。
伊那谷の老子とあだ名される彼のその書は、 「 求 め な い 」 。
求めない―――そうか、そうよなぁ。
その文字を見たとき、じわじわとその書名の真意がわかったような気がした。
だから私は、「求めない」を 買 い 求 め な い 。
怠惰スーツは欲しいけど。
19.12.20(木)
少し前に、吉野家のテラ豚丼の映像が問題となっていた。
「食べ物を粗末にするな」というクレーム多数だったそうだ。
当該バイト店員は処分されて然るべきであるが、食べ物がもったいないという点なら、
フ ー ド フ ァ イ タ ー た ち の 無 駄 な 食 とは比較にならないだろう。
ああ、なんたる高燃費……。
19.12.19(水)
燃費の良し悪しの程度を表す言葉が、いくつかある。高燃費、低燃費、省燃費、好燃費…。
やっかいなのが、高燃費だ。
①燃料1Lあたり何km走るかという効率なら、数値が高ければ燃費が良い。
②一定の距離を走った上での燃料消費量なら、数値が低ければ燃費が良い。
いったい、燃費が良いのか、悪いのか? 判別が難しい。
一般的な燃費をあらわす単位は、①に基づくkm/lであるから、高燃費は燃費が良い、ということになる。
しかし、新型車の売り文句でよく目にかかるのは、低燃費の方。
車のつくり手、売り手が低燃費=燃費が良い、としているのだから、これはひとつの既成事実となっているのだろう。
すると、低燃費は燃費が良く、高燃費は燃費が悪い、ということになり、また問題が生ずる。
燃費が悪い高燃費、燃費が良い好燃費、双方ともコウネンピの読みで、ややこしいのだ。
だから私は、ずいぶん前から、日記内では省燃費で統一している。
これが一番わかりやすく疑義を生じないし、しかも、「節約するぞ!」という意志がひしひしと伝わってくるから。(←そうか?)
19.12.18(火)
今月初めの話。
近江の多賀大社と彦根城へ行った。
多賀大社の祭神は、イザナギとイザナミ。
イザナギとイザナミは、最初の兄妹、最初の夫婦であり、たくさんの神々を産んだが、イザナミは火の神カグツチを産んだ際、ホトを焼かれて死んでしまった。
嘆き悲しんだイザナギは、妻に逢いに黄泉の国を訪れた。
「わが妹よ、お前に逢いにやってきた」
「あら嬉しいこと。しかし私は既に、黄泉の国の食べ物を食べてしまったから、戻ることはできません。それでも、黄泉の国の神と何とか話し合ってみますので、それまでの間、決してこちらを見ないでくださりませ」
待てども待てども物音ひとつせず、しびれを切らせたイザナギは、櫛を折って火を灯し、奥を覗いた。
ゴロゴロゴロ…
見えたものは、―――音が響くほどに蛆がわき、八つのイカヅチ(悪霊?)に取り憑かれた、それはおぞましいイザナミの姿だった。
「 よ く も 見 ま し た わ ね 」
イザナミは怒り狂い、ヨモツシコメを遣わした。
「うぁあああ~~!!?」
イザナギは恐怖に駆られ、逃げ出した。
もう少しで追いつかれそうなところで、イザナギは髪を括るツルを投げると、地面から山葡萄がすごい勢いで成り、ヨモツシコメはそれを食べ始めた。
その間に距離を稼いだイザナギだったが、またまた追いつかれそうになった。
今度は竹の櫛を投げると、たちまちタケノコがニョキニョキ伸びて、ヨモツシコメを引きつけた。
イザナミは今度は黄泉の国の軍人(いくさびと)を差し向けたが、イザナギが葦原中つ国と黄泉の国との境界のヨモツヒラサカの手前に成っていた桃の実を投げつけると、黄泉の国の軍勢は恐れをなして散っていった。
イザナギは、千人がかりでようやく引ける岩で境界を塞ぎ、追いついたイザナミは岩越しに叫んだ。
「愛しい私のあなた様、あなたが私にこんな仕打ちをするなら、私はあなたの国の民を一日に千人も縊り殺しますから!」
「愛しいわが妹よ、お前がそうするならば、私は一日に千五百の産屋を建てる!」
イザナギは、言戸を渡した。これが離縁の事のはじめ。
「ああ、私はなんと穢れた国へ行ったものよ。この穢れた身の禊ぎをせねばならぬ」
イザナギは、筑紫日向の川のせせらぎで、身を洗い清めた。これが禊ぎの事のはじめ。
