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イイね!
2008年07月17日

日記 ⑪

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、十一冊目。

 日記          


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.11.4(火)

 ほぼ三万文字。日記帳がいっぱいになった。


 20.11.3(月)

 「生」と「死」は対義語とされているが、厳密には違う。
 「生」は生きること、生きていることそのものを指し、
 「死」は生命を喪うことを指す。
 「生」は線、「死」は点。とすると、
 「生」の対義は「生きていないこと」、
 「死」の対義は「誕生」であろうか。


 20.11.2(日)

 「おうとつ」は「凹凸」と書くが、「でこぼこ」は「凸凹」と書く。


 20.11.1(土)

 武士道は日本人全体が持つべき規範・心構えのようにいう向きがある。(戦時における大和魂も、武士道を下敷きにしている?)
 ブシ/モノノフ/サムライを家業にした人間は、日本人の御先祖の一部に過ぎない。
 武士に限らず農民も土地にしがみつき一所懸命に生きてきた面はあるだろうが、武士道や士魂というものは、士族の末裔を自認する者だけが持っていればそれで良い。
 様々な時代の武士たちの物語に感動し、あるいは涙することとは、また別の話である。


 20.10.31(金)

 エレベーターの声の「五階でございます」が、申し開きをしているように思えてならない。

 「 誤 解 で ご ざ い ま す 」


 20.10.30(木)

 PCに少し昔のケータイの写真が残っていた。データには、071209とある。
 確か、県立三木総合防災公園に併設されている県消防学校の前の遊具(?)の上。
 アスレチックみたいなのが大好きだからスルスルッと登り、直後に相方に盗撮された一枚。

 高いところは、コワイけど好き。だって、バ力だから。\(^o^)/


 20.10.29(水)

 戦国時代の薩摩と土佐は、似ている。

 北を山で隔絶され、南に荒波をかぶる、半ば独立の地。
 死を怖れぬ屈強の兵。薩摩隼人、一領具足。
 戦国最末期に島の統一に乗り出し、それは実現直前までいった。
 しかし、豊臣秀吉に征伐され、山地より南に押し込まれた。
 かつて勇敢に戦った侍たちは、のちに郷士として根付いた。ボッケモン、イゴッソウ。
 関ヶ原の合戦の折、徳川に味方しようとして、不測の事態により西軍に味方することを余儀なくされるところまで似ている。
 ただ、関ヶ原の戦後処理で、土佐の方だけ余所者の主を頂くことになる。


 20.10.28(火)

 10/20に「なぜマタモノが大河ドラマの主役になるかが未だにわからん~」と書いたけれども、少し前の風林火山、あの主人公もマタモノだったか。山本勘助。
 当然、山本勘助が討死にする川中島の合戦で話は終わってしまった。
 これは、武田三代の視点から見れば、中盤で終わってしまうので、中途半端すぎる。
 信玄一代で見ても、せいぜい三分の二しか描けない。
 どうせマタモノでドラマをつくるなら、主家の栄枯盛衰が俯瞰できる立場の人物を取り上げねばならない。
 その意味においては、上杉景勝の世継争いの頃から最後の動乱の関ヶ原の合戦や大坂の役まで景勝の側近であった直江兼続は、主役として描き易い方かもしれない。


 20.10.27(月)

 もののけ姫のアシタカは片腕に呪いを受け旅に出るが、即刻その腕を切り落とせば、死ぬかもしれない当てのない旅に出る必要もなかっただろうに。


 20.10.26(日)

 F.F.6のセリス(レオ葬送時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩8/30、9/6、9/14、日記⑪ 10/11参照。

 剣の据えられたレオ将軍の墓前で、残された戦士たちは憮然とした面持ちで立っていた。
 つい前日、レオ将軍は狂気の魔導師ケフカに殺され、サマサの村は火をかけられたのだった。
 ティナは、焼け残った花を一輪摘み、墓前に添えた。

 ティナ「レオ将軍……。人はみな力が欲しいのね…私みたいになりたいのかしら…。もっと…あなたからいろんな事を教えてもらいたかった……」

   クゥゥ…

 シャドウの猟犬・インターセプターが、びっこを引きながら茂みからあらわれた。

 ロック「インターセプター、大丈夫か!? レオ将軍だけでなく味方のはずのシャドウまでも……帝国め!」

 ロックは腰の袋から包帯を取り出し、インターセプターの手当てをした。
 「やさしいのね」
 ロック「これでよし」
 セリス「やさしいのね」
 リルム「リルムがついていてあげる」
 ロック「しかし、こうなると帝国に残るエドガーたちが心配だ」
 ティナ「無事だといいけれど……。あ、飛空艇の音が…!」

 ブラックジャック号だった。
 帝国の監視のためにベクタにいた戦士たちが、機外へ降りてきた。

 セッツァー「帝国が裏切った。あやうく罠にはめられるとこだった」
 カイエン「事前に脱出でき申した。エドガー殿の情報のおかげでござる」
 ロック「さすが一国の王」
 エドガー「お茶を運んで来てくれたレディにごあいさつしたら、丁寧に教えてくれたよ」
 マッシュ「……便利な特技だな」
 エドガー「女性がいるのに口説かない。そんな失礼な事ができると思うかね? 礼儀だよ、れ・い・ぎ」

 そんなことはどうでもいい、とばかりに、ロックはエドガーに向き合って言った。

 ロック「レオ将軍が殺された。ケフカにな!」
 カイエン「レオ殿が!? 無念……帝国にいる数少ない理解者が…」
 エドガー「とにかく作戦のたて直しだ。飛空挺に戻ろう」

 老ストラゴスが、ロックやティナたちの陰から身を乗り出した。

 ストラゴス「わしも行ってもいいのかの?」
 エドガー「あなたは?」
 ロック「この村の人だ」
 ティナ「魔導士の血を引く人なの。力になってくれるわ」
 ストラゴス「力の使いかたを誤った帝国を放っておくわけにはゆかんしの」
 エドガー「…うむ、心強い同志だ」

 リルム「リルムも!」
 ストラゴス「だめじゃ」
 マッシュ「子供は足手まといだしな」
 リルム「なにをー、このキンニク男!」
 マッシュ「はっ! 口だけは達者だな、お嬢ちゃん」
 リルム「くーっ、似顔絵かくぞ!」

 リルムが魔力を込めて宙に描く敵の似顔絵は、その敵を攻撃する。
 ベクタに残っていた戦士たちは、それを知らない。

 ロック「わー! やめ ヤメ!」
 ストラゴス「わかったわかった。しょうがないやつじゃ」
 リルム「やったー!」
 マッシュ「じゃあ、行くぜ!」

 エドガーだけが動かず、考え込んでいた。

 リルム「どうしたの? 色男」
 エドガー「君、いくつだい?」
 リルム「10才よ。―――変なの、先行ってるよ」
 エドガー「さすがに犯罪か……やめとこう」

 一国の王は肩を落とし、溜め息をついた。


 憮然(ぶぜん)という熟語は、かなりの割合で意味を間違えて覚えられているらしい。
 不満気・怒っていると誤解されるのは、ブーたれている―――という連想からか。
 字義は、「リッシンベン」に「無」だから、心が無い―――ぼんやり・がっかりする意。

 ぶ‐ぜん【憮然】
 失望・落胆してどうすることもできないでいるさま。また、意外なことに驚きあきれているさま。「―としてため息をつく」「―たる面持ちで成り行きを見る」


 リルムがなんだか花井君みたいになった。
 ティナのポニーテールの括ってる部分が、前過ぎた。
 中腰の格好の資料がないモンで、セリスの質感(!?)が少し不自然になった。


 20.10.25(土)

 月夜野と夜久野は、語感が似ている。


 20.10.24(金)

