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Erozettaのブログ一覧

2019年07月26日 イイね!

売上数ナンパーワンに価値はあるのか?

売上数ナンパーワンに価値はあるのか?物を選ぶとき…たとえば、フライパンを選ぶときであったり、ペンを一本買うときでもよい、その時に全く無作為に商品を買う人は何人いるのだろうか?
少なくともニーズにあう形状、機能を有していて、こっちのほうが見た目が好みかな?いやでもこちらの方が丈夫そうだとか、ちょっと振ってみたり、書いてみたりして、納得する商品を選ぶのではないかと思う。

しかしながら、車や商品を選ぶとき、「よくわからないから」「みんなが選んでいるから」「嫁が言うから」「ショールームで見たから」という極めて曖昧な判断基準で商品を選んでいないだろうか。

300円の缶ビールを選ぶときですら真剣にラベルを熟読しどのような味かを吟味するのにもかかわらず、300万円をはるかに超える商品を、しっかり考えて選ばないというのは投資として正しいのだろうか。

定常性バイアスや集団心理、空気感に日本人が流されやすいのはわかっているが、「子供がいるからスライドドアのついたミニバンでなければ使い勝手が悪い」というのは本当なのか?みんなが選んでいるアクアやプリウスは運転しにくいことはないのか?カタログでスペック比較して選ぶだけで自分が求める運転フィール・体験は得られるのか?などなど
どれだけの人が考えたことはあるのだろうか。
「なんとなくみんながそういうからそうなんだろう」という思い込みをベースに話をしていないだろうか?

ボクは日本人でよかったと思うし、日本の文化、食、安全性、居住環境、雇用の安定性など、とても好きなところが多いが、なんとなくの雰囲気や感情論にながされやすい国民性がどうにも好きになれない。
その辺、「みんなと同じ」ことを強要していたり、「先生が言うことが絶対」であったりする教育の問題が大きいのではないかと個人的にはおもっている。
例えばもともと髪の毛が茶色い生徒に「黒に染めてこい」というのは「みんなと同じ」である事を強要している。(むしろ「髪の毛は染めてよいものである」という認識を子供に埋め込んでいるともいえるわけだけれどもね…。)この考え方の根本は「髪の毛は黒色が正常であり、それ以外は異常」ということでありそれを校則で取り締まっているだけ…すなわち誰かの中の「常識」(←個人的には万人共通の常識など存在しないとおもうので大嫌いな言葉)と「同じ」であるという事に価値を置いているといえる。

またもや話がとっ散らかり始めたのでこの話はこれくらいにしておくけれど、「みんなが選んでいる」というところや「みんながそういっている」という事に大きな価値を感じていて、商品がもつ価値の大半をそこに置いているならば、「同じ」を選ぶことはそれはそれで良い選択なのであろう。

だが、使用する環境において90%程度の確率で必要な場所に必要な人数が快適に楽しく移動でき、眺めれば自分の美意識が満たされ、運転すれば充足感や心地よさを感じられ、一人ドライブでエキサイトすることもでき、明日も頑張ろうと思える車と出会える可能性を、「みんなが」という価値だけで排除するのは勿体ないとボクは思う。

よく考えてみてほしい、6人以上乗れないと祖父母を乗せたときに困る…とか、子供がスライドドアじゃないと乗せおろしが困るし、ドアパンチしそそう…とか、そういう不安があるのはわかるが「かもしれない」なのである。
前者の不安は、年数回ジジババが遊びに来るのであれば、セカンドカーに分乗すればよいし、最悪レンタカーを借りれば解決する。
後者の不安は、スライドドアでなくても、愛車がハマーでもない限り、駐車の仕方に気を付ければ乗せおろしはできるし、子供には自分でドアを開けされなければよい。
すなわち「みんながいうこと」は確かに一理あるが、自分の価値観の中でそれが許せるのか許せないのかは別の話なのである。

なのであるからして、よく考えて体感せずに「みんなが」で意思を決定するのは、誤解を恐れずにいうならば、意思決定権を他人に譲渡していることに等しいと思うのだ。
人はリスクを大きく見積もりがちであるし「みんなが」が安心するのもわかる。
気持ちはわからなくいもないのだけれど…そういう他に合わせる生き方は苦しくないだろうか?
それを周りに強要していないだろうか?出る釘は打たれるという事は、周りに合わせることにストレスを感じている表れなのではないの?と感じてしまう。