そして、左目を洗ったときにアマテラス、右目を洗ったときにツクヨミ、鼻を洗ったときにスサノオが産まれた。
「私はなんと三柱の貴い子を得たものよ。アマテラスは、神々の坐す高天原を治め給え。ツクヨミは、夜の国を治め給え。スサノオは、海原を治め給え」
しかし、スサノオだけは任せられた国を治めようともせず、哭き喚き、あらゆる災いが起こり広がった。
「どうしてお前は国を治めようともせず、哭き喚いているのだ」
「私は母のいる根の堅洲国へ行きたいために、こうして哭いているのです」
「うぬぅ、口にするのも穢らわしいわ! どうしても行くなら、この国に住むことは叶わぬぞ!」
スサノオは、イザナギに放逐された。
そのイザナギも、今はもうお隠れになり、淡海(おうみ)の多賀に坐すとのこと。
淡海を淡路と解釈する説もあるらしく、淡路島にもイザナギを祀る神社がある。
さて、多賀大社の所以を回りくどく載せたのだが、同社は妻のイザナミをも祀り、御利益のひとつに
縁結びもある。
仲睦まじい妻が豹変して
死者の国の神となり
激しく罵り合って離別したことなど、まったく見て見ぬふりをしているようで、面白い。
彦根城は、江戸期の彦根藩の城。全国に十二ある現存木造天守閣のひとつ。
彦根藩は、一貫して井伊氏が治めた。
井伊氏は、元をたどれば遠江の井伊谷(いいのや)の豪族で、戦国期には相当落ちぶれていたところ、まだまだ少年の万千代が徳川家康に(
イケナイ意味で)可愛がられ、再興した。
1582年の甲州攻めで武田家が滅亡したのち、徳川家康は駿河を得て、本能寺の変の危機を脱すると、ひたすら甲斐と信濃を取り込んだ。
そして軍制を甲州流に改め、大量に雇用した武田武士の選り抜きを、万千代改め直政に預けた。これが、武具甲冑をすべて朱に統一した精鋭、赤備え(あかぞなえ)。 飫富(山縣)の赤備えの、事実上の後継である。
長久手の戦いを皮切りに小田原攻めでも手柄を立てた井伊の赤備えだったが、最大の武功は、関が原の合戦の先駆けだろう。
そのころ、井伊直政は家康の四男・松平忠吉の舅、後見役となっていた。
豊臣秀吉の死後、野望が露骨になった徳川家康は、方々に婚姻や合力を取り付け、これを危惧した石田三成は、家康を討つために挙兵した。その辺りは、言わずもがなの歴史好き以外には、複雑な経緯だ。
先ず、三成の意を汲んだ上杉景勝が、会津で挙兵。これを受けて家康は、豊臣の臣下として豊臣の諸大名を率い、会津を目指した。
その途中で、三成が大坂で挙兵。毛利輝元を総大将に担ぎ上げた。
会津の上杉景勝、大坂の石田三成、間に漂う徳川家康、家康の下に附属されていた諸大名、皆、名目上は豊臣家臣なのだ。
さて、家康は自らに附属されていた諸大名(福島正則など豊臣恩顧の大名)を、三成打倒に向けて味方につけることに成功し、眼前の上杉、動向のあやしい佐竹の前にくるりとUターンし、豊臣恩顧の大名を焚き付けて美濃まで進撃させた。
大坂方は美濃の大垣城へ入り、関東方との睨み合い、小競り合いが続いた。
両将、様々な選択肢があっただろうが、家康は短期決戦を図った。城を捨て置き西へ進む気配を見せて、大坂方を外に誘い出したのだ。
両陣営、その晩のうちに決戦の地、関ヶ原へひた歩いた。
霧たちこめる早朝、関ヶ原は、両軍合わせて20万近い人数で満ち満ちていた。
関東方は、西へ押し通ろうとするかたち。大坂方は、それを塞ぐかたち。
濃霧で少しの先も見えないのに、馬のいななき、武具のこすれあう音、歯のガチガチ鳴る音など、なぜかはっきり聞こえてくる。
緊張満ちわたる中、先陣を任せられた福島隊の脇をするする通り抜けようとする数十騎の一団がいた―――。
可児才蔵「待て、待てい! おぬしらはどこの隊の者ぞ!?」
井伊直政「……徳川が家臣、井伊にて候」
可児「おお、兵部少輔さまでござるか。…しかし、此度のいくさの先駆けは、わが福島家のものでございまするぞ」
井伊「いやいや、ここなる松平忠吉さまの初陣であるが、貴公らのような勇士が人数いては、手柄上げることなど端から覚束ぬ。されば、せめて前の前で物見し、後学に致したく…」
可児「左様なことでござったか。それでは通られよ」
井伊「それでは御免…」
………
ダァン! ダダーーン!! うわーーーーーっ!!