 死んだふり そのまま喰われる オポッサム

 一世一代の奇手を、しくじることもあるだろう。
 同じ天敵にやられて喰われるというシチュエーションでも、仮死のまま死ぬ方が幸せか…。


 20.10.23(木)

 先々々月中旬の話。
 播州小野のひまわりの丘公園へ行った。

 ひまわりの季節に行ったのは、実は初めて。
 隙間には、ナデシコか何かが咲いていた。
 小さめのひまわりが、乱雑に並ぶひまわりの丘。


 あまりに暑かったので、吉川の西山牧場へ行って、ジェラートを食べた。
 西山牧場の狭い駐車場は溢れかえっていて、農道の脇にずらっと車が停められていた。
 マツダのロードスターが7台。
 「これは、オフ会というやつやね」
 「おふかい?」
 「ネットで知り合ったモン同士が示し合わせて、人数ぎょうさん集まったりすること」
 ジェラートを買って、外に向いているカウンター席に座った。
 外の仔牛がいる柵の脇に、8人の男(平均年齢20代後半?)が立ちながら雑談していた。
 「あ、きっとあの人らやわ」
 「オフ会、やね。うわぁ~」   うわぁ~ って…。
 それから十数分、すっかりオフ会批評会になった。
 内 容 は 自 粛 す る 。 相方が私以上の毒舌であることを、改めて認識した。orz


 20.10.22(水)

 PCに古いWordのデータが入っていたので、恐る恐る開いてみた。

 クレスタを
 くれただなんて
 びっくれすた

 カローラに
 乗って疲れた
 過労だな

 ホンダ車の
 売れ筋 筆頭
 フィットなり

 マークⅡ
 名前が変わり
 まあ、苦痛

 備中の
 ヴィッツと ミラは
 見られない

 ハリアーと 張り合い
 セリカに 競り勝つ
 赤穂の アコードと
 それがしの レガシィ

 チャーリーのチャリは
 けたたましいケッタマシーンだ

 つい太る
 水夫と スイフト
 シビックに
 私 びっくり
 イプサムは
 一風 寒い
 やだ! セレナ
 ヤラセ 出ないで!
 椅子とイスト
 キューブが休部
 セールしよ
 高いセルシオ
 クラウンは
 ガソリン喰らうん?
 アテンザに
 当てんじゃないよ!
 浮野さん(この行のみ改変)

 デミオ乗り
 カミオカンデ
 見ようかな

 ファンカーゴ
 とっても不安
 加護よ あれ

 何、地震?
 早速 支援だ
 シエンタで

 僕 知ってる
 牧師のクルマは
 ヴォクシーさ

 エスティマで
 何やってるの?
 「エステ!今!」

 ウィッシュは
 ストリームの一種

 ランサー 要らんさ

 きっと有り余る
 フィットアリア ◎

 織枝のエリオの
 ええ利用法

 あたしのアイシス
 愛に死す


 ……。オヤジじゃないのに。年齢詐称してないのに。。(ノ_・。)


 20.10.21(火)

 ヴァイオリンのアレンジが秀逸。サマンサ・ガーデラス。



 20.10.20(月)

 先々々月下旬の話。
 かねたん(山形新聞)なる新手のマスコットキャラクターを知った。

>大阪市在住のイラストレーター岡野亜記さんの作品。
>生涯にわたって上杉景勝を支えた兼続を主君に忠誠を尽くすイメージがあるイヌで表現した。
>また、兼続が「美男子」だったと伝わることから、りりしいまゆ毛を描き、兼続の代名詞ともいえる「愛」の前立てが付いた兜(かぶと)をかぶった武者姿とした。


 犬…。愛の前立て…。直江兼続ね。。

 個人的には、直江兼続は好きも嫌いもない。
 直江兼続は蜀漢の諸葛孔明に似てるかも、と思うことがある。
 法に厳格なところとか、
 劇的な書状を書いた(?)ところとか、
 攻めながら攻めきれず軍を退くところとか。

 なぜマタモノが大河ドラマの主役になるかが未だにわからんのだが、人物の器量からいえば功名が辻の夫の方より上であることは間違いあるまい。


 20.10.19(日)

 なぜだか急に、高校のときのジャンプの読み切り漫画を思い出した。

 実在の人物、バロン西こと西竹一を主人公にした漫画。
 西竹一はロス五輪の馬術の金メダリストで、軍人ゆえに硫黄島で戦死した。
 映画「硫黄島からの手紙」にも登場していた。

 漫画とは話が変わるのだが、ずっと昔にTVをつけたとき、古い映画が放送されていた。
 男が泣きじゃくり、電話の向こうの女(たぶん若い頃の中村玉緒)に話しかけていた。
 「ウラヌスが…ウラヌスが死んじまった~~」
 ウラヌスは西竹一の愛馬の名であり、何らかの関連はあると思うのだが…。

 この漫画/映画を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ詳細をご教授願いたい。


 20.10.18(土)

 なぜだか急に、高校のときのジャンプの読み切り漫画を思い出した。

 江戸初期のある藩の話。
 その藩は、老臣連中と小姓連中の二派に分かれ、権力を争っていた。
 その藩には、くろがね某(字は失念…)という気骨ある武士がいた。
 くろがね某は、かの大坂の役(?)にて、味方である寄せ手のために自分の片足を犠牲にしたことで、両派から敬意を受けていた。
 くろがね某は、それぞれの首謀者のもとへ出向いて、事情を訊いた。
 それぞれの首魁は、それぞれの立場から事情を語った。
 両派は争いながらも、主君(あるいは、お家)のことは大事に考えている。
 熟考したくろがね某は、行動に出た。
 甲冑を身につけ軍支度を整えたくろがねは、「くろがね殿ご乱心!」と何度も叫びながら両首謀者の屋敷を襲撃した。
 反目する両派の首魁を斬り、藩の分裂を未然に防いだくろがね某は、その場で切腹した。
 ―――だいたい、こんな筋。

 この漫画を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ詳細をご教授願いたい。


 20.10.17(金)

 英雄ポロネーズとキューピーマヨネーズは、響きが似ている。


 20.10.16(木)

 エアーマンが倒せないの替え歌考えてみた。日記③ H19.13/14参照。
 サルーインが倒せない。あんまり出来は良くない。動画をつくる技術もない。

 気がついたらパーティ壊滅寸前
 そしてクローディアにアニメート
 あきらめずに不動剣繰り出しまくるけど
 クローディアに背中射られる

 もしもベホマラーがあれば
 全員回復できるけど
 何回やっても何回やっても
 サルーインが倒せないよ
 あの撃剣波何回やっても避けれない
 後列に下がって距離をとっても
 全体攻撃逃げられない
 腕力法の重ねがけ試してみたけど
 先に殺られたら意味がない
 だから次は絶対勝つために
 僕は雷撃衝は最後までとっておく

 気がついたらひとり生き残った僕
 そしてシフにアニメート
 あきらめずに不動剣繰り出しまくるけど
 シフに頭割られる

 もしもザオリクとかあれば
 仲間復帰できるけど
 何回やっても何回やっても
 サルーインが倒せないよ
 サルーインソード何回やっても避けれない
 後列に下がって距離をとっても
 前列倒れりゃ無駄骨
 力の水の重ねがけ試してみたけど
 防御効果で意味薄い
 だから次は絶対勝つために
 シムラクラムだけは最後までとっておく


 (注)僕 → 貴族のドラ息子


 20.10.15(水)

 ここを見ると、
 かっつんがスライムに、
 デミーちゃんがスライムベスに見えた。


 20.10.14(火)

 多可郡多可町加美区へ行ったときの話。10/7参照。

 その一。
 はりこ工房 葉紙屋で、方言の話題になった。
 例えば、「~なさった」という言葉。
 私の住む摂津では、「~しはった」といい、
 相方の住む東播では、「~したった」といい、
 北播の多可郡では、「~しちゃった」というらしい。

 その二。
 加美の杉原谷を気分良く走り抜けていたとき。
 「← かみ高地」の看板が見えた。
 …確かに、ここは「かみ」で、「高地」であるには違いない…が、一抹のセコさを感じた。

 その三。
 加美の杉原谷を気分良く走り抜けて、中区に至ったとき。
 「← 託老所ろまん」の看板が見えた。
 そ、そんな「託児所」みたいな…しかも「ろまん」て…。
 実際、預けられた高齢者同士でろまんすがあったら、家族は困惑するだろうなぁ…。

 その四。
 中区だったか、「セシルラーメン 聖詩留」というラーメン屋を見た。プッ ウププ
 そういえば、道の駅 R427かみのレストランは、「シャルマン 車留満」といった。
 いったい何なの、そのセンス!?

