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イイね!
2008年06月02日

日記 ⑧

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、八冊目。

 日記       


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.7.22(火)

 日記帳が紙数尽きた。


 20.7.21(月)

 ああ、やってしまった。7/15参照。
 ついカッと(以下省略)

 はい、秋篠宮のおひぃさん、眞子内親王殿下のつもりでございます。
 宮内庁の方、いきなり私を消去するのだけは御勘弁を。
 その前に画像を消去する用意はございますので。

 いくつかの画像見てから、数年前の頃の画像のアングルを借用して描いてみた。
 B5の紙に、シャーペン描き。しるしのモッコウバラは適当。
 目は一重の切れ長、眉は比較的うすく、口は小さく、鼻、輪郭もととのってる。
 うん、別嬪さん。
  なお、胸のふくらみ具合は想像でk   ギャーーー  ゴボガボ   。。。    。。    。


 20.7.20(日)

 前日の続き。私は、基本に立ち返った。
 CDを石鹸あわあわ、丁寧に洗い、完全に乾燥させてから再生させた。(H19.9/22参照)

 ♪ いーまいーじょー そーれーいじょー アイされるーのにー
     あなーたはーそのー すきとおったヒトミのーままでー ♪


 CDは黄泉返った。またいつ本当に再生不能になるかわからないので、メディアプレイヤーのライブラリに取り込んでおいた。
 恋の予感、熱視線、碧い瞳のエリス、プルシアンブルーの肖像、Friend、微笑みに乾杯…村下孝蔵(リンク「永遠の歌人」参照)を知る前にハマっていた曲群に、久々に浸った。


 20.7.19(土)

 久しぶりに安全地帯を聴こうとCDをかけると、なんてことだろう、音がトんでいた。
 途中までは普通なのだが、サビに入るところで、

 ♪ いーまいーじょいーまいーじょいーまいーじょいーまいーじょいーまいーじょ…

 エンドレス。泣いた。


 20.7.18(金)

 少し前の話。
 通りすがりの方から、メッセージを頂いた。
 「楽しませて頂きました」の意の、簡潔な文面。
 いや、こちらこそこんなテキトーなページがお目汚しにならなんだかと、恐縮しきり。
 それにしても、一体どこらへんが楽しかったのかが気になったりする。
 プロフ関係かな、日記かな、おすすめスポットかな。


 20.7.17(木)

 腹筋筋肉痛になった。。
 【ニコニコ動画】リアルFF


 20.7.16(水)

 最近、今頃になって海音寺潮五郎にハマっている。
 悪人列伝を読破して、ただ今武将列伝の途中なり。


 20.7.15(火)

 世間では、眞子様佳子様人気(?)がえらいことになっている。
 ↓の動画で、えらい格好させられて、えらいセリフを言わされている。
 元ネタ知らんが、えらいこっちゃ

 高円宮が亡くなられたときは、その葬儀の娘さんの格好にビックリさせられ、「それに比べ秋篠宮のおひーさんは、なんて育ちが良いんだ~」とウルウルしていたのは私も一緒だが。
 まあ、でもアレだ。いささか歪んだ人気・興味も、無関心よりかは良いかもしれん。。
 時代は皇室萌えに向かっているのかはわからないが、とりあえず昭和天皇を描いてみた。

 一般のイメージでは、ぼんやり屋さんの風貌だけども、若い頃(新婚ホヤホヤ)の写真にものすごく男前に映っている写真がある。大正14年3月3日赤坂離宮にての写真。
 でも、写真見ながら描いたのに、あんまり似てない。(ノ_・。)ジモヘタダシ…

 国民の期待を一身に背負っていた日嗣の御子は、弱冠20歳で(大正天皇を補佐する)摂政に就き、25歳にして天皇に即位した。元号は、昭和。
 天皇とは、国家元首であり軍の最高指揮官であっても、内閣の決定を承認することしかできなかった(言うだけ言うことはできても、決定を覆す権限(拒否権など)はなかった)。この点、天皇は独裁者どころではない。
 やがて軍部が暴走し(省略)トースイケンノカンパンやらなんやら言い出されて(省略)クーデターまで起こされ天皇涙目(省略)なんやようわからんうちにイケイケな感じで戦争へ。
 大東亜戦争の直前のまでは、極力平和裏の道を探っていたが、いざ開戦すると「開戦すればどこまでも挙国一致でやりたい」とのたまい、緒戦の勝利を無邪気に喜んだ。
「戦争開始前には予告せよ」
「人類平和のためにも、いらずらに戦争の長びきて惨害の拡大しゆくは好ましからず」
「(油田地帯の占領の報を聞き)それはひじょうに結構だが、すぐ使えるか」
「(南方の快進撃が続き)あまり戦果が早くあがりすぎるよ☆」
「ミッドウェーの損害は誠に残念であるが、今後の作戦が消極退嬰にならざるようにせよ」
「なぜ飛行場をつくるのに米国の何倍の時間もかかるのだ」
「ガナルカナル島の撤退は遺憾である」
「次々に起こった戦況から見て、今度の戦争の前途は決して明るいものと思われない」
「なんとかして、どこかの正面で米軍を叩きつけることはできぬか」
「ニューギニア方面は、航空作戦も糧食弾薬の集積も少しはよくなっているか」
「海軍はいったいどうしているであろうか。なんとか叩けないかねえ」
「補給には一段と万全を期してもらいたい。補給の困難から窮地に陥るがごときことのあるのは、実に忍びないところだ」
「(特別攻撃隊の報を聞き)そのようにまでせねばならなかったか――しかしよくやった」
「ソ連が武力的に立ち上がることはないと思うか」
「(アルミ回収にあたり)家庭用品までは没収しないように」
「なるべくすみやかにこれ(戦争)を終結せしむることが得策である」
「この種の武器(原子爆弾)が使用せらるる以上、戦争継続はいよいよ不可能になった」

 実に、姑のようなこまごましさだ。その口出しは、
 ○ やる以上は、積極的にやる
 ○ なるべく国民の生活安定・兵の士気に気を遣う
 ○ 戦争の早期終結を図る
 ○ ソ連に対する恐怖

 …で筋が通っている。
 そして、降伏に向けて御前会議をひらいても、相も変らぬ小田原評定。。
 ここで天皇は、自己に与えられる権限を越えた。
 張作霖爆殺事件の甘い処分に対する首相への大叱責軍部のクーデターに対する大激怒以来、三度目の。いわゆる、終戦の聖断
 あの敗戦で日本は滅んだ、断絶した―――と、よくいわれる。ところが結局、天皇と皇室日本人がつくった法律は、未曾有の国難もなんのその。生きている。

 次々に襲いかかる苦難に立ち向かい、押し流され、這い上がった昭和天皇。
 この人こそ、立憲君主としての最高に属する君主だったと思ってる。
 血ゆえではなく、血統や立場の認識による自己鍛錬と自己制御の徹底ゆえに。

つ「昭和天皇語録」


 20.7.14(月)

 ラバウル海軍航空隊だ、と思ったら栄冠は君に輝くだった。


 20.7.13(日)

