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浮野のブログ一覧

2008年03月19日 イイね!

日記 ⑥

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、六冊目。

 日記     


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.5.8(木)

 日記帳がいっぱいになった。orz
 北播多可郡の日記の文字数が、あまりに多かったようだ。。5/10参照。


 20.5.7(水)

 小学生か中学生の頃、歴史の用語に関して、ややこしいと思った語があった。
 ずばり、連合艦隊連合軍
 連合艦隊は日本軍で、連合軍は外国軍。同じ「連合」なのに、なぜ敵味方分かれるのか。
 それで、ゴチャゴチャになってたわけ。
 
 れんごう‐かんたい【聯合艦隊】
 2個以上の艦隊をもって編制した艦隊。特に、旧日本海軍の主力艦隊をいう。

 れんごう‐ぐん【連合軍】
 2国以上の軍隊を共通目的のために編制した軍隊。


 今ではもちろんハッキリ区別が付いているのだが、要するに、後者の方が一般的な意味での連合であって、前者が日本国の中における艦隊の連合だったわけ。

 連合艦隊といえば、昔に読んでいた船の図鑑の巻末には世界の船のエピソード集(見開き2ページが10作ほど)があり、手元にないから記憶だけなのだが、
 サーモピレーとカティ・サーク
 シリウスとグレート・ウエスタン
 咸臨丸
 畿内丸
 三笠
 クィーン・エリザベス
 エムデン
 デアフリンガー
 赤城
 大和

 順番までははっきりしないが、大和のエピソードが最後だったのはよく覚えてる。
 三笠のときは完璧な勝利を収め、連合艦隊は栄光に満ち満ちていたのに、赤城と大和が力を出せないままアメリカの飛行機に沈められて、…子供心に無性に悔しかった記憶がある。

 おすすめスポット 記念艦 三笠 大和ミュージアム


 20.5.6(火)

 小学生の頃、まんが 日本の歴史(学研)を読んでいて、ずっとわからないことがあった。
 日本の歴史上に登場する“なんだかお役所っぽい組織の名称”が、複数あったからだ。
 ずばり、朝廷幕府政府。これらが、ゴチャゴチャになってたわけ。

 ちょう‐てい【朝廷】
 天子(天皇)が政治を行う所。廟堂(びょうどう)。朝堂。また、天子が政治を行う機関。

 ばく‐ふ【幕府】
 《古く陣中にいる将軍が幕を張った中で軍務を処理したところから》武家政権の政庁。また、その権力組織。源頼朝が建久元年(1190)に右近衛大将に任ぜられたことからその居館を幕府と称するようになった。

 せい‐ふ【政府】
 政治を行う所。立法・司法・行政のすべての作用を包含する、国家の統治機構の総称。日本では、内閣および内閣の統轄する行政機構をさす。


 今ではもちろんハッキリ区別が付いているのだが、この点で?マークが出てる子供がいたら、この違いをきっちり整理つくように教えたら、助けになるかもしれない。


 20.5.5(月)

 おやすみタイマーの付いた電気スタンドが欲しい。
 どこか、開発してくれるメーカーはないだろうか。


 20.5.4(日)

 水産省の公式サイトに調査捕鯨の結果(昨年度)が載っている。
 調査捕鯨は名前だけでなく、実際に調査していたわけね。
 しかも、捕獲数を計画・管理して得た標本は、お肉としてスーパーに出回る、と。
 おお、なんと海の恵みを余すことなく受けていることよ。

 生息数の統計がどれだけ正確かは、(推定が多そうなので)はっきり言ってあやしいモンだと思うが、現在の規模のまま、管理された捕鯨をずっと続けてほしい。そして市場に届けておくれ。
                         ↓(かぶった…)↓



 20.5.3(土)

 ずっと前にみんカラで11人いる!ネタを扱った気がしたのだが、やっと思い出した。
 リーダー。氏の昨年のブログへのコメントだった。


 20.5.2(金)

 4/12の給油記録。
 ① 美作:290.0km(うち、高速道路270km)
 ② 播磨・丹波:173.6km
 …を含む。

 519.0km 14.2km/l(燃費計) 38.39L(レギュラー)給油 @122
 519.0÷38.39=13.519… → 13.5km/l(満タン法)
 13.5-14.2=△0.7

 ∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。

 さらに、4/12の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①②を遠出、残りを ③街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  290.0km 17.0km/l → 16.3km/l 17.791…L
 ②  173.6km 14.0km/l → 13.3km/l 13.052…L
 ③  55.4km       →       7.545…L
 計 519.0km 14.2km/l → 13.5km/l 38.39L

 ①  290.0km 17.0km/l → 16.3km/l 17.791…L
 ②  173.6km 14.0km/l → 13.3km/l 13.052…L
 ③  55.4km       → 7.3km/l 7.545…L
 計 519.0km 14.2km/l → 13.5km/l 38.39L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、55.4km走って 7.3km/l。ついに来た、春のめざめ。


 20.5.1(木)

 SFアニメ11人いる!のフロルを、シャーペンで落書きしてみた。4/27参照。

 中学か高校の夏休みに放送していて、初見で うおぉぉ、コレすげぇぇ!! と思った。
 フロルいいよフロル。


 20.4.30(水)

 今月上旬の話。
 播磨のやしろ桃園、千鳥川桜堤公園、播州清水寺、丹波のDONO、篠山城へ行った。

 やしろ桃園は、旧社町にある桃園。(そのままだ)
 6haの丘陵一面に、かわいい桃色の桃の花が咲いている。

 千鳥川桜堤公園は、旧社町の千鳥川にある堤防道の公園。
 嵯峨野譲りの枝垂桜の並木が、明るい光と、透明のせせらぎと混じって、いい感じ。

 播州清水寺は、西国三十三番のうち、第二十五番。
 標高552mの山上にある。山麓には、平木の集落がある。(楠木の隠れ里? 4/6参照)
 南朝方の赤松氏範が攻め滅ぼされた地でもあるので、南朝という点で符合するが…。
 この日、麓では桜は満開だったのに、山上はまだ蕾だった。また出直すことにした。

 篠山城は、徳川家康が西国諸大名に築かせた城。
 家康の実子ともいわれる松平康重が入城し、康重は大坂の役において出陣した。
 篠山城の東南東4km先には高城山があり、戦国時代には波多野氏が高城山の八上城に拠って、織田勢力に激しく抵抗した。
 さらに東の籾井城、細工所城の位置を大正ロマン館で訊いたので、おいおい訪ねたい。


 おすすめスポット やしろ桃園 千鳥川桜堤公園 播州清水寺 篠山城

 走行距離173.6km 燃費計14.0km/l 高速道路不使用


 20.4.29(火)

 映画 靖国 YASUKUNIの上映中止問題について。4/18、4/21参照。
 最初のゴタゴタも沈静化して、上映する映画館がポツポツ出てきたと思ったら、まだ問題が残ってたらしい。
 本作に出演した刀匠の刈谷直治氏(90歳・高知県)が、「自らの映像の使用を承諾しておらず、削除を望んでいる」のだという。
 これに対し、映画監督の李纓氏は、「了解を得ていた」という。
 両者の言い分が食い違っているが、ごく最近のインタビューでの刈谷氏のコメントは、「刀匠の半生を撮るドキュメンタリーという趣旨で取材を受けた。使われ方に納得できなかったため助監督に削除してほしいと頼んでいた」。
 刀匠の半生を撮るドキュメンタリーのはずが、靖国神社を刀と刀匠を絡めて読み解くドキュメンタリーになった―――。
 監督の刈谷氏に対する説明が不足していた、あるいは説明が誤っていたならば、刈谷氏の主張にも正当性があるだろうし、仮に刈谷氏の映像のみを除いて編集すると、(映画の内容の詳細は知らないが)本作は骨抜きになるだろう。
 ただ、いわゆる保守派の(器の小さい)議員などの勢力が、先走って刈谷氏を含む出演者に説得工作を行った可能性も否めまい。
 上映の決定にどんな影響があるかはまだわからないが、個人的には…見るだけは見てみたいなぁ。。ちなみに…

【公式サイト イントロダクション より抜粋、下線は浮野】
 (前略)そして知られざる事実がある。靖国神社のご神体は日本刀であり、昭和8年から敗戦までの12年間、 靖国神社の境内において8100振りの日本刀が作られていたのだ。「靖国刀」の鋳造を黙々と再現してみせる現役最後の刀匠。その映像を象徴的に構成しながら、映画は「靖国刀」がもたらした意味を次第に明らかにしていく。


 下線部については、軍国主義だとかそういうつながりでは一切ない。
 剣や刀がご神体だったり、刀や甲冑が奉納されたり、ということは、日本の神社では昔から行われている、ごくありふれたことであるから。


 20.4.28(月)

 4/20の日記にオキナガタラシヒメの話を採り上げたのだが、ビッグコミックをパラパラ立ち読みしていると、宗像教授異考録(H19.9/15、H20.3/2参照)でまさにこの話を取り扱っていた!


 20.4.27(日)

 みがまえるがまがえるがまえにいる
(字足らず)
 カエルがド下手なのにも程があるが、あえてそのまま。
 手前の後頭部は、某SFアニメのヒロインを思い出したので、ソレになった。


 20.4.26(土)

 スプリガンとスガモプリズンは、字面が似ている。


 20.4.25(金)

 知らんうちに、体重が激増していた。orz アリエン…
 ベスト体重は61kgなのに、5kgも超過。過去最大である。
 相当な危機感を持って、早いうちにベストに戻そう。。
 手始めに、間食はことごとくカット。大盛りおかわりも一切捨て去る。
 特別な方法にしがみつくことはせず、控えめな分量の三食だけを、味わって食べようと思う。


 20.4.24(木)

 相方から土佐土産に文旦をもらった。
 文旦…ほの甘くておいしいなぁ。柑橘類の王様だわ。
 名前から、なんとなく周の文王周公旦を連想するのだが、まず関連はなかろう。
 文旦の別名はザボンだが、醜く変身などしない。


 20.4.23(水)

 阿新館(スーパー/レストラン?)の阿新(あしん)とは何だろう、と思い調べてみたら、たぶん、岡山県北部の哲郡(あてつぐん)と見市を含む地域名。


 20.4.22(火)

 今月上旬の話。
 美作の津山へ、花見に行った。たぶん、四度目の津山行き。
 その前日に、津山観光振興課(TEL 0868-32-2082) に電話で確認し、「七分咲き」だと聞いたので、姫路・篠山などの候補地の中から津山を選んだのだった。

 津山城は、関ヶ原の合戦後に美作に封じられた森忠政が築いた城。
 元来、津山城のあった地は、鶴山と呼ばれていた。
 現に、津山城址の正式名称は、鶴山公園(かくざん/つるやま こうえん)である。
 忠政は、鶴山(つるやま)を津山(つやま)に名を変え、18万6千石の総力を挙げて豪壮な城を築いた。普請には、足掛け十三年も要した。
 明治の廃城令で、構造物のすべてが破却されたのは残念だが、本丸の一角の備中櫓(私はテトリス櫓と呼んでいる)のみ、当時の技法により復元している。
 なお、B'zの稲葉浩志の実家のイナバ化粧品店も、さくらまつりに協賛していた。



 おすすめスポット 津山城 衆楽園 作楽神社

 走行距離290.0km(うち、高速道路270km) 燃費計17.0km/l

 九割以上が高速道路とはいえ、燃費がかなり伸びた。
 復路のICを降りたときは、17.2km/lだった。
 走行条件は、4名乗車、エアコン使用、80~90km/h。
 4名乗車としては、覚えている限り、過去最高の好燃費♪


 20.4.21(月)

 4/18に映画 靖国 YASUKUNIの上映中止が相次いでいる、と書いたが、上映する動きが出ているとのこと。そうだ、そうこなくてはならない。
 度量を見せた映画館は、大阪市淀川区の第七藝術劇場、京都市下京区の京都シネマ など。
 5月10日(土)からの上映、楽しみなり。


 20.4.20(日)

 先月下旬の話。
 摂津の住吉大社、阿部野神社、大坂城へ、電車に揺られて行った。

 住吉大社は、ソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツノオの住吉三神と、オキナガタラシヒメ(神宮皇后)を祀る神社。
 住吉三神は、黄泉の国から還ってきたイザナギのみそぎ(H19.12/18、H20.3/2参照)によりうまれた神々で、海を司る。海の神・航海の神としては、他に、タギリヒメ、イチキシマヒメ、タギツヒメの宗像三女神(宗像大社・厳島神社などで祀られる)が有名。
 オキナガタラシヒメは、タラシナカツヒコ(ヤマトタケルの子、仲哀天皇)の女房。
 タラシナカツヒコの二年、熊襲(クマソ、球磨・曽於の部族?)が叛き、貢物を献上しなくなったため、これを討つことにした。
 八年に筑紫(ツクシ、九州を指す)に渡るや、筑紫の豪族は一斉に大和になびき、大君は香椎宮に居した。
 大君は熊襲征討を占った。夜更けに琴を弾いて神を招き、そして神はオキナガタラシヒメに憑依した。闇の中でオキナガタラシヒメは痙攣し、その口でしゃべり始めた。

 「大君よ、なぜ熊襲のまつろわざることを憂う? 熊襲など、不毛の国。それより、西のかたの国、宝あふれる新羅を攻めよ。われを祀れば刃を血塗らすことなく新羅はまつろい、また熊襲もまつろうことになろう」

 「海の向こうに国など見えぬわ。どこの何という神がわれをあざむくのか?」

 大君は不機嫌に言い放つと、琴を弾くのをやめた。
 闇の向こうの神懸りの后が、さらに激しく震えるのが感じられた。

 「およそこの天の下は、汝の統べ治める国ではないわ! 汝は、ただひとつの道に向かうがよい!」

 「大君、なりませぬ。さ、御琴をお弾きあそばしたまえ」

 傍に控えていたタケウチノスクネの諫言で、大君はしぶしぶ琴を弾いた。

   ♪ ポロン ポロン ポロン―――――

 突如、琴の音が途切れ、静まり返った。ただ、闇が広がっている。
 すぐさまスクネが火を灯して見てみると、大君はすでにこと切れていた―――。

 ほとんどホラーである。
 大君を黄泉への道におくり込んだ(?)この神が、住吉の三神であり、そのときオキナガタラシヒメが身ごもっていた子が新羅を統べるであろう、と予言された。
 オキナガタラシヒメは、謎の死を遂げた夫に取って代わり、新羅を降した―――という伝承。
 ちなみに、オキナガタラシヒメが身ごもっていたという子は、ホムダワケ(応神天皇)といい、ホムダワケは八幡の神で有名である。

 阿部野神社は、南北朝時代の吉野方の公家であり武将の北畠顕家を祀る。4/6参照。
 1333年、鎌倉幕府を滅ぼし、建武の中興成る。
 1335年、中先代の乱。幕府の残党が北条の遺児を奉り、鎌倉を奪還した。足利尊氏は鎌倉を落とし乱を鎮めた後も鎌倉に居座り、やがて、建武の政権に叛逆した。足利尊氏はひたすら西進し、年も変わり1336年に入京した。

 後醍醐天皇の忠臣・北畠親房の長男の顕家は、建武元年に多賀城に下向し国司として奥州を抑えていた。
 足利尊氏の叛乱に際し綸旨を受けた顕家は、1335年の暮れ、二万の兵を率いて尊氏の後を追い、新田義貞ら朝廷各将と協力し、近江大津、京、摂津豊島にて足利勢と大激戦を繰り広げ、なんとか尊氏を追い落とすことに成功した。1336年初頭のこと。大きな功績を立てた顕家は、鎮守府将軍に任ぜられ、再び奥州に下向した。

 船で落ち延びた尊氏は自害まで覚悟するほど痛めつけられていたが、九州多々良浜の戦いで菊池氏を倒し、尊氏の西国における求心力が一気に高まった。
 1336年、足利尊氏を九州へ追い落としたのち、朝廷主力の新田義貞は、尊氏に味方した赤松円心(則村)の籠もる白旗城を包囲していた。しかし城は容易に落ちず日数ばかり費やし、そして尊氏の反攻が始まった。
 同年5月、楠木正成が兵庫の湊川にて戦死し、後醍醐天皇は比叡山へ逃れた。その後、足利方に引き渡した三種の神器(ヤタノカガミ、ヤサカニノマガタマ、クサナギノツルギ。日嗣の権威を裏付けるとされる宝物)は贋物である、として、京を脱し、吉野に朝廷を開いた。これが吉野朝/南朝の起こりである。
 同年10月、難局を打開すべく、新田義貞・義顕父子は、恒良親王と尊良親王(後醍醐天皇の皇子たち)を奉じて越前の金ヶ崎に入り、越前を舞台に足利の幕府軍と争った。
 幕府の大軍に包囲された新田義顕は、愛馬も殺して食糧にする凄惨な籠城戦によく耐えたが、先に脱した父・義貞の後詰もかなわず、ついに最期のときを迎えた。

 「戦ももはやこれまで。今より自害致しますが、親王は賊軍に降ろうと御命まで奪われることはありますまい。さあ、行かれませ」

 「越前に向かい発ったときのことを思い返してみよ。あのとき帝は、こなたを大将とし、そなたをわが手足のような臣下とされた。その手足を失くして、どうして大将が務まろうか。そなたのみ死なせるわけにはゆかぬ、こなたもともに自害して果てようぞ。…そもそも、自害とはどのようにすればよいのか」

 「このように致すものでございます!」

 義顕は刀を抜くやいなや逆手に持ち替え、左脇に突き立て、右脇のあばら骨二、三本まで掻き破り、刀を親王の前に置いて崩れ落ちた。その頬には、確かに涙が光っていた。
 これを見た尊良親王は、義顕の刀を手に取りじっと見つめ、胸に突き立て見事果て、義顕の上に伏し倒れた。
 周りの数百の兵も一斉に自害し、金ヶ崎の城は落ちた。1337年3月のこと。

 一方、義良親王を奉じて奥州に再び戻った北畠顕家は、伊達郡霊山(りょうぜん)に立て籠もり、苦境に陥っていた。
 京を失ったことや、金ヶ崎が落城したことなどを受けて、奥州の豪族が幕府に靡いてしまったためだった。
 ところが、新田義貞がまた越前を回復したことが伝わり、吉野方の味方につく豪族も増えてきた。
 1337年8月、これに意を得た顕家は、奥州の諸豪族を従え、京回復の軍を興した。
 三万余名の奥州勢は白河関を越え、関東の諸将が加わり、数倍の軍勢に膨れ上がった。
 利根川で敵を破り、鎌倉を落とし、美濃の青野ヶ原(関ヶ原の10km東)の決戦で足利勢に勝利を収めた。
 しかし、その後に繰り出してきた幕府の新手と戦う余力は、疲弊した奥州兵には残っていなかった。
 顕家は南に転進し、伊勢から吉野へ向かったが、途中、大和の般若坂(奈良市般若寺町?)にて、数万の奥州勢は少数の幕府の討手に敗れ去った。
 顕家は河内、和泉へ転じ立て直しを図ったが、幕府側は高師直を大将とする追討軍を遣わした。
 和泉の石津にて、顕家と奥州兵は最後の力を振り絞り戦い、なんとしても吉野へ参内しようと包囲の突破を試みたが、いつしか兵は二十余名を数えるのみとなり、ついに討ち取られてしまった。1338年5月のこと。
 はるばる奥州の軍を興すこと二度、1337年8月に霊山を発って以来十月、幾山河を越え、数多の敵を破った公家の将軍も、その最期は首を掻かれ、鎧も太刀も剥がれ、無残に散ったのだった。享年二十一歳―――。

 貴種である美しい少年が刃を振るい征伐し、そして長征に疲れ果てて倒れる―――。
 ヤマトタケルのあわれさにも通ずる北畠顕家を、大河ドラマでは後藤久美子が演じていた。
 ちなみに、奥州の兵力を算出(4/6参照)すると、
 200×0.57×250=28,500   外征可能な人数は、せいぜい20,000~25,000名だろう。

 大坂城は、豊臣秀吉が築き、豊臣亡き後に徳川家康がさらに強大に築きあげた城。
 天守閣は、豊臣時代のものは大坂の役の落城時に焼失し、徳川時代のものは落雷で焼失。
 両時代合わせても、天守閣が存在したのは六十数年に過ぎず、江戸時代の大部分は天守閣のない城であり、しかし幕末まで不落の城塞と思われていたのだ。
 現在の天守閣は、実質、エレベーターを中心に据えた鉄筋コンクリート造りの天守閣型歴史資料館…。大阪城公園は、梅と桜の名所となっている。

 おすすめスポット 住吉大社 阿部野神社 大坂城 大阪城天守閣 豊國神社 石山本願寺跡 難波宮


 20.4.19(土)

 アイストレッチが、目薬で一番のお気に入り。


 20.4.18(金)

 今月初めの情報だが、映画 靖国 YASUKUNIの上映中止が相次いでいるそうだ。
 公開によって、近隣の劇場や商業施設などに迷惑が及ぶ可能性がある―――という理由だそうだが、右翼や国粋主義者などの妨害行為を指しているのだろうか。
 そうだとするなら、まことにはた迷惑な話である。私は、自分で見て、判断したかった。
 そもそも、己の信条と異なる考え(の作品)を、圧力をかけて封殺する、というのでは、一党支配の中共と変わらぬではないか。
 日本人は、特に他の東洋人に対して優越感情をいだきやすいのであるが、未だに何かにつけ「だから中国人/韓国人は~」と言う日本人は多く、確たる根拠の無い場合にもこの台詞を吐いているうちは、日本人の民度も低いと言わざるを得ない。
 特定の映画の上映を阻止しようとする組織・勢力があるとすれば、その者たちの民度もまた当然低い、ということになる。
 本作の詳細な内容は知らないが、内容がマトモならある程度の共感を得、おかしければ反感を買うだけのことだ。
 先ずは大度を見せ上映を受け入れてほしい。評価や反論はそれからでも遅くないのだから。


 20.4.17(木)

 3/29の給油記録。
 ① 播州:227.3km(うち、高速道路101km)
 ② 丹後:407.2km(うち、高速道路97km)
 …を含む。

 705.4km 14.1km/l(燃費計) 53.91L(レギュラー)給油 @145
 705.4÷53.91=13.084… → 13.0km/l(満タン法)
 13.0-14.1=△1.1

 ∴燃費計は、満タン法より、1.1km/l前後良く測定される。

 さらに、3/29の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①②を遠出、残りを ③街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、1.1km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  227.3km 15.3km/l → 14.2km/l 16.007…L
 ②  407.2km 14.8km/l → 13.7km/l 29.722…L
 ③  70.9km       →       8.180…L
 計 705.4km 14.1km/l → 13.0km/l 53.91L

 ①  227.3km 15.3km/l → 14.2km/l 16.007…L
 ②  407.2km 14.8km/l → 13.7km/l 29.722…L
 ③  70.9km       → 8.6km/l 8.180…L
 計 705.4km 14.1km/l → 13.0km/l 53.91L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、70.9km走って 8.6km/l。山垣への買出しもあったから。。


 20.4.16(水)

 たまたま書店で見かけたドアラのひみつに、心を奪われた。
 頑張れドアラ、ともにかくさしゃかいに立ち向かおう!
 フリーダム

 荒ぶる有袋類


 20.4.15(火)

 遠出の燃費、街乗りの燃費。
 遠出の燃費にしても、高速道路を使った旅と使っていない旅の燃費。
 それぞれどれくらいの数値になるのか、調べてみた。
 3/16までの最近13回の記録を基に算出した。(H19.10/6、10/14、11/23①②、11/24、12/9、12/24、12/30、H20.1/6、1/27、2/10、2/24、3/16給油分)

 【総走行距離】
  ① 遠出:4,509.3km(うち、高速道路1,299km)
   遠出のうち、
   ①a 高速使用旅:2,225.8km(うち、高速道路1,299km)
   ①b 下道のみ旅:2,283.5km
  ② 街乗:662.0km
  ③ 合計:5,171.3km(うち、高速道路1,299km)

 【総給油量】
  ① 遠出:347.290…L
   遠出のうち、
   ①a 高速使用旅:168.799…L
   ①b 下道のみ旅:178.490…L
  ② 街乗:108.009…L
  ③ 合計:455.30L

 【燃費 満タン法ベース】
  ① 遠出:12.984… → 12.9km/l
   遠出のうち、
   ①a 高速使用旅:13.186… → 13.1km/l
   ①b 下道のみ旅:12.793… → 12.7km/l
  ② 街乗:6.129… → 6.1km/l
  ③ 合計:11.358… → 11.3km/l

 遠出なら、高速道路を使おうが使うまいが、大差は無いようだ。
 もっとも、高速道路走行のすべてを燃費最重視の90km/h平均で走ったなら、もっと燃費を引き上げただろう。(4名乗車であろうが、16km/l以上をたたき出す。2名なら、17km/l後半も可能)

 街乗りは、やはり悪い。
 私は省燃費運転に気を遣っている方だし、ある程度の自信もある。
 しかし、どうにもならない“状況”には勝てないのだ…。
 結果は無惨、遠出に倍以上も差をつけられている。

 総合では、11.3km/l。二桁を記録した。
 これは、全体の距離のうち、街乗りは7.8%に過ぎないからだ。
 仮に、遠出と街乗りの距離が半々なら、概算で、13.0km/lと6.0km/lの間をとって、9.5km/lが2.0iの公平な燃費数値といえよう。


 20.4.14(月)

 JR西日本の券売機で切符を買うときに画面に出てくるオネーサンを、記憶で描いてみた。


 券売機(けんばいき)と書いたつもりが、券販機(けんはんき?)という未知の語に…。
  面倒くさい 自戒のため、そのまま残した。


 20.4.13(日)

 先月下旬の話。
 丹後の松尾寺、智恩寺、天橋立、成相寺、伊根へ行った。



 松尾寺は、「まつのおでら」と読む。西国三十三番のうち、第二十九番。
 丹後と若狭の境にある青葉山(若狭富士)の、丹後側の中腹にある。
 朝もやに古びた階段や伽藍が妙に合っていて、なんとも良い佇まいだった。
 なお、駐車料金は、400円。

 智恩寺は、天橋立の南端部に位置し、智恵に優れた文殊菩薩を信仰する。
 岸辺には、知恵の輪と呼ばれる石造物(灯籠?)があり、潜り抜けると文殊の智恵を授かるという。それを知るや速攻潜ってみたが、霊験のほどは不明。
 なお、天橋立周辺は駐車場所が限られており、智恩寺の駐車場は600円だった。
 数百mも外れならもう少し安いし、中心地なら1,000円のところもあったと思う。

 天橋立は、砂洲と呼ばれる、海辺に砂礫が細長く堆積して対岸とつながった地形。
 天橋立の他には伯耆の弓ヶ浜が有名で、弓ヶ浜の方が人の居住の地になるほど大きいが、天橋立はその景観によって知られる。
 幅は数十m、空と海が見え波の音につつまれる松の小径が2km少し続く。
 歩きながら海抜1mに満たぬ地面を見ると、人や自転車が頻繁に通る道以外は、枯れ落ちた松葉で覆われている。ひょっとして、この松葉が砂が飛散するのを留めているのかもしれない。
 景観だけでなく、根で地面をかため、幹と枝で風を防ぎ、落ち葉で砂をまもる松は偉大だ。

 成相寺は、「なりあいじ」と読む。西国三十三番のうち、第二十八番。
 ここは何といっても、頂上からの眺望が最高。
 宮津、天橋立、舞鶴、若狭富士が、一大パノラマで見られるのだ。この手のパノラマは、写真や動画では追体験できない。人の180°の視野で、その場に立って体感しないことには。
 頂上に、播州の光明寺にもあったかわらけ投げがあった。
 土でつくった小さな皿(かわらけ)を、煩悩を込めて投げ捨てるもの。
 かわらけ2枚で、100円だった。高い。光明寺は、7枚100円だったような…。
 投げる場所から7、8mのところに、知恵の輪ではないが鉄製の細く円い枠があった。
 成相寺の演出がお茶目というか、売るべきところがしっかり解っているというか…。
 横手で投げて、一投目は左50cm切れていったので、二投目で修正して、通した。
 なお、入山料と駐車あわせて500円だったと思う。
 
 伊根は、古代から名の知られた湊。
 両手で覆うようなカタチに、正面の小島が防波堤となり、水深は深く、まさに天然の良港。
 この伊根といえば、やはり舟屋
 海際にズラッと並ぶ数百軒の民家が、海側に漁船の格納庫を備えているのだ。
 多く現存する二階建ての舟屋は、1880年(明治13年)から1950年(昭和25年)のブリ景気によって立て替えられたそうだ。
 独特の旅情あふれる伊根の舟屋は、一見の価値がある。



 おすすめスポット 松尾寺 智恩寺 天橋立 成相寺 伊根の舟屋

 走行距離407.2km(うち、高速道路97km) 燃費計14.8km/l

 日帰りで、かつ、自分一人のみの運転で走った距離としては、過去最高かもしれない。
 上月城・津山城・白旗城・赤穂城・龍野城・吉川温泉よかたん を一日で回ったH19.3/10の記録が残っていたが、それでも走行距離371.4km(高速道路不使用)、燃費計14.5km/lだった。


 20.4.12(土)

 やはり、リンより おふうだと思う。


 20.4.11(金)

 先月中旬の話。
 播州の綾部山梅林へ梅見物に行った。



 綾部山梅林は、旧御津町、現たつの市の播磨灘が見える山にある。
 毎年、二万本の梅が見物できる、西国屈指(紀州を除く)の梅の名所。

 昨年は曇だったが、今年は晴れ。やはり、梅花の背景は、雲より青空だ。
 しかし、その週の水曜日と木曜日に大雨が続き(スッカラカンだった播州や北摂の貯め池やダム湖が、ほとんど満水になったほど)、ボリューム七割減。(:;)
 それでも、元が多いため、まだきれいに咲いている梅も残っていた。
 黄砂の時期と重なるためか、淡路や四国までくっきり見えないのは残念だった。

 綾部山の4km西に、室津がある。
 古来から有名な湊だから、昔の御津町の御津(みつ)は、室津の「津」のアタマに「御」をつけたのが元々のおこりだろうか、などと思った。
 例えば、しまなみの大三島は、敬意を込め、御島(みしま)ともいう。
 また龍野へ行く予定があるので、そのときに室津に寄ってみたい。



 おすすめスポット 綾部山梅林

 走行距離227.3km(うち、高速道路101km) 燃費計15.3km/l


 20.4.10(木)

 NOMOだ、と思ったら MONOだった。


 20.4.9(水)

 3/16の給油記録。
 ① 河内 第一次:161.9km(うち、高速道路93km)
 ② 河内 第二次:139.9km(うち、高速道路67km)
 …を含む。

 382.7km 12.0km/l(燃費計) 33.28L(レギュラー)給油 @145
 382.7÷33.28=11.499… → 11.4km/l(満タン法)
 11.4-12.0=△0.6

 ∴燃費計は、満タン法より、0.6km/l前後良く測定される。

 さらに、3/16の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①②を遠出、残りを ③街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.6km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  161.9km 15.2km/l → 14.6km/l 11.089…L
 ②  139.9km 15.0km/l → 14.4km/l 9.715…L
 ③  80.9km       →       12.475…L
 計 382.7km 12.0km/l → 11.4km/l 33.28L

 ①  161.9km 15.2km/l → 14.6km/l 11.089…L
 ②  139.9km 15.0km/l → 14.4km/l 9.715…L
 ③  80.9km       → 6.4km/l 12.475…L
 計 382.7km 12.0km/l → 11.4km/l 33.28L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、80.9km走って 6.4km/l。もうちょっと良くならないかな。。


 20.4.8(火)

 キキララと赤裸々は、響きが似ている。


 20.4.7(月)

 先月20日放映のフィギュアスケートの世界選手権の女子シングルSPの話。

 マ イ ズ ナ ー の 点 数 が 3 点 ほ ど コ ス ト ナ ー の に 紛 れ 込 ん だ ん じ ゃ な い の ?