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 20.10.13(月)

 ムスリムは、猪も食べられないのだろうか。


 20.10.12(日)

 先々々月の話。
 夜道の帰り、右前の学生らしき者を歩いて抜かしかけたときのこと。
 学生が突然鼻歌を歌い始めた。それも、かなりの大音量で。

 私は動揺しながらも表に出さず、そのまま抜かし切った。
 それでもまだ、歌っている。結局、道がそれるまで歌っていた。

 たぶん、学生は夜道に自分独りきりだと思ったのだろう。
 私の足音も感じ取れなかったのは、携帯オーディオで歌を聴いていたからに違いない。
 しかし、そこに私があらわれた。向こうも焦っただろう。
 そこは敵もさる者、途中で鼻歌を止めるという選択はせず、あえて歌いきった。 
 さぞかし恥ずかしかっただろう。だが、……しかし、ソレを想像するだけで恥ずかしい!

 私 の 方 が 犠 牲 者 な の に 私 の 方 が 恥 ず か し い だなんて、理不尽だ!


 20.10.11(土)

 F.F.6のセリス(レオ討死時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩8/30、9/6、9/14 参照。

 レオやユラたちが幻獣と人間の和解が成ったと喜んでいるとき、すでにサマサの村は囲まれていた。

 ケフカ「ひょっ ひょっ ひょっ ぼくちんの魔導アーマー隊の力を見せてやるぞ!」

   ゴゥン ガシャン ガシャン ガシャン

 不意の襲撃に、戦士たちはあっという間に蹴散らされた。

 レオ「ケフカ、何をする!」
 ケフカ「ヒヒヒ…皇帝の命令です。幻獣達を魔石化して持ってこいとね。見よ、幻獣を魔石化させる秘技を!」

 ケフカが手を伸ばすと、その先の幻獣がたちまち魔石となってケフカの手に吸い込まれた。

 ケフカ「ヒィーーヒッヒ! ……つまらん。面白くないから、こんな村なんて焼きはらっちゃいな!」
 レオ「ケフカ、おまえの行い、もう許すわけにはいかぬ!」

   ズバン   ギャーーーッ

 レオ将軍は、剛剣を一閃した。切っ先が音速を超え、衝撃波が村の外まで震わした。

 ケフカ「さすがは、レオ……。私をこのような目に遭わすとは……」

 手負いのケフカは、霧のように姿を消した。

 レオ「どこだ……。ケフカ、姿を見せろ!」
 ガストラ皇帝「レオよ……」
 レオ「皇帝! 今までどちらに!?」
 ガストラ皇帝「レオ、おまえまで騙してすまなかった。これも、魔石を手に入れるため。わしの真意、わかってくれるであろうな」
 レオ「しかし……」
 ガストラ皇帝「言うな、レオ。お前の気持ち、解らぬでもない」

 再び、どこからともなくケフカがあらわれた。

 ケフカ「ヒッヒッヒッ、皇帝のおっしゃる通り! 今は、魔石を集めるのが先決なのだよ」
 レオ「皇帝、では、私はいったい……」
 ガストラ皇帝「レオ、お前には、少し休んでいてもらおう。それも、ずーっと長くだ!」

   ヒッヒッヒッ   ザクッ
 ← 右は俊夫さんではなくケフカ
 レオ「うっ!」
 ケフカ「お前が倒した私……それは私の幻影なのだよ! そして、意気地なしののガストラ皇帝も、もちろん幻影! それくらいの違いがわからないヤツが将軍だなんて、それも、いつもいつも……いつもいつも、いいこぶりやがって!」
 レオ「ケ、ケフカ……お前というやつは……」
 ケフカ「ヒッヒッヒ…皇帝には、レオは本心で裏切ったと報告しておくよ。死ね 死ね 死ねー!」
 レオ「ぐあぁーーっ!」

 ケフカの凶刃にかかり、レオ将軍は死んだ。

   ゴゴゴゴゴゴゴ…

 ケフカ「な、なんですか? すさまじい魔力を感じますね。と、とってもはげしい魔力の波動なんだな」

 数分後、サマサの空に新手の幻獣があらわれた。

 ケフカ「これは、これは。突然のお越しで驚きましたが歓迎いたしますよ。ぼくちんに、もっと魔石プレゼントしてくれるというのですから。お望みどおり、魔石と化してあげましょう!」

 ケフカの魔石化の秘術によって、幻獣たちが何十と魔石にされた。

 ケフカ「そのようなものでは、この私を倒すことなどできませんよ! さあ、魔石となって、私とともに魔導帝国『ケフカ』を造ろうではありませんか!」

 最後の一体も魔石となり、封魔壁を出た幻獣は全滅した。

 ケフカ「ヒョッヒョッヒョ、魔石はこれでもう充分ですね。あとは、封魔壁の奥にある最後の宝を手に入れるだけです。シンジラレナーイ!」

   ヒィーーーヒッヒッヒ

 炎に巻かれる村に、ケフカの笑い声が響いた。


 今回に限っては、セリスというよりレオを描きたかった。(四つん這いだけど。影絵だけど。)
 なんだか人造人間16号的なガイスガイで、まことにおかしい惜しい男だったから。
 でも、ケフカに突っ込まれている通り、ニセ皇帝も見破れないあたりは確かにオマヌケ。


 20.10.10(金)

 能煩野とボノボは、響きが似ている。


 20.10.9(木)

 先々々月は、但馬と北播多可郡を中心に周った。
 写真や資料を整理してるうちに、どうまとめたら良いかわからなくなってきた。
 テーマは大きくわけると、日本神話と山名氏の興亡。
 その日本神話も、アメノヒボコ関連とコウノトリ関連にわかれる。そこでここでは、どちらの神話にも少しずつかかわってくるイクメイリビコの大君のエピソードをまとめて列挙する。

【サホビコとサホビメ】
 サホビメは、時の大君・イクメイリビコ(垂仁天皇)の后であった。
 あるとき、兄(いろせ、同腹の兄)のサホビコがサホビメに尋ねた。

 「兄と夫、いずれを愛しいと思っているのか?」
 「……兄様を愛しいと思っております」
 「妹よ、まことに私のことを愛しいと思うなら、私とそなたとで、この天の下(あめのした)を治めようではないか」

 そう言って、サホビコは妹に紐の飾りの付いた小刀を手渡した。

 「大君が眠っているところをねらって、刺し殺せ」

   グガ~~ グゴ~~ スゥーーー

 大君は無防備のまま、后の膝を枕に、昼寝している。
 サホビメは、兄の言いつけの通り小刀を出し、膝の上の大君の喉元に、切っ先を振り下ろそうとした。
 …が、出来なかった。
 三度ためらっているうちに、涙がこぼれ落ちた。