車に興味がない?それは結構、趣味嗜好は人それぞれなので、それでいい。
でも、興味があろうがなかろうが、300万円以上もする商品を、自分の価値観とすり合わせずに買うのは投資として頂けない。
年収が一億円以上あって500万なんてはした金だよ、溝に捨てても痛くもかゆくもない、という人でなければ車は高価格商品であり、使用する時間軸すべてを考慮したうえで、最も価値があると思われる選択をするのが正しい購買行動だとボクは思う。

ボクは、そこまで興味がない商品であっても、自分がどこに価値を置くのか明確にして商品選びをしようと努力しているし、趣味性が少しでも挟まってくるならば、この商品を買ったらどんな幸せな生活ができそうなのか?を考えてモノを買うようにしている。
商品、車に触れて乗ってみて…ああ、この車に乗って、どこに行こう、何をしよう、どういう時に使おう…と空想し、
心風景に商品を重ねて、心に沸き立つものがあるならば、その商品はその人にとって購入する価値のあるものであるといえると信じている。

え?車は消耗品?物がたくさん載って乗れればいい?ならプロボックスのベースグレードでも買えばいいのでは?
安くて壊れないし物も人もたくさん載るし、オラつけば周りもよけてくれるし、最高の消耗品だとおもいますよ。
ボクは仕事以外では乗りたくないけれどw 物がのって走りゃいいっていうなら、物も人も中途半端にしかのらず、走らず、止まらず、衝突安全性も低くて、値段が糞高いミニバンを新車で買う意味はあるの?
そこにこだわりがあるなら、良いんだけれど…妥協点で金をだしてない??なんか腑に落ちない。

何となくとか嫁さんのご機嫌取りのために車を選んでおきながら、自己の正当性を補完するために、スポーツカーやセダンはあーじゃない、こうじゃない…と批判したり、僻みやストレス発散のために外車に絡んでみたり、走行中の妨害工作とかしていて阿保らしくないの???っておもう。

堂々と偉そうに、もしくは、ガンガンスピードに乗って走りたいなら、そういう車を買えばいいじゃないか。
だって「ミニバン売り上げNo1」といううたい文句は、あなたの人生にとって何の付加価値もないのだ。
Posted at 2019/07/26 21:56:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | クルマ
2019年07月20日 イイね!

ギンギラヤンキーミニバンの価値

ギンギラヤンキーミニバンの価値ギンギラの加飾がされたミニバンの良さとはなんなんだろう。
箱系の車が好きではなくて、直接的にも間接的にもどうしてもディスりガチではあるのだけれど、これだけの数が走っていて、アル・ヴェル等の糞高い箱車が売れているいることを考えるとそこに表現したい価値が根底に流れていると考えた方が妥当だ。
人や物をたくさん運ぶならハイエース一択だし、街乗りで燃費が良い車がいいならHVの小型車を選べばいいし、遠乗りが多いならDEでもいい。
後ろに乗る人が快適であればよいのならSロングXJロングでもいい。悪路走行があったりキャンプに行くならSUVだし、長物や愛犬と移動するならワゴンがいい。
やっぱりでかいエンジンを積んで、走りの質を高めて、TPOにあった車を選びたいよね…みたいなそういうものとは違う何かがあるはず。

ということで、友人がヴェルファイアに乗っていたので聞いてみたのだけれど…どうも漠然としていてつかみどころがない。
割り込まれにくいし譲られるから最高とか、室内が広いとか、シートがデカくて最高だとか、高級感があるとか、そういうことは言うのだけれど。。。

フル装備のヴェルファイアを新車で買うなら、まだまだ新しいSクラスの認定中古でも手が届くじゃないか、アレなら割り込まれないし、足元も広いし、シートも最高で、素材含めて高級で、もうそういうニーズには最強だろう?とクルマオタとしては思うのだけれどどうも反応が悪い。
背が高くてデカくて銀ギラなことに意味があるという。