 20.4.6(日)

 先月中旬の話。
 河内の建水分神社・南木神社と上赤坂城、四條畷神社その他、摂津の桜井駅へ行った。
 3/25、3/26、3/29、3/30を参照。

 上赤坂城は、水分(みくまり)の南の山地に築かれた山城。
 楠木正成は、比較的低い位置にある下赤坂城に加え、上赤坂城、さらに奥地に千早城を築き、その周りにも数々の砦をつくった。6kmの奥行きをもつ、一大城砦群である。

 1331年、笠置山の挙兵に失敗した後醍醐天皇は、翌年に隠岐に流された。しかし、倒幕の火は消えてはいなかった。
 赤坂で戦死したとされた楠木正成が、城を奪い返し再び挙兵。住吉・天王寺に進出した。
 楠木正成はその天王寺で、不思議な書物を目にした。聖徳太子の著した未来記であった。

  人王九十五代に当たって、天下一たび乱れ、主、安からず。
  この時、東魚来たって、四海を呑む。
  日、西天に没すること、三百七十余箇日、西鳥来たって東魚を食らう。
  そののち、海内の一に帰すること三年。
  猴のごとき者、天下を掠むること三十余年。
  大凶変じて一元に帰す。云々。


  九十五代は、主上のことやろ。四海を呑む東魚は、鎌倉。日、西天に没する、は、主上が隠岐に流されたことを指してるんや。
  西鳥来たって東魚を食らう、は、鎌倉は早晩落ちる、いうことや。そやけど、天下を掠むる猴…大凶て、何やねんな…?

 正成は不安を抑え、主上が再び舞い戻るであろうことだけを、努めて考えた。

 西国では倒幕の勢力が蠢動し、これに対し幕府は関東の大軍を派した。
 幕府の追討軍の猛攻に、赤坂で必死の防戦をしていた平野将監は、降伏した。平野将監らは六波羅に送られ、全員斬首された。
 これに前後して、後醍醐天皇の皇子・護良親王が籠もる吉野も落ち、追討軍の矛先は千早城ひとつに向けられた。
 千名に満たぬ楠木勢は、大岩を落とし、あるいは熱湯・糞尿、油に松明を浴びせ、奇策をもって追討軍を翻弄した。
 水の手を断たれたが、あらかじめ樋や水槽などの貯水の仕組みを整えていたので、ちっとも堪えなかった。
 こうして幕府の主力を釘付けにして八、九十日ほど耐えるうち、後醍醐天皇は名和長年の手引きにより隠岐を脱して船上山に入り、赤松円心(則村)、千草忠顕、足利高氏などが立ち上がり、六波羅を滅ぼした。
 また、新田義貞が稲村ヶ崎にて太刀を海神に奉げ、干潮を見計らい由比ガ浜を駆け抜け、鎌倉を陥落させた。
 北条一門八百七十余名は東勝寺にて自刃し、ここに鎌倉幕府は滅亡した。1333年5月のことだった。


 桜井駅は、鉄道とは関係ない。古代律令国家の制度で、ここにいう駅というものは、ただ桜井駅の挿話によってのみ人々に記憶されているのではなかろうか。

 1334年正月、改元されて世の中は「建武」の年号となった。後漢の光武帝が王莽の乱を平らげて漢を再興したときの年号にあやかったものであったが、この年は国中に疫病が広がり、病死する者が数知れず出た。その年の秋、紫宸殿の上に怪鳥があらわれた。

 いつまで
  いつまで


 嘴から電光を発し、雲に響く声で鳴く怪鳥に、人々は恐れをなした。
 かつて鵺という鳥が雲中かけて鳴いたとき、源頼政が勅命によりこれを射落とした。それに習い、隠岐広有という武者が選ばれた。
 ある晩、御所の上を飛び回る鳥は、いつまで、いつまで、と鳴きながら、火炎を吐いていた。その明かりで居場所を確認した広有は、狙いを澄まし、次に鳴いたときに矢を放った。手応えは、あった。
 衛士たちが松明で照らすと、その射落とされた鳥は、頭は人間のようで、体は蛇のようで、嘴の先は曲がり、歯は鋸のようであった。また、足には剣のように鋭い蹴爪があった。羽を広げてみると、その長さは一丈六尺(4.8m)もあった。

 怪鳥は、のちに以津真天(いつまで)と呼ばれることになる。
 その不気味な鳴き声のわけは、「いつまで、死体を放ったままにしておくのか」ということだそうだ。
 世を刷新する象徴的な建武元年にこの怪鳥があらわれたことは、新政権にとっての凶兆のように思われた。


 建水分神社は、「たけみくまり じんじゃ」と読む。楠木氏の氏神だそうだ。
 水分とは、千早川と水越川の合わさる地点のあざな。楠木氏を育んだ土地。
 建水分神社の階段の下に、摂社として南木神社がある。

 1335年、中先代の乱。幕府の残党が北条の遺児を奉り、鎌倉を奪還した。足利尊氏は鎌倉を落とし乱を鎮めた後も鎌倉に居座り、やがて、建武の政権に叛逆した。足利尊氏はひたすら西進し、年も変わり1336年に入京。しかし、北畠顕家や楠木正成、新田義貞らの朝廷軍に袋叩きにされ、九州へ都落ちを余儀なくされた。
 尊氏は自害まで覚悟するほどだったが、九州多々良浜の戦いで菊池氏を倒し、尊氏の西国における求心力が一気に高まった。
 1336年、足利尊氏を九州へ追い落としたのち、朝廷主力の新田義貞は、尊氏に味方した赤松円心(則村)の籠もる白旗城を包囲していた。しかし城は容易に落ちず日数ばかり費やし、そして西から反攻の足音が近づいていた。
 後醍醐天皇に至急召された楠木正成は、京を丸ごとおとりにして敵を枯らしてから討つ策を言上したが、頑迷な公家の言葉により、勝てぬ戦に敢えて挑むこととなった。いざ、湊川へ…。

 京を出た楠木正成は、途中、桜井駅に差し掛かったところで、十一歳の嫡男・正行(まさつら)を呼んで、言った。

 「獅子は子を千尋の谷に落とす、と聞く。まして、お前は十歳を越えとる。今から言うことは よ~う聞いて、絶対背いたらあかん。今度の戦は天下を決める戦やから、お前と顔合わすのはこれで最後やと思う。この儂が死んだら、天下は必ず尊氏のモンになる。そやから、お前は河内に帰って、武芸に励んで、ときを待つんや」

 「いやや、正行は父上と一緒に死にたい! 足利なんて、ナンも怖いことあらへん!」

 「ドアホッ! 嫡男のお前が死んだら、母や一族郎党を 誰が守んねん。それに主上はどうなるんや。お前は、金剛山あたりに籠もって、どこまでも主上に忠節尽くすんや。生きて、生き抜いて、賊を討つんや。それが、何よりの孝行やと思ってくれ」

 「父上……」

 少年は、目に涙をためて、桜井をあとにした。


 南木神社は、「なぎ じんじゃ」と読む。
 楠木正成の湊川での戦死後、後醍醐天皇はその死を悼み、翌年の1337年に正成像をつくり、建水分神社にて祀ったという。のち、後醍醐天皇の子の後村上天皇から、南木明神(なぎ みょうじん)の神号を賜った。

 おそらく年長者を主に選ばれていたであろう楠木正成・正季兄弟以下 楠木一党七百余名は、兵庫の湊川にて、文字通り全滅した。
 足利尊氏は、楠木正成といっときは同志であったし、武略や人柄に感じ入ってもいたのだろう。もとから徹底した非情さに欠けていたのかもしれない。正成の首を、みせしめにはせず、水分へ送り返した。

 水分の館で、父と子は再会した。

 「アグッ…フグッ……うぁぁ~、今 正行も父上のお供しますよってに」

 「アホンダラ!」   パァン

 「グエッ、……は、母上!?」

 「情けない、もう父の訓えを忘れたんか!? 生きて、武芸磨いて、一族守るよう、主上を奉るよう言われたんちゃうんか? 口惜しかったら、父を越える武士になれ!」

 そして十数年―――かつて父との別れに涙した少年は、凛々しく逞しい武士となっていた。


 四條畷神社は、四條畷の戦いで討死にした楠木正行(まさつら)を祀る。
 正行も「楠公さん」と呼ばれ、父の正成と区別するため、父が「大楠公(だいなんこう)」、子が「小楠公(しょうなんこう)」と、特に呼ばれる。

 1336年5月、楠木正成、兵庫の湊川にて戦死。
 1338年5月、北畠顕家、和泉の石津にて戦死。
 1338年8月、新田義貞、越前の藤島にて戦死。
 1339年9月、後醍醐天皇、大和の吉野にて崩御。「魂魄は常に北闕の天を望まん」
 
 後醍醐天皇には皇子が大勢いた。激しい後醍醐に似て、激しい皇子が多かった。
 護良親王:元弘の乱の立役者。1335年7月、中先代の乱の際に足利直義に殺された。
 尊良親王:新田義貞とともに北陸へ行き、1337年3月、金ヶ崎城にて義貞の子・義顕とともに自害した。
 恒良親王:新田義貞とともに北陸へ行き、尊良親王自害のとき、捕らえられた。京で幽閉され、のちに殺された。
 宗良親王:1338年、北畠親房とともに陸奥を目指したが、座礁。遠江の井伊谷にて信濃の勢力をまとめ三十余年活動した。
 義良親王:1338年、北畠親房とともに陸奥を目指したが、座礁。吉野に戻り、のちに皇位を継いだ。後村上天皇。
 懐良親王:1336年、征西大将軍として九州へ下向。1372年に今川了俊に追われるまで、一大勢力を築いた。

 南朝勢力は、九州と信濃にある程度の地盤をつくりあげたものの、名高い武将はことごとく戦死し、中央においてはまともに北朝と戦えないほどに衰えていた。
 そういう時代に、長らく雌伏していた楠木正行は、世に出でた。

 1347年、菊水の旗は再び戦場に翻った。楠木正成の遺児である正行が、弟の正時や楠木正季(正成の弟)の子の和田賢秀(にぎたかたひで/けんしゅう、正行の従兄弟)ら一族郎党五百余名とともに挙兵したのだ。
 正行はたびたび住吉や天王寺あたりに進出し、幕府からの討手三千余名を藤井寺にて破り、また、二ヶ月後にはさらなる討手六千余名を瓜生野(うりゅうの)にて破った。その際、浮き足立った敵の後陣を渡辺(現天満橋付近)に追い落としたのだが、正行はその川に流された兵を五百名ほど引き上げ、傷の手当をし、敵陣へ送り返そうとした。
 助けられた兵は感動し、そのまま楠木勢に身を投じ、のちの四條畷にて正行と命運をともにした。


 楠木正行之墓は、四條畷神社の参道の突き当たりにある。というより、橿原神宮や南朝関係の神社などは、明治に入って急速に整備されたであろうから、正行の墓のぴったり正面の麓に四條畷神社を創設したのかもしれない。
 墓の隣の大楠の根元には、小さな石が半ば埋もれている。
 正行が戦死して百年余りのち、石碑のわきに二本の楠を植えた者がいた。この楠がやがて生長し、ふたつがひとつに合わさり、さらには間にあった石をも合わせたそうだ。
 どこかしら素敵な挿話に出会ったときは、素敵な景色に出会ったときと同じくらい、心地よい。

 諸国のかり集めの軍勢では楠木を止められぬ、と見た幕府は、執事の高師直・師泰自ら総勢八万名を率いて、淀に集結させた。
 それを聞いて楠木正行は、吉野の後村上天皇のもとに参内した。

 「このたびは、師直、師泰に戦いを挑み、身命を投げ打ち合戦いたしますれば、彼らの首を私が手にするか、私の首を彼らが手にするかのいずれかで勝敗がつくことでしょう。ですから、この世で主上のご尊顔を拝するために参内したのでございます」

 「汝は、先の二度のいくさに勝ちをおさめた。朝敵に対する朕の怒りを鎮めたのは、父以来続く手柄であり、まことに感心である。大軍が総力を挙げて向かってくるというから、今度のいくさが天下の分け目となるであろう。良将は、好機を見逃さず進み、潮時をつかんで退くという。朕は、汝を股肱の臣と思う。どうか、命をおろそかにしないでほしい」

 直々の言葉に感激した正行は退出し、一族郎党のうち同じところで死のうと誓い合った者たちで先帝後醍醐の御廟に詣で、如意輪堂の壁に名を書き連ねた。

 返らじとかねて思へば梓弓なき数にいる名をぞとどむる

 梓弓で射た矢が戻らぬようにわれらも再びこの地に戻ることはあるまいから、ここに名を記してゆくのだ――辞世の和歌も添えて。


 和田賢秀之墓は、楠木正行の従兄弟で、楠木一族の中でも武勇に優れていた和田賢秀(にぎたかたひで/けんしゅう)の墓。正行の墓から、北東600mの場所にある。
 この時代は、ともに育った武家の兄弟は、ともに戦い運命を共にすることも多かったようだ。
 西国で復活を遂げ京に幕府をひらいた足利尊氏・直義(観応の擾乱を除く)、足利家の執事の高師直・師泰、湊川で自害した楠木正成・正季、四条畷で自害した楠木正行・正時。
 楠木正行と和田賢秀は、それぞれの父と同じように、同じ戦場で死んだ。

 年明けて1348年、高師直・師泰の率いる大軍勢は京を発ち、河内の北の飯盛山から生駒にかけて陣した。
 吉野勢は、四条隆資が泉州・紀州の野伏せりを率いて飯盛山の付近の峰に攻撃をしかけ、その隙に楠木一党が三千名が率いて四条畷の高師直・師泰の陣を目指して前進した。楠木勢の先陣五百名は、菊水の旗をおし立て、一直線にためらわず進んだが、峰々に布陣していたの敵勢に殺到され、ズタズタに分断された。正行は混戦のさなかに矢傷を負い、正時と刺し違えて死んだ。
 この日の合戦で、楠木・和田の兄弟四名、一族二十三名、郎党百四十三名が、その誓ったとおりに、戦死を遂げた。

 吉野朝の希望を担った武将・楠木正行は、かくして初陣からわずか四ヵ月半で散ってしまった。
 もうとどめる者はいなかった。高師直は余勢を駆って吉野に侵入し、皇居や寺社などを焼き払った。
 後村上天皇は賀名生(あのう)へ逃れ、再び忍従の日々を送ることとなった。


 3/29に湊川の戦いの兵力を算出したように、四条畷の戦いについてもやってみたい。
 ここの資料によると、関が原の合戦時(1600年)の人口が1,227万人、鎌倉開府時(1192年)の人口が682万人。1336年当時は、おそらく700万人ちょい。
 安土桃山時代の太閤検地(石高の資料)では、全国で1,850万石ちょい。1万石あたり250~300名の兵を出せた。
 人口比が半分強(1.75:1≒57%→0.57)だから、米の獲れ高も同比率(57%)とみなし、兵の換算式だけそのまま使う。(もっともこのやり方は、地域ごとの人口分布の変化を無視している)

 慶長当時の全国の潜在動員兵力は、
 1800×250=450,000   45万名を、全国で分け合ったことになる。
 建武前後の全国の潜在動員兵力は、
 1800×0.57×250=256,500   25万名を、全国で分け合ったことになる。

 ただし、潜在動員兵力を、同時にすべて動員することは、考えられない。
 例えば、文禄の役では16万名、慶長の役では14万名を半島に送り込んだ。平均して15万名。
 兵糧調達、後方確保、民力の維持などの理由があって、全国規模で見た場合、三分の一の動員になったと思われる。
 戦国時代も、ひとつの大名が毎年毎季節に大動員をかけ続ける、ということはなく、どこかに戦いがあれば必ずどこかが休止状態にあったから、民力がもったのだろう。

 建武ののちの正平年間(四条畷の戦いは、正平3年)にこの三分の一の法則を適用すると、
 250,000÷3=83,333   8万3千名が、全国の潜在動員兵力のうち、一ときに動かせた。
 
 まさに、四条畷の戦い―――幕府勢8万vs吉野勢3千―――と符合する!

 ちなみに、8万という兵力は、河内・大和以南を除く近畿、中国、四国あたりに濃尾を加えたら、充分可能だ。3千という兵力は…僻地にしがみついた政権にしては妥当か。
 四条畷の戦いにおける太平記の兵力の記述は、湊川の戦いと異なり、かなり実際に近かったのではないかと思われる。

 話は変わって、小楠公こと楠木正行は、私個人としては楠木正成ほど好きではない。
 天皇の諭しがあったのにもかかわらず、少し、死に急ぎすぎたように思うのだ。
 おかげで、正成の三男・正儀(まさのり)は、南朝のために南北朝の和解を道を探すべく、四十年にわたり苦労する。(目的のため、一時は北朝に帰参したことも)
 のちに正儀の子孫が播磨の平木にたどり着き、平木氏を称した―――という説もある。
 播磨の平木といえば、兵庫県加東市平木、ちょうど播州清水寺の南の麓の郷だ。
 相方の情報によると、加東市に楠木氏の後裔の森南(もりなみ)姓の家があるという。

 おすすめスポット タグ 太平記 上赤坂城 建水分神社 櫻井駅 飯盛山城 楠公寺 四條畷神社 楠木正行之墓 和田賢秀之墓

 走行距離139.9km(うち、高速道路67km) 燃費計15.0km/l


 20.4.5(土)



 逆らいながら 奪われて…

  流されながら 見失う。

 誰もが その戸惑いの中から学ぶのだ。

  ああ、本当の私に帰っていきます。


   (大分むぎ焼酎 二階堂 2006年「未知の力」篇より)


 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 いつの間にか、大分むぎ焼酎 二階堂のCMが新しいのに替わってた。H19.8/30参照。
 昨夏に比べ、ユーチューブで見られるCMが増えている。

 1987年「自然」篇
 1988年「水の旅」篇
 1989年「街の夢」篇
 1990年「刻のオブジェ」篇
 1991年「森のオルガン」篇
 1992年「私の道」篇
 1993年「文士」篇
 1994年「風の棲む町」篇
 1995年「天文詩人」篇
 1996年「シネマグラス」篇
 1997年「木登り」篇
 1998年 「刻の迷路」篇
 1999年「旅人の車窓」篇
 2000年「風の海峡」篇
 2001年「雨宿り」篇
 2002年「父」篇
 2003年「遠い憧れ」篇
 2004年「詩人の島」篇
 2005年「砂丘の図書館」篇
 2006年「未知の力」篇
 2007年「文字のかけら」篇


 新しく入荷(?)したのは、
  「森のオルガン」篇:この歌の節は、おおたか静流? ヨリヨリ
  「木登り」篇:するする木登り。貌のすべてを映さないところが、心にくい。
  「遠い憧れ」篇:これぞ二階堂。王道。
  「詩人の島」篇:30秒でなく15秒なのが無念。。いつか30秒モノが出ることに期待。
  「文字のかけら」篇:二階堂も、ついにCGを使用!?

 何度でも言うけれども。
 二階堂さんにはぜひ、CM集のDVDを出して欲しいな。
 お金出す人、いるはずだから。私も出すよ。
Posted at 2008/03/19 20:55:21 | 日記
2008年02月08日 イイね!

日記 ⑤

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、五冊目。

 日記    


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.4.4(金)

 日記帳がいっぱいになった。。


 20.4.3(木)

 太陽から地球までの距離:149,597,870 km
 地球の直径(赤道面):12,756.3 km → 地球の半径(赤道面):6,378.15 km

 太陽の光を浴びる最も近い点と最も遠い点の距離は、およそ0.004%の範囲内。
 この範囲内で、水は固体として液体として気体として存在し、生命を受け入れる。
 今さらながら奇跡的なことだが、広い宇宙、この程度の偶然は他にないのかな。。
 

 20.4.2(水)

 野菜・果物ジュースと牛乳を飲んだときの後味は、苺のショートケーキの後味と似ている。


 20.4.1(火)

 うぁ。
 予約は発売日前日でいいや、と思ってたら、速攻売り切れ。orz
 さすが、彦根市が勢いだけで刊行しちゃっただけのことはある。
 小説彦根ひこにゃん殺人事件、初版はダメだったけど、第二版は必ず手に入れる!

【彦根ひこにゃん殺人事件】



 20.3.31(月)

 三週間ほど前の話。
 京都の賀茂御祖神社と賀茂別雷神社へ行った。

 その前フリとして、転生前H18.10/15に行った大和の高鴨神社の話から。
 高鴨神社は、かも一族の発祥の地とされ、祭神は迦毛之大御神(カモノオオミカミ)。
 これは、古事記に登場するアヂスキタカヒコネのこと。

 アマテラスは、高天原から葦原中つ国を見下ろし、これを欲した。
 そこで、何度か遣いをやったが、梨の礫。アメノワカヒコに至っては、オオクニヌシの娘・シタテルヒメを娶り籠絡(?)される有様。
 高天原の神々はこれを糺すため雉のナキメを遣わしたが、アメノワカヒコはナキメを弓で射殺し、矢はそのまま高天原まで届いた。

 「アメノワカヒコに邪心無ければ当たるな、邪心あらば必ず当たれ」

 言霊をのせて同じ矢を射返すと、矢は一直線に下界へ向かい、アメノワカヒコの胸に刺さった。
 アメノワカヒコは死んだ。シタテルヒメは夫の死を嘆いて泣き、集まった者もみな沈んでいた。
 そのとき、シタテルヒメの兄のアヂスキタカヒコネが弔問に訪れた。
 アヂスキタカヒコネとアメノワカヒコは、それほど似ていたのだろうか。錯覚され、次々に抱きつかれた。

 「アメノワカヒコが黄泉帰った!」
 「友の死を聞いたから駆けつけたというのに、何故穢らわしい死者と間違えるのか!」 

 腹を立てたアヂスキタカヒコネは、十拳の剣を抜いて死者を納める喪屋を切り倒し、喪屋を蹴り飛ばした。
 喪屋は遥か遠くまで飛んでゆき、それが美濃の喪山になったという。


 ずいぶんと乱暴な神だが、彼がかもの始祖とされている。
 ゆえに、息子のアヂスキハヤオ、兄弟のコトシロヌシ、妹のシタテルヒメ、妹婿のアメノワカヒコまで一緒に祀られている。さて、本題へ。

 賀茂御祖神社は、「かもみおやじんじゃ」と読み、通称は下鴨神社。
 かもの始祖(!)とされるカモタケツノミを祀る。

 オオクニヌシの国造りによって葦原中つ国は繁栄し、それに嫉妬した高天原のアマテラスはタケミカヅチその他の神を遣わした。
 タケミカヅチはオオクニヌシに国譲りを迫り、屈したオオクニヌシは高くそびえる出雲大社に祀られることとなった。
 オオクニヌシの息子のタケミナカタは激しく抵抗したが、敗走を重ね、信濃の諏訪にて降伏し、以来その土地を出ていない。

 その後、天孫ホノニニギが高千穂に降臨し、数代かけて筑紫に根をはり、サヌヒコの代になって東へ進んだ。
 美々津から諸所立ち寄りながら何年もかけて瀬戸内を進み、浪速から大和へ入ろうとしたが、トミノナガスネ(生駒周辺の豪族?)の前に敗れ去った。
 生駒越えをあきらめたサヌヒコは、紀伊半島を大きく迂回し、熊野川を遡った。
 山深い熊野行は困難を極めたが、地元の豪族タカクラジが差し出してきた剣(フツノミタマ、H19.12/13参照)を得、また天より遣わされたヤタガラスの先導を得て、ようやく大和入りを果たし、橿原に宮をひらいた。カムヤマトイワレビコ、神武東征の物語である。


 古事記で有名な八咫烏―――ヤタガラス(日本書紀では、金鵄がこれに相当する)は、このカモタケツノミの化身だという。

 賀茂別雷神社は、「かもわけいかづちじんじゃ」と読み、通称は上賀茂神社。
 カモタケツノミの娘・タマヨリビメの子、カモワケイカヅチを祀る。

 京を流れる鴨川と高野川の合流地点の内側に賀茂御祖神社(下鴨神社)があり、その3km上流に賀茂別雷神社(上賀茂神社)がある。
 両神社は、公式サイトが相互リンクされているが、高鴨神社へのリンクは無い
 この不自然なまでの繋がりの無さはどうだ。そこで、大和と京のかもを対比を表にしてみた。

 かも一族の祖である、ということ以外、何ら類似すらしていない。
 ところが、高鴨神社の説明板では―――。

 アヂスキタカヒコネ=カモタケツノミ(=ヤタガラス)
 …と、京のカモ神社のカミ(カミの語源もカモである、という説もある)と同一神格とみなしている。
 もちろん、オレンジ色の部分がアヂスキタカヒコネとしての事績、水色の部分がカモタケツノミ(ヤタガラス)としての事績である。
 なんだか、取って付けたような感があり、しっくりこない。
 さりとて、京のカモ神社側にも、「ヤタガラスとして神武を導いたカモタケツノミは、大和の葛城山から木津川あたりを経て山代の現在の下鴨に鎮まった」という伝えがあるらしい。

 ① 同一のかもの一統が、大和から山代へ流れたのかも。
 ② いくつかの系統のかもが同時に興ったのかも。

 ①の場合なら、アヂスキタカヒコネとカモタケツノミは、別の時代のかもの長だったのか。片や真の始祖で、片や数代後の中興の祖、といったふうに。
 ②の場合なら、その複数のかもは、血の濃淡を問わず血統のつながりがあったのか。あったとすれば、複数の系統に分かれる前の真の始祖は名が伝わらず、後代の世の動きが活発になったときのかもの長たちの名が残ったのか。

 真実はいかなるものだったのだろう。気になって夜も寝られないかも。



 おすすめスポット 賀茂御祖神社 賀茂別雷神社 高鴨神社 一言主神社


 20.3.30(日)

 前日の続き。鷲林寺と甲山と神呪寺へ行った話。3/29参照。

 その前フリとして、転生前H19.3/11に行った播州光明寺の話から。
 播州の加東市(旧滝野町)の川筋に屹立する要衝の光明寺は、古戦場でもある。
 新たに天皇を戴き、湊川の戦いで後醍醐天皇方を破った足利尊氏は、京に幕府を開いた。
 しかし、後醍醐天皇に三種の神器ごと逃げられてもう一つの朝廷(南朝)をつくられるわ、幕府内において弟・直義と有力家臣の高師直が大きく力を持つわ、散々の有様。
 ついには、直義と高師直が衝突し、政争を経て、兄・尊氏も巻き込む観応の擾乱となった。

 尊氏の遠征中に、監禁されていた直義が逃げ出して、挙兵した。
 北朝から追討令が出されると、直義は、こともあろうか南朝方についてしまった。(ずっと将軍を支えてきた将軍の弟が、である)
 翌年の1351年(観応2年)1月、直義は尊氏の嫡男・義詮を追い出して京を制した。
 2月4日、高師直、赤松則祐らをはじめ一万の兵を率いる尊氏は、直義方の将・石塔頼房と五千の兵の籠もる光明寺を囲んだ。
 各所で攻撃が行われたが、寄せ手はことごとく敗れ、対峙は十日間に及んだ。やがて、直義方の石塔義基・畠山国清ら兵七千余が後詰にやってきたため、反対に囲まれることを恐れた尊氏は、光明寺の包囲を解いて摂津に退いた。
 2月15日、守り手はこれを追撃。後詰の畠山国清は、有馬温泉を経て芦屋の打出浜に回った。
 2月17日、打出浜の合戦で直義方は尊氏方を破り、高師直とその弟の出家を条件に和睦した。(南朝に味方しても、兄と戦っても、このときの目的は飽くまで高一族の排除にあった)
 高兄弟は、西宮の鷲林寺で、直義方の手により謀殺された。
 その足利直義も、翌年に尊氏との戦いに敗れ、幽閉され、死んだ。毒殺ともいわれる。


 鷲林寺は、六甲山の東端にある真言宗の寺。向かいに、甲山の全景が見える。
 光明寺の寺伝や滝野町史(?)で、この寺が高師直・師泰兄弟の終焉の地として紹介されていたことから、この寺に興味を持ったのだった。
 長い長い坂を上って、境内に入り、そこで目にしたのは……信玄公之墓。パチクリ
 鷲林寺の寺伝によると、武田晴信公が僧侶になるため得度をし、その頭髪を埋めた、という伝説のある七重の石塔だとか。
 それはそうと、高師直、高師直……。
 首塚を探し回ったが、境内どこにも無かった。orz
 受付でお寺の人に聞いても、「そうですか、よそでそんな伝えがあったんですか」。ギャフン!
 寺社や民間の伝えの曖昧・適当さと大らかさを思い知った次第。
 摂津猪名野周りの寺社は、1578~79年の荒木村重の乱で、織田信長の手によりほとんど燃やされ(泣)、清澄寺のように元と少し離れたところに再建する例もある。
 ところが鷲林寺には、七重の石塔がある。
 これは、信玄公の墓という伝説を抜きにしても、1300年前後、鎌倉後期のものだそうだ。
 つまりこの寺は、1300年以降、(もちろん南北朝時代も)場所は遷っていない。
 ということは、正真正銘、高兄弟にまつわる碑や伝えが遺っていないのだ。
 ちょっぴり寂しい気持ちで、鷲林寺をあとにした。

 甲山は、六甲山の東にある山。標高309.4m。
 ぽっこりきれいな△のカタチだから、兜(かぶと)。甲山(かぶとやま)と呼ばれる所以。
 鷲林寺から細長い鞍部を歩いて、西から登った。
 頂上はひらけ、空が高い。
 ふと、七夕の国の丸神山みたいだな、と思った。
 おそらくあの作品の舞台は、秋田県雄勝郡あたりなのだろうが。1/4参照。
 さて、東から降りてしばらくすると、墓碑があった。
 わきに彫られているには、……頼朝之塚。!?
 日本史上、頼朝といえば一人しか思い浮かばないが、あの征夷大将軍は関東で死んだ。
 うぐぐ、謎だ。。

 神呪寺は、「かんのうじ」と読む。別名、甲山大師
 甲山の南麓(むしろ中腹)にある真言宗の寺。
 甲山の頂上を仰ぐようにつくられ、三輪山の大神神社のような山を祀る原始的な神社を思わせるが、その割には人が立ち入りまくってる。(甲山はハイキングコースになっている。三輪山は、無許可で入山してはならないし、入山しても 何も持ち出してはならない)
 この寺は、なんと言っても景色が良い。
 標高はおそらく250m程度(?)。北摂の山々から生駒山、金剛山まで一望できる。

 おすすめスポット 光明寺 鷲林寺 甲山 神呪寺


 20.3.29(土)

 三週間前の話。
 摂津の湊川神社と湊川公園と会下山公園、鷲林寺と甲山と神呪寺へ行った。

 1333年、新田義貞は、由比ガ浜の西の岬から駆け抜け、鎌倉を陥落させた。ここに幕府は滅び、後醍醐天皇は中興を果たした。

 日本の歴史は怨霊の歴史とは井沢元彦の言であるが、日本の歴史は土地の所有権争いの歴史でもある。
 1334年、元号改まり「建武」。建武の新政府は、土地の保証・調整の能力にひどく欠けた。また、恩賞が不公平で、充分報われたのは足利尊氏・新田義貞・楠木正成など数えるほどで、功臣の赤松則村ですら播磨の守護職を没収される有様だった。所領問題や訴訟が大混乱に陥り、武士の不満は高まるばかりだった。
 1335年、中先代の乱。幕府の残党が北条の遺児を奉り、鎌倉を奪還した。足利尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍の官を求めたが、与えられたのは征東将軍だった。尊氏は鎌倉を落とし乱を鎮めた後も鎌倉に居座り、やがて、建武の政権に叛逆した。

 足利尊氏はひたすら西進し、年も変わり1336年に入京。しかし、北畠顕家や楠木正成、新田義貞らの朝廷軍に袋叩きにされ、九州へ都落ちを余儀なくされた。
 九州へ渡った頃には手勢は数百しか残っておらず、自害まで覚悟したが、多々良浜の戦いで菊池氏を倒し、尊氏の西国における求心力が一気に高まった。