 先月上旬の話。
 播州の志方城、神吉城、御着城、廣峯神社、白國神社、ぱんだ、置塩城、櫃蔵神社、安志鴨神社、安志稲荷神社、安志姫神社、伊和神社へ行った。
 最初は、志方城、神吉城、御着城、廣峯神社、置塩城、山崎城、篠ノ丸城、伊和神社、波賀城、根日女の湯へ行く予定だったのだが、成り行きで変更した。

 志方城は、三木城から15km西にある城で、今は観音寺と志方小学校となっている。
 城主の櫛橋氏は、黒田官兵衛の妻の実家で、三木合戦の折に別所氏に味方し、落城した。 
 神吉城は、志方城から3km南にある城で、今は常楽寺となっている。
 城主の神吉氏は、三木合戦の折に別所氏に味方し、落城した。近隣の生石神社の宮司は神吉城主の弟であったため、焼き討ちに遭った。
 御着城は、志方城から7.5km西にある城で、今は姫路市東出張所となっている。
 城主の小寺氏は、播磨守護の赤松氏の庶流であり、三木合戦の折に別所氏に味方し、落城した。黒田官兵衛で知られる黒田氏は、小寺氏に重用され、小寺姓を賜っていた。
 上の三つの城は、戦国期の城ながら、周囲よりわずか数m高いだけの台地にある。

 廣峯神社は、姫路城から4km北の広峰山にある神社。
 のちにスサノオと習合されたインド渡来の神の牛頭天王を祀る。
 牛頭天王は、祇園精舎の守護神であり、ゆえに同じ神を祀る京の八坂神社は祇園さんと呼ばれる。また、悪疫を防ぐ神でもある。

 そみん‐しょうらい【蘇民将来】
 1 神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名。→ 茅(ち)の輪 2 疫病よけの護符の名。柳の木を六角または八角の塔状に削り、「大福長者蘇民将来子孫人也」などと墨書し、小正月に諸所の社寺で分与する。

 昔、北の海の武塔神(むとうのかみ)が、南の海神の娘に夜這い(!?)をかけようと出かけ、日が暮れた。
 その土地には、蘇民将来と巨旦将来の二人の兄弟があった。
 裕福な弟の巨旦将来は、武塔神に宿を貸すのを拒んだ。
 貧しい兄の蘇民将来は、貧しいながらも精一杯のもてなしをした。
 年月を経て、武塔神は八柱の御子を連れて還ってきた。
 そして蘇民将来に妻子の有無を問い、茅の輪を腰につけさせた。
 その晩、茅の輪をつけた者を残し、すべての村人がことごとく死滅した。
 「われはハヤスサノオなり。後の世に疫病あらば、汝は蘇民将来の子孫と言うがよい。茅の輪を腰に着けたる人は免れられよう」


 この蘇民将来伝説は、続日本紀(しょくにほんぎ)に見える話らしい。
 この話ゆえに、人々は蘇民将来の子孫であることを示し、疫病から逃れるわけだ。
 前述しているが、スサノオ/ハヤスサノオはヤマタノオロチ退治で知られる出雲系の神であるが、スサノオと合わせられる前の神の有り様が、牛頭天王である。
 そもそもこの伝説自体が、武塔神、巨旦将来、蘇民将来などの見慣れぬ名のセンスからして外来の色合いが濃厚だ。
 ↓(左)は、廣峯神社で販売されている蘇民将来の札。茅の輪つき。

 それに対し、八坂神社の札(右)は、札というより八角柱の木の塊…。
 「八坂神社に し か な い お守」と、特に強調している。
 そう、廣峯神社と八坂神社は、いずれも祇園信仰の総本社と主張して譲らないのだ…。

 廣峯神社からは、姫路の街がよく見える。姫路城の天守閣は4km南。さらに奥は播磨灘か。
 ちなみに、「ひろみね」と名付くこの地であるが、当てる文字は様々だ。
  神社名:廣峯神社→「峯」、山の名:広嶺山→「嶺」、住所名:広峰→「峰」
 なお、「廣」は「広」の旧字体であるだけである。

 廣峯神社には、社務所のとなりに、かわいいイラスト入りの犬小屋がある。
 住人(犬)の白いわんこは、ひろみねやまこじろう
 おとなしくて愛らしい、雄の老犬。こじろう、長生きしなよ。

 白國神社の「白國」は、「しらくに」と読む。
 昔は、「新羅訓」の字を当てていたらしい。
 新羅(しらぎ)のクニは、言うまでもなく古代朝鮮の国。
 この神社が、廣峯神社のある広嶺山のふもとにある。
 廣峯神社と八坂神社がどちらも祇園信仰の総本社と主張している件は先に述べたが、異国の風が強い(外来の神の牛頭天王を祀っていた)廣峯神社と外国の名を冠する神社がセットで存在したことを考慮すると、おそらく平安遷都以前には遡れまい八坂神社よりも廣峯神社の方が古かったと考える方が、自然だろう。
 かつてはかつての祀る神があったのかもしれないが、今の祭神は、コノハナサクヤヒメ。
 アマテラスの孫のホノニニギの嫁であり、花と岩の説話火中出産の説話で知られる。
 高天原から日向高千穂に降臨したホノニニギは、一人の美しい娘を見初めた。
 「そなたは誰の娘なのだ。兄弟はいるか」
 「オオヤマツミの娘、コノハナサクヤヒメと申します。姉に、イワナガヒメがおります」
 「われはそなたを妻にしたい。如何?」
 「えっ…それは、父がお答えしましょう」
 話を聞いたオオヤマツミはとても喜び、姉のイワナガヒメも一緒にニニギに嫁がせた。
 ところが、イワナガヒメはあまりに醜かった。
 ニニギはイワナガヒメを一目見るなり親許へ送り返し、コノハナサクヤヒメのみ留めて一夜の契りを交わした。
 オオヤマツミは、イワナガヒメがつき返されたことを恥じ、怒り、ニニギを呪った。
 「われがなぜ娘二人をおくったか、おわかりか。イワナガヒメを娶らば天つ神の御子のお命は岩のごとく永久に続き、またコノハナサクヤヒメを娶らば木の花の咲くがごとく栄えるはずと、祈りを込めて二人差し出したのだ。それをかくのごとくいたしたからには、天つ神の御子のお命は、山に咲く木の花のごとく散り落ちようぞ」
 ために、今に至るまで大君たちの命は、長くなくなってしまった。

 「あの…わたくし…ニニギさまの御子を身籠ったようです」
 「!―――そなたは、あの一夜の契りで孕んだのか。それはわれの子ではなかろう、そこらの国つ神の子だろう」
 ブチキれたコノハナサクヤヒメは、戸のない宮殿をつくらせ、土で周りを塗り固めさせ、火をかけた。
 「天つ神の御子ならば、きっと何事も起こりますまい」
 女の、決死の誓いだった。
 燃え盛る炎の中、コノハナサクヤヒメは無事に出産し、潔白を証明した。


