2016年08月14日

8月16日でみんカラを始めて9年が経ちます!
<この一年のみんカラでの思い出を振り返ろう>
だそうですw
月日が経つのは早いもんですね。
これからも、よろしくお願いします!
Posted at 2016/08/14 20:07:51 | |
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2016年08月03日
最近、結構日産関連の本を読むんですが、日産と言えば一度は潰れかかった会社。
それを立て直したのが、有名なあのカルロス・ゴーン氏。
彼の持っている判断力、リーダーシップとは、何なのだろうか。
興味深い記事があったのでネットより転載。
日産自動車のカルロス・ゴーン社長兼最高経営責任者(CEO)は、「成功する人と失敗する人の違いは、状況をすばやくつかみ決断する能力」だと語る。
社内外の幹部候補生を前に、ゴーン氏はこれまでの改革を振り返るとともに、これからの日産だけでなく、自動車業界の将来像も語った。
「三菱自動車も反対されたが」日産ゴーン氏の意思決定手法
日産自動車のカルロス・ゴーン社長兼CEO
■成功する人は『決して失敗しない人』ではない
――ゴーンさんは挫折や失敗をした経験がありますか。
「成功する人は『決して失敗しない人』ではありません。
状況が悪くなったことにすぐに反応できるから、成功につながるのです。
誰でも失敗します。問題はいつ是正するか。
とにかく速やかにやればいいのです。
『悪い兆しが出てきた、ああどうしよう』とグズグズしていると大きな失敗につながるのです」
「簡単ではありません。商品が悪かったのか人材配置が悪かったのか、それ以外なのか、診断しなければなりません。
実績も出ない、うまくいかない理由もよく分からないがとにかく『黄信号』のときは、徹底した解析が必要です。
診断し結果が出たら、決断力を持って行動する。
今の世界では常にすみやかな決断が求められます」
「我々は三菱自動車への出資を決めました。
ただ、まだ未知の面がありますから、色々決めるのはこれからです」
「自動車業界の場合、新しい技術や商品などが競合他社から常に出ます。
常にチャレンジが求められるなかで、いつも必ずその決断が正しいわけではない。
大切なのは『ミスを早く検知すること』です」
「米グーグルのようなソフトウェア企業は、このことをよく理解しています。
彼らは最初にエラーがあると分かっています。
最後に完璧な商品になるのは、ミスを早く見つけすぐに修正する作業を繰り返すからです」
「ミスはシグナルなのです。体の痛みと同じで、痛いのに無視したらトラブルが生まれる。
経営も間違ったときの信号をすばやく検知し、修正するのです」
――今後、自動車には大変革が起きます。日産、そしてゴーンさんはどのように変わるのでしょうか。
「ビッグデータや自動運転などの新しい技術が業界を変えるでしょう。
自動車業界がそれだけで決まるのなら、私たちは降伏です。
グーグルにバトンを渡します。
しかし、車はそれだけではありません。
自動車業界特有の技術を磨くことも肝心なのです。
排出ガスなどをどう改善していくか、ということも重要です。
グーグルなどIT(情報技術)企業はその分野で技術を磨こうとはしないでしょう」
「ビッグデータを使って消費者を知り、その情報を商品に反映することも、新しい技術を使って商品を差異化することも必要です。
自動運転のテクノロジーもこれから進むでしょう。
新しい技術も、既存の技術も必要だということを理解しなければならない。
将来の車のために改善していくことが必要なのです」
――失敗の予兆をどうやって検知すればいいのでしょうか。
「私たちが『電気自動車(EV)を商品化する』と決めたのは確か2007年です。
当時、EVを量販すると決めていませんでした。
変化のサインを検知してどう順応したか。
執務室にいたらある日突然、神託が降りてきたわけではありません。
原油が高くなったり排ガス規制の問題が生まれたりして、EVだと考えたのです。
今こそ動き始めた、と思いました」
「こういう時みんな反対するのです。それでいいのです。
