ショートトリップ 江戸川逍遥 宝珠花橋とその周辺漫ろ歩き~~~
投稿日 : 2008年12月28日
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「お友達」の方や、僕の日記を普段見てくれている方ならおわかりと思いますが、僕は12月21日から29日まで、恒例の「出稼ぎ」業務についております。
去年と今年は、埼玉県北葛飾郡杉戸町の、とある冷蔵倉庫が出稼ぎ現場・・・。
東京都江東区の自宅からの通勤走行距離が約60km(片道)
いろいろなルートがある中で、僕が選んだルートは・・・・・。
首都高速木場>箱崎>小菅>三郷>流山IC>野田市内>江戸川沿い>宝珠花橋>杉戸の現場・・・というもの。
ナビのお姉さんもこのルートは案内しません。
偶然というか適当に走っていたらこうなったルートです。
さて、このルートには、江戸川を渡る宝珠花橋という橋があります。
大型自動車は通行禁止というこの橋、期間中毎日通うこの橋に多少愛着がわいてきたので、その周辺をちょいと歩いてみました。
この日・・・
周辺は強烈に冷え込みました。
雪こそないけれど、霜柱のオンパレード!
宝珠花橋の西側から車道の方を撮ってみました。
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車道の方を・・・と書きましたが・・・・・。
宝珠花橋についてここで少し調べたことを書いてみます。
宝珠花橋。
まず、この「宝珠花」という名について。
宝珠花というのは、現在の千葉県と埼玉県にまたがる、つまり江戸川中流部の両岸にまたがる地名で、右岸(千葉県)は東宝珠花(野田市←東葛飾郡関宿町←東宝珠花村)、左岸(埼玉県)は西宝珠花(春日部市←北葛飾郡庄和町←西宝珠花村)ということです。
この地域は江戸川の水運で栄え、宝珠花の渡しで両岸を結び、また水運業社たちは銀行を設置した(→宝珠花銀行、明治35年開業~昭和6年解散)ことでも知られているという地域です。
この銀行が解散になったのは、今でいう「東武野田線」が開通して江戸川の水運が衰退したこと・・・ということのようですが、宝珠花の渡しはその後しばらく存在し、昭和33年、宝珠花橋の開通に伴い、その姿を消したとのことです。
で、画像は東西の宝珠花の地名の表示板です。
東・・・千葉県野田市東宝珠花の電柱にて。
西・・・埼玉県春日部市西宝珠花の交差点の表示板です。
なお、西の看板の「春日部市」のところはもともと「庄和町」だったところの上から貼り付けた表示です。
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さて・・・
話を戻しましょう。
宝珠花橋の親柱に掲げられている、看板です。
今年で開通50周年をめでたく迎えた宝珠花橋。
でも・・・・・。
隅田川に架かる橋たちは、太平洋戦争以前の橋にも拘らず、広い道幅を持った橋ですが、ここの宝珠花橋は、大型車両通行禁止で歩道橋を別に架けてある橋・・・・・。
どう見ても「貧弱」に見えてしまうのは仕方がないことです。ですが、この橋もこの50年間渡し船に代わって東西宝珠花をずっと守って来た橋です。
この日もたくさんの車両が行き交い、渋滞も発生するほどのにぎわいを見せておりました。
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先に書いたように、この日(平成20年12月24日)は強烈に冷え込みました。
宝珠花橋の架かる河原も、霜柱に包まれてしまいました。
ごらんのとおりの状況で・・・・・
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さて・・・
日を替えてもう一度宝珠花橋の近くで時間を過ごしてみました。
宝珠花橋の東側・・・つまり千葉県側では帆掛け舟のモニュメントが・・・・・。
西の埼玉県側にはこういうのはなかったですが・・・。
千葉県側ではこの橋にいろいろと飾りがありました。
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一方の西宝珠花には「宝珠花神社」があります。
なんでも明治40年に近辺の神社4社を合祀して今の宝珠花神社になったそうです。
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境内に入ると本殿の横には、関東平野のあちこちに点在する(特に埼玉に多い)「富士塚」の姿が・・・。
この富士塚はどうやら溶岩でできているようでした。
実際に上ってみたけれど、溶岩のごつごつとしたものの塊といった感じでしたねえ・・・
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その頂上から・・・
ぐるりと見渡すと、東に筑波山、北に日光連山と赤城山、西には秩父連山と富士山の姿がくっきりと見えました。
もっとも・・・
富士塚の高さは、護岸化された江戸川の堤防と同じくらいの高さではありますが・・・。
でもでも、歴史ある富士塚のてっぺんからぐるりと見渡したことは、大先輩方の上った場所からの眺め・・・ということで、何やら特別なものを感じたところでありました。
画像は富士山方向ではなく、逆の筑波山方向・・・
画像左の尖がったのは、富士塚のてっぺんの岩、その彼方に見える山が筑波山です。
・・・ということで今回のフォトギャラは、これでおしまいのどっとはれでございます。
またこんど、お会いしましょう!
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