 置塩城の置塩は、「おきしお」と読む。
 播磨の名族・赤松氏の嫡流の城として長くあったが、羽柴秀吉の進出に際し早々に降った。
 実は、時間の都合により登山口のみ。登ってない。。(><)
 櫃蔵神社の櫃蔵は、「ひつくら」と読む。
 置塩城で祀っていた神を、秀吉に降った折に、城の周りの三ヶ所に分祀したらしい。
 置塩城の城山、ふもとの櫃蔵神社、足もと流れる夢前川。その河川敷で、子供連れの数家族が車で寄りあってバーベキューをしていた。ガンガン音楽をかけて。(ユーロビート?)
 BBQは大いに結構だが、川のせせらぎ、野鳥の声…自然の音楽を殺すBGMはどうだろう。。

 安志鴨神社は、上賀茂神社から分祀された神社。安志稲荷神社も一緒にある。
 ふところ深くて巨木も多い。壮大で心洗われる境内。
 中国道から見える大きな赤い提燈は、社のナイル書店のラクダ並に有名である。
 安志姫神社は、安志の郷の土着の女神を祀る神社。
 安志姫は、同じく土着の伊和大神の求婚を、キッパリ断った。
 そのため、嫌がらせを受け、この郷を流れる川の水量が減ったそうだ。

 伊和神社は、土着の神の伊和大神を祀る。
 あるとき、一晩にして杉や桧がニョキニョキ伸びて生い茂った。それはトトロの森のように。(?)
 そして大きな鶴が二羽、森の石の上に止まった。
 「われを祀れ」とのお告げを聴いた豪族・伊和恒郷は、ここに伊和大神を祀った。
 伊和大神は、出雲系の神のオオナムジに習合された。

 おすすめスポット タグ 羽柴秀吉の侵掠 タグ 黒田氏 タグ 夢前 タグ 安富 タグ 宍粟

 走行距離 約227km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.7.12(土)

 童謡うさぎとかめの一番を、軍歌戦友のメロディーにのせて歌うと、なぜかしら凹む。


 20.7.11(金)

 先々月下旬の話。
 二通の封筒が来た。同じ封筒、同じ文面。
 <ご案内>
 このたびは、「春ものがたり スタンプラリー」にご参加いただきまして有り難うございました。
 抽選の結果、あなた様がご当選されましたので、3施設(立杭陶の郷、兵庫陶芸美術館、こんだ薬師温泉ぬくもりの郷)の招待券を同封いたします。(後略)   やきものの里 プロデュース倶楽部  代表 I野 K司



 そうだ、GWに篠山市の今田へ行った折、スタンプラリーが催されていたため、親戚の分もみんな浮野様方と書いてもらって応募したのだった。5/26、29参照。
 六人中二人当選――くじ運の悪い私としては、盆と正月がいっぺんに来るくらいの大当たり。
 これがどれくらいの額かというと、
  立杭陶の郷  200円×4=800円
  陶芸美術館  700円×4=2,800円 (原則900円。700円になる割引券は、簡単に入手可)
  ぬくもりの郷  600円×4=2,400円
 都合、6,000円相当なのだ!

 「聞いて聞いて!(以下省略)」
 「…。それって、今年の運、全部使ったんちゃうん?」        orz


 20.7.10(木)

 自分の記憶を疑いたくなるほどの、曖昧な、記憶の海に澱んだ記憶。
 昔、映画子猫物語のあとだったと思うが、子犬を主人公にした映画を見た覚えがかすかにあるのだ。といっても、チャトランの相棒・プー助を主人公にしたTVドラマ子犬物語ではない。

 どんな映画だったか、整然と思い出せないので、箇条書きで書いてみよう。
 ○ 主人公は、年頃の娘(20歳前後?)に飼われる日本犬(?)の子犬。
 ○ 飼い主の娘の住む地方の町に、温泉が湧き出ることが判明する。
 ○ 温泉で町興しを図る一派と、従来の環境を守る一派(飼い主が属する)に分かれる。
 ○ 主人公が、夜中に墨と紙と前足で文字を書く。飼い主宛ての感謝の言葉か?
 ○ 主人公が、飼い主のもとを離れる。
 ○ 町中のペットの犬が大脱走する。広場(?)に集結?


 はっきりした筋は覚えていないが、流れからいって、犬の総意(?)で環境保護派が勝利したのだと思う。これが一体何という映画だったのか、いくら調べても今もって不明である。
 本当に、本当の記憶なのか―――いや、

 映画を見たとき、当時の父が(実に大人気ないことに)
 「犬が字なんて書けるわけない」
 …と意地悪を言い、それに対して姉弟で
 「そんなことないもん! かしこい犬やったら、書けるかもしれへんやん!」
 …と涙目で抗議した記憶も、セットであるのだ。

 こういう内容の映画は確かに存在したのだと、かろうじて思う。
 この作品を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ作品名をご教授願いたい。


 20.7.9(水)

 先々月末の話。
 丹波篠山のドーノ、播州加西の県立フラワーセンターと東条の冷泉為勝・依藤太郎左衛門之墓へ行った。

 「フラワーセンターで、チューリップの球根掘りやってんねんて!」
 「それより、お城…」「球根」
 「神社…」「 球 根 」   orz コンマケ。

 兵庫県立フラワーセンターは、加西ののんびりとした丘陵の地にある。
 土地が広いのに駐車料金500円を徴収するのが、いまだに納得いかない。(><)
 さて、百均で買ったスコップ持って、いざ出陣。
 広大なお花畑でセッセコセッセコ掘るのかと思いきや、案内された場所には、枯れたチューリップの植わった植木鉢が何百何千と置かれていた。
 その植木鉢は、三段ずつ積み重ねられていて、それが一人当たりのノルマだという。
   ザック ザック
 一所懸命、丹念に掘り返す。
   ザック ザック   サクッ
 あああ球根を一刀両断…。どこが丹念なんだか。。
 …こうして、やっと植木鉢一段を全部掘りおこすと、周りのオバチャンたちは既に三段目に突入しているではないか! 手つきが明らかに違う…こいつぁリピーターだ!
 われらが二段目を相手に奮闘している頃には、周りはもうノルマの三段を終えていた。
 「(フラワーセンターの)お兄ちゃん、次の分、持ってきてやー!」
 百戦錬磨は、再び積まれた植木鉢を見るや、もうひと戦をはじめた。
 その速さと正確な動きはスタープラチナを思わせた―――。
 …かの軍団が六段+αを平らげホクホク顔で帰ろうとしていたとき、われらはやっと三段すべてを掘りおこし、掘りおこした球根の土を払っているところだった…。
 持ち帰った球根は、三品種。品種名は失念したが、ひとつは「紫雲」だったと思う。
 球根は母にあげた。(園芸は人任せ)
 来春、三種のチューリップが花咲かす。どんなカタチ、どんな色?


