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浮野のブログ一覧

2008年07月29日 イイね!

日記 ⑫

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、十二冊目。

 日記           


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.11.23(日)

 今月初日の話。
 映画レッドクリフPartⅠを観に行った。(1,000円で)

 先ず、中国語だったことに安堵した。
 ちょっと前の角川の映画、チンギスハーンだったか。あれの予告編を見て、思いっきし日本語しゃべってる登場人物たち(日本人が演じるモンゴル人)に引いたことがあったから。
 これについて私は、①日本語をいったんモンゴル語で吹き替え、②それに字幕を付す―――そうしなければその時代その国柄の雰囲気が感じ取られない、と考えた。
 本作品はみな中国語でしゃべっているので、私の勝手な不安――古代中国人が英語ペラペラだったらどうしよう――は吹き飛んだ。

 とにかく、突っ込みどころはたくさんある。
 歴史上、その時、誰が、何処にいたか…の設定以外にも、
 にわかに曇ったらどうするんだ! とか、
 美周郎がイケメンぢゃない! とか、
 琴で語るな、もっと陰湿になれ! とか、
 未来の夫に何をする! とか、
 主君を虎の餌にするな! とか、
 いかにも術中に陥りそうな敵陣に突撃するな! とか、
 大都督が戦場の空を舞うな! とか、
 長江にて相対する両陣営が近すぎ! とか、
 枚挙に暇がない。

 逆に、気に入った描写もあった。
 劉備の正統性なんて大してない…と思ってる私でも、趙雲の単騎駆けは泣けた。他にも、
 家臣と談笑する曹操の機知 とか、
 関羽の美しい髯 とか、
 草鞋を編む劉備 とか、
 農夫っぽさを残す諸葛亮(埃っぽい服装、牛のお産経験) とか、
 イヤンな小喬 とか、
 その小喬に執着するイヤンな曹操 とか。
 曹操かわいすぎ。名のない娘さん、かわいそすぎ。(:;)

 正史でも演義でもなく、監督さんの解釈する三国志だと思えばいい。
 劉備を容れた孫権が曹操の大軍を破り、曹操の天下統一を挫折せしめた…。
 その大筋が合っていれば、三国志。
 娯楽作としては、三国志を知らなくても楽しめる充分な水準だ。
 傑作とはいえずも、なかなかの力作といえるのではあるまいか。


 20.11.22(土)

 三ヶ月半の間に追加されたおすすめスポット(未登録)を書き記しておく。11/18参照。

 【兵庫県】
 城崎マリンワールド
 正福寺/大石りく遺髪塚
 諸杉神社
 闘龍灘
 多井畑厄除八幡宮
 太山寺
 なでしこの湯
 大原野素盞嗚神社
 波豆八幡神社
 普明寺
 西脇大橋ラーメン
 テラドーム
 春蘭の家
 多可町西山のパン屋(名称失念)
 多可町の播州百日鶏の焼き鳥屋(名称不明)
 かねひで
 楽々
 三木戎神社
 三木極楽寺
 八雲社
 橋の科学館
 明石海峡大橋(ウォーキング)
 明石港
 喫茶ホーム
 来往野
 兵庫県立歴史博物館
 レストラン山の駅
 柏原 太鼓櫓
 織田神社
 建勲神社
 神戸市立小磯記念美術館
 但熊
 気多神社
 頼光寺
 かばんの館
 播磨屋本店 豊の岡工園
 古代あさご館
 加古川総合文化センター
 鉄斎美術館

 【京都府】
 岩清水八幡宮
 壬生寺
 新撰組屯所跡
 八木邸
 元祇園梛神社
 旧本能寺跡
 旧南蛮寺跡
 空也堂
 六角堂
 楽紙館
 蛸薬師
 よーじや

 【大阪府】
 るり渓温泉

 【奈良県】
 大和郡山城
 川原寺
 壷阪寺(下見のみ)
 興福寺南円堂
 法隆寺
 中宮寺

 【神奈川県】
 横浜中華街
 関帝廟

 【東京都】
 大鳥神社
 目黒不動尊
 成就院/蛸薬師 お静地蔵
 羅漢寺/五百羅漢
 海福寺/武田信玄縁の石塔
 蟠龍寺/岩屋辨天
 信松院
 信松院之墓
 ベル ダーム
 八王子市立郷土資料館
 廿里古戦場
 梶原八幡神社
 宗関寺
 北条氏照等供養塔
 上野恩賜公園
 西郷隆盛像
 彰義隊之墓
 上野東照宮
 五條天神社
 花園稲荷神社
 寛永寺 本堂
 寛永寺 清水堂
 寛永寺 辨天堂
 寛永寺 上野大佛
 東京都美術館
 国立科学博物館
 東京国立博物館
 千住宿
 足立市場
 武寿司
 喫茶 蔵
 千住宿 本陣跡
 源長寺
 森鴎外旧居
 勝専寺
 長圓寺
 安養院
 千住本氷川神社
 石黒のあめ

 【千葉県】
 近藤勇陣屋跡
 流山市立博物館
 香取神宮

 【埼玉県】
 氷川神社
 埼玉県立歴史と民俗の博物館
 見沼田んぼ
 大間木氷川神社
 清泰寺
 見性院之墓
 フィーロ

 【群馬県】
 太田市スバル町1

 【栃木県】
 大谷資料館
 大谷採石場跡
 大谷観音
 輪王寺
 日光東照宮
 大猷院
 二荒山神社
 足利学校
 足利尊氏像
 鑁阿寺
 足利織姫神社

 【茨木県】
 袋田の滝
 武田氏館
 湫尾神社
 佐竹寺
 西山荘
 常磐神社
 義烈館
 偕楽園
 弘道館
 水戸城
 水戸黄門神社
 彰考館 徳川博物館
 旧水海道小学校
 茨城県立歴史博物館
 息栖神社
 鹿島神宮

 【福島県】
 日新館 シネマホース事業部
 保科正之公墳墓
 會津藩士戦死者之墓
 佐々木只三郎之墓
 融通寺
 町野源之助之墓
 天寧寺
 近藤勇之墓
 萱野権兵衛・郡長正之墓
 萱野国老殉節碑
 佐川官兵衛顕彰碑
 秋月悌次郎詩碑
 萱野家屋敷跡
 山川家屋敷跡
 會津戦争終結之地 
 建福寺
 本光寺
 長岡藩士殉節之碑
 阿弥陀寺
 滝沢本陣 横山家住宅
 戸ノ口堰洞穴
 正宗寺三匝堂
 會津藩殉難烈婦之碑
 凌霜隊之碑
 涙橋
 御薬園
 會津藩主松平家墓所
 興徳寺
 蒲生氏郷之墓
 大町ガス燈
 セイロン ティー ガーデン
 昭和なつかし館
 清水屋旅館跡
 レオ氏郷南蛮館
 會津酒造歴史館
 会津若松市役所
 会津若松駅
 皆鶴姫墓
 大内宿
 大内宿町並み展示館
 高倉神社
 玉屋 佐藤家住宅



 20.11.21(金)

 メールが来ていたので、迷惑メールとして報告(ウイルスバスター)した。
 再度確認してみると、それは日産のメールマガジンだった。↓

   【はじめまして。新しいキューブです。★新型キューブ誕生】

 この見出しで、初見0.2秒で迷惑メールと判断したわけか。


 20.11.20(木)

 日記を再開する。
 日付けでは一日のことなのに、どういうわけか三ヵ月半くらいの時が過ぎたような気がする。


 20.11.19(水)

 これにて日記を終える。


 20.11.18(火)

 どうやら、おすすめスポットをアップする時間もないようなので、アップ予定だったスポットを掲載する。およそ160件程度。

 【福岡県】
 久留米城
 秋月城
 秋月郷土資料館/美術館
 八女津媛神社:日本書紀にも登場する。

 【佐賀県】
 吉野ヶ里遺跡
 佐賀城:鍋島だけに、門にニャンコがいた。

 【熊本県】
 熊本城
 阿蘇 草千里
 火山博物館/オルゴール共和国
 阿蘇神社
 水俣 陣内阿蘇神社:村下孝蔵の追悼のため水俣に行ったついで。
 球泉洞
 人吉城
 人吉 武家屋敷

 【鹿児島県】
 鹿児島城
 知覧 武家屋敷
 知覧 平和公園
 頴娃
 池田湖/開聞岳
 霧島神社
 桜島:下半分埋まってる鳥居がある。
 佐多岬

 【宮崎県】
 飫肥城:佇まいが素敵だった。
 鵜戸神宮
 佐土原城
 佐土原歴史資料館
 
 【大分県】
 小半鍾乳洞
 風連鍾乳洞
 臼杵城:今は陸続き。
 湯布院

 【愛媛県】
 耕三寺
 カレイ山公園
 大山祇神社:荘厳な楠の杜。
 村上水軍博物館
 能島城
 今治城
 伊予松山城
 内子
 宇和島城

 【高知県】
 高知城
 桂浜
 岡豊城:南国市が一望。
 高知県立博物館
 龍河洞

 【香川県】
 高松城
 丸亀城:石垣が鎧のよう。

 【徳島県】
 徳島城
 祖谷渓 蔓橋:ぐらぐら面白い。
 大歩危

 【山口県】
 秋吉台
 秋芳洞:ここは値打ちある。
 萩城
 高杉晋作生誕之地
 木戸孝允誕之地
 松下村塾
 岩国城
 錦帯橋

 【広島県】
 広島城
 厳島神社:船が頻繁に行き来してる。
 福山城

 【京都府】
 二条城
 京都タワー
 小川珈琲
 松尾大社
 本能寺
 妖精の森美術館
 粟田神社
 井筒八ツ橋
 京都国立近代美術館
 京都国立博物館
 京都市立美術館
 金戒光明寺:会津藩の本陣跡。
 会津墓地
 御陵衛士屯所跡
 高台寺
 知恩院
 八坂神社
 平安神宮
 霊山 維新志士之墓
 霊山 護国神社
 霊山歴史館

 【大阪府】
 池田城
 箕面の滝
 麻田藩陣屋
 水野江神社
 大阪天満宮
 堀川戎神社
 大塩平八郎之墓
 大仙古墳
 堺市立博物館
 近つ飛鳥博物館:デザイン無骨すぎ。

 【奈良県】
 飛鳥寺/蘇我入鹿之墓
 水落遺跡
 甘樫丘
 雷丘
 岡寺
 亀形石造物
 酒船石
 板葺宮
 亀石
 鬼の爼/鬼の雪隠
 石舞台古墳
 欽明天皇陵/吉備姫王陵
 葛木坐火雷神社
 高取城
 橿原神宮
 藤原宮
 談山神社
 長谷寺
 大神神社:大和三山から葛城山系まで一望できる。
 三輪素麺 池側
 三輪素麺 森正
 石上神宮
 東大寺正倉院
 奈良国立博物館
 春日大社
 奈良公園

 【福井県】
 小浜城
 若狭城
 一乗谷:地形まるごと城。
 大野城
 丸岡城
 丸岡温泉 たけくらべ

 【長野県】
 小諸城
 上田城
 海津城
 八幡原 
 松本城
 諏訪大社
 高遠城:武田と保科にゆかりある城。
 鉾持神社
 妻籠

 【山梨県】
 武田神社
 新府城:四郎勝頼の夢の跡。

 【三重県】
 伊勢神宮:早朝に行ったら、巫女さんがいなかった。(:;)
 伊賀上野城

 【岐阜県】
 飛騨高山
 郡上八幡城:存在しなかった天守閣を復元(?)するという力技。
 岐阜城
 大垣城
 岩村城
 馬籠

 【愛知県】
 名古屋城
 犬山城
 岡崎城
 野田城:草ぼうぼうすぎ。
 長篠城

 【静岡県】
 井伊共保公 出生之井戸:ひこにゃんも足を向けて寝られない。
 龍潭寺
 井伊谷宮/宗良親王之墓
 浜松城
 犀ヶ崖

 【神奈川県】
 鶴岡八幡宮
 源頼朝之墓
 鎌倉宮
 護良親王之墓:一気に登ったら、ゼーゼーハーハー死にかけた。
 瑞泉寺
 報国寺
 源氏山公園
 宇賀福神社
 化粧坂切通し
 鎌倉大仏
 長谷寺
 由比ヶ浜

 【東京都】
 靖国神社:秋葉原から歩いたら、九段の坂がきつかった。 


 現在のおすすめスポット登録数は、
 福島県(8) 神奈川県(1) 滋賀県(5)  京都府(13)  大阪府(23)  兵庫県(315)  奈良県(6)  和歌山県(29)  鳥取県(3)  島根県(18)  岡山県(13)  広島県(1)
 …で、合わせて435件。うち、兵庫県が315件で最多。
 やっぱり兵庫の人間なんだな…と、あらためて実感した。


 20.11.17(月)

 対義語のようでそうでない、類義語のようでそうでない。
 姿カタチが何となく似ていて、対にして覚えているが、実体は異なるもの―――が、私にはある。例えば、

 塩 ←→ 砂糖
 醤油 ←→ ソース
 ハンバーグ ←→ コロッケ
 林檎 ←→ 梨
 大根 ←→ 人参
 キャベツ ←→ レタス
 イカ ←→ タコ
 ウナギ ←→ アナゴ
 カブトムシ ←→ クワガタムシ
 シャンプー ←→ リンス


 …こんな感じ。私だけかなぁ。orz


 20.11.16(日)

 たぶん、岩国城へ行ったときだと思う。
 天守閣は外観復元で、資料館のつくりになっていて、一振りの刀の前で立ち止まった。

   銘 「一」

 …? パチクリ
 
 最初は「はじめ? ナニソレ」とか思ったが、十秒ほどして、やっと連想した。
 「一文字(いちもんじ)」だ。
 スクウェア系のゲームでは、「きくいちもんじ」として登場していた。
 昔フランスのユゴーは、小説「レ・ミゼラブル」の売れ行きを気にして、世界一短い手紙を版元に宛てた。内容は、「?」。対する返事は、「!」つまり、バカ売れ。
 「一」は、上の例より画数が二分の一であり、間違いなく、世界一短い銘。


 20.11.15(土)

 私は転生前に歴史系誤変換というジャンルをつくった。

 また誤変換例がたまってきたので書いてみる。

 死の村:篠村。八幡宮もびっくり。

 楽死者:落柿舎。安楽死?

 楽情事:落城時。駄目。

 軟膏:楠公。まあ、薬にも通じてたかもしれない。

 赤さ過剰:赤坂城。どれだけ赤いのかと。

 摩擦ら:正行。どんな奴らだ。

 新原稿:信玄公。まあ、和歌も上手だったそうだが…。

 城迂闊より:四郎勝頼。長篠では、引きずりすぎた。

 子不忠:古府中。四郎はここを捨てて、不忠(親不孝?)者になった。

 独楽机上:小牧城。できれば床で回そう。

 曰く二条:岩国城。誰の言葉?

 拘置状:高知城。一領具足あわれなり。

 薄き情:臼杵城。まあ、宗麟だから。

 帯状:飫肥城。どこらへんが?

 触法文化:織豊文化。駄目すぎる。

 再投与し立つ:斉藤義龍。 何 を 投 与 し た ! ?

 今回もなかなかの混沌ぶりで、特に斉藤義龍はどんなドーピングだとツッコんでしまった。
 歴史系ではないが、新三田が辛酸だと変換されるのは、日常的にきわめて不便。


 20.11.14(金)

 私は、一度ハチにさされたことがある。
 たぶん、クロスズメバチという種で、屋内に大量発生したとき、弱らせて捕まえようとした瞬間、ティッシュ越しに親指の指紋のど真ん中を刺された。

 アナフィラキシー【anaphylaxis】
 《防御の消失した状態の意》アレルギーのうちで、特に症状の激しいもの。薬物ショックなど。

 アナフィラキシー‐ショック
 《anaphylactic shockから》アナフィラキシーの激しい場合で、じんましん・呼吸困難・下痢・低血圧などが起こり生命の危険をともなうもの。虫刺されやペニシリンなどの薬物によって起こることがある。


 ハチに二度刺されると、アナフィラキシーショックを起こして死ぬこともあるらしい。(ハチに限らず、ムカデ等でも起こり得る)
 ここで疑問になるのが、ハチの種類。
 一度目はクロスズメバチに刺されたが、
 二度目はミツバチやアシナガバチ、スズメバチならどうなのか?
 ハチでないムカデや他の毒虫ならどうなのか?

 その毒の化学的な組成で決まりそうだから、個人的予想では、ハチはほぼ(少なくとも、アシアガバチを含むスズメバチ科は)アウト、他の毒虫はセーフになりそう。


 20.11.13(木)

 F.F.6のセリス(死亡フラグ時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩ 8/30、9/6、9/14、日記⑪ 10/11、10/26、日記⑫ 11/9参照。

 一年後―――。

 世界崩壊のとき魔大陸に居合わせたセリスは、長い眠りから目覚めた。
 崩壊に巻き込まれて意識を失っていたところを、育ての親にも等しいシド博士に助けられ、手厚い介護を受けていたのだ。
 そこは滅んだ世界にただ一つ残された絶海の孤島、そう思えた。
 一年にもわたる看病疲れからか、今度はシドが寝込んでしまった。

 セリス「ねぇシド、これからシドのこと“おじいちゃん”って呼んでいい?」
 シド「照れるのぉ、突然孫娘ができたみたいで……ゴホッ、ゴホッ」
 セリス「ふふ、おじいちゃん。そうだ、おじいちゃん。お腹すいたでしょ?」
 シド「ああ、三日前に寝込んでから何も食っとらん。…と言っても、海岸の魚くらいしか食料はないがの」
 セリス「私、とってくる」

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

   ザーーッ ザザーーーッ

 小屋を出ると、すぐに砂浜が広がっていた。セリスはブーツを脱いで、海に入った。
 魚が視界に入るだけで十匹以上も泳いでいた。そして、一時間―――。

 セリス「ああ、もう! 魚ってどうしてこんなに早いわけ!?」

 素手で捕まえようとしてもするりと逃げられ、未だに一匹も捕れていなかった。
 何十回と失敗してるうちに頭からずぶ濡れになり、自慢の金髪から海水が滴り落ちていた。

 セリス「おじいちゃんにできたんだもの、私にできないわけがないわ!」

 そのときセリスは、水の淀んだ岩場にほとんど動かない魚がいるのを見つけた。

 セリス「動かないで動かないで、お願いだから動かないで…!」

 やっとのことで捕まえたセリスは、魚を串に刺し、天日塩をふり、よく炙ってシドに馳走した。

   モグ モグ ムシャ ムシャ

 シド「美味しいよ、セリス。ゲホッ、ケホッ…」(まずいのぅ、腐っておるのか?)
 セリス「やっぱり? 嬉しい」

 セリスは笑顔で頬杖をつき、シドの食事を見守った。
 小屋の裏には魚網が積まれていたが、セリスがその存在に気付くことはついになかった。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
 
 閉ざされた孤島の生活は、二人の距離を「博士と被験者」から「祖父と孫娘」に近づけた。
 しかし、セリスが獲った魚をシドに食べさせる度に、シドの病状が悪化していった。
 それでもセリスは、祈りながら何度も魚を獲り、食べさせた。

 一週間後―――。

 セリス「おじいちゃん、今日はとびきり美味しそうな魚獲ってきたから、今から焼くわね!」

   ……………

 セリス「も~、おじいちゃん、ホラふざけてないで……どうしたの? おじい…」

   ……………

 セリス「!」

   ガクガクガク ブルブルブル

 セリス「…いや……ウソ…ウソよ! ずっといっしょに暮らすって約束したじゃない! おじいちゃん返事をして! 冗談だって言ってよ!」

   ダダダダ バタンッ

 孤島の一番高い丘、波打ちつける断崖の上にセリスはいた。
 最も見晴らしの良いここからでも、周りにはちっぽけな島一つ見えない。
 世界にたった独り―――絶望がセリスを襲った。

 セリス「もう誰もいない……シドも、ティナも、エドガーも、……あの人も――。世界はもうおしまいなのね……」

   タン

 セリスは、崖から身を躍らせた。
 夕日色に染まった涙が放物線を描き、やがてしぶきを立て、波間に呑み込まれていった。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

   ザーー ザザーーー ザーーー

 セリス「ぅ…うぅ……、私…生きてる………。そっか、私、みんなのところに行けなかったのね」

   ヴァサ ヴァササ   ポッポ ポッポー

 セリス「このハトは……このバンダナは、もしや……! あなた、どこから来たの? あなたを手当てした人は生きてるの?」
  ハト「ググレカス」

   ヴァサ ヴァサ ヴァサ

 セリス「あの人は生きてるのね……今も生きてる。なら、他のみんなも……?」

 砂浜から小屋に戻ったセリスは、シドの書き置きを見つけた。

 『セリス、絶対に希望を捨ててはならん。わしはおまえのために筏をつくった。外の世界へ出ろ。仲間がきっと待っているはずだ』

 セリス「おじいちゃん、ありがとう。―――さよなら」

 その日のうちに、セリスは浜を出た。
 残された食料と水をすべて積み込み、旗竿にバンダナを結んだ。それは、希望のしるしだった。

 セリス「私はここに生きてる。みんなはどこで生きてるの?」

 仲間を求めて、旅立った。

   BGM:「仲間を求めて」


 最後の落書きは、転生前にイラストレーターで描いたもの。
 実は、この一枚につなげるためにこのシリーズを延々と続けてきた、というのが真相。
 というわけで、このシリーズは今回で終わり。


 20.11.12(水)

 日本モンゴル民族博物館の公式サイトに、今月のモンゴル格言が載っている。
 過去の格言を見ると、これがまた面白い。

 ○ へたな弓取りにとって、悪いのはいつも弓。
 ○ おしゃべり者の舌はいつもふさがっている、働き者の手はいつもふさがっている。
 ○ 語るときは賢者、行うときは 愚者。他人の欠点にはイヌワシのように襲いかかり、自分の欠点には卵をあたためる鳥のようにすわりこむ。
 ○ 食事に行くときは駿馬より早く、仕事に行くときは横たわる石より重い