もし周り全員があなたのアイデアに同意したら、気をつけたほうがいいですよ。
チャレンジしていないということですから。
もしみんなが反対したら、あなたは実行する理由を説明しなければなりません。
私の見えていることが周りは見えてない、ということなのですから」
「中国への進出、EVの商品化、そして三菱自動車への出資など、様々な意思決定をしましたが、みんながイエスなんてありません。
反対されましたよ。
しかし、状況を素早くつかみ、実行してきました。
これには決断が必要です。
そして結果を出さなければなりません」
「中国への進出は『素晴らしい決断だ』と言ってもらえました。
販売が好調だからです。年間130万台規模に膨らんでいます。
しかし全然車が売れず赤字だったら、『なんてバカな決断をしたのだ』と今ごろいわれているでしょう。決断を下し、徹底して実行する場合は(社員を)フォローしなければいけません。
リーダーシップとは、優先順位を決めることもあります。それも仕事です」
――ゴーンさんが下した決定で一番驚いたのは、日産再建のためオファーを受けたことです。情報も不足していたのに、なぜ受け入れたのですか。
「成功すると分かっていたからオファーを受けたわけではありません。
正直なところ、失敗か成功は50対50だと思いました。
しかし、受け入れたのは、ワクワクしたからです。
潜在的に失敗もあるよなと考えましたが、恐怖心よりワクワクが勝ったのです。
(1999年に発表した再建計画の)
『リバイバルプラン』の3つの約束のうち、1つでも約束を守れなかったら(CEOを)辞めると話しました。
次のプランなんてありません。
もしもうまくいかなければ取締役会は全員クビでした」
「学んだことはたくさんありました。
結果を出せたことも大切なことですが、それより重要なのは99年に2兆円の債務を抱え、破綻させた社員たちが、再び日産を復活させたことです。
私は化学変化を起こした触媒です。
日産には成功する材料はあったけれど、反応を起こす人がいなかったのです。
成功と破産を同じ人間がやったということ。
これこそ、マネジメントの真骨頂です」
――ゴーンさんはこれまで自動車関連の会社で変革を生んでこられました。もし10年若ければ、どんな仕事をしていますか。
「会社の変えるときに商品の中身はあまり関係ありません。
変革とは結局人なのです。
事業が成熟し確立された企業でも、スタートアップ企業でも同じです。
社内にある課題を具体化すると解決策は社内にあり、多くの優秀な人間もいました。
彼らがモチベーションを持てる環境をつくることです」
「リーダーの仕事とは人を引っ張ることであり、技術のエキスパートになることではありません。
そしてリーダーシップとは、人にやりたがらないことをさせ、結果を出させること。
それこそがリーダーシップの神髄です」
「あなたが飛行機に乗っているとき、機長が誰かなんてどうでもいいでしょう。
目的地に無事、着きさえすればいい。
しかし事故が起きれば機長が誰なのか気になります。
経営も同じです。
リーダーが重要になるのは悪いことが起きたとき、危機を感じたときです。
周りを説得できる選択をするリーダーを求めるでしょう」
■リーダーはポーカーフェースでなければ
――ゴーンさんは高いモチベーションをどうやって維持されていますか。
「リーダーも焦ることがあります。
しかし、それを外に見せないという責任を負っているのです。
ポーカーフェースで、心のなかを見透かされてはならない。
もちろん前向きな気持ちをあえて外に見せたいときは積極的に見せます。
みんなそれぞれに仕事以外にも大切なことがあるでしょう。
家族や友人、スポーツ、NPO活動など人によって違うと思いますが、それが大切です。
ときには仕事から離れることです」
「私はとても恵まれていた。今は大人になり家を出たけれど、4人の子供たちは誰も私を社長とは思わない。
恋人だったり、夫だったり、親であるときに一呼吸がつけるのです。
音楽も音符と音符の間の休符で成り立っています。
呼吸が重要なんです。
リーダーシップを執るということは一回で終わるものではなく、継続されるものです。