どうもその時は納得がいかなかったので「まあ好みの話だよな」で済ませたのだけれど、アルヴェルのオラオラ運転をみていると、これは「見栄」の話だな、と唐突に腑に落ちた。

デカいのはえらい、背が高いと周りを見下ろせるのでえらい、デカいシートはファーストクラスだからえらい、銀ギラはお殿様だからえらい。
ついでにデカいエンジンもつんで、トーションビームからダブルウィッシュボーンにかえてスペック上もえらい!!!!
こんなクルマ乗ってる俺すごい!!!!!!!って思えるような所だけにコストを突っ込んでいる事に価値がある、と考えるとよいのでは?と。

見栄を張るのは悪いことではないし、ボクもジャガーを選ぶのは見栄/虚栄心と自尊心を満たすためという側面があるわけで、その見栄を刺激する部分を最大限に引き出したのが箱バンのマイルドヤンキースタイルなのだと思えば商品が理解できる。
タイヤがついた移動体で寝そべる必要はないけど、見栄を張るには、糞デカいキャプテンシート必須だ。
なぜなら「ひろーい!シートおおきい!すごーい!」って言われることに価値があるわけだから、走行中の安全性が云々という事でシートを寝そべらないカッチリしたシートにする選択はあり得ない。
また、遠くからみてもサイズがデカくみえて見映えがする必要があるから、兎に角押し出しを強くすることに意味があるし、なんだかよくわかんねぇけど高そうにみせるために、つやつやのキラキラのパネルで照明がいい感じの内装にすることが必要。なので…そういう社会性を含んだ見栄/心を満たすためにツールと考えると、よくできた商品だなぁと思う。

見栄とか、またディスってんじゃねぇか!!!と言われそうだが、モノは体験や心を変化させるためのものであるし、社会的ステータスを示すために高価なものを買うこともあるだろう。
そう考えるならば、ある意味最先端を突っ張っ知っているのが銀ギラミニバンだともいえる。ただ、まあ個人最適化であり、社会や景観への影響、他人からの評価を考えると疑問符が付くけれど、大名行列で籠文化の発展形と考えれば、民族的にもイメージは付きやすいし、個人的には商品の成り立ちが理解できた気がする。

友人は、あんまりハンドリングが良くないとかまっすぐ走らないとか文句を言いつつも、片手ハンドルで斜めにシートに腰かけてオラオラ運転しつつ、やっぱ箱バンばらアルヴェルだよな、と満足そうにしている。
つまりニーズと商品コンセプトがある程度マッチしているわけで、彼にとっては買ってよかった商品の一つだと、今なら理解できる。

あの時は若干ディスってすまんかった。
Posted at 2019/07/20 20:08:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | クルマ
2019年07月19日 イイね!

マツダだけが同じ顔?

マツダだけが同じ顔?最近のよくあるブランド顔のせいでみんな同じ顔だ!と批判がされる。その中でよくみるのが「マツダ車は金太郎飴」といった論調。
そもそも造形や全体のバランスの違い、シルエットの違いを考えれば、いわゆる6世代顔のマツダは同じ雰囲気を感じさせながらも意外と変化に富んでいる事を車好きの皆様ならば知っていると思う。(とはいえ7世代顔はだいぶ印象を揃えてきているけれど。)

個人的には、ニューメルセデス顔のほうが余程、金太郎飴で、新しいAクラスとCLSの正面写真(顔部分)をみてどっちがAか?と言われても、ボクはじっくり見ないと見分ける事が出来る自信がない。車好きのなかでも、メルセデスクラスタでなければ見分けは難しい、それくらいディメンジョンの比率が似ていると思う。
(ちな、余談ではあるが、XEとXFも造形の差はあれど結構方向性は似ている。実物を見るとスポーティなXEと王道サールーンのXFという違いは明瞭なので、好きな人なら間違いようは無いとは思うけれど、パッと見の印象は結構似ているという、けっこう絶妙なバランスを作っているとおもう。)

そもそも根本的な問題として「ブランド」を消費者に認識させるために、それを分かりやすく表現している手法が「顔の統一」の手法なわけで、根本的に見分ける必要性はないといえばない。
ただ、○○にのっている、という自尊心を満たすには、ブランドの中でも階層分けは必要なわけで、その辺の作り分けというのはさじ加減が難しいわけだが、同じ雰囲気の商品の中にも”違い”をつくって階層化する、というのが基本的なブランディングの考え方なのだとボクは理解している。