   ポタ ポタッ

 雫を顔に受けた大君は、驚いて跳ね起きた。

 「われはあやしい夢を見た。沙本(さほ、地名)から叢雨が降ってきて、いきなりわが面を濡らしたのだ。また、錦色の小さな蛇が、わが首にまとわりついていたのだ。一体この夢は何のあらわれであろうか?」

 大君の夢見に、サホビメはすべてを告白した。

 「―――そして小刀を取り出だしたのですが……たちまち悲しい気持ちが起こり、御首をどうしても刺すことができず、あふれ出た涙が流れ落ちて、御顔を濡らしてしまったのです」
 「……われは、今少しで欺かれるところであったのか」

 激怒した大君は、サホビコを討つ兵を挙げた。
 サホビコも、稲城(いなき、稲束を干す木組みを利用した防柵?)をつくり、迎え撃った。
 サホビメは宮を抜け出し、兄の立て篭もる稲城へ駆け込んだ。
 このときサホビメは大君の子を腹に宿しており、また大君もそれを知るため、一気に攻め落とすこともできない。
 こうして、双方のいくさびとがにらみ合う中、サホビメは子を産んだ。
 サホビメは、その子を稲城の外に置いて言った。

 「大君が、この御子を御自分の御子と思うなら、どうかお育てくださいませ」
 「その兄は恨みに思えども、なおそなたが愛しゅうてならぬ」

 大君は、その場でその子を受け取ることをせず、一計を案じた。
 あとで受け取りに行く旨を稲城に伝え、屈強の兵を選んで言った。

 「御子を受け取るときに、后の髪であろうと手であろうと、手当たり次第に掴んで引っ張り出してくるのだ」

 大君の考えを見通したサホビメは、髪を剃り、その剃った髪(カツラ?)を頭にのせ、玉の緒を腐らせたものを三重にして手に巻きつけ、さらには酒を使い腐らせた服を身にまとった。
 そして御子を抱いて、稲城の外に出てきた。
 屈強な男たちは御子を受け取るやいなや、サホビメを捕らえようとした。
 しかし、髪を掴むと髪は取れ、手を掴むと手に巻いた玉の緒が切れ、服を掴むと服は簡単に破れてしまい、どうしても捕らえることが叶わなかった。
 最後の機会でもしくじった大君は、大いに悔しがり、なおも稲城に問うた。

 「子に名を付けるのは、母である。この子の名は、何とするのか?」
 「今はまさに、稲城が火に焼かれんとき。御子はそのような中で生まれました。ですから、その御名はホムチワケとしましょう」
 「いかにして養い育てればよいのだ?」
 「乳母を選び、産湯を使わせる者を定めて、養い育ててくださいませ」
 「そなたが締めてくれたわれの下紐は、誰に解かせればよいのか?」
 「旦波(たには=丹波)のヒコタタスミチノウシの娘・エヒメとオトヒメは心根の優しい者たちですから、この二人をお使いになるのがよろしいでしょう」

 未練は残れどももはや問うことも尽きた大君は、ついにサホビコの稲城に火を放ち、攻め殺した。
 妹のサホビメも、兄に従って死んだ。


 コノハナサクヤヒメで有名な火中出産の、もうひとつの話。日記⑧ 7/13参照。
 昔は異母兄妹なら、恋愛や結婚は普通にできたが、母を同じくする兄妹はダメだった。
 のちに不具の子が生まれたのは、その子がサホビコ・サホビメの近親婚ゆえという説もあるらしいが、はてさて、どうなのか。この話は、さすがにイクメイリビコに同情する…。
 記紀ともに記述あり。大差なし。古事記に従った。

【もの言わぬ皇子】
 母もともに立て籠もる稲城にて生れ落ちた皇子(みこ)・ホムチワケは、生まれつきものを言うことができなかった。
 イクメイリビコの大君は、ホムチワケの病を癒そうとして、丸木船を池に浮かべ親子で舟遊びをした。しかし、皇子は喋らない。
 皇子は齢三十になり髭が長く伸びてしまっても、泣くときは幼児のようで、言葉を話すことはなかった。

 ある冬、大君は皇子をそばにおいて宮殿の前に立っていた。
 そのとき、鵠(くぐい)が大空を飛びわたった。
 皇子は鵠を見上げて口を開いた。

 「あれ……あれ…なに?」

 大君は、皇子は鵠を見たゆえに喋ることができたと喜び、「誰かあの鳥を捕らえよ」と左右に命じた。
 直ちにアメノユカワタナが進み出て、鵠を追ってゆき、出雲に到ってようやく捕らえた。一説には、但馬で捕らえたともいう。
 アメノユカワタナは捕らえた鵠を献上した。ホムチワケは鵠と遊び戯れ、ついに言乃葉を得た。
 大君はアメノユカワタナを篤く賞し、鳥取造(ととりのみやつこ)の姓(かばね)を与えた。


 くぐい【鵠】《「くくい」とも》
 白鳥(はくちょう)の古名。

 こう【鵠】
 ハクチョウの古名。

 こうのとり【鸛】
 コウノトリ科の鳥。全長約1.1メートル。全身白色で、風切り羽とくちばしが黒い。松などの樹上に巣を作り、姿がタンチョウに似るため「松上の鶴」として誤って描かれた。東アジアに分布。日本では特別天然記念物に指定されたが絶滅した。中国から冬鳥としてまれに渡来。こうづる。


 鵠(くぐい)とは、記紀の注記や辞書を見る限り、ハクチョウを指す。
 しかし、但馬豊岡の郊外にあった久久比神社では、コウノトリと解釈されていた。
 コウノトリとツルは昔からよく混同されていたそうだが、ハクチョウもまた「大きな白い鳥」で括って、区別する気も必要もなかったのではないか。
 記紀ともに記述あり。
 古事記では、鵠を捕らえても言葉話さず、出雲大社のオオクニヌシの祟りゆえと判明し、これを祀り鎮めてようやく話せるようになった。話としては、日本書紀の方がまとまりが良いか。
 なお、日本書紀に記述されるホムチワケが鵠を見たときの一言は「是何物ぞ(これなにものぞ)」。唐突過ぎて不自然なので、たどたどしくした。
 池の舟遊びについては古事記の記述、後段は日本書紀に従った。

【ノミノスクネとタイマノケハヤ】
 イクメイリビコ(垂仁天皇)の御世、七年の七月七日―――。

 臣下たち「當麻の邑にタイマノケハヤという勇敢な士がおります。この者は『われの力に並ぶ者はおらぬのか。何としても力強き者に遇って、生き死には問わない、ひたすらに力比べをしたいものだ』と言っております」
 イクメイリビコ「タイマノケハヤは天下之力士(あめのしたのちからびと)だと聞いたが、誰か、これに並ぶ者はおらぬのか」
 臣の一人「わたくしは、出雲国にノミノスクネという勇士(いさみびと)あり、と聞いたことがあります。試しにこの者を召し、ケハヤに当てようと思います」

 即日使いを出し、やがてノミノスクネが出雲から到着した。
 そして、タイマノケハヤとノミノスクネと二人相対し、各々足をあげて相蹴った。
 ノミノスクネはタイマノケハヤのあばら骨を蹴り折り、また、腰を踏み折って殺した。
 ゆえに、タイマノケハヤの土地はことごとくノミノスクネに与えられた―――。


 後年、野見宿禰は出雲へ帰る途中、揖保川河畔に倒れた。
 その墓をつくる折、石を担いだ人夫が野を行きかった。
 それを見て、誰言うとなく、そこは立つ野と呼ばれるようになった。
 人々の並び立つ野、立野。現在は、龍野の地名が残り、丘の上に野見宿禰の墓がある。
 日本書紀のみの記述。