 1336年、朝廷軍が足利尊氏を九州へ追い落としたのち、朝廷主力の新田義貞は、尊氏に味方した赤松則村の籠もる白旗城を包囲していた。しかし城は容易に落ちず日数ばかり費やし、そして西から反攻の足音が近づいていた。


 湊川神社は、楠木正成こと楠公(なんこう)さんを祀る神社。
 湊川の戦いに敗れた楠木の一族郎党が、もろともに自刃した地にある。

 湊川公園は、湊川の昔の流れの跡につくられた高架の公園。
 ひねもすご老人が将棋や碁を打ち合っている。

 会下山公園の「会下山」は、「えげやま/えげさん」と読む。
 湊川の戦いに際し、楠木兄弟が最初に陣した小山。
 しかし楠木勢は駆け下って戦い、高所の利を捨てた。

 西播に釘付けになっていた新田義貞とその軍勢は、戦に倦み疲れていた。
 足利尊氏は、進軍先の安芸にて、持明院統の院宣を授かったという。尊氏は、朝廷をもうひとつつくることで、朝敵の汚名を晴らしたのだ。それに応じて新田勢でも寝返りが相次ぎ、義貞は兵庫(今の兵庫県ではなく神戸市兵庫区に相当)で立て直しを図った。
 足利兄弟上洛の報を受けた後醍醐天皇は驚き、直ちに楠木正成を召した。

 「急ぎ兵庫へ下り、義貞を助けよ」
 「尊氏が九州の兵を率いて上洛するとなれば、これは大兵力。味方の戦い疲れた小兵力では、到底勝ち目がありません。ここは、新田勢を京へ呼び戻し、主上も再び比叡山へ赴かれるのです。この正成も、河内へ帰ったのちに淀川をふさぎますれば、入京した尊氏の兵糧は欠乏し、大軍は自滅あるのみ。そののち総力を挙げて京を攻めるならば、朝敵を一挙に滅ぼすことができましょう」

 正成の献言に、一人、反対した。公家の坊門清忠であった。

 「天子の御旗を賜った将軍がまだ戦をせぬうちから京を捨て、また主上が年に二回も比叡山にお逃げあそばせよとは、帝を軽んじているのか。官軍の面目もあったものではない。尊氏が九州から上洛というが、なに、昨年の関東からの上洛ほどの勢いもあるまいに。いままで顧みるに、小勢の味方が常に勝ってきたのは、わが方の武略が優れていたからではない。主上の天運によるものである。ただ、機は逸してはならぬから、正成、早う兵庫へ出陣せよ」

 正成は、黙して出陣した。
 途中、桜井駅(水無瀬の近く)に差し掛かったところで、嫡男・正行(まさつら)に後事を託し、河内へ帰した。



 ※ 湊川神社の資料を参考に作成。図の朝廷軍は楠木勢のみだが、新田勢が和田岬あたりに布陣していた。
   足利軍は、北の山側から斯波勢、中央を足利直義(尊氏の弟)と少弐勢、海からは足利尊氏と大きく迂回する細川勢が上陸。


 朝廷軍の主力である新田勢二万五千は、細長い兵庫の地の中央から海側、和田岬に陣した。楠木正成は、弟の正季(まさすえ)とともに、会下山に陣を構えた。総勢、七百余り。やがて足利の大軍勢が、陸から海から押し寄せてきた。

 須磨から進んできた足利直義の軍勢は、山手の斯波勢、海際の少弐勢もあわせると、五万、十万にも上るのではないかと思われた。遠くの海からは、四国の細川勢は大きく回りこみ、新田勢の退路を断つ動きを見せた。
 細川勢が生田の森へ上陸すると、包囲されるを恐れた新田義貞は東に壊走しはじめ、また足利尊氏が駒ヶ林に上陸し、楠木勢は敵中孤立した。

 兵庫の丘と野を舞台に、六時間の間に十六回も刃を交え、数年前の河内からついて来た一族郎党は、七十三名にまでに減っていた。これまで敵を散々嫌がらせてきた菊水の旗も、倒れ、踏みにじられ、今はもう数旒しか残っていなかった。
 一行は、湊川の北の民家に入った。全員、傷を負わぬ者はなく、疲労困憊である。人の限界を超えて戦ったつわものたちは、鎧を脱ぎ、座り込んだ。

 「正季、人はなァ、死ぬときの一念で来世が決まるそうや。今、お前は、何を願う?」
 「んなもん兄者、決まっとるわ。七度まで人間に生まれ変わって、朝敵を滅ぼしたいて思うわ」
 「はっはっは、ホンマ罪深い悪念やが、実は、わしも同じや。……ほな、仲良う念願成就と逝こか」

 正成・正季は差し違えて倒れた。七十余名も、思い思いに自刃して果てた。




 南朝贔屓の太平記では、湊川の戦いの足利軍が 五 十 万 と書かれているが、いくら西国の兵を催したと言っても、これは到底信じられない。もういい。自力で算定する。
 ここの資料によると、関が原の合戦時(1600年)の人口が1,227万人、鎌倉開府時(1192年)の人口が682万人。1336年当時は、700万人ちょいだったろう。
 安土桃山時代の太閤検地では、全国で1,850万石ちょい。1万石あたり250~300名の兵を出せた。
 人口比が半分強(1.75:1≒57%)だから、米の獲れ高も同比率(57%)とみなし、兵の換算式だけそのまま使う。
 石高の資料はコレを参照。なぜか豊後がないので逆算したら、34万石ちょいだった。電卓ミスがなければ。

 九州の石高は、(豊後を34万石として)ざっと238万石。
 四国の石高は、ざっと77万石。
 中国(因幡 伯耆 出雲 石見 美作 吉備 安芸 周防 長門)の石高は、ざっと174万石。
 1336年建武の当時、これら地方の勢力の8割が足利についたと仮定する。
  (238+77+174)×57%×0.8×250=55,746
 旗揚げ以来の一族郎党と各地の残党とを合わせて、多くて60,000名程度だろう。

 こうなりゃついで。同じ推論で、楠木勢も算出。
 建武の恩賞の河内・和泉の石高は、ざっと38万石。
  38×57%×250=5,415
 5,400名。意外と多い。
 しかし、正成倒れても正行、正行倒れても正儀、と、軍勢ごと不死鳥のように復活してるので、のちの代のために兵の過半を割いて残した、と考えるべき。つまり、多くて2,000名。
 ただ、上の推定はふたつとも、潜在的に、最大限どれだけ兵力を徴し得るかの目安であって、実際にその潜在力だけ丸ごと動員できるとは限らない。戦国大名にまで時代が下れば、そのあたりの動員体制が洗練されてくるのだが。
 要は、勝ち目の無い戦いの前に陣触れを出しても、兵が思うように集まらなかった可能性も大きいと思う。とにかく、楠木勢700名という数字については、信用できないではない。

 たまには、電車と徒歩の史跡巡りもいい。
 鷲林寺、甲山、神呪寺の記録は、長くなり過ぎたので、明日に記す。

 おすすめスポット 会下山公園 湊川公園 湊川神社 白旗城


 20.3.28(金)

 明石家さんまだ、と思ったら(ナンバープレートを上向き斜めに取り付けている)カマロだった。


 20.3.27(木)

 ライラの冒険の公式サイトで、自分のダイモンを調べてみた。3/24参照。
 診断によると浮野は、受身的、はきはきした、探究心旺盛、控えめ、柔らかい口調。
 従って浮野のダイモンは、蜘蛛(♀)のAthenestia(アスェネスティア??)だそうだ。(ダイモンの全人口1,082,510人中の蜘蛛21,409の1つ)

 ところで、ダイモンとは何か? …という疑問が、当然出よう。
 ダイモンについては様々な定義があろうが、私はあえて言う。
 ダ イ モ ン と は 、 ス タ ン ド で あ る 。

  スタンドとは、その人を守ってくれる守護霊のようなものである。
  スタンドは、一人の人間に一体である。
  スタンドを傷つけられると、スタンド使いも傷つく。


 実は、コールター夫人のダイモンがライラのダイモンに襲いかかったとき、浮野は(心の中で)叫んでいた。

   ゴゴゴゴゴゴ ゴゴゴゴゴゴ
 「 ス タ ン ド 攻 撃 だ ァ ー ー ー !!」


 20.3.26(水)

 転生前、昨年4/7の話。
 津山城へ、桜見物へ行ったときのこと。
 たまたま、催し物で、演奏や演劇などをやっていた。

 最初、何の演目かわからなくて、「台座にすわる物言わぬ貴人は、誰なんだ!?」と思った。
 ナレーションを何度か聴くに従って、少しずつわかってきた。
 鎌倉倒幕の兵を挙げて失敗し、隠岐へ流されることとなった後醍醐天皇一行なのだそうだ。
 舞台へ挙がってから降りるまで、後醍醐天皇は ついに一言も発しなかった。
 ただ、ただ、哀しみを帯びた目をしていた。
 それは、無想転生を極めたケンシロウの目にも似ていた。


 ① 津山さくらまつり 2007。


 ② そのプログラムのひとつ。後醍醐天皇、遠流せらる事(仮称)。


 ③ お付きの女御(?)たち。 こんな島流しなら、いいな。


 ④ 後醍醐天皇。終始、虚ろに宙を見つめていた…。

 鎌倉後期、皇統の継承が混迷し、鎌倉幕府の調停により、対立する持明院統・大覚寺統が交互に天皇となることとなった。
 1318年に即位した後醍醐天皇は、このままでは子は天皇になれないし、後醍醐天皇自身も治天の君(ちてんのきみ、実権のある上皇)になれない。それゆえ後醍醐天皇は、両統迭立を取り決めた幕府の打倒を画策した。
 1324年、正中の変。事前に察知した六波羅探題に鎮圧される。天皇は咎め無し。
 1331年、元弘の乱。計画が漏れるも六波羅探題の追手をかわし、笠置山から各地に倒幕を呼びかけるが、鎮圧される。
 1332年、天皇は流刑、隠岐へ。

 そのころ備前に児島高徳という武士がいた。(元は、瀬戸大橋の架かるあの児島の出?)
 児島は、後醍醐天皇の身柄の奪還を企て、仲間を集めて待ち伏せた。
 しかし、通り路の予想を外して行き違いになり、さらに後ろから追いかけたが、幕府のものに警固された天皇一行は、すでに美作の府・院庄に入ってしまった。
 計画が空しくなり仲間も散ってしまった児島は、せめて後醍醐天皇に己の志を知ってもらおうと考え院庄の館に近づいたが、警固が厳しく隙がなかった。そこで児島は、その庭の桜の幹を削って、次の詩句を書きつけた。
  天莫空勾践 時非無范蠡 (天、勾践を空しゅうする莫れ 時、范蠡 無きにしも非ず)
 天は、帝の志を空しくすることは無い。越王勾践が忠臣范蠡を得たように、帝にもまた数多の忠臣がいるのだから。と。
 翌朝、警固の武士が十字の詩を見つけたが、後醍醐天皇のみがその意味を解し、励ましとした。
 翌年の1333年、後醍醐天皇のもとに、かれの范蠡が綺羅星の如くあらわれた。
 河内の楠木正成、播磨の赤松則村、隠岐から帰る手引きをした名和長年、そして関東の新田義貞と足利高氏―――。


 おすすめスポット 美作 院庄(いんのしょう)


 20.3.25(火)

 今月初頭の話。
 河内の観心寺、楠妣庵観音寺、楠木正成誕生地、下赤坂城、千早城その他へ行った。

 観心寺は、楠木氏と南朝ゆかりの寺。今は、花の寺で有名。
 ここの賓頭廬尊者は、木像だが、ハタキは無かった。3/20参照。

 楠妣庵 観音寺の「楠妣庵」は、「なんぴあん」と読む。
 楠木正成夫人が長男・正行(まさつら)戦死後に庵を結んだところ。
 夫人は元々、ここ甘南備(かんなび)の出とも言われているようだ。

 楠木正成誕生地は、左右を川が流れ正面で合流する間の高台の地にある。
 平野から徐々に山に入り始める場所に位置し、館跡もあるようだ。
 今は、道の駅や村のホールなど、ハコモノが集中している。

 下赤坂城は、楠木正成誕生地から川を越えた東の尾根にあり、南北に長い。
 しかし今は、千早赤阪中学校の背後の裏山に碑が立つのみとなっている。
 そこからは、棚田(8、9月ならさぞ美しいだろうに!)と富田林方面が見える。
 美しい日本の国土にPLの悪趣味な塔がぶっ刺さってる光景は、甚だシュールであった。

 千早城は、下赤坂城から8km(直線距離で6km)南にある。
 登山口から10分でたどり着けたのに、下の案内板の所要時間は30分と書かれていた…。

 楠木正成は、鎌倉末期~建武の新政に生きた武士。
 河内の悪党とも言われ、悪党を大雑把に言えば、律令や幕府の体制外の勢力を指す。
 1331年、鎌倉幕府の打倒を胸に笠置山に籠もる後醍醐天皇は、夢を見た。
 紫宸殿とおぼしき庭に橘の木があり、特に南の方の枝がよく繁り、その下に畳と玉座があった。
 後醍醐天皇は、夢から覚め、自ら夢解きを考えた。「南」と「木」、組み合わせると「楠」…。

 「このあたりに、楠と名乗る武士はいるのか」
 「この近くにはいませんが、河内国金剛山の西に楠木多聞兵衛正成という武名高い者がいます。遡ると橘諸兄公の子孫でありますが、野に下って長年月を経ております。その母が若い頃、信貴山の毘沙門天に百日詣でをして神仏から授かった子であるから多聞と名付けられたとか」

 かくて楠木正成は、後醍醐天皇のもとに召された。

 「いかな謀があれば、勝ちを得、天下を泰平にすることができるであろうか」
 「幕府を倒すためには、武略と智謀のふたつが肝要で、武力だけでは鎌倉には敵いますまい。しかし智謀をもって戦うならば、鎌倉これ恐るるに足りません。ただし、合戦は勝ちもすれば負けもするもの。一ときの勝敗にとらわれてはなりません。この正成一人生きている限り、帝の御運は必ず開けるものと思し召しくだされ」

 そして正成は赤坂に帰り倒幕の兵を挙げたが、準備が不足で、一ヶ月で落城した。後醍醐天皇も、隠岐へ流された。

 


 美原北ICを降りた時点では、燃費計で17.8km/l(!)を記録していたのだが、赤坂と千早の山中を走り回るうちに13.0km/lに…。orz
 気を取り直して帰路も省燃費を積み重ね、15.2km/lまで回復した。
 高速道路は、80~90km/hに徹した。空気を敵に回さないためだ。
 燃費は、1km/lさげるのは容易いが、0.1km/lあげるには多大な努力を要する。

 おすすめスポット 観心寺 楠妣庵 観音寺 楠公誕生地 下赤坂城 千早城 

 走行距離161.9km(うち、高速道路93km) 燃費計15.2km/l


 20.3.24(月)

 今月初日の話。
 映画ライラの冒険 黄金の羅針盤を観に行った。

 ここ数年、なぜか映画界でホッキョクグマが大人気。
 ちょっと思い出すだけで、ナルニア国物語の橇クマ、北極のナヌーアースのはぐれクマ、そして本作のよろいクマ。
 犬の次に人気があるのでは、思えるほどだ。
 そして、よろいクマ族の戦士イオレク・バーニソンの強さに惚れた。
 ナルニア国のアスラン(←ライオン)なんぞ、 腕 の 一 振 り で 首 が 抜 け る に違いない。

 …長々とクマの話になったが、黄金の羅針盤はクマの物語ではない。
 選ばれし少女ライラと真理計をめぐる話である。
 ライラが舌先三寸でよろいクマ族の敵王を姦計に陥れるくだりは、思わず舌を巻いた。
 随何や蒯通、あるいは侯公のごとき縦横家の弁を見ているようだった。

 まこと末恐ろしいライラを演じるダコタ・ブルー・リチャーズは、15,000人の中からオーディションで選ばれたとか。だが、浮野は、ダコタ・ファニングの方が良かったりする。

 もはや自分でも何を書いてるのかわからなくなってきたが、これだけは言える。
 この日、もっとも感動したのは、 映 画 を 1 , 0 0 0 円 で 観 ら れ た ことだった。


 20.3.23(日)

 本屋に並んでいた 常陸・秋田 佐竹一族(3/10参照)を、結局買ってしまった。
 風土記関係の本も合わせて、四千円の出費。。


 20.3.22(土)

 シャーペンで和服少女を適当に落書きしてみた。…ら、いつの間にか、松姫になってた。orz
 線がグチャグチャだとか、前に描いた絵と顔が違うだとかは、気にしたら負け。(←?)
 なにぶん資料が無いので、この時代の髪型も着物も、よくわからない。ナデガタ?
 大河ドラマでもレンタルして調べるのも、いいかもしれない。
戦国一のブラコン娘

 武田の松姫は、武田信玄の娘。H19.7/8参照。
 母は、甲州一の美女(らしい)の油川夫人。同腹の兄に、仁科五郎盛信がいた。
 幼少の頃に、織田信長の息子の奇妙丸との縁談が決まり、結納を交わし、未来の夫婦どうし手紙のやり取りさえしていたが、松姫11歳のとき両家が対立し、破談となった。さらに、翌年には父・信玄が病没。四郎勝頼が武田家を継ぐ。
 泣き明かしていたであろう松姫に、母を同じくする兄の五郎は、屋敷を新築して住まわせた。

【甲斐 古府中の一角にて】
  ブラコン 松姫「兄上さま~、兄上さま」
  シスコン 五郎「どうした、お松」
 「あ、こちらでしたか。兄上さま、此の度はわたくしのために新館を建てていただき…」
 「よい、よい。礼なら棟梁にでも言っておけ。あれの腕はいい」
 「もう言いました。松は、 兄 上 さ ま に 、御礼申し上げたいのでござります」
 「そ、そうか、いや、気に入ったのなら儂も嬉しい」
 「はい。陽あたりよく、檜の薫りも……なにより躑躅ヶ崎の館から離れらるるのが…」
 「うむ……心ゆくまで此処におればよい」
 「ずっと兄上さまのおそばにおりまする。武田の家にとどまるうちは」


□ みんカラタグ
 高遠 松姫峠 信松院 しず 松姫萌え



 20.3.21(金)

 2/24の給油記録。
 ① 丹波/古市 今田:95.7km
 ② 北摂/箕面 多田:62.1km
 ③ 丹波/今田、東播/吉川:83.6km 
 ④ 紀州/粉河 九度山:263.2km(うち、高速道路155km)
 …を含む。

 556.1km 12.6km/l(燃費計) 46.82L(レギュラー)給油 @145
 556.1÷46.82=11.877… → 11.8km/l(満タン法)
 11.8-12.6=△0.8

 ∴燃費計は、満タン法より、0.8km/l前後良く測定される。

 さらに、2/24の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①②③④を遠出、残りを ⑤街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.8km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  95.7km 13.5km/l → 12.7km/l 7.535…L
 ②  62.1km 11.1km/l → 10.3km/l 6.029…L
 ③  83.6km 12.9km/l → 12.1km/l 6.909…L
 ④  263.2km 15.0km/l → 14.2km/l 18.535…L
 ⑤  51.5km       →       7.811…L
 計 556.1km 12.6km/l → 11.8km/l 46.82L

 ①  95.7km 13.5km/l → 12.7km/l 7.535…L
 ②  62.1km 11.1km/l → 10.3km/l 6.029…L
 ③  83.6km 12.9km/l → 12.1km/l 6.909…L
 ④  263.2km 15.0km/l → 14.2km/l 18.535…L
 ⑤  51.5km       → 6.5km/l 7.811…L
 計 556.1km 12.6km/l → 11.8km/l 46.82L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、51.5km走って 6.5km/l。やっと回復した。(T-T)


 20.3.20(木)

 賓頭廬尊者(びんずるそんじゃ)。多くの寺院の脇に、安置されている。
 その像のある部分を撫でると、撫でた人のその部分も治る、といわれることから、撫仏とも。

 先日訪ねた紀三井寺と粉河寺にも、賓頭廬さんがあった。
 撫でようと近づいたら、ハタキがあった。紀三井寺にも、粉河寺にも、だ。
 撫でるかわりに、ハタキではたけ、ということだろう。

 両寺院の賓頭廬さんは、木像だった。少し、ささくれ立っているところもある。
 今まで見た賓頭廬さんは、銅像で、よく撫でられる部分がピカピカに光っていた。

 賓頭廬さんをハタキではたくのが、
 ① 木像と銅像の違いゆえ …なのか、
 ② 独自の土地の慣習ゆえ …なのか、
 これまで注視してなかっただけに、これからは気をつけて観察したい。


 20.3.19(水)

 先月の話。
 紀州の紀三井寺、粉河寺、慈尊院、丹生官省符神社、真田庵へ行ってきた。

 紀三井寺は、「きみいでら」と読む。西国三十三番札所の第二番。
 ここへ行ったのは、二回目。H19.12/3参照。

 粉河寺は、「こかわでら」と読む。西国三十三番札所の第三番。
 落ち着いた佇まいが、情緒たっぷり。それでいて、迫力ある石庭が見もの。
 300円を納め本堂の奥を見物。木彫りの野荒しの虎も見た。
 撮影禁止だったので、簡単に描いてみた。右が浮野。。(・・;)
ガオー

 慈尊院は、高野山の表玄関にあたる寺院。階段ひとつでつながる丹生官省符神社とセット。
 慈尊院のお堂の前には、布でつくった(実物大の?)お乳が、供えられている。
 「健康に育ちますように」「乳がたくさん出ますように」…そんな母の願いが込められている。
 は、/霊力(ち)であり、(ち)であり、(ち)。
 丹生官省符神社の丹生は、「にう/にゅう」と読み、赤い鉱石辰砂を意味する。
 音読みのつながりから丹生と乳を符合さすのは、強引かもしれない。

 真田庵は、真田父子配流の地。
 真田昌幸と次男・信繁(幸村)は、関ヶ原の合戦において大坂方に与し、本来なら死罪のところ、関東方についた長男・信幸の助命嘆願により、高野山に流罪となった。
 高野山は女人禁制のため、妻連れの真田父子は、高野山の山麓の九度山に蟄居した。
 昌幸は大坂の役を前に病死。
 信繁は息子ともども九度山を脱して大坂城へ入り、夏の陣で討死にした。
 思うに、豊臣恩顧の武略に優れた武将大坂に程近い高野山へ流したのが、徳川家康の失策以外の何ものでもない。(もし大坂城に入ったのが昌幸だったら!?)
 九度山と大坂城は、和泉山脈を越えて50km少しの道のりだ。回り道しても、100kmいかない。
 隠岐なり佐渡なり、島流しにすれば良かったのだ。それはそうとして…
 大らかな紀ノ川の流れのためか、九度山に語感ほどの閉塞感を感じることは無かった。

 紀ノ川中流域 九度山にて。左右の道路は、撮影地点を横に走る、一本の道路。
 180度の視野、8枚の写真をつなげた結果、強いゆがみを生じている。


 この日は、高速道路を90~100km/hで走行。和歌山IC時点では、16.0km/l(燃費計)を計測。
 折り返しの大半がシタ道だったが、大きく落ちることなく省燃費。エライぞ、2.0i♪

 おすすめスポット 紀三井寺 粉河寺 慈尊院 丹生官省符神社 真田庵

 走行距離263.2km(うち、高速道路155km) 燃費計15.0km/l


 20.3.18(火)

 先月の話。
 丹波今田のDONO、東播吉川のよかたんへ行った。

 DONOは、とてもおいしいピザ屋さん。もはや、常連になりつつある。

 よかたんは、旧吉川町がつくったスーパー銭湯。
 ぽかぽやらゆぴかやらぬくもりの郷などが周りにあらわれ競争激化していたが、リニューアルして力をとり戻している。
 どことなくのんびりした、ここの雰囲気が一番好き。

 走行距離83.6km 燃費計12.9km/l 高速道路不使用


 20.3.17(月)

 2007年、中国車。全席クラッシャブルゾーン。


 これを国策とみるのは、チト穿ちすぎか。


 20.3.16(日)

 幕末の日本に来たスイス時計業組合会長のエメェ・アンベールの手記を挿絵付きで載せている絵で見る幕末日本(講談社学術文庫)から、興味深い記述をひとつ。2/5、2/21参照。

 私は、半ダースほどの男の子が、師匠の周囲に坐って、授業を受けているのを見たことがある。
 彼らは、文字の意味を知ろうとして、何度もそれを口に出して唱えていた。
 (中略)
 それはそれとして、日本のアルファベットは、次のように聞こえた。

 イウォラ ニウォウェド ツィリヌル ウオ
 ウァガヨ ダレツォ ツゥネ ナラム
 ウイイ ノ オクヤマ キョフゥ コエテ
 アサキ イュメミシエヴィモ セズ ウン


 この東半球の端において、われわれと全く同じ不死の創造物である人類の幾百万という少年たちが、毎日繰り返している詩に私は興味を感じた。そして、そこには、次のような意味があることを知り、驚かされた。

 色も匂いも、消えて行く
 われわれの世界において、何か永久的なものがあり得るだろうか?
 今日の日は、虚無の深淵の中に消滅していき、そのはかなさは、夢のようである
 それは、微細な不安すら残さなかった


 正直なところをいうと、この民族的なアルファベットは、最も浩瀚な書物よりも、より多くの日本人の基礎的性格に関する真実を私に語った。


 「いろは」が「民族的アルファベット」って発想が無かったね。
 言われれば、なるほどその通りだけど。
 同著のネタは、とりあえずはこれで最後。


 20.3.15(土)

 リンク ウキウキ掲示板のIDとパスワードを、失念した。orz モウ ヨメニイケナイ


 20.3.14(金)

  村治嬢のチケットきたーーーーー!!
 社、伊丹以来、三度目のリサイタルだわ。待ち遠しくて、身もよじれんばかり。


 20.3.13(木)

 書店の本棚に並ぶソフトバンク新書に、はじめて気付いた。今後に期待したい。


 20.3.12(水)

 先月中旬の話。
 北摂の勝尾寺と多田神社へ行った。

 勝尾寺は、「かつおうじ」と読む。
 西国三十三番のうち、第二十三番。
 名の通り、勝運祈願で知られ、境内には、だるまさんがビッシリだ。
 もののけ姫のこだまみたいに、あんなところにもこんなところにも、いる。
 最初は吹雪かれたが、鐘を突く頃には、晴れ間が見えた。

 多田神社は、源氏の発祥の地にして、聖地。
 新田源氏の子孫を名乗る徳川将軍家にとっては、ここに肩入れせざるを得なかっただろう。
 徳川家によって、立派に再建されたそうだ。
 源満仲は、普明寺の龍馬神美女丸と幸寿丸。源頼光は、大江山の鬼退治

 源満仲の子の美女丸は、僧になるべく摂津の中山寺に入れられたが、悪戯が過ぎ、父・満仲の怒りを買った。
 「かような役立たずは源家に要らぬ、首を刎ねよ!」
 郎党の藤原仲光は、主君の命とはいえ、思い悩んだ。そして、子の幸寿丸に話した。
 「父上、私の首を刎ねてください」
 仲光はハッと幸寿丸を見上げたが、眼には確かな意志がこもっていた。
 仲光は、わが子の首を打ち落とした。
 「美女丸さまの首、ご披見くだされ」
 「もうよい……さがれ」
 仲光は首を差し出したが、満仲もさすがに気が咎めたか、顔をよく見なかった。
 そして仲光に庇護された美女丸は、仲光からすべてを聞き、衝撃を受けた。
 身代わりとなった幸寿丸のいのちを背負った美女丸は、その後 修行に励み、源賢という立派な僧となった。


 虚実入り混じった伝説も、また魅力。

 おすすめスポット 勝尾寺 多田神社

 走行距離62.1km 燃費計11.1km/l 高速道路不使用


 20.3.11(火)

 先月中旬の話。
 神戸まで、映画 L チェンジ ザ ワールド星野道夫展を観に行った。

 L チェンジ ザ ワールド は、まあまあの出来。
 せっかくの設定と伏線を生かしきれてないかも。
 もう一頑張りといったところ。といっても、続編のつくりようも無いのだが。

 星野道夫展は、写真家(冒険家?)の星野道夫がアラスカで記録した、ホッキョクグマやアザラシやカリブーやムースやグリズリーや…(略)…オーロラや氷河等の写真の展示。
 星野道夫の写真は、誰しもが、一度くらいは目にしているかもしれない。
 同氏は、某番組の取材中、カムチャッカにてヒグマの襲撃を受け、死亡した。(TT)サンケベツ
 その「事故」については、いろいろと黒い噂が…。いや、やめておこう。


 20.3.10(月)

 
 本屋に並んでいた 常陸・秋田 佐竹一族に一目惚れしたのだが、なんと2,800円!
 普通なら、1,800円前後が相場なのに。ひとまず、あきらめた。(ノ_・。)


 20.3.9(日)

 最近クセになってるセリフ、 「 悪 い ネ コ チ ャ ン め ~ ! 」
 ワーナーマイカル系の映画冒頭の注意喚起のやつね。

【用例】
 相方「ひこにゃん、いっぱいチョコもろたみたいやで」
 浮野「悪いネコチャンめ~!」(><)


 20.3.8(土)

 フォトショップアウトルック エクスプレスの相性は、最悪だ。プンスカ


 20.3.7(金)

【浮野さんのハート】

 ………。まぁ、妄想家ってとこだけは合ってる。


 20.3.6(木)

 先月の話。
 宙を舞う雪(1cmくらい)が、眼球に直撃した。(:;)イタイヨ


 20.3.5(水)

 三週間ほど前の話。
 丹波古市の一眞坊と今田のぬくもりの郷へ行ってきた。

 一眞坊は、古い木造住宅を利用した蕎麦屋。19.11/29参照。
 私がDONOと並んでよく行く店。鴨南蛮の鴨が絶品だ。

 こんだ薬師温泉 ぬくもりの郷は、立杭焼の立杭から、和田寺山を迂回して北西5kmにある。
 高低差があり雄大な露天風呂は、北摂・丹波・東播のスーパー銭湯の中でも随一。

 所在地 一眞坊 こんだ薬師温泉 ぬくもりの郷

 走行距離95.7km 燃費計13.5km/l 高速道路不使用


 20.3.4(火)

 2/10の給油記録。
 ① 春日 柏原:156.8km
 ② 明石:150.4km(うち、高速道路38km)
 …を含む。

 360.3km 11.7km/l(燃費計) 32.99L(レギュラー)給油 @145
 360.3÷32.99=10.921… → 10.9km/l(満タン法)
 10.9-11.7=△0.8

 ∴燃費計は、満タン法より、0.8km/l前後良く測定される。

 さらに、2/10の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①②を遠出、残りを ③街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.8km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  156.8km 13.5km/l → 12.7km/l 12.346…L
 ②  150.4km 13.9km/l → 13.1km/l 11.480…L
 ③  53.1km       →       9.162…L
 計 360.3km 11.7km/l → 10.9km/l 32.99L

 ①  156.8km 13.5km/l → 12.7km/l 12.346…L
 ②  150.4km 13.9km/l → 13.1km/l 11.480…L
 ③  53.1km       → 5.7km/l 9.162…L
 計 360.3km 11.7km/l → 10.9km/l 32.99L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、53.1km走って 5.7km/l。チョッピリ涙でた。


 20.3.3(月)

 三週間ほど前の話。
 明石の市立天文科学館と魚の棚へ行ってきた。

 明石市立天文科学館は、東経135度の子午線上にある科学館。
 この日は、プラネタリウムを目的で訪れた。昴の在り処を知りたかったから。19.12/16参照。
 薄暗く、寝そべって、睡眠には最適の環境であることに耐え抜いて、冬の星空を学んだ。
 オリオン座の三ツ星の少し右にある昴は、意外と光り加減がおとなしく、地味な趣。
 清少納言の枕草子に「星は すばる」とあるくらいなのに、少しガッカリ。
 「知識をひけらかすためにマニアックな星を紹介した」という説があるらしいが、さもありなん、といったところか。