 冷泉為勝は、播州細川庄の冷泉氏の嫡男。藤原惺窩の兄。7/4参照。
 依藤太郎左衛門は、その昔に赤松氏の被官であり、東播において別所氏と勢力を争っていた依藤一族の長者。
 依藤氏は、嬉野(うれしの、旧社町の東南部の台地)から東条谷(旧東条町の南西部の東条川沿いの土地?)にかけて勢力を張っていた。嬉野と東条との旧町境に、依藤野(よりふじの)という地名が残っている。しかし依藤氏は、戦国時代中期に衰え、その所領は別所氏に蚕食された。どうやら、凋落した依藤氏の子孫は、旧領の南の豪族・冷泉氏の家老的存在になっていたようだ。その名が、依藤太郎左衛門。一時代前に強勢を誇った依藤氏の当主と、同じ名。
 冷泉氏は、1578年の三木合戦の手始め(?)に別所氏に一揉みに潰されたのであるが、細川庄のひとつ北の依藤氏が別所氏に駆逐される中で、たかだか数百名しか動員できない冷泉氏が、どうして戦国時代後期のこの時点まで別所氏に追いやられなかったのだろうか
 三木合戦までは、冷泉氏は別所氏に臣従していたのか。あるいは、対等な同盟関係にあったのか。それとも、歌詠みで知られる冷泉の血筋が、のんびりとした播州では畏敬の目で見られており、独立の態を保っていたのか。
 ともあれ別所氏にとっては、三木合戦――別所氏にとっての乾坤一擲の大いくさ――の前に、三木城からほんの4kmほど北東の敵勢力(冷泉氏は別所氏の誘いを断った)を放置できるわけはなかった。
   コケコッコーー! コケーーココ!
 「んん、やかましぃなあ」
   ワンワン ワン!
 「! …たれか、誰かあるッ!」
 まだ人影がやっと見えるほどの早朝、播州細川の冷泉館は敵軍に強襲された。
   わー わー  ギャーー!
 「殿、敵兵でおざります!」
 「やはり、別所かや」
 「はッ、ざっと二百。残るは塀一枚、お味方の人数では到底…」
 「…為勝は、どこや」
 「兵の踏み込む前に、ご家老さまがお連れになられました」
 「ええ判断や。そなたはおなごどもを、羽柴さまの許へ落としてくりゃれ」
 館はあっという間に落とされ、下冷泉家当主の為純は別所の兵に討たれた。
 家老の依藤太郎左衛門は、軍兵の気配、甲冑の擦れあう音にいち早く感付き、主家嫡子の為勝をさらうように連れ去り、北へ逃れたのだった。
 為勝と太郎左衛門は、冷泉館の半里北の桃坂峠にて振り返り、館から黒く立ちのぼる煙を見た。
 「太郎左衛門! ……そなたはよくも…うぅ、おもうさんが…」
 「若、うろたえ召されるなッ! 父子の討死には、お家の滅亡。殿がご武運拙く討たれようとも、若が仇を討てば宜しい!」
 「うぅう~…」
 「若、気を落とされますな。嬉野までゆけば、わが旧領。顔馴染みも多く居りますゆえ、身ひとつのわれらならば…」
 「た、た、太郎左衛門!」
 「は? ……は、はぅあッ!」
 遠く、別所の兵の一部が明らかに桃坂峠に向かって来ていた。嫡男の首がないことに気が付いたのだろう。
 為勝主従は、脱兎の如く逃げ出した。道を変え、すれ違う百姓に口止めを約させ、さらに二里も走った。しかし、血に濡れた刃を前には、よほどの義理がなければ嘘をつける訳がない。別所の兵は、確実に迫っていた。
   ゼーゼー ハーハー
 「若、この榮枝の坂を越せば、嬉野ですぞ」
 「太郎左衛門、もうよい。こなたはもう歩けぬ」
 「若!」
 「それに、もう坂の下まで来ておるわ。ほれ、見えたわ」
 「うぐッ、無念…!」
 「太郎左衛門、よう此処まで供してくれた。かくなる上は、ひと思いにやってくりゃれ」
 「しからば御免!」
 冷泉為勝と依藤太郎左衛門の主従は、嬉野を前にして自害した。

 峠の手前の墓碑を見て、こういう風景が思い浮かんだ。
 三男の藤原惺窩がこのとき18歳であったから、長男の為勝は二十代前半くらいだったろう。
 地方に下向した公家が、半世紀の間にどの程度武家化したかは、明らかでない。


 加東・加西を走っていると、時折、黄金色に輝く小麦畑があった。(減反政策の一環?)
 スペインの小麦畑とは趣が異なり、ひどく日本的な背景。そこがまた新鮮なり。

 おすすめスポット 兵庫県立フラワーセンター タグ 三木 タグ 羽柴秀吉の侵掠

 走行距離 約109km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.7.8(火)

 ブタクサと具だくさんは、響きが似ている。


 20.7.7(月)

 バックミラーとサイドミラーは、距離感が異なるので注意を要する。

 …ところで、バックミラーのことをルームミラー、サイドミラーのことをドアミラーとも聞くが、用語としてどちらが適切なのだろうか。


 20.7.6(日)

 5/30の給油記録。
 この間、レガシィを使っての遠出(行楽)は無かった。

 219.5km(高速道路不使用) 9.3km/l(燃費計) 25.47L 給油 レギュラー@152円
 219.5÷25.47=8.617… → 8.6km/l(満タン法)
 8.6-9.3=△0.7

 ∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。
 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、219.5km走って 8.6km/l

 一見、今までより格段に街乗り燃費が良いのだが、これには理由がある。
 病院の送り迎えのため、信号が少なめの道を何度か往復しているからだ。


 20.7.5(土)

 別の話になってる。 orz イヤァァ!
 逃げてー!


 20.7.4(金)

 先々月下旬の話。
 播州三木の細川庄、湯庵、平田山などへ行った。

 細川の庄は、三木城から北東4km付近の郷。
 中世、ここは京の公卿に発する冷泉家の所領であった。
 この日の最初に、ここの藤原惺窩誕生地と大雄寺に訪れた。

 藤原惺窩は、細川庄を現地で治めていた冷泉家の三男として生まれた。
 冷泉家は、藤原の一門で、鎌倉時代に一族内の所領争いが紛糾し、南北朝時代に二流に分かれた。(藤原惺窩が「藤原」を名乗るのは、辿れば源平藤橘の藤だから。しかも、血統が確かで近しい。清和源氏の武田勝頼も、正式には源勝頼と名乗っている)
 応仁の乱で今日が荒れ果てたのち、上冷泉家は駿河の今川氏の食客となり、下冷泉家は(所領争いで勝ち取った)細川庄に下向し、そのまま留まった。
 天正年間の三木合戦(別所氏を中心とする播州の諸勢力が、中国の毛利を頼みにして、羽柴秀吉ひいては織田勢力に抵抗した戦い)において、冷泉氏は別所氏につくことをためらったため、別所氏の襲撃を受けた。1578年4月のこと。
 ゆっくり歩いても半刻もかからぬ距離、冷泉氏にとっては奇襲となった。東播一の屈強な別所の兵の攻撃に、当主の冷泉為純は討死に。嫡男の為勝は凶刃を逃れたが、のちに討手に追いつかれ自害した。