 果断な騎馬民族のイメージしかないが、やはりこう語られるようなモンゴル人もいたわけだ。


 20.11.11(火)

 ダムの建設は、この世の悪の象徴のように言われる。
 しかし、渇水の起こり得る地域においては、現在建設済みのダムは、(例えいくつ村を沈めたとしても)それが必要だった、ということだ。
 四国なんか、もういっちょドデカイのつくってもいいんじゃないか、と素人考えで思うわけだが…さもなくば、人工降雨の研究か…。
 人工降雨は、仮に自由自在に降らせることができても、利害調整が一番難しい気がする。


 20.11.10(月)

 7/13の給油記録。
 この間、レガシィを使っての遠出(行楽)は無かった。

 206.4km(高速道路不使用) 8.3km/l(燃費計) 27.14L 給油 レギュラー@177円
 206.4÷27.14=7.605… → 7.6km/l(満タン法)
 7.6-8.3=△0.7

 ∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。
 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、206.4km走って 7.6km/l


 20.11.9(日)

 F.F.6のセリス(魔大陸時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩ 8/30、9/6、9/14、日記⑪ 10/11、10/26参照。

 ガストラ皇帝とケフカは、外界へ出た幻獣が自ら開けた封魔壁へ入り、石化した三闘神を手に入れた。
 三闘神は、魔神、鬼神、女神の三柱の神が互いに向かい合い力を中和させることで、自らを封じた。
 ガストラ皇帝は三闘神の力を解放し、魔大陸を浮上させた。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 戦士たちは飛空艇に乗り、帝国空軍の妨害を排除して、空に漂う魔大陸に降り立った。
 上陸してすぐのところで、帝国に切り捨てられたシャドウが倒れていた。

 シャドウ「帝国め! 必要なくなったらあっさりと殺しにかかってきた…」
 セリス「てっきり死んだものだと……」
 シャドウ「インターセプターは?」
 セリス「大丈夫。今頃リルムと遊んでるわ。さ、行きましょ」
 シャドウ「俺に構うな」
 セリス「放ってはおけないわ」

 シャドウが一行に加わった。
 戦士たちは、得体の知れない広大な魔大陸を突き進んだ。
 その奥に、巨大な獣のようなものがいた。

 アルテマウェポン「我が名はアルテマ……太古に作られし最高の力なり……我は力であり、生命にあらず……弱き生命体よ、消え去れ!」

 激しい死闘の末に消え去ったのは、アルテマウェポンの方だった。
 この戦いののち、シャドウは一行と離れた。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 古代兵器を倒した戦士たちは、ガストラ皇帝とケフカの前に立った。

 ガストラ「仲よく死にに来たか。だがここまで…。見よ、この三闘神を、これぞ三闘神の力!」

 セリス以外の戦士たちは、三闘神の力で吹き飛ばされた。

 セリス「ガストラ皇帝、おやめください!」
 ガストラ「セリスよ、さあ来い。お前だけは特別だ。我がガストラ魔導帝国を築くために、ケフカとお前に新しい子孫を残す使命を与えようではないか!」
 ケフカ「その手でヤツらを殺せば裏切ったことを許してやるよ。この剣をとれ! そしてやつらを殺せ!」
 ガストラ「さあセリスよ、ともに世界を支配しようではないか!」
 セリス「力とは争いを生むもの…ならば存在しない方が!」

 振り向きざま、セリスはケフカを刺した。
 「ケフカ…昔のあなたは……」
 ケフカ「いたーい! 血が…血が! ちっくしょ…
  ちくしょう…ちくしょう…ちくしょう…ちくしょう…ちくしょう…ちくしょう…
  ちくちくちくちく…
  ちっっっっくしょーーーー!」

 セリス「…ケフカ……」
 ケフカ「戦うために生まれてきた神達よ、今こそその力を見せるときだ! ボクを受け入れろ! くそっ!」

 三闘神が僅かに反応した。

 ケフカ「言うことをきけー! ボクちんをバカにするなよ、力を見せてみろー!」
 ガストラ「ケフカやめろ! 三闘神を復活させれば世界は消える…それでは意味がない! ケフカ、乱心したのか!」
 ケフカ「乱心……? 皇帝、何をおっしゃっているのですか。三闘神の力をやつらに見せつけるときなのにっ!」
 ガストラ皇帝「ええい、仕方のない。ケフカ、お前はもう役には立たぬ。残念だがここまでだ! 悪く思うな……最期の慰めとして、お前が自ら産み出した魔法で眠らせてやろう……」
 ケフカ「ヒッヒッヒ…」
 ガストラ皇帝「何がおかしい! まあよい……笑いながら眠るのが、お前にとって一番お似合いじゃろう!」

 ガストラ皇帝はフレアやメルトンなどの強力な魔法を唱えたが、まったく魔力が生じない。

 ガストラ皇帝「な、なぜ魔法が…!?」
 ケフカ「なぜなら、ボクちんが三闘神の真ん中に立っているからなのでした! すべての魔法の力は三闘神に吸い取られてしまうのだ! うふふふ」
 ガストラ皇帝「………!」
 ケフカ「三闘神よ、どうやら最初の獲物が大決定したのだ! 役立たずになった皇帝に、お前のその力を見せつけてやるのだ!」
 ガストラ皇帝「よせ、ケフカ!」

   グァシャーーーン

 中空から、雷が発生し、二人を吹っ飛ばした。

 ケフカ「しゅごい……。へたくそ、へたくそ! どこを狙っているのだ!」

   グァシャーーーン

 ケフカ「逃げろ、逃げろ! でないと、黒コゲだじょー!」

   グァシャーーーン

 ケフカ「当ったりー!」

 雷に撃たれ倒れたガストラ皇帝を、ケフカは蹴りつけた。

 ケフカ「ジジイが……。さっきの役立たずといったのは取り消してあげましょう。なぜなら、皇帝、あなたは! 役立たず以下、だからだー!」

   ヒーッヒッヒッヒ


 ガストラ皇帝「恐怖が世界を覆うぞ…」

 ケフカは構わず、虫の息のガストラ皇帝を魔大陸から突き落とした。
 そして、再び三闘神の力を得ようとした。

 セリス「だめ、ケフカ!」

 ケフカは三闘神の力でセリスを吹き飛ばし、石化した三闘神を動かした。

   ズズズズズ

 セリス「だめ……ケフカ……。三体の力のバランスが破れたら……力が暴走する……」

 そのとき、シャドウが離れた足場から跳んできて、大陸の端にしがみついていたセリスを引き揚げた。
 
   ズズズズズ

 シャドウは、三闘神の位置を元の位置に戻そうとし、ケフカが間に挟まった。

 ケフカ「うきゅ!」
 シャドウ「行け! 世界を守れ!」

 セリスたちはシャドウに駆けつけようとしたが、溢れ出す三闘神の力に弾き飛ばされた。

 シャドウ「俺に構うな、早く行け! もう暴走は止まらない! ふっ……必ず戻ってみせるさ。心配するな」
 ケフカ「逃がしゃん……」

 挟まれたケフカが放った追っ手を倒し、戦士たちは長い魔大陸の道程を逆向きに走り抜けた。
 魔大陸はどんどん崩れ、最後の足場も小さな島程度の大きさになっていた。
 その足場も危険になったとき、戦士たちが望んだ通り、シャドウが駆けつけてきた。

 シャドウ「報酬を貰わないうちは、死んでも死にきれんからな」

 戦士たちは全員そろって飛空艇に乗り、崩れ落ちる大陸を離れた。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 いよいよ三闘神の力はとどまることなく放たれ、大気は震え、大地はねじれた。
 飛空挺ブラックジャック号もその衝撃に破壊され、戦士たち全員が空に投げ出された。

 その日、世界は引き裂かれた―――。


 セリス…ケフカを倒す絶好の機会なのに、刺したのに…。浅野内匠頭並みの攻撃力だわ…。
 影絵は五分で仕上げ。魔神、鬼神、女神の三闘神の造形がわからないから、メチャ適当。
 なんだか、角人間と鳥人間に痴漢行為される女神の図になった…。orz
 背景は最初雲を描いたが、「魔大陸はきっと雲より高い」と思い直し、月だけ描いた。


 20.11.8(土)

 PCに古いWordのデータが入っていたので、恐る恐る開いてみた。日記⑪ 10/22参照。

 【遺伝子組換】
 紫の
 豪州ゆかりの
 ユーカリは
 梅澤由香里
 プロもお怒り

 【タクシー】
 わたくしの
 いのち託した
 タクシーは
 まったく親切
 「早よ帰宅しぃ」

 【広島の人】
 シイタケを
 ただ今はじめて
 知ったけぇ

 マツタケの
 旬の秋まで
 待ったけぇ

 マイタケが
 値上がりするとは
 参ったけぇ

 ホンシメジ
 本心メジャー
 行きたいな


 …。オチ…。
 オヤジじゃないのに。年齢詐称してないのに。。(ノ_・。)


 20.11.7(金)

 先々々々月は、但馬に四度出撃した。
 先ず、上旬に二日連続(日帰り×2)で出石へ行った。
 家に寝に帰ったようなものだが、泊まるよりは安いし、二通りのルートの実験ができたし、道すがら景色を見られたし、不満はない。
 ↓下図は、西宮北ICから出石市街までの三通りのルートを示したもの。

 ① 朱色 シタ道ルート :120km 0円
 ② 橘色 北近畿道ルート:112km 1,350円(47km)+ 300円(34km)= 1,650円
 ③ 桃色 播但道ルート :126km 1,450円(50km)+ 950円(46km)= 2,400円

 ③の播但道ルートは、距離でも金でも非効率で、論外。だから、行く前から外した。
 ①は基本通り。時間がかかるのと、福知山で混む可能性が高いのが難点。
 ②のルートにある北近畿豊岡道は、現時点では、春日から和田山までを結ぶ高架のバイパス(70km/h制限)。基本無料だが、区間に遠阪トンネルを含むため、これに300円かかる。春日までは舞鶴道を使え、速さでは一番のルート。計算上、2時間足らず。
 あるいは、氷上までシタ道で行き、そこから北近畿豊岡道を使うと、全体で300円いるだけで、もっとも効率的かもしれない。
 実際は、一日目は①、二日目は②で行った。
 この最初の二日は、燃費を計測した。(最近レガシィ使ってないや。。)

 走行距離 475km 給油量 25.15L 475÷25.15=18.886… → 18.8km/l (二日累計)

 また、週をあけての三日目は計測できず(走行距離は307km)、さらに週をあけた四日目は燃費を計測した。いずれも、相方の軽に乗り、北近畿豊岡道を使った。かなり踏み込んだ。

 走行距離 268km 給油量 15.56L 268÷15.56=17.223… → 17.2km/l

 17.2km/l…これは、レガシィ(2.0i)なら高速道を中心に理想的に走行できたときのみ達成できる値である。…ということは、理想的一定走行の2L=踏みまくり0.66L !?


 但馬は、兵庫県に属する。他に播磨、淡路、摂津の一部、丹波の一部を併せて兵庫県。
 但馬は八つの郡から成っていた。
 安土桃山時代までは豊岡という地名はなく、数年前の合併前の旧城崎町と旧豊岡市を併せた地域が城崎郡だった。
 但馬の平地は、出石郡から城崎郡に集中し、さらに気多郡も併せると、但馬の平地の半分はまず越えるだろう。その但馬最大の平地に、生野を源流とする大河・円山川が城崎の海まで注いでいる。平野すべてを潤すのには充分な水量だ。
 それくらい、出石郡・城崎郡は恵まれ、古くから発展してきた。

 さて、兵庫県の北を占める但馬を、次のテーマ別で書いてみたい。
 【アメノヒボコ】【コウノトリ】【山名氏】【城下町 出石】【カバンの豊岡】【その他雑記】

 【アメノヒボコ】
 但馬には新羅の王子のアメノヒボコによって拓かれたという伝説があり、アメノヒボコやその子孫を祀る神社が、実際に多く残っている。
 出石神社:アメノヒボコと八種の神宝を祀る。
 諸杉神社:アメノヒボコの子のタヂマモロスクを祀る。
 日出神社:アメノヒボコの四世の孫のタヂマヒタカを祀る。
 中嶋神社:アメノヒボコの五世の孫のタヂマモリを祀る。 …etc…

 昔、新羅の国王の子があった。名は、アメノヒボコ。
 新羅に、アグヌマという沼があった。
 この沼のほとりで、一人の賤しい娘が昼寝をしていると、日光が虹のように輝いて、娘のホトを刺した。
 これを影から見ていた賤しい男は、怪しく思い、見守った。
 娘は、子を孕んだかのように腹がだんだん大きくなり、赤い玉をひとつ産んだ。
 これを見ていた男は、娘を騙して玉を奪い、いつも大事に布に包み、腰に下げた。
 男は谷間に田を持っていたので、田で働く者たちに食料を届けようと、荷物を牛の背に載せて、山の谷間に向かった。
 そこで、アメノヒボコに出会った。
 「どうして荷を牛に負わせて谷に行くのだ。きっと、この牛を殺して食おうとするのだろう」
 ヒボコは、男を捕らえた。
 「牛を殺すつもりはありません。ただ、田で働く者たちに食料を届けるだけでございます」
 しかし、ヒボコは許さない。そこで、腰につけた赤い玉を、袖の下として送った。
 ヒボコは、やっと許した。
 ヒボコはその玉を持ち帰り、床のそばに置いておくと、赤い玉はまたたく間にうるわしい乙女に変化した。
 ヒボコは喜び、その乙女をすぐさま抱いて、妻とした。名をアカルヒメという。
 アカルヒメはヒボコによく仕え、夫に美味い料理をつくっていた。
 しかし、それに慣れたヒボコは驕り高ぶり、妻を罵った。それが続いたのか、アカルヒメはついに怒りが爆発した。
 「およそ私はあなたの妻などになっている女ではありません! …親のクニへ帰らせていただきます」
 アカルヒメは海を渡り、難波に留まり住み、のちに比売碁曾社(ひめごそのやしろ)に祀られることとなった。
 妻に逃げられたヒボコは、すぐさま追いかけ海を渡った。
 そして難波に入ろうとしたところ、渡りの神が波風を起こして入れさせなかった。
 そのためヒボコは一旦引き返し、但馬の地に入った。
 そのまま但馬に留まったヒボコは、土地の女を妻とし、子孫と但馬の地を繁栄させた。
 ヒボコは、新羅から八種の宝を持ってきた。
 玉つ宝という珠二貫、浪振る比礼(ひれ)、浪切る比礼、風振る比礼、風切る比礼、奥つ鏡(おきつかがみ)、辺つ鏡(へつかがみ)。これが伊豆志の八前の大神(いずしのやまえのおおかみ)で、今は出石神社に祀られている。

 伊豆志の八前の大神の娘に、イヅシオトメという女神が坐した。
 イヅシオトメは見目うるわしく、多くの神が妻問いをしたが、みな断られた。
 ここに、兄妹の神があった。兄はアキヤマノシタヒオトコ、弟はハルヤマノカスミオトコ。
 「わしはイヅシオトメを妻にできなんだが、おぬしがあの乙女を妻にできるか?」
 「兄上、そんなこと造作もないですよ」
 「言うたな。もし妻に得たならば、わしは素っ裸で背丈ほどの大きな甕から溢れるほどの酒を醸そう。山や川の幸も、ことごとく賭けてくれるわ」
 弟はこのやり取りを母に言うと、母は藤の蔓をあつめ、一夜のうちにその藤蔓で上下の服と靴、弓矢をつくり、その上で弟をイヅシオトメの許へ向かわせた。
 弟が乙女の家に着くや、服や弓矢に藤の花が咲き、すっかり花に覆われた。
 弟は、その花咲く弓矢を、乙女が入って行った厠の戸に掛けておいた。
 厠から出てきた乙女はその花を見て心惹かれ、手に持って家に入ろうとしたとき、花に包まれた弟も一緒に入り、そのまま乙女を抱いた―――。
 「兄上、イヅシオトメはもう私のものですよ」
 兄は、弟が乙女を抱いたことを妬み、賭けの品を出さなかった。
 弟は、母に泣きついた。
 「われら神の世のものは、よくよく神の習いを守らねばならぬのに、それをあのシタヒオトコは、現し世(うつしよ)の人間たちの習いを真似てでもおるのか。賭けの品も償わないとは…」
 母は出石川の中州の竹から竹籠をつくり、川の石に塩をまぶして竹の葉に包み、それを竹籠に入れ、シタヒオトコに呪いをかけた。
   この竹の葉が萎え枯れるが如くに萎えてしまえ
   この塩が満ち干きするが如くに満ちたり干いたりせよ
   この石が水に沈むが如くに沈み臥せってしまえ

 兄は八年もの間、干からび萎えて病に沈んだ。兄は泣いて母に許しを請い、母はようやく呪詛を解いた。


 古事記より。アメノヒボコの話は本来(伝説的であっても)人代に属する時代なのだが、その次の世代のはずのイヅシオトメの話は神代の神の話に戻ってしまっているかのようだ。
 光にホトを射され孕んだという話は丹塗りの矢の話(日記⑩ 8/20参照)に似るが、光から子を産んだり、玉を産んだりする話は、古代朝鮮にもままある神話だそうだ。

 ミマキイリビコイニエ(崇神天皇)の大君の御世のこと。
 額に角のある人が、船で越国(こしのくに)の気比を訪れた。ゆえにここを角鹿(つぬが、→敦賀)という。
 彼は意富加羅国(おほからの国)の王(こきし)の子、名はツヌガアラシト。
 アラシトは国に居たとき、ある村で牛を奪われ、その代償に白い石を得た。
 石を寝床に置いていると、その石はたちまちうるわしい乙女になった。
 アラシトは喜んで乙女を抱いた。しかし、乙女は消えた。聞くところによると、東へ向かったという。
 アラシトは乙女を追い、海を渡った。その乙女は、難波に至り比売碁曾社(ひめごそのやしろ)の神となった。

 イクメイリビコ(垂仁天皇)の大君の御世のこと。
 新羅の王(こきし)の子アメノヒボコが海を渡ってきた。
 羽太の玉(はふとのたま)、足高の玉(あしたかのたま)、鵜鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま)、出石の小刀(いづしのかたな)、出石の桙(いづしのほこ)、日鏡(ひのかがみ)、熊の神籬(くまのひもろき)、七種の宝を但馬に蔵め、神宝とした。
 一説には、最初播磨の宍粟郡に来たって大和政権に臣従し、「諸国を巡り、気に入った土地を頂きたい」と近江、若狭、そして但馬の出石へ到ったともいう。


 日本書紀より。ツヌガアラシトの記述は、「一に曰く」という、いわば参考扱い。
 ただし内容は、古事記のアメノヒボコの話と類似している。
 ミマキイリビコは、四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)で有名。日記⑦ 6/2参照。
 後段については、神宝の種類と数が異なる。また、後述のタヂマモリ(アメノヒボコの子孫)はイクメイリビコの亡くなるときの話にかかわっているため、時代が合わない。

 あるときイクメイリビコの大君は、タヂマモリにそれを食べれば永久の命が得られるというトキジクノカクの木の実を探させた。
 タヂマモリは艱難の末に常世の国(とこよのくに、海の彼方の不老不死の国)にたどり着き、トキジクノカクの木の実を持ち帰った。
 ところが、せっかく不老不死の木の実を持って帰ったというのに、当のイクメイリビコは既に亡くなっていたのだった。
 タヂマモリは木の実の半分を大君の后に奉ると、残りの半分を持って大君の御陵(みささぎ、墓所)に捧げた。
 「常世の国のトキジクノカクの木の実を持ち帰って参りました!」
 タヂマモリは叫び哭き、そのまま息絶えた。
 そのトキジクノカクの木の実とは、今でいうところの橘である―――是今橘也(コレ今ノ橘ナリ)―――。


 古事記より。日本書紀では、非時の香菓(ときじくのかくのみ)と表現されている。
 タヂマモリは、三宅連(みやけのむらじ)の始祖(はじめのおや)で、アメノヒボコの子孫。
 タヂマモリを祀る中嶋神社では、(ミカンを持ち帰っただけなのに、どういうわけか)「菓祖」として全国の製菓メーカーから崇敬を受けている。

 アメノヒボコは新羅の王子という肩書きだが、朝鮮の記録には存在しない点、名が大和言葉で成っている点(アメ・ヒ・ホコ → 天・太陽・矛)から、ちょっぴりアヤシイ。
 朝鮮王族や渡来人に家の由来を求めステータスとした例は中世まで下るので、その一種かもしれない。(大内氏→百済の王族、長宗我部氏→秦氏 …etc…)
 すなわち、朝鮮系の渡来人であることは事実であっても、王族とは限らず、ちょっとした豪族などかもしれない。

 ともかく、ハッキリすることは、
 ○ 朝鮮系の渡来人が但馬の地を拓いた(または、拓くきっかけとなった)
 ○ その渡来人は、自らの集団の祖神(おやがみ)として「アメノヒボコ」を祀った
 …この二点くらいか…。

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 【コウノトリ】
 日記⑪ 10/9から転載。 


 同じく、日記⑪ 10/9から転載。

 オオタラシヒコオシロワケの大君(景行天皇)の皇子のヤマトタケルはその死したときに白鳥となって空を翔けていった。この場合の表現は、「白鳥(しらとり)」。そのまま、ハクチョウを指すのだろう。
 同じ日本書紀に「白鳥(しらとり、ハクチョウ)」と「鵠(くぐい、ハクチョウの古名)」が記述されているあたりがしっくりこないが、もとより記紀に整合性を求めても仕方がない。
 とにかく、古い文字の記録にはハクチョウの意をもって記録された「鵠」が、その物語の舞台と思われる土地(但馬)では、その土地に馴染みあるコウノトリと解釈された、ということだろう。