 魚の棚は、「うおんたな」と読む。
 尉と姥を「じょうとんば」と読むのと、同類の転訛か。12/9参照。
 魚の棚は、明石の海にほど近い海鮮市場。海の幸に満ち、観光客も多い。
 この日は、玉子焼(明石焼の地元名)を目的で訪れた。…が、どの店も行列ずらり。。
 やむなく、ちっとも並んでいなかった店、よこ井に入った。
 出汁が冷たく、とてつもなく薄い。彦根の以来の衝撃(12/18参照)を受けた。10個500円。
 口直しに、お気に入りの店、たこ磯に入った。
 ふわふわ、あつあつ、うま味たっぷりのたこ磯の玉子焼は、やっぱり最高だ。15個600円。



 【浮野的評価】
 たこ磯  ☆☆☆☆☆
 よし川  ☆☆☆☆
 とり居  ☆☆☆☆
 きむらや ☆☆
 よこ井  ☆



 所在地 明石市立天文科学館 明石 魚の棚

 走行距離150.4km(うち、高速道路38km) 燃費計13.9km/l


 20.3.2(日)

 2/28に書いたROMEのテーマ曲を聴いていたら、クセになって頭の中を無限リピート。。
 なぜだか、ファイナルファンタジーⅤのBGM封印されしものを連想した。
 転生前に何かFF5ネタを扱ったような気がしたので、探したら、あった。





 15年前のスクウェア系のサウンドトラックがたくさん残ってる惨状、
 われながら こ れ は ど う か 、と思った。orz


 20.3.1(土)

 三週間前の話。
 相方に、拉致も同然にジブリ推薦映画雪の女王/鉛の兵隊を観に連れていかれた。
 雪の女王にさらわれた親愛のカイ(♂)を、すべてを捧げてさがし求めるゲルダ(♀)のひたむきな姿は、後の宮崎駿作品のヒロイン像の元になったのだとか。
 ジブリ美術館のクリアファイルを貰えたのが、唯一の収穫。。


 20.2.29(金)

 カエサルで、第二部のシーザーを思い出し、一句。

 蓋開けりゃ シャボンカッター しょぼかった


 20.2.28(木)

 こ い つ ぁ ヤ ク イ ぜ !!
 今、アメリカ(?)のTVドラマシリーズROME(ローマ)が熱すぎる!!
 古代ローマのカエサルが起こした内乱からカエサル暗殺、その後継者のオクタヴィアヌス(カエサルの姪の子)がローマを統べるまでを、架空のローマ兵二人を絡めて描き出している。
 古代ローマについては、ほとんど塩野七生のローマ人の物語でしか読んだことがないので、受け売りに過ぎないのだが、とりあえずまとめてみる。2/2参照。

 ガイウス・ユリウス・カエサルは、紀元前100年に生まれたローマの政治家。混迷を極める元老院主導の政治(共和政)を見限っていたカエサルは、赴任先のガリア(現フランス)を征服して手なずけ、精鋭の軍隊を育て上げた。
 元老院は、カエサルの失脚をあからさまに狙い、ついにはカエサルに「元老院最終勧告」を突き付け、これに従わぬなら「国家の敵」とみなす、と宣言した。(元老院による超法規的措置が可能となり、例えば、裁判無しの即刻死刑も可、となる)
 法は、ローマ兵がイタリア本国に武装したまま入ることを禁じている。これを犯せば叛逆、そして血みどろの内戦は必至。
 「越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅―――」
 北の国境のルビコン川を前に、カエサルは悩んだが、手勢の第13軍団(一個軍団の定数は六千名だが、ガリア戦役で四千五百名程度に減っていた)に向かい、
 「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」

 カエサルの軍勢はルビコン川を渡り、迅速に進軍し、対抗する元老院派の常勝将軍ポンペイウスは利あらずとみて首都ローマから戦略的撤退。カエサルは無血入城を果たす。その後、ローマで足元を固めたカエサルは、スペイン、北アフリカのポンペイウス派の各将を撃破、後顧の憂いを断って、ポンペイウスの待つギリシャへ向かう。
 海際のドゥラキウムで、カエサルは三万の兵で倍以上優勢のポンペイウスを包囲するが失敗、一転カエサルは東へ退却して決戦を誘い、ファルサルスの地にてポンペイウスをも倒した。残敵掃討を終えたカエサルの元老院への報告は、たった三語だった。
 「来た、見た、勝った」

 残る政敵をすべて倒してローマに凱旋したカエサルを、ローマ市民は熱烈な歓声をあげて迎え入れた。ローマ軍団兵は、敬愛する彼らのインペラトール(最高軍事司令官、すなわちカエサル)への愛着を込めて、こう叫んだ。
 「市民たちよ、女房を隠せ。禿の女たらしのお出ましだ!」
 カエサルの小さな抗議は、却下された。

 こうしてカエサルは、たった一人に権力を集中させる政治(帝政)への道を切り拓こうとした―――が、その中途で暗殺された。
 カエサルは、たとえかつて敵対した者であっても、従えば赦した。
 カエサルはその寛容ゆえに、自らが赦した共和主義者によって殺されたのだった―――。


 ここまでで、全22話中の第12話みたい。まだ第4話までしか見てないけれど。。


 20.2.27(水)

 ドラゴンクエストⅣより、ロザリーにまつわる小話。2/18参照。

 辺境の町ロザリーヒルに、男が現れた。
 漆黒の衣に長い銀髪が際立つその男は、町の中央にそびえる塔の前に立ち、懐から取り出した横笛に唇をあてた。

   カッ カッ カッ ギギィ

 「大人しくしてたか、ロザリー」
 「はい…ピサロさま」
 「聞いてくれ、ロザリー。私は人間をみな滅ぼすことにした。私はそのために進化の秘法を使い、さらに巨大な存在になる! 間もなく世界は裁きの炎に焼かれるであろう。それまでロザリー、お前はここに隠れているのだよ…」
 「えっ!?」

   カッ カッ カッ

 「お…お待ちください! ピサロさま!」

 塔の窓際に佇む乙女は、紅く澄んだ瞳を翳らせ、二人の出会いを想いかえした。


 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

   ダダダッ

 「はあっ はあっ」
 盗賊「へへ、もう逃げられんぜ。お前の涙で、オレは大もうけできるんだって」
 「い…いやぁああ」

   ゴオォォ

 盗賊「ぎゃああぁぁあ~~!!」
 「ひっ、……今のは、あなたが?」
 「そうだ。人間の欲深さが目に余ったのでな」
 「ひどい…殺さなくても……」
 「ひどい? 私はお前を助けたというのに」
 「私も人間も、魔族であろうと、みな生きとし生ける者ではありませんか」
 「……ふっ、はっはっはっ! 面白い、気に入ったぞ! エルフの娘、名は何という?」
 「? 私たちに、名前というものはありません」
 「ふむ、しかし“エルフの娘”では何かと不便だな。よし、ならばお前を“ロザリー”と呼ぼう」
 「ロザリー?」
 「私が世話になっている村からとった名だ。ロザリー、いつかお前をその村に招こう。私の名はピサロ、また会おう」
 「ピサロ…さま…」


 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 誰か、誰か…。ピサロさまを止めて…。このままでは世界は滅んでしまう…。
 お願い…誰か受け止めて! 私の願いを…。届いて、私のこの想い…。


 睫毛を濡らす乙女の瞳から、涙が零れ落ちては消えた。


【他力本願】

 その涙は紅玉の如く、また、けして触れることが出来ぬ。
 魔王と娘の純愛は、あまりに儚かった―――。
Posted at 2008/02/08 01:51:23 | 日記
2007年12月27日 イイね!

日記 ④

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、四冊目。

 日記   


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 20.2.26(火)

 また、日記帳が埋めつくされた。。


 20.2.25(月)

 ミロとチキンラーメンは、薫りが似ている。


 20.2.24(日)

 一週間に一度くらい、左鎖骨が ビリッ とくるときがある。
 オムロンの低周波治療器をいきなり、しかも一瞬だけ“最強”にしたような ビリッ だ。
 古傷なんて心当たり無いのだが、なにか神経系のものだろうか…。ヤだなぁ。


 20.2.23(土)

 みんカラは本来、車好きの集まりであるにもかかわらず、たくさんの絵師がいる。
 転生前に一度レガシィを描いてもらったことがある8797さんの描くような車絵から、まったく車と関係ない絵まで様々で、みんカラをサーフィングすると色々なイラストがあって面白い。
 例えば、
  イラストレーターの使い方を教えてもらったGTAさん、
  メイドやツンデレなら任せとけのE.Sさん、
  謙遜しながらポップなイラストが巧いリーダー。さん、
  プロかと見紛うくらい画力のある大夢さん、
  とっても“勢い”があるkaruaさん、

 やり取りのない方だと、
  オリジナルキャラが生き生きしてるふじあつさん、
  ホンワカとした雰囲気がなんかいいだまちさん、
  へっぽこ管理人さんのプロフ画を描いた方、
などなど。その他大勢。
 色んなタイプがいて楽しいね。


 20.2.22(金)

 2/18のロザリーに、色塗りしてみた。画像は、フォトショップで編集中のもの。
 レイヤーは(無意味に)増え続け、40を数えた。PSDファイルの容量は、6.07MB。
 体やら服やら石造の窓枠やらは、描いているうちに(無計画に)順次継ぎ足していった…。
 結果、構図のバランスが、悪いね。。(:;)
 



 20.2.21(木)

 幕末の日本に来たスイス時計業組合会長のエメェ・アンベールの手記を挿絵付きで載せている絵で見る幕末日本(講談社学術文庫)から、興味深い記述をひとつ。2/5参照。

 日本人は一般に中背で、ゲルマン種族よりはるかに低いが、イスパニア人及び南フランスの住民と若干似たところがある。(中略)日本人は均整がとれてないとはいえないが、頭部がやや大きく肩が低く、胴長で腰の肉付きがよく、膝は短く痩せており、足は小さく手が細く、ときどき目だって美しいのがいる。

 日本人は、例外なく、滑らかで、濃い色の美しい髪を持っている。(中略)日本人の顎鬚は相当濃いが、かれらは二日置きにそれを剃っている。皮膚の色は、社会階級の相違によって変化があり、赤銅色やジャワ島住民の浅黒い色に始まって、蒼白いのや南欧の人々のように日焼けしたのもある。しかし、大部分は黒味がかったオリーブ色をしていて、いかなる場合にも、支那人の黄色とは異なっている。ヨーロッパ人と対象的なのは、日本人の顔と手が体よりもはるかに白いということである。

 男も女も、目は黒く、歯は白くて丈夫で歯並びもよいが、少し出っ歯である。風習によって、結婚した女は、歯を黒く染めている。(中略)日本人の間に認められる表情の活発さと相貌の多様性は、私の意見では、あらゆる他のアジア民族よりも、より自主的であり、より独創的であり、より自由である知的発育の結果である。


 誉めてるのか貶してるのか。。言いたい放題のアンベール。


 20.2.20(水)

 何年ぶりだろうか、久しぶりにPC周辺機器を買った。320GBの外付けHDD、11,800円。
 先代のマイPCのときに買ったHDDが、倍以上の値段で80GBだったか。
 いやはや、PC機器のスペックの伸びは恐ろしい。。


 20.2.19(火)

 何ヶ月も前の話。
 日帰りで生野銀山へ行ったときの途中、へそ近くで、「吾平」と書かれた看板を見かけた。
 瞬時に、かつて鹿児島県の吾平(あいら)まで訪ねた吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ)を連想した。
 吾平山上陵は、天孫ニニギの孫・ウガヤフキアエズ、その妻・タマヨリビメの陵墓とされている古墳。吾平は、れっきとした地名だ。(吾平町は市町村合併で消えた…)
 思い出したついで。鹿児島県の霧島山の南東には、姶良郡(あいら ぐん)が広がっている。
 「あいら」とは変わった読みだが、吾平と姶良の二つの書き方があり、しかし双方には曽於郡を隔てた40km以上の距離がある。
 別々の起源なのに偶然「あいら」の地名となったのか、遥か昔に広範囲にあった「あいら」の地名が断片となって二つの地名に別れたのか。
 謎だ。

 …などと妄想を膨らましていたが、看板にあった「吾平」を調べてみると、その店はダイニングレストランで、「あいら」ではなく「ごへい」だった。ギョヘー


 20.2.18(月)

 DS版ドラゴンクエストⅣをクリアした。
 能力値の上がり方がFC版よりずっと早く、難易度は低い。
 FC版の切ない終幕が好きだったのだが、あまりに悲し過ぎるためか第六章が新設され。。

 ロザリーを落書きしてみた。ロザリーは、魔族の王・ピサロの愛するエルフの娘。
 初期の関連書物知られざる伝説では、ロザリーのいる町だからロザリーヒルだったような気がするが、DS版では、ロザリーヒルの町の名からロザリーと名付けられたという設定となった。

 ↑資料が無いので、画面上のドット絵から妄想


 20.2.17(日)

 半月前の話。
 神戸の御影公会堂食堂へ行った。

 神戸の石屋川の脇にある御影公会堂食堂は、なんともレトロな洋館の地下一階。
 850円のオムライスとスープとサラダのセットが、基本を抑えた味付けで、美味しかった。

 さて、この日の本命の神戸市立小磯記念美術館
 よっしゃ、六甲ライナー初めて乗ったんで~、と思いきや、改札の窓口に、
 「小磯記念美術館 休館日」
 …の張り出し。
 ………。……んなアホな。。orz ニチヨウ ナノニ

 所在地 御影公会堂食堂


 20.2.16(土)

 半月前の話。
 丹波の春日、柏原へ行った。

 旧春日町(現丹波市)は、春日局が生まれた里として知られる。
 春日の北の山を見上げると、赤井直正が立て篭もった黒井城が見える……はずだったのだが、あいにく今にも雨が降り出しそうな曇り空で覆われていた。(:;)
 黒井城の下館は、織田の勢力に討たれたのちは、明智光秀の重臣・斉藤利三が入り、ここで福という女児が産まれた。
 しかし、数年もしないうちに斉藤氏は、本能寺の変の動乱の中で消えた。
 徳川の天下が定まった後、福は、将軍の嫡男・竹千代の乳母となって、表舞台に現れた。
 福が産まれた館跡は、興禅寺という禅寺になっている。

 春日の次は、柏原のオルモというパスタ屋さんに入った。
 一番安いので、1,600円のコース。ぐはっ。
 柏原の城下町(と言っても城は無く、陣屋だった)の昔ながらの建物を生かした造り。
 天井が低く、奥行きは意外とある。
 味はこんなものか、と思った(ドーノの方が美味しいか…)が、この雰囲気は一度味わっても悪くないだろう。

 所在地 春日 興禅寺 柏原 オルモ

 走行距離156.8km 燃費計13.5km/l 高速道路不使用


 20.2.15(金)

 来年の大河ドラマ「天地人」の主人公が直江兼続であることを、今頃知った。
 いままで戦国モノの主人公は、大名か、大名まで成り上がった人物だが、直江兼続はマタモノ、つまり大名上杉家のそのまた家臣に過ぎないことを考えれば、チト小者ではないだろうか。
 日本史にかかわる事績としては、徳川家康に啖呵を切って、決戦もせずに降参して、主家が大減封くらっただけ。
 あ、関ヶ原の合戦の端緒を切ったことだけでも、日本史の上では大きなことか。
 それでもなお、陪臣を採り上げるくらいなら、
  尼子:山陰を覇してから忠臣の火の燃え尽きるまで
  (後)北条:関東に安定地盤を築いた五代百年
  佐竹:名族にとっての戦国、関ヶ原の立ち回り、久保田に文化開くまで
  島津:貴久の一族内の苦闘から、九州制覇、関ヶ原まで
  立花:戸次、吉弘、高橋…統虎の代で世に出でる豊後武士道
 …(以下略)…などの大名を題材にして欲しい。

 ところで、「兼続」と入力するのに、「兼ねる続く」と打ってから、ひらがなを削除している。
 「かねつぐ」から直に変換すると、「加熱愚」…。暗示的……。orz


 20.2.14(木)

 よくシートン動物記などで、が(動物の)匂いを消してくれる、動物はそれを知っている―――というような描写があるけど、あれはウソ。

 お風呂の中でのオナラが、 そ の 威 力 を 減 じ る こ と は 無 い も の 。


 20.2.13(水)

 おしんだ、と思ったら しをんだった。


 20.2.12(火)

 京東山の高台寺は、文字通りの高台の地形。2/9参照。
 ヘッダ用画像として、高台寺からの眺めのパノラマ写真をつくってみた。
 横一線に撮った複数の写真をつなげると、必ず決まった歪みがでてくる。
 そこを適当に修正するのが、楽しかったりする。

 左 三分の一のところに見える白い塔のようなものは、京都タワー。

 子育て幽霊、あるいは飴買い幽霊という話がある。
 全国いろんな類話があり、小異はあるが、大筋はこうだ。
 夕刻、飴屋に哀しげな若い女が店に来て、飴を欲しいと言い、一文を置いていった。
 次の日も、その次の日も、その女は飴を買いに来た。
 六日目、女は、これで最後だと言い残し、一文を出して飴を持って帰った。
 怪しんだ飴屋の主人は、女をつけた。すると、墓場まで来て、ふと消えたではないか。
 飴屋の主人が人を呼んでその消えたところの墓を掘り起こすと、死んだ母親の傍らで、生きた赤子が飴をしゃぶっていた。
  この母親は、腹にややを抱えたまま埋められ、ここで産んだのだろう。
  子を残して死んだ母親の無念が、子のために飴を買いに行かせたのだろう。
  三途の渡し賃といわれる六文銭も、そのために無くなったに違いない。
 そう結論した周りの者たちは、死んでもやまぬ母の情に感じ入り、女を丁重に葬り、赤子を寺に入れた。
 赤子は元気に育ち、のちには立派な高僧になったという。

 この話の舞台だという寺は、金沢や長崎など全国に広がるが、
 落語ではその寺を高台寺(子は大事)として話を落としている。


 20.2.11(月)

 1/27の給油記録。高速道路は、不使用。
 ① 篠山:123.7km 
 ② 加古川:136.7km
 …を含む。

 407.8km 9.2km/l(燃費計) 47.44L(レギュラー)給油 @147
 407.8÷47.44=8.596… → 8.5km/l(満タン法)
 8.5-9.2=△0.7

 ∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。

 さらに、1/27の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①②を遠出、残りを ③街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  123.7km 13.2km/l → 12.5km/l 9.896L
 ②  136.7km 13.7km/l → 13.0km/l 10.515…L
 ③  147.4km       →       27.028…L
 計 407.8km 9.2km/l → 8.5km/l 47.44L

 ①  123.7km 13.2km/l → 12.5km/l 9.896L
 ②  136.7km 13.7km/l → 13.0km/l 10.515…L
 ③  147.4km       → 5.4km/l 27.028…L
 計 407.8km 9.2km/l → 8.5km/l 47.44L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、147.4km走って 5.4km/l。泣きたい。


 20.2.10(日)

 半月前の話。
 播州加古川のみとろ荘、小野のぷらっときすみのへ行った。

 加古川温泉 みとろ荘は、加古川中流西岸にあった井口城の本丸跡にある旅館。
 スーパー銭湯を見習って、600円で温泉を開放している。
 見土呂(みとろ)の地名の由来は、1/2参照。

 ぷらっと きすみのは、JR小野町駅に併設している蕎麦屋で、NPO法人が経営している。
 ざる蕎麦の麺は、細くてコシがあり、美味しかった。
 かけ蕎麦のつゆは、少し甘かったので、好みは分かれそうだ。
 冷たい方が、おすすめ。
 
 所在地 みとろ荘 ぷらっと きすみの

 走行距離136.7km 燃費計13.7km/l 高速道路不使用


 20.2.9(土)

 半月前の話。
 京都の八坂神社、知恩院、高台寺、霊山歴史館へ行った。

 八坂神社は、スサノオとクシナダヒメを祀る。
 昔から祇園さんと呼ばれ、スサノオと同一神格とされる牛頭天王を祀っていたらしい。
 この日に周ったところの要に位置していたため、境内を通り抜けまくった。

 知恩院は、浄土宗の総本山。この日の一番の目的。
 入口に圧倒的な大きさで迫る三門(山門でなく、三門)の二階が特別に公開されていたので、入ってみたのだ。(600円)
 二階といっても、四階相当の高さはある。せっかくの見晴らしなのに撮影禁止なのは残念。
 あそこが御所か京都タワーか、と言ってるうち足の熱が奪われて、しもやけになりかけた。orz
 
 高台寺は、高台院(豊臣秀吉の正室・北政所)が創建した臨済宗の寺。
 近くには、幕末時に新撰組から離脱した御陵衛士(高台寺党)の屯所があった。

 霊山(りょうぜん)は、幕末に京で倒れた志士たちを祀っている墓地。300円。
 霊山歴史館は、幕末維新ミュージアムとして、なかなかわかりやすい資料館となっている。500円が、JAF割引で400円。

 京東山に、雪が降った。
 手ぶくろでそっと受けると、雪が六角形基調の結晶のままの姿があった。
 いわゆる雪華。数mmながら、そのまま、あの雪印のマークだ。
 「雪印が降ってくるー」と、しばらくはしゃいでいた。

 所在地 京 東山


 20.2.8(金)

 以前測った経県値に修正アリ。1/28、1/12参照。
 小学生か中学生の頃に、北陸の親戚と、浅間山の鬼押出へ行ったのを忘れていた。orz
 鬼押出は、群馬県。だから、
  高卒時経県値 72点 → 75点
  2007年末経験値 132点 → 135点

 訪問したと言ってもかすった程度なので、また太田詣ででもしたいものだ。






 20.2.7(木)

 岡山と和歌山は、響きが似ている。


 20.2.6(水)

 一昨年の5月13日(土)、旧社町のやしろ国際学習塾で、村治佳織嬢のリサイタルにはじめて行って、見て、聴いて、サイン会の笑顔でメロメロにされた。orz
 その数日後に上げたブログ(転生前)が、↓

 線画のデータを久しぶりに見つけたので、1年9ヶ月ぶりに、色塗りぺたぺたしてみた。




 20.2.5(火)

 幕末の日本に来たスイス時計業組合会長のエメェ・アンベールの手記を挿絵付きで載せている絵で見る幕末日本(講談社学術文庫)に、面白い記述がいくつかある。

 これらの各州は、それぞれ封建貴族の領有する一個または数個の領国となって、これらの封建貴族は、広範な自主権とその領地から上がる大きな収入を享有している。
 例えば、紀伊の公爵家は、その世襲領土から、毎年、880万フランに相当する収入を受けており、安芸の公爵は、697万6千フラン、紀伊の公爵は、590万4千フラン、備前の公爵は496万フランを受けている。

 日没の少し前に、われわれは、四国の岸に、領主の城を見た。(中略)これはマロンガミ城で、100万フランに近い年収を持つキョオゴヌ・サノケ公の居城である。


 収入がフランに換算されて違和感あるけれど、本来は、おコメで国力や収入をあらわすことの方が変わってるのかも。ちなみに、「紀伊の公爵」が二度書かれ、しかも額が違う。。
  紀伊藩(徳川家) 55万5千石 → 15.855換算
  広島藩(浅野家) 42万6千石 → 16.375 〃
  岡山藩(池田家) 31万5千石 → 15.746 〃
 1863年当時では、1石=16フラン としても差し支えなさそう。

 後段の、マロンガミ城、キョオゴヌ・サノケ公は、それぞれ 丸亀城、京極讃岐守を指しているらしい。
  丸亀藩(京極家) 5万1千石 ×16 → 81.6万フラン!?


 20.2.4(月)

 イタコが仕事をしくじったらしい。


 20.2.3(日)

 はじめてスタイルシートをいじくった。
 わけがわからなかったが、なんとかヘッダとフッタだけは替えることができた。


 ヘッダ画像は、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の高台から、大和三山、二上山、葛城山、金剛山、多武峰まで撮った5枚前後の写真をつないで編集したもの。


 フッタ画像は、兵庫県篠山市の雲部車塚古墳(くもべくるまづかこふん)の北の陪塚から、古墳全体を撮った5枚前後の写真をつないで編集したもの。

 普通のデジカメのファインダーには収まりきらないパノラマ写真をつくるのは、面白い。
 ちょっと注意してみれば、すぐにつなぎ目がわかるのだけど。orz


 20.2.2(土)

 未読のローマ人の物語 終わりの始まり(新潮文庫 塩野七生著 文庫版 29~31巻)が
 部 屋 か ら 発 掘 さ れ た ので、読んでみた。
 五賢帝の最後のひとり、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121年~180年)が、裁判長からの問い合わせに答えた書簡が、なかなか興味深かった。以下、抜粋。

 あなたから送られてきた捜査と尋問の結果を精読しての感じでは、被告エリウス・プリスクスは、自らの言動についての最低の制御能力さえも欠いており、母親を殺したときも、その行為の善悪に対しての判断力がなかったと思うしかない。また、狂人を装っていたとも思えない。
 このような場合は、罪に問うことはできない。なぜなら、狂気とはそれだけで、神々が人間に下す罰の一つであるからだ。
 しかし、判決は無罪でも、それは即、放免ではない。今後とも、厳重な監視の下で保護される必要がある。しかも、状況によっては鎖つきの保護さえも、考慮に入れておくべきだろう。
 これは、彼に与える罰ではない。この人物の近くにいる他の人々の保護のためであって、判決を下すわれわれは、充分に起こりうる不慮の事態をも考慮に入れておかねばならないということだ。(後略)



 20.2.1(金)

 看 護 婦 の 名 は こ の 世 か ら 消 ゆ る と も
 こ れ ナ ー ス た る 真 ( ま こ と ) 変 わ ら じ


 20.1.31(木)

  おしっk 生石神社(おうしこじんじゃ)の調査が、ひとまず終わったらしい。1/15参照。
 結果は、
  内部のヒビが多く 超 音 波 が 通 ら ず 、劣化のため補強が急務、
 …とのこと。
 樹脂でかためられた浮石ってのもナンだけど、いつか来る崩壊のことを考えたなら、止むを得ない処置か。。
 先ず隗より始めよ、とにかく、上の木は引っこ抜いた方が良いと思う。




 20.1.30(水)

 ヤフーの地図をつなぎ合わせてみた。
 サイズは10,000×10,000(!)、jpgで中程度に圧縮しても4.71MBに達した。
 航空写真は、どこが山地で平野なのか、あるいはどの土地と土地がつながりがあるのか、ひと目でわかる。一度全体をつくっておくと、今後、各地の地図を見るのもラクチン。




 20.1.29(火)

 やはり、エプロンより割烹着だと思う。


 20.1.28(月)

 高校卒業時の経県値を測ってみた。1/12参照。
 72点。現在は132点だから、その差60点。
 この60点は、ここ八年ほどで稼いだもの。
 うむむ、アップすべきおすすめスポットが、たんと残ってる。。でもでも、東北周りたいなぁ。




 20.1.27(日)

 だいぶ前からの話なのだが、悩まされていることがある。
 愛用のデジカメに、たまに起こる フ リ ー ズ 。 orz

 PCでもないのになぁ…。
 シャッターを押した後、(写真は撮れているが)赤い電源ランプが点滅したまま、どんな操作をしても元に戻らないなんて。
 やむなく禁断の電池ケースの蓋の開け閉めで復旧。年月・日時から入れ直し。。

 300万画素、光学8倍ズームが気に入ってたけれども。買い替え時かもしれない。次は…
 撮った写真の三分の一はブレるので、ブレ防止機能は欲しい。
 規格競争に敗れ去った憎きスマートメディア(上限:128MB)対応機種だけは買うまい。
 

 20.1.26(土)

 相方から雲部車塚古墳の情報が入ってきた。(1/21参照)
 この車塚古墳、途中で堀が埋められて耕地になったり、売却されて開墾されそうになったりしながら、結局、宮内庁に買い上げてもらったそうだ。
 今は、綺麗に整備された周濠に、時おり水鳥が飛び交っている。



 20.1.25(金)

 義兄に教えてもらったマジコンなるものを購入した。
 なるほど、こりゃ便利だわ。


 20.1.24(木)

  腐女子 姉からの情報。
 足立区のキャラクターアダチンは、
 虹 の 光 を 浴 び る と 巨 大 化 するらしい。(下図)

 → 

 足立区を破壊(?)してどうする。まさに足立区に仇なす仇狆


 20.1.23(水)

 素敵と索敵は、字面が似ている。


 20.1.22(火)

 はじめてネット販売に手を出した。
 86年のドラマ白虎隊が、DVDではレンタルされず、ネットのみでの販売だったからだ。
 公式の販売元のバップ屋では定価の6,300円だったが、アマゾンでは4,661円。即決した。

 実はこの白虎隊、おそらくリアルタイムで見たことがある。
 小学生の頃だからおぼろげなのだが、ひとつのエピソードだけ、よく覚えている。
 白虎隊士の母が、「みんな黒なのに、いやだ」と言う息子に、草色の装束を繕った話。草色の意味は、言うまでもあるまい。


 2′43″草色なのに撃たれた永瀬君


 20.1.21(月)

 先週の話。
 丹波篠山の古墳群へ行った。

 雲部車塚古墳は、篠山城の7、8km東にある前方後円墳。
 県立考古学博物館へ行ったときにはじめて知った古墳だ。(1/7参照)
 ドーノでお昼を食べたあと、古市を斜めに通過、デカンショ街道を驀進し、細工所より少し手前の同古墳に着いた。
 見事に周濠が残り、こんもり木々に埋もれている。両脇には、左右一つずつ、円墳があった。
 車塚古墳は、濠を入れて全長140m。玉丘古墳より大きいらしいが、印象は似たような大きさ。
 丹波地方最大の前方後円墳であり、鉄製の武具甲冑が副葬されていたそうだ。
 周濠をぐるりと一周したら、水辺の三羽の白鷺に逃げられた。
 そしてどういうわけか宮内庁管轄だったので、立ち入ることができなかった。orz

 洞中古墳は、雲部車塚古墳の4、5km南にある古墳。
 一号が円墳で、二号が前方後円墳。
 二号墳は、前方後円墳といっても30mほどで、堀はなく、かたちもかなり崩れている。

 古墳は仏教以前から日本にあるのに、古墳より寺社の方が一般に和的なイメージがある。
 古墳後から現代までの「間の時代」の人々は、おそらく人造の草生した丘(古墳)を、どう認識していたのだろう。

 所在地 雲部車塚古墳 洞中古墳 一号 二号

 走行距離123.7km 燃費計13.2km/l 高速道路不使用


 20.1.20(日)

 先週の話。
 映画アースを観に行った。
 冒頭、これはナヌーか、と思った。
 自然の厳しさ美しさ面白さ、たっぷり詰まってる。
 粘り勝ったオオカミ、最後の賭けに敗れたホッキョクグマの対比が、言葉にできない…。
 最後の締め、これはナヌーか、と再び思った。(19.11/13参照)
 

 20.1.19(土)

 初めての車検からレガシィが帰ってきた。
 燃費計が、4.6km/lにまで落ちてた。orz
 どこで、どんな目に遭わされたんだ~!?

 そして、サイドブレーキを引いたときの感触が、変になってた…。
 ギッ と気持ちよく決まらへんねん。フワッ やねん。(:;)


 20.1.18(金)

 ジャイアンだ、と思ったらダルビッシュ夫人だった。

 0′37″音響兵器 発動


 20.1.17(木)

 碁盤の隅は、地をつくるのに効率がよいことから、普通、ここから石が置かれる。
 ある日いきなり碁盤から四隅が消え失せたなら、どうなるだろう?

【before】


【after】


 ……。三々もへったくれもない。
 ………。やはり三連星は不利になるのかなぁ。
 …………。ってか、隅が八つに増えて、その分、辺が小さくなった感じだね。。

 意外と、遊戯として成立するかもしれない。
 八つの隅と小さな辺を取り合う、せせこましい碁になりそうだが。

 よし、今度はもっとスケールを大きくしよう。目指すは宇宙
 通常、碁盤は19×19で、361目ある。
 これを一気に増やしてしまえ。
 讀賣さん、どう? 今度の棋聖戦の七番勝負なんか、この盤で……

【after´】


 ヒィー

 37×37で、1,369目。もはや天元がどこかわからない
 地の広さだけで3.8倍、ヨミは数十倍以上の深さを要する―――?

