前の日記帳のページ数が尽きたようなので、九冊目。
日記
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
〔日記〕
20.8.15(金)
前の日付けの日記を編集して文章継ぎ足したら、日記帳がいっぱいになった。。
20.8.14(木)
みんカラのブログには、
文字数の限界がある。
これを超えると、どうやっても更新できないのだ。
そこで、今までの日記帳の文字数を調べてみた。
方法は、コピー&ペーストで
wordに流し込み(タグも含まれる)、
ツール → 文字カウント。
調べる数字は、「文字数(スペースを含める)」のみに絞った。以下、結果。
① 30,106
② 30,397
③ 30,691
④ 29,994
⑤ 30,006
⑥ 29,400
⑦ 30,534
⑧ 30,408
⑨ 27,053(8/14まで)
この数字についてのみ言えば、限度は30,000字前後。
日記帳⑨も、もうじき終わりの模様。orz
20.8.13(水)
ラピュタの科白検定(上級)、40点だった。(ノ_・。)
20.8.12(火)
先々月下旬の話。
摂津伊丹の有岡城へ行った。電車で降り立ち、徒歩でぐるりと一周、4.5km。
日記⑦ 6/3 備中高松城、6/11 花隈城、日記⑧ 7/4 三木合戦、7/9 三木合戦、7/13 播州姫路その他、日記⑨ 7/26 播州山崎…を参照。
伊丹の
有岡城は、街ごと囲った
惣構えの城であり、本丸を東におき、北に
岸の砦、西に
上臈塚砦、南に
鵯塚砦をバランスよく配置している。
その城域は広大で、南北1.7km、東西0.8km、周囲4.2km、面積はおよそ550,000㎡に及び、これは740m四方に相当する。
実際にかつての縄張りに沿ってテクテク歩くと、場所によって段差…高低差が様々だということがわかる。東に猪名川があるため、基本は東の方が段差が大きい。
岸の砦~本丸~鵯塚砦の東側のラインは、平均して背丈の倍ほどは段差があるが、
岸の砦~上臈塚砦~鵯塚砦の西側のラインは、段差があっても背丈未満で、上臈塚砦周辺のみそれ以上の段差があった。なお、本丸部分を通るJRの開削に伴い、地形がいくらか変わっている。
↓下図は、私が歩いて感じた
高低差があるところほど、太く濃い線を引いてある。
有岡城は元は伊丹城といい、鎌倉時代以来伊丹氏の所有にあった。
池田氏の被官であった荒木村重は、池田氏の実権を奪い、摂津の有力な城を切り取り、織田信長に服属した。見返りは、摂津一国の支配権。
村重は伊丹城を有岡城を改称し、街ごと堀と土塁で囲む惣構えの城に改修した。
その姿は、ルイス・フロイスにして「甚だ壮大にして見事なる城」と言わしめるほどであった。
しかし、村重は突如、織田氏に叛逆した。
摂津の石山本願寺との戦が続き、丹波八上の波多野氏、播磨三木の別所氏が織田氏から離反し抗戦していた折だった。しかも、これらの背後には中国十ヶ国を束ねる毛利氏があった。
信長は、村重に味方に戻るように必死にかき口説いたが、不調に終わった。信長は、やむなく軍を動かした。
その頃、播磨御着の小寺氏の家老・小寺官兵衛孝高(本姓は黒田、主家から小寺姓をもらっていた)は、播州の諸勢力の意見をまとめ、羽柴秀吉を通じて織田氏に味方するところまで実現していたのだが、三木の別所氏とそれに伴う主家の小寺氏の離反により、官兵衛の構想は画餅に帰そうとしていた。
保守的な小寺政職(官兵衛の主)は、信長とはどうしても相容れないものがあったから、織田氏に味方するように説く官兵衛が疎ましくなった。
「わしが織田を離れるのは、荒木摂津守への義理あってこそ。荒木を説得できたなら、当家も織田に戻る」
官兵衛は、自信満々で有岡城に乗り込んだ。が、即刻捕らえられ、村重に面会もできないまま、土牢に押し込められた。
「荒木摂津守殿 そちらに当家の官兵衛が向かうので、これを殺してくだされ 小寺藤兵衛」
なんと、己が主から殺しの依頼が出ていたのだ。しかし、村重は官兵衛を殺さなかった。
官兵衛が有岡城に入ったまま戻らぬとの報を聞き、信長は激怒した。城方に寝返ったと考えたのだ。
即座に、人質を殺せと命じた。
小寺氏としての人質は、主家の息子ではなく、家老の官兵衛の一人息子・松寿丸(のちの黒田長政)であった。
それを殺せという。
「拙者が」
織田氏の臣・竹中半兵衛重治が承った。
半兵衛はさっさと松寿丸を連れ出すや、自分の持ち城に隠した。
有岡城は、織田の大軍に包囲されていた。
支城の高槻城、茨木城、三田城は、降伏するか落城し、尼崎城と花隈城を残すのみとなった。
しかし有岡城は、織田軍の強攻を跳ね返し、持ちこたえていた。
信長は周囲に付城(城を攻めるための砦)をつくらせ、戦は長引いた。
苛酷な環境の中で、官兵衛は耐えた。足が萎え、皮膚がただれても、生き続けた。
土牢の僅かな窓から、藤の木が見えた。官兵衛は、花占いを心の支えにした。
「藤の花が咲かずば死ぬる。咲けばこの身は必ず生くる。藤の花よ、咲けや咲け―――」
官兵衛の壮絶な祈りであった。
藤が花咲かせ、夏が過ぎ、秋が訪れ―――。
城主の村重は、単身尼崎城へ脱出した。ただ、有岡城は籠城を継続している。
ある晩、滝川一益の手勢が上臈塚砦を落とした。
それからひと月後、有岡城は開城した。
官兵衛は、以前から接触に成功していた姫路衆の栗山善助に助け出された。
官兵衛の生存(しかも裏切っていなかった)の報を聞いた信長は、思わず呻いた。
「官兵衛に合わす顔がないわ」
しかし、殺したはずの人質・松寿丸(官兵衛の息子)は、竹中半兵衛の機転によって助け出されていた。
その半兵衛も、その数ヶ月前に三木の平井山で陣没した。
尼崎城へ入った村重は、やがて花隈城に移って長く抵抗したが、とうとう毛利氏に亡命した。
ここに、武士としての荒木村重は終わった―――。

黒田官兵衛孝高―――。この人物は、いろんな名を持っている。
シメオンという洗礼名もあるし、如水という号もある。如水が一番有名かもしれない。
黒田氏は官兵衛の祖父の代に流浪し、備前福岡、さらに播州姫路に流れ着いた。
その凛とした佇まい、清貧、子への教育に、豪農の竹村某が惚れ込み、姫路の北の廣峯神社に斡旋した。
そして、黒田家秘伝(?)の目薬を廣峯神社の御師という布教集団が販売する、という仕組みをつくり、その儲けを元手に姫路の百姓に低利貸しを始めた。
「担保はいらぬ、その代わり月に何回か手伝いに来い」
そうして人数を集め、被官分にした(仮の主従関係を結んだようなもの?)。男子を持つ者をより優遇したのは、言うまでもない。
かくして黒田氏は、のちの黒田武士の原型となる(元百姓を中核とする)姫路衆(竹森新右衛門、栗山善助、母里太兵衛、後藤又兵衛らは、のちに官兵衛の手足となって働く)を率い、ならず者豪族の首を手土産に、御着の小寺氏の被官となった。
小寺氏は黒田氏を厚遇し小寺の姓を与えるほどだったが、官兵衛の代になって、主家の方が家来を切り捨てたのだった―――。
黒田官兵衛といえば謀臣という腹黒いイメージが強いのだが、意外にも(?)官兵衛が主を裏切ったということは一度もない。手荒い暗殺は、のちに豊前に封じられたときに、鎌倉以来の地の名族を誅滅したのが唯一で、それが汚点にはなっているのだが。
官兵衛が入れられた土牢は、どこにあったか?