だからこそ、一息ついて呼吸するということがとても重要です」
【日産リバイバルプラン】
日産リバイバルプラン(にっさんリバイバルプラン, Nissan Revival Plan;略称NRP)は、1999年に日産自動車のカルロス・ゴーンCOO(当時)が発表した同社の再建計画。
日産社内の若手・中堅幹部を中心とした組織、クロスファンクショナルチーム(CFT)を発足し、再建の計画をまとめたものである。
【内容】
•村山工場など車両組立工場3箇所、部品工場2箇所を閉鎖し、国内の年間生産能力を240万台から165万台へと削減。
•全世界でのグループ人員を2万1,000人削減し、購買コストを20%圧縮するために、下請企業を約半分に減らした。
•子会社・関連会社1400社のうち、基幹部分として残す4社を除く全ての会社の保有株式を売却。これによって下請企業の合併再編が急速に進んだ。
【成果】
日本企業の商慣習の中で実現を危ぶむ声もあったが社長兼CEOとなったゴーンのもと、当初の予定より1年前倒しで、売上高などの業績を著しく向上させ、2003年までの4年間で2兆1,000億円もの巨額の借金を完済した。
【NRP以前の日産】
日産の国内市場のシェアは1974年の34%をピークに減りつづけ、1999年には19%にまで落ちこんでおり、また海外市場でのシェアにおいても1991年の6.6%から8年間で4.9%にまで下がっていた。
1998年度の自動車事業における実質有利子負債残高は2兆1000億円。
この利子の支払いだけでも1000億円に達していた。
NRP実施以前の業績不振の原因としては以下の5点が挙げられている。
1) 利益追求の不徹底
2) 顧客指向性の不足
3) 機能、地域、職位横断型業務の不足
4) 危機意識の欠如
5) 共有ビジョンや共通の長期計画の欠如
1)の原因として日産の高コスト体質が挙げられる。
部品やサービスの購買コストがカルロス・ゴーンのいたルノーよりはるかに高く、国内のメーカーと比較しても時に25%の開きがあるなど購買部門に問題がある事は歴然だった。
そこで日産はNRPの6を実施する。
部品および資材サプライヤー数を現行の1145社から600社以下に。
こうすることによって選ばれたサプライヤーにとっては日産との取引量が増加する。
つまり選ばれたサプライヤーにとっては規模の経済性によってコストの削減が可能になる。
同時に、競争力のあるグローバル・サプライヤーとの関係を強化し、最高水準の技術、コスト、品質、納期などの改善にも努めた。
1999年度日産の国内の車両生産能力は240万台だったが実際の生産台数は128万台で生産能力の50%ほどしか稼動していなかった。
しかし、従業員や家族の問題、また座間工場閉鎖時の苦労が記憶に新しかったため工場の閉鎖に踏み切れずにいた。
2)では、もともと「技術の日産」と言われるほど技術に定評のあった企業なだけに、マーケティングをあまり重視せず顧客の要望よりも自分たちの納得できる車を作れば売れるといった企業風土が問題だったのだと思われる。
3)への対応策としてカルロス・ゴーンはクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)を設立した。
CFTとは部門と部門の境界上にあるあまり人の近づきたがらない領域に存在する。
顧客の要求というものはもともとクロスファンクショナルなものであるため、他部門間で情報の交換がなければ要求を製品にフィードバックすることはできないという考えから生まれたものである。
実際に購買コストの問題については、技術部門と購買部門のCFTによりNRPの6にある購買コスト20%削減といった数字を出すことができたのである。
4)に示す危機意識がなかったのではない。
危機への回避のみを狙い、その危機に対して正面から向き合わなかったこと、例えば2)で挙げたように工場を閉鎖せずその工場の生産ラインのいくつかを閉鎖する。
他の工場にも同様に生産ラインの縮小を行う。
この方法では危機を先送りするだけで、全体的な工場の生産能力を下げることになり、コストは結果として高くつくことになる。