そういう物理的事実をべースにうがった見方をするならば、「マツダが金太郎飴」批判がしたい人は、そもそもマツダに興味がなく「見分ける」努力をそもそもせず、90年代の評価を引きずっている古い人間で「マツダ如きがなにブランドぶってるんだ!」という、至って私的な侮りをベースとした思い込みで発言している可能性がある。
なぜならば、先に書いたが、マツダは事実として、全て顔もバランスもかなり方向性をあえてズラしているのが明瞭であって、マツダだけ”同じ”とするのは無理があるからだ。

また「マツダは車種で差があるよ!」というと「BMWやベンツは見分けがつくけどマツダは分からない!」といった発言も良く見られれるが本当にそうなのだろうか?
上にあげたバイアスを加味しても、義務教育を受けていて、物理的な違いが見分けられる程度の美術的センスがある一般的日本人であれば、そうはならないだろう。
だってドイツ御三家の車種乱立具合から比べればマツダのラインナップなんて貧弱そのものだもの。

逆説的に、発言者は、マツダ程度の単純なラインナップ且つそれぞれバランスを変えているデザインを見分けられずに、
パッと見で2シリーズ、3シリーズ、4シリーズ、それに加えてMやアルピナを見分けられているのだろうか?CLA、CLS、C、E、S、それぞれAMGであるか否か、ほんとうに分かっているのだろうか?
アクセラとアテンザ、CX-5とCX-8が見分けられないような人が、CとE、3と4、はたまた新旧モデル違い等を見分けられるとは到底思えない。(X1とX2、X3とX4が違うのは当然で、片方がクーペスタイルSUVだから。CX-5とCX-4は全然違うでしょ?)

話が変わり、よく女性の「男はいつも胸ばかりみている、ほぼ100%見てる」的な発言を聞くことがある。そりゃあ男なら見るだろ!とか、逆に特にその人に興味がなくてもなんとなく目に入っちゃうよね。とか、生物学的な都合含め色々言える事はあるが、この類の発言の問題点は「私が気が付いた時、必ず男は胸を見ている」というきわめて主観的な感覚がベースにある事だと思う。
自分が「胸を見られている」と気が付いた時の「見られている率」をカウントしているわけだから、そりゃほぼ100%になるに決まっていて、発言のバックボーンには「男なんてエロい事しか考えていない」という思想があって、それを証明するために統計でもなんでもない数字をもってきて説得力を増そうとしている、と推定できるわけだ。
まあ、大抵はエロい事しか考えていないので、大体間違いではないとは思うけども、主観的な感覚を統計っぽく表現する事で説得力を増そうとしているのが問題。

翻って「マツダが見分けられない」理論は、実は「BMWの3だな…」と当人が思っていても、そこに2や4やアルピナ等が混じっていて、「これは7だな!」とか見分けられたときに「BMWは見分けられるな!」と思い込んでいるだけではないのか。
もしくはデミオとアクセラは見分けられているのに「見分けられなかった」と主観的に感じたときだけカウントし、疑似統計のようなものをつくっている可能性疑ってみる必要があると思っている。
すなわち、マツダは車種も少なくライナップが少ないから、大体特徴や知識が頭に入っていて「CX-5かな?なんだ、CX-8か…やっぱり見分けられねぇな!」と感じる。(そもそも間違いに気が付いた時点で見分けられてるじゃん…とか、CX-5とCX-8の外装は、よくあるセダンとワゴン的な関係性にあるからそもそも差が小さくて当然じゃね?という気もするんだけれど。)
兎に角、CX-5も8も走っている量が多いので「ぱっと見で見分けられていなかった」という主観が働きやすい、そして、一部の「マツダ如きが!!」層にとっては、とりあえずマツダなら叩きやすいし、叩いておいた方が車を分かった気になっているツダオタを煽れて一石二鳥だぜ!という意識が働く。(個人の感想です)
それにより「マツダは見分けられない」「金太郎飴で新鮮味がない!」という発言に繋がっているのではなかろうか。(確認をとったわけではないので個人の感想です。)
そりゃまあ新鮮さだけを追い求める層も(特に国産車のみ検討する層に)いる事はわかっているが、それにしても、現実的な物理特性との整合と発言に乖離が有りすぎるわけで、上記のような理屈が働いているのではないか?と邪推してみたくなる。