三つの砦のうちの一つが破られれば、中央部分の城下町は蹂躙されるだろうから、まず本丸にあったのだろう。
現在のJR伊丹駅の周辺のどこかで―――官兵衛はうずくまって寒暖を凌ぎ、有岡衆の最低限の世話を受け、兵の喊声や鉄砲の炸裂音を聞き、藤の花に願いを託し、栗山善助の来訪を待ちわびていた。
そういう物語が、ここ有岡にはあったのだ。
おすすめスポット
タグ 羽柴秀吉の侵掠 タグ 黒田氏 タグ 伊丹
20.8.11(月)
久しぶりに財布を整理したら、レシートとともに、
温泉のスタンプカードが束になって出てきた。
こんだ薬師温泉 ぬくもりの郷
鹿之子温泉 かのこの湯
吉川温泉 よかたん
天然温泉 湯庵
滝野温泉 ぽかぽ
白雲谷温泉 ゆぴか
加西天然温泉 根日女の湯
加古川温泉 みとろ荘
薬草薬樹公園 リフレッシュ館
よふど温泉 極楽湯
…これだけ。みんな、兵庫県のスーパー銭湯。
分散しすぎて、ぬくもりの郷とよかたんとゆぴかしか、カードいっぱい貯まったことがない。。
20.8.10(日)
6/29の話。
日本陸上の女子5,000mの種目で
小林祐梨子選手が優勝し、北京五輪の出場を決めた。
実はこの小林選手は、
兵庫県小野市出身。
同市の
白雲谷温泉ゆぴかのフロアにこの選手のことが貼り出されていたので、(その当時から勢い実績があったので)「そういえばこんな選手おったっけなぁ」と心の隅に留めていたのだ。
ほんの他愛のないことでも、何かしらつながりがあったら嬉しいもの。
北京五輪では、結果を問わず力を出し切ってもらいたい。
20.8.9(土)
F.F.6のセリス(魔導研究所裏切り時)を落書きしてみた。
日記②H19.10/30、10/31、11/1、H20.8/1参照。
ベクタ、帝国の首都。鉄と蒸気で急速に発展した街。
住人に活力はなく、陰鬱な空気が漂っている。
リターナー一行は、東の外れでリターナーの同志を探し当てた。
老人「うぃ~、よっぱらっちまったぁ~い!」
帝国兵「えぇい、邪魔だ!!」
老人「う~、吐きそう……ウッ」
帝国兵「おいおいおい!」
ゲパァーーーッ
帝国兵「きゃーーー!」
同志が囮になっている間に、一行は魔導研究所に侵入した。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
途中の魔導工場で、ケフカを見つけた。
ケフカ「ヒーッヒッヒ! 幻獣をもっと集めて、魔導の力を取り出して、そして……『三闘神』の復活だぁー! もうお前らは用無し」
一度聴いたら忘れられない笑い声が建物中に響き、すぐに機械音にかき消される。
ケフカは幻獣らしき二体の生物を、ベルトコンベアーに投棄した。
一行はこっそり立ち去ると、下の階の投棄場の扉を開いた。
先ほど棄てられ穴に落ちたのは、幻獣のイフリートとシヴァだった。
イフリートとシヴァは、一行がラムウの魔石を持っていることに気付いた。
イフリート「仲間達は、みなガストラによって捕らえられ、ここで魔導の力を吸い取られているのだ…。私もこの研究所のビーカーに入れられ力を吸い取られた…」
シヴァ「魔導の力が無くなるとここに捨てられる。あとは死すのみ…私達も、もう命は長くない…。ラムウと私達は三対の力をそれぞれ持つ兄弟。ラムウが力をたくしたのならば、私達もお前達に…」
イフリートとシヴァは、閃光とともに魔石と化した。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
魔導工場を経て、ようやく魔導研究所の研究室に辿り着いた。
幻獣の入った巨大な円筒の水槽が、幾つも並んでいる。
幻獣「我々を助けようと言うのか…しかし…我々の命は長くない。イフリートと同じように…死してお前達の力となろう…」
魔石を持つリターナー一行に悟った幻獣たちは、皆、魔石となった。
シド「そこで何をしている!!」
魔導研究所専属のシド博士だ。黄色いフード(?)がチャームポイントらしい。
シド「こ…これは…!?」
はじめての魔石に接し、声を失っている。
シド「…幻獣は死ぬ時に力だけを残すことが出来るのか…。この石に秘められている力は、幻獣から直接とりだした力の何倍…いや、何百倍もある」
そのとき、魔石が水槽を突き破り、一行の手中に帰した。
セリス「シド博士…」
シド「セ…セリス将軍! なんじゃ、この怪しいやつらは? お前さんの部下かい?」
セリス「いいえ…そうじゃなくて、私は…」
シド「なんでも、反乱を企てておる連中に、スパイとして潜り込んだと聞いたが…?」
ロック「!?」
「私を信じて」
ケフカ「ヒィーーッヒッヒッヒ! なるほど魔石か、でかしたシド博士! そして…セリス将軍! さぁ、もう芝居はよい。そいつらの魔石を持ってこっちへ来い」
ロック「セリス! 騙してたのか!?」
セリス「違うわ! 私を信じて!」
ケフカ「ヒッヒッヒ…裏切り者か…セリスにピッタリだね☆」
セリス「ロック…信じて…」
ロック「俺には………」
ケフカ「今だ、皆殺しだ! 魔導アーマーゆけ~い!」
ゴゥン ガシャン ガシャン ガシャン
魔導アーマーの突撃で、四名のリターナー、シドまでダメージを受け、吹っ飛んでしまった。
やがて、手負いのセリスがゆらりと起き上がった。
セリス「ロック…今度は私があなたを守る番…。そして…これで私を信じて…!」
ケフカ「セリス…! そ、それは! やめろ!」
セリスは魔導の力を顕し、セリスとケフカ、帝国兵だけがこの場から消えた。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
