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浮野のブログ一覧

2008年06月24日 イイね!

日記 ⑨

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、九冊目。

 日記        


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.8.15(金)

 前の日付けの日記を編集して文章継ぎ足したら、日記帳がいっぱいになった。。


 20.8.14(木)

 みんカラのブログには、文字数の限界がある。
 これを超えると、どうやっても更新できないのだ。
 そこで、今までの日記帳の文字数を調べてみた。
 方法は、コピー&ペーストでwordに流し込み(タグも含まれる)、ツール → 文字カウント
 調べる数字は、「文字数(スペースを含める)」のみに絞った。以下、結果。
  ① 30,106
  ② 30,397
  ③ 30,691
  ④ 29,994
  ⑤ 30,006
  ⑥ 29,400
  ⑦ 30,534
  ⑧ 30,408
  ⑨ 27,053(8/14まで)
 この数字についてのみ言えば、限度は30,000字前後。
 日記帳⑨も、もうじき終わりの模様。orz


 20.8.13(水)

 ラピュタの科白検定(上級)、40点だった。(ノ_・。)


 20.8.12(火)

 先々月下旬の話。
 摂津伊丹の有岡城へ行った。電車で降り立ち、徒歩でぐるりと一周、4.5km。
 日記⑦ 6/3 備中高松城、6/11 花隈城、日記⑧ 7/4 三木合戦、7/9 三木合戦、7/13 播州姫路その他、日記⑨ 7/26 播州山崎…を参照。

 伊丹の有岡城は、街ごと囲った惣構えの城であり、本丸を東におき、北に岸の砦、西に上臈塚砦、南に鵯塚砦をバランスよく配置している。
 その城域は広大で、南北1.7km、東西0.8km、周囲4.2km、面積はおよそ550,000㎡に及び、これは740m四方に相当する。

 実際にかつての縄張りに沿ってテクテク歩くと、場所によって段差…高低差が様々だということがわかる。東に猪名川があるため、基本は東の方が段差が大きい。
 岸の砦~本丸~鵯塚砦の東側のラインは、平均して背丈の倍ほどは段差があるが、岸の砦~上臈塚砦~鵯塚砦の西側のラインは、段差があっても背丈未満で、上臈塚砦周辺のみそれ以上の段差があった。なお、本丸部分を通るJRの開削に伴い、地形がいくらか変わっている。
 ↓下図は、私が歩いて感じた高低差があるところほど、太く濃い線を引いてある。



 有岡城は元は伊丹城といい、鎌倉時代以来伊丹氏の所有にあった。
 池田氏の被官であった荒木村重は、池田氏の実権を奪い、摂津の有力な城を切り取り、織田信長に服属した。見返りは、摂津一国の支配権。
 村重は伊丹城を有岡城を改称し、街ごと堀と土塁で囲む惣構えの城に改修した。
 その姿は、ルイス・フロイスにして「甚だ壮大にして見事なる城」と言わしめるほどであった。
 しかし、村重は突如、織田氏に叛逆した。
 摂津の石山本願寺との戦が続き、丹波八上の波多野氏、播磨三木の別所氏が織田氏から離反し抗戦していた折だった。しかも、これらの背後には中国十ヶ国を束ねる毛利氏があった。
 信長は、村重に味方に戻るように必死にかき口説いたが、不調に終わった。信長は、やむなく軍を動かした。

 その頃、播磨御着の小寺氏の家老・小寺官兵衛孝高(本姓は黒田、主家から小寺姓をもらっていた)は、播州の諸勢力の意見をまとめ、羽柴秀吉を通じて織田氏に味方するところまで実現していたのだが、三木の別所氏とそれに伴う主家の小寺氏の離反により、官兵衛の構想は画餅に帰そうとしていた。
 保守的な小寺政職(官兵衛の主)は、信長とはどうしても相容れないものがあったから、織田氏に味方するように説く官兵衛が疎ましくなった。
 「わしが織田を離れるのは、荒木摂津守への義理あってこそ。荒木を説得できたなら、当家も織田に戻る」
 官兵衛は、自信満々で有岡城に乗り込んだ。が、即刻捕らえられ、村重に面会もできないまま、土牢に押し込められた。
 「荒木摂津守殿 そちらに当家の官兵衛が向かうので、これを殺してくだされ 小寺藤兵衛」
 なんと、己が主から殺しの依頼が出ていたのだ。しかし、村重は官兵衛を殺さなかった。

 官兵衛が有岡城に入ったまま戻らぬとの報を聞き、信長は激怒した。城方に寝返ったと考えたのだ。
 即座に、人質を殺せと命じた。
 小寺氏としての人質は、主家の息子ではなく、家老の官兵衛の一人息子・松寿丸(のちの黒田長政)であった。
 それを殺せという。
 「拙者が」
 織田氏の臣・竹中半兵衛重治が承った。
 半兵衛はさっさと松寿丸を連れ出すや、自分の持ち城に隠した。

 有岡城は、織田の大軍に包囲されていた。
 支城の高槻城、茨木城、三田城は、降伏するか落城し、尼崎城と花隈城を残すのみとなった。
 しかし有岡城は、織田軍の強攻を跳ね返し、持ちこたえていた。
 信長は周囲に付城(城を攻めるための砦)をつくらせ、戦は長引いた。

 苛酷な環境の中で、官兵衛は耐えた。足が萎え、皮膚がただれても、生き続けた。
 土牢の僅かな窓から、藤の木が見えた。官兵衛は、花占いを心の支えにした。
 「藤の花が咲かずば死ぬる。咲けばこの身は必ず生くる。藤の花よ、咲けや咲け―――」
 官兵衛の壮絶な祈りであった。
 藤が花咲かせ、夏が過ぎ、秋が訪れ―――。
 城主の村重は、単身尼崎城へ脱出した。ただ、有岡城は籠城を継続している。
 
 ある晩、滝川一益の手勢が上臈塚砦を落とした。
 それからひと月後、有岡城は開城した。
 官兵衛は、以前から接触に成功していた姫路衆の栗山善助に助け出された。
 官兵衛の生存(しかも裏切っていなかった)の報を聞いた信長は、思わず呻いた。
 「官兵衛に合わす顔がないわ」
 しかし、殺したはずの人質・松寿丸(官兵衛の息子)は、竹中半兵衛の機転によって助け出されていた。
 その半兵衛も、その数ヶ月前に三木の平井山で陣没した。

 尼崎城へ入った村重は、やがて花隈城に移って長く抵抗したが、とうとう毛利氏に亡命した。
 ここに、武士としての荒木村重は終わった―――。



 黒田官兵衛孝高―――。この人物は、いろんな名を持っている。
 シメオンという洗礼名もあるし、如水という号もある。如水が一番有名かもしれない。
 黒田氏は官兵衛の祖父の代に流浪し、備前福岡、さらに播州姫路に流れ着いた。
 その凛とした佇まい、清貧、子への教育に、豪農の竹村某が惚れ込み、姫路の北の廣峯神社に斡旋した。
 そして、黒田家秘伝(?)の目薬を廣峯神社の御師という布教集団が販売する、という仕組みをつくり、その儲けを元手に姫路の百姓に低利貸しを始めた。
 「担保はいらぬ、その代わり月に何回か手伝いに来い」
 そうして人数を集め、被官分にした(仮の主従関係を結んだようなもの?)。男子を持つ者をより優遇したのは、言うまでもない。
 かくして黒田氏は、のちの黒田武士の原型となる(元百姓を中核とする)姫路衆(竹森新右衛門、栗山善助、母里太兵衛、後藤又兵衛らは、のちに官兵衛の手足となって働く)を率い、ならず者豪族の首を手土産に、御着の小寺氏の被官となった。
 小寺氏は黒田氏を厚遇し小寺の姓を与えるほどだったが、官兵衛の代になって、主家の方が家来を切り捨てたのだった―――。


 黒田官兵衛といえば謀臣という腹黒いイメージが強いのだが、意外にも(?)官兵衛が主を裏切ったということは一度もない。手荒い暗殺は、のちに豊前に封じられたときに、鎌倉以来の地の名族を誅滅したのが唯一で、それが汚点にはなっているのだが。

 官兵衛が入れられた土牢は、どこにあったか?
 三つの砦のうちの一つが破られれば、中央部分の城下町は蹂躙されるだろうから、まず本丸にあったのだろう。
 現在のJR伊丹駅の周辺のどこかで―――官兵衛はうずくまって寒暖を凌ぎ、有岡衆の最低限の世話を受け、兵の喊声や鉄砲の炸裂音を聞き、藤の花に願いを託し、栗山善助の来訪を待ちわびていた。
 そういう物語が、ここ有岡にはあったのだ。

 おすすめスポット タグ 羽柴秀吉の侵掠 タグ 黒田氏 タグ 伊丹


 20.8.11(月)

 久しぶりに財布を整理したら、レシートとともに、温泉のスタンプカードが束になって出てきた。

 こんだ薬師温泉 ぬくもりの郷
 鹿之子温泉 かのこの湯
 吉川温泉 よかたん
 天然温泉 湯庵
 滝野温泉 ぽかぽ
 白雲谷温泉 ゆぴか
 加西天然温泉 根日女の湯
 加古川温泉 みとろ荘
 薬草薬樹公園 リフレッシュ館
 よふど温泉 極楽湯


 …これだけ。みんな、兵庫県のスーパー銭湯。
 分散しすぎて、ぬくもりの郷とよかたんとゆぴかしか、カードいっぱい貯まったことがない。。


 20.8.10(日)

 6/29の話。
 日本陸上の女子5,000mの種目で小林祐梨子選手が優勝し、北京五輪の出場を決めた。
 実はこの小林選手は、兵庫県小野市出身
 同市の白雲谷温泉ゆぴかのフロアにこの選手のことが貼り出されていたので、(その当時から勢い実績があったので)「そういえばこんな選手おったっけなぁ」と心の隅に留めていたのだ。
 ほんの他愛のないことでも、何かしらつながりがあったら嬉しいもの。
 北京五輪では、結果を問わず力を出し切ってもらいたい。


 20.8.9(土)

 F.F.6のセリス(魔導研究所裏切り時)を落書きしてみた。
 日記②H19.10/30、10/31、11/1、H20.8/1参照。

 ベクタ、帝国の首都。鉄と蒸気で急速に発展した街。
 住人に活力はなく、陰鬱な空気が漂っている。
 リターナー一行は、東の外れでリターナーの同志を探し当てた。

 老人「うぃ~、よっぱらっちまったぁ~い!」
 帝国兵「えぇい、邪魔だ!!」
 老人「う~、吐きそう……ウッ」
 帝国兵「おいおいおい!」
    ゲパァーーーッ
 帝国兵「きゃーーー!」

 同志が囮になっている間に、一行は魔導研究所に侵入した。


 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 途中の魔導工場で、ケフカを見つけた。

 ケフカ「ヒーッヒッヒ! 幻獣をもっと集めて、魔導の力を取り出して、そして……『三闘神』の復活だぁー! もうお前らは用無し」

 一度聴いたら忘れられない笑い声が建物中に響き、すぐに機械音にかき消される。
 ケフカは幻獣らしき二体の生物を、ベルトコンベアーに投棄した。
 一行はこっそり立ち去ると、下の階の投棄場の扉を開いた。

 先ほど棄てられ穴に落ちたのは、幻獣のイフリートとシヴァだった。
 イフリートとシヴァは、一行がラムウの魔石を持っていることに気付いた。

 イフリート「仲間達は、みなガストラによって捕らえられ、ここで魔導の力を吸い取られているのだ…。私もこの研究所のビーカーに入れられ力を吸い取られた…」
 シヴァ「魔導の力が無くなるとここに捨てられる。あとは死すのみ…私達も、もう命は長くない…。ラムウと私達は三対の力をそれぞれ持つ兄弟。ラムウが力をたくしたのならば、私達もお前達に…」

 イフリートとシヴァは、閃光とともに魔石と化した。

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 魔導工場を経て、ようやく魔導研究所の研究室に辿り着いた。
 幻獣の入った巨大な円筒の水槽が、幾つも並んでいる。

 幻獣「我々を助けようと言うのか…しかし…我々の命は長くない。イフリートと同じように…死してお前達の力となろう…」

 魔石を持つリターナー一行に悟った幻獣たちは、皆、魔石となった。

 シド「そこで何をしている!!」

 魔導研究所専属のシド博士だ。黄色いフード(?)がチャームポイントらしい。

 シド「こ…これは…!?」

 はじめての魔石に接し、声を失っている。

 シド「…幻獣は死ぬ時に力だけを残すことが出来るのか…。この石に秘められている力は、幻獣から直接とりだした力の何倍…いや、何百倍もある」

 そのとき、魔石が水槽を突き破り、一行の手中に帰した。

 セリス「シド博士…」
 シド「セ…セリス将軍! なんじゃ、この怪しいやつらは? お前さんの部下かい?」
 セリス「いいえ…そうじゃなくて、私は…」
 シド「なんでも、反乱を企てておる連中に、スパイとして潜り込んだと聞いたが…?」
 ロック「!?」
 「私を信じて」
 ケフカ「ヒィーーッヒッヒッヒ! なるほど魔石か、でかしたシド博士! そして…セリス将軍! さぁ、もう芝居はよい。そいつらの魔石を持ってこっちへ来い」
 ロック「セリス! 騙してたのか!?」
 セリス「違うわ! 私を信じて!」
 ケフカ「ヒッヒッヒ…裏切り者か…セリスにピッタリだね☆」
 セリス「ロック…信じて…」
 ロック「俺には………」
 ケフカ「今だ、皆殺しだ! 魔導アーマーゆけ~い!」