 死ぬ……猖獗の果てに、  碁 打 ち  死 ん で ま う !

 …というわけで、世に甚大な影響を及ぼすことは明白であり、かようなj


 20.1.16(水)

 将棋盤の中央のマスを、俗に「天王山」というらしい。
 ある日いきなり将棋盤から天王山こと「5五」が消え失せたなら、どうなるだろう?

【before】


【after】


 ……。角が利かない!?
 ………。中央の歩がと金に成れない!!
 …………。ハチワンダイバーがハチゼロダイバーになる!!?

 世に甚大な影響を及ぼすことは明白であり、かような事態にならぬことを祈るばかりである。


 20.1.15(火)

 相方から、重大な情報を入手。
 生石神社(おうしこじんじゃ)の池に浮くが如き石の宝殿(兵庫県高砂市)が、今月中にレーダー超音波を使って石の内部を調査されるらしい。(19.12/9参照)
 数々の伝承を生み出しつつも実相がつかめない浮石、真実をたぐることはできるのか!?




 20.1.14(月)

 SFC神々のトライフォースの落書きに、色塗りペタペタ。(1/4参照)
 ♂はモチベーションが湧かないから、いらんモン(リンク)を抹消。
 画力がない(号泣)し面倒くさいから、消したあとは適当にごまかした。

【ハイラルの行く末憂うゼルダ姫】



 20.1.13(日)

 郊外の田舎道をのんびりドライブしていると、田畑の中に、こんもり小山に森がある。
 おもてには、鳥居が見える。いわゆる鎮守の森というやつだ。
 こうした鎮守の森は、全国小さな谷あい、小さな集落ごとに、たくさんある。
 「社(やしろ)」のことを「もり」とも読むが、至極納得。よく言ったものだ。
 原始、木々の豊かな「もり」そのものが、祀るべき聖域だったのだろう。

 日本人の素朴な信仰のあと――もり――が、
 社――やしろ――として未だにたくさん残り、
 地域の守護――まもり――を担っている。

 歴史の連続性を感じる、田舎道クルーズ。


 20.1.12(土)

 久しぶり(転生後では初)に、経県値を測ってみた。
 2007年末時点で、132点
 兵庫を中心に、ほぼ同心円を描いている。
 念願の會津行きは叶ったけれど、まだまだ東北は秘境なり。




 20.1.11(金)

 灰皿で思い出した。
 他のどんな装備が欠けていても、灰皿だけは、どんなクルマにもある。
 だが、私は煙草を吸わない。世間の喫煙率も、男性40.2%、女性12.7%に過ぎない。
 これは、どう考えても、標準装備では要らない。とりあえず、電源だけ残しとけ、と。

 さて、灰皿が標準装備でなくなったとしたら、電源を除くスペースが新たに生まれるわけだ。
 そのスペースを有意義に活用すべく、いくらか候補を考えてみた。

 ① メモ用紙・ペン
    … 大きさにあったメモ用紙と短めの専用ボールペンを備え付け。

 ② スプーン&フォークセット
    … 外でケーキ等を買ってもすぐ食べられるスプーン&フォークセットを備え付け。

 ③ かいわれ栽培キット
    … 毎日の生長に心も和むかいわれの栽培キットを備え付け。


 20.1.10(木)

 正月の初売りの話。
 新聞のチラシが入ってたものだから、日産プリンスと兵庫日産へ行ってきた。
 前者では、レトルトカレー。後者では、お菓子と洗剤・ラップ等をもらった。
 ああ、やっぱり世の奥方様へのご機嫌取りは大事なんだなぁ。(しみじみ)

 もちろん、兵庫スバルにも行った。
 新型フォレスターのパンフをもらって、ついでにくじを引いた。
 …箱がフォレスター柄のプリッツらしきモノが当たった。
 景品のささやかさに苦笑しつつも、それでこそスバル、と思った。

 帰り、運転席から手を伸ばして後席のドリンクホルダーを開こうとしたら、

   バキッ

 灰 皿 が と れ た 。 それでこそスバルぅうああぁあぁあ~!!


 20.1.9(水)

 フィギュアスケート女子シングルの太田由希奈選手の動画を見つけた。
 世界ジュニア選手権2003のスリースケーティングの映像。曲は、トゥーランドット。
 残念ながら、四大陸選手権2004優勝時の動画は無かった。。(:;)


 2′56″イナバウアーが美しい

 17歳くらいのときかな。今の浅田真央選手で、17歳だったか。
 さすがに浅田選手の天才ぶりは桁違いだけど、↑の演技のクオリティ…。
 (両足着氷もあったけど)スピンやスパイラル、全体的な動きのキレ、滑らかさ。
 そしてなにより、流麗かつ優雅な表現力。並みの選手じゃあ、ない。
 私トリノ五輪選考以来のミーハーだから、2006年末まで知らなかった選手だけど、本来は――足首を故障していなければ――日本のトップを浅田・安藤・中野らと競うべき存在だっのだ。
 今から日本のトップクラスに入るには、三回転ジャンプを確実に跳ぶことと、三回転のコンビネーションジャンプ等の難易度の高いジャンプを飛ぶことが必須だから、完全復活はきわめて難しいだろう。
 けれども、この選手の滑りは、少しでも長く、多く、見ていたい―――。(19.13/21参照)

 ちなみに、世界ジュニア選手権2003はチェコのオストラヴァ開催で、安藤美姫選手、カロリーナ・コストナー選手(伊)を抑えての優勝だった。


 20.1.8(火)

 1/6の給油記録。高速道路は、不使用。
 ① 姫路:189.0km 
 ② 淡河:60.3km
 ③ 播磨町:146.0km 
 …を含む。

 448.8km 12.3km/l(燃費計) 39.22L(レギュラー)給油 @147
 448.8÷39.22=11.443… → 11.4km/l(満タン法)
 11.4-12.3=△0.9

 ∴燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される。

 さらに、1/6の給油記録につき、街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、①②③を遠出、残りを ④街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  189.0km 13.9km/l → 13.0km/l 14.538…L
 ②  60.3km 14.2km/l → 13.3km/l 4.533…L
 ③  146.0km 13.5km/l → 12.6km/l 11.587…L
 ④  53.5km       →       8.560…L
 計 448.8km 12.3km/l → 11.4km/l 39.22L

 ①  189.0km 13.9km/l → 13.0km/l 14.538…L
 ②  60.3km 14.2km/l → 13.3km/l 4.533…L
 ③  146.0km 13.5km/l → 12.6km/l 11.587…L
 ④  53.5km       → 6.2km/l 8.560…L
 計 448.8km 12.3km/l → 11.4km/l 39.22L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、53.5km走って 6.2km/l。。


 20.1.7(月)

 昨日の話。
 加古郡播磨町の兵庫県立考古学博物館へ行った。

 県立考古学博物館は、平成19年10月に開館したばかりの、体験型学習施設。
 実際に、組み紐をつくったり、簡単な道具で火をおこしたりした。
 子供向けのコーナー(?)では、発掘ごっこなども楽しめた。
 復原した古代船「ヒボコ」に乗り込み、シラギとヤマトを股に掛けた男たちに想いを馳せたり。
 また、紹介されていた雲部車塚古墳(篠山市所在)に興味が湧いた。
 …けれども、宮内庁管轄みたいだから、大仙古墳(19.11/7参照)みたいに立ち入られないんだろうなぁ。orz
 駐車場200円、入館料200円。広~い公園もあり。展望台からは、印南野が360°見渡せる。

 帰り、Uターンラッシュに巻き込まれて、燃費悪め。。(ノ_・。)

 所在地 兵庫県立考古学博物館 雲部車塚古墳

 走行距離146.0km 燃費計13.5km/l 高速道路不使用


 20.1.6(日)

 一昨日の話。
 映画のタダ券が二枚あったので、映画ベオウルフを観に行った。
 デンマークのフロスガル王の依頼によりスウェーデンから駆けつけたベオウルフが巨人グレンデルを倒し、後年、ベオウルフ王がドラゴンと相討って倒れる―――それだけ、予習した。

 !!!!!

 こ、これは、なんという全裸乱舞(ふりちんらんぶ)!
 そして、なんという精妙なカメラワーク!!
 これほど真っ直ぐで爽やかな裸族は、映画300以来だ。

 そうだ。小学校の頃は、水泳の授業で水着に着替えるとき、必ずひとりはバスタオル等で隠さずに(むしろ見せて)やる奴がいた。
 そう、裸で勝負できる自信に満ちた者こそ、真の勇者(ゆうじゃ)なのだ。

 勇者には鎧は要らない。盾も要らない。槍も研ぎ澄ました剣も要らない。
 そういうものにわたしはなりたい。  く な い !


 20.1.5(土)

 豊助饅頭が美味しい満月堂へ行った。
 ついでに、淡河城へ登った。
 淡河は、「おうご」と読む。
 「河」は意味として「江」に通じ、「江」は「こう/ごう」と読む。
 「淡川」「あわかわ」
 「淡河」「あわが」
 「淡江」「あわごう」
 そして、字面が「淡河」、読みが「あわごう」と残り、さらに読みが転じて「おごう」「おうご」となったのだと推測する。
 ちなみに、香川県の「十河」は、「そごう」と読む。

 この日は偶然にも、消防車と救急車と、二度も背後からサイレンを鳴らしてやってきた。
 当然、作法(?)通りに左に寄って停車し、路を譲る。周りも、そうする。
 しかし、少しばかりスピードを上げて消防車の前を走り続ける車があった。
 速く行きゃ文句ないでしょ、とでも思っているのだろうか。。

 所在地 満月堂

 走行距離60.3km 燃費計14.2km/l 高速道路不使用


 20.1.4(金)

 正月、姪っ子がDSのゼルダの伝説をプレイしていたので、SFCの「神々のトライフォース」を思い出した。
 リンクとゼルダを落書きしたものの、 考 証 の で た ら め さ 加 減 は相変わらず。


 ついでに、転生前の、年ごとの初お絵描きを調べてみた。
 ↓2007年1月8日、立ちつくし。


 ↓2006年1月10日、ガデュリンよりファナ。


 2005年は、ない。転生前のブログは、2005年2月より始めたから。
 …と思ったが、さらに調べると、(1月ではないが)出てきた。
 ↓2005年3月17日、七夕の国より東丸幸子。



 20.1.3(木)

 某寺社の参道の出店にて。
 ジャージの上からメイド服を着たオッサン(店主)が、遠くを見ながら紫煙をくゆらしていた。
 私は、心に深い傷を負った。


 20.1.2(水)

 播磨の書写山 円教寺へ行った。

 円教寺は、西国三十三番のうちの第二十七番札所。
 前回はロープウェーが点検中だったので、あきらめたのだった。(19.13/12参照)
 ロープウェーは、往復で900円。境内へ入るのに、300円。
 「西の比叡山」の渾名にふさわしく、その山域は広い。
 坂を下ると唐突にあらわれる摩尼殿が圧巻だ。
 その伽藍群は、映画ラストサムライのロケに用いられたことで有名。

 そういえば、西国三十三番も、知らずしらずにたくさん周っている。
 第1番 青岸渡寺(紀州那智)
 第2番 紀三井寺(紀州和歌山)
 第7番 岡寺(大和明日香)
 第8番 長谷寺(大和初瀬)
 第16番 清水寺(京東山)
 第24番 中山寺(摂州)
 第25番 清水寺(播州)
 第26番 一乗寺(播州)
 第27番 圓教寺(播州)

 たくさん、と言ってもまだ9箇所だった。。一番集中してる京都を周ってないからか…。
 こういう処を周っていると、(主にツアーで)巡礼している人が多い。
 巡礼―――参拝し、お布施して朱印を授かる、それをして周る―――とのことだが、言ってみればスタンプラリーだ。
 昔も今も、やってることは変わらない。

 帰路の加古川で、加古川温泉 みとろ荘に立ち寄ったが、諸事情によりスルーした。
 パンフレットだけは頂いたのだが、それに興味深い地名説話が載っていた。
 室町時代、ここには井口城という城があり、美登呂姫という美しく優しい娘がいた。
 城主の井口氏の主・赤松氏のとある家人は、井口城に出入りした際に美登呂姫を見初め、宴にかこつけて想いを告白した。
 しかし、ものの見事に拒まれ、ブチ切れたその家人は、美登呂姫を刺し殺して裏山に埋めた。
 それを知った付近の民衆は、美登呂姫の死を悼み、石仏を建てたという。

 昔も今も、やってることは変わらない。
 みとろ荘の1km北には見土呂フルーツフラワーパークがある。
 その小高い丘の上からは、印南野が一望でき、20km先の明石海峡大橋までよく見える。

 所在地 書写山 円教寺 加古川温泉 みとろ荘

 走行距離189.0km 燃費計13.9km/l 高速道路不使用


 20.1.1(火)

 もう平成19年は終わったのか。
 一年過ぎるのがこんなに早くなったのは、いつからだろう。
 ↓は、転生前に描いたひこにゃもち。


 めあごんり 逆から読めば りんごあめ


 19.13.30(月)

 手玉だったね。強すぎる。



 19.13.29(日)

 ミルドラースとサハスラーラは、名前が似ている。


 19.13.28(土)

 血合いは、海からの最高の贈り物。


 19.13.27(金)

 DSは、イヤホンで聴いた方が音質が良い。


 19.13.26(木)

 百均なら、たまに行く。



 19.13.25(水)

 先月関東で今川焼なるものを見かけたが、なんてことはない、大判焼のことだった。

 今川焼 = 大判焼 = 太鼓饅頭


 19.13.24(火)

 母が言ってきた。
 「この経営不振のビニール袋、どないすんの!?」

 浮「なんのこと? 経営不振って?」

 「経営不振は経営不振やがな。経営不振書いてるし」

 浮「どれな」

 ……確かにその袋には書かれていた。K F C と―――。orz ジビカ イカナ


 19.13.23(月)

 朝青龍だ、と思ったら高橋尚成だった。


 19.13.22(日)

 先月末に、またDONOへ行った。すっかり、リピーターだ。13/17参照。
 走行距離78.0km(うち、高速道路40km) 燃費計15.3km/l

 12/30の給油記録。
 丹波:78.0km(うち、高速道路40km)
 …を含む。

 168.4km 9.5km/l(燃費計) 18.89L(レギュラー)給油 @147
 168.4÷18.89=8.914… → 8.9km/l(満タン法)
 8.9-9.5=△0.6

 ∴燃費計は、満タン法より、0.6km/l前後良く測定される。

 さらに、13/19の要領に従って街乗りの燃費を算出する。
 全体の距離を、① 遠出、そして残りを ② 街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.6km/l前後良く測定される…と想定。

 ①  78.0km 15.3km/l → 14.7km/l 5.306…L
 ②  90.4km       →       13.583…L
 計 168.4km 9.5km/l → 8.9km/l 18.89L

 ①  78.0km 15.3km/l → 14.7km/l 5.306…L
 ②  90.4km       → 6.6km/l 13.583…L
 計 168.4km 9.5km/l → 8.9km/l 18.89L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、90.4km走って 6.6km/l。。


 19.13.21(土)

 国内戦ながら、素晴らしい演技の連続でした。全日本フィギュア選手権2007
 採点は、全体的に甘めでしたね。世界戦なら、7、8点は低いかなぁ。

 それはさて置き、昨シーズンの本大会から注目していた太田由希奈選手。
 この選手の豊穣な表現力たるや…もう…… 見 た ほ う が 早 い ね 。

 3′10″レイバックスピンが綺麗

 3′49″想いを解き放つイナバウアー

 んでもって、私の一番のお気に入り選手は、中野友加里選手。
 世界で上位を争える力もあるし、いい演技をしているのに、なかなか点数が伴わない悲しい選手なのです。今シーズン最初の「上に食い込めないし、下から突き上げてくるし」みたいなコメントが、痛々しいよ…。
 三回転×2がないのが、唯一の弱点らしい弱点。。巻き足はご愛嬌。

 1′28″ねじれパン

浅田真央選手の高いジャンプ、
中野友加里選手のジャンプ成功率と演技の安定感、
太田由希奈選手の優雅を極める表現力、
三人フュージョンさせりゃ、最強のZ戦士が誕j (以上、妄想終了)


 19.13.20(金)

 酒井法子だ、と思ったら太田由希奈だった。


 19.13.19(木)

 12/24の燃費計測について、街乗りの燃費を算出してみる。
 全体の距離を、① 遠出 13/12分、② 遠出 13/17分、そして残りを ③ 街乗り…と別ける。
 燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される…と想定。

 ① 192.5km 13.4km/l →
 ② 181.2km 13.9km/l →
 ③
 計 446.2km 11.6km/l → 10.9km/l 40.89L

 ① 192.5km 13.4km/l → 12.7km/l 
 ② 181.2km 13.9km/l → 13.2km/l 
 ③  72.5km
 計 446.2km 11.6km/l → 10.9km/l 40.89L

 ① 192.5km 13.4km/l → 12.7km/l 15.157…L
 ② 181.2km 13.9km/l → 13.2km/l 13.727…L
 ③  72.5km       →       12.005…L
 計 446.2km 11.6km/l → 10.9km/l 40.89L

 ① 192.5km 13.4km/l → 12.7km/l 15.157…L
 ② 181.2km 13.9km/l → 13.2km/l 13.727…L
 ③  72.5km       → 6.0km/l 12.005…L
 計 446.2km 11.6km/l → 10.9km/l 40.89L


 ∴街乗りの燃費(満タン法ベース)は、72.5km走って 6.0km/l。 orz


 19.13.18(水)

 12/24の給油記録。高速道路は、不使用。
 西播:192.5km
 丹波・東播:181.2km
 …を含む。

 446.2km 11.6km/l(燃費計) 40.89L(レギュラー)給油 @147
 446.2÷40.89=10.912… → 10.9km/l(満タン法)
 10.9-11.6=△0.7


 ∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。


 19.13.17(火)

 先月下旬の話。
 丹波のDONOと播州高砂の生石神社、三木の志染の石室へ行った。

 DONOは、ばつぐん(←イニシャルD調に)においしいピザ&パスタ屋さん。10/23参照。

 生石神社は、日本三奇のひとつの浮石がある神社。12/9参照。

 志染の石室は、流浪の二皇子オケとヲケが大和を離れ逃れたところ。12/29参照。
 岩室に湧く泉は、稀に金色にかわることから、志染の金水とも呼ばれている。
 近年では金色になるのは稀らしく、前回の記録は平成17年、その前は平成14年。
 さらにその前となると、一気に40年も遡らねばならない。
 そしてこのとき、志染の泉は、 金 色 に 色 を 変 え て い た の だ !
 うぅ、こんなときに限ってデジカメもケータイも忘れるなんて。。 orz

 所在地 DONO 生石神社 志染の金水

 走行距離181.2km 燃費計13.9km/l 高速道路不使用


 19.13.16(月)

 6月初め、転生前に制作した異色RPG「ガデュリン」のファナのイラストを掲載。
 ゲーム画面からフョトショで復原したもの。レイヤーは無駄に多く、30を超えた。

【ファナの泉】


 地球を発ってからもう何年過ぎたろうか、宇宙を旅していたリュウは、長い航海の果てに謎の人工の惑星を発見した。

 大発見の喜びもつかの間、リュウの探査機は異常を起こし、惑星に引き寄せられ、墜落した。

 辛くも不時着に成功したリュウは、機体の外に出て、驚愕した。

 異形の生物が棲息する深い森や湖沼、一方では文明の痕跡―――外観からは思いもよらない世界に戸惑うリュウ。

 「これだけの文明があれば、絶対に地球に帰ることができるはずだ!」

 墜落途中に見えた遺跡の方角を目指したリュウは、怪物を追い払いつつ進んだ。

 そして、やっとのことで辿り着いた泉に、この惑星の娘が水浴びをしていた。

 立ちすくみ、ただ凝視する。すべての音が消え、時が止まる。

 娘は、対岸のリュウの眼差しに気付き、いたずらっぽい視線を返した―――。

 リュウは自航惑星ガデュリンから地球へ帰るため、異星の娘とともに、探索の旅に出た。
Posted at 2007/12/27 21:41:43 | 日記
2007年11月09日 イイね!

日記 ③

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、三冊目。


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 19.13.15(日)

 日記帳がいっぱいになった。。

 ふと思いついたネタの半分以上が、忘却の彼方へ消えたりする。orz
 思い出せなくて、もどかしいよ。
 やっぱりメモは必要だなぁ。。


 19.13.14(土)

 プーアルの忠誠心の源を知りたい。
1′39″


 19.13.13(金)

 はるか遠隔地から、自分のページにログインした。なんか変な感じ。
 日記帳を見てみると、お絵描きの色合いが違う~!
 うぅ、マイPCでは、こんなじゃないのに。。(TT)
 …ということは、訪問者ごと、そのPCごとに映え方が変わって、私のイメージと違うイメージで伝わるかもしれないんだ。。
 こればかりは、どうしようもないのかな。(><)


 19.13.12(木)

 先月中旬の話。
 播州の書写山円教寺と日本玩具博物館、もちむぎのやかたへ行った。

 円教寺は、西国三十三番札所のうちの第二十七番。
 ラストサムライのロケ地になったことでも有名。
 二時間以上かけてはるばるたどり着いたら、
  <書写山ロープウェイ運休のお知らせ>
  11/26~12/28までの33日間、定期検査を行いますので営業を停止いたします
   orz
 なんで点検等にそんなに日数がかかるのだろう?
 まさか、西国三十三番にちなんでのことなのか?
 再度の訪問を誓い、姫路から市川を北上した。

 日本玩具博物館は、日本を中心とした古き玩具を集めた、私設の博物館。
 相方が当初、「ここって6号館まであるらしいで。民博くらい大きいかも」と言っていたが、
 実際は、ほどほどの敷地に小さめの建物がギュウギュウ。(休憩所の古い家屋が5号館…)
 それでも、置いてある玩具の多彩さは、民博を(少しだけ)彷彿とさせた。
 ここからさらに、市川を北へ遡った。

 もちむぎのやかたは、もちむぎを使った商品をつくり、レストランも備えている施設。
 実は、ここを訪れるのは二度目。なので、10/19を参照のこと。
 かじかむ手で箸を持ちつつの鴨つくね南蛮は、ほっこら温まっておいしかった。

 所在地 円教寺 日本玩具博物館 もちむぎのやかた

 走行距離192.5km 燃費計13.4km/l 高速道路不使用


 19.13.11(水)

 八木荘司の古代からの伝言(角川文庫)、面白くて壬申の乱前夜まで一気に読んだ。
 古代日本は、なんて国際的でダイナミックな動きの中にあったんだろう。
 次は血潮たぎる壬申の乱、関が原の合戦並みのドラマなり。


 19.13.10(火)

 クリスマスの話。幼稚園から小学生の入りたての頃だったか―――。
 クリスマスの日の一週間くらい前から興奮して、早朝、ムクッと起きては枕元を見、何もなければ玄関までダダッと走ってプレゼントがないか確認しに行ってた。
 無邪気だったんだなぁ。。
 小学校の4、5年にもなれば、自然に真相がわかってくるモノだが、それまでは、
 「なんでウチはエントツないのに、ゲンカンにカギかかってるのに、なんでサンタさんはウチの中に入ってこれるんやろ?ぜんぶの家のアイカギもってるんかな…」
 朝、鍵のかかった玄関の扉と睨めっこしながら、そんなことを考えていた。


 19.13.9(月)

 会津に行くかもしれない! かの憧れの地へ!
 うむぅ、今のうちに、詳細な候補地を考えないと。
 やっぱり、保科正之公ゆかりの場所は、みんなまわりたいな。
 佐川官兵衛の本も読み返してみよう。
 会津出身若しくは会津へ観光したことのある方、宜しければメールで情報ください。m(_ _)m


 19.13.8(日)

 今年のイチローの動画を見ようと思ったら、こんなの拾った。
 左の女性が、結構言う言う。


 ついでに、こんなのも拾った。
 足の古傷さえなければ日本最高の投手だと、心から思う。



 19.13.7(土)

 シルフィで思い出した。
 先代シルフィが登場したときの、旧友とのセピア色の会話。

 S「知ってる? 今度出るシルフィって、排気ガスが都会の空気よりキレイらしいで」
 浮「おおっ、そりゃスゴイな! じゃあ、ホースつないで排ガス吸ってりゃ、むっちゃ肺にいいんちゃうん!?」
 S「そやなー! それグッドアイディアやなー!」


 そろってアホだよね。
 いくら有害物質が少なくても、酸素が足りなくなるよね。


 19.13.6(金)

 朝起きたら、ガレージのレガシィがシルフィに変わっていた!

 …そんな悪夢を見た。でも燃費16.0km/lだって。スゲー


 19.13.5(木)

 未だにブートキャンプの二日目に行けない。(9/27参照)
 一日目のDVDをエンドレス。。orz


 19.13.4(水)

 讀賣新聞に、シュライカー大阪というフットサルのチームが紹介されていた。
 シュライカーとは、「シュライク」と「ストライカー」との組み合わせで、シュライクは「百舌鳥(もず)」のことだという。
 ――シュライク――
 十年以上前の某ゲームを思い出した。
 数多の戦場を駆け抜けた主人公の愛機の名だった。(7/15参照)

-作戦要項-
 ハフマン島オシアナ共同連合領メナサ市を夜間に出発。
 小型潜水艇にてUSNフォートモーナス市沖合30キロ地点まで移動後、
 偽装船舶に乗り換えて上陸。USNラーカス地区にある敵の工場を極秘偵察せよ。
 なお、両国間の政治的緊張を考慮し、戦闘行為は厳禁とする。


 カレン「こちらラビット1、偵察ポイントに到着しました」
 ロイド「状況はどうだ?」
 カ「不思議だわ、静かすぎる。誰もいないみたい」
 ロ「油断するな」
 カ「大丈夫。こんなところで死ぬ気はないわ、ロイド。ラビット1偵察を開始します」
 サカタ「やっぱり婚約者のことは、気になりますか?」
 ロ「作戦中の無駄口は銃殺だぞ」
 サ「失礼しました、大尉殿。しかし、どうしてまた条約違反をおかしてまで、こんな工場を偵察しなきゃならないんですかね?」
 ロ「さあな、どうせ事務屋たちの考えだ。ろくでもない事だろう」
 カ「こ、この工場は……」
 ロ「どうした?カレン」
 カ「し、信じられない……こんなことって……」
 ロ「返事をしろカレン!!」
 サ「敵部隊が現れました!」

 工場のまわりの林の中から、敵部隊が多数出現した。

 サ「バカな! あんな所に隠れていたなんて……」
 ロ「カレン機を援護する! 全機突入!!」

 しかし、既にカレン機は敵ヴァンツァーに包囲されていた。

 カ「囲まれた!?」
 ロ「カレン! はやく逃げろ! やつらは俺達が相手をする!」
 カ「だめ! ロイド! こっちにきちゃだめ!!」

 見たこともない巨大な漆黒のヴァンツァーが、マシンガンを放った。
 轟音とともに、一弾一弾がカレン機の装甲を剥ぎとった。



 カ「きゃあぁぁぁぁ!」
 ロ「カレン!? カレーンッ!!」

 一撃で、カレン機は沈黙した。カレンの退避が確認できない。

 ロ「よ、よくもカレンを!」

 逆上したロイドは、シュライクを駆って突撃した。
 敵ヴァンツァーが近接戦闘を仕掛けてきたが、二機はロイド、一機はライオウに搭乗するサカタが撃破した。
 ロイドは、黒のヴァンツァーの正面に躍り出た。

 ?「もう十分だな、そろそろ証拠を消す事にしよう」

   ドーーン! ドーーーン! グォォォオオ!

 「な、なんだ!?」

 突如、工場が大爆発を起こした。
 と同時に、残りのUSNの部隊も撤退を始めた。。

 サ「隊長、離脱してください! 隊長、隊長!! 」

 ラーカス事件……
 ニューコンチネント合衆国(USN)はハフマン島の自国領ラーカス区の軍需工場が、
 オシアナ共同連合(OCU)のヴァンドルングパンツァー4機に襲撃され、工場が破壊されたと発表した。
 これに対しOCUは、襲撃の事実を否認。すべてはUSN軍の狂言であると反論した。
 両国の和解は進まず、ついに、ハフマン島全土が戦闘状態に突入した。
 第二次ハフマン紛争の勃発である……。



 19.13.3(火)

 先月放映していたニュースの話。
 石油高騰のためにビニールハウスの暖房が稼動できなくなった農家を取材していた。

 野 菜 や 果 物 も 石 油 で で き て る ん だ

 あらためて、痛感した。。


 19.13.2(月)

 先日描いた落書きに、色塗りしてみた。(12/22参照)
 特に背景が小学生並みで、恥ずかしい。。


 以前訪れた三木の志染の岩室には、流浪の二皇子の伝承(12/29参照)が残っているが、播磨風土記によると、二皇子たちにとってのヒロインがいたそうだ。その名も根日女(ねひめ)。
 ネヒメは、播磨国賀毛にあった豪族、国造許麻(こま)の娘。
 恋に落ちたオケとヲケは、ここでもやっぱり譲り合い。結局、モノにできぬまま。
 大和へ帰り大君となり、やっとネヒメを迎える決心をしたとき、ネヒメは二皇子を気遣う心が過ぎるあまり、心労に倒れてしまったのだった…。
 ネヒメの死を深く悲しんだ兄弟は、賀毛の里の朝日も夕日を受けるところに、玉のようにかがやく御陵(みささぎ)を造った。
 それは古の愛の記憶―――。


 加西市に残る玉丘古墳がそのネヒメの御陵とされている(玉野の地名も今に残る)が、玉のような葺き石は今やなく、しかも、明治16年に 盗 掘 に 遭 う 。
 あゝ儚きかな、愛の記憶。。(TT)

 所在地 玉丘古墳


 19.13.1(日)

 先日、OMS(12/17参照)でもらったパンフレット類をぱらぱら見ていると、

 多田自動車商会 〒673-0433 兵庫県三木市福井2265 ……

 三木の地名が目に留まった。
 そういやアンケートに答えて何か粗品もらったっけ。三木だったのか―――。
 急に親近感が湧いたのだが、中古パーツ屋さんのようだから、どノーマルレガシィ乗りの私が買えるものなんて、ほとんどないだろう。
 でも、現行のアゼストのオーディオからmp3やwmaを聴けるオーディオに買い換えた際には、古いオーディオを買い取ってもらえるのだろうか。
 「廃車買取り」としか書いてないけど、一応、気には留めておこう。


 19.12.31(月)

 12/9の給油記録。
 彦根:277.5km(うち高速道路216km)
 三木:134.6km
 …を含む。

 446.4km 13.2km/l(燃費計) 36.01L(レギュラー)給油 @149
 446.4÷36.01=12.396… → 12.3km/l(満タン法)
 12.3-13.2=△0.9


 ∴燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される。


 19.12.30(日)

 自動車業界(に限らないけれど。)は、それはもう必死に環境への負荷の軽い、持続可能な車社会を目指して研究に明け暮れているわけだが、ハイブリッドもディーゼルも電気も燃料電池かなわない(?)一番効果的な方法が、ほんの足元にあるのに気付いていない。それは―――

 国 民 総 エ ッ セ (ECO:682,500円)

 …反乱は避けられんね。。


 19.12.29(土)

 先月上旬の話。
 播州三木の志染の岩室と湯の山街道、三木総合防災公園へ行った。

 志染は「しじみ」、岩室は「いわむろ」と読む。
 大君を座を得るために多くの兄弟を殺したオオハツセは、最後の政敵・イチノヘノオシハを狩りの最中に射殺し、オオハツセワカタケルの大君(雄略天皇)となった。
 イチノヘノオシハの二人の皇子は、暴虐な大君の手が伸びるより先に、大和から逃れた。
 幼い兄弟オケとヲケは身分を隠し、播磨の豪族の屋敷に小間使いとして拾われた。
 それから何年経ったろうか。兄弟が潜り込んだ豪族の屋敷の新築祝いがあった。
 たまたま大和から遣わされていた使者も呼ばれての宴会、大いに盛り上がり、下で控えていた兄弟も余興にかり出された。
 兄弟はお互い譲り合い、周囲の失笑を買ったが、兄のオケが雅に舞い、みな静まりかえった。
 次いで弟のヲケは、自分たちがイチノヘノオシハの皇子であることを舞に乗せて歌い、告白した。
 驚いて転げ落ちた大和の使者は、皇子の生存を泣いて喜び、大和へ連れ帰った。
 そのころ大和は、ワカタケルの大君はとうに亡くなり、その子もじきに亡くなったため、大君の座は空位になっていたのだった。
 兄弟は、どちらが大君に就くか、また譲り合いをはじめた。
 オケ「播磨に隠れ潜んでいたあのときに、あなたが名を明かさねば、今のわれわれはなかった。これはすべてあなたの功なのだから、私は兄ではあるけれど、先ずはあなたが天(あめ)の下を治めるべきです」
 これが決め手となり、弟が大君となった。ヲケの大君、のちでいう顕宗天皇である。

 あるときヲケの大君は、父の仇のオオハツセの大君の御陵を壊して父の御霊に報いなければ、と考えていた。
 そのために人を使わそうとしたとき。
 オケ「この御陵を壊すのに、他の人を遣わすべきでありません。私ひとりで出かけ、大君の御心のままに壊して参りましょう」
 兄のオケは自ら河内のオオハツセの大君の御陵へ赴くと、その御陵の傍らを少しばかり掘って、宮に戻った。
 オケ「すでに掘り壊して参りました」
 大君「いかにして壊したのか」
 オケ「傍らの土を、少しだけ掘りかえして参りました」
 大君「父の仇に報いることを思えば、すべてを壊してしかるべきであろうに、どうして少しだけなのか!」
 オケ「ならば申し上げます。父の恨みを晴らすためにオオハツセの大君に報いを与えようとすること、これはまことに理にかなっております。しかしオオハツセの大君は、憎き父の仇ながら、われらが血を同じくする叔父でもあるのです。ましてや、かつては天の下を治めたもうた大君であったのです。それを今、父の仇に報いる志のみ重んじて天の下を治めたもうた大君の御陵をすっかり壊してしまったなら、後の世の人々は、必ずわれらの振る舞いを誹るでしょう。ただし父の仇だけは、どうしても報いなければなりません。それで、傍らを少しだけ掘ってきたのです。この辱めだけで、後の世への示しとしては充分でしょう」 
 大君「……そなたの振る舞いは、すべて理にかなっている。まったく、その通りだ」

 ヲケの大君の死後、兄のオケが大君となった。これが、のちでいう仁賢天皇。
 やがて、オケの大君も皇子のないまま亡くなり、かくて皇統断絶の危機が訪れたのだった―――。

 志染の岩室は、オケとヲケの二皇子が難を避けるために隠れていたところ、と伝えられている。岩室の下には泉が湧き出ており、稀に金色に変わることから、「志染の金水」とも言われている。


 湯の山街道は、かつて別所氏が本拠としていた三木城の北側に東西に伸びる街道。
 湯の山は有馬を指す。
 織田家臣の羽柴秀吉が別所を攻め滅ぼした三木合戦(10/9参照)で三木は荒れ果て、以来三木は復興のために税を免れることとなった。
 そして大工や鍛冶屋が大勢集まり、金物の町として有名になった―――。
 …というのが良く聞かれる話なのだが、湯の山街道の古老の話では、500余軒が並ぶこの街で一番多い店は、紺屋。つまり、木綿が根幹産業とのこと。
 街道に、日月くらぶ(じつげつくらぶ)という喫茶店があった。
 こだわりの自家製パンをはじめ、ひとつひとつが美味しかった。これはお勧めだ。

 三木総合防災公園は、食料・毛布などの物資が備蓄されているそうだ。
 しかし、見てみると……
 20,000人収容の競技場やその他多くのグラウンド。テニス専用の馬鹿げたドーム。
 どう考えても身の丈に合わないハコモノだ。兵庫県の壮大な無駄使いか?
 地震を再現する実験施設もあったが、見学することは出来なかった。(ノ_・。)ガッカリ

 所在地 志染の岩室 湯の山街道 三木総合防災公園

 走行距離134.6km 燃費計13.8km/l 高速道路不使用


 19.12.28(金)

 映画「マリと子犬の物語」を、封切りの日に観に行った。
 ……。
 …………。
 ………………。(ノ_・。)

 ハッ!
 なっ、泣いてへんよ! ちょっと目にゴミ入っただけやから!