研究室は魔石と魔導の力で激しく振動し、セリスの去ったリターナー一行とシドは脱出を図った。
シド「いくらケフカに脅されていたとはいえ、ワシはなんということをしてきたのか…。幻獣の命を力に…。お前達と出会ってワシも決心がついた。皇帝に話をしてみよう。この戦争の愚かさを…」
悔悛の表情で、シドは続けて言った。
シド「セリス…あの娘は幼い頃から知っておる。娘のように可愛がってきた。しかし同時に『魔導戦士』として教育するという、むごいこともしてきた…。だから…もう一度会えるなら謝りたい…ワシのしてきた過ちを…」
シドは、一行をケフカから逃すため、トロッコに乗せて送り出した。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
トロッコは轟音を立てながら暗闇を駆け抜け、見張りの帝国兵ごと吹っ飛ばし、外に投げ出された。
魔導研究所の事故の騒ぎの中、一行はなんとかベクタを脱出し、セッツァーと再会した。
一行はケフカの追っ手を振り切り、ようやく安全に帝国を発った。
ゾゾに残してきたティナやリターナー、幻獣のことをセッツァーに話しながら。
一旦守ると言ったら信じてやれよ、ロック君。ってか、男キャラを描くときは、
やる気9.5割減。。
考証はしてないので、特にケフカが適当。ケフカファンの皆様ごめんなさい。
20.8.8(金)
暑い。暑すぎる。
夜になっても、余熱が逃げない。特に二階は。
屋根のてっぺんにスプリンクラーつけて、それで打ち水すれば…、
屋根中アルミホイルで覆えば、何度下がるだろうか。
…そんな妄想をしてしまうほど、暑い。
20.8.7(木)
8/3の花山院の話で、西国三十三番が登場してので、連想したまま書く。
西国三十三番(近畿圏でそれなりに権威がある)でも、
四国八十八箇所と同様、
お遍路さんの格好でスタンプラリーをして周っている人がいる。
西国三十三番のうちの、ある寺へ行ったときの話。
相方が、一人の白い装束を着たお遍路さんを見て、
「あれ、“同行二人(どうこうふたり)”て書いてあるけど、どういう意味やろ?」
浮野「…。あの人はな、数年前に亭主亡くしはってん。ほんで、“いつまでもふたりは一緒やで”って意味込めて、ああいうふうに書いてんねんて」
「なるほどなー」
…と言った途端、年配の夫婦とおぼしきお遍路さんが、続々と境内に入ってきた。
バスツアーで、各霊場を周る企画をやっているのだろう。(あの衣装はレンタルなのか!?)
「ちょっと、あれは何な。今言ったん、ホンマ?」
浮野「今つくりましたごめんなさい」
(合掌)
帰宅してから、
同行二人について調べてみた。
…読みからして間違っていたようだ。
どうこう ふたりではない、
どうぎょう ににんだった。
そして、
己の他のもう一人とは、(配偶者ではなく)お大師さま。
弘法大師の空海だったのだ。

お大師さまと ともにゆく
おすすめスポット
タグ 西国三十三番
20.8.6(水)
南紀白浜のおすすめスポットをアップした。
和歌山県のうち、紀ノ川沿いは日帰りで行ける範囲。
潮岬~太地~那智~熊野本宮~新宮のコースは、一昨年に周った。
白浜へ行ったのは、一昨々年の12月半ばだった。
兵庫県は寒くなってきたけれど、白浜へ行けばいくらか和らぐだろう―――という意図。
言ってみれば、避暑ならぬ、避寒である。いざ行ってみると、

ホワイトアウト。白波魔恐るべし。
おすすめスポット
タグ 紀伊
20.8.5(火)
円応教と円山応挙は、字面が似ている。
20.8.4(月)
兵庫県の淡路のおすすめスポットをアップした。
淡路に最後に行ったのは、おそらく一昨年のこと。
5月の陽光うららかな季節で、とにかく
花に満ち溢れた島というのが第一印象だった。
淡路島は、日本神話に出てくる最初の島
オノコロ島に比定されることでも有名だ。(淡路ワールドパーク ONOKOROは、これに由来する)
天地(あめつち)がはじめて姿を見せてから、高天原に幾柱もの神が、現れては隠れた。
それが繰り返されるうち、はじめての男と女――イザナギとイザナミ――の神がうまれた。
「この漂うておるクニを、おさめ固めよ」
天つ神はイザナギとイザナミを言い、アメノヌボコ(神々の矛)を渡した。
イザナギとイザナミは天の浮橋に立ち、アメノヌボコを海水の中に入れ、コヲロ コヲロと掻き回し掻き鳴らして引きあげた。
すると、矛の先から滴った塩が凝り固まり、島になった―――。
初めて淡路島の国道を走っていたとき(高速道で通過したことは何度もあった)、何か違和感を感じたのだが、この日の晩に宿泊したときにその違和感の正体がわかった。
この島には、
鉄道が無いのだ。
明石と鳴門の海峡に鉄道を渡して、島の南北に軌道を敷設したらどうだろう―――とも思うのだが、今さら割りに合わないのか。
もっとも、自動車道では
通り道の役割を充分に果たしている。
今うっかり「通り道」と書いたが、淡路の土を踏んでもらえるか否かは、淡路の自助努力次第か。花に神話に海に断層、ある程度の観光資源はあるのだが。
今度淡路へ行くときは、神話の面から訪れてみたい。
そして、一度は
ホテルニューアワジに泊ってみたいものだ。兵庫モンにはわかる、アレ。
♪ほてる にゅ~~う あ~わ~あぁ~じ~~~♪
おすすめスポット
タグ 淡路
20.8.3(日)
先々月中旬の話。
丹波立杭の陶芸美術館「五陶地」展、ドーノ、摂津三田の母子、永沢寺、尼寺へ行った。
母子は、「もうし」と読む。
舒明天皇(推古天皇ののちの天皇、第三十三代)の頃。
大君は有馬温泉に訪れ、猫間中納言を羽束山の観音に遣わせたところ、大君の病気が快復した。