可児「すわ、謀られたか! われらも駆けよ!」
徳川は一連の戦いのほとんどを借り物の兵力で戦ったのだが、井伊直政の
抜け駆けのおかげで、かろうじて徳川の武門の面目が立ったのだった。
井伊直政と松平忠吉は、追撃戦で島津豊久(島津維新の甥)の首を挙げたがしかし、直政、忠吉ともに、この戦いの傷がもとで亡くなった―――。
ともあれ、直政には彦根藩18万石が与えられ、子の直孝の代には30万石となった。
国政に参画できても身代が小さいのが親藩・譜代の通例であるから、異例の大身。しかも、琵琶湖のほとりの要衝の地であるから、幕府の藩屏として井伊家がどれだけ信頼されていたかわかろうというもの。
二代目の井伊直孝も剛毅の人で、大坂の役で先陣を務め、八尾・若江にて木村重成を討ち取り、本丸に乗り込み豊臣秀頼と淀殿を自刃させた。
第十五代の井伊直弼は、 「 あ あ 、 あ の 暗 殺 さ れ た 人 ね 」 としか認識されないかわいそうな人だが、彦根の人にとっては「開国の英雄」。
ちなみに、井伊家の菩提寺の龍潭寺は、井伊の本貫地の井伊谷、将軍家より預かりし彦根、双方に存在する。
当然、元々井伊谷にあったものを、彦根に持っていったのだろう。
朴は、「もく」と読む。「ぱく」ではないので、注意。
例えようもなくカレーが○ずい喫茶店。
定番すぎる店を嫌って、隠れ家的なココを選んだものの、それが悲劇の始まりだった。
だし、うまみ、コクというものが、まるで欠落しているのだ。それでいて、900円近く。
言っておくが、これは営業妨害では決してない。
リ ピ ー タ ー な ん て た っ た 一 人 も い る わ け な い から、(物好きな)新手の客を誘導しようとしているのだ。
かつてないま○さを経験したいなら、彦根のお昼は迷わず朴だ!
所在地
多賀大社 彦根城 朴
走行距離277.5km(うち高速道路216km) 燃費計15.0km/l
19.12.17(月)
今月初日の話。
『なーなー、今度な、二年振りにモーターショーあんねん』
「どんなんなん?」
『むっちゃクルマとヒトおってな、全部回んの半日かかんねん』
「……頑張ってな」
…というわけで、一人ぽっちでOMSへ潜入調査。(TT)
入場と同時に日産ブースへ突入したので、GT-Rはラクチンで見られた。
それにしても、オネーサンばかり撮ってる輩が多すぎて、鬱陶しいことこの上ない。
オネーサンは写真に収めるものではなく、
網 膜 に 焼 き 付 け る も の だ ろ 。
!?