   ゴゥン ガシャン ガシャン ガシャン

 魔導アーマーの突撃で、四名のリターナー、シドまでダメージを受け、吹っ飛んでしまった。
 やがて、手負いのセリスがゆらりと起き上がった。

 セリス「ロック…今度は私があなたを守る番…。そして…これで私を信じて…!」
 ケフカ「セリス…! そ、それは! やめろ!」

 セリスは魔導の力を顕し、セリスとケフカ、帝国兵だけがこの場から消えた。

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 研究室は魔石と魔導の力で激しく振動し、セリスの去ったリターナー一行とシドは脱出を図った。

 シド「いくらケフカに脅されていたとはいえ、ワシはなんということをしてきたのか…。幻獣の命を力に…。お前達と出会ってワシも決心がついた。皇帝に話をしてみよう。この戦争の愚かさを…」

 悔悛の表情で、シドは続けて言った。

 シド「セリス…あの娘は幼い頃から知っておる。娘のように可愛がってきた。しかし同時に『魔導戦士』として教育するという、むごいこともしてきた…。だから…もう一度会えるなら謝りたい…ワシのしてきた過ちを…」

 シドは、一行をケフカから逃すため、トロッコに乗せて送り出した。

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 トロッコは轟音を立てながら暗闇を駆け抜け、見張りの帝国兵ごと吹っ飛ばし、外に投げ出された。
 魔導研究所の事故の騒ぎの中、一行はなんとかベクタを脱出し、セッツァーと再会した。
 一行はケフカの追っ手を振り切り、ようやく安全に帝国を発った。
 ゾゾに残してきたティナやリターナー、幻獣のことをセッツァーに話しながら。


 一旦守ると言ったら信じてやれよ、ロック君。ってか、男キャラを描くときは、やる気9.5割減。。
 考証はしてないので、特にケフカが適当。ケフカファンの皆様ごめんなさい。


 20.8.8(金)

 暑い。暑すぎる。
 夜になっても、余熱が逃げない。特に二階は。

 屋根のてっぺんにスプリンクラーつけて、それで打ち水すれば…、
 屋根中アルミホイルで覆えば、何度下がるだろうか。

 …そんな妄想をしてしまうほど、暑い。


 20.8.7(木)

 8/3の花山院の話で、西国三十三番が登場してので、連想したまま書く。
 西国三十三番(近畿圏でそれなりに権威がある)でも、四国八十八箇所と同様、お遍路さんの格好でスタンプラリーをして周っている人がいる。
 
 西国三十三番のうちの、ある寺へ行ったときの話。
 相方が、一人の白い装束を着たお遍路さんを見て、
 「あれ、“同行二人(どうこうふたり)”て書いてあるけど、どういう意味やろ?」
 浮野「…。あの人はな、数年前に亭主亡くしはってん。ほんで、“いつまでもふたりは一緒やで”って意味込めて、ああいうふうに書いてんねんて」
 「なるほどなー」

 …と言った途端、年配の夫婦とおぼしきお遍路さんが、続々と境内に入ってきた。
 バスツアーで、各霊場を周る企画をやっているのだろう。(あの衣装はレンタルなのか!?)
 「ちょっと、あれは何な。今言ったん、ホンマ?」
 浮野「今つくりましたごめんなさい」


   (合掌)

 帰宅してから、同行二人について調べてみた。
 …読みからして間違っていたようだ。
 どうこう ふたりではない、どうぎょう ににんだった。
 そして、己の他のもう一人とは、(配偶者ではなく)お大師さま。弘法大師の空海だったのだ。
 お大師さまと ともにゆく

 おすすめスポット タグ 西国三十三番


 20.8.6(水)

 南紀白浜のおすすめスポットをアップした。
 和歌山県のうち、紀ノ川沿いは日帰りで行ける範囲。
 潮岬~太地~那智~熊野本宮~新宮のコースは、一昨年に周った。
 白浜へ行ったのは、一昨々年の12月半ばだった。
 兵庫県は寒くなってきたけれど、白浜へ行けばいくらか和らぐだろう―――という意図。
 言ってみれば、避暑ならぬ、避寒である。いざ行ってみると、

 ホワイトアウト。白波魔恐るべし。
 
 おすすめスポット タグ 紀伊


 20.8.5(火)

 円応教と円山応挙は、字面が似ている。


 20.8.4(月)

 兵庫県の淡路のおすすめスポットをアップした。
 淡路に最後に行ったのは、おそらく一昨年のこと。
 5月の陽光うららかな季節で、とにかく花に満ち溢れた島というのが第一印象だった。

 淡路島は、日本神話に出てくる最初の島オノコロ島に比定されることでも有名だ。(淡路ワールドパーク ONOKOROは、これに由来する)
 天地(あめつち)がはじめて姿を見せてから、高天原に幾柱もの神が、現れては隠れた。
 それが繰り返されるうち、はじめての男と女――イザナギとイザナミ――の神がうまれた。
 「この漂うておるクニを、おさめ固めよ」
 天つ神はイザナギとイザナミを言い、アメノヌボコ(神々の矛)を渡した。
 イザナギとイザナミは天の浮橋に立ち、アメノヌボコを海水の中に入れ、コヲロ コヲロと掻き回し掻き鳴らして引きあげた。
 すると、矛の先から滴った塩が凝り固まり、島になった―――。


 初めて淡路島の国道を走っていたとき(高速道で通過したことは何度もあった)、何か違和感を感じたのだが、この日の晩に宿泊したときにその違和感の正体がわかった。
 この島には、鉄道が無いのだ。
 明石と鳴門の海峡に鉄道を渡して、島の南北に軌道を敷設したらどうだろう―――とも思うのだが、今さら割りに合わないのか。
 もっとも、自動車道では通り道の役割を充分に果たしている。
 今うっかり「通り道」と書いたが、淡路の土を踏んでもらえるか否かは、淡路の自助努力次第か。花に神話に海に断層、ある程度の観光資源はあるのだが。

 今度淡路へ行くときは、神話の面から訪れてみたい。
 そして、一度はホテルニューアワジに泊ってみたいものだ。兵庫モンにはわかる、アレ。

 ♪ほてる にゅ~~う あ~わ~あぁ~じ~~~♪

 おすすめスポット タグ 淡路


 20.8.3(日)

 先々月中旬の話。
 丹波立杭の陶芸美術館「五陶地」展、ドーノ、摂津三田の母子、永沢寺、尼寺へ行った。

 母子は、「もうし」と読む。
 舒明天皇(推古天皇ののちの天皇、第三十三代)の頃。
 大君は有馬温泉に訪れ、猫間中納言を羽束山の観音に遣わせたところ、大君の病気が快復した。
 大君は、羽束とその近郷を中納言に与え、中納言は鷹原に住まいした。
 中納言は、毎年この地の黄色い花を献上し、中納言な死んでもその妻と娘は献上を続けた。
 この花は「奉公草」といい、さらに「母子草(ハハコグサ)」というようになった。
 そして、いつしか鷹原は、母子(もうし)と呼ばれるようになった。

 いかにも後世の作っぽい内容だが、三田市のサイトに載っていたため紹介した。
 この母子では、この地方では珍しく茶を栽培している。
 室町時代初めにつくられた永沢寺の僧が中国から持ち帰った―――というが、これは本当かもしれない。

 永沢寺は、地名としては「えいたくじ」と読む。同名の寺名としては「ようたくじ」。
 永沢寺と母子の郷は、摂津の北に位置し、山をひとつ越えればもう丹波。(篠山城まで6km)
 標高560mだという永沢寺は、花しょうぶ園/ぼたん園花のじゅうたんがあり、また、そばの名所。いずれも、寺としての永沢寺がかかわっているのだろうか?


 三田市の北部には、南北に細長い谷がいくつかある。
 東から順に、高平小野・尼寺青野藍本
 一番西の藍本の筋が、国道176号線が走っており、もっとも拓けている。
 前三つは、いずれも田舎然としている。さて、
 尼寺は「にんじ」と読む。
 字義は「尼の寺」であり、相応の由来あってのことなのだ。

 花山院菩提寺は、西国三十三番の番外霊場。
 西国三十三番霊場の巡礼を復興させた花山法皇を敬ってのことだ。
 花山院へ行くには、急傾斜の山道を登らなければならない。
 頂上にある花山院は、標高400mを超える。
 山のふもとには、こんもり茂みがあり、そこには十二妃之墓(じゅうにひのはか)がある。
 花山法皇は、冷泉天皇の長子として生まれ、17歳で皇位についた。花山天皇である。
 ときは王朝の世、花山天皇の外戚は、弘徽殿女御(藤原忯子)の外祖父・藤原伊尹(花山天皇の妃の父の異母兄)だった。
 しかし、藤原伊尹はほどなく病死し、伊尹の弟の藤原兼家が力を握ろうとした。
 自ら娘を嫁がせた、先代の円融天皇の皇子を皇位に即けるべく、策動したのである。
 そのころ、花山天皇の寵愛していた弘徽殿女御が皇子を身籠ったまま亡くなり、天皇は悲しみの淵に沈んでいた。
 世を儚んでいた天皇の御心につけ込み、藤原兼家は子の道兼とともに、出家を勧めた。
 そしてある晩、念入りに警護の武士をつけて天皇を山科の元慶寺に連れ出し、出家の既成事実をつくってしまったのだ。
 先ず天皇が剃髪し、次いで道兼も剃髪するはずだったところを、適当に理由をつけて元慶寺を抜け出し戻らなかった。
 騙されたと悟った天皇は、悔しさのあまり慟哭した。
 翌日、藤原兼家は娘の子を皇位につかせた。一条天皇、わずか7歳。
 兼家は摂政として実権を握り、摂関政治は兼家の子の道長の時代に全盛を迎えることになる。

 たった二年で退位した花山法皇は、のちに京に戻るまでの相当期間を、摂津の東光山(のちの花山院菩提寺)で過ごした。
 花山法皇が東光山へ入ったとき、最愛の弘徽殿女御の遺髪を奉じたお付きの女官十一名が、この地まで法皇を慕って来た。
 しかし、当時の山は女人禁制ゆえ、女官たちは入ることができなかった。
 女官たちはやむなくふもとに住みつき、尼となった。法皇を慰めるため、琴を弾くこともあったという。
 尼となった佳人の琴の音は、雲上まで届いたであろうか―――。

   有馬富士麓の霧は海に似て 波かと聞けば小野の松風 花山法皇御製

 十二妃之墓は、十二人の妃というより、一人の妃と十一人の女官たちだったのだ。
 茂みの中には、弘徽殿女御の供養塔を囲むように十一の墓が並んでいる。
 かつては南北の谷筋すべてを小野と称していたのだろうが、そのうち東光山付近を尼寺と呼ぶようになった。また、ふもとの坂を琴弾坂という。
 どこかしら素敵な挿話に出会ったときは、素敵な景色に出会ったときと同じくらい、心地よい。

 ↑景色も素敵な花山院。南東方面を見渡せる。左側の大きめの山が、有馬富士。

 ↑播州の雄岡山/雌岡山(おっこさん/めっこさん、南西29km先)まで見える。6/17参照。
 手前の街は、三田ウッディタウン。

 社町+東条町+滝野町=加東市、三木市+吉川町=三木市

 おすすめスポット タグ 三田 タグ 丹波

 走行距離 約97km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破

 後日談。母が「私も花菖蒲見たい!」とせがむので、また永沢寺へ、ついでに尼寺へ行った。
 走行距離79.2km 燃費計12.5km/l 高速道路不使用


 20.8.2(土)

 カラヤンだ、と思ったらカヤランだった。



 20.8.1(金)

 F.F.6のセリス(オペラ出演説得時)を落書きしてみた。日記②H19.10/30、10/31、11/1参照。

 ナルシェの幻獣と反応したティナは、人ならぬ姿に変化し、何処かへ飛び去ってしまった。
 リターナーは人数を選び、ティナ捜索の旅へ出た。

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 途中のコーリンゲンの村に立ち寄ったロックは、地下室に眠る娘の前に立つ。

 この娘レイチェルは、ロックが 盗賊 トレジャーハンター駆け出しの頃からの恋人であり、ロックの発掘行へついて行ったがために転落事故に遭い、記憶喪失となったのであった。
 二人の日々を忘れ去ったレイチェルに、ロックは何度も逢おうとするが、当然のことながらレイチェルの父親に追い出される始末。そして、レイチェルのこの言葉がとどめとなった。
 「あなた、もう来ないで! あなたが来ると家族が悲しい顔をするの」

 ロックがコーリンゲンを去って一年後、村は帝国軍の襲撃を受けた。
 襲撃の直後に息を切らせて駆けつけたロックは、レイチェルを看取ることができなかった。
 しかし、レイチェルは今わの際に、確かにロックのことを思い出したのだという。
 ロックは、村の生き残りの爺さんがつくった妙薬でレイチェルを生きたままの姿に保ち、大切に横たえさせた。
 魂を甦らせる幻の秘宝がロックの悲願となったのは、まさにこの時だった。