 豊岡市の北東の外れには、久久比神社がある。
 「くくい」の読みから察せられるように、アメノユカワタナが鵠を捕らえた故事にちなみ、鵠(この場合、コウノトリ)の棲む森に、木の神であるククノチを祀った…という謂われがある。
 この久久比神社から南東へ1.5kmの山に、コウノトリの郷公園がある。
 最初にこの公園へ行ったとき、飛翔するコウノトリを見ることができた。
 久久比神社の存在の説得力が強く感じられた瞬間だった。

 コウノトリの郷公園はほとんど立ち入り禁止で、一般に見られる施設は入口付近の見学・学習施設のコウノピアと売店二軒。それでも、人気は高い。
 コウノピアでは、まだ放鳥の段階までいかないコウノトリを入れている敷地があり、そこで餌をとるコウノトリの姿が、10mほどの近い距離で観察できる。
 屋根はないが、逃げ出すコウノトリもいない。
 ここに入っているコウノトリは、風切羽根を幾つか切っているため飛び立つことができないそうだ。もっとも、風切羽根は時間とともに生えてくるもので、心配は要らない。

 コウノトリは、昔はありふれた鳥で親しまれたが、近代になって激減し、ついに昔から日本にいた個体は絶滅した。そこで、中国やロシアから譲り受け、今や100羽を越えた。
 周辺の田畑では無農薬農法に切り替える、餌場となる沼をつくるなど、環境、人の意識ともに野生化の目途がつき(この環境つくりの一環としてつくったお米が、コウノトリ育むお米としてブランド化されている)、2005年9月24日に秋篠宮殿下が放鳥されたことは記憶に新しい。翌年、ヨーロッパの伝承よろしく秋篠宮家に男子が誕生された。

 コウノトリは肉食で大食漢。一日当たり1kgもカエルやドジョウなどを食べる。
 コウノトリひと家族でも、かなりの面積の田が必要だ。
 但馬から帰るとき、あざなごとに広がった田んぼを見るたびに、「ここ、ひと家族は養えるわ」「ここやったら、ふた家族くらい棲めるかも」などと、勝手に土地評価していた。

 但馬行の一番の思い出は、放鳥して再野生化したコウノトリを観察することができたこと。実質初めてのバードウォッチング。
 出石川の中州に二羽、コウノトリが食事に勤しんでいたのだ。のっしのっしと歩いては、嘴をガシガシ突っ込み、獲物を捕らえたら上を向いて丸ごとゴックン。
 8倍ズームのデジカメより、双眼鏡の方が大きく見えた。

 コウノトリは兵庫県の県鳥。兵庫県警にも、コウノトリのキャラクターこうへいくんがある。
 (はっきり断っておくが、兵庫県鳥は黄色い緩んだトリでは決してない!
 今まで身近なようで実感なかったが、背景を知り間近で見て、一気に親近感が湧いた。

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 【但馬の中世 山名氏】
 現在でこそ地味であまり目立たない但馬であるが(但馬人の方ごめんなさい)、但馬の衆はかつて天下を争い天下を動かしたことがあった。いや、本当に本当の話。

 山名氏は新田源氏の一族で、関東の御家人だった。
 鎌倉後の動乱の時代を、足利尊氏に味方して切り抜け、山陰に勢力を広げた。
 山名氏清の頃、山名氏は最盛期を迎え、一族合わせて11ヶ国の守護となり、六分の一殿(ろくぶのいちどの、全国は66ヶ国)と呼ばれた。
 しかし、時の将軍の足利義満に目をつけられ、一族の不和を煽られ、氏清はやむなく幕府と一戦した。1392年、明徳の乱。この戦いで氏清は討死にし、山名氏は大きく勢力を落とした。
 山名一族のうち、幕府に味方した者たちが、但馬、伯耆、因幡の守護に据えられ、氏清の甥の時熙が山名氏の勢威を少しずつ回復させた。
 時熙の子の持豊は、父の死後に山名氏の惣領となり、領国の統制に努めた。
 1441年、中央の力を強める政策を採っていた足利義教を、赤松満祐は京の自邸に招いてこれを暗殺した。ただちに山名持豊を主力とする幕府の追討軍が遣られ、赤松氏は滅び、播磨、美作、備前の守護は山名氏のものとなった。世にいう、嘉吉の乱。ここに持豊は半世紀ぶりに山名氏の威勢を取り戻した。
 播磨では赤松氏がさかんに抵抗活動をし、その度に持豊が潰していった。
 十数年後、持豊は出家して宗全と名乗り、子の教豊に家督を譲った。もちろん、実権は譲らない。それ以後も、宗全は山名氏の勢力拡大に邁進する。
 しかし、赤松氏は南北朝分裂の危機を未然に防ぐという大功を立て、細川勝元の後ろ盾で守護大名としての再興を果たし、播磨の恒久支配を目論む宗全と完全に対立。さらに将軍家や畠山氏、斯波氏の家督騒動がからみ、山名宗全と細川勝元は不倶戴天の敵同士反目し合い、1467年、京にて両者は軍事衝突した。応仁の乱である。
 これに先立ち、宗全は但馬出石郡にある本拠の此隅山城に、二万六千余名の軍勢を集結させ、京へ向けて発った。山名の四天王の垣谷、太田垣、八木、田結庄などの但馬衆に加え、因幡衆らの諸国の衆も加わっていた。
 六年もの間、但馬衆は戦った。京は焼け野原となり、山名方、細川方ともに、中央に地方に策略を尽くした。しかし、決着はつかなかった。
 形勢は悪かった。もとより、将軍を相手に抱え込まれており、反幕府の側だったし、赤松氏の独立活動も効果は大きく、播磨、美作、備前は奪回されていた。
 不利を承知ながら和議を受けられなかったのは、その類稀なる野心と誇り高さゆえか。切腹を試みるも、周りに止められ失敗。1473年、山名宗全は陣没した。家督を譲った教豊は先立って陣没していたので、教豊の子の政豊が宗全の後を継いだ。
 宗全が没して数ヵ月後、細川勝元も死んだ。
 翌年の1474年、山名氏と細川氏の間に和議が成った。しかし、山名氏と長年ともに戦った大内氏がその後四年間も戦い続け、大内氏が周防に引き揚げたのちに、ようやく乱は終わった。実に、十一年もの長きにわたる不毛の戦だった。
 山名政豊は因幡、伯耆の叛乱を鎮め、1483年、真弓峠から播磨に侵入し、大勝を収め、播磨を再び占領した。赤松政則がやっとのことで追い返したのは、1488年のことだった。
 山名氏は後の代の誠豊に到り、山名氏が但馬守護家と因幡守護家に分かれても、なお播磨に度々兵を出した。播磨を欲しがっていた宗全の妄執が何代も受け継がれていたのだろうか。
 誠豊の後は、甥であり養子の祐豊が継いだ。祐豊は因幡守護家を討ち、但馬と因幡の統制に苦心した。
 1566年、毛利氏が出雲の月山富田城を落とし、尼子氏を滅ぼした。
 毛利氏の東進を恐れたためか、山名祐豊は山中鹿介率いる尼子残党に協力した。
 しかし1569年、織田氏の部将の木下秀吉の攻撃を受け、本拠の此隅山城は落城した。







 但馬の国人・太田垣氏の治めた竹田城の登山口には、平成以後に建てられた慰霊碑がある。

 【山名氏 赤松氏 両軍陣歿諸霊供養塔の記】
  嘉吉の変を頂点とした百有余年、播但の南北に対峙した竜虎の両雄は、
  兵庫・岡山の各地で悲壮な攻防戦を展開してきました。
  戦国の習いとは言え痛恨の極みであります。
  尓来星霜五百年、奇しくも両氏の末裔が相携えて一基の宝塔を建立しました。
  願うところは陣歿諸霊の鎮魂と両雄の遺徳顕彰であります。(後略)



 ↑此隅山城。標高140mちょい。さして大きくないこの城に、天下を揺るがす将士が集った。

 ↑有子山城。標高320mちょい。戦国時代が終わると、ふもとに出石城が築かれた。

 ↑木が薙ぎ倒されて先に進めない有子山城。上図の×地点。(:;)

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 <編集中>


 出石城から、背後の城山である有子山を見上げる。

 出石城から、城下町を見下ろす。

 出石の城下町の北の外れから、出石城方面をズーム。

 出石城前の辰鼓楼。もっとも賑やかなところ。

 出石家老屋敷から続く白壁。


 モンゴルの草原にいるタルバガン。…ではなく、同種のプレーリードッグ。



 ① 多田弥太郎斬殺之地
 ② 有子山城
 ③ 出石城
 ④ 出石市街
 ⑤ 出石神社 総持寺
 ⑥ 此隅山城
 ⑦ 中嶋神社
 ⑧ 久久比神社
 ⑨ コウノトリの郷
 ⑩ 酒垂神社
 ⑪ 豊岡市街

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 20.11.6(木)

 北野天満宮の梅紋だ、と思ったら新型ヴィッツのテールランプだった。


 20.11.5(水)

 転生前の落書きの色を塗りなおしてみた。
 ロマンシング サ・ガ3より、クラウディウス家の娘・ミューズと同家に仕える戦士・シャール。

【斡旋】
 青い髪リアリティない。。
 シャール「お嬢さま、いきなり何を…!」(あたふた)
 ミューズ「だって、貴方ももう三十でしょう?」
 「はぁ、今年で三十一になりますが…」
 「“いいひと”がいないなら、性根のいいお嫁さんを探してあげないと、ねぇ?」(くすくすっ)

 クラウディウス一門をまとめるクラウディウス本家は、一族郎党の家門の者すべての協力を得る代わり、就職、結婚、喧嘩の仲裁、様々な便宜を図らなければならないのだ。
 家は没落したとはいえ、ミューズ・クラウディア・クラウディウスは、女家長として務めを忘れてはいない。

 「どうなの?」
 「はぁ、いることはいるんですが…その……まだ気持ちを伝えてないというか……」
 「えーと、……その女性は貴方の気持ちを知らないけど、貴方はその女性こそ、と思い定めている……こういうこと?」(イライラ)
 「はぁ、そういうことで……」
 「ふぅ~~~っ。……わかったわ。この話は、一年延ばしましょう」
 「はぁ…」(ほっ)
 「でもシャール、わかっていて? 見てるだけじゃ、いつまで経っても進展しないわ。良かったら、そのご婦人の名を教えて頂ける?」
 「おっ、お嬢さま! もう、本当に勘弁してください!(今さら言えんっ!“目の前にいる”だなんて…!)」(TT)


 ピドナの名族のクラウディウス家は、当主が暗殺され没落し、令嬢のミューズはピドナ旧市街のスラムに移り住んだ。22歳、宿星は熒惑。
 忠実な戦士のシャールは、新たな支配者への忠誠を拒絶し、右手の腱を切られた。以後、治安の悪いスラムに追いやられたミューズに仕える。30歳、宿星は鎮星。
 聖王遺物のひとつの銀の手(籠手、二刀流が可能になる)を入手すると、いつもシャールに装備させてしまう。(腱を切られて子供以下に落ちた腕力と器用さが回復する)
 ロマサガ1で「レフトハンドソードは必ずアルベルト(唯一の左利きキャラ)に装備させる」ように、スクウェアの罠と感じつつもつい誘導されてしまうのね。orz
Posted at 2008/07/29 02:00:47 | 日記
2008年07月17日 イイね!

日記 ⑪

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、十一冊目。

 日記          


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.11.4(火)

 ほぼ三万文字。日記帳がいっぱいになった。


 20.11.3(月)

 「生」と「死」は対義語とされているが、厳密には違う。
 「生」は生きること、生きていることそのものを指し、
 「死」は生命を喪うことを指す。
 「生」は線、「死」は点。とすると、
 「生」の対義は「生きていないこと」、
 「死」の対義は「誕生」であろうか。


 20.11.2(日)

 「おうとつ」は「凹凸」と書くが、「でこぼこ」は「凸凹」と書く。


 20.11.1(土)

 武士道は日本人全体が持つべき規範・心構えのようにいう向きがある。(戦時における大和魂も、武士道を下敷きにしている?)
 ブシ/モノノフ/サムライを家業にした人間は、日本人の御先祖の一部に過ぎない。
 武士に限らず農民も土地にしがみつき一所懸命に生きてきた面はあるだろうが、武士道や士魂というものは、士族の末裔を自認する者だけが持っていればそれで良い。
 様々な時代の武士たちの物語に感動し、あるいは涙することとは、また別の話である。


 20.10.31(金)

 エレベーターの声の「五階でございます」が、申し開きをしているように思えてならない。

 「 誤 解 で ご ざ い ま す 」


 20.10.30(木)

 PCに少し昔のケータイの写真が残っていた。データには、071209とある。
 確か、県立三木総合防災公園に併設されている県消防学校の前の遊具(?)の上。
 アスレチックみたいなのが大好きだからスルスルッと登り、直後に相方に盗撮された一枚。

 高いところは、コワイけど好き。だって、バ力だから。\(^o^)/


 20.10.29(水)

 戦国時代の薩摩と土佐は、似ている。

 北を山で隔絶され、南に荒波をかぶる、半ば独立の地。
 死を怖れぬ屈強の兵。薩摩隼人、一領具足。
 戦国最末期に島の統一に乗り出し、それは実現直前までいった。
 しかし、豊臣秀吉に征伐され、山地より南に押し込まれた。
 かつて勇敢に戦った侍たちは、のちに郷士として根付いた。ボッケモン、イゴッソウ。
 関ヶ原の合戦の折、徳川に味方しようとして、不測の事態により西軍に味方することを余儀なくされるところまで似ている。
 ただ、関ヶ原の戦後処理で、土佐の方だけ余所者の主を頂くことになる。


 20.10.28(火)

 10/20に「なぜマタモノが大河ドラマの主役になるかが未だにわからん~」と書いたけれども、少し前の風林火山、あの主人公もマタモノだったか。山本勘助。
 当然、山本勘助が討死にする川中島の合戦で話は終わってしまった。
 これは、武田三代の視点から見れば、中盤で終わってしまうので、中途半端すぎる。
 信玄一代で見ても、せいぜい三分の二しか描けない。
 どうせマタモノでドラマをつくるなら、主家の栄枯盛衰が俯瞰できる立場の人物を取り上げねばならない。
 その意味においては、上杉景勝の世継争いの頃から最後の動乱の関ヶ原の合戦や大坂の役まで景勝の側近であった直江兼続は、主役として描き易い方かもしれない。


 20.10.27(月)

 もののけ姫のアシタカは片腕に呪いを受け旅に出るが、即刻その腕を切り落とせば、死ぬかもしれない当てのない旅に出る必要もなかっただろうに。


 20.10.26(日)

 F.F.6のセリス(レオ葬送時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩8/30、9/6、9/14、日記⑪ 10/11参照。

 剣の据えられたレオ将軍の墓前で、残された戦士たちは憮然とした面持ちで立っていた。
 つい前日、レオ将軍は狂気の魔導師ケフカに殺され、サマサの村は火をかけられたのだった。
 ティナは、焼け残った花を一輪摘み、墓前に添えた。

 ティナ「レオ将軍……。人はみな力が欲しいのね…私みたいになりたいのかしら…。もっと…あなたからいろんな事を教えてもらいたかった……」

   クゥゥ…

 シャドウの猟犬・インターセプターが、びっこを引きながら茂みからあらわれた。

 ロック「インターセプター、大丈夫か!? レオ将軍だけでなく味方のはずのシャドウまでも……帝国め!」

 ロックは腰の袋から包帯を取り出し、インターセプターの手当てをした。
 「やさしいのね」
 ロック「これでよし」
 セリス「やさしいのね」
 リルム「リルムがついていてあげる」
 ロック「しかし、こうなると帝国に残るエドガーたちが心配だ」
 ティナ「無事だといいけれど……。あ、飛空艇の音が…!」

 ブラックジャック号だった。
 帝国の監視のためにベクタにいた戦士たちが、機外へ降りてきた。

 セッツァー「帝国が裏切った。あやうく罠にはめられるとこだった」
 カイエン「事前に脱出でき申した。エドガー殿の情報のおかげでござる」
 ロック「さすが一国の王」
 エドガー「お茶を運んで来てくれたレディにごあいさつしたら、丁寧に教えてくれたよ」
 マッシュ「……便利な特技だな」
 エドガー「女性がいるのに口説かない。そんな失礼な事ができると思うかね? 礼儀だよ、れ・い・ぎ」

 そんなことはどうでもいい、とばかりに、ロックはエドガーに向き合って言った。

 ロック「レオ将軍が殺された。ケフカにな!」
 カイエン「レオ殿が!? 無念……帝国にいる数少ない理解者が…」
 エドガー「とにかく作戦のたて直しだ。飛空挺に戻ろう」

 老ストラゴスが、ロックやティナたちの陰から身を乗り出した。

 ストラゴス「わしも行ってもいいのかの?」
 エドガー「あなたは?」
 ロック「この村の人だ」
 ティナ「魔導士の血を引く人なの。力になってくれるわ」
 ストラゴス「力の使いかたを誤った帝国を放っておくわけにはゆかんしの」
 エドガー「…うむ、心強い同志だ」

 リルム「リルムも!」
 ストラゴス「だめじゃ」
 マッシュ「子供は足手まといだしな」
 リルム「なにをー、このキンニク男!」
 マッシュ「はっ! 口だけは達者だな、お嬢ちゃん」
 リルム「くーっ、似顔絵かくぞ!」

 リルムが魔力を込めて宙に描く敵の似顔絵は、その敵を攻撃する。
 ベクタに残っていた戦士たちは、それを知らない。

 ロック「わー! やめ ヤメ!」
 ストラゴス「わかったわかった。しょうがないやつじゃ」
 リルム「やったー!」
 マッシュ「じゃあ、行くぜ!」

 エドガーだけが動かず、考え込んでいた。

 リルム「どうしたの? 色男」
 エドガー「君、いくつだい?」
 リルム「10才よ。―――変なの、先行ってるよ」
 エドガー「さすがに犯罪か……やめとこう」

 一国の王は肩を落とし、溜め息をついた。


 憮然(ぶぜん)という熟語は、かなりの割合で意味を間違えて覚えられているらしい。
 不満気・怒っていると誤解されるのは、ブーたれている―――という連想からか。
 字義は、「リッシンベン」に「無」だから、心が無い―――ぼんやり・がっかりする意。

 ぶ‐ぜん【憮然】
 失望・落胆してどうすることもできないでいるさま。また、意外なことに驚きあきれているさま。「―としてため息をつく」「―たる面持ちで成り行きを見る」


 リルムがなんだか花井君みたいになった。
 ティナのポニーテールの括ってる部分が、前過ぎた。
 中腰の格好の資料がないモンで、セリスの質感(!?)が少し不自然になった。


 20.10.25(土)

 月夜野と夜久野は、語感が似ている。


 20.10.24(金)

 死んだふり そのまま喰われる オポッサム

 一世一代の奇手を、しくじることもあるだろう。
 同じ天敵にやられて喰われるというシチュエーションでも、仮死のまま死ぬ方が幸せか…。


 20.10.23(木)

 先々々月中旬の話。
 播州小野のひまわりの丘公園へ行った。

 ひまわりの季節に行ったのは、実は初めて。
 隙間には、ナデシコか何かが咲いていた。
 小さめのひまわりが、乱雑に並ぶひまわりの丘。


 あまりに暑かったので、吉川の西山牧場へ行って、ジェラートを食べた。
 西山牧場の狭い駐車場は溢れかえっていて、農道の脇にずらっと車が停められていた。
 マツダのロードスターが7台。
 「これは、オフ会というやつやね」
 「おふかい?」
 「ネットで知り合ったモン同士が示し合わせて、人数ぎょうさん集まったりすること」
 ジェラートを買って、外に向いているカウンター席に座った。
 外の仔牛がいる柵の脇に、8人の男(平均年齢20代後半?)が立ちながら雑談していた。
 「あ、きっとあの人らやわ」
 「オフ会、やね。うわぁ~」   うわぁ~ って…。
 それから十数分、すっかりオフ会批評会になった。
 内 容 は 自 粛 す る 。 相方が私以上の毒舌であることを、改めて認識した。orz


 20.10.22(水)

 PCに古いWordのデータが入っていたので、恐る恐る開いてみた。

 クレスタを
 くれただなんて
 びっくれすた

 カローラに
 乗って疲れた
 過労だな

 ホンダ車の
 売れ筋 筆頭
 フィットなり

 マークⅡ
 名前が変わり
 まあ、苦痛

 備中の
 ヴィッツと ミラは
 見られない

 ハリアーと 張り合い
 セリカに 競り勝つ
 赤穂の アコードと
 それがしの レガシィ

 チャーリーのチャリは
 けたたましいケッタマシーンだ

 つい太る
 水夫と スイフト
 シビックに
 私 びっくり
 イプサムは
 一風 寒い
 やだ! セレナ
 ヤラセ 出ないで!
 椅子とイスト
 キューブが休部
 セールしよ
 高いセルシオ
 クラウンは
 ガソリン喰らうん?
 アテンザに
 当てんじゃないよ!
 浮野さん(この行のみ改変)

 デミオ乗り
 カミオカンデ
 見ようかな

 ファンカーゴ
 とっても不安
 加護よ あれ

 何、地震?
 早速 支援だ
 シエンタで

 僕 知ってる
 牧師のクルマは
 ヴォクシーさ

 エスティマで
 何やってるの?
 「エステ!今!」

 ウィッシュは
 ストリームの一種

 ランサー 要らんさ

 きっと有り余る
 フィットアリア ◎

 織枝のエリオの
 ええ利用法

 あたしのアイシス
 愛に死す


 ……。オヤジじゃないのに。年齢詐称してないのに。。(ノ_・。)


 20.10.21(火)

 ヴァイオリンのアレンジが秀逸。サマンサ・ガーデラス。



 20.10.20(月)