大君は、羽束とその近郷を中納言に与え、中納言は鷹原に住まいした。
中納言は、毎年この地の黄色い花を献上し、中納言な死んでもその妻と娘は献上を続けた。
この花は「奉公草」といい、さらに「母子草(ハハコグサ)」というようになった。
そして、いつしか鷹原は、母子(もうし)と呼ばれるようになった。
いかにも後世の作っぽい内容だが、
三田市のサイトに載っていたため紹介した。
この母子では、この地方では珍しく茶を栽培している。
室町時代初めにつくられた永沢寺の僧が中国から持ち帰った―――というが、これは本当かもしれない。
永沢寺は、地名としては「えいたくじ」と読む。同名の寺名としては「ようたくじ」。
永沢寺と母子の郷は、摂津の北に位置し、山をひとつ越えればもう丹波。(篠山城まで6km)
標高560mだという永沢寺は、
花しょうぶ園/ぼたん園と
花のじゅうたんがあり、また、そばの名所。いずれも、寺としての
永沢寺がかかわっているのだろうか?

三田市の北部には、
南北に細長い谷がいくつかある。
東から順に、
高平、
小野・尼寺、
青野、
藍本。
一番西の藍本の筋が、国道176号線が走っており、もっとも拓けている。
前三つは、いずれも田舎然としている。さて、
尼寺は「にんじ」と読む。
字義は「尼の寺」であり、相応の由来あってのことなのだ。
花山院菩提寺は、西国三十三番の番外霊場。
西国三十三番霊場の巡礼を復興させた花山法皇を敬ってのことだ。
花山院へ行くには、急傾斜の山道を登らなければならない。
頂上にある花山院は、標高400mを超える。
山のふもとには、こんもり茂みがあり、そこには
十二妃之墓(じゅうにひのはか)がある。
花山法皇は、冷泉天皇の長子として生まれ、17歳で皇位についた。花山天皇である。
ときは王朝の世、花山天皇の外戚は、弘徽殿女御(藤原忯子)の外祖父・藤原伊尹(花山天皇の妃の父の異母兄)だった。
しかし、藤原伊尹はほどなく病死し、伊尹の弟の藤原兼家が力を握ろうとした。
自ら娘を嫁がせた、先代の円融天皇の皇子を皇位に即けるべく、策動したのである。
そのころ、花山天皇の寵愛していた弘徽殿女御が皇子を身籠ったまま亡くなり、天皇は悲しみの淵に沈んでいた。
世を儚んでいた天皇の御心につけ込み、藤原兼家は子の道兼とともに、出家を勧めた。
そしてある晩、念入りに警護の武士をつけて天皇を山科の元慶寺に連れ出し、出家の既成事実をつくってしまったのだ。
先ず天皇が剃髪し、次いで道兼も剃髪するはずだったところを、適当に理由をつけて元慶寺を抜け出し戻らなかった。
騙されたと悟った天皇は、悔しさのあまり慟哭した。
翌日、藤原兼家は娘の子を皇位につかせた。一条天皇、わずか7歳。
兼家は摂政として実権を握り、摂関政治は兼家の子の道長の時代に全盛を迎えることになる。
たった二年で退位した花山法皇は、のちに京に戻るまでの相当期間を、摂津の東光山(のちの花山院菩提寺)で過ごした。
花山法皇が東光山へ入ったとき、最愛の弘徽殿女御の遺髪を奉じたお付きの女官十一名が、この地まで法皇を慕って来た。
しかし、当時の山は女人禁制ゆえ、女官たちは入ることができなかった。
女官たちはやむなくふもとに住みつき、尼となった。法皇を慰めるため、琴を弾くこともあったという。
尼となった佳人の琴の音は、雲上まで届いたであろうか―――。
有馬富士麓の霧は海に似て 波かと聞けば小野の松風 花山法皇御製
十二妃之墓は、十二人の妃というより、一人の妃と十一人の女官たちだったのだ。
茂みの中には、弘徽殿女御の供養塔を囲むように十一の墓が並んでいる。
かつては南北の谷筋すべてを
小野と称していたのだろうが、そのうち東光山付近を
尼寺と呼ぶようになった。また、ふもとの坂を
琴弾坂という。
どこかしら素敵な挿話に出会ったときは、素敵な景色に出会ったときと同じくらい、心地よい。

↑景色も素敵な花山院。南東方面を見渡せる。左側の大きめの山が、有馬富士。

↑播州の雄岡山/雌岡山(おっこさん/めっこさん、南西29km先)まで見える。6/17参照。
手前の街は、三田ウッディタウン。

社町+東条町+滝野町=加東市、三木市+吉川町=三木市
おすすめスポット
タグ 三田 タグ 丹波
走行距離 約97km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破
後日談。母が「私も花菖蒲見たい!」とせがむので、また永沢寺へ、ついでに尼寺へ行った。
走行距離79.2km 燃費計12.5km/l 高速道路不使用
20.8.2(土)
カラヤンだ、と思ったらカヤランだった。
20.8.1(金)
F.F.6のセリス(オペラ出演説得時)を落書きしてみた。日記②H19.10/30、10/31、11/1参照。
ナルシェの幻獣と反応したティナは、人ならぬ姿に変化し、何処かへ飛び去ってしまった。
リターナーは人数を選び、ティナ捜索の旅へ出た。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
途中のコーリンゲンの村に立ち寄ったロックは、地下室に眠る娘の前に立つ。
この娘レイチェルは、ロックが 盗賊 トレジャーハンター駆け出しの頃からの恋人であり、ロックの発掘行へついて行ったがために転落事故に遭い、記憶喪失となったのであった。
二人の日々を忘れ去ったレイチェルに、ロックは何度も逢おうとするが、当然のことながらレイチェルの父親に追い出される始末。そして、レイチェルのこの言葉がとどめとなった。
