帰省の理由
以前も書きましたが、僕には弟と妹がいます。弟は僕が二十歳のとき、彼が十八歳のときに交通事故でこの世を去りました。その弟の25回忌を今年執り行うので正月から母親から今年は必ず帰省しなさいと言う厳命が下っていました。というのも僕が社会人になって3年目になった頃だったかな、当時はMAZDAではなくアンフィニとい言っていましたが、アンフィニのRX-7(FD-3S)を購入し良くFDに乗って年に1回は福岡へ帰ってました。
お盆に帰省することは避けてて、当時は敬老の日と言っていましたが9月15日が彼の命日なので、命日あわせて帰省していました。ところがたまたま仕事で9月に休みが取れそうにないので8月のお盆休みの中をFDで帰省したら渋滞にハマりまくって30時間かかりました。それ以来、お盆、正月に車で帰るのは辞めておこうと思ったのですが、今年の正月に車で帰省したときに渋滞に引っかからなかったのでお盆も車で帰っても渋滞にハマらずに帰れるんじゃないかという理由不明の自信があり車で帰ることにしました。もう一つは家族4人、飛行機での移動は出費も痛いし、実家は田舎なので福岡に着いてから移動の足が必要になるので車で帰る方が何かと便利なのである意味選択肢が無いのと、僕の趣味を兼ねて車を運転して帰るのが自然な流れになってます。
また今はスマホなどで渋滞情報がキャッチし易いので休憩の旅に渋滞情報を確認して一度下道に降りて再度乗り直すなんてことがカーナビがあれば難しくないので、そういうのも理由の一つかもしれません。
往路
埼玉の自宅から福岡の実家に向かうのに、金曜日仕事が終わり自宅で1時間程準備と休憩をして8月9日(金)20時頃出発しました。夜の20時の首都高は渋滞確実なので首都高を避けるルートを選びました。そのため自宅から圏央道の桶川北本ICまで下道を1時間ほど走り、そこから(圏央道:桶川北本IC)から八王子JCTで中央道に乗り、小牧JCTで名神に乗り換え、吹田JCTで中国自動車道、神戸JCTで山陽道に乗り、山口JCTで再度中国自動車道に乗って九州縦貫道で福岡インターを目指しました。
途中で何回か休憩と仮眠をとり8月10日(土)AM6時には吹田を通過したいと思って走ってました。多賀SAに仮眠のために入ったのですが車が多く止めるところが無かったので隣の甲良PAで仮眠をとり、目が覚めたのがAM4時でした。これだったら6時に吹田を抜けるのは余裕だなと思って本線に復帰して案内板を見ると京都南から吹田まで渋滞、そして吹田から神戸JCTまで渋滞で、京都南から神戸JCTを抜けるのに2時間かかりました。
その後は広島で渋滞にあい、それを避けるため下道を2区間走り、山口で関門海峡を渡る際に渋滞、福岡では八幡と古賀間で渋滞にあり、ガソリンが古賀まで保ちそうになかったので一度鞍手で下道に降り、補給後再度乗り直し無事実家に8月10日(土)15時半過ぎに到着したので約20時間移動にかかったって感じですかね。渋滞が無ければ16時間くらいで福岡まで約1,300kmの距離を仮眠と休憩を含めて移動できた計算になります。
復路
帰りは8月16日(金)PM4時に福岡の自宅を出発しました。当初は自宅から10分で行ける福岡インターで高速に乗ろうとしたのですが、高速道路の渋滞情報を見ると福岡インターと古賀インター間で渋滞していたので、古賀インターまで下道を走り高速に乗りました。途中、山陽道で小さな渋滞や交通規制が入っていたので山陽道に乗るのを辞めて中国自動車道で関西を目指しました。
すると兵庫県加西あたりで吉川JCTから京都南まで断続的に渋滞してて通過に2時間くらいかかるようなことが書かれていたので、一か八かで土地勘が全くないのですが地図の見た目の距離で吉川JCTから綾部宮津道路を走り綾部インターで降りて、丹波から京都縦貫道を走って京都南に向かうルートに変更しました。