 藤原惺窩誕生地は、まさにその襲撃地、冷泉氏の館跡でもある。
 三男の惺窩は、幼い頃から龍野の景雲寺に入っていたため、このとき不在だった。(おそらく「惺窩」は僧か学者としての名と思われる。一族伝統の「為」の字の入った名があったろうが、いくら調べても資料に無い…)
 悲報を聞いた惺窩(当時18歳)は、残された一族を連れて京の相国寺に入った。
 1578年当時の中央は、織田勢力が(継続中の石山合戦を除き)地盤を固めていた。
 別所氏を含む播州や丹波の諸勢力は、以前は織田氏に協力的で、それなりの友好関係も築いていた。そこに、1578年になって一気に離反が相次いだのだ。二年先だって織田に抗していた波多野秀治(丹波八上・現篠山)、その波多野氏と姻戚関係にある別所長治(播磨三木)、織田の有力な被官にまでなっていた荒木村重(摂津有岡・現伊丹)――。
 これら反織田の勢力は、みな一様に中国の毛利氏の応援が計算にあった。
 織田氏、そして播磨方面の攻略を担う羽柴秀吉にとっての幸運は、元播磨守護の赤松氏(置塩城の嫡流、龍野城の庶流)と播磨御着の豪族の小寺氏の重臣・黒田官兵衛孝高(姫路城を保有)が自陣に留まったことだった。
 最前線は、西播の要の上月城。ここに毛利氏と宇喜多氏の三万を超える軍勢が殺到し、上月城に籠もる織田方の尼子残党(主は尼子勝久、将は山中鹿介幸盛)が孤立した。
 戦線は延びきっていた。しかも、危うい。
   上月 ←22km→ 龍野 ←14km→ 置塩/姫路 ←28km→ 三木 ←40km→ 有岡 ←40km→ 京
 しかもこれは直線距離であって、現実には摂播の山川が幾重にも並んで阻んでいるのだ。さらに背後の要所を敵勢力に脅かされては、戦ができるわけがない。
 羽柴秀吉の主君・織田信長は、三木攻めを優先するよう命じた。
 秀吉は追撃に苦しみつつ上月から撤退し、上月城は降伏、落城した。尼子勝久は切腹し、囚われた山中鹿介は、のちに謀殺された。1578年7月のこと。

 京に逃れた惺窩少年は、一族の悲劇と報復、家の再興を羽柴秀吉に熱く訴えたことだろう。
 冷泉家は弟の為将が継ぎ、さらにのち、惺窩の子の為景が継いで、公卿として再興した。
 惺窩自身は一心に学問に打ち込み、朱子学を軸とする儒学の大家となった。
 ただそれは、日本人の感覚とはかけ離れたものだった。
 簡単に言えば、学問(科挙)によって高官になることができる中華の国に憧れていたのだ。
 そのため、一度は渡海も試みたが、失敗に終わった。
 「ああ、どうして中国に生まれず、またこの国の上世に生まれずして当世に生まれたのだ!」
 論語を聴いても文字通りのチンプンカンプン、それどころか刀槍・弓箭をもちいて寸土を争う日本が、心底嫌になったのだろう。家を滅ぼされたトラウマもあったかもしれない。
 そんな惺窩は、慶長の役において捕虜として連行された朝鮮の儒者・姜沆と話が合った。
 姜沆が朝鮮に帰るときに惺窩がかけた言葉は、
 「明と朝鮮の軍で、日本を攻めとってはくれまいか?」―――だった。 orz コイツ…

 平田山は、三木城より1.8km北西の山で、三木合戦の際に羽柴秀吉の部将・谷大膳の陣があった場所。谷大膳は、ここで毛利と別所の軍勢と戦い、討死にした。平井山との区別に注意。
 羽柴秀吉は、織田信長の嫡男・織田信忠の軍勢を支援に、三木城の支城群を踏みならした。野口城、神吉城、志方城、端谷城、高砂城…有力な豪族が次々に降された。秀吉は平井山を本陣とし、三木城の周囲に幾つもの付け城(城を攻めるために城のそばに築く砦)をつくり、包囲の態勢を整えつつあった。
 しかし、別所氏もただ指をくわえて見ているだけではなかった。10月に謀叛した荒木村重と連携し、毛利氏からの海上補給を兵庫の湊で陸揚げし、花隈城から山田の郷、丹生山、淡河を抜けて山中から兵糧を運び入れる路を確立したのだった。
 村上水軍をはじめとする毛利水軍は、1578年12月に石山本願寺への兵糧搬入を企図するも、九鬼水軍をはじめとする織田水軍の鉄甲船を前に敗退し、頓挫した。これで摂津河口の制海権を失ったが、1579年3月には三木城への兵糧搬入に成功している。
 1579年2月、三木城に籠もる別所氏は、決戦を求めて北東3kmの平井山に出陣した。その兵数、三千五百。しかし、強襲もむなしく、多数の死傷者を出して退却した。この戦いで、別所長治の弟・治定が討死にした。
 1579年5月、丹生山の明要寺砦が陥落。6月、淡河城(当時の名は上山城)に攻め寄せる羽柴秀長(秀吉の弟)に対し、淡河定範は、多数の雌馬を放つ奇策で羽柴勢を撃退し、その後は城を放棄して三木城に入った。
 ここに、前述の兵糧搬入の路は閉ざされた。
 次に毛利氏は、雑賀党の門徒数千に兵糧を持たせ、数百の護衛の兵をつけて三木城に接近した。(加古川~美嚢川を遡ってか?)三木城からも兵を出し、三木城包囲網の西を破って兵糧を運び入れる策だった。1579年9月のこと。
 別所の兵三千が平田山の谷大膳衛好(たにもりよし)の砦に殺到した。谷大膳も名の知られた勇将であったから、薙刀をふるって応戦したが、別所の兵の槍にかかって討死にした。
 しかし善戦もそこまで、羽柴秀吉の援軍が駆けつけ、急を救ったのだった。(平井山~平田山間は、東西3.5kmの距離)別所の軍勢は一気に苦境に陥り、一千名近い死者を出しながら城に退いた。兵糧の大半は、羽柴勢の手中に帰した。
 結局、またもや兵糧搬入の目的は達せられなかったのだった。以後、別所方の活発な行動は失せた。
 1580年1月、別所長治は、一族の命を代償に城兵と領民の助命を羽柴秀吉に訴え、秀吉はこれを快諾した。

 今はただ恨みもあらじ 諸人の命に代わる わが身と思えば   別所長治 辞世

 当主・別所長治(23歳)、妻・照子(22歳)、子・竹姫(5歳)、虎姫(4歳)、千松丸(3歳)、竹松丸(2歳)
 弟・別所友之(21歳)、妻(17歳)
 叔父・別所吉親(38歳)、妻・於波(28歳)、子二名
 その他 家老・三宅治忠をはじめ侍大将、側室、侍女等 多数
 …が、刃をその身に喰い込ませ、命を断った。ここに、1年10ヶ月に及ぶ三木合戦は終息した。

 数十名が集団自決する様は、想像するだに無惨であるが、この死は無駄にならなかった。
 羽柴秀吉はボロボロになった三木を立て直すために租税を免除し、三木の民は徳川の世になっても秀吉の法を盾に永代免租を勝ち取ったのだから。
 普通に考えたら、秀吉の政策は戦後復興のための措置なのであって、江戸時代以降はその必要性も失ってるだろうに、三世紀近くも租税無し。
 戦乱の後代の三木の民は、非常な幸運であったといえる。