まあここまですべてボクの妄想ではるわけで論理的説得力は皆無だとは思うが、この手の”分かったふりをする”構造は良く見られるので、大枠間違いはないのではと思っている。
例えば、「●●は軽自動車より質感が低い!」「突き上げが酷過ぎて乗って居られない!軽自動車以下だ!」「走行中に●●したらと思うとゾッっとする(ゾッとするという表現がそもそも嫌い)これなら軽自動車のほうがまし。」といった、おめえの感覚どうなってんの?頭可笑しいんじゃねえの?という類の「極端な比較対象をだして説得力を増そうとする」の発言は、上記構造のように”そう思いたい”ことを”そうである”ように装うときに発生しやすい。
すなわちマツダのくせにブランドぶってるんじゃねぇ!という侮りをベースに、同じブランド構造を取り入れた「”極端に”成功している」と思われる例を比較対象として選定し、疑似統計をもとにした批判をする。
この理屈を採用すると「BMWは見分けが出来るのにマツダは全く見分けが出来ない!金太郎飴で手抜き!」という発言が自動的に生成される。

批判をするな、といういわけではない、へんに客観性を持たせようとするから反発が起きるのであって、「マツダに興味がないから詳しくは分かんないけど、最近のクルマはメーカー毎にみんな同じに見える!金太郎飴みたい!」といえば角が立たないし、「ブランドって良く分かんないわ、車種ごとで違う顔の方が、人とかぶらなくていいわ」だと個人の感想で済む。

なので、ボクも個人の感想として書いておく。
物理的な差分を考えると、ブランド戦略をとる自動車会社が多い中で、単純なラインナップのマツダだけ見分けがつかないのはおかしいと思う。
貴方の考えの根源にあるモノはよくわからないけれど、なんらかのバイアスがかかっているのではないか?と自問自答したほうが良いんじゃないかと思うよ。
Posted at 2019/07/19 19:34:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | mazda | クルマ
2019年07月14日 イイね!

最近の大手企業の経営者の頭がおかしい。

最近の大手企業の経営者の頭がおかしい。ちょっと最近の動きで気になるのがトヨタの労使交渉で会社側が「生きるか死ぬかの話をしているのに、モチベーションとかいうのは…」といった趣旨の話をしたことを持ち上げる記事が結構出ていることだ。
結局、危機感という名目で社員のボーナスまで削られる羽目になっていて意味がよくわからない。

確かにEVやら自動運転やらに世論が流されており、業界の変革の時期ではあるのだけれど、上記の発言は、経営側が時代の流れを読み切れなかったツケを従業員に押しつけているという構図であり、無意識/意識的にかかわらず、経営者がやってはいけない行動だとおもう。(そもそも「今年度の成果」に対する評価が「来年度の報酬」だし将来的な外乱の影響は関係ない気も。)

生産性の向上を大目標に挙げるならば、仕事のやり方、考え方を変えていかなければならないのは確かにそうだ。
だが、それを実行するのは社員であり、労使交渉の場で危機感がたりない!と言われても、生産性を向上させる抜本的改革方針を「明確に」マネージメントが示さなければ、社員のやる気を失わせるだけだと思う。

しかしその不満はあまり表面に出てこない。
ライターの先生方は、経営側の都合で記事は書いてくれるが、イイクルマを我々消費者が得られるために必要な事、日本の車社会が継続していくのに必要な観点は書いてくれない。
なぜなら彼らは車が好きでなく、どのような車がもとめられ、それをどうしたら作れるのか?、技術的な課題、社会的な課題等を総合して見ていないからだ。
(EVの船に乗れ、電動化しないとならない、電動化が技術の進化形だ、みたいな論調ばかりなことを見れば明らかであるが、基本的には雰囲気に流されているだけ。)