「あなた、もう来ないで! あなたが来ると家族が悲しい顔をするの」
ロックがコーリンゲンを去って一年後、村は帝国軍の襲撃を受けた。
襲撃の直後に息を切らせて駆けつけたロックは、レイチェルを看取ることができなかった。
しかし、レイチェルは今わの際に、確かにロックのことを思い出したのだという。
ロックは、村の生き残りの爺さんがつくった妙薬でレイチェルを生きたままの姿に保ち、大切に横たえさせた。
魂を甦らせる幻の秘宝がロックの悲願となったのは、まさにこの時だった。
「俺は―――守れなかったんだ」
ロックは、いつの間にか背後に立ちつくしていたセリスに呟いた。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
リターナー一行は、スラム街のゾゾで昏睡するティナを見つけた。眠れるティナは、幻獣ラムウの庇護を受けていた。
一行は初めて、動き話をする幻獣を目の当たりにした。
老ラムウが言うには、ティナには幻獣の血が流れており、ティナを呼び起こすには自身の由来を明らかにする必要がある。また、帝国の魔導研究所は幻獣の魔導の力を吸い出す研究をしており、大勢の幻獣たちが囚われの身となっている。そして、ラムウもその魔導研究所を逃げ出したひとりであると。
話し終えるとラムウは、自ら魔石と化した。魔石には、その幻獣の魔導の力が凝縮されているのだ。
ラムウは、死してリターナーたちの力となったのだった。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
リターナーの次の目的は、「ガストラ帝国へ潜入し幻獣に会う」こととなった。
しかし、帝国との戦争により、海を渡るにも船がない。
一行は、帝国へ潜入する手段を探るべく、大陸南端の街・ジドールへ向かった。
ジドールの街に着き、一番大きな屋敷に入ったときのこと。
ダンチョー「マ、マリア…!?」
セリス「え!? わ、私のこと?」
ダンチョー「ああ、すまん…人違いだった。あなたが私の劇団の女優にあまりにも似てたので…あぁ困った」
ダンチョーは、汗を拭いて広間を去った。
ロック「セリスがマリアに似てる?」
セリス「……??」
ダンチョーがひらりと落とした手紙を拾うと、屋敷の主人が階段の踊り場から話しかけてきた。
マスター「オペラ座で芝居をやっている劇団長なんですよ。皆はダンチョーって呼んでますけどね。そんな手紙がきたもんだから、酔いつぶれて…」
“おたくのマリア。ヨメさんにするから、さらいに行くぜ。さすらいのギャンブラー”
ロック「?…誰だこの、さすらいのなんとかは?」
マスター「知らないのかい? 世界に一台しかない飛空挺“ブラックジャック号”を持っているセッツァーさ」
セリス「……飛空挺があれば、空から帝国に乗り込める」
ロック「会いに行こうか。…セッツァーに」
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
「そんなチャラチャラしたこと、できるわけないでしょ!」
リターナー一行は、ジドールの南のオペラ劇場へ訪れ、ダンチョーにセッツァーの手紙の件を話した。
ダンチョー「ああ~、派手好きのセッツァーのことだから…劇が盛り上がった時に来るだろうぅ~」
ロック「じゃあその時に出て行って捕まえれば!」
ダンチョー「やめてくれ! 芝居を台無しにしたら、劇場からクビにされる!」
セリス「ならお手上げじゃないの!」
ダンチョー「だから悩んでるんだ! 芝居は成功させたいし、かといってマリアをさらわれたくない…うぅ…」
シーーーン
ロック「―――じゃあ、さらわせればいい。」
「?」
ロック「オトリだよ。わざと女優をさらわせてセッツァーの後をつける。あわよくば飛空挺を横取りする」
ダンチョー「ダメだダメだ! マリアにもしものことがあったらどうする!」
ロック「だからオトリなんだってば! マリアには安全な場所に隠れてもらって―――」
ダンチョー「へ?」
ロック「マリアに似てるんだろ?」
セリス「へ?・・・私??」
ロック「マリアに化けたセリスをわざとさらわせて、俺達を飛空挺へ案内する」
ダンチョー「名案だ!」
セリス「そそそそんな! 私は元帝国の将軍よ! そんなチャラチャラしたこと、できるわけないでしょ!」
ダダダッ バタン!
セリス「あー あー うん、マぁ~リぃ~アぁ~♪」
ロック「ははっ! 結構やる気だぜ、セリスは」
盛り上がる広間の隅に、あやしい陰が動いた。
オルトロス「ふっしっし! わいもセッツァーをマネして挑戦状送ったるけんね~」
ひゅるる~~ ぱさっ
ロック「さあ、作戦会議といくか。みんな、奥へ入ろう」
バタン
オルトロス「だ~~~っ、読まんかい!」
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
たった二日間の猛特訓で、セリスはぐんぐん上達した。さすが元将軍、身体能力は抜群だ。
そしてついに開演。
ロックは、控え室までセリスの様子をうかがいに行った。
ロック「おまえ…こんなに綺麗だったっけ…」
セリス「…ロック、なぜあの時、私を助けてくれたの?」
ロック「好きになった女を、なにもしてやれずに失ってしまうは…もうゴメンなだけさ」
セリス「…私は、あの人のかわりなの?」
ロック「…。似合うぜ、そのリボン」
セリス「―――そろそろ出番だわ。ドラクゥの安否を気遣うマリアが、自分の思いを歌にする、大事なシーンよ」
愛しの貴方は遠い所へ? 色あせぬ永久の愛誓ったばかりに
悲しい時にも辛い時にも 空に降るあの星を貴方と思い
望まぬ契りを交わすのですか?