 湯庵(ゆうあん)は、三木城の西3kmの平野(三木市別所町這田)を見下ろす丘にある。
 たぶん完全に民間経営のスーパー銭湯だ。
 というのは、料金体制が小刻みでややこしく、高いからだ。
 なんと、土日祝890円。平日でも785円。
 よかたん600円、ゆぴか700円、というふうな「わかりやすさ」が無い。
 メリットは、館内着・タオルの無料貸し出し複数回入浴可
 メリットが薄い人の方が多数なような気がする。
 それでも、女性スタッフはヨカッタので(そこかい!)、一度試しに行くも良いかと思う。

 おすすめスポット タグ 三木 タグ 羽柴秀吉の侵掠 タグ 女性スタッフが良い

 走行距離 約94km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.7.3(木)

 Now And Then~失われた時を求めて~だ、と思ったらEverything (It's you)だった。


 20.7.2(水)

 謎だったイースⅢのサウンドトラックの曲名を自己解決した。6/30参照。
 歌詞を適当に検索かけたら、中国語の混ざった妙なページがかかり、ここの11月10日の項に載っていた。
 曲名は、千年 Loving(プッ)旅立ちの朝より。
 歌詞をすべて読むと、確かに覚えがある。間違いない、この歌だ。
   遥かな時 さまよう旅人は
   風の中で 優しく微笑んでいる
   燃え上がる炎 夜空を染めていた
   月日は流れて 時代は移り行く
 (一部抜粋)

 そして、検索の副産物(?)がひとつ。
 こちらのサイトこのページが検索上位に出たのだが、内容は個人的につくってネット公開している詩
 その詩の一節に、
   遥かな時さまよう旅人は 風の中で優しく微笑んでいる
 …という言葉がある。
 そう、千年 Loving(ウププ)の冒頭の歌詞と同じなのである。
 ごく小さい規模とはいえ、歌詞の盗用疑惑は濃厚だ。(もちろん、偶然の一致もあり得る)

 日本の音楽界を見渡しても、歌詞の盗用疑惑は頻々と起こる。
 盗用側は、「こんなマイナーなん、少しだけパクッっても誰もわかるわけないわ」
 …と思うのかもしれないが、ピンとくる者はくるもんだ、と思った。


 20.7.1(火)

 これは経験則だが、てるてる坊主をあまりリアルにつくってはならない


 20.6.30(月)

 なぜだか急に、中学のときに借りたゲーム音楽の歌を思い出した。
 イースⅢだったと思う。ゲームはプレイしていないが、サウンドトラックを借りたわけだ。

   ♪遥かな時 ??旅人は
    ??の中で 優しく微笑んでいる  燃え上がる炎~♪


 出だしは、こんな感じの歌詞。
 この歌を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ曲名をご教授願いたい。


 20.6.29(日)

 今月11日の話。
 映画評論家の水野晴郎氏が亡くなったそうだ。氏の冥福を祈る。
 シベリア超特急は、なんだかんだで一作目しか見てないので、レンタルで続編が有れば借りてこようと思う。






 20.6.28(土)

 「今日、本当にコールドできると思う?」
 「で、できる…かどうかはともかく……狙います」

 私は今 第9巻のこのコマを見て、"寄生獣のような言い回しだ"と思った!


 20.6.27(金)

 愛おしきは 休前日の夜
 からだもこころも弛緩させる それは
 ファミリーのメディカルチェアに似て


 20.6.26(木)

 みんカラのブログをチョコチョコ拝見していると、そこそこ誤植がある。
 大体相場は決まっていて、
  確立× → 確率○
  自身× → 自信○
  以外× → 意外○
 …などが多かったりする。
 そんな観察をしてる私自身も、自分の日記を読み返すとビックリするほどの誤表記をしていることがある。推敲してるつもりでも、あやしいものだ。
 …という訳で、この日記は後から追って訂正が入ることがしょっちゅうある。


 20.6.25(水)

 私はかなり忘れっぽい。H19.13/15参照。
 だから、思いついたことがあったらメモをつける。
 日常のこともあるし、ネタ的なものも多い。
 省略して走り書きすることも、ままある。

   スヌーピー  スクイズ   !?

 そして、速記したネタを解読できないことも。(T-T)?


 20.6.24(火)

 街角で、ペットの小型犬を抱きながら歩いている初老男性がいた。
 あれを、犬の散歩とはいうまい。人の散歩…ただの散歩でもあるまい。
 いうなれば―――犬を重しにした筋トレをしながらの散歩、であろうか。
 まったくもって、不可思議な光景である。


 20.6.23(月)

 竜の柩だ、と思ったら黒龍の柩だった。


 20.6.22(日)

 先月下旬の話。
 播州の姫路市役所、摂津三田のエス小山へ行った。

 現在、姫路市役所イーグレひめじには、春に盛況だった姫路菓子博2008の作品の一部が置かれている
 姫路菓子博は菓子博史上最大の人出となったらしいが、高い(入場料二千円)し、んな人混みの中やってられん、ということで、ついに行かず仕舞いだったのだ。
 姫路市役所の北館に展示されている白鷺の夢は、菓子博では三時間待ちの目玉だったとか。とりあえず数年は、ここで公開するそうだ。そんな白鷺の夢は、こんな感じ。↓

 これは大作だ。唸らざるを得ない。しかし、だ。
 これはすべて菓子で出来ていて、それでいて永遠に食べられることのない運命なのである。
  菓子とは何か
  食まぬも菓子か
  工芸の材に過ぎぬのか
 一抹の疑問が頭をぐるぐる巡ったが、結局、閲覧無料という事実の前に、キレイに消え去るのだった。

 ここで、相方が「あっちにひめかおるで」と言ってきた。
 ひめかとは、姫路菓子博2008の公式マスコットキャラクターである。
 「ひめか? あんなペラペラのキャラ、立体化不可能に決まってほぇああ!?

 そこには確かに、三次元のひめかがあった―――。

 イーグレひめじは、姫路城のすぐ南にあるビルで、姫路菓子博の小作品のいくつかを展示していた(すでに終了)。
 兵庫県の和菓子屋・洋菓子屋がそれぞれ力作を出品しており、特に甲陽園の津曲(つまがり)が目立った。白鷺の夢も、ほとんど津曲の製作である。
 この名に聞き覚えがあるな、と思い転生前のブログを確認すると、2006年4月8日に夙川花見のついでに行っていたようだ。シュークリームが美味しかったと記憶している。
 イーグレひめじの北側はガラス張りで、姫路城の天守閣との距離は600mある。
 城の台地と似た高さから、城の台地全体を撮った。意外に珍しいアングル。


 パティシエ エスコヤマは、三田のゆりのき台の一角を占めるケーキ屋さん。
 ケーキ販売、ジャム販売、チョコレート販売、喫茶…と、いくつも軒を並べており、駐車場は常に満車、ケーキを買うにも三十分待ちは必至という有様。
 エスコヤマの主力商品は、コヤマロール
 TVチャンピオンだか何かで賞を獲ったことがあるらしい。(されど、同様にTVチャンピオンに出場した井出商店のラーメンを味わうためだけに和歌山へ行き失望したことがあるので、この手の名声に惑わされることは無かった。)
 四十分待ちでコヤマロールとビンに入ったプリンを、別棟でキウイのジャムを買った。
   [のちに写真挿入]