 「俺は―――守れなかったんだ」
 ロックは、いつの間にか背後に立ちつくしていたセリスに呟いた。

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 リターナー一行は、スラム街のゾゾで昏睡するティナを見つけた。眠れるティナは、幻獣ラムウの庇護を受けていた。
 一行は初めて、動き話をする幻獣を目の当たりにした。
 老ラムウが言うには、ティナには幻獣の血が流れており、ティナを呼び起こすには自身の由来を明らかにする必要がある。また、帝国の魔導研究所は幻獣の魔導の力を吸い出す研究をしており、大勢の幻獣たちが囚われの身となっている。そして、ラムウもその魔導研究所を逃げ出したひとりであると。
 話し終えるとラムウは、自ら魔石と化した。魔石には、その幻獣の魔導の力が凝縮されているのだ。
 ラムウは、死してリターナーたちの力となったのだった。

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 リターナーの次の目的は、「ガストラ帝国へ潜入し幻獣に会う」こととなった。
 しかし、帝国との戦争により、海を渡るにも船がない。
 一行は、帝国へ潜入する手段を探るべく、大陸南端の街・ジドールへ向かった。
 ジドールの街に着き、一番大きな屋敷に入ったときのこと。

 ダンチョー「マ、マリア…!?」
 セリス「え!? わ、私のこと?」
 ダンチョー「ああ、すまん…人違いだった。あなたが私の劇団の女優にあまりにも似てたので…あぁ困った」

 ダンチョーは、汗を拭いて広間を去った。

 ロック「セリスがマリアに似てる?」
 セリス「……??」

 ダンチョーがひらりと落とした手紙を拾うと、屋敷の主人が階段の踊り場から話しかけてきた。

 マスター「オペラ座で芝居をやっている劇団長なんですよ。皆はダンチョーって呼んでますけどね。そんな手紙がきたもんだから、酔いつぶれて…」

 “おたくのマリア。ヨメさんにするから、さらいに行くぜ。さすらいのギャンブラー”

 ロック「?…誰だこの、さすらいのなんとかは?」
 マスター「知らないのかい? 世界に一台しかない飛空挺“ブラックジャック号”を持っているセッツァーさ」
 セリス「……飛空挺があれば、空から帝国に乗り込める」
 ロック「会いに行こうか。…セッツァーに」

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
「そんなチャラチャラしたこと、できるわけないでしょ!」
 リターナー一行は、ジドールの南のオペラ劇場へ訪れ、ダンチョーにセッツァーの手紙の件を話した。

 ダンチョー「ああ~、派手好きのセッツァーのことだから…劇が盛り上がった時に来るだろうぅ~」
 ロック「じゃあその時に出て行って捕まえれば!」
 ダンチョー「やめてくれ! 芝居を台無しにしたら、劇場からクビにされる!」
 セリス「ならお手上げじゃないの!」
 ダンチョー「だから悩んでるんだ! 芝居は成功させたいし、かといってマリアをさらわれたくない…うぅ…」
   シーーーン
 ロック「―――じゃあ、さらわせればいい。」
 「?」
 ロック「オトリだよ。わざと女優をさらわせてセッツァーの後をつける。あわよくば飛空挺を横取りする」
 ダンチョー「ダメだダメだ! マリアにもしものことがあったらどうする!」
 ロック「だからオトリなんだってば! マリアには安全な場所に隠れてもらって―――」
 ダンチョー「へ?」
 ロック「マリアに似てるんだろ?」
 セリス「へ?・・・私??」
 ロック「マリアに化けたセリスをわざとさらわせて、俺達を飛空挺へ案内する」
 ダンチョー「名案だ!」
 セリス「そそそそんな! 私は元帝国の将軍よ! そんなチャラチャラしたこと、できるわけないでしょ!」
   ダダダッ バタン!
 セリス「あー あー うん、マぁ~リぃ~アぁ~♪」
 ロック「ははっ! 結構やる気だぜ、セリスは」

 盛り上がる広間の隅に、あやしい陰が動いた。

 オルトロス「ふっしっし! わいもセッツァーをマネして挑戦状送ったるけんね~」
   ひゅるる~~ ぱさっ
 ロック「さあ、作戦会議といくか。みんな、奥へ入ろう」
   バタン
 オルトロス「だ~~~っ、読まんかい!」

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 たった二日間の猛特訓で、セリスはぐんぐん上達した。さすが元将軍、身体能力は抜群だ。
 そしてついに開演。
 ロックは、控え室までセリスの様子をうかがいに行った。

 ロック「おまえ…こんなに綺麗だったっけ…」
 セリス「…ロック、なぜあの時、私を助けてくれたの?」
 ロック「好きになった女を、なにもしてやれずに失ってしまうは…もうゴメンなだけさ」
 セリス「…私は、あの人のかわりなの?」
 ロック「…。似合うぜ、そのリボン」
 セリス「―――そろそろ出番だわ。ドラクゥの安否を気遣うマリアが、自分の思いを歌にする、大事なシーンよ」

   愛しの貴方は遠い所へ? 色あせぬ永久の愛誓ったばかりに
   悲しい時にも辛い時にも 空に降るあの星を貴方と思い
   望まぬ契りを交わすのですか?
   どうすれば? ねえ貴方? 言葉を待つ


 一方その頃、オルトロスが屋根裏から岩を落とすという恐ろしい陰謀を企てていた。
 それに気付いたロックたちは阻止しようと駆けつけたが、オルトロスもろとも転げ落ち、劇中で姫君を奪い合う王子二人が気絶した。

 ダンチョー「二人がのびてしまった…! いったいマリアは誰の妃になればいいのだ~!」
 ロック「いたた…。!―――セリスをめとるのはドラクゥでもラルスでもない! 世界一の冒険家! このロックさまだぁ~~~!」
 ダンチョー「あちゃ~。…下手くそな演技しおってからに!」
 オルトロス「だまぁ~れぇ~い! われとてタコのはしくれ! お前なんかに負けはしないぞ! お前と勝負だ~~~!」
 ダンチョー「え~い、もうどうにでもなれだ! ミュージックスタート!」
 ロック「 タ コ は 引 っ 込 ん で ろ 」
   ゴツン
 オルトロス「またダメだった…タコですいません」
   グォン グォン グォン
 セッツァー「待ちな、素晴らしい舞台だったぜ! 約束どおりマリアはもらってくぜ。よっと」
 セリス「あ~~れ~~」
 ダンチョー「お~っと、意外な急展開! 次回を乞うご期待~!」

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 飛空挺に上がったセッツァーは、セリスを部屋に閉じ込め、自室に戻った。
 セリスはその隙に、手筈通りに仲間たちを飛空挺に導き入れた。

 ロック「立派な女優っぷりだったぜ!」
 セリス「ひやかさないでよ」
 ロック「でもこっからが本番だぜ。第二幕の始まりだ。セッツァーは?」
 セリス「来るわ」

 セッツァー「き…貴様ら! お…おまえマリアじゃねぇな!」
 セリス「セッツァーお願い。私達ベクタへ行きたいの。だからあなたの飛空挺が…」
 セッツァー「マリアじゃなきゃ用はない」
 セリス「待って! あなたの船が世界一と聞いて来たの!」
 ロック「世界一のギャンブラーともね!」
 エドガー「私はフィガロの王だ。もし協力してくれたなら、褒美はたくさん出すぞ」
 セッツァー「……来な」

 セッツァー「フッ、帝国のお陰で商売あがったりさ。」
 セリス「あなただけじゃないわ。たくさんの街や村が帝国によって支配されてるのよ」
 ロック「帝国は魔導の力を悪用し、世界を我がものにしようとしているんだ」
 エドガー「私の国も今までは帝国と協力関係にあったのだが、もはやこれまでだ」
 セッツァー「帝国…か」
 セリス「帝国を嫌っている点では私達と同じね。だから…」
 セッツァー「よく見ればあんた、マリアより綺麗だな」
 セリス「え!?」
 セッツァー「決めた! あんたが…セリスが俺の女になる。だったら手を貸そう。それが条件だ」
 ロック「待て!そんな勝手なこと!」
 セリス「わかった、でも条件があるわ。エドガー?」
 エドガー「!…ああ」
 セリス「このコインで勝負しましょう。もし表が出たら私達に協力する。裏が出たらあなたの女になるわ。どう、ギャンブラーさん?」
 セッツァー「ほほう、いいだろう。受けてたとう」
 ロック「いいのかセリス? もしヤツの女なんかになったら…」
   ピィーーン パスッ
 セリス「表。私の勝ちね。約束通り、手を貸してもらうわ」
   カチ
 セッツァー「貴重な品だな。両表のコインなんて初めて見たぜ」
 セリス「イカサマもギャンブルのうちよね?」
 セッツァー「ハッ、こんなせこい手を使うとはな…いいだろう、手を貸してやる。俺の命そっくりチップにして、お前らに賭けるぜ!」

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 セッツァーの説得に成功したリターナー一行は、一路南へ、帝国の首都ベクタへ向かった。



 20.7.31(木)

 ニコニコ動画でS.D.I.を検索したら、まさかとは思ったが本当にあった。ミクで。。
【ニコニコ動画】初音ミクがLOUDNESSのS.D.Iを歌います そ、空耳…。ギターソロ…。

 ギターが異常
♪今だ、産卵 過失が無い 
  総合不倫狩り 本土リリース
 シーザーサラダ マジ直さん
  鉄壁ッス フェチの極み ネコ巫女♪


 ②
 ④
①DREAM FANTASY ②CRAZY DOCTOR ③IN THE MIRROR ④SOLDIER OF FORTUNE

 高校の頃、ラウドネスやらXJAPANやらスピッツやら安全地帯やら聴いてたなあ。
 テープをクラスのみんなでまわして。
 ラウドネスは、歌詞は何言ってるのかサッパリわからなんだけど、何となく音が心地よかった。
 ちなみに、S.D.I.は一般に戦略防衛構想の意。


 20.7.30(水)

 ゲームブックはどこへ消えた?


 20.7.29(火)

 島根県のおすすめスポットをアップした。
 同県には、都合5回行っている。
 思い返すと、まだ温泉津(ゆのつ)、大根島、美保関メテオプラザ、玉造温泉が欠けている。しかし、いずれも写真が残っていない。(:;)
 今回は、取材に行った時期も違いテーマも違い、脈絡のない文章になるが、いくつか採り上げてみたい。

 出雲大社。出雲といえば、誰しもが先ず連想する。
 そして、御利益は縁結び。これもまた、自然と連想。











 このあと、オオクニヌシはコシのクニまで出向いてヌナカワヒメを(それはもう熱心に歌を歌って)ナンパしたり、嫉妬深いスセリビメはヒスを起こしたり。(安彦良和のナムジに登場するスセリは、とてつもないツンデレ)
 さすがスサノオの娘か気性の激しいスセリビメも、このときは瞳もウルウル、えらくしおらしい歌を歌って、結局仲直りしてニャンニャン。。
 しかしなお、オオクニヌシの浮気性は治らず、同時に、葦原の中つ国は肥え栄えたのだった―――。
 大国主はプレイボーイ。
 出雲大社で縁結びを願うた女性の面々は、これを忘れてはならない。後々に注意あれ。

 なお、昔の出雲大社が高い高い神殿を築いていたのは、オオナムヂに呼びかけるスサノオの言葉にもチラとあるが、別に由来がある。
 オオクニヌシの国造りによって葦原中つ国は繁栄し、高天原のアマテラスはそれに嫉妬した。
 「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに、要するに日本の美称)は、われら天つ神が統べ治める国であるのに」
 そこで何度か言向けたが、その度にオオクニヌシに懐柔され、ついに強きタケミカヅチを遣わした。
 稲佐の浜に天降ったタケミカヅチはオオクニヌシに国譲りを迫り、オオクニヌシは「わが息子たちに聞くがよい」と、返答を避けた。
 息子の一人、釣りキチのコトシロヌシは、美保関で入水して果てた。
 もう一人の息子のタケミナカタは激しく抵抗したが、敗走を重ね、信濃の諏訪にて降伏し、以来その土地を出ていない。
 結局、オオクニヌシは天つ神に屈した。
 このとき、オオクニヌシは天つ神に代償を求めた。
 「この葦原の中つ国は、ことごとく天つ神に奉ろう。ただ、わが住処だけは、土の底なる磐根に届くまで宮柱をしっかりと掘り据え、高天原にも届くほどに高々と氷木を立てて治めたまえば、われはおとなしく鎮まろう」
 こうしてオオクニヌシは、高くそびえる出雲大社に祀られることとなった。

 深く地を掘り柱を立てて高々とした宮を建てる―――この言い回しは、既に述べたとおり二ヶ所あるのだが、こういう例は、他にもある。
 有名なものでは、火に囲まれる話。
 神代のオオナムヂは、スサノオの試練により炎に捲かれ、鼠の助けにより危機を脱した。
 人代のヤマトタケル(景行天皇の息子)は、焼津にて敵豪族に火攻めに遭い、叔母から授かった剣と火打石で、草を薙ぎ火を返し、敵を殺した。

 足立美術館で見かけた河井寛次郎の詩「手考足思」を見たとき、一目でゾクゾクするほど気に入った。
 しかし、館内はもちろん撮影禁止。そこで、ペンと紙を取り出して走り書きしたのだった。