そしたら綾部インターから丹波インターまでが思った程近くなく、結局このルートで走っても京都南まで2時間かかってしまいました。京都縦貫道から名神で草津に抜けるのに大津で渋滞が発生していたので京滋バイパスで草津まで行き、そこから新名神、伊勢湾岸道、東名、首都高、東北道で自宅に帰ってきました。途中、新名神の土山SAから東名の浜名湖SAまでの約1時間半ほど相方に運転を代わってもらい17日(土)AM8時40分に自宅に到着しました。途中子供達は愚図ること無く、また長男坊主は「僕も大きくなったら車の免許を取ってパパみたいにいっぱい車を運転したいよ」といって楽しんでくれたみたいです。
とはいえ、帰宅して朝食を済ませ速攻でベットで寝たのは公然の秘密です。
滞在中の出来事
ワタナベナンバン
福岡県城南区西新にある
ワタナベナンバンは相方が社会人になって宮崎の繁華街の一番街で遊ぶようになったときから付き合いがある店の店長が去年から福岡にチキン南蛮のハンバーガーショップを出したので、実家に帰省した際には行きたいと言っていたお店です。僕も宮崎にあるお店には相方との結婚が決まって、宮崎の実家への挨拶、結納等で何回か訪れているときに相方が高校の同級生に僕を紹介したいと言うか、僕の品評会(僕を酒の肴にして飲む)を相方が良く行くお店で行われたときに初めて行きました。
大きめのチキン南蛮にお好みのソースを選んで食べる、ここのチキン南蛮サンドは本当の美味しいです。子供達が多くて食べきれないと言うので僕は約3人前美味しくペロリと頂いちゃいました。また裏メニューのジャークチキンと手羽先も頂きました。これまたビールに合うんだな。帰省したおりにはまたお店に伺います♪
花火
宮崎でも花火をしたようで、そんな話を聞くとジイちゃんが黙っておく訳がありません。孫が喜ぶ顔見たさにさっそく近くのMr. MAXで花火を買ってきて花火をしました。初めはへっぴり腰だった次男坊も次第に慣れてきたのでしょうねバアちゃんと一緒に花火を嬉々とやってました。お兄ちゃんはと言うと、花火を2丁拳銃に見立てて一人芝居が始まってました。それにしても蚊に沢山噛まれましたが久しぶりにした花火は楽しかった。
迎え、送り
月曜日にお寺にご先祖様を迎えに行き、木曜日にはご先祖様をお寺に送ってきました。一度、送るのが遅くなったとき、お坊さんが夜遅くまでお堂でお経を上げて霊を向かい入れている姿を見た父親が感心していました。僕の父親は炭鉱の町、筑豊地方の出身で、閉山後は京都でタクシードライバーをしていましたが、閉山前までは幼少の頃から鉱山に入っていたそうです。
お寺は僕が福岡に住んでいたときは嘉穂郡碓井町と呼ばれていましたが、近年の市町村合併で今は嘉麻市となりました。なんでもそれこそ大昔はこの地は嘉麻と呼ばれていたみたいで、市町村合併で昔の名前が復活したみたいです。僕は初め、この地方は現在の副総理、麻生太郎さんの地元(厳密には嘉麻市の隣の飯塚市)なので嘉穂郡の”嘉”に麻生氏の”麻”がくっついたんだと思って、どんだけ凄いんだ麻生さんって思ってましたが、嘉麻とは昔から由緒ある名前だったようです。
プール
次男坊のことは時々書いていますが、発達障害(知的障害も併せ持っています)です。それが原因か解らないのですが汗をとにかくかかないんです。最近では触ると肌にべと付く感があるので少しずつですが汗が出ているのかなと思っています。まっ、そんな感じで汗が出難い体質(自律神経の問題かな?)なので割りかし体温が籠り易く暑さには弱いみたいです。ですので、福岡では毎日のようにプールに入ってます。しかも裸で。っていうか一日に何回もプールに入るのでその度に水着を着せるのも面倒くさく、家の裏のウッドデッキにプールが置かれているので誰にも見られることが無いので裸でプールに入れていました。ちなみに長男坊主がプールに入るときも裸です。そのためfacebookなどに写真をアップすると児童ポルノ規制にひっかかりそうな写真が撮れて困ります。