予定が合わないと勝手に思い込んでいた友人が、午後からOMSへ行っていたことが、後から判明した。orz
19.12.16(日)
冬の星空。
雄大だなぁ、オリオン。
……実は私、星座は北斗七星とオリオン座しか見つけられない。orz
せめて昴だけでも…
それにしても、バブル崩壊・大不況以降、わが街の夜空は本当にきれいになった。
19.12.15(土)
某漫画の匿名希望選手の落書きに、色塗りした。(12/1参照)
書かなきゃ誰だかわからないから、名前も入れといた。
「自分の胸さ、聞いてみれ!」
19.12.14(金)
11/24の給油記録。
奈良:205.8km(うち高速道路140km)
…を含む。ほとんど、この日一日そのまま。
208.4km 13.5km/l(燃費計) 16.45L(レギュラー)給油 @143
208.4÷16.45=12.668… → 12.6km/l(満タン法)
12.6-13.5=△0.9
∴燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される。
19.12.13(木)
先月下旬の話。
前日の行程に加え、奈良の石上神宮へ行った。紅葉狩りまくり。
石上神宮(石上神社)の石上は、「いそのかみ」と読む。
飛鳥時代に神仏論争によって蘇我氏・聖徳太子(崇仏派)に滅ぼされた物部氏の社である。
祭神は、フツノミタマ。
オオクニヌシの国造りによって葦原中つ国は繁栄し、それに嫉妬した高天原のアマテラスはタケミカヅチその他の神を遣わした。
タケミカヅチはオオクニヌシに国譲りを迫り、屈したオオクニヌシは高くそびえる出雲大社に祀られることとなった。
オオクニヌシの息子のタケミナカタは激しく抵抗したが、敗走を重ね、信濃の諏訪にて降伏し、以来その土地を出ていない。
その後、天孫ホノニニギが高千穂に降臨し、数代かけて筑紫に根をはり、イワレビコの代になって東へ進んだ。
美々津から諸所立ち寄りながら何年もかけて瀬戸内を進み、浪速から大和へ入ろうとしたが、トミノナガスネ(生駒周辺の豪族?)の前に敗れ去った。
生駒越えをあきらめたイワレビコは、紀伊半島を大きく迂回し、熊野川を遡った。
山深い熊野行は困難を極めたが、地元の豪族タカクラジが差し出してきた剣を得、また天より遣わされたヤタガラスの先導を得て、ようやく大和入りを果たし、橿原に宮をひらいた。カムヤマトイワレビコ、神武東征の物語である。
タカクラジが云うには、夢の中で高天原の神々があらわれ、
アマテラス「下は何かと騒々しく、わが子孫は大変苦しんでいる。タケミカヅチよ、お前が天降って援けておくれ」
タケミカヅチ「われが行くまでもなし。わが剣を降ろせば充分」
そして、目覚めて枕元を見ると、神々が降ろした剣―――フツノミタマ―――があった。
タカクラジは、これをイワレビコに献上したのだ。
スサノオがヤマタノヲロチの尾から採り出し、のちにヤマトタケルが草を薙いで火難を避けた草薙の剣(三種の神器のひとつ)と混同せぬよう注意されたい。
前置きが長くなったが、石上神宮は剣そのものの御魂を祀り、また、物部氏は朝廷の軍事を司っていた。
蘇我氏ら崇仏派との抗争では、物部守屋はさすが有利に戦いを進めたが、四天王に必勝祈願した聖徳太子の一矢に討ち取られた。
御神体のフツノミタマは、明治になって神宮の奥の禁足地から掘り出されて、今は安置されているとのこと。
また同神宮は、七支刀を所蔵していることでも有名だ。
サガ2をプレイしたことのある面々には、ニヤリとする名だろう。
所在地
石上神宮
走行距離205.8km(うち高速道路140km) 燃費計13.6km/l
19.12.12(水)
11/23(二回目)の給油記録。
奈良:196.1km(うち高速道路120km)
…この日一日そのまま。
196.1km 12.8km/l(燃費計) 15.59L(レギュラー)給油 @143
196.1÷15.59=12.578… → 12.5km/l(満タン法)
12.5-12.8=△0.3
∴燃費計は、満タン法より、0.3km/l前後良く測定される。
今まで正確に算出したうち、最小のズレかも。
一回目の大きいズレと関係してる可能性大。(反動?)