つまりは利益をあげるための優先順位を見失っていたことに問題があったのではないだろうか。
5)への対策としてNRPは十分な意味を果たした。
わかりやすい必達目標、経営方針により社員が共通のビジョンを持ち、士気が高まったことだと思う。
...これを見ると、会社というのは最後の最後は人だな、と感慨深いものを感じます。
さらに日産リバイバルプランの裏側をまとめた記事があったのでご紹介したい。
【日産リバイバルプランの裏側】
リバイバルプランの厳しさは関係者の予想をはるかに超えていた。
21,000人の首切りと主力工場の閉鎖は、リバイバルじゃなくサバイバルプランだ言われた。
しかし、なんとも歯切れの悪い驚きとも落胆ともつかない声が上った。系列部品メーカーからだった。
部品の購買先を選別し600社にするという計画にまさかの驚きを表しきれなかった。
確かに部品の調達コストが高いのは重要な問題だった。系列部品メーカーが一番承知している事だった。
でも、でもだ、系列部品会社の役員に自動的に天下りをよこしているのは日産本体じゃないか。
それを今更お前は知らぬと言うはずがない。
系列部品メーカーの幹部たちはみんなそう思っていた。
「そうだけど、そうじゃないだろう」というのが、系列部品メーカーの幹部たちの煮え切らない驚きの表現だった。
しかし、この驚きがケイレツの終焉だった。
国内の景気低迷とヒット車の出ない日産は、過剰生産能力と過剰人員が最大の問題だと良識ある社員がやり場のない訴えをしていた。
主力と言われる村山工場も老朽化に対処する力はすでに日産にはなかった。
さらに、国策でプリンス自動車と合併した日産には「官僚体制」が存在していた。
それを支えたのがやはり国策銀行の日本興業銀行だった。
しかし興銀の支援はこれ以上ないことが明らかだった。
リバイバルプランがまとまる2ヶ月前、興銀は第一勧銀と富士銀行との統合を発表した。
ゴーンは着任早々の4月下旬(1999年)、取締役の人数を37人から10人に減らした。
意思決定の迅速化と発表されたが、本当の狙いは、向いている方向を全員が同じにするためだった。
役員の方向がバラバラな組織は何もできないのをよく見ていた。
次はどうするか、ゴーンは常に行く先を明らかにし、その成果を早く出すことに努力した。
懐疑的な人もこれでついてくることを経験的に知っていた。
21,000人の人員整理を含むリバイバルプラン発表の当日(1999年10月18日)、カルロス・ゴーンは、いすゞ自動車からデザインセンター部長だった中村史郎を日産のチーフデザイナーに引き抜いたことを発表した。
日産の人を辞めさせといて、なぜ他社から人を呼ぶのか。
義理と人情が騒いだ。
翌月、アメリカの日産では役員を含め千人の削減が発表された。
翌12月、労働組合はリバイバルプランについて問題点をまとめた。
この計画は関連企業と労働者、地域経済に深刻な影響を与え、コスト削減のみが先行された経営を行き詰らせるものだ。
この発表に社内の動揺はなかった。
社員の多くはリバイバルプランに期待を寄せていたからだ。
年が明けた2000年2月、技術の日産を象徴する宇宙航空部門を石川島播磨重工に300億円で売却した。
この部門は収益を上げていた。
しかし、ゴーンは経営資源を自動車のみに投下したかった。
さらに3月、日産が保有する富士重工業の株式をアメリカのGMにすべて譲渡することで合意。
200億円だ。
有利子負債削減のため、1,400社の持合い株も売られていく。
順調にプランは実行に移されていたかのように見えた。
ところが、2000年3月期の連結営業利益が、当初予想の900億円を下回る見通しだとの報告があった。
国内販売がまったくダメだった。
いくら社員がリバイバルプランに期待を寄せても、日産には魅力のある売る車がなかった。
さらに暗いニュースがゴーンの元に届いた。
ルノー本体が日産への投資が足かせになり、利益が前の年に比べ6割もダウンしたのだ。
5月、2000年3月期日産の連結決算を発表しなくてはならない。
営業利益は900億円を下回る825億円。
最終利益は、なんと6,843億円の赤字だった。