 <編集中>

 おすすめスポット タグ 姫路 姫路市役所 北別館 姫路城 パティシエ エスコヤマ

 走行距離 約162km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.6.21(土)

 後退させる事前に後方を確認しないドライバーは、免許を返上すべきであろう。


 20.6.20(金)

 ちんさくん
 こやつもまた泡沫ゆるキャラのひとつなのか。

 > 特技 歌、ダンス、部屋探し 空を飛ぶ(時速3000km

 ブービーを超え、白銀聖闘士並みやがな。


 20.6.19(木)

 新機能何シテル?は、友達零人の私にとってほぼ意義の無い機能と判明した。(ノ_・。)グスン


 20.6.18(水)

 先月の話。
 植木鋏を手にして、チョチョイと剪定してみた。
 きっちりかたちをととのえ、左右対称、シンメトリカルに… フンフンフフ~ン♪ 楽勝楽勝

   パスッ パスッ     あ。

 か…刈り込みすぎた。
 こりゃシンメトリカルやのうて、新芽刈り取るやわ。orz


 20.6.17(火)

 先月中旬の話。
 播州の神出神社/裸石神社/姫石神社、たこ磯、稲爪神社、子午線交番、中崎公会堂、王塚古墳へ行った。

 兵庫県は、旧分国でいうと、五つの国からなる。
  播磨
  但馬
  淡路
  摂津
の一部
  丹波の一部
 …である。(だから、画一の「県民性」を語るのは無理な話である)
 各分国が現在の行政地区にどう当てはまるかというと、
  播磨 : 姫路市 相生市 赤穂市 たつの市 太子町 上郡町 佐用町 宍粟市
       福崎町 市川町 神河町 西脇市 多可町 加西市 加東市
       加古川市 高砂市 稲美町 播磨町 三木市 小野市 明石市

  但馬 : 豊岡市 養父市 朝来市 香美町 新温泉町
  淡路 : 淡路市 洲本市 南あわじ市
  摂津 : 神戸市 芦屋市 西宮市 尼崎市 伊丹市 宝塚市 川西市 猪名川町
  丹波 : 篠山市 丹波市
 …だいたい、こういう具合になる。ただ注意しなければならないのは、
 昔の国境と現在の行政の境とが、一致しているわけではない、ということである。
 上では、神戸市を摂津に含めた。
 しかし、神戸市であっても、摂津ではなく播磨に相当する地域がある、というわけ。

 具体例を挙げる。
 海岸沿いの播磨と摂津の国境は、須磨の鉄拐山・鉢伏山の西を流れる境川にあった。海に突き出た山が、国を隔てていたのである。(ただし、須磨も播磨で、兵庫が国境との説あり)
 また、現在の神戸市北区に山田町という郷があるが、この北には500m級の山が折り重なり、この山塊が国境となっていた。これより北にある郷は、淡河(おうご)
 要するに、現在の神戸市のうち、垂水区西区須磨区の一部多井畑厄除八幡宮より西側? )、北区の一部(淡河)は、播磨なのである。

 前置きが長くなったが、おすすめスポットをアップする際に県名と旧分国名の食い違いに気付き、これをきっかけに調べてみたので、この場に記した次第。

 この日に最初に訪れたのは、神戸市西区(つまり、播磨)の雌岡山(めっこさん)。
 三木や志染より、4.5kmほど南の土地にある、雌雄一対の山の片割れだ。
 この雌岡山に、神出神社、裸石神社、姫石神社があった。
 神出神社の神出は、「かんで」と読む。
 スサノオとその妻のクシナダヒメ、孫のオオクニヌシを祀る神社。
 播州には、伊和大神(土着の神?)や牛頭天王(渡来の神)などが祀られたりしていたが、伊和大神はオオクニヌシ(オオナムヂ)、牛頭天王はスサノオに習合されたそうだ。
 そういうわけで、一般に出雲の神とされるオオクニヌシやスサノオが、意外と播州に現れる。(浮石で有名な生石神社も、出雲系のオオクニヌシとスクナヒコナが祭神)
 とにかく、どこまで原型を留めているのか不明であるが、現在の祭神はスサノオ、クシナダヒメ、オオクニヌシなわけ。
 そして、スサノオとクシナダヒメが夫婦神である発想からか、この地から神々が生まれ出でたため「神出」という地名がついたそうだ。
 山頂の境内からは、15km南の明石海峡が、ぼんやりではあったが見えた。


 頂上から、北へ200mほど山道を降りると、裸石神社と、少し離れて姫石神社があった。
 裸石神社/姫石神社の裸石/姫石は、それぞれ「らせき/ひめいし」と読む。
 裸石神社は、陰陽石を御神体とする。
 アワビの殻に思い人の名を書き奉納すると、願いが叶う―――という、とんでもない神社。
 姫石神社に至っては、陰石である御神体「方丈磐石」とそれを囲う玉垣のみが、神社の構成物である。

 実は、ここの陰陽石信仰については、相方に対して秘匿していた。
   浮「何アレ、アレなんて言うん?」 「もー!」 バシッ
 …こんな反応を期待してのことだったのだが。(セクハラだ!)
 ところが、裸石神社の御神体が、正面が閉じっきりになっていて見えない
 姫石神社の御神体も、ただこれを見るだけでは、何を象っているかわからない
 相方は、方丈磐石の巨大さゆえに霊威は感じているようだったが、あたかも「何でこんなとこ来たんやろ?」と言っているようなはてなマークが出ている!
 いかん、今さらネタバレできん!―――と焦りつつ、適当にこの場を引き揚げたのだった。
 この仕込みのために色々調べて寄ってみたのに。。(ノ_・。)ぐすん

 帰宅してからふと思い返し、以前播州清水寺で撮った写真(5/10参照)を見てみると、知らぬうちのことながら、雄岡山(おっこさん)/雌岡山(めっこさん)が写っていた。

 播州清水寺は兵庫県加東市(旧社町)に位置し、上の写真は、38km南の明石海峡方面を望んだもの。播州清水寺~雄岡山/雌岡山間は、25km。雄岡山~雌岡山間は、東西2km。

 雌岡山から南下し、明石市街へ。時間はすっかりお昼前。
 たこ磯は、私が最高の店と推す玉子焼(明石焼)のお店。
 この日、初めてあなご入り(800円)を頼んでみた。
 …。美味しいのだが、一度味わったら充分か。素のタコの味を楽しみたい。

 稲爪神社の稲爪は、「いなづめ」と読む。稲妻(いなづま)から転訛したらしい。
 祭神は、オオヤマツミ。三嶋大明神ともいう。
 そう、鶴姫伝説で知られる大三島大山祇神社と同じなのだ。