【埴輪のことのはじめ】
 イクメイリビコの御世、妃のヒバスヒメが亡くなった。

 イクメイリビコ「死人に従う道(殉死)は良からず、ということを、前に知った。この度はどうすればよいか」
 ノミノスクネ「陵墓(みささぎ)に生きたる人を埋めるのは良くありませぬ。わたくしに考えがあります」

 ノミノスクネは出雲の土部(はじべ)百人を呼び、人や馬や種々の埴(はにつち)をつくらせ、大君に献上した。

 ノミノスクネ「今よりのちは、この土物(はに)をもって生きたる人に代えて陵墓に立て、後世の見本としましょう」

 大君は大いに気に入り、ヒバスヒメの陵に初めて土物が立てられた。
 よって、この土物を名付けて埴輪(はにわ)という。


 野見宿禰の子孫に菅原道真がいるが、もちろん格闘技をすることはなかった。
 漫画「修羅の刻」の源平編の冒頭にて、蹴りを使う闘技者の例えとして野見宿禰と当摩蹶速の名が挙げられていた。
 日本書紀のみの記述。

<トキジクノカクの木の実>
 あるときイクメイリビコの大君は、タヂマモリにそれを食べれば永久の命が得られるというトキジクノカクの木の実を探させた。
 タヂマモリは艱難の末に常世の国(とこよのくに、海の彼方の不老不死の国)にたどり着き、トキジクノカクの木の実を持ち帰った。
 ところが、せっかく不老不死の木の実を持って帰ったというのに、当のイクメイリビコは既に亡くなっていたのだった。
 タヂマモリは木の実の半分を大君の后に奉ると、残りの半分を持って大君の御陵(みささぎ、墓所)に捧げた。

 「常世の国のトキジクノカクの木の実を持ち帰って参りました!」

 タヂマモリは叫び哭き、そのまま息絶えた。
 そのトキジクノカクの木の実とは、今でいうところの橘である―――是今橘也(コレ今ノ橘ナリ)―――。


 日本書紀では、非時の香菓(ときじくのかくのみ)と表現されている。
 タヂマモリは、三宅連(みやけのむらじ)の始祖(はじめのおや)で、アメノヒボコの子孫。
 記紀ともに記述あり。大差なし。古事記に従った。


 20.10.8(水)

 本屋で、真面目そうな五十男が黙々と立ち読みをしている。
 その隣で、普通然とした学生も黙々と立ち読みをしている。
 彼らが手にしているのは、官能小説。まばたきもせず、一心不乱に読んでいる。

 人 は 見 か け じ ゃ な い 、と納得すると同時に、
 どうして歴史物コーナー官能小説コーナーの隣なのだ、と思った。


 20.10.7(火)

 先々々月上旬の話。
 播磨多可郡の杉原と岩座神へ行った。


 空が今より低かった頃、ひとまたぎ三町の巨人あまんじゃこは、しゃがまなければ天に頭がつっかえ、歩くこともままならなかった。
 明石のとある里から北へ行く途中、急に空が高くなり、思う存分背を伸ばすことができた。
 「ここは空が高い。たかじゃ、たかじゃ!」と、あまんじゃこは快哉を叫んだ。

 多可郡の由来は、空の高い意。
 多可郡は本来、加美町、中町、八千代町、黒田庄町、西脇市をあわせた地域だった。
 そのうち、黒田庄町と西脇市は多可郡の名を冠せず、黒田庄町は西脇市に合併された。
 残る加美町、中町、八千代町は多可郡であり続け、先の合併で、多可郡多可町となった。
 加美町、中町、八千代町はそれぞれ、多可町のうちの加美区、中区、八千代区となった。
 だから、本来はともかく、今日の多可郡の範囲は、加美、中、八千代である。
 加古川の支流の杉原川というのがある。
 西脇でYの字に分かれ、北東に加古川、北西に杉原川が遡り、杉原川は下流を中区、中流より北はずっと加美区を流れる。加美は、杉原川をかかえる、北へ10km以上続く谷筋。
 東西に700~1000mの山々が連なり、東西の連絡がほとんど絶たれている。
 以上、多可郡と杉原川の説明。

 杉原紙の歴史は飛鳥時代まで遡るといわれており、その頃は律令国家の租(コメ)、庸(都での労働又は布)、調(地方の特産物)の調として、播磨の国府・御着、そして藤原京まで紙を運んでいたという。

 杉原紙の作り方は、
  ① 原料の楮(こうぞ)を刈り取り、切りそろえ、煮る
  ② 皮を剥ぎ取り、日に干す
  ③ その皮を川でさらし、外側の黒い皮を削り落とし、日に干す
  ④ 白い皮を水でふやかし、灰汁で溶かして繊維だけにする
  ⑤ その繊維を流れる水にひたして、ゴミを取り除く
  ⑥ 白くなった繊維を棒で叩き潰す
  ⑦ 細かくなった繊維を水槽に入れ、ネリ(ノリウツギ、トロロアオイなどの粘液)を加え混ぜる
  ⑧ 枠のついたスノコで漉(す)く
  ⑨ 水を切る
  ⑩ 板に張り付け、日に干す