 映画に出てくるマリは柴だけど、実際のマリは雑種で、
 ミッキー(あるいはベジータ)ばりの面構えをしていた。。M字…


 19.12.27(木)

 数年前の話。
 某駅前にて、白人夫妻に(たぶん)道を尋ねられた。
 もちろん、英語だ。
 私は一言でいえばアホなので、夫妻が何を言っているのかサッパリわからなかった。
 緊張に耐えかねた私は、
 あ、あいきゃんとすぴーくいんぐりしゅ…
 …と、逃げるように―――いや、 逃 げ た の だ 。
 そのとき紙とペンを携帯していなかった自分を恨んだ。
 紙とペンさえあれば!

 それから一年ほどのち、某駅のホームでアラブ人の男性につかまった。
 以前の苦渋が脳裏をよぎり、カバンをまさぐった。
 紙とペン、紙とペン……ない!?
 私は腹を据えた。とりあえず、言い分を聞こうではないか。
 英語をしゃべっていたのか何語をしゃべっていたのか、今に至るも不明だが、「ニガワ」だけは聞き取れた。
 『仁川?』
 アフマド(仮名)は、コクコクと頷く。
 よし、仁川が目的地か。ならば、
 『ここ、南口。ミナミグチ。次、逆瀬川。サカセガワ。次、小林。オバヤシ。次、仁川。ニ・ガ・ワ』
 空中に横一線の路線図を描いて、両手を大きく振りかざして、順番を示した。
 おお、わかった、というような安心感を見せたアフマドは、少し離れた席に座った。
 しばらく小豆色の電車に揺られ、仁川が近づいてきた。私はアイコンタクトを図り、
 『次、仁川。ニガワ。ここやから』
 アフマドは、立ち上がりながらにっこり微笑み、駅へ降りていった。
 ヒゲ面もいいものだな、と思った。

 結論 : 人生、日本語だけでも何とかなる。


 19.12.26(水)

 初音ミク(機械音に歌わせるソフト?)とやらにハマりつつある自分がいる。orz
 …というわけで、大地讃頌(だいちさんしょう)を拾ってきた。



 雲と地表との間に起こる放電現象をあらわす大和言葉は、たくさんある。
 ① かみなり/なるかみ  ② いかづち  ③ いなづま  etc…

 ①は、神が鳴る、の意だろう。わかりやすい。
 ②は、厳(いか)つ霊(ち)の意。厳ついまでに荒々しい霊力、くらいの意味か。
 ちなみに、同じ用法によると、火の神「カグツチ」は「輝く霊力」、ヤマタノヲロチの「ヲロチ」は「尾に宿る霊力」となるのだろうか。
 ③は、稲妻と書く。今は「妻」の字だが、昔は「夫」も「つま」と呼んだ。
 母なる土(つち)に青い稲が育ち、荒々しい天(あめ)から一閃、夫(つま)が駆け下りる。水の恵みを伴って。
 そして豊かな稲穂が実る。それは夫婦の営みのように。
 古よりのあめつちの理。


【追加:某中学校の合唱、サウンドオンリー】



 19.12.25(火)

 今だから言える。
 「きな臭い」を、「きなこ臭い」の略だと思ってた。
 きなこはあんまり臭わないよね。


 19.12.24(月)

 先日に引き続きユーチューブを検索してたら、こんなの見つけた。
 村治嬢が社町に来たとき、この曲の演奏を初めて聴いた。
 アルハンブラ宮殿が、アブラハム宮殿と聞こえた。



 CD「ビバ! ロドリーゴ」買った~!
 うおぉぉ! なにこの淫靡な雰囲気のジャケット!?
 DVD「トレス」も買った~!
 うおぉぉ! 弾く姿より、街に(意味ありげに)立ち尽くす姿の方が圧倒的に多い!?
 2ndアルバム「グリーンスリーヴス」以来のファンだけど……本当に良いのか、この路線!?(><)



 19.12.23(日)

 一番槍さんのところで初めて聴いた初音ミク。
 ジブリの中で一番のお気に入りのもののけ姫を紹介してみる。



 そして涙するが良い


 19.12.22(土)

 明日香のおとめをイメージして、適当に落書きしてみた。



 背景は、明日香の甘樫丘のはずだったのに、オオハツセワカタケル(雄略天皇)のエピソードを思い出した。

 ある年、大君は国をめぐって美和河(三輪近くの川?)へ行ったとき、河のほとりで衣を洗うおとめに出逢った。
 その姿はうるわしく、大君は、
 「そなたは誰の子ぞ」
 「……ヒキタベノアカヰコと申します」
 「そなた、誰にも嫁ぐな。そのうちにわれが召そう」
 そう告げて、宮へ帰った。
 ところがアカヰコは大君の御召しを待ち続け、待ち続け、とうとう八十年が過ぎてしまった。
 (大君の仰せを待っている間に歳かさね、老い衰え、頼みの美しさも失せてしまった。けれど、この待ち続けたきもちを告げぬことには、この苦しみは晴れない……!)

 「おぬしはどこの老女か? なぜここに参ったのか?」
 「ある年、ある月に大君のお言葉を頂き、御召しを待ち続けて八十歳を過ごしてしまいました。頼みの美しさも今はありませんが、しかし、わたくしのきもちだけは打ち明けたいばかりに参上したのです」
 「むむ、すっかり忘れていたわ。……そなたがわれの言葉をまもり、いたずらに女ざかりを過ごしたことは、気の毒である」
 大君は、アカヰコを迎えようとチラッと思ったが、あまりに老いていたためそれもためらわれた。
 大君は、歌を贈った―――。

 御諸の神の樫の木の その樫の木の下にいる 手を触れがたきカシハラのおとめよ
 引田部の若い栗林よ 若いうちに共寝すればよかったのに あゝこんなに老いさらばえて


 歌を聞いたアカヰコの涙が、赤い衣の袖を濡らした。そして、歌を返した。

 御諸に築いた高い垣 斎き残れば誰を頼ればよいのでしょう 神に仕えるわたくしは
 日下の入江の花咲く蓮 その蓮のごとき若い盛りの人たちの なんと羨ましいことでしょう


 大君は多くの贈り物をアカヰコに賜うて、里に帰した。
 このときに歌われた四首の歌を、しつしつと静かに歌う志都歌というそうな。



 19.12.21(金)

 少し前に、新聞広告で加島祥造なる人物の著書の広告が、何度も出されていた。
 伊那谷の老子とあだ名される彼のその書は、 「 求 め な い 」 。
 求めない―――そうか、そうよなぁ。
 その文字を見たとき、じわじわとその書名の真意がわかったような気がした。
 だから私は、「求めない」を 買 い 求 め な い 。 怠惰スーツは欲しいけど。


 19.12.20(木)

 少し前に、吉野家のテラ豚丼の映像が問題となっていた。
 「食べ物を粗末にするな」というクレーム多数だったそうだ。
 当該バイト店員は処分されて然るべきであるが、食べ物がもったいないという点なら、
 フ ー ド フ ァ イ タ ー た ち の 無 駄 な 食 とは比較にならないだろう。
 ああ、なんたる高燃費……。 


 19.12.19(水)

 燃費の良し悪しの程度を表す言葉が、いくつかある。高燃費、低燃費、省燃費、好燃費…。
 やっかいなのが、高燃費だ。
 ①燃料1Lあたり何km走るかという効率なら、数値が高ければ燃費が良い。
 ②一定の距離を走った上での燃料消費量なら、数値が低ければ燃費が良い。
 いったい、燃費が良いのか、悪いのか? 判別が難しい。
 
 一般的な燃費をあらわす単位は、①に基づくkm/lであるから、高燃費は燃費が良い、ということになる。
 しかし、新型車の売り文句でよく目にかかるのは、低燃費の方。
 車のつくり手、売り手が低燃費=燃費が良い、としているのだから、これはひとつの既成事実となっているのだろう。

 すると、低燃費は燃費が良く、高燃費は燃費が悪い、ということになり、また問題が生ずる。
 燃費が悪い高燃費、燃費が良い好燃費、双方ともコウネンピの読みで、ややこしいのだ。
 だから私は、ずいぶん前から、日記内では省燃費で統一している。
 これが一番わかりやすく疑義を生じないし、しかも、「節約するぞ!」という意志がひしひしと伝わってくるから。(←そうか?)


 19.12.18(火)

 今月初めの話。
 近江の多賀大社と彦根城へ行った。

 多賀大社の祭神は、イザナギとイザナミ。
 イザナギとイザナミは、最初の兄妹、最初の夫婦であり、たくさんの神々を産んだが、イザナミは火の神カグツチを産んだ際、ホトを焼かれて死んでしまった。
 嘆き悲しんだイザナギは、妻に逢いに黄泉の国を訪れた。
 「わが妹よ、お前に逢いにやってきた」
 「あら嬉しいこと。しかし私は既に、黄泉の国の食べ物を食べてしまったから、戻ることはできません。それでも、黄泉の国の神と何とか話し合ってみますので、それまでの間、決してこちらを見ないでくださりませ」
 待てども待てども物音ひとつせず、しびれを切らせたイザナギは、櫛を折って火を灯し、奥を覗いた。
   ゴロゴロゴロ…
 見えたものは、―――音が響くほどに蛆がわき、八つのイカヅチ(悪霊?)に取り憑かれた、それはおぞましいイザナミの姿だった。
 「 よ く も 見 ま し た わ ね 」
 イザナミは怒り狂い、ヨモツシコメを遣わした。
 「うぁあああ~~!!?」
 イザナギは恐怖に駆られ、逃げ出した。
 もう少しで追いつかれそうなところで、イザナギは髪を括るツルを投げると、地面から山葡萄がすごい勢いで成り、ヨモツシコメはそれを食べ始めた。
 その間に距離を稼いだイザナギだったが、またまた追いつかれそうになった。
 今度は竹の櫛を投げると、たちまちタケノコがニョキニョキ伸びて、ヨモツシコメを引きつけた。
 イザナミは今度は黄泉の国の軍人(いくさびと)を差し向けたが、イザナギが葦原中つ国と黄泉の国との境界のヨモツヒラサカの手前に成っていた桃の実を投げつけると、黄泉の国の軍勢は恐れをなして散っていった。
 イザナギは、千人がかりでようやく引ける岩で境界を塞ぎ、追いついたイザナミは岩越しに叫んだ。
 「愛しい私のあなた様、あなたが私にこんな仕打ちをするなら、私はあなたの国の民を一日に千人も縊り殺しますから!」
 「愛しいわが妹よ、お前がそうするならば、私は一日に千五百の産屋を建てる!」
 イザナギは、言戸を渡した。これが離縁の事のはじめ。

 「ああ、私はなんと穢れた国へ行ったものよ。この穢れた身の禊ぎをせねばならぬ」
 イザナギは、筑紫日向の川のせせらぎで、身を洗い清めた。これが禊ぎの事のはじめ。
 そして、左目を洗ったときにアマテラス、右目を洗ったときにツクヨミ、鼻を洗ったときにスサノオが産まれた。
 「私はなんと三柱の貴い子を得たものよ。アマテラスは、神々の坐す高天原を治め給え。ツクヨミは、夜の国を治め給え。スサノオは、海原を治め給え」
 しかし、スサノオだけは任せられた国を治めようともせず、哭き喚き、あらゆる災いが起こり広がった。
 「どうしてお前は国を治めようともせず、哭き喚いているのだ」
 「私は母のいる根の堅洲国へ行きたいために、こうして哭いているのです」
 「うぬぅ、口にするのも穢らわしいわ! どうしても行くなら、この国に住むことは叶わぬぞ!」
 スサノオは、イザナギに放逐された。
 そのイザナギも、今はもうお隠れになり、淡海(おうみ)の多賀に坐すとのこと。

 淡海を淡路と解釈する説もあるらしく、淡路島にもイザナギを祀る神社がある。
 さて、多賀大社の所以を回りくどく載せたのだが、同社は妻のイザナミをも祀り、御利益のひとつに縁結びもある。
 仲睦まじい妻が豹変して死者の国の神となり激しく罵り合って離別したことなど、まったく見て見ぬふりをしているようで、面白い。

 彦根城は、江戸期の彦根藩の城。全国に十二ある現存木造天守閣のひとつ。
 彦根藩は、一貫して井伊氏が治めた。
 井伊氏は、元をたどれば遠江の井伊谷(いいのや)の豪族で、戦国期には相当落ちぶれていたところ、まだまだ少年の万千代が徳川家康に(イケナイ意味で)可愛がられ、再興した。
 1582年の甲州攻めで武田家が滅亡したのち、徳川家康は駿河を得て、本能寺の変の危機を脱すると、ひたすら甲斐と信濃を取り込んだ。
 そして軍制を甲州流に改め、大量に雇用した武田武士の選り抜きを、万千代改め直政に預けた。これが、武具甲冑をすべて朱に統一した精鋭、赤備え(あかぞなえ)。 飫富(山縣)の赤備えの、事実上の後継である。
 長久手の戦いを皮切りに小田原攻めでも手柄を立てた井伊の赤備えだったが、最大の武功は、関が原の合戦の先駆けだろう。
 そのころ、井伊直政は家康の四男・松平忠吉の舅、後見役となっていた。
 豊臣秀吉の死後、野望が露骨になった徳川家康は、方々に婚姻や合力を取り付け、これを危惧した石田三成は、家康を討つために挙兵した。その辺りは、言わずもがなの歴史好き以外には、複雑な経緯だ。

 先ず、三成の意を汲んだ上杉景勝が、会津で挙兵。これを受けて家康は、豊臣の臣下として豊臣の諸大名を率い、会津を目指した。
 その途中で、三成が大坂で挙兵。毛利輝元を総大将に担ぎ上げた。
 会津の上杉景勝、大坂の石田三成、間に漂う徳川家康、家康の下に附属されていた諸大名、皆、名目上は豊臣家臣なのだ。

 さて、家康は自らに附属されていた諸大名(福島正則など豊臣恩顧の大名)を、三成打倒に向けて味方につけることに成功し、眼前の上杉、動向のあやしい佐竹の前にくるりとUターンし、豊臣恩顧の大名を焚き付けて美濃まで進撃させた。
 大坂方は美濃の大垣城へ入り、関東方との睨み合い、小競り合いが続いた。
 両将、様々な選択肢があっただろうが、家康は短期決戦を図った。城を捨て置き西へ進む気配を見せて、大坂方を外に誘い出したのだ。
 両陣営、その晩のうちに決戦の地、関ヶ原へひた歩いた。

 霧たちこめる早朝、関ヶ原は、両軍合わせて20万近い人数で満ち満ちていた。
 関東方は、西へ押し通ろうとするかたち。大坂方は、それを塞ぐかたち。
 濃霧で少しの先も見えないのに、馬のいななき、武具のこすれあう音、歯のガチガチ鳴る音など、なぜかはっきり聞こえてくる。
 緊張満ちわたる中、先陣を任せられた福島隊の脇をするする通り抜けようとする数十騎の一団がいた―――。

 可児才蔵「待て、待てい! おぬしらはどこの隊の者ぞ!?」
 井伊直政「……徳川が家臣、井伊にて候」
 可児「おお、兵部少輔さまでござるか。…しかし、此度のいくさの先駆けは、わが福島家のものでございまするぞ」
 井伊「いやいや、ここなる松平忠吉さまの初陣であるが、貴公らのような勇士が人数いては、手柄上げることなど端から覚束ぬ。されば、せめて前の前で物見し、後学に致したく…」
 可児「左様なことでござったか。それでは通られよ」
 井伊「それでは御免…」

 ………
   ダァン! ダダーーン!! うわーーーーーっ!!

 可児「すわ、謀られたか! われらも駆けよ!」

 徳川は一連の戦いのほとんどを借り物の兵力で戦ったのだが、井伊直政の抜け駆けのおかげで、かろうじて徳川の武門の面目が立ったのだった。
 井伊直政と松平忠吉は、追撃戦で島津豊久(島津維新の甥)の首を挙げたがしかし、直政、忠吉ともに、この戦いの傷がもとで亡くなった―――。
 ともあれ、直政には彦根藩18万石が与えられ、子の直孝の代には30万石となった。
 国政に参画できても身代が小さいのが親藩・譜代の通例であるから、異例の大身。しかも、琵琶湖のほとりの要衝の地であるから、幕府の藩屏として井伊家がどれだけ信頼されていたかわかろうというもの。
 二代目の井伊直孝も剛毅の人で、大坂の役で先陣を務め、八尾・若江にて木村重成を討ち取り、本丸に乗り込み豊臣秀頼と淀殿を自刃させた。
 第十五代の井伊直弼は、 「 あ あ 、 あ の 暗 殺 さ れ た 人 ね 」 としか認識されないかわいそうな人だが、彦根の人にとっては「開国の英雄」。
 ちなみに、井伊家の菩提寺の龍潭寺は、井伊の本貫地の井伊谷、将軍家より預かりし彦根、双方に存在する。
 当然、元々井伊谷にあったものを、彦根に持っていったのだろう。

 朴は、「もく」と読む。「ぱく」ではないので、注意。
 例えようもなくカレーが○ずい喫茶店。
 定番すぎる店を嫌って、隠れ家的なココを選んだものの、それが悲劇の始まりだった。
 だし、うまみ、コクというものが、まるで欠落しているのだ。それでいて、900円近く。
 言っておくが、これは営業妨害では決してない。
 リ ピ ー タ ー な ん て た っ た 一 人 も い る わ け な い から、(物好きな)新手の客を誘導しようとしているのだ。
 かつてないま○さを経験したいなら、彦根のお昼は迷わず朴だ!

 所在地 多賀大社 彦根城 

 走行距離277.5km(うち高速道路216km) 燃費計15.0km/l


 19.12.17(月)

 今月初日の話。

 『なーなー、今度な、二年振りにモーターショーあんねん』
 「どんなんなん?」
 『むっちゃクルマとヒトおってな、全部回んの半日かかんねん』
 「……頑張ってな」

 …というわけで、一人ぽっちでOMSへ潜入調査。(TT)
 入場と同時に日産ブースへ突入したので、GT-Rはラクチンで見られた。
 それにしても、オネーサンばかり撮ってる輩が多すぎて、鬱陶しいことこの上ない。
 オネーサンは写真に収めるものではなく、
 網  膜  に  焼  き  付  け  る  も  の  だ  ろ  。          !?





 予定が合わないと勝手に思い込んでいた友人が、午後からOMSへ行っていたことが、後から判明した。orz


 19.12.16(日)

 冬の星空。
 雄大だなぁ、オリオン。
 ……実は私、星座は北斗七星とオリオン座しか見つけられない。orz せめて昴だけでも…
 それにしても、バブル崩壊・大不況以降、わが街の夜空は本当にきれいになった。


 19.12.15(土)

 某漫画の匿名希望選手の落書きに、色塗りした。(12/1参照)
 書かなきゃ誰だかわからないから、名前も入れといた。

 「自分の胸さ、聞いてみれ!」


 19.12.14(金)

 11/24の給油記録。
 奈良:205.8km(うち高速道路140km)
 …を含む。ほとんど、この日一日そのまま。

 208.4km 13.5km/l(燃費計) 16.45L(レギュラー)給油 @143
 208.4÷16.45=12.668… → 12.6km/l(満タン法)
 12.6-13.5=△0.9


 ∴燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される。


 19.12.13(木)

 先月下旬の話。
 前日の行程に加え、奈良の石上神宮へ行った。紅葉狩りまくり。

 石上神宮(石上神社)の石上は、「いそのかみ」と読む。
 飛鳥時代に神仏論争によって蘇我氏・聖徳太子(崇仏派)に滅ぼされた物部氏の社である。
 祭神は、フツノミタマ。

 オオクニヌシの国造りによって葦原中つ国は繁栄し、それに嫉妬した高天原のアマテラスはタケミカヅチその他の神を遣わした。
 タケミカヅチはオオクニヌシに国譲りを迫り、屈したオオクニヌシは高くそびえる出雲大社に祀られることとなった。
 オオクニヌシの息子のタケミナカタは激しく抵抗したが、敗走を重ね、信濃の諏訪にて降伏し、以来その土地を出ていない。

 その後、天孫ホノニニギが高千穂に降臨し、数代かけて筑紫に根をはり、イワレビコの代になって東へ進んだ。
 美々津から諸所立ち寄りながら何年もかけて瀬戸内を進み、浪速から大和へ入ろうとしたが、トミノナガスネ(生駒周辺の豪族?)の前に敗れ去った。
 生駒越えをあきらめたイワレビコは、紀伊半島を大きく迂回し、熊野川を遡った。
 山深い熊野行は困難を極めたが、地元の豪族タカクラジが差し出してきた剣を得、また天より遣わされたヤタガラスの先導を得て、ようやく大和入りを果たし、橿原に宮をひらいた。カムヤマトイワレビコ、神武東征の物語である。

 タカクラジが云うには、夢の中で高天原の神々があらわれ、
 アマテラス「下は何かと騒々しく、わが子孫は大変苦しんでいる。タケミカヅチよ、お前が天降って援けておくれ」
 タケミカヅチ「われが行くまでもなし。わが剣を降ろせば充分」
 そして、目覚めて枕元を見ると、神々が降ろした剣―――フツノミタマ―――があった。
 タカクラジは、これをイワレビコに献上したのだ。

 スサノオがヤマタノヲロチの尾から採り出し、のちにヤマトタケルが草を薙いで火難を避けた草薙の剣(三種の神器のひとつ)と混同せぬよう注意されたい。


 前置きが長くなったが、石上神宮は剣そのものの御魂を祀り、また、物部氏は朝廷の軍事を司っていた。
 蘇我氏ら崇仏派との抗争では、物部守屋はさすが有利に戦いを進めたが、四天王に必勝祈願した聖徳太子の一矢に討ち取られた。
 御神体のフツノミタマは、明治になって神宮の奥の禁足地から掘り出されて、今は安置されているとのこと。
 また同神宮は、七支刀を所蔵していることでも有名だ。
 サガ2をプレイしたことのある面々には、ニヤリとする名だろう。

 所在地 石上神宮

 走行距離205.8km(うち高速道路140km) 燃費計13.6km/l


 19.12.12(水)

 11/23(二回目)の給油記録。
 奈良:196.1km(うち高速道路120km)
 …この日一日そのまま。

 196.1km 12.8km/l(燃費計) 15.59L(レギュラー)給油 @143
 196.1÷15.59=12.578… → 12.5km/l(満タン法)
 12.5-12.8=△0.3


 ∴燃費計は、満タン法より、0.3km/l前後良く測定される。

 今まで正確に算出したうち、最小のズレかも。
 一回目の大きいズレと関係してる可能性大。(反動?)
 ここらへんが、満タン法の限界かも。
 給油は毎回、同じセルフのスタンドで、自動的に止まるまで入れてるんだけどなぁ。。


 19.12.11(火)

 先月下旬の話。
 奈良の談山神社と長谷寺、大神神社へ行った。

 談山神社の談山は、「たんざん」と読む。
 中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏を倒す謀を語らった山―――つまり、談い山(かたらい山)ということらしい。
 というわけで、祭神は、藤原鎌足。
 談山神社は多武峰にあり、多武峰は「とうのみね」と読む。
 昔は「たむのみね」と読んでいたところが、時代とともに訛ったらしい。
 多武峰の130段(浮野調べ)の階段を登ると、右手にコの字型に取り囲むような建物と拝殿があり、その崖側の畳敷きの建物は出入り自由。
 高さある欄干越しに見る紅葉は、格別のものがあった。
 十三重の塔は、想像よりちっちゃくて、かわいかった。。

 長谷寺は、「はせでら」と読む。
 長谷は、初瀬、泊瀬とも書き、特に泊瀬と書くときは「はつせ」と読む。
 初瀬は、三輪山と多武峰の間の谷筋の奥の土地であり、谷の入口の朝倉は、かつてオオハツセワカタケル(雄略天皇)が宮を置いていたところ。
 朝倉と初瀬との間には、出雲という字がある。
 安彦良和の「ナムジ」「神武」では、初瀬は出雲族の入植地として描かれている。
 昔から、同様の説が唱えられていたのかもしれない。
 さて、長谷寺は、豊臣軍に滅ぼされた根来寺の僧たちが逃げ込んだ先のひとつであり、以来、新義真言宗豊山派を成した。
 山門から本堂まで続く屋根つきの回廊の周りは、華やかな牡丹で彩られ……と言いたいところだが、此度は晩秋。土から数本の棒(牡丹)があちこち突き出ている、それは殺伐とした光景であった。
 高所にある本堂の舞台は、京東山の清水寺にも劣らぬ立派なもの。
 長谷寺の向かいの素盞雄神社のイチョウ(玉蔓の大銀杏:樹高40m)が見えた。
 御本尊は、十一面観音。高さ10m以上の金ピカの像だった。
 境内をゆっくり廻り門へ戻ると、某演歌歌手が自主制作のCDを街頭販売していた。
 円さつきの「初瀬の恋唄」(B面:かけ橋)、誰か買ってあげて……。(ノ_・。)

 大神神社の大神は、「おおみわ」と読む。決して「おおかみ/おおがみ」ではない。
 山の名、土地の名の三輪(みわ)に、後から字をあてただけだと思われる。
 ちなみに、星野之宣の「ヤマタイカ」の主人公の名は、神子(みわこ)。
 大神神社の祭神は、オオモノヌシ。おまけに、オオナムヂ(オオクニヌシ)とスクナビコナ。
 御神体は正面にある三輪山そのものであり、本殿はない。
 傍には狭井(さい)神社、久延彦(くえびこ)神社があり、それぞれ病気平癒、知恵・学問を司る。
 オオナムヂが葦原中つ国の国造りをはじめた頃、出雲の美保関に蛾の衣を纏ったちいさい神が舟に乗ってやってきた。が、誰もその神を知らない。
 タニグク(蟇蛙)「クエビコなら知っているはず」
 そこでクエビコに尋ねると、
 クエビコ「その方は、カミムスヒの子のスクナビコナです」
 クエビコとは、すなわち山田のカカシのこと。
 それからオオナムヂとスクナビコナの国造りが進んだが、あるときスクナビコナはフッと常世の国へ消えてしまった。
 オオナムヂ「私一人で、これからどうして国造りができるのか」
 嘆き悲しんでいると、海の向こうから光り輝く神がやってきた。
 「われの前をよく治め祀るならば、われがともに国造りを成そう」
 オオナムジ「どう治め祀れば良いのか」
 「ヤマトの青々とした青垣の東の山の上に祀れ」

 これが大神神社の発祥。声の主は、オオモノヌシだったわけ。
 そのオオモノヌシも、オオクニヌシと同一神格とされたり、わけがわからないのだが…。。
 三輪山(三諸山)の神は蛇の姿をしているとされ、ゆえに供え物には必ずタマゴがある。(11/5、11/12参照)
 また、京都の松尾大社とともに、酒造りの神でもある。
 大神神社をぐるりと廻り、久延彦神社手前の展望台へ登ると、大和三山から二上山・葛城山・金剛山まで見渡すことができる。この景色は値打物だ。
 帰り道はやはり、三輪そうめんをチェックしておきたい。
 「池側」「森正」、ふたつの店を試したが、ふたつともおすすめしたい。

 所在地 談山神社 長谷寺 大神神社

 走行距離196.1km(うち高速道路120km) 燃費計12.8km/l


 19.12.10(月)

 11/23(一回目)の給油記録。
 和歌山:254.7km(うち高速道路195km)
 播州:162.1km 
 …を含む。

 432.0km 13.3km/l(燃費計) 35.48L(レギュラー)給油 @143
 432.0÷35.48=12.175… → 12.1km/l(満タン法)
 12.1-13.3=△1.2


 ∴燃費計は、満タン法より、1.2km/l前後良く測定される。

 今まで正確に算出したうち、最大のズレかも。。(ノ_・。)