 手考足思

  私は私を形でしゃべる、土でしゃべる、火でしゃべる、
  木や石や鉄などでもしゃべる。
  形はじっとしている唄、飛んでいながらじっとしている鳥、
  そういう私をしゃべりたい。
  こんなおしゃべりがあなたに通ずるならば、
  それはそのままあなたのものだ。
  その時私はあなたにわたしの席をゆずる。
  あなたの中の私、私の中のあなた。


 土を練るのが上手なモンは言葉を練るのも上手なのかと、強く思った。

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 20.7.28(月)

 6/14の給油記録。
 ① 播州山崎:201.8km
 …を含む。

 333.5km(高速道路不使用) 10.9km/l(燃費計) 31.91L 給油 レギュラー@168円
 333.5÷31.91=10.451… → 10.4km/l(満タン法)
 10.4-10.9=△0.5

 ∴燃費計は、満タン法より、0.5km/l前後良く測定される。

 さらに、6/14の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①を遠出、残りを ②街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.5km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  201.8km 14.4km/l → 13.9km/l 14.517…L
 ②  131.7km       →       17.392…L
 計 333.5km 10.9km/l → 10.4km/l 31.91L

 ①  201.8km 14.4km/l → 13.9km/l 14.517…L
 ②  131.7km       → 7.5km/l 17.392…L
 計 333.5km 10.9km/l → 10.4km/l 31.91L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、131.7km走って 7.5km/l


 20.7.27(日)

 私はサッカーについて無知である。
 オフサイドは辛うじてわかるが、サドンデスをロックバンドか何かと思っていたくらいだ。
 リフティングも、たった十数回しかできなかった。
 そんな私が中学生の頃、体育の授業中(サッカー)サッカー部の友人が繰り出した技に、一瞬で心を奪われた。
 両足を前後にボールを挟みこみ、右足でボールを左足の踵に乗せ、2、3kmほど自分の前にボールを跳ね上げる―――いわゆるヒールリフトだ。
 それから、機会があるたびにヒールリフトの練習ばかりした。
 家に帰っても、(ドッヂボールで)狭い庭で練習した。
 そしてついに、ほぼ確実にボールを跳ね上げられるようになった。嬉しかった。
 しかしその後、体育の試合中にヒールリフトを実戦使用することはなかった…。orz


 20.7.26(土)

 先月中旬の話。
 播州宍粟郡の篠ノ丸城、山崎城、播州山崎花菖蒲園、滝野のぽかぽへ行ってきた。7/13参照。

 篠ノ丸城は、北西から山崎の盆地にニュッと突き出た山にある。
 播磨の豪族の赤松氏が築き、赤松氏の傘下の宇野氏の城だったが、羽柴秀吉の播磨攻めの軍勢の前に落ちた。
 羽柴秀吉の智恵袋的存在の黒田官兵衛孝高は、山崎の合戦(播州ではなく、京の入口。羽柴秀吉が明智光秀を破った戦い)前後に宍粟郡一郡を領地にもらった。祖父以来の姫路の地は、最初に秀吉に味方したときから、秀吉にそっくりそのまま明け渡していた。
 官兵衛は、この篠ノ丸城を手直しして領地を治めた。

 山崎城は、篠ノ丸城のすぐ南側の平地にある。黒田官兵衛のあとに山崎に入封した木下氏が、山上の城を嫌ってか、低地に府庁を置いたのだ。

 のちに山崎の主は、池田氏 → 松平氏 → 池田氏 → 本多氏 …と移り、本多氏が山崎藩一万石を二世紀近く治めている。
 山崎藩(宍粟藩)の本多氏は、徳川家康の重臣・本多忠勝の子孫であり、分家にあたる。
 宍粟歴史郷土館(図書館の二階)の本多氏ゆかりの品々に、本多氏の家紋の立ち葵を見かけた。本多忠勝の肖像画(おそらく複製)もあった。
 篠ノ丸城のふもとにある山崎八幡神社にも、立ち葵が描かれた幕が張られていた。

 播州山崎花菖蒲園は、山崎の平地の東端の丘にある。
 小山一つ越えた先なので、駐車場から入口まで100mほど坂を上らなければならない。
 ただし、体力のない人向けに、数台のカートをぐるぐる運行している。
 相方が乗りたそ~うにしていたが、ダメダメ、と意地で登った。

 入口をくぐって坂を降りると、もうそこは俗世と隔絶された別世界。
 数え切れない品種の花菖蒲が、咲き誇っていた。

 この花菖蒲園は、すべて品種名が書かれており、その名のセンスの良さに感心した。
 → 品種名データベース(newpage3~11、当園のサイトではない)
 花菖蒲には、江戸系、肥後系、伊勢系の三つの系統があるそうだ。特徴は以下の通り。
  江戸系:群生美◎、室内鑑賞△、群生美に優れる
  肥後系:群生美△、室内鑑賞◎、豪華さに優れる
  伊勢系:群生美○、室内鑑賞○、繊細美に優れる

 一周見てまわるうちに、三系統のいずれかくらいは、なんとなくわかるようになった。
 帰りの坂で、相方がカートに乗りたそ~うにしていたので、ブルンブルン乗せてもらった。
 ゴキゲンなおってヨカッタ。。

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 走行距離201.8km 燃費計14.4km/l 高速道路不使用


 20.7.25(金)

 ギター曲小麦畑と童謡クラリネットをこわしちゃったは、最後の二音が似ている。


 20.7.24(木)

 先月上旬の話。
 播州加東の日の神教団(偵察)、掎鹿寺、加西の古法華自然公園、根日女の湯、パスコロ、そしてあやしい宗教施設(偵察)へ行った。

 東条の野を走っていると、西の丘にキラキラ光るものがある。
 そこで、キラキラに向かって走ってみた。
 日の神教団 瑞宝苑。その施設の立て札には、そう書かれていた。
 正面に鳥居がある。
 神道系で「日の神」とくれば、アマテラスを崇める教団だろうか。

 となりの丘には、掎鹿寺があった。
 掎鹿寺は、「はしかじ」と読む。
 入口に、桂石寺と大書された石碑がある。
 住職の旧姓「桂」大好きな「石」をあわせた寺号を、勝手に掲げているわけ。
 これは、住職個人と石屋との癒着ゆえであり、 その境内は石碑や石の置物だらけ。
 檀家には、すさまじく不評であろう。
 なぜそんな寺をわざわざ訪れたのか?―――それは、この寺の脇に、義経道があったから。
 丹波・播磨にとっての義経道とは、一の谷の合戦に赴いた源義経が通った道。
 京を発して篠山を抜け(篠山の東に、那須与一が戦勝祈願したという寺がある)、三草山で一戦し、ここ掎鹿谷も抜けたということだ。

 古法華自然公園は、ゴツゴツとした岩肌が露わな善防山と笠松山にまたがる公園。
 車で山上の駐車場へ登る道があるのだが、これがまた峻険極まる。
 鎌倉の切り落としより酷いかもしれない。
 ちいさな古法華寺には、石仏が秘蔵されているらしいが、この日は見られなかった。

 あやしい宗教施設―――。
 私が前々から注目している、某宗教団体。
 昨秋、三草山から登ったときに、その異様な光景に唖然とした。
 三草山の北東の荷篭谷を、巨大な門、大路、本殿、集会所で埋め尽くしていたのだ。↓ 


 今年3月の二次調査。
 あまりのひと気の無さ、そして庭園の石像群から、
 「 逃 げ 出 し た 信 者 が 石 に 変 え ら れ た の だ ろ う 」と推論した。


 今年6月の三次調査。
 門周りは、完成に近づいていた。
 周囲に建設会社の人間が数人居たが、これ見よがしに近づくなオーラを放っていた。
 途中、福井ナンバーの赤いフィット石川ナンバーの白いセダンが、門を抜けて入っていった。

 引き揚げようとしたとき、荷篭谷の手前の畑という場所に、工事関係の看板を見つけた。
 H○C施設建設工事。―――○MC…きっかけをつかんだ。


 さて、帰宅してから、HM○について調べてみた。
 結論から言うと、あやしい宗教施設の正体は、念仏宗 無○寿寺。本部は京都嵐山。
 数十年前に誕生した新興宗教であり、すでに福井、金沢などに拠点があるようだ。
 そして、この加東市の社の谷あいに、新たな拠点真○の里をつくろうとしているのだ。
 HM○とは、対外活動を行いやすくするためのダミー会社に過ぎなかった。

 旧社町の元町長は、賄賂を受けて開発許可を出し、のちに逮捕された。
 総本山○如の里は、約10万坪の敷地に総予算350億円を投じてつくられているという。
 1坪は約3.3㎡だから、10万坪は330,000平方㎡。
 細長い荷篭谷を埋め尽くしてるから、その規模はざっと200m×1,500m(=300,000㎡)+α くらいだと想像すればいい。なお、施工はゼネコンの大成○設

 念仏宗 無量○寺
 ウィキペディア
 兵庫タイムス
 国民新聞

 情報化社会と言われる昨今です。念佛宗についての様々な情報が、多方面から入る方もおられると思います。
 信頼できる情報もあれば、取るに足らない信頼できない情報もあります。
 加工された言葉のかたまり達が、私達の周りで自己顕示しています。
 さて、あなたは・・・どの情報(言葉)を信じ選ばれますか?
 私自身は、私に念佛宗を紹介してくださった、お声を掛けて頂いた方のお言葉(お人柄)を信じました。
 私は、その方を信頼できる方だと、私自身の心(直感かな?)で、判断いたしました。
 あの日、私にお声を掛けて頂いた方のお人柄を信頼し、自分自身の心を信じて良かったと、いつも思っています。 
 あなたは、あなたにお声を掛けられた目の前におられる方を、どんな風に判断されますか?


 ↑これが、諸疑惑に対する念仏宗 無量○寺(信者一個人という態をとっている)のスタンス。
 あとは、各々見て、調べて、判断されたい。

 おすすめスポット タグ 加東 タグ 加西

 走行距離 約127km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.7.23(水)

 7/21に描いた落書きに、フォトショで色塗りしてみた。
 レイヤーは28、PSDファイル13.2MB、JPGファイル609KB。なぜかやたら重い。
 一応、眞子内親王殿下のつもり。
 え、似てない? やっぱり不敬罪ですか、そうですか。orz


 描いた絵を見て、母方の又従姉妹に似てるかも、と思った。
 眞子様と似てる…わけではないが、この絵とは似てる。
 (ってことは、やっぱり似顔絵になってないんだね!? シクシク…)
 最後に会ったのは、又従姉妹が高校の頃。今頃は女子大生かな。
Posted at 2008/06/24 20:21:01 | 日記
2008年06月02日 イイね!

日記 ⑧

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、八冊目。

 日記       


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.7.22(火)

 日記帳が紙数尽きた。


 20.7.21(月)

 ああ、やってしまった。7/15参照。
 ついカッと(以下省略)

 はい、秋篠宮のおひぃさん、眞子内親王殿下のつもりでございます。
 宮内庁の方、いきなり私を消去するのだけは御勘弁を。
 その前に画像を消去する用意はございますので。

 いくつかの画像見てから、数年前の頃の画像のアングルを借用して描いてみた。
 B5の紙に、シャーペン描き。しるしのモッコウバラは適当。
 目は一重の切れ長、眉は比較的うすく、口は小さく、鼻、輪郭もととのってる。
 うん、別嬪さん。
  なお、胸のふくらみ具合は想像でk   ギャーーー  ゴボガボ   。。。    。。    。


 20.7.20(日)

 前日の続き。私は、基本に立ち返った。
 CDを石鹸あわあわ、丁寧に洗い、完全に乾燥させてから再生させた。(H19.9/22参照)

 ♪ いーまいーじょー そーれーいじょー アイされるーのにー
     あなーたはーそのー すきとおったヒトミのーままでー ♪


 CDは黄泉返った。またいつ本当に再生不能になるかわからないので、メディアプレイヤーのライブラリに取り込んでおいた。
 恋の予感、熱視線、碧い瞳のエリス、プルシアンブルーの肖像、Friend、微笑みに乾杯…村下孝蔵(リンク「永遠の歌人」参照)を知る前にハマっていた曲群に、久々に浸った。


 20.7.19(土)

 久しぶりに安全地帯を聴こうとCDをかけると、なんてことだろう、音がトんでいた。
 途中までは普通なのだが、サビに入るところで、

 ♪ いーまいーじょいーまいーじょいーまいーじょいーまいーじょいーまいーじょ…

 エンドレス。泣いた。


 20.7.18(金)

 少し前の話。
 通りすがりの方から、メッセージを頂いた。
 「楽しませて頂きました」の意の、簡潔な文面。
 いや、こちらこそこんなテキトーなページがお目汚しにならなんだかと、恐縮しきり。
 それにしても、一体どこらへんが楽しかったのかが気になったりする。
 プロフ関係かな、日記かな、おすすめスポットかな。


 20.7.17(木)

 腹筋筋肉痛になった。。
 【ニコニコ動画】リアルFF


 20.7.16(水)

 最近、今頃になって海音寺潮五郎にハマっている。
 悪人列伝を読破して、ただ今武将列伝の途中なり。


 20.7.15(火)