 杉原は、平安時代の中頃、藤原師実(藤原道長の孫)の荘園となった。
 同時期、播磨多可郡の土地は、ほとんどが荘園となっていた。
 杉原庄の他、大山庄、大幡庄、松井庄、黒田庄、安田庄、富田庄、比延庄、這田庄。
 黒田庄は、つい最近まで黒田庄町として残り、また、黒田官兵衛孝高で有名な黒田氏(日記⑨ 8/12参照)は、家伝では近江佐々木氏の庶流と謳っているが、黒田庄から出た生粋の土豪だという説もある。(個人的には、こっちであってほしい)
 1116年、「杉原庄紙(すぎはらのしょうのかみ)」の名が、初めて文献にあわられた。
 藤原忠実(藤原師実の孫)の日記の、息子と娘に馬の鞍・調度・杉原庄紙百帖(1帖=50枚)を送った旨の内容。のち、藤原氏は分裂し、杉原庄は近衛氏のものとなった。
 1165年頃の平氏関連の書状に、「杉原紙」の名が初めてあらわれた。
 1429年、播磨全域で一揆が起こったが、播磨守護の赤松満祐はこれを鎮めた。
 1441年、中央の力を強める政策を採っていた足利義教を、赤松満祐は京の自邸に招いてこれを暗殺した。ただちに山名持豊を主力とする幕府の追討軍が遣られ、赤松氏は滅び、杉原庄のある播磨は山名氏のものとなった。
 1467年、幕府内の権勢を競った山名持豊(宗全)と細川勝元が軍事衝突した。応仁の乱である。
 一度は滅んだ赤松氏であったが、南朝の残党が北朝の三種の神器を盗み出した際(三代将軍・足利義満によって、既に南北朝の合一は果たされていた)に、赤松氏の旧臣(そのひとつが、戦国時代の御着城主の小寺氏)が神器を取り戻し、南朝の皇統を殺す手柄を立て、さらに応仁の乱では細川勝元に味方をして働いたので、赤松政則(赤松満祐の甥の子)は播磨・美作・備前の旧領をすべて回復したのだった。
 1483年、山名政豊(山名宗全の孫、山名宗全の後継者)は、真弓峠から播磨に侵入し、播磨を再び占領し、赤松政則がやっとのことで追い返したのは、1488年のことだった。この結果、赤松氏の求心力は低下し、播磨は分裂の様相を呈した。
 一方、当時の杉原紙は、神社の御幣などに使われており、播磨の廣峯神社(日記⑧ 7/13参照)の御札も杉原紙だった。
 姫路に定住した黒田氏(黒田官兵衛孝高の祖父以来)は目薬をつくり、廣峯神社におさめ、廣峯神社の御師(おし、布教者)が御札を配り歩くとともに目薬を売り、黒田氏にも利が還る―――という仕組みをつくり、黒田氏発展の最初の土台になったのだが、杉原紙はこんなところにも絡んでいる。
 やがて戦国の果てに播磨は羽柴秀吉のものとなり、本能寺の変後に勢いに乗った秀吉は豊臣姓を賜り、日本を統一した。
 秀吉は検地を行い、ここに土地の多重構造(公地、荘園、地頭、守護 etc…)は消えた。
 しかし豊臣氏は、二代目になった途端に支配者の座を徳川家康に奪われた。
 江戸時代、杉原紙の消費量が全国で増え、それに応じて全国各地で杉原紙がつくられるようになった。
 那須杉原、越後杉原、信州杉原、美濃杉原、加賀杉原、越前杉原、丹後杉原、佐治杉原、吉野杉原、但馬杉原、因幡杉原、出雲杉原、足守杉原、備後杉原、三次杉原、広島杉原、周防杉原、阿波杉原、伊予杉原、土佐杉原、豊前杉原、豊後杉原…もはや、「杉原」は紙の代名詞となっていた。
 本場の播磨杉原谷は天領であり、その杉原紙は「はりまおん上り杉原」といい、運び手まで優遇を受けた。
 幕末になると幕府の財政は苦しくなり、杉原谷の楮に代えて杉が植えられ、徐々に紙漉きが衰えてきた。
 そして明治維新、地租改正。租税はカネで納めねばならず、原料の楮を買い入れねばならない紙漉きは、明治時代の終わり頃に途絶えた。(ミツマタで漉いた半紙も、大正時代に終わった)
 英文学者・書誌学者の寿岳文章(じゅがく ぶんしょう)は、1937年から1940年にかけて全国の紙漉き村を巡り、紙漉村旅日記を著した。さらに1940年の夏には、言語学者の新村出(しんむら いずる)とともに杉原谷を訪れ、この地こそ天下の名紙「杉原紙」の発祥の地であることを明らかにした。(元々、播磨の杉原谷か美濃杉原かまでは絞っていたようだ)
 苦しい戦争が敗戦に終わり、高度成長を経て、1966年、杉原谷には両博士が揮毫した記念碑がつくられた。しかし杉原紙は、もう無い。
 1970年、半世紀ぶりに紙を漉くという宇高弥之助氏により、楮を用いた杉原紙が復元され、1972年に杉原紙研究所が開所。記念碑も、杉原谷小学校から研究所前に移された。
 1994年には、「こうぞの一戸一株運動」が始まり、地域としての杉原紙保存の高まりを見せている。
 現在、杉原谷の杉原紙は宮内庁御用達となっており、その最上の品は歌会始(うたかいはじめ)に使われている。


 ↑ 紙匠庵でんでん

 杉原杉原紙の初見は、ジェラテリアの土産物売り場(日記⑦ 5/10参照)だった。
 「日本最古の紙」と書いてあるのを見ても、そのときは何の感慨も持たなかった。
 しかし、実際に杉原の土地に立ち、歴史を知ると、いっぺんに好きになってしまった。
 杉原の文化、歴史、空間すべてが―――。
 なんでも、50kgの楮の枝から1.5kgの杉原紙ができ、現在は年間700kgを生産しているそうだ。
 中心地には、道の駅 R427かみ、西の山手に青玉神社、さらに杉原川を挟んで東に杉原紙研究所紙匠庵でんでん和紙博物館が並んでいる。道の駅のほんの200mほど南に、はりこ工房 葉紙屋もある。


 青玉神社は元々北西2.5kmの三国岳(標高855m)に鍛冶の神として祀られていた。
 祭神はアメノトマミ。別名をアメノマヒトツといい、天目一箇の字の通り、目を傷めるのを職業病とする製鉄業の神なのだ。ただ、アメノトマミという名は、初めて聞いた。
 ともあれ、山頂の播磨踊場(池のある平坦地らしい)で祀られていたところをふもとの地に遷し、現在に到る。
 現在は製鉄の名残りなどちっとも感じさせないが、三国岳の西10kmの生野銀山と関連があるのかどうか。(やはり、鉱山業と製鉄業は別か…)
 現在の青玉神社の境内には、樹齢千年ともいわれる二俣の杉、夫婦杉がそびえる。
 また、これまた大きなイチョウがあり、垂れ下がった気根ゆえに乳の木と呼ばれ、乳に模した縫い物を奉げている。K乳願望などとは次元の違う、子を想う母の切なる願いである。
 大和葛城の一言主神社にも乳銀杏があり、乳の縫い物は紀伊九度山の慈尊院にもあった。
 「九度山の方が、もっと…こう…ディティールが…」
 …と言ったところで、後ろからゴツンされた。(:;)

 ↑(左)一言主神社、(右)慈尊院

 多可郡の加美という10kmを越える悠然とした谷のひとつ西側に、4kmほどの谷がある。
 杉原川は加古川の支流であるが、その杉原川のさらに支流の多田川沿いの谷だ。
 その行き着く先が、岩座神―――いさりがみ―――棚田で有名な集落である。

 「いさりがみ」とは変わった読みだ。「いわ すわり かみ」から転訛したのだろう。
 「岩座」は通常は別の読み方をするのだが、「いわすわりかみ」でも意味するところは同じ。

 いわ‐くら【岩座/磐座】
 《「いわ」は堅固な意》神の御座所。いわさか。


 より原始的な祭祀の有り方。磐は神の依り代、そこに神が降りてくる―――。
 播州の雌岡山も、あれはひとつの磐座だ。日記⑧ 6/17参照。
 青玉神社の古い信仰場である三国岳山頂も、おそらく磐座だったのではないか。
 岩座神(いさりがみ)の場合は、ここから見上げる千ヶ峯(標高1,005m)に磐座があるという。
 岩座神の郷は、その千ヶ峯の中腹。地図を見る限り、標高は400~500mである。

 ↑ 播州雌岡山の磐座の例。この磐座のみをもって、姫石神社という。

 このように、多可郡の加美は、神の降りる磐座の山々に抱かれるようにして在り、その山々からあつめた清流で紙をつくってきた。
 この加美の地にじかに降りて訪ねたとき、加美の語源は「紙」…いや、さらに古く遡り「神」なのではないか―――と感じるのは、私だけではあるまい。

 加美町は神の坐ます紙の谷 磐座の天は高く遠くに

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 さて、実は次の場所は、後日の但馬の帰りに少しだけ寄ったのだが、あえてこの稿に入れる。
 多可郡の加美区轟のラベンダーパーク多可。杉原谷の東の山腹にある。

 う…ああ…うぅ……。orz

 痛々しい…。これほど気の毒になる花公園も他にない。
 ラベンダー園なのに、小さな小さな花が僅かに咲いているだけで、密度もない。
 北海道でのイメージでは一面紫に染まるわけだが、ここは見渡す限り土の色。
 紫の色の要素が、0.1%もないのだ…。
 平成17年から四年目にして開園してこの惨状、播州の気候に合わないのでは…?(><)

 ↑ 眺望はこの上なく良い。向かいは千ヶ峯。磐座の山。

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 走行距離 約166km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.10.6(月)

 柏原から篠山方面へ丹波の森街道を走っていたときのこと。
 長安寺付近で「→ 池尻神社」と書かれた看板を見つけ、ふと思った。
 「尻」とつく地名(転じて、人名)は、たくさんある。
 帰宅してから、思いつくまま挙げてみた。

   池尻 川尻 河尻 江尻 沢尻 沼尻 田尻 ……

 池、川(=河、=江)、沢、沼、田…すべて、「水」に関係する!?
 「尻」は、おそらく「端っこ、突き当たり」くらいの意だろうか。
 「尻」は、「水」にまつわる地形についてのみ、その特徴をあらわす語なのか。