ここらへんが、満タン法の限界かも。
給油は毎回、同じセルフのスタンドで、自動的に止まるまで入れてるんだけどなぁ。。
19.12.11(火)
先月下旬の話。
奈良の談山神社と長谷寺、大神神社へ行った。
談山神社の談山は、「たんざん」と読む。
中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏を倒す謀を語らった山―――つまり、談い山(かたらい山)ということらしい。
というわけで、祭神は、藤原鎌足。
談山神社は多武峰にあり、多武峰は「とうのみね」と読む。
昔は「たむのみね」と読んでいたところが、時代とともに訛ったらしい。
多武峰の130段(浮野調べ)の階段を登ると、右手にコの字型に取り囲むような建物と拝殿があり、その崖側の畳敷きの建物は出入り自由。
高さある欄干越しに見る紅葉は、格別のものがあった。
十三重の塔は、想像よりちっちゃくて、かわいかった。。
長谷寺は、「はせでら」と読む。
長谷は、初瀬、泊瀬とも書き、特に泊瀬と書くときは「はつせ」と読む。
初瀬は、三輪山と多武峰の間の谷筋の奥の土地であり、谷の入口の朝倉は、かつてオオハツセワカタケル(雄略天皇)が宮を置いていたところ。
朝倉と初瀬との間には、出雲という字がある。
安彦良和の「ナムジ」「神武」では、初瀬は出雲族の入植地として描かれている。
昔から、同様の説が唱えられていたのかもしれない。
さて、長谷寺は、豊臣軍に滅ぼされた根来寺の僧たちが逃げ込んだ先のひとつであり、以来、新義真言宗豊山派を成した。
山門から本堂まで続く屋根つきの回廊の周りは、華やかな牡丹で彩られ……と言いたいところだが、此度は晩秋。土から数本の棒(牡丹)があちこち突き出ている、それは殺伐とした光景であった。
高所にある本堂の舞台は、京東山の清水寺にも劣らぬ立派なもの。
長谷寺の向かいの素盞雄神社のイチョウ(玉蔓の大銀杏:樹高40m)が見えた。
御本尊は、十一面観音。高さ10m以上の金ピカの像だった。
境内をゆっくり廻り門へ戻ると、某演歌歌手が自主制作のCDを街頭販売していた。
円さつきの「初瀬の恋唄」(B面:かけ橋)、誰か買ってあげて……。(ノ_・。)
大神神社の大神は、「おおみわ」と読む。決して「おおかみ/おおがみ」ではない。
山の名、土地の名の三輪(みわ)に、後から字をあてただけだと思われる。
ちなみに、星野之宣の「ヤマタイカ」の主人公の名は、神子(みわこ)。
大神神社の祭神は、オオモノヌシ。おまけに、オオナムヂ(オオクニヌシ)とスクナビコナ。
御神体は正面にある三輪山そのものであり、本殿はない。
傍には狭井(さい)神社、久延彦(くえびこ)神社があり、それぞれ病気平癒、知恵・学問を司る。
オオナムヂが葦原中つ国の国造りをはじめた頃、出雲の美保関に蛾の衣を纏ったちいさい神が舟に乗ってやってきた。が、誰もその神を知らない。
タニグク(蟇蛙)「クエビコなら知っているはず」
そこでクエビコに尋ねると、
クエビコ「その方は、カミムスヒの子のスクナビコナです」
クエビコとは、すなわち山田のカカシのこと。
それからオオナムヂとスクナビコナの国造りが進んだが、あるときスクナビコナはフッと常世の国へ消えてしまった。
オオナムヂ「私一人で、これからどうして国造りができるのか」
嘆き悲しんでいると、海の向こうから光り輝く神がやってきた。
「われの前をよく治め祀るならば、われがともに国造りを成そう」
オオナムジ「どう治め祀れば良いのか」
「ヤマトの青々とした青垣の東の山の上に祀れ」
これが大神神社の発祥。声の主は、オオモノヌシだったわけ。
そのオオモノヌシも、オオクニヌシと同一神格とされたり、わけがわからないのだが…。。
三輪山(三諸山)の神は蛇の姿をしているとされ、ゆえに供え物には必ずタマゴがある。(11/5、11/12参照)