どうすれば? ねえ貴方? 言葉を待つ
一方その頃、オルトロスが屋根裏から岩を落とすという恐ろしい陰謀を企てていた。
それに気付いたロックたちは阻止しようと駆けつけたが、オルトロスもろとも転げ落ち、劇中で姫君を奪い合う王子二人が気絶した。
ダンチョー「二人がのびてしまった…! いったいマリアは誰の妃になればいいのだ~!」
ロック「いたた…。!―――セリスをめとるのはドラクゥでもラルスでもない! 世界一の冒険家! このロックさまだぁ~~~!」
ダンチョー「あちゃ~。…下手くそな演技しおってからに!」
オルトロス「だまぁ~れぇ~い! われとてタコのはしくれ! お前なんかに負けはしないぞ! お前と勝負だ~~~!」
ダンチョー「え~い、もうどうにでもなれだ! ミュージックスタート!」
ロック「 タ コ は 引 っ 込 ん で ろ 」
ゴツン
オルトロス「またダメだった…タコですいません」
グォン グォン グォン
セッツァー「待ちな、素晴らしい舞台だったぜ! 約束どおりマリアはもらってくぜ。よっと」
セリス「あ~~れ~~」
ダンチョー「お~っと、意外な急展開! 次回を乞うご期待~!」
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
飛空挺に上がったセッツァーは、セリスを部屋に閉じ込め、自室に戻った。
セリスはその隙に、手筈通りに仲間たちを飛空挺に導き入れた。
ロック「立派な女優っぷりだったぜ!」
セリス「ひやかさないでよ」
ロック「でもこっからが本番だぜ。第二幕の始まりだ。セッツァーは?」
セリス「来るわ」
セッツァー「き…貴様ら! お…おまえマリアじゃねぇな!」
セリス「セッツァーお願い。私達ベクタへ行きたいの。だからあなたの飛空挺が…」
セッツァー「マリアじゃなきゃ用はない」
セリス「待って! あなたの船が世界一と聞いて来たの!」
ロック「世界一のギャンブラーともね!」
エドガー「私はフィガロの王だ。もし協力してくれたなら、褒美はたくさん出すぞ」
セッツァー「……来な」
セッツァー「フッ、帝国のお陰で商売あがったりさ。」
セリス「あなただけじゃないわ。たくさんの街や村が帝国によって支配されてるのよ」
ロック「帝国は魔導の力を悪用し、世界を我がものにしようとしているんだ」
エドガー「私の国も今までは帝国と協力関係にあったのだが、もはやこれまでだ」
セッツァー「帝国…か」
セリス「帝国を嫌っている点では私達と同じね。だから…」
セッツァー「よく見ればあんた、マリアより綺麗だな」
セリス「え!?」
セッツァー「決めた! あんたが…セリスが俺の女になる。だったら手を貸そう。それが条件だ」
ロック「待て!そんな勝手なこと!」
セリス「わかった、でも条件があるわ。エドガー?」
エドガー「!…ああ」
セリス「このコインで勝負しましょう。もし表が出たら私達に協力する。裏が出たらあなたの女になるわ。どう、ギャンブラーさん?」
セッツァー「ほほう、いいだろう。受けてたとう」
ロック「いいのかセリス? もしヤツの女なんかになったら…」
ピィーーン パスッ
セリス「表。私の勝ちね。約束通り、手を貸してもらうわ」
カチ
セッツァー「貴重な品だな。両表のコインなんて初めて見たぜ」
セリス「イカサマもギャンブルのうちよね?」
セッツァー「ハッ、こんなせこい手を使うとはな…いいだろう、手を貸してやる。俺の命そっくりチップにして、お前らに賭けるぜ!」
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
セッツァーの説得に成功したリターナー一行は、一路南へ、帝国の首都ベクタへ向かった。
20.7.31(木)
ニコニコ動画で
S.D.I.を検索したら、まさかとは思ったが本当にあった。ミクで。。
【ニコニコ動画】初音ミクがLOUDNESSのS.D.Iを歌います そ、空耳…。ギターソロ…。
ギターが異常
♪今だ、産卵 過失が無い
総合不倫狩り 本土リリース
シーザーサラダ マジ直さん
鉄壁ッス フェチの極み ネコ巫女♪
①
②
③
④
①DREAM FANTASY ②CRAZY DOCTOR ③IN THE MIRROR ④SOLDIER OF FORTUNE
高校の頃、ラウドネスやらXJAPANやらスピッツやら安全地帯やら聴いてたなあ。
テープをクラスのみんなでまわして。
ラウドネスは、歌詞は何言ってるのかサッパリわからなんだけど、何となく音が心地よかった。
ちなみに、S.D.I.は一般に
戦略防衛構想の意。
20.7.30(水)
ゲームブックはどこへ消えた?
