C55 5態
投稿日 : 2009年11月07日
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どもども。
酔波鉄道・・・。
弊社には、交流電化区間も、直流電化区間もあるというのに・・・
弊社が増備する機関車は、真っ黒の蒸気機関車がまだまだ主力でございます。
そんな中で、弊社の牽引車としてその主力を占めるのが、ライトパシフィックと呼ばれる、C55とC57の兄弟機。
本日現在17車両が犇めき合っております。
さて、そのライトパシの中でもアタクシのお気に入りのC55たちを今日はご紹介いたしましょうか。(C57も大好きですけど)
C55形式は、1935年、昭和10年に製造がはじまった、旅客用蒸気機関車です。製造期間は1937年までの2年間で、62両が製造されました。
この中で、製造当初「流線形」だった車両が20号機から40号機までの21両、その前後を含めると3つのタイプで製造されています。
PC前に集結したC55たちです。
手前から・・・
流線形改造の九州タイプ(門デフK3'装着)予定機番・・・C5534
一般型の九州タイプ(門デフK7装着)予定機番は・・・C5557
一般型の九州タイプ(門デフK6装着)予定機番は・・・C5552
一般型の標準デフタイプ・・・・・・・・・・予定機番は・・・C5541
流線形改造の一標準タイプ・・・・・・・・・・・機番は・・・C5525
ちなみにC55が7両、57は10両在籍しており、今後も恐らく増殖するでしょう(謎)
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手前から2両目と3両目を入れ替えてみました。
つまり、手前の2両が、ワールド工芸の車両、3両目と4両目がKATOの車両、一番奥が「マイクロエース」の車両という並びになりました。
この写真では手前の3両が映っていますね。
真中に居る車両のデフレクタに注目!
貴重なK-6デフレクタです。
ちなみにこの車両(予定機番:C5552)は鹿児島県の吉松に今でも保存されています。
復活してくれないかなあ・・・・・。
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流改の門デフ車両を見てみましょう。
昭和40年代、前半から半ばにかけて、肥薩線の吉松機関区には、このタイプの車両が集結していた時期がありました。
流線形改造機・・・略して流改。
このグループは、流線形時代の運転台・・・つまりキャブ周りを残したまま、一般型改造を受けています。
流改の車両は、運転席・助手席の全面窓が後方に「流れるような」傾斜が着いておらず、なんだか「どかっ」と乗っているような雰囲気があります。そしてドア付きで。
寒冷な北海道では歓迎されたこのドア(密閉式運転台)も、南国九州では単なる邪魔な存在として、あらかた撤去されてしまったようです。
この機関車も・・・ドアは枠だけです。
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流改タイプの、決定的な角度・・・
もったりとした密閉式の運転台で、ドアを撤去したため、枠だけが残った運転台、しかも流線形の名残を残す、深い屋根・・・。
そして、C55に共通する「水かきスポーク」の1750ミリ主動輪。
この車両の安全弁は一般型同様に改造されていますが、中には安全弁が未改造で一段高い位置にあった車両(C5527等)もありました。
C55の流改機はまさに各種のバラエティが存在していましたっけ・・・。
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ここで再度・・・門デフに注目~~~♪
手前・・・C5534のK-3タイプ(一般的に近い門デフ)
奥・・・・・C5552のK-6タイプ(下部の着脱が可能なもので希少なモノ)
こうやって並べると、やっぱり雰囲気が違いますね。
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それを少々上から・・・。
角度が変わった「デフ」の姿をお楽しみくだされ!
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その・・・C5534のサイドビュー。
ちなみに、このC5534は同僚のC5533と共に「形式入りナンバープレート」をずっと装着していた車両でした。
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結局うまく撮れませんでしたが・・・・・。
ナンバープレートです。
ワールド工芸の機関車のナンバープレートは、サンドペーパー(♯400~600)で磨き出しをしないとダメというものです。
見てお分かりになるでしょうか。
一番左側の下2枚が、C5533、その次の列の下2枚がC5534.
ナンバーの下に「形式C55」と刻印されています。
うまく撮れなくてごめんなさい~~~。
・・・ということで、今日のフォトギャラは、我が社:酔波鉄道に犇めくC55たちをお送りしました。
これでおしまい・・・どっと晴れです!
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