章男社長になってからトヨタはイイクルマつくりとか、ワオなクルマ作りとか色々やっているのはいいと思うのだけれど、キンキラキンのクラウンを造ったら新しいユーザーがついてくるなんてことは絶対にないし、イイクルマをつくるといいつつLSをスポーティーにすればいいわけでもない…という事を分かっていないのと同じで、声をでかくして、危機感がー!といわれても従業員はついてこない。トヨタ社員は優秀だからそれでもある程度成果は出るのだろうけれどある程度どまりだろう。

なぜか?それは、トヨタはモビリティカンパニーになる=CASEに対応して移動体を提供することを命題とする、といっておきながら、一方でイイクルマを作るといって、社長がテストドライバーをして遊んでいて、危機感が足りない!と言われても、何がメッセージなのかさっぱりわからない。
すなわち、外からみても何をコアとして商品を作っていき、何を価値をするのかさっぱりわからないから。何をどれくらい「ヤバイ」と思っているのか、その「ヤバさ」をどう解決していくのか?が全く分からないからだ。

兎に角CASEに対応すればいい?それは違うでしょ。
何を哲学として、それを元に新たな市場に対応するか?を考なければ、価格競合型の白物家電をつくっているだけになってしまう。
イイクルマをベースにCASEに対応する?では、イイクルマとはどう定義するのか?社長がスポーツカーが好きだからなんでもかんでもスポーツにしたり、なんでもかんでも若返りと称してわけのわからない形のクルマを出すことがいい車つくりなのか?名車でありクルマ作りをいい意味でも悪い意味でも変えたセルシオを否定するのか?

ボクには何がしたいのかさっぱりわからない。
そしてそんな状態の時に「危機感がー」とか言われても「てめぇは遊んでるくせになんでこっちにばっかり負担を強いるのか?」と社員が腹が立っても全く不思議ではないと思う。

経営陣がするべきことは社員のケツを叩くことではなく、現状を分析し、なぜ対応が遅れているかを説明し、それを打破する案と、将来の夢を本音で語る事だと思う。
何を我々は目指しているのか?をクリアに示し、そのうえで、俺も身切るからお前らも夢を達成するために一緒に頑張ってくれないか?とメッセージを投げかけるくらいの度量が無ければ、危機感ややる気は共有されない。(また問題として、”頑張った人が評価できる仕組みが云々”という話も合ったけれどどういうことなのだろう…社内の派閥争いやコンペなどやってる暇はないわけで、がんばるの意味が成果主義であるならば危機感の方向性がまちがってんじゃねぇの?とも思うが…まあトヨタだし大丈夫だよね…?)

以前に比べて大分クルマつくりが「マシ」になってきたことは認める。でも、それだけじゃ、消費者が「イイクルマ」をトヨタから手に入れることはできない。
なぜならお客様の声(笑)第一主義だったり社長の声第一主義だったりでメッセージがぶれまくりの80点主義のクルマは組織の安穏を維持するためには正しくはあるが、そういった商品を手に入れたとしても心が動くような付加価値は感じ取れないからだ。
であるからして、いくらディラーの対応が良かろうが、品質が良かろうが、魅力品質/付加価値や体験を重視するならば投資効果は低く「イイクルマ」とは言い難い。

巨大な日本一カンパニーであるからして、総花的に、全てのニーズに対して広くフォローしていく事は確かに必要なのだろうけれど、メッセージをブレさせてはいけない。
まあその辺、意味もなく多チャンネルディーラを持っていたり、レクサスのブランドピラミッドが意味不明だったり、
何となく中の人がブランドとか、そのあたりの利益につながる構造をよくわかっていない気がするんだけれど・・・・。

まあともかく、危機感が足りないといって社員に責任を負わせる経営者が最も危機感が足りていないんじゃないの???
Posted at 2019/07/14 08:55:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | 日記
2019年07月10日 イイね!