 世間では、眞子様佳子様人気(?)がえらいことになっている。
 ↓の動画で、えらい格好させられて、えらいセリフを言わされている。
 元ネタ知らんが、えらいこっちゃ

 高円宮が亡くなられたときは、その葬儀の娘さんの格好にビックリさせられ、「それに比べ秋篠宮のおひーさんは、なんて育ちが良いんだ~」とウルウルしていたのは私も一緒だが。
 まあ、でもアレだ。いささか歪んだ人気・興味も、無関心よりかは良いかもしれん。。
 時代は皇室萌えに向かっているのかはわからないが、とりあえず昭和天皇を描いてみた。

 一般のイメージでは、ぼんやり屋さんの風貌だけども、若い頃(新婚ホヤホヤ)の写真にものすごく男前に映っている写真がある。大正14年3月3日赤坂離宮にての写真。
 でも、写真見ながら描いたのに、あんまり似てない。(ノ_・。)ジモヘタダシ…

 国民の期待を一身に背負っていた日嗣の御子は、弱冠20歳で(大正天皇を補佐する)摂政に就き、25歳にして天皇に即位した。元号は、昭和。
 天皇とは、国家元首であり軍の最高指揮官であっても、内閣の決定を承認することしかできなかった(言うだけ言うことはできても、決定を覆す権限(拒否権など)はなかった)。この点、天皇は独裁者どころではない。
 やがて軍部が暴走し(省略)トースイケンノカンパンやらなんやら言い出されて(省略)クーデターまで起こされ天皇涙目(省略)なんやようわからんうちにイケイケな感じで戦争へ。
 大東亜戦争の直前のまでは、極力平和裏の道を探っていたが、いざ開戦すると「開戦すればどこまでも挙国一致でやりたい」とのたまい、緒戦の勝利を無邪気に喜んだ。
「戦争開始前には予告せよ」
「人類平和のためにも、いらずらに戦争の長びきて惨害の拡大しゆくは好ましからず」
「(油田地帯の占領の報を聞き)それはひじょうに結構だが、すぐ使えるか」
「(南方の快進撃が続き)あまり戦果が早くあがりすぎるよ☆」
「ミッドウェーの損害は誠に残念であるが、今後の作戦が消極退嬰にならざるようにせよ」
「なぜ飛行場をつくるのに米国の何倍の時間もかかるのだ」
「ガナルカナル島の撤退は遺憾である」
「次々に起こった戦況から見て、今度の戦争の前途は決して明るいものと思われない」
「なんとかして、どこかの正面で米軍を叩きつけることはできぬか」
「ニューギニア方面は、航空作戦も糧食弾薬の集積も少しはよくなっているか」
「海軍はいったいどうしているであろうか。なんとか叩けないかねえ」
「補給には一段と万全を期してもらいたい。補給の困難から窮地に陥るがごときことのあるのは、実に忍びないところだ」
「(特別攻撃隊の報を聞き)そのようにまでせねばならなかったか――しかしよくやった」
「ソ連が武力的に立ち上がることはないと思うか」
「(アルミ回収にあたり)家庭用品までは没収しないように」
「なるべくすみやかにこれ(戦争)を終結せしむることが得策である」
「この種の武器(原子爆弾)が使用せらるる以上、戦争継続はいよいよ不可能になった」

 実に、姑のようなこまごましさだ。その口出しは、
 ○ やる以上は、積極的にやる
 ○ なるべく国民の生活安定・兵の士気に気を遣う
 ○ 戦争の早期終結を図る
 ○ ソ連に対する恐怖

 …で筋が通っている。
 そして、降伏に向けて御前会議をひらいても、相も変らぬ小田原評定。。
 ここで天皇は、自己に与えられる権限を越えた。
 張作霖爆殺事件の甘い処分に対する首相への大叱責軍部のクーデターに対する大激怒以来、三度目の。いわゆる、終戦の聖断
 あの敗戦で日本は滅んだ、断絶した―――と、よくいわれる。ところが結局、天皇と皇室日本人がつくった法律は、未曾有の国難もなんのその。生きている。

 次々に襲いかかる苦難に立ち向かい、押し流され、這い上がった昭和天皇。
 この人こそ、立憲君主としての最高に属する君主だったと思ってる。
 血ゆえではなく、血統や立場の認識による自己鍛錬と自己制御の徹底ゆえに。

つ「昭和天皇語録」


 20.7.14(月)

 ラバウル海軍航空隊だ、と思ったら栄冠は君に輝くだった。


 20.7.13(日)

 先月上旬の話。
 播州の志方城、神吉城、御着城、廣峯神社、白國神社、ぱんだ、置塩城、櫃蔵神社、安志鴨神社、安志稲荷神社、安志姫神社、伊和神社へ行った。
 最初は、志方城、神吉城、御着城、廣峯神社、置塩城、山崎城、篠ノ丸城、伊和神社、波賀城、根日女の湯へ行く予定だったのだが、成り行きで変更した。

 志方城は、三木城から15km西にある城で、今は観音寺と志方小学校となっている。
 城主の櫛橋氏は、黒田官兵衛の妻の実家で、三木合戦の折に別所氏に味方し、落城した。 
 神吉城は、志方城から3km南にある城で、今は常楽寺となっている。
 城主の神吉氏は、三木合戦の折に別所氏に味方し、落城した。近隣の生石神社の宮司は神吉城主の弟であったため、焼き討ちに遭った。
 御着城は、志方城から7.5km西にある城で、今は姫路市東出張所となっている。
 城主の小寺氏は、播磨守護の赤松氏の庶流であり、三木合戦の折に別所氏に味方し、落城した。黒田官兵衛で知られる黒田氏は、小寺氏に重用され、小寺姓を賜っていた。
 上の三つの城は、戦国期の城ながら、周囲よりわずか数m高いだけの台地にある。

 廣峯神社は、姫路城から4km北の広峰山にある神社。
 のちにスサノオと習合されたインド渡来の神の牛頭天王を祀る。
 牛頭天王は、祇園精舎の守護神であり、ゆえに同じ神を祀る京の八坂神社は祇園さんと呼ばれる。また、悪疫を防ぐ神でもある。

 そみん‐しょうらい【蘇民将来】
 1 神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名。→ 茅(ち)の輪 2 疫病よけの護符の名。柳の木を六角または八角の塔状に削り、「大福長者蘇民将来子孫人也」などと墨書し、小正月に諸所の社寺で分与する。

 昔、北の海の武塔神(むとうのかみ)が、南の海神の娘に夜這い(!?)をかけようと出かけ、日が暮れた。
 その土地には、蘇民将来と巨旦将来の二人の兄弟があった。
 裕福な弟の巨旦将来は、武塔神に宿を貸すのを拒んだ。
 貧しい兄の蘇民将来は、貧しいながらも精一杯のもてなしをした。
 年月を経て、武塔神は八柱の御子を連れて還ってきた。
 そして蘇民将来に妻子の有無を問い、茅の輪を腰につけさせた。
 その晩、茅の輪をつけた者を残し、すべての村人がことごとく死滅した。
 「われはハヤスサノオなり。後の世に疫病あらば、汝は蘇民将来の子孫と言うがよい。茅の輪を腰に着けたる人は免れられよう」


 この蘇民将来伝説は、続日本紀(しょくにほんぎ)に見える話らしい。
 この話ゆえに、人々は蘇民将来の子孫であることを示し、疫病から逃れるわけだ。
 前述しているが、スサノオ/ハヤスサノオはヤマタノオロチ退治で知られる出雲系の神であるが、スサノオと合わせられる前の神の有り様が、牛頭天王である。
 そもそもこの伝説自体が、武塔神、巨旦将来、蘇民将来などの見慣れぬ名のセンスからして外来の色合いが濃厚だ。
 ↓(左)は、廣峯神社で販売されている蘇民将来の札。茅の輪つき。

 それに対し、八坂神社の札(右)は、札というより八角柱の木の塊…。
 「八坂神社に し か な い お守」と、特に強調している。
 そう、廣峯神社と八坂神社は、いずれも祇園信仰の総本社と主張して譲らないのだ…。

 廣峯神社からは、姫路の街がよく見える。姫路城の天守閣は4km南。さらに奥は播磨灘か。
 ちなみに、「ひろみね」と名付くこの地であるが、当てる文字は様々だ。
  神社名:廣峯神社→「峯」、山の名:広嶺山→「嶺」、住所名:広峰→「峰」
 なお、「廣」は「広」の旧字体であるだけである。

 廣峯神社には、社務所のとなりに、かわいいイラスト入りの犬小屋がある。
 住人(犬)の白いわんこは、ひろみねやまこじろう
 おとなしくて愛らしい、雄の老犬。こじろう、長生きしなよ。

 白國神社の「白國」は、「しらくに」と読む。
 昔は、「新羅訓」の字を当てていたらしい。
 新羅(しらぎ)のクニは、言うまでもなく古代朝鮮の国。
 この神社が、廣峯神社のある広嶺山のふもとにある。
 廣峯神社と八坂神社がどちらも祇園信仰の総本社と主張している件は先に述べたが、異国の風が強い(外来の神の牛頭天王を祀っていた)廣峯神社と外国の名を冠する神社がセットで存在したことを考慮すると、おそらく平安遷都以前には遡れまい八坂神社よりも廣峯神社の方が古かったと考える方が、自然だろう。
 かつてはかつての祀る神があったのかもしれないが、今の祭神は、コノハナサクヤヒメ。
 アマテラスの孫のホノニニギの嫁であり、花と岩の説話火中出産の説話で知られる。
 高天原から日向高千穂に降臨したホノニニギは、一人の美しい娘を見初めた。
 「そなたは誰の娘なのだ。兄弟はいるか」
 「オオヤマツミの娘、コノハナサクヤヒメと申します。姉に、イワナガヒメがおります」
 「われはそなたを妻にしたい。如何?」
 「えっ…それは、父がお答えしましょう」
 話を聞いたオオヤマツミはとても喜び、姉のイワナガヒメも一緒にニニギに嫁がせた。
 ところが、イワナガヒメはあまりに醜かった。
 ニニギはイワナガヒメを一目見るなり親許へ送り返し、コノハナサクヤヒメのみ留めて一夜の契りを交わした。
 オオヤマツミは、イワナガヒメがつき返されたことを恥じ、怒り、ニニギを呪った。
 「われがなぜ娘二人をおくったか、おわかりか。イワナガヒメを娶らば天つ神の御子のお命は岩のごとく永久に続き、またコノハナサクヤヒメを娶らば木の花の咲くがごとく栄えるはずと、祈りを込めて二人差し出したのだ。それをかくのごとくいたしたからには、天つ神の御子のお命は、山に咲く木の花のごとく散り落ちようぞ」
 ために、今に至るまで大君たちの命は、長くなくなってしまった。

 「あの…わたくし…ニニギさまの御子を身籠ったようです」
 「!―――そなたは、あの一夜の契りで孕んだのか。それはわれの子ではなかろう、そこらの国つ神の子だろう」
 ブチキれたコノハナサクヤヒメは、戸のない宮殿をつくらせ、土で周りを塗り固めさせ、火をかけた。
 「天つ神の御子ならば、きっと何事も起こりますまい」
 女の、決死の誓いだった。
 燃え盛る炎の中、コノハナサクヤヒメは無事に出産し、潔白を証明した。


 置塩城の置塩は、「おきしお」と読む。
 播磨の名族・赤松氏の嫡流の城として長くあったが、羽柴秀吉の進出に際し早々に降った。
 実は、時間の都合により登山口のみ。登ってない。。(><)
 櫃蔵神社の櫃蔵は、「ひつくら」と読む。
 置塩城で祀っていた神を、秀吉に降った折に、城の周りの三ヶ所に分祀したらしい。
 置塩城の城山、ふもとの櫃蔵神社、足もと流れる夢前川。その河川敷で、子供連れの数家族が車で寄りあってバーベキューをしていた。ガンガン音楽をかけて。(ユーロビート?)
 BBQは大いに結構だが、川のせせらぎ、野鳥の声…自然の音楽を殺すBGMはどうだろう。。

 安志鴨神社は、上賀茂神社から分祀された神社。安志稲荷神社も一緒にある。
 ふところ深くて巨木も多い。壮大で心洗われる境内。
 中国道から見える大きな赤い提燈は、社のナイル書店のラクダ並に有名である。
 安志姫神社は、安志の郷の土着の女神を祀る神社。
 安志姫は、同じく土着の伊和大神の求婚を、キッパリ断った。
 そのため、嫌がらせを受け、この郷を流れる川の水量が減ったそうだ。

 伊和神社は、土着の神の伊和大神を祀る。
 あるとき、一晩にして杉や桧がニョキニョキ伸びて生い茂った。それはトトロの森のように。(?)
 そして大きな鶴が二羽、森の石の上に止まった。
 「われを祀れ」とのお告げを聴いた豪族・伊和恒郷は、ここに伊和大神を祀った。
 伊和大神は、出雲系の神のオオナムジに習合された。

 おすすめスポット タグ 羽柴秀吉の侵掠 タグ 黒田氏 タグ 夢前 タグ 安富 タグ 宍粟

 走行距離 約227km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.7.12(土)

 童謡うさぎとかめの一番を、軍歌戦友のメロディーにのせて歌うと、なぜかしら凹む。


 20.7.11(金)

 先々月下旬の話。
 二通の封筒が来た。同じ封筒、同じ文面。
 <ご案内>
 このたびは、「春ものがたり スタンプラリー」にご参加いただきまして有り難うございました。
 抽選の結果、あなた様がご当選されましたので、3施設(立杭陶の郷、兵庫陶芸美術館、こんだ薬師温泉ぬくもりの郷)の招待券を同封いたします。(後略)   やきものの里 プロデュース倶楽部  代表 I野 K司



 そうだ、GWに篠山市の今田へ行った折、スタンプラリーが催されていたため、親戚の分もみんな浮野様方と書いてもらって応募したのだった。5/26、29参照。
 六人中二人当選――くじ運の悪い私としては、盆と正月がいっぺんに来るくらいの大当たり。
 これがどれくらいの額かというと、
  立杭陶の郷  200円×4=800円
  陶芸美術館  700円×4=2,800円 (原則900円。700円になる割引券は、簡単に入手可)
  ぬくもりの郷  600円×4=2,400円
 都合、6,000円相当なのだ!