 早速、相方に尻と水関連仮説を発表した。
 野尻は?」

 …。仮説崩壊。orz


 20.10.5(日)

 海音寺潮五郎の武将列伝悪人列伝日本名城伝の9冊を読破した。日記⑧ 7/16参照。
 面白いなぁこの人…と思ってたら、既に故人だということを知って衝撃を受けた。(:;)


 20.10.4(土)

 路上に小動物の死骸やその他小さめの障害物があった場合、完全に回避する(①)こともあるし、障害物と相対して真下を通す(②)こともある。

 私はたぶん②の方が多い。対向車が連続すれば①は無理だし、障害物が小さいと見切った以上、②で何の問題も無いからだ。(見切りに失敗してつっかえるのが一番悲惨かもしれない)

 こうなると疑問に思ってしまうのだが、エアロパーツをつける・車高を下げるやらで、下のスペースがなんぼもない車のことだ。
 まず、②はできない。撥ねるか、巻き込むか、ズルズル押し続けることになる。
 こうなれば①しかないが、対向車が連続してくれば、徐行か停止するしかない。

 通常の車高であることは、それだけで車の一機能ということか。


 20.10.3(金)

 楳図かずおの邸宅について景観どうこう言うなら、PLの塔の方がよほどアレでナニだと思う。


 20.10.2(木)

 先々々月の話。
 スタジオジブリの映画崖の上のポニョを、封切の日に観に行った。

 事前に主題歌だけ聞いていたので、ついつい「ポーニョ ポーニョ ポニョ ♪」と口ずさみながら、ちょっとウキウキな感じで手を動かしていたら、

   ペシッ!

 「あかんー! 捕まるでホンマ」

 …。ぎゅっぱ ぎゅっぱ…してただけなのに……。(ノ_・。)テノコウ ヒリヒリ…

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 ネタバレは一切したくないので、ふと思った要点だけ。

 フリーハンドで描いたようなホンワカとした風景。水やしぶきの表現。素朴なタッチがいい。
 母親のドライビング。思いもよらぬ痴話喧嘩。魔法使いとポニョの本名。随所にちりばめた笑い。
 やはり久石譲はいい。音楽は大事だ。(ゲド戦記も久石譲なら、印象が違っただろうに…)

 決して、スペクタクルな大作ではない。
 高めの絵本でも買った気持ちで観てみよう。

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 最近はゆるキャラが流行りだが、ポニョも相当ゆるい。タガなど最初から無いかのように。
 映画の帰り、車の中で口ずさんだ。

♪生真面目すぎた 真っ直ぐな愛に
 不器用者と 笑いますか
 もう少し時が たおやかに過ぎたなら
 愛しき日々の 儚さは 消え残る夢 青春の影 ♪


 「なんで白虎隊なん?」
 「(わかるんかい!?) い、いや…ポニョのゆるさと中和できへんかな~、思て」

 くっ、ウチの姪よりかわいいか!?
↑【中和】↓
 日記④ 1/22、日記⑩ 8/20 参照

 嗚呼…飯盛山のあの時にポニョがあらわれ、
 「ポニョ、ギサブロー、すきーー」
 …と言えば、運命は変わったであろうか―――。(どんなifだ!)


 20.10.1(水)

 昔、我が家は朝日小学生新聞なるものを何年間かとっていた。
 尼子騒兵衛の忍たま乱太郎が連載されていた子供向けの新聞だ。一日一面(1ページ)の歴史漫画もあった。他にも四コマ漫画や色んなコラムがあったが、私が毎日楽しみにしていたのは、忍たま乱太郎と歴史漫画だった。
 忍たま乱太郎は説明不要だと思うので、歴史漫画について。
 これは日本史上の偉人を扱うもので、例えば聖徳太子や豊臣秀吉などが主人公になった。
 そして、どういうわけか「あや」という名のヒロインがいずれの主人公の場合にも登場し、時代を超える幾人もの「あや」は、必ず主人公の前で悲劇の死を遂げていた。。(:;)


 20.9.30(火)

 封切前に聞いた、スタジオジブリの新作崖の上のポニョの噂。

 「 人 の 顔 し た 、 毛 の 生 え た 、 謎 の 水 棲 生 物 」

 …。…転生前に描いた絵を思い出した。

 ありえないアリエル


 20.9.29(月)

 先々月半ばの話。
 野茂秀雄投手が現役を引退した。(:;)
 名将・仰木監督のもとで、おっきなオシリをくるりと回し、バッタバッタと三振に討ち取る姿が、つい先日のことのように脳裏の浮かぶ…。

 イチローや松坂など、現在進行形で神話を創っている選手もいるが、野茂もまた伝説だった。
 メジャーへ行ったとき、最初は反体制の悪役だった。無愛想で、ファンサービスも良いとはいえない野茂は、実力だけで人を惹きつけ、雑音を黙らせた。
 調子の悪いときはどうにもならずにメロメロになったが、調子のよいときの野茂のピッチングの爽快感ときたら…!
 その姿はファンに印象を深く刻んだし、大記録も残した。
 日本通算 78勝 46敗、メジャー通算 123勝 109敗、日米通算 201勝 155敗。
 メジャーリーグ日本人初の新人王、奪三振王、本塁打、
 そして、両リーグでのノーヒット・ノーラン―――。
 その偉業は計り知れない…。

 はじめてドジャースのユニフォームを見たとき、「なんや、中日のパクリやん」と思った。
 違った。中日がドジャースをパクっていたのだった。そんなことも知らなかった。
 そんな遠いメジャーの世界を野茂は、日常まで近づけてくれた。
 野茂は自身は、のちにメジャーを目指す後輩たちやファンの心も関係無しに、単純に上の舞台で豪腕を振るいたかっただけかもしれない。
 でも、それでいい。それが野茂らしい。不言実行が似合う男よ…。
 ありがとう、お疲れさま。さしあたっては、クールな解説を期待。


 20.9.28(日)

 3.5Lの白っぽいフーガ神戸323ふ1○-○○、
 どうして方向指示器を出さないのか。踏み切りで停止どころか減速すらすらしないのか。
 機械の故障か、中の人の故障かわからないが、不思議でならない。


 20.9.27(土)

 日記⑩ 9/12で扱った城崎での話。もうひとつのエピソード。
 (ちなみに、城崎は「きのさき」と読む。「しろさき」

 夕暮れに城崎についた。宿の予約はとっていない。
 とってなくとも、必ず、案内所でなんとかなってしまうのだ。
 その日は空き部屋が少なかったのか、設備の少なめの宿しかなかった。
 そして、そういう宿は、駐車場が街並の外れにあるのだ。
 ロープウェイ駅の裏の墓場、そのまた奥の駐車場に車を入れ、宿へ入り、汗を流した。
 その後、あちこち店をぶらぶらして、忘れ物を取りに車へ戻ったとき。

 …!?