また、京都の松尾大社とともに、酒造りの神でもある。
大神神社をぐるりと廻り、久延彦神社手前の展望台へ登ると、大和三山から二上山・葛城山・金剛山まで見渡すことができる。この景色は値打物だ。
帰り道はやはり、三輪そうめんをチェックしておきたい。
「池側」「森正」、ふたつの店を試したが、ふたつともおすすめしたい。
所在地
談山神社 長谷寺 大神神社
走行距離196.1km(うち高速道路120km) 燃費計12.8km/l
19.12.10(月)
11/23(一回目)の給油記録。
和歌山:254.7km(うち高速道路195km)
播州:162.1km
…を含む。
432.0km 13.3km/l(燃費計) 35.48L(レギュラー)給油 @143
432.0÷35.48=12.175… → 12.1km/l(満タン法)
12.1-13.3=△1.2
∴燃費計は、満タン法より、1.2km/l前後良く測定される。
今まで正確に算出したうち、最大のズレかも。。(ノ_・。)
19.12.9(日)
先月中旬の話。
播州の生石神社と高砂神社、浄土寺へ行った。
生石神社の生石は、「おうしこ」と読む。
加古川の西岸、高砂市の平野には、ぽつぽつ岩山があり、また石切場もある。
生石神社は、そのような岩山の頂上に近い、斜面にあった。
祭神は、オオナムヂとスクナビコナ。
出雲でともに国造りをした神として有名だが、播州でもお馴染みの神々。
それにしても、ここで目にしたものを、どう言葉で書けば良いのやら…。
困り果てた末、写真の力を借りる。ドン。
図に赤く着色した部分、これが日本三奇のひとつ、石宝殿。
数々の伝説はあるものの、実際に誰がいつ何のためにつくったのか、一切が謎の巨大石造物だ。
斜面から切り出した岩は、およそ7m四方。
岩の底は削られてくびれ、池の水面に姿を隠す。
あたかも水に浮いているように見えることから、浮石とも呼ばれる。
岩山の斜面の階段は、その岩山そのものを刻んで段としている。
少し登れば、大正天皇行幸の碑があり、周囲の印南野を一望することができる。
この日は叶わなかったが、天気次第では、姫路城の天守閣も見えるそうだ。(11kmの距離)
浮石を背後の上方から眺めると、巨大ブラウン管テレビに見えた。
この神社は、天正年間に播州入りした羽柴秀吉によって、一度焼打ちに遭っている。
秀吉の協力要請を断った当時の宮司は、神吉城主の弟だったらしい。
高砂神社は、高砂市の海岸近くにあった。
今は埋め立てで海岸線から1km以上離れているが、昔は砂浜は目と鼻の先だったろう。
生石神社とは対照的な真ったいらな境内は、高砂城址でもあった。
高砂の他、周辺の加古川、加須屋、神吉などは、羽柴秀吉の播州攻め(三木合戦)の際に、城方の補給路を巡って激戦地となった。
祭神は、スサノオ、オオナムヂ、クシナダヒメ。出雲神話で有名な面々だ。
高砂神社といえば、何といっても尉姥、相生の松が有名らしい。
尉姥は、「じょう と うば」と読み、「じいさん&ばあさん」の意。
地元では訛って、「じょうとんば」と読む場合もある。少なくとも相方は訛っていた。
相生の松は、(あいおいのまつ)と読む。要するに、夫婦仲を取り持つ縁起物であるが、現在は五代目相生の松が、四囲に枝を張り巡らせている。
浄土寺は、小野平野の東の丘にある。
西陽を受けてあかく輝く本堂の千手観音は、国宝指定。
16:00にここを訪れたが、空が夕焼けていなかった。orz
冬至あたりに、また来よう。。
所在地
生石神社 高砂神社 浄土寺
走行距離162.1km 燃費計13.5km/l 高速道路不使用
19.12.8(土)
恩田美栄だ、と思ったら沢田亜紀だった。
19.12.7(金)
浮野メールと
知人H氏の切り返しより抜粋。