20.7.29(火)
島根県のおすすめスポットをアップした。
同県には、都合5回行っている。
思い返すと、まだ温泉津(ゆのつ)、大根島、美保関メテオプラザ、玉造温泉が欠けている。しかし、いずれも写真が残っていない。(:;)
今回は、取材に行った時期も違いテーマも違い、脈絡のない文章になるが、いくつか採り上げてみたい。
出雲大社。出雲といえば、誰しもが先ず連想する。
そして、御利益は縁結び。これもまた、自然と連想。

このあと、オオクニヌシはコシのクニまで出向いてヌナカワヒメを(それはもう熱心に歌を歌って)ナンパしたり、嫉妬深いスセリビメはヒスを起こしたり。(安彦良和の
ナムジに登場するスセリは、とてつもないツンデレ)
さすがスサノオの娘か気性の激しいスセリビメも、このときは瞳もウルウル、えらくしおらしい歌を歌って、結局仲直りしてニャンニャン。。
しかしなお、オオクニヌシの浮気性は治らず、同時に、葦原の中つ国は肥え栄えたのだった―――。
大国主はプレイボーイ。
出雲大社で縁結びを願うた女性の面々は、これを忘れてはならない。後々に注意あれ。
なお、昔の出雲大社が高い高い神殿を築いていたのは、オオナムヂに呼びかけるスサノオの言葉にもチラとあるが、別に由来がある。
オオクニヌシの国造りによって葦原中つ国は繁栄し、高天原のアマテラスはそれに嫉妬した。
「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに、要するに日本の美称)は、われら天つ神が統べ治める国であるのに」
そこで何度か言向けたが、その度にオオクニヌシに懐柔され、ついに強きタケミカヅチを遣わした。
稲佐の浜に天降ったタケミカヅチはオオクニヌシに国譲りを迫り、オオクニヌシは「わが息子たちに聞くがよい」と、返答を避けた。
息子の一人、釣りキチのコトシロヌシは、美保関で入水して果てた。
もう一人の息子のタケミナカタは激しく抵抗したが、敗走を重ね、信濃の諏訪にて降伏し、以来その土地を出ていない。
結局、オオクニヌシは天つ神に屈した。
このとき、オオクニヌシは天つ神に代償を求めた。
「この葦原の中つ国は、ことごとく天つ神に奉ろう。ただ、わが住処だけは、土の底なる磐根に届くまで宮柱をしっかりと掘り据え、高天原にも届くほどに高々と氷木を立てて治めたまえば、われはおとなしく鎮まろう」
こうしてオオクニヌシは、高くそびえる出雲大社に祀られることとなった。
深く地を掘り柱を立てて高々とした宮を建てる―――この言い回しは、既に述べたとおり二ヶ所あるのだが、こういう例は、他にもある。
有名なものでは、火に囲まれる話。
神代のオオナムヂは、スサノオの試練により炎に捲かれ、鼠の助けにより危機を脱した。
人代のヤマトタケル(景行天皇の息子)は、焼津にて敵豪族に火攻めに遭い、叔母から授かった剣と火打石で、草を薙ぎ火を返し、敵を殺した。
足立美術館で見かけた河井寛次郎の詩「手考足思」を見たとき、一目でゾクゾクするほど気に入った。
しかし、館内はもちろん撮影禁止。そこで、ペンと紙を取り出して走り書きしたのだった。
手考足思
私は私を形でしゃべる、土でしゃべる、火でしゃべる、
木や石や鉄などでもしゃべる。
形はじっとしている唄、飛んでいながらじっとしている鳥、
そういう私をしゃべりたい。
こんなおしゃべりがあなたに通ずるならば、
それはそのままあなたのものだ。
その時私はあなたにわたしの席をゆずる。
あなたの中の私、私の中のあなた。
土を練るのが上手なモンは言葉を練るのも上手なのかと、強く思った。
おすすめスポット
タグ 出雲 タグ 石見
20.7.28(月)
6/14の給油記録。
① 播州山崎:201.8km
…を含む。
333.5km(高速道路不使用) 10.9km/l(燃費計) 31.91L 給油 レギュラー@168円
333.5÷31.91=10.451… → 10.4km/l(満タン法)
10.4-10.9=△0.5
∴燃費計は、満タン法より、0.5km/l前後良く測定される。
さらに、6/14の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
全体の距離を、①を遠出、残りを ②街乗り…と別ける。
燃費計は、満タン法より、0.5km/l前後良く測定される…と想定。
① 201.8km 14.4km/l → 13.9km/l 14.517…L
② 131.7km → 17.392…L
計 333.5km 10.9km/l → 10.4km/l 31.91L
① 201.8km 14.4km/l → 13.9km/l 14.517…L
② 131.7km → 7.5km/l 17.392…L
計 333.5km 10.9km/l → 10.4km/l 31.91L
∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、131.7km走って
7.5km/l。
20.7.27(日)
私はサッカーについて無知である。
オフサイドは辛うじてわかるが、
サドンデスをロックバンドか何かと思っていたくらいだ。
リフティングも、たった十数回しかできなかった。
そんな私が中学生の頃、体育の授業中(サッカー)サッカー部の友人が繰り出した技に、一瞬で心を奪われた。
両足を前後にボールを挟みこみ、右足でボールを左足の踵に乗せ、2、3kmほど自分の前にボールを跳ね上げる―――いわゆる
ヒールリフトだ。
それから、機会があるたびにヒールリフトの練習ばかりした。
家に帰っても、(ドッヂボールで)狭い庭で練習した。
そしてついに、ほぼ確実にボールを跳ね上げられるようになった。嬉しかった。
しかしその後、体育の試合中にヒールリフトを実戦使用することはなかった…。orz
20.7.26(土)
先月中旬の話。
播州宍粟郡の篠ノ丸城、山崎城、播州山崎花菖蒲園、滝野のぽかぽへ行ってきた。7/13参照。
篠ノ丸城は、北西から山崎の盆地にニュッと突き出た山にある。
播磨の豪族の赤松氏が築き、赤松氏の傘下の宇野氏の城だったが、羽柴秀吉の播磨攻めの軍勢の前に落ちた。
羽柴秀吉の智恵袋的存在の黒田官兵衛孝高は、山崎の合戦(播州ではなく、京の入口。羽柴秀吉が明智光秀を破った戦い)前後に宍粟郡一郡を領地にもらった。祖父以来の姫路の地は、最初に秀吉に味方したときから、秀吉にそっくりそのまま明け渡していた。
官兵衛は、この篠ノ丸城を手直しして領地を治めた。
山崎城は、篠ノ丸城のすぐ南側の平地にある。黒田官兵衛のあとに山崎に入封した木下氏が、山上の城を嫌ってか、低地に府庁を置いたのだ。
のちに山崎の主は、