 「聞いて聞いて!(以下省略)」
 「…。それって、今年の運、全部使ったんちゃうん?」        orz


 20.7.10(木)

 自分の記憶を疑いたくなるほどの、曖昧な、記憶の海に澱んだ記憶。
 昔、映画子猫物語のあとだったと思うが、子犬を主人公にした映画を見た覚えがかすかにあるのだ。といっても、チャトランの相棒・プー助を主人公にしたTVドラマ子犬物語ではない。

 どんな映画だったか、整然と思い出せないので、箇条書きで書いてみよう。
 ○ 主人公は、年頃の娘(20歳前後?)に飼われる日本犬(?)の子犬。
 ○ 飼い主の娘の住む地方の町に、温泉が湧き出ることが判明する。
 ○ 温泉で町興しを図る一派と、従来の環境を守る一派(飼い主が属する)に分かれる。
 ○ 主人公が、夜中に墨と紙と前足で文字を書く。飼い主宛ての感謝の言葉か?
 ○ 主人公が、飼い主のもとを離れる。
 ○ 町中のペットの犬が大脱走する。広場(?)に集結?


 はっきりした筋は覚えていないが、流れからいって、犬の総意(?)で環境保護派が勝利したのだと思う。これが一体何という映画だったのか、いくら調べても今もって不明である。
 本当に、本当の記憶なのか―――いや、

 映画を見たとき、当時の父が(実に大人気ないことに)
 「犬が字なんて書けるわけない」
 …と意地悪を言い、それに対して姉弟で
 「そんなことないもん! かしこい犬やったら、書けるかもしれへんやん!」
 …と涙目で抗議した記憶も、セットであるのだ。

 こういう内容の映画は確かに存在したのだと、かろうじて思う。
 この作品を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ作品名をご教授願いたい。


 20.7.9(水)

 先々月末の話。
 丹波篠山のドーノ、播州加西の県立フラワーセンターと東条の冷泉為勝・依藤太郎左衛門之墓へ行った。

 「フラワーセンターで、チューリップの球根掘りやってんねんて!」
 「それより、お城…」「球根」
 「神社…」「 球 根 」   orz コンマケ。

 兵庫県立フラワーセンターは、加西ののんびりとした丘陵の地にある。
 土地が広いのに駐車料金500円を徴収するのが、いまだに納得いかない。(><)
 さて、百均で買ったスコップ持って、いざ出陣。
 広大なお花畑でセッセコセッセコ掘るのかと思いきや、案内された場所には、枯れたチューリップの植わった植木鉢が何百何千と置かれていた。
 その植木鉢は、三段ずつ積み重ねられていて、それが一人当たりのノルマだという。
   ザック ザック
 一所懸命、丹念に掘り返す。
   ザック ザック   サクッ
 あああ球根を一刀両断…。どこが丹念なんだか。。
 …こうして、やっと植木鉢一段を全部掘りおこすと、周りのオバチャンたちは既に三段目に突入しているではないか! 手つきが明らかに違う…こいつぁリピーターだ!
 われらが二段目を相手に奮闘している頃には、周りはもうノルマの三段を終えていた。
 「(フラワーセンターの)お兄ちゃん、次の分、持ってきてやー!」
 百戦錬磨は、再び積まれた植木鉢を見るや、もうひと戦をはじめた。
 その速さと正確な動きはスタープラチナを思わせた―――。
 …かの軍団が六段+αを平らげホクホク顔で帰ろうとしていたとき、われらはやっと三段すべてを掘りおこし、掘りおこした球根の土を払っているところだった…。
 持ち帰った球根は、三品種。品種名は失念したが、ひとつは「紫雲」だったと思う。
 球根は母にあげた。(園芸は人任せ)
 来春、三種のチューリップが花咲かす。どんなカタチ、どんな色?


 冷泉為勝は、播州細川庄の冷泉氏の嫡男。藤原惺窩の兄。7/4参照。
 依藤太郎左衛門は、その昔に赤松氏の被官であり、東播において別所氏と勢力を争っていた依藤一族の長者。
 依藤氏は、嬉野(うれしの、旧社町の東南部の台地)から東条谷(旧東条町の南西部の東条川沿いの土地?)にかけて勢力を張っていた。嬉野と東条との旧町境に、依藤野(よりふじの)という地名が残っている。しかし依藤氏は、戦国時代中期に衰え、その所領は別所氏に蚕食された。どうやら、凋落した依藤氏の子孫は、旧領の南の豪族・冷泉氏の家老的存在になっていたようだ。その名が、依藤太郎左衛門。一時代前に強勢を誇った依藤氏の当主と、同じ名。
 冷泉氏は、1578年の三木合戦の手始め(?)に別所氏に一揉みに潰されたのであるが、細川庄のひとつ北の依藤氏が別所氏に駆逐される中で、たかだか数百名しか動員できない冷泉氏が、どうして戦国時代後期のこの時点まで別所氏に追いやられなかったのだろうか
 三木合戦までは、冷泉氏は別所氏に臣従していたのか。あるいは、対等な同盟関係にあったのか。それとも、歌詠みで知られる冷泉の血筋が、のんびりとした播州では畏敬の目で見られており、独立の態を保っていたのか。
 ともあれ別所氏にとっては、三木合戦――別所氏にとっての乾坤一擲の大いくさ――の前に、三木城からほんの4kmほど北東の敵勢力(冷泉氏は別所氏の誘いを断った)を放置できるわけはなかった。
   コケコッコーー! コケーーココ!
 「んん、やかましぃなあ」
   ワンワン ワン!
 「! …たれか、誰かあるッ!」
 まだ人影がやっと見えるほどの早朝、播州細川の冷泉館は敵軍に強襲された。
   わー わー  ギャーー!
 「殿、敵兵でおざります!」
 「やはり、別所かや」
 「はッ、ざっと二百。残るは塀一枚、お味方の人数では到底…」
 「…為勝は、どこや」
 「兵の踏み込む前に、ご家老さまがお連れになられました」
 「ええ判断や。そなたはおなごどもを、羽柴さまの許へ落としてくりゃれ」
 館はあっという間に落とされ、下冷泉家当主の為純は別所の兵に討たれた。
 家老の依藤太郎左衛門は、軍兵の気配、甲冑の擦れあう音にいち早く感付き、主家嫡子の為勝をさらうように連れ去り、北へ逃れたのだった。
 為勝と太郎左衛門は、冷泉館の半里北の桃坂峠にて振り返り、館から黒く立ちのぼる煙を見た。
 「太郎左衛門! ……そなたはよくも…うぅ、おもうさんが…」
 「若、うろたえ召されるなッ! 父子の討死には、お家の滅亡。殿がご武運拙く討たれようとも、若が仇を討てば宜しい!」
 「うぅう~…」
 「若、気を落とされますな。嬉野までゆけば、わが旧領。顔馴染みも多く居りますゆえ、身ひとつのわれらならば…」
 「た、た、太郎左衛門!」
 「は? ……は、はぅあッ!」
 遠く、別所の兵の一部が明らかに桃坂峠に向かって来ていた。嫡男の首がないことに気が付いたのだろう。
 為勝主従は、脱兎の如く逃げ出した。道を変え、すれ違う百姓に口止めを約させ、さらに二里も走った。しかし、血に濡れた刃を前には、よほどの義理がなければ嘘をつける訳がない。別所の兵は、確実に迫っていた。
   ゼーゼー ハーハー
 「若、この榮枝の坂を越せば、嬉野ですぞ」
 「太郎左衛門、もうよい。こなたはもう歩けぬ」
 「若!」
 「それに、もう坂の下まで来ておるわ。ほれ、見えたわ」
 「うぐッ、無念…!」
 「太郎左衛門、よう此処まで供してくれた。かくなる上は、ひと思いにやってくりゃれ」
 「しからば御免!」
 冷泉為勝と依藤太郎左衛門の主従は、嬉野を前にして自害した。

 峠の手前の墓碑を見て、こういう風景が思い浮かんだ。
 三男の藤原惺窩がこのとき18歳であったから、長男の為勝は二十代前半くらいだったろう。
 地方に下向した公家が、半世紀の間にどの程度武家化したかは、明らかでない。


 加東・加西を走っていると、時折、黄金色に輝く小麦畑があった。(減反政策の一環?)
 スペインの小麦畑とは趣が異なり、ひどく日本的な背景。そこがまた新鮮なり。

 おすすめスポット 兵庫県立フラワーセンター タグ 三木 タグ 羽柴秀吉の侵掠

 走行距離 約109km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.7.8(火)

 ブタクサと具だくさんは、響きが似ている。


 20.7.7(月)

 バックミラーとサイドミラーは、距離感が異なるので注意を要する。

 …ところで、バックミラーのことをルームミラー、サイドミラーのことをドアミラーとも聞くが、用語としてどちらが適切なのだろうか。


 20.7.6(日)

 5/30の給油記録。
 この間、レガシィを使っての遠出(行楽)は無かった。

 219.5km(高速道路不使用) 9.3km/l(燃費計) 25.47L 給油 レギュラー@152円
 219.5÷25.47=8.617… → 8.6km/l(満タン法)
 8.6-9.3=△0.7

 ∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。
 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、219.5km走って 8.6km/l

 一見、今までより格段に街乗り燃費が良いのだが、これには理由がある。
 病院の送り迎えのため、信号が少なめの道を何度か往復しているからだ。


 20.7.5(土)

 別の話になってる。 orz イヤァァ!
 逃げてー!


 20.7.4(金)

 先々月下旬の話。
 播州三木の細川庄、湯庵、平田山などへ行った。

 細川の庄は、三木城から北東4km付近の郷。
 中世、ここは京の公卿に発する冷泉家の所領であった。
 この日の最初に、ここの藤原惺窩誕生地と大雄寺に訪れた。

 藤原惺窩は、細川庄を現地で治めていた冷泉家の三男として生まれた。
 冷泉家は、藤原の一門で、鎌倉時代に一族内の所領争いが紛糾し、南北朝時代に二流に分かれた。(藤原惺窩が「藤原」を名乗るのは、辿れば源平藤橘の藤だから。しかも、血統が確かで近しい。清和源氏の武田勝頼も、正式には源勝頼と名乗っている)
 応仁の乱で今日が荒れ果てたのち、上冷泉家は駿河の今川氏の食客となり、下冷泉家は(所領争いで勝ち取った)細川庄に下向し、そのまま留まった。
 天正年間の三木合戦(別所氏を中心とする播州の諸勢力が、中国の毛利を頼みにして、羽柴秀吉ひいては織田勢力に抵抗した戦い)において、冷泉氏は別所氏につくことをためらったため、別所氏の襲撃を受けた。1578年4月のこと。
 ゆっくり歩いても半刻もかからぬ距離、冷泉氏にとっては奇襲となった。東播一の屈強な別所の兵の攻撃に、当主の冷泉為純は討死に。嫡男の為勝は凶刃を逃れたが、のちに討手に追いつかれ自害した。

 藤原惺窩誕生地は、まさにその襲撃地、冷泉氏の館跡でもある。
 三男の惺窩は、幼い頃から龍野の景雲寺に入っていたため、このとき不在だった。(おそらく「惺窩」は僧か学者としての名と思われる。一族伝統の「為」の字の入った名があったろうが、いくら調べても資料に無い…)
 悲報を聞いた惺窩(当時18歳)は、残された一族を連れて京の相国寺に入った。
 1578年当時の中央は、織田勢力が(継続中の石山合戦を除き)地盤を固めていた。
 別所氏を含む播州や丹波の諸勢力は、以前は織田氏に協力的で、それなりの友好関係も築いていた。そこに、1578年になって一気に離反が相次いだのだ。二年先だって織田に抗していた波多野秀治(丹波八上・現篠山)、その波多野氏と姻戚関係にある別所長治(播磨三木)、織田の有力な被官にまでなっていた荒木村重(摂津有岡・現伊丹)――。
 これら反織田の勢力は、みな一様に中国の毛利氏の応援が計算にあった。
 織田氏、そして播磨方面の攻略を担う羽柴秀吉にとっての幸運は、元播磨守護の赤松氏(置塩城の嫡流、龍野城の庶流)と播磨御着の豪族の小寺氏の重臣・黒田官兵衛孝高(姫路城を保有)が自陣に留まったことだった。
 最前線は、西播の要の上月城。ここに毛利氏と宇喜多氏の三万を超える軍勢が殺到し、上月城に籠もる織田方の尼子残党(主は尼子勝久、将は山中鹿介幸盛)が孤立した。
 戦線は延びきっていた。しかも、危うい。
   上月 ←22km→ 龍野 ←14km→ 置塩/姫路 ←28km→ 三木 ←40km→ 有岡 ←40km→ 京
 しかもこれは直線距離であって、現実には摂播の山川が幾重にも並んで阻んでいるのだ。さらに背後の要所を敵勢力に脅かされては、戦ができるわけがない。
 羽柴秀吉の主君・織田信長は、三木攻めを優先するよう命じた。
 秀吉は追撃に苦しみつつ上月から撤退し、上月城は降伏、落城した。尼子勝久は切腹し、囚われた山中鹿介は、のちに謀殺された。1578年7月のこと。