欲しくて手が届くクルマが皆無な件

XJのEV化がついに本決定そうな・・・・。
https://s.response.jp/article/2019/07/08/324213.amp.html



個人的に次にステップアップするならXJだ、と思っていたんだけれどもEV化が決まったことで選択肢から外れてしまった。
ジェントルなふるまいと荒々しいエンジンサウンドともに加速してゆくあの感じがとても好ましく思っていたわけだけれどもEVオンリーって…。

そもそも問題としてチャデモの規格電圧が低すぎ&充電設備の整っていない日本では今後まだ十年単位でEVは首都圏以外では使い物にならないと思っていて、長距離運転や僻地への旅行を想定して大きな車を買う僕のニーズからすると、巡航距離や充電に問題があるEVでサールンって何の意味があるのかよくわからない。
いくらi-paceの評判がよかったからといってフラッグシップがEVだけっていうと、現段階においては、ほんまもんの金持ちの道楽のためのメーカーを目指すようにもみえるし、政治に迎合する小物に収まってしまった感じで正直とても残念…ランボルギーニみたいに大排気量至上主義になれとは言わないけれど、六気筒エンジンくらいは残してもらいたかったのが本音で…。

まあこの報道が本当ならばなんだけれど、じゃあ次の車はどうしよう…と思うと、とても困ったことになる。
なぜならダイアゴナルロールしてコーナーをクリアしていく車両挙動を持ち、タッチ感が素晴らしく良く、アンダーステートメントの心を感じさせるFRセダン…ってなんかある?XJじゃなければ実用に耐えるのはXFしかなくない?
えーまだ何年も今の型は乗るとして、またXFかよ。という気が正直しないでもない。。。いや気がする。

XFもいい車なんだけどやっぱり大衆的というか、まあEセグだしこんなもんでしょ、という作りが散見されることもあって、XFでいいかな…という気持ちはあるけれど、XFがええんや!!!これしかない!!!というところまではいかない感じがある。

それじゃあまたどこかのメーカーに浮気するのか?と言われると、僕の給与で「クルマエンゲル係数」を高めないで楽しい暮らしをしようと思うとちょっと選択肢がない。
見た目的にはEクーペやCLS、A7なんかはまぁええんじゃない?という気もするんだけれど、なんだか成金感があるのがどうにも好きになれないところはあるし、じゃあ走りをとって5シリか…って言われると、F10が最後のお上品さがある5シリで、それ以降はお下品な顔の雰囲気やおさまりの悪いぐちゃぐちゃした線がどうにも……。
ほいじゃあそれ以上になると、ギブリとかパナメーラあたりになるが、ブランド効果もあって程度が良いと値段はそれなりで…ちょっとクルマエンゲル係数が高まりすぎだしなぁ。。。(XJは値崩れ半端ないので買えるけれどw)
じゃあセグメントを下げてプジョーの508は?というと悪くはないんだけれど、子供が大きくなることを考えると手狭でかなぁという感じ…価格帯的には良心的で素晴らしいのだけれど。
あとはS90なんかもよいなぁと思うが、あれは500台限定の導入だったはずで、数年後にはちょっと古くなってるだろうし…。

じゃあ国産車…つってもほぼ壊滅状態で、妥協してアテンザ/Mazda6くらい?ほかには……特にない。
(トヨタ/レクサスはちょっと生理的に受け付けないし、え?日産と本田?あんなやる気のないくせに割高のセダンを買うなんて個人的はない。)
個人的にはMazda6がFR、6気筒化されるという事でだいぶマツダには期待している。
現行ですらTOPモデルなら乗り出し470万くらいになっちゃうから、FR化したらプレミアムセグメントの車と左程値段は変わらなくなりそうではあるが、代々マツダのセダンって長くて大きめだから、Dセグといいつつ、Eセグくらいのサイズで出てこないかな…なんて思っている。

まあてなわけで、XFが元気なうちにどのブランドにターゲットを絞っておくか?くらいは考えておかないと…カーライフが悲惨なことになりかねない。

もう最悪、長距離が快適に走れればいいのであって、もしかしたらC4ピカソ(今は名前が違うんだったか。。。)とか、
大穴でシボレーやキャデラックもフィーリングが合うかもしれないし…兎に角、しばらくはゆっくりとディーラー巡りをしてみようかと思う。
Posted at 2019/07/14 08:42:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | クルマ

プロフィール

Erozettaです。クルマオタのラノベオタのおっさんです。国産車ならマツダ、外車ならジャガー贔屓です。よろしくお願いします。
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