 先々々月下旬の話。
 かねたん(山形新聞)なる新手のマスコットキャラクターを知った。

>大阪市在住のイラストレーター岡野亜記さんの作品。
>生涯にわたって上杉景勝を支えた兼続を主君に忠誠を尽くすイメージがあるイヌで表現した。
>また、兼続が「美男子」だったと伝わることから、りりしいまゆ毛を描き、兼続の代名詞ともいえる「愛」の前立てが付いた兜(かぶと)をかぶった武者姿とした。


 犬…。愛の前立て…。直江兼続ね。。

 個人的には、直江兼続は好きも嫌いもない。
 直江兼続は蜀漢の諸葛孔明に似てるかも、と思うことがある。
 法に厳格なところとか、
 劇的な書状を書いた(?)ところとか、
 攻めながら攻めきれず軍を退くところとか。

 なぜマタモノが大河ドラマの主役になるかが未だにわからんのだが、人物の器量からいえば功名が辻の夫の方より上であることは間違いあるまい。


 20.10.19(日)

 なぜだか急に、高校のときのジャンプの読み切り漫画を思い出した。

 実在の人物、バロン西こと西竹一を主人公にした漫画。
 西竹一はロス五輪の馬術の金メダリストで、軍人ゆえに硫黄島で戦死した。
 映画「硫黄島からの手紙」にも登場していた。

 漫画とは話が変わるのだが、ずっと昔にTVをつけたとき、古い映画が放送されていた。
 男が泣きじゃくり、電話の向こうの女(たぶん若い頃の中村玉緒)に話しかけていた。
 「ウラヌスが…ウラヌスが死んじまった~~」
 ウラヌスは西竹一の愛馬の名であり、何らかの関連はあると思うのだが…。

 この漫画/映画を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ詳細をご教授願いたい。


 20.10.18(土)

 なぜだか急に、高校のときのジャンプの読み切り漫画を思い出した。

 江戸初期のある藩の話。
 その藩は、老臣連中と小姓連中の二派に分かれ、権力を争っていた。
 その藩には、くろがね某(字は失念…)という気骨ある武士がいた。
 くろがね某は、かの大坂の役(?)にて、味方である寄せ手のために自分の片足を犠牲にしたことで、両派から敬意を受けていた。
 くろがね某は、それぞれの首謀者のもとへ出向いて、事情を訊いた。
 それぞれの首魁は、それぞれの立場から事情を語った。
 両派は争いながらも、主君(あるいは、お家)のことは大事に考えている。
 熟考したくろがね某は、行動に出た。
 甲冑を身につけ軍支度を整えたくろがねは、「くろがね殿ご乱心!」と何度も叫びながら両首謀者の屋敷を襲撃した。
 反目する両派の首魁を斬り、藩の分裂を未然に防いだくろがね某は、その場で切腹した。
 ―――だいたい、こんな筋。

 この漫画を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ詳細をご教授願いたい。


 20.10.17(金)

 英雄ポロネーズとキューピーマヨネーズは、響きが似ている。


 20.10.16(木)

 エアーマンが倒せないの替え歌考えてみた。日記③ H19.13/14参照。
 サルーインが倒せない。あんまり出来は良くない。動画をつくる技術もない。

 気がついたらパーティ壊滅寸前
 そしてクローディアにアニメート
 あきらめずに不動剣繰り出しまくるけど
 クローディアに背中射られる

 もしもベホマラーがあれば
 全員回復できるけど
 何回やっても何回やっても
 サルーインが倒せないよ
 あの撃剣波何回やっても避けれない
 後列に下がって距離をとっても
 全体攻撃逃げられない
 腕力法の重ねがけ試してみたけど
 先に殺られたら意味がない
 だから次は絶対勝つために
 僕は雷撃衝は最後までとっておく

 気がついたらひとり生き残った僕
 そしてシフにアニメート
 あきらめずに不動剣繰り出しまくるけど
 シフに頭割られる

 もしもザオリクとかあれば
 仲間復帰できるけど
 何回やっても何回やっても
 サルーインが倒せないよ
 サルーインソード何回やっても避けれない
 後列に下がって距離をとっても
 前列倒れりゃ無駄骨
 力の水の重ねがけ試してみたけど
 防御効果で意味薄い
 だから次は絶対勝つために
 シムラクラムだけは最後までとっておく


 (注)僕 → 貴族のドラ息子


 20.10.15(水)

 ここを見ると、
 かっつんがスライムに、
 デミーちゃんがスライムベスに見えた。


 20.10.14(火)

 多可郡多可町加美区へ行ったときの話。10/7参照。

 その一。
 はりこ工房 葉紙屋で、方言の話題になった。
 例えば、「~なさった」という言葉。
 私の住む摂津では、「~しはった」といい、
 相方の住む東播では、「~したった」といい、
 北播の多可郡では、「~しちゃった」というらしい。

 その二。
 加美の杉原谷を気分良く走り抜けていたとき。
 「← かみ高地」の看板が見えた。
 …確かに、ここは「かみ」で、「高地」であるには違いない…が、一抹のセコさを感じた。

 その三。
 加美の杉原谷を気分良く走り抜けて、中区に至ったとき。
 「← 託老所ろまん」の看板が見えた。
 そ、そんな「託児所」みたいな…しかも「ろまん」て…。
 実際、預けられた高齢者同士でろまんすがあったら、家族は困惑するだろうなぁ…。

 その四。
 中区だったか、「セシルラーメン 聖詩留」というラーメン屋を見た。プッ ウププ
 そういえば、道の駅 R427かみのレストランは、「シャルマン 車留満」といった。
 いったい何なの、そのセンス!?

 おすすめスポット タグ 多可郡


 20.10.13(月)

 ムスリムは、猪も食べられないのだろうか。


 20.10.12(日)

 先々々月の話。
 夜道の帰り、右前の学生らしき者を歩いて抜かしかけたときのこと。
 学生が突然鼻歌を歌い始めた。それも、かなりの大音量で。

 私は動揺しながらも表に出さず、そのまま抜かし切った。
 それでもまだ、歌っている。結局、道がそれるまで歌っていた。

 たぶん、学生は夜道に自分独りきりだと思ったのだろう。
 私の足音も感じ取れなかったのは、携帯オーディオで歌を聴いていたからに違いない。
 しかし、そこに私があらわれた。向こうも焦っただろう。
 そこは敵もさる者、途中で鼻歌を止めるという選択はせず、あえて歌いきった。 
 さぞかし恥ずかしかっただろう。だが、……しかし、ソレを想像するだけで恥ずかしい!

 私 の 方 が 犠 牲 者 な の に 私 の 方 が 恥 ず か し い だなんて、理不尽だ!


 20.10.11(土)

 F.F.6のセリス(レオ討死時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩8/30、9/6、9/14 参照。

 レオやユラたちが幻獣と人間の和解が成ったと喜んでいるとき、すでにサマサの村は囲まれていた。

 ケフカ「ひょっ ひょっ ひょっ ぼくちんの魔導アーマー隊の力を見せてやるぞ!」

   ゴゥン ガシャン ガシャン ガシャン

 不意の襲撃に、戦士たちはあっという間に蹴散らされた。

 レオ「ケフカ、何をする!」
 ケフカ「ヒヒヒ…皇帝の命令です。幻獣達を魔石化して持ってこいとね。見よ、幻獣を魔石化させる秘技を!」

 ケフカが手を伸ばすと、その先の幻獣がたちまち魔石となってケフカの手に吸い込まれた。

 ケフカ「ヒィーーヒッヒ! ……つまらん。面白くないから、こんな村なんて焼きはらっちゃいな!」
 レオ「ケフカ、おまえの行い、もう許すわけにはいかぬ!」

   ズバン   ギャーーーッ

 レオ将軍は、剛剣を一閃した。切っ先が音速を超え、衝撃波が村の外まで震わした。

 ケフカ「さすがは、レオ……。私をこのような目に遭わすとは……」

 手負いのケフカは、霧のように姿を消した。

 レオ「どこだ……。ケフカ、姿を見せろ!」
 ガストラ皇帝「レオよ……」
 レオ「皇帝! 今までどちらに!?」
 ガストラ皇帝「レオ、おまえまで騙してすまなかった。これも、魔石を手に入れるため。わしの真意、わかってくれるであろうな」
 レオ「しかし……」
 ガストラ皇帝「言うな、レオ。お前の気持ち、解らぬでもない」

 再び、どこからともなくケフカがあらわれた。

 ケフカ「ヒッヒッヒッ、皇帝のおっしゃる通り! 今は、魔石を集めるのが先決なのだよ」
 レオ「皇帝、では、私はいったい……」
 ガストラ皇帝「レオ、お前には、少し休んでいてもらおう。それも、ずーっと長くだ!」

   ヒッヒッヒッ   ザクッ
 ← 右は俊夫さんではなくケフカ
 レオ「うっ!」
 ケフカ「お前が倒した私……それは私の幻影なのだよ! そして、意気地なしののガストラ皇帝も、もちろん幻影! それくらいの違いがわからないヤツが将軍だなんて、それも、いつもいつも……いつもいつも、いいこぶりやがって!」
 レオ「ケ、ケフカ……お前というやつは……」
 ケフカ「ヒッヒッヒ…皇帝には、レオは本心で裏切ったと報告しておくよ。死ね 死ね 死ねー!」
 レオ「ぐあぁーーっ!」

 ケフカの凶刃にかかり、レオ将軍は死んだ。

   ゴゴゴゴゴゴゴ…

 ケフカ「な、なんですか? すさまじい魔力を感じますね。と、とってもはげしい魔力の波動なんだな」

 数分後、サマサの空に新手の幻獣があらわれた。

 ケフカ「これは、これは。突然のお越しで驚きましたが歓迎いたしますよ。ぼくちんに、もっと魔石プレゼントしてくれるというのですから。お望みどおり、魔石と化してあげましょう!」

 ケフカの魔石化の秘術によって、幻獣たちが何十と魔石にされた。

 ケフカ「そのようなものでは、この私を倒すことなどできませんよ! さあ、魔石となって、私とともに魔導帝国『ケフカ』を造ろうではありませんか!」

 最後の一体も魔石となり、封魔壁を出た幻獣は全滅した。

 ケフカ「ヒョッヒョッヒョ、魔石はこれでもう充分ですね。あとは、封魔壁の奥にある最後の宝を手に入れるだけです。シンジラレナーイ!」

   ヒィーーーヒッヒッヒ

 炎に巻かれる村に、ケフカの笑い声が響いた。


 今回に限っては、セリスというよりレオを描きたかった。(四つん這いだけど。影絵だけど。)
 なんだか人造人間16号的なガイスガイで、まことにおかしい惜しい男だったから。
 でも、ケフカに突っ込まれている通り、ニセ皇帝も見破れないあたりは確かにオマヌケ。


 20.10.10(金)

 能煩野とボノボは、響きが似ている。


 20.10.9(木)

 先々々月は、但馬と北播多可郡を中心に周った。
 写真や資料を整理してるうちに、どうまとめたら良いかわからなくなってきた。
 テーマは大きくわけると、日本神話と山名氏の興亡。
 その日本神話も、アメノヒボコ関連とコウノトリ関連にわかれる。そこでここでは、どちらの神話にも少しずつかかわってくるイクメイリビコの大君のエピソードをまとめて列挙する。

【サホビコとサホビメ】
 サホビメは、時の大君・イクメイリビコ(垂仁天皇)の后であった。
 あるとき、兄(いろせ、同腹の兄)のサホビコがサホビメに尋ねた。

 「兄と夫、いずれを愛しいと思っているのか?」
 「……兄様を愛しいと思っております」
 「妹よ、まことに私のことを愛しいと思うなら、私とそなたとで、この天の下(あめのした)を治めようではないか」

 そう言って、サホビコは妹に紐の飾りの付いた小刀を手渡した。

 「大君が眠っているところをねらって、刺し殺せ」

   グガ~~ グゴ~~ スゥーーー

 大君は無防備のまま、后の膝を枕に、昼寝している。
 サホビメは、兄の言いつけの通り小刀を出し、膝の上の大君の喉元に、切っ先を振り下ろそうとした。
 …が、出来なかった。
 三度ためらっているうちに、涙がこぼれ落ちた。

   ポタ ポタッ

 雫を顔に受けた大君は、驚いて跳ね起きた。

 「われはあやしい夢を見た。沙本(さほ、地名)から叢雨が降ってきて、いきなりわが面を濡らしたのだ。また、錦色の小さな蛇が、わが首にまとわりついていたのだ。一体この夢は何のあらわれであろうか?」

 大君の夢見に、サホビメはすべてを告白した。

 「―――そして小刀を取り出だしたのですが……たちまち悲しい気持ちが起こり、御首をどうしても刺すことができず、あふれ出た涙が流れ落ちて、御顔を濡らしてしまったのです」
 「……われは、今少しで欺かれるところであったのか」

 激怒した大君は、サホビコを討つ兵を挙げた。
 サホビコも、稲城(いなき、稲束を干す木組みを利用した防柵?)をつくり、迎え撃った。
 サホビメは宮を抜け出し、兄の立て篭もる稲城へ駆け込んだ。
 このときサホビメは大君の子を腹に宿しており、また大君もそれを知るため、一気に攻め落とすこともできない。
 こうして、双方のいくさびとがにらみ合う中、サホビメは子を産んだ。
 サホビメは、その子を稲城の外に置いて言った。

 「大君が、この御子を御自分の御子と思うなら、どうかお育てくださいませ」
 「その兄は恨みに思えども、なおそなたが愛しゅうてならぬ」

 大君は、その場でその子を受け取ることをせず、一計を案じた。
 あとで受け取りに行く旨を稲城に伝え、屈強の兵を選んで言った。

 「御子を受け取るときに、后の髪であろうと手であろうと、手当たり次第に掴んで引っ張り出してくるのだ」

 大君の考えを見通したサホビメは、髪を剃り、その剃った髪(カツラ?)を頭にのせ、玉の緒を腐らせたものを三重にして手に巻きつけ、さらには酒を使い腐らせた服を身にまとった。
 そして御子を抱いて、稲城の外に出てきた。
 屈強な男たちは御子を受け取るやいなや、サホビメを捕らえようとした。
 しかし、髪を掴むと髪は取れ、手を掴むと手に巻いた玉の緒が切れ、服を掴むと服は簡単に破れてしまい、どうしても捕らえることが叶わなかった。
 最後の機会でもしくじった大君は、大いに悔しがり、なおも稲城に問うた。

 「子に名を付けるのは、母である。この子の名は、何とするのか?」
 「今はまさに、稲城が火に焼かれんとき。御子はそのような中で生まれました。ですから、その御名はホムチワケとしましょう」
 「いかにして養い育てればよいのだ?」
 「乳母を選び、産湯を使わせる者を定めて、養い育ててくださいませ」
 「そなたが締めてくれたわれの下紐は、誰に解かせればよいのか?」
 「旦波(たには=丹波)のヒコタタスミチノウシの娘・エヒメとオトヒメは心根の優しい者たちですから、この二人をお使いになるのがよろしいでしょう」

 未練は残れどももはや問うことも尽きた大君は、ついにサホビコの稲城に火を放ち、攻め殺した。
 妹のサホビメも、兄に従って死んだ。


 コノハナサクヤヒメで有名な火中出産の、もうひとつの話。日記⑧ 7/13参照。
 昔は異母兄妹なら、恋愛や結婚は普通にできたが、母を同じくする兄妹はダメだった。
 のちに不具の子が生まれたのは、その子がサホビコ・サホビメの近親婚ゆえという説もあるらしいが、はてさて、どうなのか。この話は、さすがにイクメイリビコに同情する…。
 記紀ともに記述あり。大差なし。古事記に従った。

【もの言わぬ皇子】
 母もともに立て籠もる稲城にて生れ落ちた皇子(みこ)・ホムチワケは、生まれつきものを言うことができなかった。
 イクメイリビコの大君は、ホムチワケの病を癒そうとして、丸木船を池に浮かべ親子で舟遊びをした。しかし、皇子は喋らない。
 皇子は齢三十になり髭が長く伸びてしまっても、泣くときは幼児のようで、言葉を話すことはなかった。

 ある冬、大君は皇子をそばにおいて宮殿の前に立っていた。
 そのとき、鵠(くぐい)が大空を飛びわたった。
 皇子は鵠を見上げて口を開いた。

 「あれ……あれ…なに?」

 大君は、皇子は鵠を見たゆえに喋ることができたと喜び、「誰かあの鳥を捕らえよ」と左右に命じた。
 直ちにアメノユカワタナが進み出て、鵠を追ってゆき、出雲に到ってようやく捕らえた。一説には、但馬で捕らえたともいう。
 アメノユカワタナは捕らえた鵠を献上した。ホムチワケは鵠と遊び戯れ、ついに言乃葉を得た。
 大君はアメノユカワタナを篤く賞し、鳥取造(ととりのみやつこ)の姓(かばね)を与えた。


 くぐい【鵠】《「くくい」とも》
 白鳥(はくちょう)の古名。

 こう【鵠】
 ハクチョウの古名。

 こうのとり【鸛】
 コウノトリ科の鳥。全長約1.1メートル。全身白色で、風切り羽とくちばしが黒い。松などの樹上に巣を作り、姿がタンチョウに似るため「松上の鶴」として誤って描かれた。東アジアに分布。日本では特別天然記念物に指定されたが絶滅した。中国から冬鳥としてまれに渡来。こうづる。


 鵠(くぐい)とは、記紀の注記や辞書を見る限り、ハクチョウを指す。
 しかし、但馬豊岡の郊外にあった久久比神社では、コウノトリと解釈されていた。
 コウノトリとツルは昔からよく混同されていたそうだが、ハクチョウもまた「大きな白い鳥」で括って、区別する気も必要もなかったのではないか。
 記紀ともに記述あり。
 古事記では、鵠を捕らえても言葉話さず、出雲大社のオオクニヌシの祟りゆえと判明し、これを祀り鎮めてようやく話せるようになった。話としては、日本書紀の方がまとまりが良いか。
 なお、日本書紀に記述されるホムチワケが鵠を見たときの一言は「是何物ぞ(これなにものぞ)」。唐突過ぎて不自然なので、たどたどしくした。
 池の舟遊びについては古事記の記述、後段は日本書紀に従った。

【ノミノスクネとタイマノケハヤ】
 イクメイリビコ(垂仁天皇)の御世、七年の七月七日―――。

 臣下たち「當麻の邑にタイマノケハヤという勇敢な士がおります。この者は『われの力に並ぶ者はおらぬのか。何としても力強き者に遇って、生き死には問わない、ひたすらに力比べをしたいものだ』と言っております」
 イクメイリビコ「タイマノケハヤは天下之力士(あめのしたのちからびと)だと聞いたが、誰か、これに並ぶ者はおらぬのか」
 臣の一人「わたくしは、出雲国にノミノスクネという勇士(いさみびと)あり、と聞いたことがあります。試しにこの者を召し、ケハヤに当てようと思います」

 即日使いを出し、やがてノミノスクネが出雲から到着した。
 そして、タイマノケハヤとノミノスクネと二人相対し、各々足をあげて相蹴った。
 ノミノスクネはタイマノケハヤのあばら骨を蹴り折り、また、腰を踏み折って殺した。
 ゆえに、タイマノケハヤの土地はことごとくノミノスクネに与えられた―――。


 後年、野見宿禰は出雲へ帰る途中、揖保川河畔に倒れた。
 その墓をつくる折、石を担いだ人夫が野を行きかった。
 それを見て、誰言うとなく、そこは立つ野と呼ばれるようになった。
 人々の並び立つ野、立野。現在は、龍野の地名が残り、丘の上に野見宿禰の墓がある。
 日本書紀のみの記述。

【埴輪のことのはじめ】
 イクメイリビコの御世、妃のヒバスヒメが亡くなった。

 イクメイリビコ「死人に従う道(殉死)は良からず、ということを、前に知った。この度はどうすればよいか」
 ノミノスクネ「陵墓(みささぎ)に生きたる人を埋めるのは良くありませぬ。わたくしに考えがあります」

 ノミノスクネは出雲の土部(はじべ)百人を呼び、人や馬や種々の埴(はにつち)をつくらせ、大君に献上した。

 ノミノスクネ「今よりのちは、この土物(はに)をもって生きたる人に代えて陵墓に立て、後世の見本としましょう」

 大君は大いに気に入り、ヒバスヒメの陵に初めて土物が立てられた。
 よって、この土物を名付けて埴輪(はにわ)という。


 野見宿禰の子孫に菅原道真がいるが、もちろん格闘技をすることはなかった。
 漫画「修羅の刻」の源平編の冒頭にて、蹴りを使う闘技者の例えとして野見宿禰と当摩蹶速の名が挙げられていた。
 日本書紀のみの記述。

<トキジクノカクの木の実>
 あるときイクメイリビコの大君は、タヂマモリにそれを食べれば永久の命が得られるというトキジクノカクの木の実を探させた。
 タヂマモリは艱難の末に常世の国(とこよのくに、海の彼方の不老不死の国)にたどり着き、トキジクノカクの木の実を持ち帰った。
 ところが、せっかく不老不死の木の実を持って帰ったというのに、当のイクメイリビコは既に亡くなっていたのだった。
 タヂマモリは木の実の半分を大君の后に奉ると、残りの半分を持って大君の御陵(みささぎ、墓所)に捧げた。

 「常世の国のトキジクノカクの木の実を持ち帰って参りました!」

 タヂマモリは叫び哭き、そのまま息絶えた。
 そのトキジクノカクの木の実とは、今でいうところの橘である―――是今橘也(コレ今ノ橘ナリ)―――。


 日本書紀では、非時の香菓(ときじくのかくのみ)と表現されている。
 タヂマモリは、三宅連(みやけのむらじ)の始祖(はじめのおや)で、アメノヒボコの子孫。
 記紀ともに記述あり。大差なし。古事記に従った。


 20.10.8(水)

 本屋で、真面目そうな五十男が黙々と立ち読みをしている。
 その隣で、普通然とした学生も黙々と立ち読みをしている。
 彼らが手にしているのは、官能小説。まばたきもせず、一心不乱に読んでいる。