 京に逃れた惺窩少年は、一族の悲劇と報復、家の再興を羽柴秀吉に熱く訴えたことだろう。
 冷泉家は弟の為将が継ぎ、さらにのち、惺窩の子の為景が継いで、公卿として再興した。
 惺窩自身は一心に学問に打ち込み、朱子学を軸とする儒学の大家となった。
 ただそれは、日本人の感覚とはかけ離れたものだった。
 簡単に言えば、学問(科挙)によって高官になることができる中華の国に憧れていたのだ。
 そのため、一度は渡海も試みたが、失敗に終わった。
 「ああ、どうして中国に生まれず、またこの国の上世に生まれずして当世に生まれたのだ!」
 論語を聴いても文字通りのチンプンカンプン、それどころか刀槍・弓箭をもちいて寸土を争う日本が、心底嫌になったのだろう。家を滅ぼされたトラウマもあったかもしれない。
 そんな惺窩は、慶長の役において捕虜として連行された朝鮮の儒者・姜沆と話が合った。
 姜沆が朝鮮に帰るときに惺窩がかけた言葉は、
 「明と朝鮮の軍で、日本を攻めとってはくれまいか?」―――だった。 orz コイツ…

 平田山は、三木城より1.8km北西の山で、三木合戦の際に羽柴秀吉の部将・谷大膳の陣があった場所。谷大膳は、ここで毛利と別所の軍勢と戦い、討死にした。平井山との区別に注意。
 羽柴秀吉は、織田信長の嫡男・織田信忠の軍勢を支援に、三木城の支城群を踏みならした。野口城、神吉城、志方城、端谷城、高砂城…有力な豪族が次々に降された。秀吉は平井山を本陣とし、三木城の周囲に幾つもの付け城(城を攻めるために城のそばに築く砦)をつくり、包囲の態勢を整えつつあった。
 しかし、別所氏もただ指をくわえて見ているだけではなかった。10月に謀叛した荒木村重と連携し、毛利氏からの海上補給を兵庫の湊で陸揚げし、花隈城から山田の郷、丹生山、淡河を抜けて山中から兵糧を運び入れる路を確立したのだった。
 村上水軍をはじめとする毛利水軍は、1578年12月に石山本願寺への兵糧搬入を企図するも、九鬼水軍をはじめとする織田水軍の鉄甲船を前に敗退し、頓挫した。これで摂津河口の制海権を失ったが、1579年3月には三木城への兵糧搬入に成功している。
 1579年2月、三木城に籠もる別所氏は、決戦を求めて北東3kmの平井山に出陣した。その兵数、三千五百。しかし、強襲もむなしく、多数の死傷者を出して退却した。この戦いで、別所長治の弟・治定が討死にした。
 1579年5月、丹生山の明要寺砦が陥落。6月、淡河城(当時の名は上山城)に攻め寄せる羽柴秀長(秀吉の弟)に対し、淡河定範は、多数の雌馬を放つ奇策で羽柴勢を撃退し、その後は城を放棄して三木城に入った。
 ここに、前述の兵糧搬入の路は閉ざされた。
 次に毛利氏は、雑賀党の門徒数千に兵糧を持たせ、数百の護衛の兵をつけて三木城に接近した。(加古川~美嚢川を遡ってか?)三木城からも兵を出し、三木城包囲網の西を破って兵糧を運び入れる策だった。1579年9月のこと。
 別所の兵三千が平田山の谷大膳衛好(たにもりよし)の砦に殺到した。谷大膳も名の知られた勇将であったから、薙刀をふるって応戦したが、別所の兵の槍にかかって討死にした。
 しかし善戦もそこまで、羽柴秀吉の援軍が駆けつけ、急を救ったのだった。(平井山~平田山間は、東西3.5kmの距離)別所の軍勢は一気に苦境に陥り、一千名近い死者を出しながら城に退いた。兵糧の大半は、羽柴勢の手中に帰した。
 結局、またもや兵糧搬入の目的は達せられなかったのだった。以後、別所方の活発な行動は失せた。
 1580年1月、別所長治は、一族の命を代償に城兵と領民の助命を羽柴秀吉に訴え、秀吉はこれを快諾した。

 今はただ恨みもあらじ 諸人の命に代わる わが身と思えば   別所長治 辞世

 当主・別所長治(23歳)、妻・照子(22歳)、子・竹姫(5歳)、虎姫(4歳)、千松丸(3歳)、竹松丸(2歳)
 弟・別所友之(21歳)、妻(17歳)
 叔父・別所吉親(38歳)、妻・於波(28歳)、子二名
 その他 家老・三宅治忠をはじめ侍大将、側室、侍女等 多数
 …が、刃をその身に喰い込ませ、命を断った。ここに、1年10ヶ月に及ぶ三木合戦は終息した。

 数十名が集団自決する様は、想像するだに無惨であるが、この死は無駄にならなかった。
 羽柴秀吉はボロボロになった三木を立て直すために租税を免除し、三木の民は徳川の世になっても秀吉の法を盾に永代免租を勝ち取ったのだから。
 普通に考えたら、秀吉の政策は戦後復興のための措置なのであって、江戸時代以降はその必要性も失ってるだろうに、三世紀近くも租税無し。
 戦乱の後代の三木の民は、非常な幸運であったといえる。

 湯庵(ゆうあん)は、三木城の西3kmの平野(三木市別所町這田)を見下ろす丘にある。
 たぶん完全に民間経営のスーパー銭湯だ。
 というのは、料金体制が小刻みでややこしく、高いからだ。
 なんと、土日祝890円。平日でも785円。
 よかたん600円、ゆぴか700円、というふうな「わかりやすさ」が無い。
 メリットは、館内着・タオルの無料貸し出し複数回入浴可
 メリットが薄い人の方が多数なような気がする。
 それでも、女性スタッフはヨカッタので(そこかい!)、一度試しに行くも良いかと思う。

 おすすめスポット タグ 三木 タグ 羽柴秀吉の侵掠 タグ 女性スタッフが良い

 走行距離 約94km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.7.3(木)

 Now And Then~失われた時を求めて~だ、と思ったらEverything (It's you)だった。


 20.7.2(水)

 謎だったイースⅢのサウンドトラックの曲名を自己解決した。6/30参照。
 歌詞を適当に検索かけたら、中国語の混ざった妙なページがかかり、ここの11月10日の項に載っていた。
 曲名は、千年 Loving(プッ)旅立ちの朝より。
 歌詞をすべて読むと、確かに覚えがある。間違いない、この歌だ。
   遥かな時 さまよう旅人は
   風の中で 優しく微笑んでいる
   燃え上がる炎 夜空を染めていた
   月日は流れて 時代は移り行く
 (一部抜粋)

 そして、検索の副産物(?)がひとつ。
 こちらのサイトこのページが検索上位に出たのだが、内容は個人的につくってネット公開している詩
 その詩の一節に、
   遥かな時さまよう旅人は 風の中で優しく微笑んでいる
 …という言葉がある。
 そう、千年 Loving(ウププ)の冒頭の歌詞と同じなのである。
 ごく小さい規模とはいえ、歌詞の盗用疑惑は濃厚だ。(もちろん、偶然の一致もあり得る)

 日本の音楽界を見渡しても、歌詞の盗用疑惑は頻々と起こる。
 盗用側は、「こんなマイナーなん、少しだけパクッっても誰もわかるわけないわ」
 …と思うのかもしれないが、ピンとくる者はくるもんだ、と思った。


 20.7.1(火)

 これは経験則だが、てるてる坊主をあまりリアルにつくってはならない


 20.6.30(月)

 なぜだか急に、中学のときに借りたゲーム音楽の歌を思い出した。
 イースⅢだったと思う。ゲームはプレイしていないが、サウンドトラックを借りたわけだ。

   ♪遥かな時 ??旅人は
    ??の中で 優しく微笑んでいる  燃え上がる炎~♪


 出だしは、こんな感じの歌詞。
 この歌を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ曲名をご教授願いたい。


 20.6.29(日)

 今月11日の話。
 映画評論家の水野晴郎氏が亡くなったそうだ。氏の冥福を祈る。
 シベリア超特急は、なんだかんだで一作目しか見てないので、レンタルで続編が有れば借りてこようと思う。






 20.6.28(土)

 「今日、本当にコールドできると思う?」
 「で、できる…かどうかはともかく……狙います」

 私は今 第9巻のこのコマを見て、"寄生獣のような言い回しだ"と思った!


 20.6.27(金)

 愛おしきは 休前日の夜
 からだもこころも弛緩させる それは
 ファミリーのメディカルチェアに似て


 20.6.26(木)

 みんカラのブログをチョコチョコ拝見していると、そこそこ誤植がある。
 大体相場は決まっていて、
  確立× → 確率○
  自身× → 自信○
  以外× → 意外○
 …などが多かったりする。
 そんな観察をしてる私自身も、自分の日記を読み返すとビックリするほどの誤表記をしていることがある。推敲してるつもりでも、あやしいものだ。
 …という訳で、この日記は後から追って訂正が入ることがしょっちゅうある。


 20.6.25(水)

 私はかなり忘れっぽい。H19.13/15参照。
 だから、思いついたことがあったらメモをつける。
 日常のこともあるし、ネタ的なものも多い。
 省略して走り書きすることも、ままある。

   スヌーピー  スクイズ   !?

 そして、速記したネタを解読できないことも。(T-T)?


 20.6.24(火)

 街角で、ペットの小型犬を抱きながら歩いている初老男性がいた。
 あれを、犬の散歩とはいうまい。人の散歩…ただの散歩でもあるまい。
 いうなれば―――犬を重しにした筋トレをしながらの散歩、であろうか。
 まったくもって、不可思議な光景である。


 20.6.23(月)

 竜の柩だ、と思ったら黒龍の柩だった。


 20.6.22(日)

 先月下旬の話。
 播州の姫路市役所、摂津三田のエス小山へ行った。

 現在、姫路市役所イーグレひめじには、春に盛況だった姫路菓子博2008の作品の一部が置かれている
 姫路菓子博は菓子博史上最大の人出となったらしいが、高い(入場料二千円)し、んな人混みの中やってられん、ということで、ついに行かず仕舞いだったのだ。
 姫路市役所の北館に展示されている白鷺の夢は、菓子博では三時間待ちの目玉だったとか。とりあえず数年は、ここで公開するそうだ。そんな白鷺の夢は、こんな感じ。↓

 これは大作だ。唸らざるを得ない。しかし、だ。
 これはすべて菓子で出来ていて、それでいて永遠に食べられることのない運命なのである。
  菓子とは何か
  食まぬも菓子か
  工芸の材に過ぎぬのか
 一抹の疑問が頭をぐるぐる巡ったが、結局、閲覧無料という事実の前に、キレイに消え去るのだった。

 ここで、相方が「あっちにひめかおるで」と言ってきた。
 ひめかとは、姫路菓子博2008の公式マスコットキャラクターである。
 「ひめか? あんなペラペラのキャラ、立体化不可能に決まってほぇああ!?