 大山祇神社は、伊予の国土を拓いた古代豪族の越智氏ゆかりの神社で、各時代の武家から奉納された刀剣甲冑の類がきわめて多く、その様は、大三島が国宝の島と呼ばれるほど。また、古い楠の巨木も多い。オチノミコトお手植えの楠というのもある。
 越智氏の流れを汲むとされる河野氏やその傘下の村上水軍の崇敬篤く、代々の大祝(おおはふり/おおほうり、現人神とされる神職)が斎き祀っていた。
 その河野氏が中世に記した豫章記に、あやしいエピソードがある。(豫章記が手許にあらず詳細は不明なため、多少食い違う箇所もあるが、稲爪神社の社伝を交える)
 推古天皇の御世、三韓から戎人八千人が鉄人を大将として襲いかかって来た。 
 筑紫の者もこれを止める手もなく、異国の兵は瀬戸内海を東進した。
 ここに伊予の武人・越智益躬(おちのますみ)が勅命を受けて立ち上がった。
 しかし、さしもの益躬も鉄人には敵わず、後退を余儀なくされた。
 「三嶋大明神よ、力を貸し給え!」
 益躬は、故郷の神に祈願した。
 そして播磨の明石に至ったとき、突如空が曇り、稲妻が鳴り響いた。
   ピカッ   ドーーーン!!
 なんと、空を切り裂く電光の中、三嶋大明神が現れたのだった。
 「鉄人ただひとつの弱みは足裏なり。足裏を射よ」
   パシャーーーン!
 益躬は雷鳴におののいた鉄人の隙を衝き、強弓を弾き放っての足の裏から脳天まで貫き、鉄人を斃した。

 これが鉄人伝説であり、越智益躬が三嶋大明神に感謝してこの地に祀った、というのが稲爪神社の創建の由緒。

 この後、子午線沿いにテケテケ散歩。
 子午線交番中崎公会堂などの特徴ある建物のそばを通って海岸に出、たこフェリー乗り場付近をかすめて車に戻った。


 王塚古墳は、明石川流域最大の前方後円墳。
 全長70m、周濠を入れると100m。団地の中に残されている公園でもある。
 どうやら複数の呼び名があるようで、玉津王塚古墳、吉田王塚古墳、桧笠岡王塚古墳と、たいそうややこしい。
 さて、この古墳にも伝説がある。
 日本書紀の推古天皇の条に記載される、
 新羅を討つ将軍となった當摩皇子(たぎまの みこ)が難波より発船し、
 随伴していた妻の舎人姫王が赤石(明石のこと)にて亡くなった―――。

 ここにいう舎人姫王(とねりの ひめみこ/ひめのおおきみ)の墓だという。
 摂播の海のそばは、神宮皇后にせよ推古天皇にせよ、船での半島との往来にまつわる話が多い気がする。

 おすすめスポット タグ 雌岡山 タグ 玉子焼 稲爪神社 大蔵交番 中崎公会堂 王塚古墳

 走行距離 約125km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.6.16(月)

 車から降りるとき、遠隔でドアを閉めてもガチャガチャ確認しなければ安心できないのは、私だけではあるまい。


 20.6.15(日)

 5/25に描いた落書きに、フォトショで色塗りしてみた。
 レイヤーは50、PSDファイル6.60MB、JPGファイル404KB。効率が一向に上がらない。。
 SFCドラゴンクエストⅤより、ビアンカ。

 宿屋ダンカンの娘・ビアンカは、主人公の幼馴染みで、幼少の頃、率先しておばけ退治を言い出した程のお転婆娘。
 主人公と別れてからは一家して山村に引越し、母を亡くしてさらに病床の父の世話をする日々を送っていたところで、すっかり逞しくなった主人公と再会した。
 主人公は、さる富豪の令嬢・フローラと婚約を交わしており、結婚の条件となる指輪を探すために奥地に来たのだという。
 ビアンカは、かつての主人公との冒険を思い出し、指輪探しに協力、いっしょに洞窟で探検する。
 主人公とビアンカが指輪を持って例の富豪の館へ入ると、婚約者のフローラは、主人公とビアンカは好き合った仲なのではないか、と直感する。
 「どんな結果になっても支援は惜しまない」と言う寛大な令嬢の父の提案で、「ビアンカとフローラと、どちらが本当に好きなのか、一晩で考えて選ぶ」こととなった。


 たかがRPGで、まさかの人生の伴侶の選択!
 これは、リアルタイムでも一晩考えた。そして、エニックスの罠と知りつつビアンカを選んだ。
 フローラには、主人公がいなくとも、フローラ一筋の幼馴染み・アンディがいる。
 なにより、山奥の村で介護と墓参りにいそしむビアンカの背中が健気で、いとo4qtИ☆?f%

 【ネッドの宿屋】 主人公の生国へ抜ける山越えを前にして


 あぁ、疲れたぁ~~。ほら、トンヌラも、靴ぬいだ方が楽よ。
 今日もたくさん歩いたけど、明日はあの山を越えなきゃいけないんだから。


 → はい

 ふぅ、それにしても、もうあれから三ヶ月経つのね…。
 あれよあれよと、あっという間に結婚しちゃったけれど。
 ……。実はね、トンヌラにプロポーズされたときのこと、覚えてないの。頭が真っ白になっちゃって。
 だから、…トンヌラ、その前にルドマンさんにプロポーズしてたでしょ?
 ルドマンさん、何て言ってたっけ。
 「なんと、この私が好きと申すか!? それはいかん、もう一度考えてみなさい」だっけ。
 そればっかり頭に残ってるの。ふふっ、あれってどうしてルドマンさんに言い寄ったの?
 私もフローラさんも心から好きじゃなかったから? 苦し紛れだったの?


 → いいえ

 じゃあ、まさか本当にルドマンさんのこと好きだったの?

 → いいえ

 でも、だってトンヌラ、「ルドマンさんっ!」って言うや、ルドマンさんの手をかたく握ってたじゃない。
 あ、ひょっとして、色々お世話になったお礼を、最初に言おうとしてただけ? で、緊張してあんなになったんだ?


 → はい

 そっか。私やフローラさんに魅力がなかったわけじゃなかったのね。あー、よかった。
 私、トンヌラよりふたつお姉さんだから、ちょっとだけ気にしてたりして。…冗談よ、冗談。
 ……じゃ、そろそろ寝ましょうか。灯り消すわよ。
 おやすみ、トンヌラ。ぐぅ。


 → いいえ

 ちょ、ちょっと! やめなさい、明日は早いんだから!
 え、歳とかそんなの関係ないって? それはいいんだけど…。
 やっぱりだめー、ゲレゲレが見てるからー!
ブログ一覧 | 日記
Posted at 2008/06/02 23:02:18

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プロフィール

「加賀の従姉妹が旦那の実家への帰省中に被災してビニールハウスや小学校で過ごしていたこと、クルマで4日の晩に無事帰ってこられたことが、母経由で伝わってきた。ホッとした。

播州もいつ山崎断層が動くかと言われているので、わが家庭も備えをもっと見直さないといけない。」
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 内外装のデザインとトルクに惚れました。  狭くても視界が悪くても、R2より良いから 良 ...
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 とってもキュートです。  後席は座敷牢です。  かなり凹凸拾います。  燃費性能が素晴 ...

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