池田氏 → 松平氏 → 池田氏 → 本多氏 …と移り、本多氏が山崎藩一万石を二世紀近く治めている。
山崎藩(宍粟藩)の本多氏は、徳川家康の重臣・本多忠勝の子孫であり、分家にあたる。
宍粟歴史郷土館(図書館の二階)の本多氏ゆかりの品々に、本多氏の家紋の
立ち葵を見かけた。本多忠勝の肖像画(おそらく複製)もあった。
篠ノ丸城のふもとにある
山崎八幡神社にも、立ち葵が描かれた幕が張られていた。
播州山崎花菖蒲園は、山崎の平地の東端の丘にある。
小山一つ越えた先なので、駐車場から入口まで100mほど坂を上らなければならない。
ただし、体力のない人向けに、数台のカートをぐるぐる運行している。
相方が乗りたそ~うにしていたが、ダメダメ、と意地で登った。
入口をくぐって坂を降りると、もうそこは俗世と隔絶された別世界。
数え切れない品種の花菖蒲が、咲き誇っていた。

この花菖蒲園は、すべて品種名が書かれており、その名のセンスの良さに感心した。
→
品種名データベース(newpage3~11、当園のサイトではない)
花菖蒲には、江戸系、肥後系、伊勢系の三つの系統があるそうだ。特徴は以下の通り。
江戸系:群生美◎、室内鑑賞△、群生美に優れる
肥後系:群生美△、室内鑑賞◎、豪華さに優れる
伊勢系:群生美○、室内鑑賞○、繊細美に優れる
一周見てまわるうちに、三系統のいずれかくらいは、なんとなくわかるようになった。
帰りの坂で、相方がカートに乗りたそ~うにしていたので、
ブルンブルン乗せてもらった。
ゴキゲンなおってヨカッタ。。
おすすめスポット
タグ 宍粟
走行距離201.8km 燃費計14.4km/l 高速道路不使用
20.7.25(金)
ギター曲
小麦畑と童謡
クラリネットをこわしちゃったは、最後の二音が似ている。
20.7.24(木)
先月上旬の話。
播州加東の日の神教団(偵察)、掎鹿寺、加西の古法華自然公園、根日女の湯、パスコロ、そしてあやしい宗教施設(偵察)へ行った。
東条の野を走っていると、西の丘にキラキラ光るものがある。
そこで、キラキラに向かって走ってみた。
日の神教団 瑞宝苑。その施設の立て札には、そう書かれていた。
正面に鳥居がある。
神道系で「日の神」とくれば、アマテラスを崇める教団だろうか。
となりの丘には、掎鹿寺があった。
掎鹿寺は、「はしかじ」と読む。
入口に、
桂石寺と大書された石碑がある。
住職の旧姓「桂」と
大好きな「石」をあわせた寺号を、勝手に掲げているわけ。
これは、住職個人と石屋との癒着ゆえであり、 その境内は石碑や石の置物だらけ。
檀家には、すさまじく不評であろう。
なぜそんな寺をわざわざ訪れたのか?―――それは、この寺の脇に、義経道があったから。
丹波・播磨にとっての義経道とは、一の谷の合戦に赴いた源義経が通った道。
京を発して篠山を抜け(篠山の東に、那須与一が戦勝祈願したという寺がある)、三草山で一戦し、ここ掎鹿谷も抜けたということだ。
古法華自然公園は、ゴツゴツとした岩肌が露わな善防山と笠松山にまたがる公園。
車で山上の駐車場へ登る道があるのだが、これがまた峻険極まる。
鎌倉の切り落としより酷いかもしれない。
ちいさな古法華寺には、石仏が秘蔵されているらしいが、この日は見られなかった。
あやしい宗教施設―――。
私が前々から注目している、某宗教団体。
昨秋、三草山から登ったときに、その異様な光景に唖然とした。
三草山の北東の荷篭谷を、巨大な門、大路、本殿、集会所で埋め尽くしていたのだ。↓
今年3月の二次調査。
あまりのひと気の無さ、そして庭園の石像群から、
「 逃 げ 出 し た 信 者 が 石 に 変 え ら れ た の だ ろ う 」と推論した。
今年6月の三次調査。
門周りは、完成に近づいていた。
周囲に建設会社の人間が数人居たが、これ見よがしに
近づくなオーラを放っていた。
途中、
福井ナンバーの赤いフィットと
石川ナンバーの白いセダンが、門を抜けて入っていった。

引き揚げようとしたとき、荷篭谷の手前の畑という場所に、工事関係の看板を見つけた。
H○C施設建設工事。―――○MC…きっかけをつかんだ。
さて、帰宅してから、HM○について調べてみた。
結論から言うと、あやしい宗教施設の正体は、
念仏宗 無○寿寺。本部は京都嵐山。
数十年前に誕生した新興宗教であり、すでに福井、金沢などに拠点があるようだ。
そして、この加東市の社の谷あいに、新たな拠点
真○の里をつくろうとしているのだ。
HM○とは、対外活動を行いやすくするためのダミー会社に過ぎなかった。
旧社町の元町長は、賄賂を受けて開発許可を出し、のちに逮捕された。
総本山
○如の里は、約10万坪の敷地に総予算350億円を投じてつくられているという。
1坪は約3.3㎡だから、10万坪は330,000平方㎡。
細長い荷篭谷を埋め尽くしてるから、その規模はざっと200m×1,500m(=300,000㎡)+α くらいだと想像すればいい。なお、施工はゼネコンの
大成○設。
念仏宗 無量○寺
ウィキペディア
兵庫タイムス
国民新聞
情報化社会と言われる昨今です。念佛宗についての様々な情報が、多方面から入る方もおられると思います。
信頼できる情報もあれば、取るに足らない信頼できない情報もあります。
加工された言葉のかたまり達が、私達の周りで自己顕示しています。
さて、あなたは・・・どの情報(言葉)を信じ選ばれますか?
私自身は、私に念佛宗を紹介してくださった、お声を掛けて頂いた方のお言葉(お人柄)を信じました。
私は、その方を信頼できる方だと、私自身の心(直感かな?)で、判断いたしました。
あの日、私にお声を掛けて頂いた方のお人柄を信頼し、自分自身の心を信じて良かったと、いつも思っています。
あなたは、あなたにお声を掛けられた目の前におられる方を、どんな風に判断されますか?
↑これが、諸疑惑に対する念仏宗 無量○寺(信者一個人という態をとっている)のスタンス。
あとは、各々見て、調べて、判断されたい。
おすすめスポット
タグ 加東 タグ 加西
走行距離 約127km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破
20.7.23(水)
7/21に描いた落書きに、フォトショで色塗りしてみた。
レイヤーは28、PSDファイル13.2MB、JPGファイル609KB。なぜかやたら重い。
一応、眞子内親王殿下のつもり。
え、似てない? やっぱり不敬罪ですか、そうですか。orz
描いた絵を見て、母方の又従姉妹に似てるかも、と思った。
眞子様と似てる…わけではないが、この絵とは似てる。
(ってことは、やっぱり似顔絵になってないんだね!? シクシク…)
最後に会ったのは、又従姉妹が高校の頃。今頃は女子大生かな。