 そこには確かに、三次元のひめかがあった―――。

 イーグレひめじは、姫路城のすぐ南にあるビルで、姫路菓子博の小作品のいくつかを展示していた(すでに終了)。
 兵庫県の和菓子屋・洋菓子屋がそれぞれ力作を出品しており、特に甲陽園の津曲(つまがり)が目立った。白鷺の夢も、ほとんど津曲の製作である。
 この名に聞き覚えがあるな、と思い転生前のブログを確認すると、2006年4月8日に夙川花見のついでに行っていたようだ。シュークリームが美味しかったと記憶している。
 イーグレひめじの北側はガラス張りで、姫路城の天守閣との距離は600mある。
 城の台地と似た高さから、城の台地全体を撮った。意外に珍しいアングル。


 パティシエ エスコヤマは、三田のゆりのき台の一角を占めるケーキ屋さん。
 ケーキ販売、ジャム販売、チョコレート販売、喫茶…と、いくつも軒を並べており、駐車場は常に満車、ケーキを買うにも三十分待ちは必至という有様。
 エスコヤマの主力商品は、コヤマロール
 TVチャンピオンだか何かで賞を獲ったことがあるらしい。(されど、同様にTVチャンピオンに出場した井出商店のラーメンを味わうためだけに和歌山へ行き失望したことがあるので、この手の名声に惑わされることは無かった。)
 四十分待ちでコヤマロールとビンに入ったプリンを、別棟でキウイのジャムを買った。
   [のちに写真挿入]



 <編集中>

 おすすめスポット タグ 姫路 姫路市役所 北別館 姫路城 パティシエ エスコヤマ

 走行距離 約162km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.6.21(土)

 後退させる事前に後方を確認しないドライバーは、免許を返上すべきであろう。


 20.6.20(金)

 ちんさくん
 こやつもまた泡沫ゆるキャラのひとつなのか。

 > 特技 歌、ダンス、部屋探し 空を飛ぶ(時速3000km

 ブービーを超え、白銀聖闘士並みやがな。


 20.6.19(木)

 新機能何シテル?は、友達零人の私にとってほぼ意義の無い機能と判明した。(ノ_・。)グスン


 20.6.18(水)

 先月の話。
 植木鋏を手にして、チョチョイと剪定してみた。
 きっちりかたちをととのえ、左右対称、シンメトリカルに… フンフンフフ~ン♪ 楽勝楽勝

   パスッ パスッ     あ。

 か…刈り込みすぎた。
 こりゃシンメトリカルやのうて、新芽刈り取るやわ。orz


 20.6.17(火)

 先月中旬の話。
 播州の神出神社/裸石神社/姫石神社、たこ磯、稲爪神社、子午線交番、中崎公会堂、王塚古墳へ行った。

 兵庫県は、旧分国でいうと、五つの国からなる。
  播磨
  但馬
  淡路
  摂津
の一部
  丹波の一部
 …である。(だから、画一の「県民性」を語るのは無理な話である)
 各分国が現在の行政地区にどう当てはまるかというと、
  播磨 : 姫路市 相生市 赤穂市 たつの市 太子町 上郡町 佐用町 宍粟市
       福崎町 市川町 神河町 西脇市 多可町 加西市 加東市
       加古川市 高砂市 稲美町 播磨町 三木市 小野市 明石市

  但馬 : 豊岡市 養父市 朝来市 香美町 新温泉町
  淡路 : 淡路市 洲本市 南あわじ市
  摂津 : 神戸市 芦屋市 西宮市 尼崎市 伊丹市 宝塚市 川西市 猪名川町
  丹波 : 篠山市 丹波市
 …だいたい、こういう具合になる。ただ注意しなければならないのは、
 昔の国境と現在の行政の境とが、一致しているわけではない、ということである。
 上では、神戸市を摂津に含めた。
 しかし、神戸市であっても、摂津ではなく播磨に相当する地域がある、というわけ。

 具体例を挙げる。
 海岸沿いの播磨と摂津の国境は、須磨の鉄拐山・鉢伏山の西を流れる境川にあった。海に突き出た山が、国を隔てていたのである。(ただし、須磨も播磨で、兵庫が国境との説あり)
 また、現在の神戸市北区に山田町という郷があるが、この北には500m級の山が折り重なり、この山塊が国境となっていた。これより北にある郷は、淡河(おうご)
 要するに、現在の神戸市のうち、垂水区西区須磨区の一部多井畑厄除八幡宮より西側? )、北区の一部(淡河)は、播磨なのである。

 前置きが長くなったが、おすすめスポットをアップする際に県名と旧分国名の食い違いに気付き、これをきっかけに調べてみたので、この場に記した次第。

 この日に最初に訪れたのは、神戸市西区(つまり、播磨)の雌岡山(めっこさん)。
 三木や志染より、4.5kmほど南の土地にある、雌雄一対の山の片割れだ。
 この雌岡山に、神出神社、裸石神社、姫石神社があった。
 神出神社の神出は、「かんで」と読む。
 スサノオとその妻のクシナダヒメ、孫のオオクニヌシを祀る神社。
 播州には、伊和大神(土着の神?)や牛頭天王(渡来の神)などが祀られたりしていたが、伊和大神はオオクニヌシ(オオナムヂ)、牛頭天王はスサノオに習合されたそうだ。
 そういうわけで、一般に出雲の神とされるオオクニヌシやスサノオが、意外と播州に現れる。(浮石で有名な生石神社も、出雲系のオオクニヌシとスクナヒコナが祭神)
 とにかく、どこまで原型を留めているのか不明であるが、現在の祭神はスサノオ、クシナダヒメ、オオクニヌシなわけ。
 そして、スサノオとクシナダヒメが夫婦神である発想からか、この地から神々が生まれ出でたため「神出」という地名がついたそうだ。
 山頂の境内からは、15km南の明石海峡が、ぼんやりではあったが見えた。


 頂上から、北へ200mほど山道を降りると、裸石神社と、少し離れて姫石神社があった。
 裸石神社/姫石神社の裸石/姫石は、それぞれ「らせき/ひめいし」と読む。
 裸石神社は、陰陽石を御神体とする。
 アワビの殻に思い人の名を書き奉納すると、願いが叶う―――という、とんでもない神社。
 姫石神社に至っては、陰石である御神体「方丈磐石」とそれを囲う玉垣のみが、神社の構成物である。

 実は、ここの陰陽石信仰については、相方に対して秘匿していた。
   浮「何アレ、アレなんて言うん?」 「もー!」 バシッ
 …こんな反応を期待してのことだったのだが。(セクハラだ!)
 ところが、裸石神社の御神体が、正面が閉じっきりになっていて見えない
 姫石神社の御神体も、ただこれを見るだけでは、何を象っているかわからない
 相方は、方丈磐石の巨大さゆえに霊威は感じているようだったが、あたかも「何でこんなとこ来たんやろ?」と言っているようなはてなマークが出ている!
 いかん、今さらネタバレできん!―――と焦りつつ、適当にこの場を引き揚げたのだった。
 この仕込みのために色々調べて寄ってみたのに。。(ノ_・。)ぐすん

 帰宅してからふと思い返し、以前播州清水寺で撮った写真(5/10参照)を見てみると、知らぬうちのことながら、雄岡山(おっこさん)/雌岡山(めっこさん)が写っていた。

 播州清水寺は兵庫県加東市(旧社町)に位置し、上の写真は、38km南の明石海峡方面を望んだもの。播州清水寺~雄岡山/雌岡山間は、25km。雄岡山~雌岡山間は、東西2km。

 雌岡山から南下し、明石市街へ。時間はすっかりお昼前。
 たこ磯は、私が最高の店と推す玉子焼(明石焼)のお店。
 この日、初めてあなご入り(800円)を頼んでみた。
 …。美味しいのだが、一度味わったら充分か。素のタコの味を楽しみたい。

 稲爪神社の稲爪は、「いなづめ」と読む。稲妻(いなづま)から転訛したらしい。
 祭神は、オオヤマツミ。三嶋大明神ともいう。
 そう、鶴姫伝説で知られる大三島大山祇神社と同じなのだ。


 大山祇神社は、伊予の国土を拓いた古代豪族の越智氏ゆかりの神社で、各時代の武家から奉納された刀剣甲冑の類がきわめて多く、その様は、大三島が国宝の島と呼ばれるほど。また、古い楠の巨木も多い。オチノミコトお手植えの楠というのもある。
 越智氏の流れを汲むとされる河野氏やその傘下の村上水軍の崇敬篤く、代々の大祝(おおはふり/おおほうり、現人神とされる神職)が斎き祀っていた。
 その河野氏が中世に記した豫章記に、あやしいエピソードがある。(豫章記が手許にあらず詳細は不明なため、多少食い違う箇所もあるが、稲爪神社の社伝を交える)
 推古天皇の御世、三韓から戎人八千人が鉄人を大将として襲いかかって来た。 
 筑紫の者もこれを止める手もなく、異国の兵は瀬戸内海を東進した。
 ここに伊予の武人・越智益躬(おちのますみ)が勅命を受けて立ち上がった。
 しかし、さしもの益躬も鉄人には敵わず、後退を余儀なくされた。
 「三嶋大明神よ、力を貸し給え!」
 益躬は、故郷の神に祈願した。
 そして播磨の明石に至ったとき、突如空が曇り、稲妻が鳴り響いた。
   ピカッ   ドーーーン!!
 なんと、空を切り裂く電光の中、三嶋大明神が現れたのだった。
 「鉄人ただひとつの弱みは足裏なり。足裏を射よ」
   パシャーーーン!
 益躬は雷鳴におののいた鉄人の隙を衝き、強弓を弾き放っての足の裏から脳天まで貫き、鉄人を斃した。

 これが鉄人伝説であり、越智益躬が三嶋大明神に感謝してこの地に祀った、というのが稲爪神社の創建の由緒。

 この後、子午線沿いにテケテケ散歩。
 子午線交番中崎公会堂などの特徴ある建物のそばを通って海岸に出、たこフェリー乗り場付近をかすめて車に戻った。


 王塚古墳は、明石川流域最大の前方後円墳。
 全長70m、周濠を入れると100m。団地の中に残されている公園でもある。
 どうやら複数の呼び名があるようで、玉津王塚古墳、吉田王塚古墳、桧笠岡王塚古墳と、たいそうややこしい。
 さて、この古墳にも伝説がある。
 日本書紀の推古天皇の条に記載される、
 新羅を討つ将軍となった當摩皇子(たぎまの みこ)が難波より発船し、
 随伴していた妻の舎人姫王が赤石(明石のこと)にて亡くなった―――。

 ここにいう舎人姫王(とねりの ひめみこ/ひめのおおきみ)の墓だという。
 摂播の海のそばは、神宮皇后にせよ推古天皇にせよ、船での半島との往来にまつわる話が多い気がする。

 おすすめスポット タグ 雌岡山 タグ 玉子焼 稲爪神社 大蔵交番 中崎公会堂 王塚古墳

 走行距離 約125km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.6.16(月)

 車から降りるとき、遠隔でドアを閉めてもガチャガチャ確認しなければ安心できないのは、私だけではあるまい。


 20.6.15(日)

 5/25に描いた落書きに、フォトショで色塗りしてみた。
 レイヤーは50、PSDファイル6.60MB、JPGファイル404KB。効率が一向に上がらない。。
 SFCドラゴンクエストⅤより、ビアンカ。

 宿屋ダンカンの娘・ビアンカは、主人公の幼馴染みで、幼少の頃、率先しておばけ退治を言い出した程のお転婆娘。
 主人公と別れてからは一家して山村に引越し、母を亡くしてさらに病床の父の世話をする日々を送っていたところで、すっかり逞しくなった主人公と再会した。
 主人公は、さる富豪の令嬢・フローラと婚約を交わしており、結婚の条件となる指輪を探すために奥地に来たのだという。
 ビアンカは、かつての主人公との冒険を思い出し、指輪探しに協力、いっしょに洞窟で探検する。
 主人公とビアンカが指輪を持って例の富豪の館へ入ると、婚約者のフローラは、主人公とビアンカは好き合った仲なのではないか、と直感する。
 「どんな結果になっても支援は惜しまない」と言う寛大な令嬢の父の提案で、「ビアンカとフローラと、どちらが本当に好きなのか、一晩で考えて選ぶ」こととなった。


 たかがRPGで、まさかの人生の伴侶の選択!
 これは、リアルタイムでも一晩考えた。そして、エニックスの罠と知りつつビアンカを選んだ。
 フローラには、主人公がいなくとも、フローラ一筋の幼馴染み・アンディがいる。
 なにより、山奥の村で介護と墓参りにいそしむビアンカの背中が健気で、いとo4qtИ☆?f%

 【ネッドの宿屋】 主人公の生国へ抜ける山越えを前にして


 あぁ、疲れたぁ~~。ほら、トンヌラも、靴ぬいだ方が楽よ。
 今日もたくさん歩いたけど、明日はあの山を越えなきゃいけないんだから。


 → はい

 ふぅ、それにしても、もうあれから三ヶ月経つのね…。
 あれよあれよと、あっという間に結婚しちゃったけれど。
 ……。実はね、トンヌラにプロポーズされたときのこと、覚えてないの。頭が真っ白になっちゃって。
 だから、…トンヌラ、その前にルドマンさんにプロポーズしてたでしょ?
 ルドマンさん、何て言ってたっけ。
 「なんと、この私が好きと申すか!? それはいかん、もう一度考えてみなさい」だっけ。
 そればっかり頭に残ってるの。ふふっ、あれってどうしてルドマンさんに言い寄ったの?
 私もフローラさんも心から好きじゃなかったから? 苦し紛れだったの?


 → いいえ

 じゃあ、まさか本当にルドマンさんのこと好きだったの?

 → いいえ

 でも、だってトンヌラ、「ルドマンさんっ!」って言うや、ルドマンさんの手をかたく握ってたじゃない。
 あ、ひょっとして、色々お世話になったお礼を、最初に言おうとしてただけ? で、緊張してあんなになったんだ?


 → はい

 そっか。私やフローラさんに魅力がなかったわけじゃなかったのね。あー、よかった。
 私、トンヌラよりふたつお姉さんだから、ちょっとだけ気にしてたりして。…冗談よ、冗談。
 ……じゃ、そろそろ寝ましょうか。灯り消すわよ。
 おやすみ、トンヌラ。ぐぅ。


 → いいえ

 ちょ、ちょっと! やめなさい、明日は早いんだから!
 え、歳とかそんなの関係ないって? それはいいんだけど…。
 やっぱりだめー、ゲレゲレが見てるからー!
Posted at 2008/06/02 23:02:18 | 日記

プロフィール

「加賀の従姉妹が旦那の実家への帰省中に被災してビニールハウスや小学校で過ごしていたこと、クルマで4日の晩に無事帰ってこられたことが、母経由で伝わってきた。ホッとした。

播州もいつ山崎断層が動くかと言われているので、わが家庭も備えをもっと見直さないといけない。」
何シテル?   01/08 16:46
当ページの内容の無断転載はやめてください。 主な内容は、燃費記録と おすすめスポット。 未掲載スポットが、500件超。ズーン 省燃費と航続距離に拘ってま...
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