 人 は 見 か け じ ゃ な い 、と納得すると同時に、
 どうして歴史物コーナー官能小説コーナーの隣なのだ、と思った。


 20.10.7(火)

 先々々月上旬の話。
 播磨多可郡の杉原と岩座神へ行った。


 空が今より低かった頃、ひとまたぎ三町の巨人あまんじゃこは、しゃがまなければ天に頭がつっかえ、歩くこともままならなかった。
 明石のとある里から北へ行く途中、急に空が高くなり、思う存分背を伸ばすことができた。
 「ここは空が高い。たかじゃ、たかじゃ!」と、あまんじゃこは快哉を叫んだ。

 多可郡の由来は、空の高い意。
 多可郡は本来、加美町、中町、八千代町、黒田庄町、西脇市をあわせた地域だった。
 そのうち、黒田庄町と西脇市は多可郡の名を冠せず、黒田庄町は西脇市に合併された。
 残る加美町、中町、八千代町は多可郡であり続け、先の合併で、多可郡多可町となった。
 加美町、中町、八千代町はそれぞれ、多可町のうちの加美区、中区、八千代区となった。
 だから、本来はともかく、今日の多可郡の範囲は、加美、中、八千代である。
 加古川の支流の杉原川というのがある。
 西脇でYの字に分かれ、北東に加古川、北西に杉原川が遡り、杉原川は下流を中区、中流より北はずっと加美区を流れる。加美は、杉原川をかかえる、北へ10km以上続く谷筋。
 東西に700~1000mの山々が連なり、東西の連絡がほとんど絶たれている。
 以上、多可郡と杉原川の説明。

 杉原紙の歴史は飛鳥時代まで遡るといわれており、その頃は律令国家の租(コメ)、庸(都での労働又は布)、調(地方の特産物)の調として、播磨の国府・御着、そして藤原京まで紙を運んでいたという。

 杉原紙の作り方は、
  ① 原料の楮(こうぞ)を刈り取り、切りそろえ、煮る
  ② 皮を剥ぎ取り、日に干す
  ③ その皮を川でさらし、外側の黒い皮を削り落とし、日に干す
  ④ 白い皮を水でふやかし、灰汁で溶かして繊維だけにする
  ⑤ その繊維を流れる水にひたして、ゴミを取り除く
  ⑥ 白くなった繊維を棒で叩き潰す
  ⑦ 細かくなった繊維を水槽に入れ、ネリ(ノリウツギ、トロロアオイなどの粘液)を加え混ぜる
  ⑧ 枠のついたスノコで漉(す)く
  ⑨ 水を切る
  ⑩ 板に張り付け、日に干す

 杉原は、平安時代の中頃、藤原師実(藤原道長の孫)の荘園となった。
 同時期、播磨多可郡の土地は、ほとんどが荘園となっていた。
 杉原庄の他、大山庄、大幡庄、松井庄、黒田庄、安田庄、富田庄、比延庄、這田庄。
 黒田庄は、つい最近まで黒田庄町として残り、また、黒田官兵衛孝高で有名な黒田氏(日記⑨ 8/12参照)は、家伝では近江佐々木氏の庶流と謳っているが、黒田庄から出た生粋の土豪だという説もある。(個人的には、こっちであってほしい)
 1116年、「杉原庄紙(すぎはらのしょうのかみ)」の名が、初めて文献にあわられた。
 藤原忠実(藤原師実の孫)の日記の、息子と娘に馬の鞍・調度・杉原庄紙百帖(1帖=50枚)を送った旨の内容。のち、藤原氏は分裂し、杉原庄は近衛氏のものとなった。
 1165年頃の平氏関連の書状に、「杉原紙」の名が初めてあらわれた。
 1429年、播磨全域で一揆が起こったが、播磨守護の赤松満祐はこれを鎮めた。
 1441年、中央の力を強める政策を採っていた足利義教を、赤松満祐は京の自邸に招いてこれを暗殺した。ただちに山名持豊を主力とする幕府の追討軍が遣られ、赤松氏は滅び、杉原庄のある播磨は山名氏のものとなった。
 1467年、幕府内の権勢を競った山名持豊(宗全)と細川勝元が軍事衝突した。応仁の乱である。
 一度は滅んだ赤松氏であったが、南朝の残党が北朝の三種の神器を盗み出した際(三代将軍・足利義満によって、既に南北朝の合一は果たされていた)に、赤松氏の旧臣(そのひとつが、戦国時代の御着城主の小寺氏)が神器を取り戻し、南朝の皇統を殺す手柄を立て、さらに応仁の乱では細川勝元に味方をして働いたので、赤松政則(赤松満祐の甥の子)は播磨・美作・備前の旧領をすべて回復したのだった。
 1483年、山名政豊(山名宗全の孫、山名宗全の後継者)は、真弓峠から播磨に侵入し、播磨を再び占領し、赤松政則がやっとのことで追い返したのは、1488年のことだった。この結果、赤松氏の求心力は低下し、播磨は分裂の様相を呈した。
 一方、当時の杉原紙は、神社の御幣などに使われており、播磨の廣峯神社(日記⑧ 7/13参照)の御札も杉原紙だった。
 姫路に定住した黒田氏(黒田官兵衛孝高の祖父以来)は目薬をつくり、廣峯神社におさめ、廣峯神社の御師(おし、布教者)が御札を配り歩くとともに目薬を売り、黒田氏にも利が還る―――という仕組みをつくり、黒田氏発展の最初の土台になったのだが、杉原紙はこんなところにも絡んでいる。
 やがて戦国の果てに播磨は羽柴秀吉のものとなり、本能寺の変後に勢いに乗った秀吉は豊臣姓を賜り、日本を統一した。
 秀吉は検地を行い、ここに土地の多重構造(公地、荘園、地頭、守護 etc…)は消えた。
 しかし豊臣氏は、二代目になった途端に支配者の座を徳川家康に奪われた。
 江戸時代、杉原紙の消費量が全国で増え、それに応じて全国各地で杉原紙がつくられるようになった。
 那須杉原、越後杉原、信州杉原、美濃杉原、加賀杉原、越前杉原、丹後杉原、佐治杉原、吉野杉原、但馬杉原、因幡杉原、出雲杉原、足守杉原、備後杉原、三次杉原、広島杉原、周防杉原、阿波杉原、伊予杉原、土佐杉原、豊前杉原、豊後杉原…もはや、「杉原」は紙の代名詞となっていた。
 本場の播磨杉原谷は天領であり、その杉原紙は「はりまおん上り杉原」といい、運び手まで優遇を受けた。
 幕末になると幕府の財政は苦しくなり、杉原谷の楮に代えて杉が植えられ、徐々に紙漉きが衰えてきた。
 そして明治維新、地租改正。租税はカネで納めねばならず、原料の楮を買い入れねばならない紙漉きは、明治時代の終わり頃に途絶えた。(ミツマタで漉いた半紙も、大正時代に終わった)
 英文学者・書誌学者の寿岳文章(じゅがく ぶんしょう)は、1937年から1940年にかけて全国の紙漉き村を巡り、紙漉村旅日記を著した。さらに1940年の夏には、言語学者の新村出(しんむら いずる)とともに杉原谷を訪れ、この地こそ天下の名紙「杉原紙」の発祥の地であることを明らかにした。(元々、播磨の杉原谷か美濃杉原かまでは絞っていたようだ)
 苦しい戦争が敗戦に終わり、高度成長を経て、1966年、杉原谷には両博士が揮毫した記念碑がつくられた。しかし杉原紙は、もう無い。
 1970年、半世紀ぶりに紙を漉くという宇高弥之助氏により、楮を用いた杉原紙が復元され、1972年に杉原紙研究所が開所。記念碑も、杉原谷小学校から研究所前に移された。
 1994年には、「こうぞの一戸一株運動」が始まり、地域としての杉原紙保存の高まりを見せている。
 現在、杉原谷の杉原紙は宮内庁御用達となっており、その最上の品は歌会始(うたかいはじめ)に使われている。


 ↑ 紙匠庵でんでん

 杉原杉原紙の初見は、ジェラテリアの土産物売り場(日記⑦ 5/10参照)だった。
 「日本最古の紙」と書いてあるのを見ても、そのときは何の感慨も持たなかった。
 しかし、実際に杉原の土地に立ち、歴史を知ると、いっぺんに好きになってしまった。
 杉原の文化、歴史、空間すべてが―――。
 なんでも、50kgの楮の枝から1.5kgの杉原紙ができ、現在は年間700kgを生産しているそうだ。
 中心地には、道の駅 R427かみ、西の山手に青玉神社、さらに杉原川を挟んで東に杉原紙研究所紙匠庵でんでん和紙博物館が並んでいる。道の駅のほんの200mほど南に、はりこ工房 葉紙屋もある。


 青玉神社は元々北西2.5kmの三国岳(標高855m)に鍛冶の神として祀られていた。
 祭神はアメノトマミ。別名をアメノマヒトツといい、天目一箇の字の通り、目を傷めるのを職業病とする製鉄業の神なのだ。ただ、アメノトマミという名は、初めて聞いた。
 ともあれ、山頂の播磨踊場(池のある平坦地らしい)で祀られていたところをふもとの地に遷し、現在に到る。
 現在は製鉄の名残りなどちっとも感じさせないが、三国岳の西10kmの生野銀山と関連があるのかどうか。(やはり、鉱山業と製鉄業は別か…)
 現在の青玉神社の境内には、樹齢千年ともいわれる二俣の杉、夫婦杉がそびえる。
 また、これまた大きなイチョウがあり、垂れ下がった気根ゆえに乳の木と呼ばれ、乳に模した縫い物を奉げている。K乳願望などとは次元の違う、子を想う母の切なる願いである。
 大和葛城の一言主神社にも乳銀杏があり、乳の縫い物は紀伊九度山の慈尊院にもあった。
 「九度山の方が、もっと…こう…ディティールが…」
 …と言ったところで、後ろからゴツンされた。(:;)

 ↑(左)一言主神社、(右)慈尊院

 多可郡の加美という10kmを越える悠然とした谷のひとつ西側に、4kmほどの谷がある。
 杉原川は加古川の支流であるが、その杉原川のさらに支流の多田川沿いの谷だ。
 その行き着く先が、岩座神―――いさりがみ―――棚田で有名な集落である。

 「いさりがみ」とは変わった読みだ。「いわ すわり かみ」から転訛したのだろう。
 「岩座」は通常は別の読み方をするのだが、「いわすわりかみ」でも意味するところは同じ。

 いわ‐くら【岩座/磐座】
 《「いわ」は堅固な意》神の御座所。いわさか。


 より原始的な祭祀の有り方。磐は神の依り代、そこに神が降りてくる―――。
 播州の雌岡山も、あれはひとつの磐座だ。日記⑧ 6/17参照。
 青玉神社の古い信仰場である三国岳山頂も、おそらく磐座だったのではないか。
 岩座神(いさりがみ)の場合は、ここから見上げる千ヶ峯(標高1,005m)に磐座があるという。
 岩座神の郷は、その千ヶ峯の中腹。地図を見る限り、標高は400~500mである。

 ↑ 播州雌岡山の磐座の例。この磐座のみをもって、姫石神社という。

 このように、多可郡の加美は、神の降りる磐座の山々に抱かれるようにして在り、その山々からあつめた清流で紙をつくってきた。
 この加美の地にじかに降りて訪ねたとき、加美の語源は「紙」…いや、さらに古く遡り「神」なのではないか―――と感じるのは、私だけではあるまい。

 加美町は神の坐ます紙の谷 磐座の天は高く遠くに

 △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 さて、実は次の場所は、後日の但馬の帰りに少しだけ寄ったのだが、あえてこの稿に入れる。
 多可郡の加美区轟のラベンダーパーク多可。杉原谷の東の山腹にある。

 う…ああ…うぅ……。orz

 痛々しい…。これほど気の毒になる花公園も他にない。
 ラベンダー園なのに、小さな小さな花が僅かに咲いているだけで、密度もない。
 北海道でのイメージでは一面紫に染まるわけだが、ここは見渡す限り土の色。
 紫の色の要素が、0.1%もないのだ…。
 平成17年から四年目にして開園してこの惨状、播州の気候に合わないのでは…?(><)

 ↑ 眺望はこの上なく良い。向かいは千ヶ峯。磐座の山。

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 走行距離 約166km 高速道路不使用 相方の軽自動車にて走破


 20.10.6(月)

 柏原から篠山方面へ丹波の森街道を走っていたときのこと。
 長安寺付近で「→ 池尻神社」と書かれた看板を見つけ、ふと思った。
 「尻」とつく地名(転じて、人名)は、たくさんある。
 帰宅してから、思いつくまま挙げてみた。

   池尻 川尻 河尻 江尻 沢尻 沼尻 田尻 ……

 池、川(=河、=江)、沢、沼、田…すべて、「水」に関係する!?
 「尻」は、おそらく「端っこ、突き当たり」くらいの意だろうか。
 「尻」は、「水」にまつわる地形についてのみ、その特徴をあらわす語なのか。

 早速、相方に尻と水関連仮説を発表した。
 野尻は?」

 …。仮説崩壊。orz


 20.10.5(日)

 海音寺潮五郎の武将列伝悪人列伝日本名城伝の9冊を読破した。日記⑧ 7/16参照。
 面白いなぁこの人…と思ってたら、既に故人だということを知って衝撃を受けた。(:;)


 20.10.4(土)

 路上に小動物の死骸やその他小さめの障害物があった場合、完全に回避する(①)こともあるし、障害物と相対して真下を通す(②)こともある。

 私はたぶん②の方が多い。対向車が連続すれば①は無理だし、障害物が小さいと見切った以上、②で何の問題も無いからだ。(見切りに失敗してつっかえるのが一番悲惨かもしれない)

 こうなると疑問に思ってしまうのだが、エアロパーツをつける・車高を下げるやらで、下のスペースがなんぼもない車のことだ。
 まず、②はできない。撥ねるか、巻き込むか、ズルズル押し続けることになる。
 こうなれば①しかないが、対向車が連続してくれば、徐行か停止するしかない。

 通常の車高であることは、それだけで車の一機能ということか。


 20.10.3(金)

 楳図かずおの邸宅について景観どうこう言うなら、PLの塔の方がよほどアレでナニだと思う。


 20.10.2(木)

 先々々月の話。
 スタジオジブリの映画崖の上のポニョを、封切の日に観に行った。

 事前に主題歌だけ聞いていたので、ついつい「ポーニョ ポーニョ ポニョ ♪」と口ずさみながら、ちょっとウキウキな感じで手を動かしていたら、

   ペシッ!

 「あかんー! 捕まるでホンマ」

 …。ぎゅっぱ ぎゅっぱ…してただけなのに……。(ノ_・。)テノコウ ヒリヒリ…

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 ネタバレは一切したくないので、ふと思った要点だけ。

 フリーハンドで描いたようなホンワカとした風景。水やしぶきの表現。素朴なタッチがいい。
 母親のドライビング。思いもよらぬ痴話喧嘩。魔法使いとポニョの本名。随所にちりばめた笑い。
 やはり久石譲はいい。音楽は大事だ。(ゲド戦記も久石譲なら、印象が違っただろうに…)

 決して、スペクタクルな大作ではない。
 高めの絵本でも買った気持ちで観てみよう。

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 最近はゆるキャラが流行りだが、ポニョも相当ゆるい。タガなど最初から無いかのように。
 映画の帰り、車の中で口ずさんだ。

♪生真面目すぎた 真っ直ぐな愛に
 不器用者と 笑いますか
 もう少し時が たおやかに過ぎたなら
 愛しき日々の 儚さは 消え残る夢 青春の影 ♪


 「なんで白虎隊なん?」
 「(わかるんかい!?) い、いや…ポニョのゆるさと中和できへんかな~、思て」

 くっ、ウチの姪よりかわいいか!?
↑【中和】↓
 日記④ 1/22、日記⑩ 8/20 参照

 嗚呼…飯盛山のあの時にポニョがあらわれ、
 「ポニョ、ギサブロー、すきーー」
 …と言えば、運命は変わったであろうか―――。(どんなifだ!)


 20.10.1(水)

 昔、我が家は朝日小学生新聞なるものを何年間かとっていた。
 尼子騒兵衛の忍たま乱太郎が連載されていた子供向けの新聞だ。一日一面(1ページ)の歴史漫画もあった。他にも四コマ漫画や色んなコラムがあったが、私が毎日楽しみにしていたのは、忍たま乱太郎と歴史漫画だった。
 忍たま乱太郎は説明不要だと思うので、歴史漫画について。
 これは日本史上の偉人を扱うもので、例えば聖徳太子や豊臣秀吉などが主人公になった。
 そして、どういうわけか「あや」という名のヒロインがいずれの主人公の場合にも登場し、時代を超える幾人もの「あや」は、必ず主人公の前で悲劇の死を遂げていた。。(:;)


 20.9.30(火)

 封切前に聞いた、スタジオジブリの新作崖の上のポニョの噂。

 「 人 の 顔 し た 、 毛 の 生 え た 、 謎 の 水 棲 生 物 」

 …。…転生前に描いた絵を思い出した。

 ありえないアリエル


 20.9.29(月)

 先々月半ばの話。
 野茂秀雄投手が現役を引退した。(:;)
 名将・仰木監督のもとで、おっきなオシリをくるりと回し、バッタバッタと三振に討ち取る姿が、つい先日のことのように脳裏の浮かぶ…。

 イチローや松坂など、現在進行形で神話を創っている選手もいるが、野茂もまた伝説だった。
 メジャーへ行ったとき、最初は反体制の悪役だった。無愛想で、ファンサービスも良いとはいえない野茂は、実力だけで人を惹きつけ、雑音を黙らせた。
 調子の悪いときはどうにもならずにメロメロになったが、調子のよいときの野茂のピッチングの爽快感ときたら…!
 その姿はファンに印象を深く刻んだし、大記録も残した。
 日本通算 78勝 46敗、メジャー通算 123勝 109敗、日米通算 201勝 155敗。
 メジャーリーグ日本人初の新人王、奪三振王、本塁打、
 そして、両リーグでのノーヒット・ノーラン―――。
 その偉業は計り知れない…。

 はじめてドジャースのユニフォームを見たとき、「なんや、中日のパクリやん」と思った。
 違った。中日がドジャースをパクっていたのだった。そんなことも知らなかった。
 そんな遠いメジャーの世界を野茂は、日常まで近づけてくれた。
 野茂は自身は、のちにメジャーを目指す後輩たちやファンの心も関係無しに、単純に上の舞台で豪腕を振るいたかっただけかもしれない。
 でも、それでいい。それが野茂らしい。不言実行が似合う男よ…。
 ありがとう、お疲れさま。さしあたっては、クールな解説を期待。


 20.9.28(日)

 3.5Lの白っぽいフーガ神戸323ふ1○-○○、
 どうして方向指示器を出さないのか。踏み切りで停止どころか減速すらすらしないのか。
 機械の故障か、中の人の故障かわからないが、不思議でならない。


 20.9.27(土)

 日記⑩ 9/12で扱った城崎での話。もうひとつのエピソード。
 (ちなみに、城崎は「きのさき」と読む。「しろさき」

 夕暮れに城崎についた。宿の予約はとっていない。
 とってなくとも、必ず、案内所でなんとかなってしまうのだ。
 その日は空き部屋が少なかったのか、設備の少なめの宿しかなかった。
 そして、そういう宿は、駐車場が街並の外れにあるのだ。
 ロープウェイ駅の裏の墓場、そのまた奥の駐車場に車を入れ、宿へ入り、汗を流した。
 その後、あちこち店をぶらぶらして、忘れ物を取りに車へ戻ったとき。

 …!?

 墓場に、墓石に、ぽんわり光が見える。
 私は動きを止め、目をみはった。
 少し動く。すると、光も動く。
 ゆらゆら歩くと、ゆらゆら光る。

 『ちょっとコレしゃれならんって!?』
 動揺を精一杯抑えて、逃げ……いや、確かめてみよう!
 一歩一歩、ゆっくり近づいた。
 それに応じて、ゆらゆら光る。
 そして、十数m進んだところで―――ガックリと、一気に息を吐いた。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花

 墓石だ。墓石の表面に、街中の家屋の光が反射していたのである。
 だから、こちらが止まれば、むこうも止まる。動けば、動く。
 それだけの現象だったのだ。
 脱力しきった後、それまで全身に異様に力が入っていたのが、初めてわかった。

 おすすめスポット タグ 城崎


 20.9.26(金)

 なぜだか急に、小学校のときに親戚のオッサンがカラオケで歌っていた歌を思い出した。

   ♪ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ まちこ~~ぉ~~
     ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ ま~ちこ~~ まちこ~~~ ♪


 前奏は、こんな感じの歌詞。
 この歌を知っているぞ、という猛者がおられたなら、ぜひ曲名をご教授願いたい。


 20.9.25(木)

 史跡系のおすすめスポットの強者たちのスポットを見て周るのには、ひとつの不便が伴う。

 何百件もアップしている場合、最初の1ページ目以外は、「次へ」をクリックしなければ見られない。ということは、南の地方になるほど、5回も6回も7回も、もっと「次へ」をクリックしなければならないのだ。これは非常に面倒くさい。

 スポットをアップするときは、最初に都道府県別の入力画面が表示される。
 閲覧するときも、都道府県別の選択画面が出てくれれば、巡覧も楽になるのにと思う。

 あ、こりゃみんカラに言うべきことか。


 20.9.24(水)

 史跡系のおすすめスポット…先に挙げたピズモ氏がたぶんみんカラで最たる達人だと思う(今までみんカラを徘徊した中では)のだが、他にも強者は何名かいる。
 交流はないけれど、例えば、犬出没注意氏はいろいろ細かく周ってる。
 私は地図見るのが好きな人だけど、強者たちのスポットを見て周るのも、面白かったりする。


 20.9.23(火)

 私は自分でも彼方此方周っている方だと思うし、史跡系のおすすめスポットの多さでは、みんカラの十指に入ると思う。
 しかし、私などまだまだヒヨッコである。
 知っているところでは―――みんカラのピズモ氏は、達人である。
 周った先の多さで私の10倍以上、訪問の密度でも3倍以上、質量勘案すれば私の30倍は、日本のいろんな土地・文化・歴史に接しているのではないか。

 そんな史跡めぐりの達人にも、山城攻めにおいて悩みがあった!
 【ピズモ氏のブログとコメントより】
  >夏の山城巡りは草や虫との戦い
  >クモの糸が苦手
  >アレルギーなので草も苦手

 おおお、やはり人の子だ!