僕も子供のとき夏休みはほぼ毎日中学校の向かいにあった町営プールに入りに行っていましたが、なんで子供はプールが好きなんでしょう。確かに気持ちいいんですよね。ただ家のプールみたいに水が少ないと途中で水が温水になるので、暑さに弱い次男坊は温いプールにご立腹されるのでその度に水を大きな桶に移し替えて水温が下がるまで水を足していました。そして大きな桶に移された水は夜になると畑に撒かれます。大きな桶からバケツで水を掬い、畑に持って行って撒くってジイちゃんには結構重労働なので僕が変わって水を撒いてました。にしても次男坊本当にプールが好きなんだよな。埼玉に帰ってきてもプール癖は当分抜けないかもしれないので水風呂に浸けるか。
元嶋選手
そもそも国内フォーミューラーに目を向ける切っ掛けをくれたのが今はGT300に乗っている
千代勝正選手です。以前セブンスピードさんも参加されているスーパーセブンのスーパーラップバトルに来られたとき当時F3のCクラス3位だった千代選手が来られて、
その走りに魅了されたのが国内フォーミューラーに目を向ける切っ掛けになりました。
そして去年末辺りだったかな、
元嶋佑弥スーパーFJ日本一決定戦参戦支援プロジェクトと言うので
元嶋選手のことを知り、それ以来凄く気になっているレーシングドラーバーです。今回の帰省にあわせてその元嶋選手と一緒にお酒を飲むことが出来ました。(注意:元嶋選手はその日の夜のうちにオートポリスに行かなければならなかったので厳密に言うとお酒を飲んだのは僕だけ)22歳の若さなのに本当に自分と言うものをしっかり持っているし、支援してくれているか方々への感謝の気持ちをキチンと持ち合わせている立派なドライバーだと今回初めて話をさせて思いました。そして楽しい時間を過ごすことが出来ました。
元嶋選手の存在は趣味車仲間で
ジネッタに乗っていらっしゃる方が車を預けているところでレース活動をされていた時期があり、そのことをブログで知り元嶋選手のことを知りました。それいらい動向を追っかけていたのですが、先に書いたスーパーFJの支援プロジェクトで僕に出来る範囲内ですが支援させて頂いたのが距離を縮める切っ掛けになりました。関西発なになに、関東発なになにと言うのは良く聞きますが、九州発レーシングドラーバー元嶋佑弥と言うのは凄く魅力的です。地方でも関東、関西に負けないくらい才能と努力を怠らず自分に磨きをかけている魅力的な選手がいます。元嶋選手はそんなアスリートの一人だと思います。是非、成功して子供達にレース、あるいは自動車文化の裾野を広げられ影響を持った人になっていただきたいと勝手に思いました。そのために元嶋選手がでるレースを観戦するためにサーキットに足を運ばないとダメだなと思いました。そうやってレース観戦者を増やして行くことが我々にできることなんだと改めて思いました。
そして
明日から普段の仕事に戻ります。今年のお盆休みは心底満足いく休みだったと振り返って改まって思いましたし、良いリフレッシュができました。相方も疲れたと思うけど今回の宮崎、福岡約2週間、実家を満喫してもらえたのではないかと思います。そして孫の喜ぶ姿を宮崎の義理の母、福岡の父母に見せられたのではないかと思うと皆楽しめた夏休みだったんじゃないかと思います。お兄ちゃんの夏休みの宿題絵日記も無事に終わったし、早く小学校に行ってくれないかな。