 19.12.9(日)

 先月中旬の話。
 播州の生石神社と高砂神社、浄土寺へ行った。

 生石神社の生石は、「おうしこ」と読む。
 加古川の西岸、高砂市の平野には、ぽつぽつ岩山があり、また石切場もある。
 生石神社は、そのような岩山の頂上に近い、斜面にあった。
 祭神は、オオナムヂとスクナビコナ。
 出雲でともに国造りをした神として有名だが、播州でもお馴染みの神々。
 それにしても、ここで目にしたものを、どう言葉で書けば良いのやら…。
 困り果てた末、写真の力を借りる。ドン。

 図に赤く着色した部分、これが日本三奇のひとつ、石宝殿。
 数々の伝説はあるものの、実際に誰がいつ何のためにつくったのか、一切が謎の巨大石造物だ。
 斜面から切り出した岩は、およそ7m四方。
 岩の底は削られてくびれ、池の水面に姿を隠す。
 あたかも水に浮いているように見えることから、浮石とも呼ばれる。
 岩山の斜面の階段は、その岩山そのものを刻んで段としている。
 少し登れば、大正天皇行幸の碑があり、周囲の印南野を一望することができる。
 この日は叶わなかったが、天気次第では、姫路城の天守閣も見えるそうだ。(11kmの距離)
 浮石を背後の上方から眺めると、巨大ブラウン管テレビに見えた。

 この神社は、天正年間に播州入りした羽柴秀吉によって、一度焼打ちに遭っている。
 秀吉の協力要請を断った当時の宮司は、神吉城主の弟だったらしい。

 高砂神社は、高砂市の海岸近くにあった。
 今は埋め立てで海岸線から1km以上離れているが、昔は砂浜は目と鼻の先だったろう。
 生石神社とは対照的な真ったいらな境内は、高砂城址でもあった。
 高砂の他、周辺の加古川、加須屋、神吉などは、羽柴秀吉の播州攻め(三木合戦)の際に、城方の補給路を巡って激戦地となった。
 祭神は、スサノオ、オオナムヂ、クシナダヒメ。出雲神話で有名な面々だ。
 高砂神社といえば、何といっても尉姥、相生の松が有名らしい。
 尉姥は、「じょう と うば」と読み、「じいさん&ばあさん」の意。
 地元では訛って、「じょうとんば」と読む場合もある。少なくとも相方は訛っていた。
 相生の松は、(あいおいのまつ)と読む。要するに、夫婦仲を取り持つ縁起物であるが、現在は五代目相生の松が、四囲に枝を張り巡らせている。

 浄土寺は、小野平野の東の丘にある。
 西陽を受けてあかく輝く本堂の千手観音は、国宝指定。
 16:00にここを訪れたが、空が夕焼けていなかった。orz
 冬至あたりに、また来よう。。

 所在地 生石神社 高砂神社 浄土寺

 走行距離162.1km 燃費計13.5km/l 高速道路不使用


 19.12.8(土)

 恩田美栄だ、と思ったら沢田亜紀だった。


 19.12.7(金)

 浮野メール知人H氏の切り返しより抜粋。

♪♪
 む っ か し ー  む か っ し ~
 う ー ら し ー ま は ~
 た っ す け た カ メ に ~
 連れられて拉致監禁。

♪♪
 竜 宮 城 に ~
 行 っ て み れ ば ~
 目もあてられぬ拉致監禁。


 19.12.6(木)

 レガシィに特別仕様車について。
 ついにB4でも2.5iが出るんだね。喜ばしいね。
 スバルの公式サイトでは2.0Rを見なかったけれど、もしかすると、加わった2.5iの代わりに消滅したのかな。
 高回転の伸びより力強いトルクの方が実用的だから、これはスバルの良い選択かも。
 ただし、いい加減 4 A T は な ん と か し て 。


 19.12.5(水)

 早口言葉を考えてみた。
 二回目で、舌噛んだ。

 社 長 殺 傷 シ ョ ー


 19.12.4(火)

 先月の話。
 世界各地の斜塔の傾きナンバーワンが論じられていたときのこと。
 FM802から、「“傾いているトウ”と聞いて、皆さんは何を連想しますか?」

 浮かび上がった連想 → 民 主 党


 19.12.3(月)

 先月中旬の話。
 紀州の和歌山城と紀三井寺、根来寺へ行った。

 和歌山城は、御三家のひとつ紀州藩(55万5千石)の城。
 その割には、姫路城より貧相。
 鉄筋コンクリート製の復原天守閣は、まるで古びた公民館的造りだ。
 とはいえ、その城下町は壮大だったようだ。
 城内のアレな動物園が忘れられない。 

 紀三井寺は、「きみいでら」と読む。
 西国第二番札所。
 和歌浦を見下ろす丘の上まで登るには、206段をクリアせねばならない。(浮野調べ)
 フィギュアスケートのキミー・マイズナー選手の親衛隊キミーボーイズは、ここを詣でると良いだろう。
 そのときは、私も一緒に詣でよう。

 根来寺は、「ねごろじ」と読む。
 教義は、新義真言宗。アーメンさんでいうプロテスタントのようなものか。
 室町時代後期には寺領72万石、その兵力は万に及び、ゆえに豊臣秀吉の征伐を受けた。
 全山灰燼に帰す中、多宝塔と本殿その他わずかな建物が残ったという。
 圧倒的な存在感を放つ多宝塔(大塔)は、国宝指定。
 帰りの駐車場で、根来寺に住み込むニャンコとねんごろになった。

 所在地 和歌山城 紀三井寺 根来寺

 走行距離254.7km(うち高速道路195km) 燃費計13.7km/l


 19.12.2(日)

 ラップよりお経の方が音楽してる。


 19.12.1(土)

 某漫画の匿名希望選手を、再び落書きしてみた。
 この選手はいわゆるデレツンキャラなのであるが、前回(11/23)はどうやらデレ面のみのイメージで落書きしたらしい。
 久々のシャーペン書きで描いてみると、自然とツンツンに描き上がってしまった。(ってか、別人)

 チャイナ服がどういう構造だとか、後ろ髪をどう束ねているだとか、資料が無いので突っ込まないで。


 19.11.30(金)

 11/10の給油記録。
 奈良:148.7km(うち高速道路77km)
 奈良:1○○.○km(うち高速道路○○km)
 播州:168.8km
 …を含む。

 465.6km 12.8km/l(燃費計) 38.21L(レギュラー)給油 @143
 465.6÷38.21=12.185… → 12.1km/l(満タン法)
 12.1-12.8=△0.7


 ∴燃費計は、満タン法より、0.7km/l前後良く測定される。


 19.11.29(木)

 今月中旬の話。
 播州と丹波へ行ってきた。
 加東市の播州清水寺、篠山市の一眞坊、追手神社、丹波市の柏原。

 播州清水寺は、西国第二十五番札所。
 清水の舞台からは、チョッピリ色づいた紅葉が見えた。
 南40kmの明石海峡大橋と淡路島は、モヤのため見られなかった。。

 お昼は、一眞坊で蕎麦を食べた。
 DONOと一緒にテレビで紹介されて、今や順番待ち必至の人気店。
 開店の11:00丁度に入ったら、二番目だった。
 11:20に出たときには、既に駐車場がいっぱいだった。

 柏原へ向かう途中、左手に、大きなイチョウの木を見つけた。
 立ち寄ってみると、追手神社という社の境内にあった。
 雌雄のイチョウの巨木と千年モミに心奪われつつも、銀杏の匂いにダメージを負い、たまらず退散した。

 柏原は、織田氏が治めていた小藩の城下町。
 城下町といっても城は無く、行政の府は陣屋だった。
 町を見守る八幡神社の丘の前にある木の根橋は、根っこが小川をまたぐ大木のこと。
 でも、追手神社のイチョウとモミを見た後では、小さく見えてしまった。
 …見る順番を間違えたようだ。orz

 所在地 播州清水寺 一眞坊 追手神社 柏原

 走行距離168.8km 燃費計14.0km/l 高速道路不使用


 19.11.28(水)

 11/4の給油記録。
 親が給油してきて、走行距離がわからんくなった。orz
 (燃費計測に興味あるのは、家中で私だけ…)

 ○○○.○km(最低420.8km以上) 12.7km/l(燃費計) 38.67L(レギュラー)給油 @145
 420.8÷38.67=10.881… → 10.8km/l(満タン法)
 10.8-12.7=△1.9


 ∴燃費計は、満タン法より、1.9km/l前後良く測定される。
 いやいや、やっぱり推定40kmほど、距離にズレがあるなぁ。(ノ_・。)


 19.11.27(火)

 近頃流行のディーデルエンジン
 バスやトラックの大型エンジンでもクリーンになったら、見直したげる。

 ノ  ー  モ  ア  黒  煙


 19.11.26(月)

 「ロマンシング サ・ガ 3」(R.S.3)より、カタリナとモニカ。
 久しぶりに、鉛筆で描いてみた。
 本作では描かれない、ゲームオープニング時点より9年前のシーン。



 ロアーヌの貴族の娘・カタリナは、ロアーヌ侯ミカエルの妹・モニカの侍女兼護衛役。
 その剣技と忠誠を買われ、若くして、先代ロアーヌ侯フランツから騎士に任じられた。
 聖王遺物のひとつ・マスカレイドを賜わったのも、このときだった。
 
 「お初にお目にかかります。カタリナ・ラウランと申します」

 「聞いてるわ。 あなたが、これからわたくしのそばにいるのね!」

 「左様でございます」

 「年はいくつ?」

 「十五でございます」

 「ふぅん、わたくしより五つお姉さん、お兄さまより三つ妹なのね」

 「モ、モニカさま、何をおっしゃられますッ!?」

 「……ねえ、剣術と馬術が免許皆伝の腕前って、本当なの?」

 「はい。昨年の春と秋に、いずれも奥義を授かりました」

 「……………ねぇカタリナ、わたくしに剣と馬術を教えて! お父さまとお兄さまには内緒で」

 「…モニカさま。モニカさまがかようなことをなさらずとも良いように、私がいるのでございますよ?」

 「だって、だって……いつもの舞踏会とかでも、笑顔で踊っていながら心の奥底では何を考えてるかわからない者も、少なからずいるわ! みんな仮面をかぶってるのよ! 二週間前も、お父さまとお兄さまの暗殺未遂があったばかりで、犯人もわからないまま……。周りの小領主なんて、信用できないわ。ロアーヌの貴族さえも……あ、ごめんなさい! ラウラン家は別よっ」

 「………モニカさまは、まだいとけない年頃なのに、よく世情のことをわかっておいで……。本当に、賢くて、お優しいのですね……。―――わかりました。学問、教養、散歩、学問、食事、入浴、学問……すべて終わってなお時間が余ったときは、そのときお教えしましょう」

 「 え ゛ っ 」

 「それで宜しゅうございますか? それでは残った荷物の整理がありますので、いったん失礼いたします」

 「待ってカタリナ。それと―――いつも、どんなときでも、……わたくしの味方でいてね」

 「いついかなるときもお守りします。宝剣マスカレイドに賭けて…!」

 色塗り追加。
Posted at 2007/11/09 23:52:33 | 日記
2007年09月08日 イイね!

日記 ②

 前の日記帳のページ数が尽きたようなので、二冊目。


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


〔日記〕

 19.11.25(土)

 日記帳がいっぱいになった。。


 19.11.24(金)

 日本自動車殿堂07-08イヤーカーについて。

 フィットは、先ずもって妥当かな。
 色んな実用面で、デミオは太刀打ち出来ないのでは…。

 デザインでデミオが選ばれたのも、良いね。
 シャキシャキした小型犬みたいな感じかな。
 イメージカラーの緑は良い色だけど、事故率上がるような気がする…。
 
 4輪アクティブステアの技術でスカイラインクーペが選ばれたようだけど、スカイラインセダンじゃダメだったのかな。
 まぁ、セダンしか試乗してないのだけど、試乗コースで4輪アクティブステアを体感できなかった鈍感な私。。orz
 V35はセダンよりクーペの方が格好良く映ったけど、V36はセダンの方が格好良く見える。

 ゴルフヴァリアントは……知らない。


 19.11.23(木)

 某漫画の匿名希望選手を落書きしてみた。
 言わなければ誰もわかるまい…。orz



 その心は水洗便所より綺麗。


 19.11.22(水)

 今月初めの話。
 平城宮跡と信貴山朝護孫子寺へ行った。

 平城宮はちょうど、復元途中の大極殿の途中公開だった。
 木造の巨大な門を丸々蔽い、足場はフロア全体に及んでいる。
 だから、転落の危険がない。
 かつての宮は、ただの野っぱら。
 見渡す限りの草むらに、様々な鳥の鳴き声が聞こえる。
 こうべを上げて、ゆっくりぐるりと廻る。
 広がる空が、ぐるりと廻る。
 
 次は大和郡山を縦断して、信貴山の朝護孫子寺へ。
 寺伝によると、毘沙門天が夢で告げてくれたおかげで物部氏に勝った聖徳太子が、「信ずべき、貴ぶべき山」として寺を建立したのが起こりらしい。
 そして、そのお告げがあったときが、虎の年、虎の日、虎の刻で、今でも張子の虎が名物になっているそうだ。
 境内にある世界一福寅がゆっくりと首を振っていたが、その張子の中からは、
絶 え 間 な く モ ー タ ー 音 が 響 い て い た 。
 清水寺よりスカイハイな本堂では、毘沙門天を祀る。
 真っ暗な回廊を廻る戒壇めぐり、というのもある。
 戦国時代にはここが戦場となり、織田氏に攻められた松永久秀が平蜘蛛の茶釜とともに爆死。全山焼失したところ、のちに豊臣秀頼が復興させたという。
 毘沙門天=多聞天であるゆえか、楠木氏の菊水の旗が奉納されていた。
 楠木正成の幼名は、多聞。

 正倉院展の影響か、奈良市域で混み混み。
 燃費が伸びなかった。。

 所在地 平城宮跡 信貴山 朝護孫子寺

 走行距離148.7km(うち高速道路77km) 燃費計12.7km/l


 19.11.21(火)

 京都伊勢丹まで、いわさきちひろ展を見に行った。
 JR京都駅……なにこの手に負えない巨大なハコモノ。。
 ちひろ展では、書籍「万葉のうた」(童心社、1,200円)のみ買った。

 吾妹子が植えし梅の木見るごとに
 こころ咽せつつ涙し流る
               大伴旅人


 …なんだか、じんときた。

 JR京都駅から京都タワーの隣の小川珈琲に行く途中、西南西の空に、強い輝きがあった。
 眩しいくらいのそれをずっと眺めていたが、十秒経ったか経たないかで、
 そ れ が 突 如 消 え た 。
 
 所在地 JR京都駅


 19.11.20(月)

 紛れもないオカマだ、と思ったらジョアニー・ロシェットだった。


 19.11.19(日)

 玉木さん、な ら ば 野 球 フ ァ ン を や め て く れ 。

 今月初日、中日が日本シリーズを制して日本一となった。
 9回に、8イニングスを打者24人に完璧に抑えていた先発投手・山井から守護神・岩瀬に継投したことが、一部で議論を呼んでいる。

 「完全試合という大記録が達成できたかもしれないのに、その機会を奪うなんて、非情だ」

 批判する人は、まあこんな考えなのだろうが、私としては止むを得ないと思う。
 昨年の日本シリーズは、今年と同じ日本ハムを相手に、本来の中日の野球が出来ないまま、岩瀬を投入する間もなく終わってしまったのだから。

 「一試合一試合、勝てる試合を勝ちに行く」

 日本シリーズが始まる前から落合監督が言っていたことだ。
 そうしなければ、あっという間に流れを相手に持っていかれるから。

 「9回に、ヒット1本打たれてから交代なら、わかりますよ。でも~」

 これはノムさんの感想だが、大記録の達成直前で記録が立ち消えになったとき、それが安打1本では済まず、リズムを崩して炎上する―――なんてことは、ままあること。
 もちろんこんなときは、後ろの投手も相手の勢いを止められない。
 ましてや、このときのリードは1点のみ。
 日本シリーズの逆転負けは、ただの1敗では済まないのだ。

 過去の教訓を踏まえ、必勝の信念のもとに継投すること……しかも、シーズン通しての功労者に最後の舞台を与えることが、どうしてそう非難される事柄なのかと思う。

 これを「小心で夢のない野球」と呼ぶのは勝手だが、夢いっぱい、妄想いっぱいの長嶋野球は最悪だったぞ。讀賣ファンとしても。


 19.11.18(土)

 沖縄の位置が変。


 19.11.17(金)

 上戸彩だ、と思ったらキャロライン・ジャンだった。


 19.11.16(木)

 十月の話。
 タグに「正倉院展」と入力して見てみると、……私だけ。orz
 みんカラ数万の衆がいても、はぐれみんカラーに過ぎない私一人しか、正倉院展についてアップしてないのか。。


 (10/28 16:00時点)


 19.11.15(水)

 十月の話。
 正倉院展(第五十九回、初日)と正倉院、東大寺へ行ってきた。
 朝8:30から並び、9:00入場。
 人垣をかき分けて、一時間半かけて、全品を鑑賞した。
 羊木臈纈屏風と紫檀木画箱を、持って帰りたくなった。
 紫檀木画箱は、どこかさくらももこ的だった。

 お昼を食べようと、正倉院展が開催されている奈良国立博物館の地下の食堂へ向かった。
 葉風泰夢(ハーフタイム)。
 一歩引いてしまう名の食堂のメニューを見ると、なぜか中華料理で、しかもほんの三、四品目しかない。(しかも、値段が高い…)
 そこで、食堂前の弁当(1,100円、高い…)を買った。が、これも中華だった。orz
 それもそのはず、弁当の販売元が、葉風泰夢だったから。。
 次からは、奈良に入るより先に、昼食はあらかじめ用意しておこう。

 <編集中>

 所在地 奈良

 走行距離131.0km(うち高速道路80km) 燃費計13.5km/l


 19.11.14(火)

 某格闘ゲームの某サキュバスを落書きしてみた。
 大きく描き過ぎて、キャラの判別ができなくなった…。



  サキュバスだけに、男を叫ばすのが趣m


 19.11.13(月)

 十月の話。
 映画北極のナヌーを観に行った。
 ナショナルジオグラフィック(10/5参照)が撮影したフィルムらしい。
 日本版の主題歌を歌っているのは、手嶌葵。ゲド戦記の主題歌を歌ってた人。
 簡単なストーリー仕立てのドキュメンタリーみたいな感じだったけど、たくさんの人に見てもらいたいなら、映画より、民放の二時間特番の方が良かったかも。

 相方から事前に「白クマの映画」ということだけ聞いてたので、ライラの冒険の宣伝用パネルの武装白クマ(?)を見て、「 こ れ が ナ ヌ ー ? なぬ~」とつぶやいたのは内緒。


 19.11.12(日)

 日本霊異記(にほんりょういき:講談社学術文庫 全三巻)を買った。(11/5参照)
 奈良時代後期~平安時代初期の薬師寺の僧・景戒がまとめた説話集。
 仏教の因果応報を背景に書かれていて、全体的に説教くさい。
 それでも、最初のエピソードは、なぜか仏教伝来前のこの話。

 電(イカヅチ)を捉えし縁 第一
 小子部栖軽(チイサコベノスガル)は、泊瀬(ハツセ:三輪山の東南辺りの地名。初瀬、長谷とも)の朝倉の宮で二十三年天(アメ)の下を治めた雄略天皇(オオハツセワカタケノスメラミコト:大いなる初瀬の若く猛々しい大君の意?)の側近の従者であった。
 天皇(スメラミコト)が磐余(イワレ:桜井~香久山辺りの地名)の宮に住まっていたときのこと。
 天皇と后が寝室でニャンニャンしてるときに、それを知らずに栖軽が馳せ参じ、部屋に立ち入ってしまった。
 天皇は、恥ずかしくなり、コトをやめた。
 ちょうどそのとき、空に雷が鳴った。
 照れ隠しか、天皇はすぐさま栖軽に命じた。
 「お前は、鳴雷(ナルカミ)を呼んで来こられるか」
 「呼んで来ましょう」
 「では、呼んで来い」
 命を受けた栖軽は、緋色の蔓をひたいにつけ、紅い小旗のついた鉾を持って馬に乗り、安倍の山田の前の道から豊浦寺の前の道を通り、軽の諸越に行き着くと、大声で叫んだ。
 「天の鳴雷(ナルカミ)よ、天皇がお呼びであるぞ!」
 馬を返し、駆けながら、
 「鳴雷といえども、どうして天皇のお言葉を断ることが出来ようか!」
 すると、走りかえる折に、豊浦寺と飯岡との間に、鳴雷が落ちてきた。
 栖軽はすぐさま神官を呼んで鳴雷を輿に乗せ、宮に連れて帰った。
 「鳴雷を呼んで参りました」
 そのとき雷は光を放ち、明るく光り輝いた。
 天皇はこれを見て恐れ、供え物を捧げて落ちたところに返させた。
 その落ちたところを、今でも雷の岡と呼んでいる―――。
 その後、時は経ち、栖軽は死んだ。
 天皇は、彼の忠信を偲び、七日七晩遺体を安置して留め置き、雷が落ちた場所に彼の墓をつくった。
 その碑文曰く、「雷を捉えし栖軽が墓なり」
 鳴雷はこれを見て憎み、鳴り落ち、碑文の柱を踏みつけたは良いが、その割れ目に挟まってしまった。
 天皇はこれを聞いて、鳴雷を赦し、割れ目から助け出したため、鳴雷は死を免れた。
 しかし鳴雷は、七日七晩の間、憮然として地上に留まっていた。
 天皇は、もう一度碑文の柱を立てさせた。
 それに曰く、「生きても死にても雷を捉えし栖軽が墓なり」―――。


 以前(10/17参照)、明日香の雷丘に登ったけど、栖軽の墓なんて見当たらなかった。。(:;)

 所在地 初瀬 朝倉 山田 豊浦寺 軽の諸越(推定) 雷丘


 19.11.11(土)

 PCに入ってた落書きを見つけた。



 たぶん、D.Q.5の主人公の娘(5歳)、そしてレースのビスチェ装備時。

 ……今は反省してる。。orz


 19.11.10(土)

 電車には、夏に弱冷車があるが、冬には 弱 暖 車 を用意して欲しい。
 

 19.11.9(金)

 PCに入ってた古いmp3のデータを見つけた。
 イントロで、ジグザグ言ってた。
 某警察漫画を思い出した。

こんなだっけ?


 19.11.8(木)

 10/14の給油記録。
 篠山:145.8km(うち高速道路50km)
 篠山:146.6km
 百舌 近つ飛鳥:181.9km(うち高速道路60km)
 …を含む。

 501.9km 12.5km/l(燃費計) 43.17L(レギュラー)給油 @137
 501.9÷43.17=11.626… → 11.6km/l(満タン法)
 11.6-12.5=△0.9


 ∴燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される。


 19.11.7(水)

 先月中旬の話。大仙古墳近つ飛鳥博物館へ行ってきた。

 大仙古墳とは、いわゆる仁徳天皇陵のこと。
 宮内庁にそう指定されているからそう呼ばれていたが、実際の被葬者は不明であり、だから最近は誤解を避ける表現になっているとのこと。
 併設の堺市立博物館では、やたら詳しい警備員のオッチャンが、いろいろ答えてくれた。
 古墳の向きは、海や川(大阪湾、石津川)から壮大な側面部を見せるよう考えられ造られていること。
 ここの登り窯で埴輪をつくっていた集団が、600年の活動の後、全国へ散った(六古窯へ?)こと。など。
 巨大前方後円墳は、大きな敷地に幾重もの堀があるのに、どうして間の時代(武士の時代)の者たちに城砦に転用されなかったのか。各地の城の石垣には、古墳の石棺を用いている例がいくらでもあるから、古代人に対する敬意があったとも思えない―――との問いには、軍事転用された例はあるにはあった、とのお答え。

 昼からは、南河内郡太子町の近つ飛鳥博物館へ。
 「近つ飛鳥」は「ちかつあすか」と読む。
 なんでも、難波宮~石上神宮の二泊の旅程のうち、難波に近い方の宿泊地が「近つ飛鳥」、遠い方が「遠つ飛鳥」(=明日香村)なのだそうだ。
 羽曳野市から太子町にかけては飛鳥川が流れ、飛鳥戸神社や、飛鳥という字(あざな)もある。
 ここも、れっきとしたもう一つの「あすか」だったわけだ。
 近つ飛鳥の山中に、コンクリ打ちっ放しの巨大建造物が現れた。
 巨大な階段のデザインで、階段の下は、駐車場でなくて、池。
 だから、駐車場から入るには、階段の脇から入る。まるで階段の意味がわからない。
 設計は、安藤忠雄という建築家らしい。

 <編集中>

 所在地 大仙古墳 近つ飛鳥博物館 

 走行距離184.9km(うち高速道路60km) 燃費計13.5km/l


 19.11.6(火)

 女王様がコワイ。。(ノ_・。)




 19.11.5(月)

 やっと日本書紀の全巻を買い求めた。(岩波文庫 全五巻)
 特に、三巻の雄略天皇の項を見たかったのね。

 オオハツセワカタケル(雄略天皇)の六年三月七日、大君、后自ら桑の葉を摘み取り、養蚕を思い立った。
 そこで大君は、スガルに「国中の蚕(コ)を集めよ」と命じた。
 ここに、スガルは誤って国中の嬰児(コ)を集めて、大君に奉った。
 大君は大いに笑い、「汝が自ら養え」とのたまった。
 スガルは、嬰児を宮の垣根のほとりに養った。
 これにより、姓(カバネ)を賜り、小子部連(チイサコベノムラジ)と名乗った。

 七年七月三日、大君はチイサコベノスガルに「われは、三諸岳(ミモロノオカ:大和の三輪山のこと。現在の大神神社の神体)の神のかたちを見てみたい。汝は人に過ぎた膂力を持っているゆえ、自ら行って捉えてこい」とのたまった。
 スガルは答え、「試しに行って捉えてきます」と言った。
 そして、三諸岳に登り、大蛇(ヲロチ)を捉え、大君に見せ奉った。
 そのとき、大蛇から雷の光が閃き、その眼が輝いた。
 大君、それを畏れ多く思い、目を蔽って、殿中に隠れ込んだ。
 大蛇は岳に放たれた。
 よって、スガルは改めて名を賜り、雷(イカヅチ)と名乗った。


 10/17の日記で採り上げた雷神を捉えた話(雷丘)は、日本書紀でなく、日本霊異記の方の類話だったのかな。
 今度は、日本霊異記が欲しくなった。。


 19.11.4(日)

 左下の動画三歳児誘導ミサイルか何かに見えた…。


 19.11.3(土)

 思わず失笑

 「大殻、勝たへんかったら、わかってるよな? なあ。玉打ってもかまへんから」
 「おい、大殻。ヒジでもいいから目入れろ。目ぇもっと打てよ。目もっと重点的に」


 若さゆえとかそういう問題でなくて、 教 育 の 成 果 でしょ。


 19.11.2(金)

 ハッピバースデー トゥーミー
 ハッピバースデー トゥーミー
 ハッピバースデー ディア 浮野く~ん
 ハーッピバースデーー トゥーーミーー~♪ \(^o^)/

  ワーワー ワーワー
     パチパチパチ
               orz


 19.11.1(木)

 F.F.6のセリス(ナルシェ集結時)を落書きしてみた。
 魔導戦士とルーンナイトの違いがイマイチわからない。

「人を愛することはできるの?」

 炭鉱都市ナルシェでは、リターナーの旗のもとに、反帝国に燃え上がる戦士たちが集結していた。
 ナルシェの長老は、中立を保ち、リターナーと帝国の戦いを傍観しようとしていたが―――。

 長老「―――中立を決め込んでいれば帝国とてそんなムチャな事は……」

   バタンッ

 ロック「そんな事はないぞ! 帝国はもうすぐここにやってくる!」
 エドガー「なにっ!」
 バナン「ロックよ。どこでその情報を?」
 ロック「このセリスが…もと、帝国の将……」
 カイエン「そうであったか! どこかで見た顔だと思ったら…ガウ殿、どきなされ!」

   ドンッ

 カイエン「マランダ国を滅ぼした悪名高いセリス将軍! この帝国のイヌめ! そこに直れ! 成敗してくれよう!」
 ロック「待ってくれ! セリスはもう帝国を出てリターナーに協力する事を約束してくれたんだ」
 カイエン「しかし!」
 ロック「俺はこいつを守ると約束した。俺は一度守るといった女を、けっして見捨てたりはしない!」
 エドガー「ロック…お前、まだあの時のことを…」


 わずか数時間後、魔導士ケフカが率いる帝国軍は、ナルシェ近郊までやってきた。
 結局、ナルシェは帝国と戦うことを余儀なくされたのだった。
 帝国の狙いは、ナルシェで発掘された氷漬けの幻獣を手に入れること。
 リターナーの目的は、それを断固阻止すること―――。
 リターナーの戦士たちは、様々な思いを抱き、丘を上がった。

 エドガー 「ロックもいろいろと過去を持つ男だ。さっき君をかばったのを、愛情とカン違いして、惚れちゃいけないぜ」
 セリス「 私とて軍人の端くれ。そう簡単に心を動かしたりはしない!」

 カイエン「忘れるな! おぬしを信用したわけではないぞ」
 セリス「いいだろう。私が敵か見方かその目で確かめろ!」

 セリス「生まれながらに魔導の力を持つ娘…こんなかたちで再会するとは…」
 ティナ「あなたも魔法を? でも私とは少し違う…」
 セリス「私は幼い頃に、人工的に魔法の力をうえこまれた、帝国の人造魔導士だ」
 ティナ「人を愛することはできるの?」
 セリス「??? か ら か っ て い る の か ? 」


 戦士たちは狭隘な丘の地形を生かし、数倍以上の帝国軍を防ぎ切った。
 魔導士ケフカは、捨て台詞を残して去っていった。

 氷漬けの幻獣に近づく戦士たち。
 突如、幻獣は妖しい光を発した。
 皆が吹き飛ばされる中、ティナと幻獣との交感が始まり……人ならぬものに姿を変えたティナは、何処かへ飛び去っていった―――。


 19.10.31(水)

 F.F.6のセリス(魔封剣お披露目時)を落書きしてみた。
 リンペー氏曰く、 「 避 雷 針 」 ……。



 セリス「どうして私を守ると……?」
 ロック「似てるんだ……いや、何でもない。俺自身のためさ」


 セリスを守ると(一方的に)誓ったロックは、屋敷の地下道を潜り抜けて街を脱出し、サウスフィガロの洞窟から抜けようとした。

   グゴゴゴゴ ゴガガガガ……

 ロック「さっきから何の音だ?」
 セリス「壁の中から何か来る!」

   ドゴォォッ グイィィィィン……

 セリス「ディッグアーマー! コイツの魔法を浴びれば跡形もないはず!」
 ロック「なら、どうすりゃいい?」
 セリス「魔法は、魔封剣で私が引き寄せる!」
 ロック「そんなことして、大丈夫なのか!?」
 セリス「まあ、見ていなさい!」


 魔法を引き寄せ自らの魔力に換える魔封剣を駆使し、セリスとロックは危機を切り抜けた。
 目指すは、幻獣を掘り出した炭鉱都市ナルシェ―――。

【BGM:「決戦」】



 19.10.30(火)

 F.F.6のセリス(監禁時)を落書きしてみた。
 遠景から先にささっと描いたのだが、遠景・近景の顔が違うくなった。orz



 ガストラ帝国が造りあげた魔導の力をふるう少女。
 少女は若くして実戦を経て、数々のいさおしを立て、帝国の常勝将軍となった。
 やがて、かつての少女は、帝国の方針に疑問を抱くようになり―――。

 ガストラ帝国兵士「このッ くぬッ 思い知れ、この薄汚い裏切り者が!」

   バキッ ボコッ

 兵士「ヘヘ、常勝将軍セリスも落ちたもんだぜ」
 セリス将軍「弱者を力で踏み潰すお前たちほどとは思わぬ。ケフカはドマ国を毒で皆殺しにする計画を立てているそうじゃないか」
 兵士「う、う、うるさ~い!」

   ドカッ

 セリス「ぐは!」
 兵士「どうせ明日に処刑されるんだ。今のうちにへらず口を叩いてるんだな! ペッ」
 セリス「く…」

   ………………
      ………………

 兵士「ぐぅ~~~、すぴ~~~」
 ロック(商人姿)「よ~し、もう大丈夫だな。よっと!」

   ピョ~ン スタ

 セリス「 こ ん な と こ ろ ま で 来 て 押 し 売 り ? 」


 反ガストラ帝国の旗印を立てるリターナーの戦士ロック(トレジャーハンター)は、処刑寸前のセリスを救い、帝国の支配下にあるサウスフィガロの街からの脱出を図った―――。


 19.10.29(月)

 今月上旬の話。相方と丹波篠山味まつりへ行った。

 往路の国道176号線の日下部、道場付近で、とてもアグレッシヴな黒ラパンが背後から突貫をかけてきた。
 間違いなくベタ踏みだ、と確信できる速度で、隙間を縫うように駆け抜けて行った。
 私はそのラパンを、狂心の兎(たぶれごころのうさぎ)と呼んだ。

 三田の長坂からずっと、前を二輪の集団が走っていた。
 二輪一行・4人パーティーのうち、最後の車輌が、頻繁に左右左右グィングィンと、蛇行運転を行っていた。あたかも、ミツバチの八の字ダンスのように。
 この行為の意味するものは、ついにわからなかった―――。

 篠山の街中は、まったく昨日に倍する人と車が集まっていた。
 河川敷も、篠山城址も、全部あわせて一体何台の車を収容できるのだろう。
 感覚がまるでわからないが、一千台入ると言われても信用する。
 篠山の会場では、着いたがいきなり、谷村新司の22歳が大音量で流れていた。
 早めのお昼は、猪汁と黒豆ジェラートその他のご馳走で、お腹をうめた。

 ほろ酔い城下蔵にも見学に行った。
 京嵐山の松尾大社、大和三輪の大神神社、このふたつの社が、酒造メーカーの護り手だそうだ。

 次にデカンショ街道を南へ走り、上三草の交差点。
 この左手(東側)に、無名の神社があった。
 建物もいくつもあるし、人の手入れの後も見える。
 しかし、人の姿はなく、由緒書きもなく、社号もどこにも彫られていなかった。
 地図にも、鳥居マークはあっても、名は書かれず。
 私にとって、長らく謎の神社だったのだが、この日判明した。
 各地秋まつりで賑やかなこの日、鳥居の横に、「住吉大明神」と書かれた幟が翻っていたのだった。
 名無しの神社は住吉神社、海の神ウワツツノオ、ナカツツノオ、ソコツツノヲを祀る住吉チェーンのひとつだったのだ。(ちなみに、播州には大歳神社が多い)

 その後は、加東のケーキ屋さん・マルグリットで、第二のお昼。
 飲み物としては、ブラウンスイスの牛乳を飲んだ。
 ブラウンスイスは、ここらでは(幻の)前川牧場だけのものではなかったの!?