 私の場合、スズメバチが最大最凶の天敵である。
 あの羽音を聞くだけで、背筋に悪寒が走る。
 住宅地にも巣をつくり得るくらいだから、少し山に入ったら、スズメバチの巣のある可能性はいくらでもあるのだ。

 他の虫は、やっぱり毛虫はイヤ。
 毛虫は、意外かもしれないが、頭上の樹木の枝からぶら下がっていることが多い。
 ちょうど顔の前あたりに、糸一本でぶら下がってブラブラしているのだ。
 こういうのは、前さえよく見ていれば事前に発見できる。
 毛虫より上の糸を持って、遠くにポイッ。おしまい。

 虫といえば、たまに少し開けた道で、ミチオシエに会うことがある。
 近づいたら数m先へ飛び、こちらを向いて着地する。それを繰り返す。
 それが、道を教えているようだから、ミチオシエ。
 一人ぽっちの山登りのときは、会うとなんだか和むことも。

 最近、但馬出石の有子山城へ登ったとき、眼前の毛虫はことごとく取り払ったのに、蜘蛛の巣にことごとく引っ掛かった。なぜに計算し尽くしたかのように顔の高さに…。
 草は長ズボンでかなり防ぐことができるし、毛虫や蜘蛛も注意すればだいたい見つかる。
 でもやはり、スズメバチだけはこれといって有効な策がない…。
 アシナガバチは知り尽くしてるから怖くないのだが、やつらだけは…。

 有子山城のあとに此隅山城へ登ろうとしたが、一本道でスズメバチに遭い、何分様子を窺っても退いてくれないので、攻略自体あきらめた。(:;)キライダ


 20.9.22(月)

 カマンベールとカマンベイベは、響きが似ている。


 20.9.21(日)

 日記⑩ 9/2に載せた2001年の落書きを、色塗りし直してみた。
 環境は、PCが違う(10年前のFMV → 2年前のDELL)が、ソフトと小道具はまったく同じ、フォトショップ5.0 リミテッドエディション(機能制限版)と、ワコムのタブレット(1万円未満のやつ)

【19】

 「さざきチャン、動物園で……よかったかなぁ? …っていうか、楽し…い?」
 「うん。さっきのフレーメン、巨人の上原選手にそっくりで…おかしかったよ」
 「え、フレーメン? 音楽隊? そんなのいたっけ…
 「ねえ、こっちのコーナーに入ろ」
 「え、『よるのどうぶつ』!? う…薄暗い…。…もしかして?」(ドキドキ)
 「こっちこっち、アルマジロだって。かわいい。でも、センザンコウの方が優美かなぁ?」
 「セイザンコウ? ああ、それ聞いたことあるよ。似たような鎧の動物だっけ」
 「セイザンコウじゃなくて、 セ ン ・ ザ ン ・ コ ウ ! 」
 「あっ、ごめ…」
 「こっちはフクロウ。シマフクロウは、アイヌでは『コタン・コロ・カムイ』っていう村の守り神なんだって」
 「ふぅん…」(イライラ)
 「隣がミミズク。耳みたいな眉毛みたいなのがピョンと出てるのが、ミミズクっていうんだよ。ミミズクもフクロウの仲間なんだけど、ナントカズクって名前のがミミズクの仲間」
 「へぇ~、そうなんだ…」(ドックン ドックン)
 「フクロウもいいけど、ミミズクの方が耳毛(?)がある分、もっとかわいいよね」
 「さざきチャン!」(プチン)

   がばーーっ

 「やーーっ、チカラズクは嫌っ!」


 テキトーに書いてたら、なんやようわからんオチになった。orz
 これまたテキトーにつけた「さざき」とは、ミソサザイという小鳥(野暮ったいスズメみたいなの)の古い呼び名。
 古事記の伝説中の人物には、鳥の名前がつけられることも多く、例えば、仁徳天皇の名はオオサザキ。その弟はハヤブサワケ、二人の腹違いの妹がメドリ。そして、オオサザキの臣・ヘグリノツク。
 オオサザキとヘグリノツクは、同日に生まれた。
 大君の子の方の産屋に木菟(ミミズク)が入り、また武内宿禰の子の方の産屋に鷦鷯(サザキ/ミソサザイ)が入ってきた。
 これを瑞兆と見て、主従の縁が深まるよう願い、験を交換して、皇子を大鷦鷯(オオサザキ)、武内の子を木菟(ツク)と名付けた。



 光の向きを左から右向き(→)に変えたが、服だけ右から左向き(←)のまま。致命的ミス。
 でもそのマヌケさが浮野の浮野たる所以なので、あえてそのまま。
 髪の表現は、今でもムズカシイ。どう描けば自然に見えるんだろう、と四苦八苦してる。

 右利きの者は、無意識に落書きすると、どうしても左向きの顔ばかりになる。
 プロの描く漫画ですら、正面以外はほとんど左向きばかり…ってのがある。
 だから、私は落書きするとき、意図的に右向きの顔も描くようにしてる。
 …とか、それっぽいこと言いながら、今まで描いてるのが頭部ばかりで、体の部分を描いた絶対量が少ないから、体を描くのを苦手にしてる。orz

 最近はイラストレーター使ってないから、使い方も忘れてるかも…。
 たぶん、専門的に絵を描く人は、イラストレーターやペインター使ってるんだろうなー…と思いつつ、やっぱりベジェ曲線に馴染めないのであった…。
 フォトショップは素人にわかりやすいドット絵で、修正は不便だけど、なんだか性に合う。

 なお、最近モノクロ画が多いのは、カラーで描くより圧倒的にラクチンだから。
Posted at 2008/07/17 20:24:17 | 日記
2008年07月05日 イイね!

日記 ⑩

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、十冊目。

 日記         


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.9.20(土)

 日記帳がいっぱいになった。。


 20.9.19(金)

 数ヶ月前の話。
 丹波立杭のドーノでのこと。

 隣には、上品な感じの五十代半ばの夫婦が座っていた。
 「まだか…」という声がかすかに聞こえたかと思うと、
 「 も う い い ! 」
 隣席の夫婦の旦那は、立ち上がって店を出た。
 「不愉快だ」と、捨て台詞を残して。
 
 店内、呆気にとられていた。
 隣席の奥さんが店の人におわびして、その数分後に焼け上がったピザを持ち帰り用にしてもらって、支払いを終えて帰っていった。

 こんな郊外の田舎の店に来ていながらピザの焼け上がるのも待てないようでは、残念ながらこの手の店を楽しむ適性は無い。
 否、飲食店に限らず、その土地の文化・空間を、時間を忘れて愉しむ余裕があるかどうか。

 大変なのは、尻拭いをする奥さんだ。
 いい大人が、なんと大人気ないことか。
 だから近頃の団塊は(以下省略)


 ドーノの公式サイトが、いつの間にか完成してた。


 20.9.18(木)

 コウノトリは赤子を運んで来る前に赤子を攫っているという噂。


 20.9.17(水)

 なんかもう止まらないので、ハトについても言及する。
 
  ハトがどうして平和の象徴なの?
  よく見ればグロテスクじゃない? …だなんて、もう突っ込まないから、

 お願い、 も う 増 え な い で 。

 フン害がひどいし、ビニール袋をガサガサするだけで完全包囲されるし、空を曇らせて飛び立つし、よく見ればグロテスクだし、もう大変。

 …といっても、消えて欲しい、というわけではなく、
 (これはカラスも含めてほとんどの生き物にいえることだが)
 人間がエサを与えないで維持できる生息数で充分、ということ。


 20.9.16(火)

♪烏なぜ啼くの 烏は山に
 可愛い 七つの子があるからよ
 可愛 可愛と 烏は啼くの
 可愛 可愛と 啼くんだよ
 山の古巣に 行つて見て御覧
 丸い眼をした いい子だよ ♪


 思えばカラスも哀れである。
 カラスの色が白ならば、現在ほど人々に嫌われただろうか。
 黒い生き物が不吉とされるのは洋の東西を問わないのか、黒猫も似たような扱いだ。
 黒色が、人間の本能に根ざした闇への恐怖を想起させるのだろうか。
 もっと、カラスの良いところを見つめ直そうではないか。

 【カラスの良いところ】
 ○ 賢い … 人間の罠なんてお見通し
 ○ 強い … 猛禽のトンビにも負けないぞ
 ○ 遊び心 … キラキラ、コロコロ、宝物あつめ
 ○ 可愛い … 集団の人間臭さは、サル山のサルに通じるかも
 ○ 鳴き声が美しい … カー カーアーハー アーハークァ クァ クァ、多彩な音色

 ちょっとこじつけっぽいが、魅力たっぷりだ。
 とにかく、イヌが賢けりゃ「お利口さん☆」といわれるのに、カラスだと「ズル賢い」と「ズル」を冠していわれるのは、あまりにかわいそうだと思うのだ。外してみよう、色眼鏡。


 20.9.15(月)

 頭より口の大きな燕の子

 先々月の話。
 ツバメ団地のひとつが、カラスの襲撃を受けて空き家になった。
 チョッピリ寂しくなったが、カラスもまた山で待つ子のためなのだろう。


 20.9.14(日)

 F.F.6のセリス(縒り戻し時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩8/30、9/6参照。

 ティナとロックは、シャドウとともに大三角島のサマサの村に立ち寄った。
 ストラゴス老人に幻獣の情報を聞き出そうとしても、まるで手応えがない。
 いや、それどころか、言動が不自然である。
 訝しがっているところに、突然、孫娘らしき少女が飛び込んできた。
 シャドウの番犬のインターセプターは、シャドウ以外に対して容易に心を許さない。
 しかし、この少女―――リルムは、子犬に対するようにインターセプターとじゃれ合って遊びだした。
 この村には何かある、と睨んだロックたちは、とりあえず一泊することにした。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 その晩、火事が起きた。老ストラゴスが助けを求めて駆け込んできたのだ。

 ストラゴス「リルムが! あの家の中にいるんじゃ!」

 現場に集まった村人たちは、なんと魔法を唱えて火を消そうとした。
 本来魔法が使えるのは、幻獣か幻獣の血を引く者、あるいは帝国の人造魔導士だけだというのに。
 村人総がかりの魔法でも火勢は衰えず、ストラゴスとティナとロックの三人で家屋に踏み込み、別口から侵入したシャドウに助けられ、リルムを救い出した。

 ストラゴスが言うには、サマサは魔導士達の村であるという。
 昔、魔石から魔導の力をとり出し魔法を使えるようになった魔導士。
 普通の人間たちは魔導士の力を恐れ、魔導士狩りをした。
 そのときに逃げ出した魔導士が、サマサの村をつくった。
 代を重ね魔導の力は衰えているが、なんらかの形でまだ残っている―――と。

 ストラゴスは、リルムを救ってもらった恩義から、ロックたちへの協力を申し出た。
 ティナとロック、ストラゴスの三人は、幻獣の聖地といわれる西の山を目指して出発した。
 シャドウは、自分のやり方でやる、と言い残し、一行から離れた。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 幻獣の聖地の山頂近い洞窟で、ロックたちは奇妙な像を見つけた。

 ストラゴス「三闘神とは、はるか昔この世界に魔法という力を生み出した伝説の神のことじゃ。三闘神は魔法の神。ということは、幻獣の作り主とも言えるわけじゃ。幻獣達は、三闘神の像を作って聖地にまつったという伝説があるが、ここがその場所なのじゃろう。三闘神は幻獣を生んだ後、戦いに疲れ、己の体を石化させて永遠の眠りについたという。その場所が、封魔壁の奥であると伝説は伝えとる」

 さらに奥へ行こうとしたとき、村に置いてきたはずのリルムが付いて来ているのを見つけた。
 ストラゴスは、眉をしかめながらも、やむなく同行を許した。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 洞窟の奥には、大勢の幻獣たちがいた。
 幻獣の視線は、入り込んだ四人に注がれ、四方囲まれてしまった。
 ティナは自ら幻獣化し、若き幻獣たちの頭目のユラと交渉した。

 ユラ「幻獣界には、こちらの世界に来てはならぬと言うおきてがあります。でも魔石化された仲間を助けるために若者達が扉の前に集結したのです。その時にティナの姿が…」
 ティナ「私も感じました。あなた達の想いが、扉の中から…」
 ユラ「ティナが扉を開けてくれた事で外に出ることができました。しかしこちらの世界に出たとたんに自分の力をコントロールできなくなってしまったのです。そのために、一つの都市をメチャメチャに破壊してしまい、罪の無い人達まで…」
 ティナ「私と同じだわ…突然手に入れた力をコントロールできなくて…」
 ストラゴス「おそらく幻獣はあちらの世界では力がある程度おさえられる傾向があるのじゃろう。それが突然開放されたために…」
 ユラ「幻獣によっては精神に失調をきたし人に危害を加える者も…本当に申し訳ない」
 ロック「帝国も幻獣達との和解を望んでいる。どうだ? 俺達と来ては」
 ユラ「……我々を、許してくれるのか?」
 ロック「ああ。…サマサの村へ行って、レオ将軍たちと合流しよう」

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 サマサの村に、シャドウを除く全員が集まった。

 ロック「レオ将軍」
 レオ「おお、ロックか。幻獣達に会えたようだな。手間をかけた。さて、私は、帝国の将軍、レオ。あなたの名前をうかがいたい」
 ユラ「私は、ユラ。我々はあなた方にとんでもない事をしてしまった。許してくれなどと言えた立場では無いかもしれないが……」
 レオ「わかっている。おかした過ちを責める気はない。逆にあなた方の戦争のための力としてしか考えてなかった自分を恥じる。魔大戦の過ちを再び引きおこうそうとしていた自分達を……」
 ユラ「そう言ってくれるとありがたい」
 「なにも言わないで」
 ロック「これで俺達の役目も終わる。本当の平和が訪れるかもしれないな」
 セリス「戻りましょう、ベクタへ」
 ロック「セリス……」
 セリス「なにも言わないで」
 リルム「おあついね…」
 ストラゴス「若さ、じゃのお」


 結局縒りを戻したロックとセリスなのでした。チャンチャン。
 前回とほぼ左右対称なだけの構図になってしまった。。背後のは、蛇括神憑分ではない。
 リルムとセットでストラゴス翁も描き込むはずだったのに、描く前に萎えた。orz
 リルムは作中10歳の幼女で、宙に敵の似顔絵を描いて、その生きてるかのような絵に敵を攻撃させる、というピクトマンサー。意訳すれば、絵描き魔導士?


 20.9.13(土)

 先々月のニュースの話。

4か月のチワワ「怖い」とけり殺す、44歳男を逮捕
>散歩中の他人の愛犬をけり殺したとして、愛知県警は15日、名古屋市千種区清住町、会社員田中善行容疑者(44)を器物損壊の疑いで現行犯逮捕し、名古屋地検に送検したと発表した。
>発表によると、田中容疑者は今月13日午後4時45分ごろ、同区覚王山通の歩道で、男性会社員(40)が連れていた飼い犬を右足でけり、死亡させた疑い。犬は生後4か月の雄のチワワで、動物病院に運ばれたが、内臓破裂のため間もなく死亡が確認された。
>田中容疑者は右足で思い切りけった後、歩いて立ち去ろうとしたが、目撃していた男性会社員(47)に取り押さえられた。調べに対し、「犬が怖かった」などと話しているという。


 このニュースの見出しが、さも意味有り気に―――4か月のチワワ「怖い」―――とある。
 どんなイヌでもネコも、たとえ手のひらサイズの小ささでも、怖いものは怖い。
 「もし争っても必ず人間が勝てるから、小型犬が怖いだなんて有り得ない。虚言に決まっている」…と思う人もいるかもしれないが、私は「有り得る」と断言する。
 そりゃあ、いざとなればねじ伏せることができても、そんな乱暴ことや殺生なことは好き好んでしたくないし、第一、先ず最初に噛まれたり引っかかれたりするのが嫌なのだ。

 こんなとき、たいていの飼い主が無神経に言う言葉―――「ウチのイヌは大丈夫」
 いや、あなたのお墨付きなど、当人にとってはなんの保証にもならないから。
 噛む“かもしれない”という予感だけで、果てしなく恐怖なのである。
 傍目には「小型犬にじゃれつかれた」だけでも、「噛まれる、襲われる! 痛いのは嫌だ!」と瞬間的に考え振り払おうとする―――それは決して異常な反応ではない。生物として当然の反応ですらある。それが足許にいたなら、足をバタバタしているうちに蹴飛ばしたり、踏んづけたり、巻き込んでしまうこともあろう。

 ただ、この44歳男が本当に「犬が怖かった」かというと、ウソだと思う。
 なぜなら、恐怖心に駆られての行為なら、もっと動揺してしかるべきだからだ。
 かなりの力を込めて右足で蹴った後、歩いて立ち去ろうとしている。
 証言が限定的だから断定までできないが、態度が落ち着いている。
 正当防衛とは言えぬ無闇な殺生は、非難されてしかるべきだろう。

 チワワの飼い主の男性に、もし非があったとすれば、
  ① リードを外している場合(本来は、自邸の庭ですら外すべきではない)
  ② 人が近づいてもリードを伸ばしっぱなしの場合
 …だと思う。
 ①は、論外。イヌの大きさにかかわらず、町を混乱に陥れる行為と言っていい。
 ②でも、充分無神経と言える。小型犬がじゃれるだけでも怖いものは怖い、というのは既に上で述べた通りだ。
 この点をキッチリしてこの事件に巻き込まれたのなら、まことに気の毒と言うしかない。

 私はイヌやネコの存在そのものが憎いわけではない。
 親戚の気心の知れたイヌなら思い切り撫でてやって可愛がる。
 それに見目愛らしいから、写真とか、遠目で見る分はいい。
 しかし、自分自身が意図せぬ接触は、御免蒙りたい
 そういう人間もいることを、動物の飼い主は知るべきだろう。


 20.9.12(金)

 PCの中にケータイの写真データがあった。
 そのうちのひとつ、数年前の城崎にて。

 ← 健忘症で自問自答という設定

 城崎に一体いつ来た 昨日? さっき?

 入選等したなら、何らかの発送をもって判明するはずなのだが。
 今日に至るまで、何のいらえも無い。

 おすすめスポット タグ 城崎


 20.9.11(木)

 先々月の話。
 デカンショ街道(国道372号線)の今田~三草間で、窓から右腕を出したパトカーとすれ違った。職務中に運転する姿勢ではないだろう、と思った。


 20.9.10(水)

 おすすめスポットを更新した。

 摂津の宝塚は、阪急電鉄の宝塚線と今津線がつながる要所で、宝塚歌劇団で有名。
 地形的には、山の渓流から平野部に現れた武庫川の扇状地
 北の山地―――長尾山系は、隣市川西の猪名川まで続き、
 西の山地―――六甲山系の余波(?)の山々が続き、最後に甲山(西宮市)で終わる。
 宝塚の山地や甲山からは、天気次第で生駒山、二上山、葛城山、金剛山まで見渡せる。

 ↑ 中央やや右の山が、生駒山。二上山は、枝が邪魔して見えない。


 摂津の多田を本拠としていた多田源氏にとって、宝塚の山奥にあった波豆(はず)庄は重要な後背地だった。源満仲の武勇伝として、普明寺の龍馬神という伝承がある。
 波豆の里は摂津多田源氏の所領で、 山の幸豊かな土地。
 多田に住まう源満仲は、いつも決まった時間に巡視の馬を走らせていた。
 その日、多田を離れ、渓流に沿って山から谷へと馬を走らせているうちに、ふと気づくと家来とはぐれ、ただ一人、山の奥深く迷い込んでしまった。やがて日が暮れ、満仲は大木の根元に馬の鞍を降ろし、野宿した。
 昼の疲れでぐっすりと寝込んでいた満仲は、 女の声で目を覚ました。
 「私はこのあたりに住む千年の齢を経た龍女でございます。あなた様は武勇の誉れ高い源満仲様とお見受けし、お願いがございます。この山の麓にある大沼に大蛇が住みついているのですが、この大蛇は獣は手あたり次第に飲み込んでしまうわ、暴れまわるわで、ホトホト困っております。どうぞ大蛇を退治していただけませぬか。そのために、どうぞ私の馬をお使い下さい」
 言い終わるや女は、姿を消した。
 跳ねおきた満仲が目を凝らして見ると、闇の中に一頭の立派な馬が立っていた。
 長い尾を持ち、二本の角を持った、宙を駆けることもできる馬だった。

 大蛇が住むという大沼の上に来た満仲は、水面を見すえ、弓を引き絞るや、沼の中央をめがけ、ヒュッと矢を放った。
 瞬間、沼がパッと赤く染まり、大木のような大蛇が、しぶきと共に舞い上がった。
 大蛇は爛々とと目を見開き、大きく裂けた口から火炎を吐いた。満仲は身をひるがえすやいなや、右の目をめがけて矢を放ち、続けざまに左の目をも射抜いた。
 満仲は、とどめに頭上をめがけて力いっぱいに太刀を振り降ろし、大蛇は断末魔の叫びをあげ、 沼の底に沈んでいった。

 源満仲は、84歳で世を去った。
 家臣たちは、主人を亡くした龍馬を、昔住んでいたといわれる多田の聖山に放った。しばらくして様子を見に来た家臣は、長い尾をなびかせ、木々の間をかけ抜けていく龍馬を見て、尾を束ね、短くしてやった。
 すると、あれほど強くすばやかった龍馬は、いとも簡単に野生の馬に食い殺されてしまった。
 家臣たちは、龍馬の亡骸を、滝の落ちる美しい場所に丁重に葬り、その場所に 塚を建て。その塚を「駒塚」と呼び、近くに落ちる滝を「駒が滝」という。