♪♪
む っ か し ー む か っ し ~
う ー ら し ー ま は ~
た っ す け た カ メ に ~
連れられて拉致監禁。
♪♪
竜 宮 城 に ~
行 っ て み れ ば ~
目もあてられぬ拉致監禁。
19.12.6(木)
レガシィに特別仕様車について。
ついにB4でも2.5iが出るんだね。喜ばしいね。
スバルの公式サイトでは2.0Rを見なかったけれど、もしかすると、加わった2.5iの代わりに消滅したのかな。
高回転の伸びより力強いトルクの方が実用的だから、これはスバルの良い選択かも。
ただし、いい加減 4 A T は な ん と か し て 。
19.12.5(水)
早口言葉を考えてみた。
二回目で、舌噛んだ。
社 長 殺 傷 シ ョ ー
19.12.4(火)
先月の話。
世界各地の斜塔の傾きナンバーワンが論じられていたときのこと。
FM802から、「“傾いているトウ”と聞いて、皆さんは何を連想しますか?」
浮かび上がった連想 → 民 主 党
19.12.3(月)
先月中旬の話。
紀州の和歌山城と紀三井寺、根来寺へ行った。
和歌山城は、御三家のひとつ紀州藩(55万5千石)の城。
その割には、姫路城より貧相。
鉄筋コンクリート製の復原天守閣は、まるで古びた公民館的造りだ。
とはいえ、その城下町は壮大だったようだ。
城内のアレな動物園が忘れられない。
紀三井寺は、「きみいでら」と読む。
西国第二番札所。
和歌浦を見下ろす丘の上まで登るには、206段をクリアせねばならない。(浮野調べ)
フィギュアスケートのキミー・マイズナー選手の親衛隊
キミーボーイズは、ここを詣でると良いだろう。
そのときは、私も一緒に詣でよう。
根来寺は、「ねごろじ」と読む。
教義は、新義真言宗。アーメンさんでいうプロテスタントのようなものか。
室町時代後期には寺領72万石、その兵力は万に及び、ゆえに豊臣秀吉の征伐を受けた。
全山灰燼に帰す中、多宝塔と本殿その他わずかな建物が残ったという。
圧倒的な存在感を放つ多宝塔(大塔)は、国宝指定。
帰りの駐車場で、根来寺に住み込むニャンコとねんごろになった。
所在地
和歌山城 紀三井寺 根来寺
走行距離254.7km(うち高速道路195km) 燃費計13.7km/l
19.12.2(日)
ラップよりお経の方が音楽してる。
19.12.1(土)
某漫画の匿名希望選手を、再び落書きしてみた。
この選手はいわゆる
デレツンキャラなのであるが、前回(11/23)はどうやらデレ面のみのイメージで落書きしたらしい。
久々のシャーペン書きで描いてみると、自然とツンツンに描き上がってしまった。(ってか、別人)
チャイナ服がどういう構造だとか、後ろ髪をどう束ねているだとか、資料が無いので突っ込まないで。
19.11.30(金)
11/10の給油記録。
奈良:148.7km(うち高速道路77km)
奈良:1○○.○km(うち高速道路○○km)
播州:168.8km
…を含む。
465.6km 12.8km/l(燃費計) 38.21L(レギュラー)給油 @143
465.6÷38.21=12.185… → 12.1km/l(満タン法)
12.1-12.8=△0.7
∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。
19.11.29(木)
今月中旬の話。
播州と丹波へ行ってきた。
加東市の播州清水寺、篠山市の一眞坊、追手神社、丹波市の柏原。
播州清水寺は、西国第二十五番札所。
清水の舞台からは、チョッピリ色づいた紅葉が見えた。
南40kmの明石海峡大橋と淡路島は、モヤのため見られなかった。。
お昼は、一眞坊で蕎麦を食べた。
DONOと一緒にテレビで紹介されて、今や順番待ち必至の人気店。