 所在地 篠山 名無神社改め住吉神社 マルグリット

 走行距離146.6km 燃費計13.7km/l 高速道路不使用


 19.10.28(日)

 今月上旬の話。家族と丹波篠山味まつりへ行った。
 猪やら栗やら、山の幸で食い倒れ。

 「向こうで戦争体験やっとるでー」   !?

 何本か、丸太が置いてある。
 チェーンソー体験だった…。

 篠山のあとは、20km奥地の草山温泉観音湯へ行った。
 隣の山上に、観音さまが輝いていた。
 しかし、山頂への専用スロープカーはすっかり錆付いていて、動くことはなかった。(:;)

 今回の行程は、ほとんど父の運転。
 余計なアクセル、余計なブレーキがもったいないなぁ。
 自分だったら、1.0km/lは上げられたよ。(><)

 所在地 篠山 草山温泉 観音湯

 走行距離145.8km(うち高速道路50km) 燃費計11.9km/l 


 19.10.27(土)

 10/6の給油記録。
 明日香:167.6km(うち高速道路125km)
 播州一乗寺:186.5km
 生野銀山:226.1km
 …を含む。

 616.2km 13.5km/l(燃費計) 49.07L(レギュラー)給油 @137
 616.2÷49.07=12.557… → 12.5km/l(満タン法)
 12.5-13.5=△1.0


 ∴燃費計は、満タン法より、1.0km/l前後良く測定される。


 19.10.26(金)

 嗚呼、この夏もまた、私は一体いかほどの蚊に献血したのだろう…。


 19.10.25(木)

 スバルの公式サイトを見ていると、いつの間にか、スバルバーチャルランドが無くなってる!?

 …と、あせって検索してみたら、ここに残ってた。
 もう公式サイトからはリンクされてないのかな。




 19.10.24(水)

 浮野市

 人口
 【総人口】45,803人【世帯数】14,656
 【男性】20,529人 【女性】25,274人
 
 各種データ
 面積188平方km
 人口密度243.6人/平方km
 市民の平均所得98万円
 昨年出生数691人 死亡数78人
 平均寿命75.7歳
 失業率3.3%
 名産品メスヒカリ
 市の花ピーマン
 市の鳥エミュ
 1日の救急車出動数59回
 下水道普及率60%

 発生事件ベスト3
 労働基準法違反 略奪愛 略奪
 住民の声
 テントの件だけはね・・・(56歳 発明家)
 守りが弱いからどうしたって?(55歳 新聞配達員)
 夏の浮野フェスティバルはやめられない(21歳 トリマー)

 音頭
 浮野音頭愛を拾って夢を捨てる ドシタ
 鮮やかな空の下にある街
 コンクリートと酒の匂い ソレ
 悪と恐怖を叫ぶ街
 ずっぽりユー!やっぱりヘイ!
 ぼんやり覗き せっせと働く
 ずっぽりユー!やっぱりヘイ!
 暖色の公園切なくて
 コッチの方でも 浮野音頭
 言葉はいらない 浮野音頭



 19.10.23(火)

 九月末の話。
 相方の軽を運転して、DONOブリランテへ行ってきた。

 DONOは11:00開店だが、11:30に着いたら、もう3組待ちだった。
 ピザが数量限定だということもあるから、行くなら、11:00ちょうどがいい。
 相変わらず、マルゲリータキノコのパスタは美味しかった。

 ブリランテは、篠山市と加東市の境の加東側にあるアイスクリーム屋さん。
 御用達の前川牧場が新たに仕入れたブラウンスイスという品種のミルクを使用したアイスが売りらしい。
 350円でブラウンスイスのアイスを買ってみた。
 ほのかに甘く、濃厚なのに脂っこくない。いける。

 それではブラウンスイス(牛)に会ってみよう、と、道を聞いて前川牧場を目指してみた。
 次第に道は細く、暗くなっていき、視界が開けたその先も、畑の脇の一本道だった。
 泣く泣く前川牧場訪問をあきらめ、難渋しながら引き返した。
 幻のブラウンスイス、それを育てる前川牧場もまた、幻だった。

 所在地 DONO ブリランテ 前川牧場(推定)


 19.10.22(月)

 鳥が群れ成し、ときに向きを変えて飛んでいた。
 私は、無意識に口ずさんでいた。

   ロート ロート ロート   ロート ロート ロート ……   ハッ!


 19.10.21(日)

 九月末の話。
 生野銀山よふど温泉へ行ってきた。

 生野銀山の入場料は900円。JAF割引で、一割引の810円。
 坑道には、濃ゆい顔の人形が、それぞれの仕事に勤しんでいる。
 相方は「ある意味お化け屋敷よりコワイなぁ」と言ったが、心細さならば独りで入る球泉洞が超絶している。
 思うに、薄暗い閉鎖空間より人のかたちをしたモノの方がコワイのだろう。

 左手に、石垣を頂いた山(竹田城址)を見つつ、与布土(よふど)へ。
 入湯料は、600円。
 6個500円の梨を買ってから産地を聞いたら、鳥取産だった…。
 ゆっくり温泉に入り、昼寝もしてから与布土を出た。

 この日は、好条件が重なったのか、燃費が普段以上に伸びた。
 天候は、どんより曇空だが、雨は降らず。
 22度~19度で、エアコン要らず。
 二名乗車で、重い荷物は無し。
 高速道路は不使用。ただし、走行距離のうち20kmは、北近畿豊岡道路を使用。
 こういった条件で、燃費計は最高16.0km/lを指した。
 帰宅時には15.6km/lに落ちたが、2LのNAでこの数字には、満足している。
 シタ道のみで、カタログ燃費の14.0km/lを、遥かに超えたのだから。

 所在地 生野銀山 よふど温泉 球泉洞

 走行距離226.1km 燃費計15.6km/l 高速道路不使用 遠阪トンネル 300円


 19.10.20(土)

 キューブが前を走っていると、相方が一言。
 「あ、トースターが走ってる」
 じゃあ、マーチは何なのかを訊くと、
 「あれは掃除機
 …とのこと。


 19.10.19(金)

 九月の話。
 播州の一乗寺もちむぎのやかたへ行ってきた。

 法華山 一乗寺は、西国三十三番の第二十六番。
 加西市の鶉野飛行場跡の西南6kmの山中にある。
 本殿までの階段は、113段。
 駐車料金300円、拝観料300円と(シッカリ)徴収している割には、
 境内全体が 放 置 さ れ て い る 印象を受ける。
 駐車場のジイサン、「こんにちは」と声をかけても無言。車を出すときに料金所のところから出ようとすると“シッシッ”のジェスチャー。確かに別のところに出口はあったのだが、それはないだろう、と。orz
 紅葉はさぞ美しいだろうが、リピーターにはなれそうもない。

 もちむぎのやかたは、福崎町のICやランプの少し北にある。
 もちむぎとは、そばにあらず、うどんにあらず、実は大麦の一種。
 コシが強く、つるんと入る。製麺から販売、レストランまで、一大集客施設となっている。
 美味しくて、お土産も豊富なので、これはおすすめ。

 帰り道、淡河の少し東で渋滞に巻き込まれかけ、針路を変え、結局16kmも無駄に走った。orz

 所在地 一乗寺 もちむぎのやかた

 走行距離186.5km 燃費計13.3km/l 高速道路不使用


 19.10.18(木)

 シンデレラの物語を聞いていて、不思議に思っていた。
 意地悪な継母と姉~ ―――継母(ままはは)―――
 ママは母で、母はママだろうに、どうして同じ意味を繰り返すのだろう、と。
 意味を知ったのは、中学の頃より上だったと思う。orz


 19.10.17(水)

 前日のつづき、明日香編。
 當麻寺のあと、明日香へ行き、レンタサイクル万葉(1,000円)で自転車を借りた。
 周った名所とその概略は、以下の通り。

 欽明天皇陵
 第二十九代欽明天皇の陵。欽明天皇は、仏教伝来で有名。

 猿石
 檻の中に入ってるように見える。

 鬼ノ俎/鬼ノ雪隠
 鬼が旅人を俎で調理し雪隠でひり出す、という伝説あり。
 実際には、一つの石棺の残った片割れ(俎)と、転げ落ちた片割れ(雪隠)

 亀石
 亀の形をした巨石。マスコットキャラのごとき愛嬌がある。

 橘寺(350円)
 タヂマモリ(→ 9/21参照)が常世の国から持ち帰ったトキジクノカクの木の実(橘)を植えたと伝わる地であり、聖徳太子生誕の地ともいわれる寺。

 石舞台(300円)
 周囲の土を失い玄室が露出したものが、石舞台の正体。
 元は一辺50m以上の方墳だったらしい。
 巨石ばかりでつくられた玄室の中に入ることができる。

 岡寺(300円)
 西国三十三番、第七番。
 文字通り、東の丘を登らなければたどり着けない寺。
 塔のもとからの景色は、疲れを忘れさせる。

 板蓋宮跡
 蘇我入鹿暗殺の舞台。

 酒船石/亀形石造物(たぶん300円)
 酒船石は巨石の上に溝があり、亀形石造物は凹んだ甲羅に加え頭と尾に溝がある。
 いずれも、その上を水が流れる仕組み。

 飛鳥寺(300円)
 高さ3mの銅製の大仏がある。星野仙一に見えた。
 西の外れには、蘇我入鹿の首塚がある。

 水落遺跡
 蘇我入鹿を暗殺し大化の改新を推し進めた天智天皇がつくったとされる水時計。
 うっすら水の流れる溝が刻まれた石が残るばかりである。

 雷丘
 甘樫丘の北にある小さな丘。
 小師部栖軽(チイサコベノスガル)が、雄略天皇(オオハツセワカタケル)の命で、雷神を捕らえたところ。

 甘樫丘
 明日香の土地の西に位置する南北に長い丘。
 北端からは、大和三山(畝傍・耳成・香久)、二上山、葛城山、金剛山、三輪山等が見える。
 もちろん、明日香の中心地も一目瞭然。

 橘寺、岡寺、飛鳥寺で共通したことがあった。
 それは、釣鐘を自由に鳴らせること。(言うまでもなく、みだりに鳴らしてはならない)
 今回の明日香サイクリングで、ポカリスエットやアクエリアス等を、ペットボトル三本も飲み干してしまった…。

 所在地 明日香

 走行距離167.6km(うち高速道路125km) 燃費計14.1km/l


 19.10.16(火)

 九月の話。
 大和の明日香へ行ってきた。
 初っ端に當麻寺に寄って、それから明日香へ。
 明日香では、レンタサイクル(1,000円)を活用して、こぎ回った。

 當麻寺
 まず、當麻の土地となりについて。
 「當」は「当」の旧字。當麻は「たいま/とうま」と読む。
 當麻に関しては、日本書紀に有名な話がある。
 イクメイリヒコ(垂仁天皇)の御世、七年の七月七日―――。
 臣下たち「當麻の邑に當摩蹶速(たいまのくえはや/けはや)という勇敢な士がおります。この者は『われの力に並ぶ者はおらぬのか。何としても力強き者に遇って、生き死には問わない、ひたすらに力比べをしたいものだ』と言っております」
 イクメイリヒコ「當摩蹶速は天下之力士(あめのしたのちからびと)だと聞いたが、誰か、これに並ぶ者はおらぬのか」
 臣の一人「わたくしは、出雲国に野見宿禰という勇士(いさみびと)あり、と聞いたことがあります。試しにこの者を召し、蹶速に当てようと思います」
 即日使いを出し、やがて野見宿禰が出雲から到着した。
 そして、當摩蹶速と野見宿禰と二人相対し、各々足をあげて相蹴った。
 野見宿禰は當摩蹶速のあばら骨を蹴り折り、また、腰を踏み折って殺した。
 ゆえに、當摩蹶速の土地はことごとく野見宿禰に与えられた―――。

 後年、野見宿禰は出雲へ帰る途中、揖保川河畔に倒れた。
 現在の野見宿禰神社は野見宿禰の墓でもあるが、その墓をつくる折、石を担いだ人夫が野を行きかった。
 それを見て、誰言うとなく、そこは立つ野と呼ばれるようになった。
 人々の並び立つ野、立野。現在は、龍野(竜野)の地名が残っている。

 いきなり脱線してしまった。
 さて、當麻寺といえば、中将姫(ちゅうじょうひめ)の話が有名らしい。
 小冊子を買ってみたが、要約すればこうだ。
 藤原鎌足の曾孫・藤原豊成の娘として生まれた中将姫は、奇縁により幼くして母を失い、十四にして継母の謀により家を追われたが、のちに、父豊成と再会を果たした。
 十六のとき、世を儚んだ中将姫は、置手紙を残して出家した。
 そして、當麻寺で剃髪した中将姫は、三日かけて、蓮の糸から曼荼羅(當麻寺の本尊、當麻曼荼羅)を織り上げた。
 それから十三年後の二十九のとき、中将姫はその生涯を閉じた。


 正門から入ると、猫が何匹もくつろいでいる。
 周辺の砂利は、猫のフンの地雷原だから注意が必要。
 裏門(?)側の駐車場(有料)には、何故か、
 外 車 は 停 め て は な ら な い
 …という掟があるらしい。
 
 (明日香編へつづく)

 所在地 當麻寺 野見宿禰神社/龍野


 19.10.15(月)

 ジオン公国軍士官採用適性試験を受けてみた。

 浮野士官候補生の得点は、 39 点である。

 ランク:D (A~E)
 偏差値:32.2
 順位:2,914位 (3,054人中)

 項目別評価 ランク(A~E)
 一般教養 D
 パイロット適性 D
 戦艦乗員適性 E
 指揮官適性 D

 総評 貴公を伍長に任命する。
 浮野士官候補生の搭乗モビルスーツ ズゴック


 ……。
 ズゴックって何だろう。。


 19.10.14(日)

 昨日の続き。
 そして、それを広言したときに限って、シャイニングロードを見失う事実。orz


 19.10.13(土)

 ボーリングやビリヤードをするとき、まれに、シャイニングロードが見えるときがある。


 19.10.12(金)

 まさにそのとき、つりがみさまがあらわれたのじゃ…。


 19.10.11(木)

 スズキの公式サイトスイフトの諸元を見てみた。
 1.5Lに合わせてみてみると、XSという4ATのグレードが該当。
 トルクウェイトレシオは、1,030÷14.6=70.5。
 そして燃費が、16.4km/l。

 !?

 動力はともかく、燃費が違いすぎる…。
 車種の新旧、ATとCVTの違い、等と言っても。

 私が重視する項目に、燃費とともに航続距離がある。
 長距離旅行の際に、いかに給油をせずに走り続けられるか、の目安。
 カタログ燃費の8割で、燃料タンクの9割のガソリンを費やして走ったと仮定してみる。
 レガシィ 14.0km/l、64L → 11.2×57.6=645.12 → 645km
 デミオ 20.0km/l、41L → 16×36.9=590.4 → 590km
 スイフト 16.4km/l、43L → 13.12×38.7=507.744 → 507km

 …どう受け取るか…微妙な差だが、小さくはないだろう。

 う~ん。
 ベタながら、ヴィッツやフィットも見てみようかなぁ。。


 19.10.10(水)

 九月中旬の話。
 買い物のついでに、初めてマツダ店に寄ってみた。
 見たかったのはデミオ
 試乗車は予約で埋まってるとのこと。(ぶっつけで試乗できたV36スカイラインって……orz)
 新型デミオの出だしは好調で、かなりウハウハらしい。
 1.3Lタイプの展示車を見てみたので、以下、感想箇条書き。

 タコメーターがない。(一応、欲しい)
 画面も無い。ナビはどうするんだろう?(←そのときに訊けばよかった)
 側面の窓が大きく、視界が広い。(後部は並みだけど)
 ルームミラーの取り付け部分(?)が、やたら大きい。(視界ちょい悪化)
 運転席を自分に合わせても、後席で足がつっかえない。(必要最低限の広さ)
 天井は、平均して、レガシィよりほんの少し高い?
 後席は、ボタンひとつで倒せる。(レガシィは、腕突っ込めるだけ)
 トランクは、奥行きはないが、底が深いカタチ。(コンパクトクラスではフィットに次ぐとか)
 後部ワイパーがある。(アコードなど、ない車種も意外とある)


 帰ってからカタログを見ると、1.5LのCVTなら、トルクウェイトレシオでレガシィ2.0iと変わらないことに気が付いた。(1,000÷14.3=69.9、1,330÷19.0=70)
 AWD独特の安定感はないだろうが、動力に不足はないわけだ。一人乗りなら、なおさらに。
 燃費は、前者は20.0km/l、後者は14.0km/l。
 燃費計の有無も、確認しなければ。

 また今度は、試乗予約して行こうかな。
 他には、スイフトも見てみたいな。


 19.10.9(火)

 竹中半兵衛の話が出てきたので、転生前のブログから、三木合戦のときの記事を抜粋。

 三木城と平井山へ行ってきた。
 三木合戦、三木の干殺し(ひごろし)の舞台となった土地だ。

 三木城の本丸にある解説板によると、戦国時代の三木合戦以前にも、三田の有馬氏や山陰の尼子晴久、畿内の三好長逸などに攻められたことがあったが、その度撃退したという。
 尼子の本拠地は出雲の月山であるから、長躯220km以上山河を越えてやって来たとは思えない。
 たぶん、尼子の傘下に入った播磨か但馬の豪族が三木城を攻めただけの話だろう。

 三田の有馬氏や三木の別所氏は、播磨に隆盛を誇った赤松氏の分家。
 特に別所氏は、東播八郡二十四万石を誇った勢力だ。
 二十四万石がどれくらいの大きさかというと、およそ七千の兵が動かせる程度の力。
 そこに、織田信長から播磨・中国地方の制圧を命じられた羽柴秀吉が、入ってきた。

 当初、別所氏の当主・長治や各地の諸勢力は織田氏に味方したが、やがて摂津・丹波・播磨の各地で、反織田の狼煙が上がった。
 以下、簡単に関連年表を記す。

 1577年   赤松広秀(斎村政広)の龍野城/太田垣氏の竹田城、開城
 1578年3月 羽柴秀吉、別所氏の三木城を攻撃する
 1578年7月 毛利氏の攻撃により、織田方の尼子残党が籠城する上月城、落城
 1579年   織田氏の攻撃により、波多野秀治が籠城する八上城、落城
 1579年5月 織田氏の攻撃により、淡河城、落城
 1579年10月 備前の宇喜多直家が、毛利氏から離れ、織田氏に服属する
 1579年11月 織田氏の攻撃により、荒木村重が籠城する有岡城、落城
 1580年1月 三木城の別所長治が切腹し、開城
 1581年   鳥取の渇え殺し 毛利方の吉川経家が切腹し、鳥取城開城
 1582年   高松城の水攻め 毛利方の清水宗治が切腹し、高松城開城


 毛利氏が上月城を落とすところまでは良いが、あとは織田氏が各地同時並行で激しく攻めていたことがわかる。

 別所氏は、本拠地の美嚢川のほとりの丘の三木城に籠城した。
 籠城というと、有名な籠城戦は皆落城した戦いばかりだから、愚かな戦法と思うかもしれない。(小田原合戦しかり、大阪の役しかり)
 歴史上はきっと、籠城に成功した試しの方が多いのだろうが。

 羽柴秀吉は、三木城をぐるりと囲んで、兵糧攻めの構えを見せた。
 これに対し、別所氏も、手を拱いていたわけではない。
 各勢力と連携して、兵糧の調達を講じたのだ。
 例えば、伊丹有岡城の荒木村重(元織田家臣、1578年10月に叛逆)が丹生山から、安芸の毛利氏が船を使い魚住から兵糧を搬入するルートがあったらしい。
 その補給ルートを巡って、三木城の周囲の各地で、幾つもの競り合いが起こった。

 1578年10月 平井(北東2km周辺?) 別所氏が攻撃をかけたが、失敗
 1579年2月 魚住(南西15km周辺)からの補給を巡り、戦闘が起こる(場所は不明) 
 1579年5月 丹生山(東10km周辺)近くの淡河城が落ち、荒木村重との連絡が絶たれる
 1579年9月 平田(大村:北西1.5km周辺?)にて、毛利・別所氏と織田氏が衝突、輸送は失敗に終わる


 こうして支城を落とされ、補給ルートを潰され、羽柴秀吉の手によって、地獄絵図はこの世に現出された。
 飢えのあまり、木の根・木の皮、壁の中の藁までも食べたという。
 兵糧攻めの一面の残酷さは、昨年の大河ドラマ「功名が辻」でも描かれていた。

 もはや抗し難いと悟った別所長治は、城兵の命と引き換えに、切腹した。
 辞世の句は、
 「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」

 城主の切腹により責任を取らせ開城させる、というこのやり方は、鳥取城の吉川経家、高松城の清水宗治へと慣習化してゆくことになる。

 城跡の丘(といっても、昔ながらの一戸建ての住宅地がひしめき合ってる)を降りたあと、北東2.9kmの平井山へ向かった。
 平井山は、羽柴秀吉が本陣を置いていた場所で、ふもとには竹中半兵衛の墓がある。
 三木の陣にて病状悪化し、養生のため京に退いていたが、戦陣に身を置くことに執念し、陣没した。
 秀吉は、「お先まっくら」と半兵衛に取りすがって泣いたという。

 ぶどう園の少し奥を右折し、細い道を上り続けると、本陣跡に着いた。
 城を包囲するにしては少し離れすぎてる気がするので、慎重さというよりはむしろ眺望を選んで、ここに陣したのだろうか。
 
 これは加東市民の相方が言っていたのだが、「播州の人間にとって、秀吉は悪玉」らしい。
 確かに、地図を広げると、よくもまぁ山陰は丹波から因幡まで、山陽は播磨から備中まで攻め潰したものだ、と呆れるほどだ――。




 所在地 三木城 竹中半兵衛の墓


 19.10.8(月)

 戦国武将診断やってみた。

 武力:55点 [普通]
 知力:85点 [すばらしい]
 魅力:60点 [普通]
 政治力:85点 [すばらしい]
 才能:65点 [よくできました]

 あなたは竹中半兵衛に似ています。
 見た目が軟弱なので斎藤家中で馬鹿にされていた半兵衛は、弱冠二十歳にして、一夜で難攻不落の稲葉山城を乗っ取ってみせた。
 政治的思惑があるのかと思えば、信長が連絡をとっても「他国のためにやったんじやない」とあっさり龍興に城を返してしまった。
 軍略を学間として好み、出世などには興味がない彼は、今なら差し詰め「ゲームの鉄人」。浮世ばなれしたマニヤックさは「兵法」を著した孫子を思わせる。
 黒田官兵衛と双璧を成す秀吉の名軍師。
 借しいかな結核のため三十六歳の若さで亡くなった。



 19.10.7(日)



 阪和道で、レクサスの輸送車(?)を見かけた。
 はて、中身は一体ナンだろう。


 19.10.6(土)

 9/17の給油記録。遠出が半分以上。

 494.1km 11.1km/l(燃費計) 48.40L(レギュラー)給油 @138
 494.1÷48.4=10.208… → 10.2km/l(満タン法)
 10.2-11.1=△0.9


 ∴燃費計は、満タン法より、0.9km/l前後良く測定される。


 19.10.5(金)

 普段あんまり見られないのだが、ケーブルテレビのドキュメンタリー番組は、面白い。
 ディスカバリーチャンネル、ヒストリーチャンネル、アニマルプラネッツ、ナショナルジオグラフィック、等々。

 ナショジオで、明の鄭和(ていわ:ジャン・ハーと聞こえた)の話をしていた。
 鄭和の詳細については、ここを参照のこと。

 アフリカ・スワヒリ海岸には、水平線の彼方から光を遮るほどにたくさん、紅い布を掲げた船団がやってきた―――という伝説があるとか。
 これは、長江から西進した鄭和の大船団のこと。
 いやはやスケールの大きいこと。

 で、本題の鄭和より気になったことがある。
 それがカラリパヤット
 このインド発祥の武術が、中国の少林に伝わり、すべての武術の基になったかもしれないのだそうだ。
 柔らかい刀身を振りかざすウルミンにひとめぼれ。(→Movie →Third Stage/Flexible Sword)
 ちなみに、ひらひら手をかざすテルミンとは何ら関係ない。


 19.10.4(木)

 紳士服のお店に、青山がある。
 はるやまもある。
 AOKIもある。

 青山、春山、青木―――。

 こ、これはっ!?
 この他に、 春 木 があるに違いない!!

 そこで私は、「春木(はるき)」にちなむ様々な語句で検索をかけてみた。

 ………存在しなかった。orz
 春木仮説、敗れたり。


 19.10.3(水)

 国道176号線を通っていると、交差点そばの歩道で、交通整理の真似事をしているジイサンがいた。
 背中を丸め、よろよろと、それでもその気になって誘導を続けていた。
 相手にするクルマは、一台も無かったけれど。


 19.10.2(火)

 九月の八日の話。
 河口まなぶ氏がみんカラを始めたことには、正直ビックリした。


 19.10.1(月)

 前の日記帳の文字(タグ含む)をWordに入れて、文字数をカウントしてみた。
 結果↓。



 だいたいこのあたりが、みんカラブログの文字数の限界らしい。
 限界があること自体は、転生前の紀行モノのリンクブログで確認していたが、文字数の検証は初めて。


 19.9.30(日)

 ロマンシング サ・ガ(SFC版)のクローディアの色塗りをしてみた。
 ちょこちょこ弄くったら、とっても邪悪な色合いになった。

 神々の創りしマルディアスのちょうど中央に位置する街・アルツールで、一人の屈強な男が喜び勇んで武器屋から出てきた。

 聖戦士・ガラハド「やったー!念願のアイスソードを手に入れたぞー!」

 その直後、大熊と銀狼を引き連れた女が街に着き、入れ違いに武器屋に入っていった。

 しばらくして店を出てきた女は、男の下へ一直線に近づき、訊いた。

 ?『あなたがアイスソードを持つ男?』

 「ああ。君も知っているか、アイスソードを。3ジュエル(1ジュエル=10,000金)もしたんだ。見てくれよ、この凍てつくほどの澄んだ刀身を!(うっとり)」

   ばさっ コロコロ……

 女が手から落とした革袋から、大きな宝石が3つ覗いた。

 「おや、君もこんな大金を?」

 男が代わりに拾おうとしたそのときだった。

   キリキリキリ

 女は、男に向かって矢をつがえた。

 同時に、二頭の獣も左右に回り込む。

 「!!? はぁうっ! 待て、なにをする貴様らーーー!!」

   ひゅっ かつっ

 眉間を射貫かれた男は、驚愕の表情のまま仰向けに倒れた。

 『あなたが……先に買ってしまうあなたが悪いんだから!』

 急に風が強くなり、砂埃を巻き上げた。

 街に吹く風の切る音が、悲しみの曲に聴こえる。

 女の名は、森の番人・クローディア。バファル帝国の落し子、森と獣の神に愛された子。

 しかし彼女はもう、光の神々の試練の道を歩むことは出来ないだろう。

 彼女はたった今、闇の祝福を受けたのだから。




 「ロマンシング サガ」で最も有名で特徴的なイベント、「アイスソードを持つ男」。(同イベント直後、平和な街のBGMは悲しみに満ちたものに換わり、決意の半端な冒険者は良心が疼く。)

 地水火風を司る四柱の神のうち、フレイムタイラントとの交渉上必要となるアイスソード。

 そのアイスソードの入手方法は、ゲーム終盤に行くことが出来る(選択肢によって、行けるとは限らない)「巨人の里」で買うことを除けば、
①アルツールの店で「ガラハドより早く、3ジュエルで買う」
②アルツールで見せびらかすガラハドを「殺して奪い取る」(無料)
 …の二つ。

 そして、ガラハドより早く3ジュエルを貯めるのが、また難しい。(ゲームに慣れたら充分可能)

 ゆえに、「欲望」あるいは「腹いせ」に殺されるガラハドが後を絶たないのだ。

 またこのイベントにより、ゲーム終盤の神々の武器の入手場所が変わってくる。
①光の神・エロールの与える「最後の試練」
②伝説の古城の果てにある「巨人の里」
③死を司るデスが治める「冥府」

 ガラハドを殺せば、もちろん一発で冥府行き決定。

 当時のスクウェアが仕組んだ、冒険者の心を計る試金石なのだ。


 6、7年前の落書きに、2年前の段階で色塗りし、みんカラにも掲載していたのだが、今回新たに色塗りし直した。
 2年前と比べると、一応、少しは向上しているようだ。
Posted at 2007/09/08 00:18:24 | 日記

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「加賀の従姉妹が旦那の実家への帰省中に被災してビニールハウスや小学校で過ごしていたこと、クルマで4日の晩に無事帰ってこられたことが、母経由で伝わってきた。ホッとした。

播州もいつ山崎断層が動くかと言われているので、わが家庭も備えをもっと見直さないといけない。」
何シテル?   01/08 16:46
当ページの内容の無断転載はやめてください。 主な内容は、燃費記録と おすすめスポット。 未掲載スポットが、500件超。ズーン 省燃費と航続距離に拘ってま...
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