 それから500年ほどの後の世。
 波豆の普明寺の住職に、玉岩和尚という人がいた。
 ある晩のこと、異様なほどの風が吹き荒れ、寺の見回りをしていた和尚は駒塚のある山の方で、一筋の不思議な光を見た。
 和尚は光を求めて山中に入り、駒塚の前に来ると、 供養のための経を唱えた。
 すると、大粒の雨が降り始め、またたく間に大地を叩きつけるような激しい雨に変わった。
 和尚は、経を唱え続けた。すると突然、馬の嘶きにも似た落雷とともに駒塚が真っ二つに割れ、龍馬の首が飛び出したのだ。
 「この馬の首は、満仲公の武伝、大蛇退治の際の龍馬の首に相違ない。雲を呼び、嵐を起こして天に昇ろうとしたのであろう」
 …と、寺に持ち帰り丁寧に弔った。そして、龍馬の首を本堂に祀った。

 その翌年、波豆の里はひどい旱魃に見舞われた。
 「雷雨の中から飛び出した龍馬が、普明寺にある。雨乞いをしてみよう」
 …と、里人はすがる思いで普明寺に行き、雨乞いの呪文を唱えた。
 すると、たちまち雲が湧き、大粒の雨が降り出し、枯れていた田畑は潤ったのだった。
 「これぞまさしく、八大龍王の使いと言われた雨を呼ぶ 龍馬神に違いない」

 この龍馬神の霊験はあらたかで、その後、雨乞いの神事にもしばしば使われ、 近年では昭和13年と23年の旱魃にも行われ、必ず雨が降り村を救ったという。
 その雨乞いの呪文とは、トジト ソロソロ シュリシュリ スリョスリョ ナギャナン ジャバジャバ ジビジビ ジョブジョブ ……

 波豆ばかりでなく、丘から平野部にかけての中筋、山本の郷も、多田源氏の被官の領地。
 郷土史の資料によると、中筋は渡辺氏(渡辺綱で有名)、山本は坂上氏の所領だったという。
 渡辺綱(わたなべのつな)は、源頼光の四天王。鬼の腕斬りや大江山の鬼退治で名高い。
 山本には、坂上氏が祖先の坂上田村麻呂を祀った松尾神社がある。(奥州三春の田村氏も、坂上田村麻呂の子孫を自称する。坂上田村麻呂も伝説が多くある)
 この社を創建したのが、浦辺太郎坂上季猛(うらべたろう さかうえのすえたけ?)。
 もし、浦辺太郎坂上季猛が卜部季武(うらべのすえたけ)と同一人物だとするなら、山本もまた源頼光の四天王の治めた郷ということになる。
 もっとも、伝説は飽くまで伝説であって、荒唐無稽なフィクションも多いのだが、それだけに話が面白く、そしてそういう伝説のモデルとなった人物が同じ摂津の平野に住んでいた事実が、いっそう面白い。

 丹波の柏原は、多紀郡の篠山の北西の盆地で、氷上郡に属し、「かいばら」と読む。
 柏原の字は他にも多くの読み方があり、かしわら、かしはら、かしわばら…とややこしい。
 有名なところでは、大阪府の柏原市の柏原(かしわら)が知られ、その大阪府柏原市の15kmほど東の奈良県橿原市の橿原が「かしはら」なのだから、ごっちゃにするな、と言う方が無茶。
 なお、丹波の柏原は、昔は「栢原」の字を書いた。柏も栢も、「かしわ」の意味は同じ。

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 20.9.9(火)

 日中は冷房ガンガンの生活の中、健康に留意するには…発汗機能を休ませないことが大事。

 帰宅してから23時頃にお風呂に入るまで、エアコンや扇風機は一切つけない
 水やお茶を飲むも良し、パンツ一丁になるも良し、ほとんどサウナ状態。
 本当のサウナなら、90℃もあれば15分くらいしか持たないが、タダサウナはせいぜい35℃程度なので、その気になれば何時間でも持つのだ。
 23時になれば、部屋のエアコンを入れてから、お風呂で汗を流す。
 もちろん、23時から電気代が安くなることも考慮している。
 風呂あがり…エアコンが29~28℃の設定でも、極楽かと思うほど涼しい。
 なお、この夏の夜、市販のアイスの類は食べていない
 暑いときは、普通の製氷機の氷をほおばる。なに、味がないだけだ。
 これに慣れると、アイスを買うのがアホらしくなる。

 体は暑さに慣れ、電気代も安上がり。アイス代も丸々浮く。我ながら素晴らしい一石三鳥。


 20.9.8(月)

 先々月、多可郡多可町の喫茶兼洋食屋の古時計へ行ったときの帰り道の話。

 古時計の近くのAコープ(←ちょっとFSS思い出した)の駐車場には焼き鳥屋があり、その焼き鳥屋が鶏肉(脂身の使わない部分?)を駐車場の隅に放り出していた。(常のことだろう)
 たちまちトンビ勢力カラス勢力が召集をかけ、交互に舞い降り、死肉をむさぼった。
 そして、それをネコ勢力が虎視眈々と狙っていた。う~む、鶏肉三国志

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 20.9.7(日)

 トンビとカラスは、空の覇権を争っている。


 20.9.6(土)

 F.F.6のセリス(大三角島突き放され時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9、日記⑩8/30参照。

 朝、準備万端整った一行は、大三角島へ出航した。
 航海は順調に進み、夜―――。

 レオ「寝つけないのか? 感情が戻ったそうだな…」
 ティナ「……不思議なものね。帝国に利用され、思考までをもコントロールされていた私が、こうしてまた帝国の人間とともに行動しているなんて」
 レオ「帝国の人間とて、同じ人間。全てがケフカのようなヤツばかりではない」
 ティナ「あなたは……どうなの?」
 レオ「お前が幻獣とのハーフであり魔導の実験台として苦しめられているのを知りながら…それを止められなかった俺も、ケフカと同罪さ…」
 ティナ「幻獣と人間が愛し合えるのなら…その子である私と人間とは…愛し合えるのかしら?」
 レオ「もちろんだとも」
 ティナ「でも…私はまだ愛という感情を知らない」
 レオ「お前はまだ若い。……いずれ、わかるようになる」

 レオ将軍は、ティナの肩をたたき、部屋に下がった。

 ティナ「でも…。私は、今知りたい……。…誰!?」
 シャドウ「星を見ながら寝ようと思ってな」
 ティナ「今の話……聞いていたの?」
 シャドウ「聞くつもりはなかった」
 ティナ「あの…」
 シャドウ「俺は、何も教えてやれん。答えは自分で見つけるものだ。ティナ、世の中には、自ら感情を捨てて生きようとする人間もいるのだ。それを、忘れるな」

   バタン

 ロック「うぅ、ぐるぢひ~……ウッ」
   ゲパァーーーッ!
 ロック「なんてこったい…世界一のトレジャーハンターともあろうものが……ウッ」

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 明朝―――。
 「あの、私……」
 レオ「もうすぐ大三角島だ。上陸したら二手に別れよう。私とセリスが組むから、ティナはロックとシャドウと組んでくれ。幻獣の手がかりを見つける事ができたなら、すぐ報告をするように。…ティナ、昨日の話の続きは、また再会の時に…」
 ロック「俺達も行くか」
 セリス「あ、ロック…あの、私……」
 ロック「ティナ、シャドウ、行くぞ」

 セリスは言葉を失って崩れ落ちた。ティナは途惑うばかりだった。


 波のように寄せては引き…。おそるべしロックの駆け引き(?)。
 毎回セリスの表情が異なるのは、気のせい。いや、気のせいではない。
 セリスに対する解釈を毎回変えているから。いや、ちょっとそれらしく言ってしまった。うそ。
 実際は、浮野の落書きなんざ所詮その程度、というだけの話である。orz


 20.9.5(金)

 一たび外出すると23%くらいの確率で社会の窓が開いている自分に絶望する。


 20.9.4(木)

 昨夏、和歌山へ行ったときの話。
 和歌山城の石碑のひとつに、童謡(?)の詩が書かれたものがあった。↓

 相方に「アレ、何て書いてあるの?」と言ったら、三秒ほど眺めた後、ウッと手を口に当てて、口をつぐんだ。
 「どうしたん? 何て書いてあるん?」
 「てんてん手鞠は、殿さまに……」
 「ふ~ん。で、なんでスグ言えなかったん? 最初、何て思ったん?」
 「……」
 「なーなー、何て思ったん?」
 「もー!」   バシッ

 しまった、ほとんどセクハラだったか。しつこすぎたようだ。
 本題のこの詩は、「♪ てんてん手鞠(てんまり) てん手鞠(てまり)♪」という出だしの鞠と殿さま
 手鞠がポーンと飛んでって、紀州の殿さまの籠の上に乗って東海道を旅し、紀の国へ行った―――という内容。ぶっちゃけて言えば、手鞠の大冒険

 ところかわって、根来寺(ねごろじ)。
 根来寺の駐車場には、にゃんこがたくさん住みついて、車の周りをニャーニャーたむろ。
 あるにゃんこは、先代レガシィのホイールハウスの中に立って、ガリガリ。爪とぎ。

 あ~あ、私は知らないっと。車を出すときは、下を確認して轢かないようにしないと。。

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 20.9.3(水)

 蚊に刺された場合に最も有効な対処は、掻かない(刺激しない)こと。


 20.9.2(火)

 PCの奥にあった古い落書きを見つけた。
 日付けは2001年3月、データ名は「ちょい描き」(←?)。
 たぶん水性ボールペンの落書きをスキャナーで取り込み後、フォトショで色塗り。


 使用ソフトは、今もこのときもずっと一緒。
 スキャナーか何かに添付してた、フォトショップ5.0 リミテッドエディション(機能制限版)。
 この頃は、髪の表現に一番苦労してた。今もなお課題だけど。


 20.9/1(月)

 先々月のニュースの話。

遅刻83人にゲンコツ、宇和島の中学教諭…行き過ぎと謝罪
>愛媛県宇和島市の市立中学校の男性教諭(41)が、学年集会に遅刻した2年生の男女83人全員の頭をゲンコツで殴っていたことがわかった。うち生徒7人の頭にコブができ、男性教諭は「行き過ぎた指導だった」と、保護者らに謝罪したという。
>学校側によると、男性教諭は今月3日、2年生の生活態度について指導するための学年集会で、生徒が集合時間に7分遅れたことに腹を立て、全員を正座させたうえ、一人ずつ順番に殴ったという。ほかの教諭6人が制止しようとしたが、止められなかったという。
>同中学の校長は「情熱的な指導の教諭だが、生徒に痛い思いをさせてしまい申し訳ない。再発防止に努めたい」と話している。


 笑ってしまった。
 学年集会―――団体行動は時間厳守、常に5分前に行動して然るべきを、7分遅れ。
 頭にコブくらいは、常識一つ学んだ代償として、ちょうど見合うのではないか。
 生徒に痛い思い…再発防止…、これは生徒の少しの意識付けで、完全に解決ですね、ハイ。


 20.8/31(日)

 PCから、普段はしない変な音が出てる。orz
 ハードディスクかな? まだ丸二年なのに。。


 20.8.30(土)

 F.F.6のセリス(アウブルク再会時)を落書きしてみた。
 日記② H19.10/30、10/31、11/1、日記⑨ H20.8/1、8/9参照。

 リターナー一行は、ティナの眠るゾゾに集まった。
 そして、ロックたちが持ち帰った魔石のひとつに反応に、目覚めた。
 ティナ「お父…さん…? 思い出したわ。私は幻獣界で育った」

 ティナの父は幻獣のマディン。
 かつてマディンは、幻獣界の入口付近に倒れていた人間の女・マドリーヌを助けた。
 人間と幻獣は相いれない生き物―――そういわれる中、二人は惹かれあい、結ばれた。
 その愛の結晶が、ティナだったのだ。

 二年後、幻獣界に再び人間が訪れた。魔導の力を狙うガストラ皇帝とその軍隊だった。
 幻獣たちはガストラの侵入を防ぐため、一切の異物を追い出すという封魔壁を発動させた。
 しかし、侵入者ばかりか赤ん坊のティナが放り出され、それを追ってマドリーヌも幻獣界を飛び出した。
 幻獣界から排除されたガストラ皇帝であったが、マドリーヌの腕に抱かれた赤子が幻獣との混血であることを察し、マドリーヌを殺してティナを奪った。そして、ティナは生来魔法の使える魔導戦士として、ガストラ帝国の洗脳を受けて育ったのだった。

 ティナは自分の出生をはっきりと悟り、幻獣としての力を制御できるようになった。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 一行は、ナルシェに置かれていたリターナーの本部に戻った。
 ナルシェとフィガロの連合だけではガストラ帝国に抗し得ないと結論したリターナーは、幻獣の力を借りることを発案した。

 バナン「帝国の東にある封魔壁を開き、幻獣達がそこから帝国に攻撃をしかけるのと同時に、我々が北から攻める。そのためには、幻獣を説得しなければならん。…幻獣と人間の間にもう一度、絆をつくる…。その役目ができるのは―――」
 ティナ「人と幻獣…相いれぬものならば、私は生まれなかった……。 私がやる、私にしかできない!」

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 飛空挺で帝国の東の峻険な山に辿り着いたティナたちは、溶岩の煮えたぎる長い洞窟を抜け、封魔壁の前に立った。

   ヒーーーッヒッヒッヒ!

 なんとしたことか、ケフカにつけられていた。

 ケフカ「ガストラ皇帝のおっしゃっていた通りだ! ティナを帝国に刃向かう者に渡し、泳がせれば封魔壁を必ず開く…。つまり、我々の手の内で踊っていたに過ぎないのだよ!」
 ティナ「幻獣たちよ…私を受け入れて……」

   ゴゴゴゴゴゴ…

 幻獣の群れは封魔壁を開き、猛り狂って帝国を襲った。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 帝国の首都ベクタは幻獣の襲撃を受け、炎上していた。
 戦意を喪失したガストラ皇帝にシド博士が説得を試み、リターナーとの和平会談が催された。
 長い会談の末、皇帝が戦いの終わりを誓うと同時に、幻獣たちが飛び去ったという大三角島へ、幻獣の血を引くティナが和解しに行くこととなった。
 帝国の魔導士・ケフカは、ドマ国攻略時に毒を用いた罪で、牢獄に入れられていた…。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 大三角島の幻獣との説得のため、リターナーからティナとロックが選ばれ、港町アルブルクに向かった。
 帝国から出された人員は、人格者で知られるレオ将軍と―――。
 「………」
 レオ「私と同行するのは帝国の将軍一人と、街で雇った男一人だ。紹介しよう、セリス将軍とシャドウだ」
 ロック「!」
 レオ「どうかしたのか?」
 ロック「いえ…」
 レオ「さて、出港は明日だ。宿の手配はしているから、今日はゆっくり休んでくれ」

 ティナ「セリス……」
 セリス「……」

 ロックはセリスに話し掛けようとしたが、セリスはその場を早足で立ち去った。

△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽

 深夜、宿屋から出る影があった。港町の石畳に、ふたつの影が映った。

 ロック「セリス…。どうして、どうして何も話してくれない? 少しでも…疑ってしまって…。だが、まだ仲間として…」

 セリスは目をそらし、背を向けた。。

 ロック「セリス!」

 一瞬瞳を閉じたセリスは、何も言わず去った。


 考証はしてないので、レオ将軍とシャドウは、ゲーム画面のドット絵を思い出して描いた。
 レオ将軍の服はローブっぽいのかな。やはりあの髪型はモヒカンにしか見えない。
 それにしても、セリスはなんてけしからんコスチュームなのだ。うむ、けしからん。
 相変わらず、野郎は描く気が起こらない…。その分、 セリスの臀部に情熱の八割をそs
 

 20.8.29(金)

 フィギュアスケートに使用されたことで一躍有名になったユー レイズ ミー アップは、もともとロンドンデリーの歌という民謡だそうだ。日記① H19.7/19参照。
 確かに、ほとんど一緒……僅かに編曲した程度。

 【試聴】ロンドンデリーの歌(Londonderry Air) 怨霊注意

 ついでに、英語の歌詞をヤフーので翻訳してみた。
 なにせ、私の英語力は0なのだ。日記③ H19.12/27参照。

 私がひねくれた大枝Toから優しいリンゴ花Thatフロートと滝であった神が、あって、そして、それとしてのあなたの絹の胸が現在するあなたの絹の胸Withinの中で気絶します。
 あるいは、私は少しのburnish'dリンゴForでした、あなたが芝生のローブを着させる太陽と陰が芝生のYourローブをまだらにするように冷たいWhileとあなたによって髪の引き伸ばした金をすべらせて、私を選び出すあなた。

 然り‖私がThatがあなたが芽が開ける最も低い枝の上でWhileの間で浮いて、あなたにキスするためにたてかけるバラの内の一った神に、A芽は、あなたに触れるために、女王を開けます。
 あなたが好きでない時から否、私はA幸せなヒナギクを栽培していました、あなたの銀の足が私を押すかもしれないように、庭園の経路Thatにおいて、行っているMightは死にさえ行って私を押します。


 なんという電波な恋歌(?)であることか。


 20.8.28(木)

 おすすめスポットをアップした。
 播磨の小野&加西&多可郡、摂津の伊丹。日記⑨ 8/12参照。
 まあ、なんというか……本当に、播州が庭って感じだ。。
 イチオシは、長明寺。源頼政の鵺退治。ここの鵺の像の躍動感が大好き。

 あわせて20件消化したのだが、新たなスポット用の写真を21件編集し終えた。
 なかなか減らない…。orz

 次の紀行は、但馬の方。こまめに書いておこう。
 ちなみに、私はおすすめスポットや長文を書くときは、PCのメモ帳を使う。
 wordなどは、機能過剰だ。フォントもへったくれもなく、とにかく書く。
 ふと思いついたことがあれば、ケータイにメモる。
 場合によっては、それを自宅のPCに送信後、PCのメモ帳に転記。
 だいたい書きたいことをメモ帳に書き出したと思ったら、あとは推敲。
 ボチボチできたところで、アップする。
 でも実際は誤植が多いので、アップ後に通読して校正してる。(:;)

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 20.8.27(水)

 何年も前の話。
 ラジオで流れてた歌の歌詞に、

   外国で飛行機が墜ち
   アナウンサーは嬉しそうに
   「乗客に日本人はいませんでした」と言いました


 って意味のがあった。
 しかしこれは、日本人の安否の報道の意味を取り違えている。

 日本のどの世帯に、その地へ家族が行っているという世帯があるかもしれない。
 そういう残された家族は、直接連絡がとられない限り、この手の報道でしか旅先の家族の安否を知り得ない。
 「乗客に日本人はいませんでした」の報に、家族は無事だったと安堵し、また、
 「名簿にはウキノウキオという日本人名が…」の報に、浮野一家は覚悟を決める。

 日本の家族の単位を重視している(心当たりのある家族のため)とは言えようが、
 日本人と他国人の命の軽重の問題ではない。
 わざわざこういう意味に捉える作詞者を、哀れに思った。


 20.8.26(火)

 何年も前の話。
 ラジオで流れてた歌の歌詞に、

   何十年 何百年 何千年 何万年 何億年 何光年

 ってのがあった。
 しかし、「光年」だけは、時間ではなく距離の単位なのだが。。


 20.8.25(月)

 カマキリだ、と思ったら大阪ガスだった。


 20.8.24(日)

 以前、志方から姫路方面を周ったときの話。日記⑧ 7/13参照。
 志方(しかた)と平荘(へいそう)の間に、投松という地名があった。
 読みは、「ねじまつ」。妙に印象に残った。

 後日、相方の情報が入った。(情報源は、たいてい神戸新聞の地方欄らしい)
 内容は、投松の地名の由来。ずばり、

 一乗寺から法道仙人が放り投げた枝が松になった―――という伝説。

 法道仙人とは、天竺から紫雲に乗ってやって来た仙人
 もちろん、実在性は限りなくあやしい。これが播州では幅を利かせていて、法道仙人がひらいたと伝わる寺が播州中にあるのだ。
 私が行った中で思い出せるだけでも、これだけある。↓
  花山院(兵庫県三田市):西国三十三番の番外、日記⑨ 8/3参照
  光明寺(兵庫県加東市):足利尊氏・直義兄弟の対峙した古戦場 
  播州清水寺(兵庫県加東市):西国三十三番の第二十五番、日記⑦ 5/10参照
  一乗寺(兵庫県加西市):西国三十三番の第二十六番


 摂播には、聖徳太子伝説や行基伝説が多いから、これくらい突き抜けた人物(仙人)が加わっても別に不都合はないかもしれない。心おおらかでありたいものだ。


 20.8.23(土)

 何ヶ月も前の話。
 私学のやんちゃそうな小学生の男の子が、同じ学校の女の子に向かって叫んだ。

 「 お ま え の お っ ぱ い 、 何 セ ン チ ー ー ! ? 」

 素直に聞ける素晴らしさ―――ああ、うらやましいな、と思った。


 20.8.22(金)

 相方が、前を走る車を見て、
 「なんであんな取っ手つけてるんやろ?」

 どうやら、リアウイングのことを言っているらしい。
 「ヒョイって、持ち上げられそうやなぁ」
 まだ言っている。 

 「それがカッコイイ思て付けてる人もいはるんやから、あんまりそんなこと言わない」
 …と無難に返答したが、内心は、自由な発想に舌を巻いてたりする。日記② H19.10/20参照。


 20.8.21(木)

 オニバスとオムニバスは、字面が似ている。


 20.8.20(水)