 墓場に、墓石に、ぽんわり光が見える。
 私は動きを止め、目をみはった。
 少し動く。すると、光も動く。
 ゆらゆら歩くと、ゆらゆら光る。

 『ちょっとコレしゃれならんって!?』
 動揺を精一杯抑えて、逃げ……いや、確かめてみよう!
 一歩一歩、ゆっくり近づいた。
 それに応じて、ゆらゆら光る。
 そして、十数m進んだところで―――ガックリと、一気に息を吐いた。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花

 墓石だ。墓石の表面に、街中の家屋の光が反射していたのである。
 だから、こちらが止まれば、むこうも止まる。動けば、動く。
 それだけの現象だったのだ。
 脱力しきった後、それまで全身に異様に力が入っていたのが、初めてわかった。

 おすすめスポット タグ 城崎


 20.9.26(金)

 なぜだか急に、小学校のときに親戚のオッサンがカラオケで歌っていた歌を思い出した。

   ♪ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ まちこ~~ぉ~~
     ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ まちこ~~~ ♪


 前奏は、こんな感じの歌詞。
 この歌を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ曲名をご教授願いたい。


 20.9.25(木)

 史跡系のおすすめスポットの強者たちのスポットを見て周るのには、ひとつの不便が伴う。

 何百件もアップしている場合、最初の1ページ目以外は、「次へ」をクリックしなければ見られない。ということは、南の地方になるほど、5回も6回も7回も、もっと「次へ」をクリックしなければならないのだ。これは非常に面倒くさい。

 スポットをアップするときは、最初に都道府県別の入力画面が表示される。
 閲覧するときも、都道府県別の選択画面が出てくれれば、巡覧も楽になるのにと思う。

 あ、こりゃみんカラに言うべきことか。


 20.9.24(水)

 史跡系のおすすめスポット…先に挙げたピズモ氏がたぶんみんカラで最たる達人だと思う(今までみんカラを徘徊した中では)のだが、他にも強者は何名かいる。
 交流はないけれど、例えば、犬出没注意氏はいろいろ細かく周ってる。
 私は地図見るのが好きな人だけど、強者たちのスポットを見て周るのも、面白かったりする。


 20.9.23(火)

 私は自分でも彼方此方周っている方だと思うし、史跡系のおすすめスポットの多さでは、みんカラの十指に入ると思う。
 しかし、私などまだまだヒヨッコである。
 知っているところでは―――みんカラのピズモ氏は、達人である。
 周った先の多さで私の10倍以上、訪問の密度でも3倍以上、質量勘案すれば私の30倍は、日本のいろんな土地・文化・歴史に接しているのではないか。

 そんな史跡めぐりの達人にも、山城攻めにおいて悩みがあった!
 【ピズモ氏のブログとコメントより】
  >夏の山城巡りは草や虫との戦い
  >クモの糸が苦手
  >アレルギーなので草も苦手

 おおお、やはり人の子だ!

 私の場合、スズメバチが最大最凶の天敵である。
 あの羽音を聞くだけで、背筋に悪寒が走る。
 住宅地にも巣をつくり得るくらいだから、少し山に入ったら、スズメバチの巣のある可能性はいくらでもあるのだ。

 他の虫は、やっぱり毛虫はイヤ。
 毛虫は、意外かもしれないが、頭上の樹木の枝からぶら下がっていることが多い。
 ちょうど顔の前あたりに、糸一本でぶら下がってブラブラしているのだ。
 こういうのは、前さえよく見ていれば事前に発見できる。
 毛虫より上の糸を持って、遠くにポイッ。おしまい。

 虫といえば、たまに少し開けた道で、ミチオシエに会うことがある。
 近づいたら数m先へ飛び、こちらを向いて着地する。それを繰り返す。
 それが、道を教えているようだから、ミチオシエ。
 一人ぽっちの山登りのときは、会うとなんだか和むことも。

 最近、但馬出石の有子山城へ登ったとき、眼前の毛虫はことごとく取り払ったのに、蜘蛛の巣にことごとく引っ掛かった。なぜに計算し尽くしたかのように顔の高さに…。
 草は長ズボンでかなり防ぐことができるし、毛虫や蜘蛛も注意すればだいたい見つかる。
 でもやはり、スズメバチだけはこれといって有効な策がない…。
 アシナガバチは知り尽くしてるから怖くないのだが、やつらだけは…。

 有子山城のあとに此隅山城へ登ろうとしたが、一本道でスズメバチに遭い、何分様子を窺っても退いてくれないので、攻略自体あきらめた。(:;)キライダ


 20.9.22(月)

 カマンベールとカマンベイベは、響きが似ている。


 20.9.21(日)

 日記⑩ 9/2に載せた2001年の落書きを、色塗りし直してみた。
 環境は、PCが違う(10年前のFMV → 2年前のDELL)が、ソフトと小道具はまったく同じ、フォトショップ5.0 リミテッドエディション(機能制限版)と、ワコムのタブレット(1万円未満のやつ)

【19】

 「さざきチャン、動物園で……よかったかなぁ? …っていうか、楽し…い?」
 「うん。さっきのフレーメン、巨人の上原選手にそっくりで…おかしかったよ」
 「え、フレーメン? 音楽隊? そんなのいたっけ…
 「ねえ、こっちのコーナーに入ろ」
 「え、『よるのどうぶつ』!? う…薄暗い…。…もしかして?」(ドキドキ)
 「こっちこっち、アルマジロだって。かわいい。でも、センザンコウの方が優美かなぁ?」
 「セイザンコウ? ああ、それ聞いたことあるよ。似たような鎧の動物だっけ」
 「セイザンコウじゃなくて、 セ ン ・ ザ ン ・ コ ウ ! 」
 「あっ、ごめ…」
 「こっちはフクロウ。シマフクロウは、アイヌでは『コタン・コロ・カムイ』っていう村の守り神なんだって」
 「ふぅん…」(イライラ)
 「隣がミミズク。耳みたいな眉毛みたいなのがピョンと出てるのが、ミミズクっていうんだよ。ミミズクもフクロウの仲間なんだけど、ナントカズクって名前のがミミズクの仲間」
 「へぇ~、そうなんだ…」(ドックン ドックン)
 「フクロウもいいけど、ミミズクの方が耳毛(?)がある分、もっとかわいいよね」
 「さざきチャン!」(プチン)

   がばーーっ

 「やーーっ、チカラズクは嫌っ!」


 テキトーに書いてたら、なんやようわからんオチになった。orz
 これまたテキトーにつけた「さざき」とは、ミソサザイという小鳥(野暮ったいスズメみたいなの)の古い呼び名。
 古事記の伝説中の人物には、鳥の名前がつけられることも多く、例えば、仁徳天皇の名はオオサザキ。その弟はハヤブサワケ、二人の腹違いの妹がメドリ。そして、オオサザキの臣・ヘグリノツク。
 オオサザキとヘグリノツクは、同日に生まれた。
 大君の子の方の産屋に木菟(ミミズク)が入り、また武内宿禰の子の方の産屋に鷦鷯(サザキ/ミソサザイ)が入ってきた。
 これを瑞兆と見て、主従の縁が深まるよう願い、験を交換して、皇子を大鷦鷯(オオサザキ)、武内の子を木菟(ツク)と名付けた。



 光の向きを左から右向き(→)に変えたが、服だけ右から左向き(←)のまま。致命的ミス。
 でもそのマヌケさが浮野の浮野たる所以なので、あえてそのまま。
 髪の表現は、今でもムズカシイ。どう描けば自然に見えるんだろう、と四苦八苦してる。

 右利きの者は、無意識に落書きすると、どうしても左向きの顔ばかりになる。
 プロの描く漫画ですら、正面以外はほとんど左向きばかり…ってのがある。
 だから、私は落書きするとき、意図的に右向きの顔も描くようにしてる。
 …とか、それっぽいこと言いながら、今まで描いてるのが頭部ばかりで、体の部分を描いた絶対量が少ないから、体を描くのを苦手にしてる。orz

 最近はイラストレーター使ってないから、使い方も忘れてるかも…。
 たぶん、専門的に絵を描く人は、イラストレーターやペインター使ってるんだろうなー…と思いつつ、やっぱりベジェ曲線に馴染めないのであった…。
 フォトショップは素人にわかりやすいドット絵で、修正は不便だけど、なんだか性に合う。

 なお、最近モノクロ画が多いのは、カラーで描くより圧倒的にラクチンだから。
ブログ一覧 | 日記
Posted at 2008/07/17 20:24:17

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