しかもホンダとの差がどんどん開いた。
日産は完全に3位転落。
再浮上の見込みは誰の目にも映らなかった。
リバイバルプランでは、次の2001年3月期には赤字を一転させ600億円の黒字を達成することになっていた。
ゴーンは記者団の前で、リバイバルプランの変更はなく「達成できなければ社長を辞める」と語った。
各紙はゴーンの強気に疑問を挟み、社長を辞めるとの発言にフォードに転籍するのではないかとの憶測が広がった。
そんな中、カルロス・ゴーンは経営会議に上ってきた報告数字に目を輝かせた。
忘れもしない決算発表直後の会議だった。
経費の各項目、有利子負債の残高、人件費など、数十項目の数字がみな計画数値を追い、リバイバルプランに大きな影響を与える部品調達コストが絵に描いたように減っていた。
ゴーンは、自分のやり方に間違いがないことを確信した。
同時に、日産ルノー連合が世界のトップメーカーに躍り出ているのを一足先に覗き見た気がした。
改革のスピードを上げるには社員全員が情報を共有し、成果を早く実感し自信を持つことが大切だと考え、リバイバルプランの進捗状況を毎月社員に示した。
勢いが付いた。
9月の中間決算は順調。過去10年で最高益だと発表した。
2001年3月期の決算予想を600億円から2,500億円に上げると大胆な見通しも発表した。
年が明けた2001年1月、日産は新車攻勢をかけた。
新型プリメーラ。
あのチーフデザイナーの中村史郎が直接テレビコマーシャルに出てデザインについて語った。
衝撃的だった。
さらに2月、一世を風靡したシーマが新しくなった。
そこでも中村史郎はデザインを語った。
復活を感じさせた。
売上が上る。
大胆な予想の2,500億円の黒字は現実のものとなって迫ってきた。
春闘の時期が来た。
労働組合は横並び時期に要求額を出す。
ベア8,000円、ボーナス5.2ヶ月と勢いのいい数字が並んだ。
ボーナス5.2ヶ月を実行するには500億円の原資が必要だった。
担当役員は交渉戦術を練っていた。
組合側も予想する言葉があった。
「こんな時だ。いくら業績が上向いても油断をするな。勝って兜の緒を締めよ」。
3月、カルロス・ゴーンは組合の最終回答日前に満額回答を出した。
社内が「オオッ」とどよめいた。
ライバル会社の役員は「うそだろ」とつぶやいた。
4年ぶりの5.2ヶ月だった。
社内はもう完全に一つになっていた。
さらに、3年ぶりに配当することも決めた。
利益は社員と株主に還元された。
3月の出来事はさらに続く。
JPモルガンからアジア・パシフィック担当広報部長だった福永朱里を日産の広報部長として招き、中村史郎を執行役員常務に昇格させた。
福永は日産で初の女性部長となった。
日産の体質がどんどん変っていった。
29日主力村山工場閉鎖。
5月、ゴーンは2001年3月期の決算を発表した。
2,500億円と予想した最終収益は、3,310億円だった。
リバイバルプランで黒字化を計るとの計画は大変な数字で飾った。
2兆1千億円あった有利子負債は9,530億円に減った。
その後、6月にカルロス・ゴーンは日産の社長兼CEOになった。
10月には日産がルノー株の15%を取得し、ルノーの日産株取得はそれまでの36.8%から44.4%に引き上げると発表された。
2002年3月ルノーとの共同開発で新型マーチが発売され、4月にはシュバイツァー会長が2005年にはゴーンにCEO職を譲ると声明。
2003年3月期決算では、最終利益が4,952億円。
営業利益は過去最高の7,372億円で営業利益率(営業利益÷売上×100)は10.8%とリバイバルプランの4.5%以上を大幅に超えた。
あの2兆1千億円あった有利子負債はゼロ。
...凄いですよね。何というか、勇気をもらう記事だと思います。
道に迷った時、こういう判断と人が力を合わせれば出来ない事はないんだなと。
迷った時、弱った時、鼓舞したい時に読み返してみたいと思います。
Posted at 2016/08/16 09:02:39 | |
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自動車業界に対する想い | クルマ