 先々月下旬の話。
 京都の松尾大社、八坂神社、京都国立近代美術館(ルノワール+ルノワール展)、平安神宮、金戒光明寺、会津墓地へ行った。

 松尾大社は、京都盆地の西の山のふもとにあり、オオヤマクイとナカツシマヒメを祀り、大神神社(8/18参照)とともにお酒を司る神社として有名。
 オオヤマクイは、スサノオの子のオオトシ(大歳/大年神社に祀られる)の子で、古事記に「近淡海の国の日枝の山に坐して、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用いる神」とある。
 鳴鏑を用いる神―――。
 賀茂神社にまつわる話で、こういうのがある。日記⑤ 3/31参照。
 カモタケツノミの娘のタマヨリビメが川遊びの最中に流れてきた丹塗りの矢(丹は、丹生。つまり、朱。朱塗りの矢)を拾い持ち帰り、そばに置いて寝ると、なんと懐妊してしまった。子はのちのカモワケイカヅチ、上賀茂神社の祭神である。
 また、日向から大和の東征に成功したカムヤマトイワレビコ(神武天皇)の妃のイスケヨリヒメが神の子である由来として、こんな話がある。
 三島(茨木周辺)のセヤダタラヒメは、姿かたちのうるわしい乙女だった。
 その乙女を、三輪山のオオモノヌシが一目惚れしてしまった。
 美しいセヤダタラヒメが厠に入ったとき、オオモノヌシは丹塗りの矢に姿を変え、厠に伝わる溝を走り、まさに大便をしようする乙女のホトに突き刺さった。
 慌てふためいた乙女は落ち着きを取り戻し、矢を持ち帰って床のそばに置くと、矢はうるわしい男の姿となって、二人は契りを交わした。そして生まれた子が、ホトタタライススキヒメ。
 しかしヒメは、名にホトとつくのを嫌がって、ヒメタタライスケヨリヒメと名を改めた。

 丹塗りの矢の話は、“神が人間の娘に子を孕ます”というひとつの類型だが、オオヤマクイも同類の話があるのだろうか。
 ナカツシマヒメとは、社伝によればイチキシマヒメの別名らしい。
 イチキシマヒメは、タキツ、タギリとともに宗像三女神の一で、海上の安全を司る。
 言い忘れていたが、松尾大社の松尾は「まつのお」を読む。


 八坂神社は、スサノオを祀る神社であり、そのスサノオに習合される前の神の姿―――牛頭天王(ごずてんのう、祇園精舎の守護神、疫除の神)から祇園さんとも呼ばれる。
 蘇民将来の話にちなんだ疫除の八角木守を販売しているが、牛頭天王の信仰については、先ず播州の廣峯神社から分祀されたのだろう。日記⑧ 7/13参照。

 京都国立近代美術館で開催されていたルノワール+ルノワール展を見た。
 画家の父が描いたモチーフを、映画監督の息子が映画の場面々々で採り入れていたとか。
 まあ、オマージュというやつだろうが、親子だからこそ可能なことかもしれない。
 ルノワール(父)のブランコに乗った女性の画をモデルにしたリカちゃんが販売されていた…。

 京都国立近代美術館の最上階(?)から、東の方面がよく見えた。
 平安神宮の鳥居と、その左遠方の丘に黒谷の金戒光明寺が見える。


 平安神宮は、平安京を拓いた桓武天皇と平安京最後の孝明天皇を祀る。
 維新後に明治政府によって大規模につくられた神社のひとつで、個人的には惹かれるものはない。(他に、橿原神宮など)
 平安神宮は、時代祭で有名で、京都の三大祭として他に賀茂神社の葵祭(賀茂神社の紋は、立葵)、八坂神社の祇園祭がある。
 時代祭は、室町時代の行列は吉野時代(楠公その他)のみで、室町幕府関連の行列が加えられたのは昨年のことである。どうせ、足利は逆賊だから、という発想だろうが、料簡の狭いことこの上ない。

 金戒光明寺は、「こんかいこうみょうじ」と読む。
 浄土宗の大本山であるが、歴史の表舞台に出てくるのは、幕末のことである。
 京都の治安は急激に悪化していた。
 尊皇や攘夷、倒幕を叫ぶ者どもが、見境なく強盗や殺人などのテロルを起こしていたからだ。
 この現実を前に京都町奉行は無力であり、幕府は京都守護職という新たな役職を設け、会津松平家の松平容保(かたもり)に就任を強く請うた。既にこのとき、さらに二つの職を設けられており、政治総裁職に福井藩主・松平春嶽、将軍後見職に一橋慶喜が就いていた。
 容保は、断固辞退した。会津藩は、それ以前に浦賀や蝦夷地の警備にあたり、既に財政は逼迫していたのだ。
 幕府は、奥の手を出した。「確か、尊藩には―――」
 結局、容保は請けた。

 会津藩は、二代将軍・徳川秀忠の隠し子の保科正之を藩祖とする。
 会津藩とはいかなる藩、保科正之とはいかなる人物だったのか―――。
 北条牢人の娘のしずは器量が良く、江戸城に上がり、そこで秀忠の手がついた。
 しかし、秀忠の妻のお江与は嫉妬深く、将軍の子を懐妊したしずは江戸城を離れることを余儀なくされた。
 しずは見性院(武田信玄の娘、元は木曽氏の妻)と信松院(武田信玄の娘、元は織田信忠の許嫁の松姫、日記① H19.7/8参照)の庇護を受け、江戸の外れで男子を産んだ。幸松、のちの正之である。
 お江与は夫の隠し子の存在を知り、人を遣って見性院を詰ったが、「いずれは幸松にわが禄を譲り武田の家を継がせるつもりなれば、口出し無用」と反論した。こうして武田の幸松として成長していったが、6歳あたりの頃、信州高遠藩の保科正光の養子となり、母のしずとともに高遠へ移った。
 保科氏は信州の豪族で、祖父の保科正俊は武田信玄の被官となり、槍弾正として名を馳せた。また高遠は、甲州武田氏滅亡の折、仁科盛信(武田信玄の子、当時は松姫の保護者)が織田信忠の大軍に対し一戦して討死にした、奇縁の地であった。
 以後、幸松は高遠の山野で育ち、成人し、高遠藩を継いだ。そして、異母兄の三代将軍・徳川家光に見出され、国政にも携わり、四代将軍・徳川家綱に忠実に仕え、江戸前期の安定した時代をもたらした。
 この間領国は、高遠から山形を経て会津に移った。表高23万石、実質28万石。御三家に続く第四の家格であった。
 将軍は正之に松平姓に戻すよう告げたが、正之は養父の保科正光の義理から生涯保科姓を通した。会津の保科氏が松平姓を名乗るのは、三代藩主・正容(正之の子)からである。
 なお、高遠の保科氏は将軍の子に藩を譲ることで元の保科の血脈を断つこととなったが、保科家を継いだ正之の尽力により、保科正光の弟の血筋が上総飯野藩として幕末まで続いた。上総飯野藩出身の照姫(松平容保の義姉)は、会津藩の危機に際して会津入りし、籠城の辛苦を分かち合った。また同藩から非公式に数十人の藩士が会津藩へ助太刀した。
 保科正之はその晩年に十五箇条の家訓(かきん)を書き定めた。その第一条に曰く、
 「大君の義、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず、若し二心を懐かば、則ち我が子孫にあらず、面々決して従うべからず」
 (将軍家への忠勤は、他藩の例をもって満足してはならない。もし将軍家に背く藩主があらわれたなら、それはわが子孫ではないから、家臣たちは決して従ってはならない)
 将軍の血を受け継ぐ正之は、一にも二にも、真っ先に壮絶なほどの佐幕の魂を謳ったのだった―――。

 政治総裁職の松平春嶽は、奥の手を出した。
 「会津藩には家訓があるそうな、小生泣いて申し上げる。台徳院さま(徳川秀忠、保科正之の父)、土津公(はにつこう、藩祖・保科正之の神号)がご存命であれば、必ずや京都守護職を受けられたであろうに」
 途端、容保の顔がゆがんだ。
 京都守護職要請の話を聞きつけた会津藩の家老・西郷頼母(たのも、柔道家の西郷四郎の養父)が、国許から江戸へ駆けつけた。
 「殿、なりませぬぞ! 薪を背負うて火中に入るようなものでござる!」
 頼母は口やかましく主の容保を諌めたが、容保は首を振った。
 「もはや議論は無用、宗家に殉ずるのみなのだ」

 松平容保は、会津藩兵一千名を率いて京都に入った。
 ひたすら将軍家のためにと保科正之が育んだ芸術的藩風…武を練りに練った親藩中第一の精兵たちは、黒谷の金戒光明寺を本陣とした。
 京都守護職として京都入りした容保は、言路洞開の方針を打ち出した。
 「言い分を訊いてやりさえすれば、わかりあえることもあろう」
 手ぬるい、という批判を抑えての対談路線であったが、慄然とするような血みどろのテロルがやむことはなく、容保は深刻な現実を思い知らされた。
 会津藩は壬生浪士組(のちの新撰組)や京都見廻組を配下におき、倒幕を企てる者どもを徹底的に取り締まった。

 会津藩には藩を挙げての軍事操練「追鳥狩」の伝統があるが、あるとき、孝明天皇は会津藩の馬揃えを見たいと言い出した。
 雨の降る夕方、御所の建春門前にて操練が行われた。日が没しても、篝火を焚いて続けられた。
 孝明天皇は御簾のうちより眺め、たいそう満足し、後日もう一度見たいとのたまった。
 数日後の早朝、二度目の操練が行われた。一度目は発砲を許可されなかったが、今度は空砲が許された。
 容保の采で法螺や鉦が鳴り、藩兵は整然と隊を組み、鯨波をあげ、鉄砲を打ち出し、斬り込みに移る。
 昼食をはさみ午後からもまた操練が続き、容保は先日の初参内時に賜った緋の袙(あこめ、中着)を陣羽織に仕立て直し、再登場した。(このときの陣羽織を着用した写真は有名)
 一千名が二手に分かれての模擬戦に、孝明天皇は興奮し、喜び、容保と会津藩兵の練武を愛でた。

 こうして孝明天皇の信任を得た松平容保は、幾多の政変を通じて、倒幕を目論む長州藩勢力の京都からの排除に成功した。
 松平容保は、数年の短い交流の中で、孝明天皇から宸翰(しんかん、天皇直筆の手紙)をいくつか戴いている。
 「(中略)暴論をつらね、不正の処置増長につき、心痛耐え難く、内命を下せしところ、すみやかに承知し、心配と悩みを払いのけ、朕の存念貫徹の役、まったくその方の忠誠にて、深く感悦のあまり、右一箱これを遣わすもの也」
 「たやすからざる世に、武士の忠誠のこころをよろこひてよめる(以下、和歌二首)
  和(やわ)らくもたけき心も相生の まつの落葉のあらす栄えん
  武士とこころあはしていはほをも つらぬきてまし世々の思ひて」
 これらの宸翰はみな、会津藩が京都に入るまでの苦悩と、容保に対する絶対的な信頼があふれている。
 会津藩はまさに、王城の護衛者たるにふさわしかったのだ。
 しかし、その栄光も、孝明天皇の崩御とともに不吉の気配に呑み込まれてゆくのであった―――。

 …。いやはや、話を広げすぎて、収拾がつかなくなるところだった。
 このあたりは、司馬遼太郎の「王城の護衛者」(会津松平家というのは、ほんのかりそめの恋から出発している―――の冒頭が素敵)や会津作家(?)の中村彰彦の著作に詳しいので、関心のある方は一読されたい。

 金戒光明寺の三重塔周辺から西を眺める。中央奥の森が、御所。
 容保公は、ラブラブな帝をここから見守っていた!?

 会津墓地は、金戒光明寺の背後の丘の上にある。
 京都の治安回復にあたる会津藩士は原則一千名で、一年交代で国許の藩士と入れ替えていた。だから、その交代期は一瞬だけ二千名となり、この人数を圧力に政変を有利に進めたことがある。
 ともかく、会津藩の犠牲は大きく、その犠牲者は在京の足掛け六ヵ年で、二百三十七霊。病死も多かったのだろう。鳥羽伏見の戦いの戦死者百十五霊も合祀される。
 会津墓地の会津藩たる特徴は、その墓石の七割方に「○○霊神」と彫られていること。
 会津藩祖・保科正之は、朱子学と神道に傾倒しており、自ら土津霊神(はにつれいしん)の神号を定め、磐梯山のふもとに葬られることを望んだ。
 ゆえに、会津藩の歴代藩主に戒名はなく、○○霊神の号で祀られている。
 むろん、容保公も例外ではなく、その号を忠誠霊神(まさねれいしん)という。
 この墓地を見て周る間に、二ヶ所蚊に刺された。
 入って左手の慰霊碑には、会津名産の絵蝋燭が残されていた。

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 20.8.19(火)

 アシナガバチの顎は、ビニール袋を噛み切る。


 20.8.18(月)

 先々月下旬の話。
 摂津三田の三輪神社、三輪明神窯、三田城、心月院等と、蛍池の麻田藩陣屋跡へ行った。

 三輪神社は、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の分社で、大神神社と同じくオオモノヌシを祀る。日記② 19.11/5、日記③ H19.12/11 12/22、日記⑨ H20.7/29 参照。
 オオナムヂがオオクニヌシとなり、葦原中つ国の国造りをはじめた頃、出雲の美保関に蛾の衣を纏ったちいさい神が舟に乗ってやってきた。が、誰もその神を知らない。
 タニグク(蟇蛙)「クエビコなら知っているはず」
 そこでクエビコに尋ねると、
 クエビコ「その方は、カミムスヒの子のスクナビコナです」
 クエビコとは、すなわち山田のカカシのこと。
 それからオオクニヌシとスクナビコナの国造りが進んだが、あるときスクナビコナはフッと常世の国へ消えてしまった。
 オオクニヌシ「私一人で、これからどうして国造りができるのか」
 嘆き悲しんでいると、海の向こうから光り輝く神がやってきた。
 「われの前をよく治め祀るならば、われがともに国造りを成そう」
 オオクニヌシ「どう治め祀れば良いのか」
 「ヤマトの青々とした青垣の東の山の上に祀れ」

 オオモノヌシとは、オオクニヌシ自身の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)であるらしい。
 幸魂・奇魂、あるいは合わせて和魂(にぎみたま)といい、荒魂(あらみたま)と対になるもの。私もよくわかっていないのだが、ひとつの人格(神格)のうちの光と影みたいなモンだろうか。
 また、三輪山に祀られたオオモノヌシは、蛇の姿をしているといわれ、親しみを込めて巳さん(みぃさん)とも呼ばれる。
 大神神社には、社や祠があるたびにお酒と玉子が供えられている(前者は大神神社と松尾大社がお酒を司ること、後者は三輪の神が巳であることによる)が、この三田の三輪神社は「動物が汚すので玉子を供えないでください」と張り紙が出されていた…。

 三輪明神窯は、三輪神社の裏山にある窯跡。磁器を焼いていた。
 焼き物(陶磁器)は、ざっと陶器と磁器にわかれる。

 とう‐き【陶器】
 陶磁器のうち、素地(きじ)の焼き締まりが中程度で吸水性があり、釉(うわぐすり)を施した非透光性のもの。土器よりもかたいが、磁器にくらべてやわらかい。

 じ‐き【磁器】
 素地(きじ)のガラス質が磁化して半透明となり、吸水性のない硬質の焼き物。陶器より高火度で焼かれ、たたくと金属的な音がする。中国で創製され、日本では江戸初期の有田焼に始まる。


 要するに、陶器は土をこねて焼き、吸水性がある。
 磁器はガラス質の石を砕いて混ぜて焼き、吸水性がなく、薄く、硬い。
 磁器の原料の石を磁石(じせき)というが、磁石(じしゃく)や磁力とは関係ない。
 陶器と磁器を比較すれば、磁器の方が原料が限定され、数が少なく珍しい。高価でもある。
 司馬遼太郎の街道をゆく(南伊予・西土佐の道)にあった話だが、江戸中期の大洲藩主の加藤某が「わが藩は砥石しか採れぬ。なんとか砥石の削り屑から磁器がつくれぬものか」と考え、家臣の一人に相談した。その家臣は在郷の砥石業者の杉野丈助に命じた。
 杉野丈助は諸藩を周って陶工を呼び、砥石の削り屑から磁器づくりを試みたがうまくいかなかった。それからも丈助は駆け回り、なんとか磁器をつくった。さらに丈助は、大洲藩内を踏破し、釉薬・磁石などの原料を、すべて藩内で調達する道筋をつけた。
 これが砥部焼の発祥。結局、砥石の削り屑は使えなかった、とのこと。
 …話が飛んでしまったが、江戸期の藩にとって、高価な磁器づくりはそれほど魅力的だったということ。然るに、この三輪明神窯は三田藩の保護を受けず、民間の力でやってきたそうだ。

 三田城は、三田藩の城。今は、小学校と高校の敷地になっている。
 もとは車瀬城といい、武庫川近くのなだらかな丘陵につくられた城。
 山からそのまま連なり川に突き出た丘陵につくられた城(三木城、淡河城など)とは異なり、川のそばの独立した小さな丘の城だから、険阻さはない。
 荒木村重の叛乱のときは、一族の荒木某が入っていて、以後は、山崎氏、有馬氏と移って、有馬氏が久留米に移封され、松平氏を挟んだのち、九鬼氏が入封した。
 九鬼氏は志摩の海賊大名で、織田信長の傘下に入り、石山合戦において本願寺方の毛利水軍を破って名を馳せた。
 戦国から関ヶ原の合戦にかけて生きた嘉隆・守隆父子は、鳥羽藩5万6,000石を守っていたが、守隆の息子たちに家督争いが起こった。もちろん、御家騒動は天下の御法度。志摩の鳥羽藩は、摂津の三田藩3万6,000石、丹波の綾部藩2万石に分封されたのだった。
 三田、綾部は、ともに山国。海がない。ふたつに分かれ累代の志摩を喪った九鬼家は、まさに陸に上がった河童となった。

 三輪明神窯のオッチャンに聞いた話だが、三田藩の表高は3万6,000石だったけれども、実質は2万5,000石しか米が取れなかったらしい。つまり、元の石高で二分されただけでなく事実上の減封であり、幕府による懲罰だったというのだ。
 そのため、三田藩の財政は、ほぼ一貫して苦しかったようだ。
 三田城には大きな池――三田御池――があるが、三田藩士が海恋しさに船を浮かべ水練した…と伝わる。こんなに滑稽で切ない話もあるまい。

 心月院は、三田城の西の小さな丘にあり、三田藩主の九鬼家の菩提寺。
 代々藩主の墓の他、白洲次郎で有名な白洲家一族の墓もある。白洲次郎の祖父が三田藩士だったゆえであるが、次郎自身は一度も三田に来たことがないそうだ。

 麻田藩陣屋は、阪急蛍池駅の西側にあった麻田藩の陣屋。
 三輪明神窯のオッチャンに聞いた話の中で、「向こうの高平はアサダ藩の飛び地でね~」と出てきたので、気になって調べたのだった。(私を“歴史の話が通じる人”と思ったらしく、マシンガンのように話しかけてきて、だんだん内容が郷土限定ネタになってきて、結局一時間ほど話し込んだ。中盤以降は、ついていくので必死だった…)
 高平とは、三田市北部の山間部の盆地のひとつ。高売布神社がある。
 アサダとは「浅田」なのか、それとも「浅野」の聞き違えか、と思ったら、「麻田」だった。
 
 ……。………。資料が見つからへ~ん!(泣)

 ウッウッ。せっかく、豊中市の図書館で郷土史の本見つけてメモったのに…。
 そのメモと、陣屋の縄張りのコピーが見当たらない。。(ノ_・。)

 仕方ないので、ウィキペディアを基調に…。
 美濃の青木氏は、はじめ徳川家康に仕え数々の手柄を立て、のちに豊臣氏に仕えた。
 青木一重は大坂冬の陣の折、大坂方の使者として出向いたところ、駿河にて徳川の手によって捕縛され、そのうちに豊臣氏は滅んだ。一重はそれを知るや剃髪した。
 元々徳川の武士だったことが大きかったのか、一重は家康に再び見出され、摂津の豊嶋を中心に1万2,000石を与えられ、麻田藩を立藩した。
 麻田藩は1615年の成立以来、廃藩置県まで青木氏が続いた。

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 20.8.17(日)

 どっちだ!?
 日記⑨ 8/3参照。


 20.8.16(土)
 H19.8/27に描いた落書きを、フォトショで修正してみた。
 レイヤーは29、PSDファイル6.57MB、JPGファイル253KB。
 FF4より、リディア(7歳、カイポ宿泊時)。

 強国バロンの飛空挺部隊・赤い翼の隊長を罷免された暗黒騎士セシルは、王命により、北の隠れ里ミストのドラゴンを征伐した。
 これは図らずも、そのドラゴンの召還主の命を断つことでもあった。そう、ミストの幼い娘の母親の命を―――。
 そして、王の策略により、里は紅蓮の炎に包まれた。
 阿鼻叫喚の中、娘を救い出したセシルは、砂漠のオアシスの街カイポの宿をとり、もの言わぬ娘をベッドに座らせた。


【心の扉】


 7歳児に見えないかもしれん。
 腕がたぷたぷしてるあたり、幼児らしく描いたつもりなのだが。
 加賀言葉で言えば、「んまそ」な腕。「丸々と肥えた」くらいの意。
 なお、FF4はSFC版、SFC版イージータイプ、PS版(リメイク)をプレイしている。
Posted at 2008/07/05 01:01:34 | 日記

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「加賀の従姉妹が旦那の実家への帰省中に被災してビニールハウスや小学校で過ごしていたこと、クルマで4日の晩に無事帰ってこられたことが、母経由で伝わってきた。ホッとした。

播州もいつ山崎断層が動くかと言われているので、わが家庭も備えをもっと見直さないといけない。」
何シテル?   01/08 16:46
当ページの内容の無断転載はやめてください。 主な内容は、燃費記録と おすすめスポット。 未掲載スポットが、500件超。ズーン 省燃費と航続距離に拘ってま...
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