開店の11:00丁度に入ったら、二番目だった。
11:20に出たときには、既に駐車場がいっぱいだった。
柏原へ向かう途中、左手に、大きなイチョウの木を見つけた。
立ち寄ってみると、追手神社という社の境内にあった。
雌雄のイチョウの巨木と千年モミに心奪われつつも、銀杏の匂いにダメージを負い、たまらず退散した。
柏原は、織田氏が治めていた小藩の城下町。
城下町といっても城は無く、行政の府は陣屋だった。
町を見守る八幡神社の丘の前にある木の根橋は、根っこが小川をまたぐ大木のこと。
でも、追手神社のイチョウとモミを見た後では、小さく見えてしまった。
…見る順番を間違えたようだ。orz
所在地
播州清水寺 一眞坊 追手神社 柏原
走行距離168.8km 燃費計14.0km/l 高速道路不使用
19.11.28(水)
11/4の給油記録。
親が給油してきて、走行距離がわからんくなった。orz
(燃費計測に興味あるのは、家中で私だけ…)
○○○.○km(最低420.8km以上) 12.7km/l(燃費計) 38.67L(レギュラー)給油 @145
420.8÷38.67=10.881… → 10.8km/l(満タン法)
10.8-12.7=△1.9
∴燃費計は、満タン法より、1.9km/l前後良く測定される。
いやいや、やっぱり推定40kmほど、距離にズレがあるなぁ。(ノ_・。)
19.11.27(火)
近頃流行の
ディーデルエンジンへ
バスやトラックの大型エンジンでもクリーンになったら、見直したげる。
ノ ー モ ア 黒 煙
19.11.26(月)
「ロマンシング サ・ガ 3」(R.S.3)より、カタリナとモニカ。
久しぶりに、鉛筆で描いてみた。
本作では描かれない、ゲームオープニング時点より9年前のシーン。
ロアーヌの貴族の娘・カタリナは、ロアーヌ侯ミカエルの妹・モニカの侍女兼護衛役。
その剣技と忠誠を買われ、若くして、先代ロアーヌ侯フランツから騎士に任じられた。
聖王遺物のひとつ・マスカレイドを賜わったのも、このときだった。
「お初にお目にかかります。カタリナ・ラウランと申します」
「聞いてるわ。 あなたが、これからわたくしのそばにいるのね!」
「左様でございます」
「年はいくつ?」
「十五でございます」
「ふぅん、わたくしより五つお姉さん、お兄さまより三つ妹なのね」
「モ、モニカさま、何をおっしゃられますッ!?」
「……ねえ、剣術と馬術が免許皆伝の腕前って、本当なの?」
「はい。昨年の春と秋に、いずれも奥義を授かりました」
「……………ねぇカタリナ、わたくしに剣と馬術を教えて! お父さまとお兄さまには内緒で」
「…モニカさま。モニカさまがかようなことをなさらずとも良いように、私がいるのでございますよ?」
「だって、だって……いつもの舞踏会とかでも、笑顔で踊っていながら心の奥底では何を考えてるかわからない者も、少なからずいるわ! みんな仮面をかぶってるのよ! 二週間前も、お父さまとお兄さまの暗殺未遂があったばかりで、犯人もわからないまま……。周りの小領主なんて、信用できないわ。ロアーヌの貴族さえも……あ、ごめんなさい! ラウラン家は別よっ」
「………モニカさまは、まだいとけない年頃なのに、よく世情のことをわかっておいで……。本当に、賢くて、お優しいのですね……。―――わかりました。学問、教養、散歩、学問、食事、入浴、学問……すべて終わってなお時間が余ったときは、そのときお教えしましょう」
「 え ゛ っ 」
「それで宜しゅうございますか? それでは残った荷物の整理がありますので、いったん失礼いたします」
「待ってカタリナ。それと―――いつも、どんなときでも、……わたくしの味方でいてね」
「いついかなるときもお守りします。宝剣マスカレイドに賭けて…!」
色塗り追加。