
ガンマに乗ってた数年間は、生涯で1番バイクを乗り回していた時期でした。
バイク仲間のKさんと二人で早朝ツーリングによく出かけていました。
職場にはバイクのツーリングクラブもあり、
15人ほどで泊まりがけのツーリングにも出て、
常連のバイク屋さんが参戦した鈴鹿の四耐の応援にも行きましたが、
私のお気に入りは少人数での早朝ツーリングでした。
Kさんは VF 400に乗っていて、かなりのスピード狂でした。
大学の時はスキー部で大回転専門で、
その道では有名な競技用の板を私に譲ってくれました。
その板を履いてスキーに行くと、リフトのおじさんから、選手ですかとよく言われました。
それくらい有名な板だったようです。
Kさんは、スキーで鍛えたスピード感覚で、バイクは常に全開全開でした。
二人でツーリングに行くと、抜きつ抜かれつで、
一日中競走しているような感じでした。
一度追い越されて追いかけて行ったら、
すぐに警察のレーダーがあって、慌てたのですが、
不思議と、おまわりさんはみんな目を丸くして私を見送るばかりでした。
先に行ったKさんに追いついて、
「スピードやってたの大丈夫でした?」と聞きましたが、
「気が付かなかった」と言ってました。
かなりのスピードで、止める間もなくすごい勢いで通り過ぎたようで、
おまわりさんたちの度肝を抜いてしまったようです。
早朝ツーリングの約束をすると、雨天決行なので、
ガンマを濡らしたくなくて CM 250 T を買いましたが、
基本性能が違いすぎて、私たちの常用スピード域では無理がありました。
この日も雨の中曲がりくねった国道41号を走っていて、
長いスノーシェードの中、私が先行していたのですが、
スノーシェードから土砂降りの雨の中に出て、橋に通りかかったところ、
水溜りと橋の継ぎ目の鉄板でスリップダウンして転倒しました。
そのままバイクと私は自転を繰り返しながら、
私が先行して橋の上を滑って行ったのですが、
後ろからバイクが火花を散らしながら追っかけてくるのです。
足で蹴って近づかないようにしてましたが、
仰向けの状態でくるくる回っているので、
頭の上にバイクが来た時は頭を抱えてガードしていました。
なにせ土砂降りなものでなかなか止まらず、
対向車線を何十メートルも滑りました。
グーグルマップで今もある現場の橋を測ってみると、
少なくとも60メートルは滑ったようです。
後ろを走っていたKさんは死んだと思ったそうです。
うまいことガードレールにも刺さらず、
バイクの下敷きにもならず、道路の上で止まった時には、
橋を渡り終えていました。
その間、早朝とはいえ国道41号で、対向車のトラックなどが来なかったのは、
幸運としか言いようがありません。
なんで生きていたのか不思議な感じでした。
雨のスリップでバイクのダメージもなく、
私もバイク用の皮ジャンに革ズボンの上からつなぎのカッパを着ていたので、無傷でした。
カッパにはお金をかけていて、確かヘリーハンセンか何か、
当時でも珍しかったヨット用の上下つなぎのカッパで、
農協ガッパとは違って、ゴム引きの完全防水でとても丈夫でした。
軽く擦り傷が付いただけで、アスファルトの上を何十メートルも滑ったのに、
一つも破れてませんでした。
革ジャンも革ズボンも無事でしたが、服の下で擦り傷がいっぱいできていました。
やはり衝撃はすごかったようです。
止まったら、自分の体よりバイクが心配で、慌てて起こして道端に寄せて、
確認しましたが、どこも壊れていませんでした。
そこに追いついたKさん、
「大丈夫?車来なくて良かったねー、いやー、死んだかと思ったよ」
なんかあったらえらい面倒をかけるところでした。
バイクも体も何ともなかったので、
その後も一日ツーリングを続けたのですから、根性があったと思います。
帰ってからひりひりするんで見たら体中擦り傷だらけだした。
バイクは本当にハンドルが曲がることもなくそのまま走れました。
アメリカンタイプは転んでも、ステップやハンドルが曲がりにくいなあと感心しました。
ただやはり、ついてるタイヤが、ガンマと違ってドライでもウエットでもグリップが低いので、
そこをちゃんと考えるべきでした。
土砂降りだったのは早朝のその時期だけで、
その後は晴れ間ものぞき、カッパも脱いで快適なツーリングでしたが、
いつもよりはスピードは控えめでした。
富山から出て安房峠に向かい、高山から庄川に抜けて、
イチコロ、156号を降りてくる一周300 km ほどの1日ツーリングコースがお気に入りでした。
41号の早朝は庄川沿いのイチコロに比べ砂も浮いていなくて、
スピードが出るため好きでした。
逆回りの早朝庄川のイチコロを走るコースは砂が浮いているため、危険なものでした。
どちらもバイク乗りがよく死んでいた道ですが、
文字通り、イチコロの方がひどかったような気がします。
最後はギャラリーも立って、バイクブームも終わりだなと思ったものです。
両方ともスノーシェードの中でこけると、命はないなと思ってましたが、
やはり定期的に何人か死んでました。恐ろしいものです。
今も車からバイク乗りをよく見ますが、無事であってくれと祈っています。
自分ではもう乗ることはないと思います。
青春の1台だったと思います。