
高校生の頃、学期末に出席日数が足りてる条件下で、学校をサボっては「立ちんぼ」なる、失業対策絡みのバイトをしてました。それは、広島駅の近くにあった空き家がある線路沿いの一角で、その場所に早朝から、中高年の日雇い目的の人間が集まるのがルールとなっていました。ちなみに通知表の到着に合わせ、ポストの前で郵便局員から直接受け取って、修正液で出欠を修正してました。笑
ある日、私がその場所で、日雇い労働者に混じって、ブラブラしていると、トラックが止まり、見るからに若い私に声が掛かります。「兄ちゃん、どうや?」「なんぼですか?」「サンゴーでどうや?」「乗りますわ」みたいな遣り取りでしたね。サンゴーとは3500円の略ですね。その光景を他の日雇い労働者の羨望と妬みの眼差しを感じつつ、出発したものでした。
ある時は、住宅建設のゴミ出しだったり、左官の手伝いだったりと多岐に渡っていました。そんな時、土日2日間で昼食付きで破格の5千円のバイトにエントリー出来たのでした。そのバイトは、自動車会社の工場内のベルトコンベアの交換作業でしたが、当時、私は17歳であったのが幸いして、危ないからと、2日間に渡り合図によってコンベアのスイッチをオン・オフさせる楽勝の仕事にもあり付けることが出来ました。
その頃、私と同じようにアルバイトする仲間の間には、まことしやかな噂話がありました。それば、「タコ部屋」の噂話でした。失業対策の斡旋で行ったバイト先には、ヤクザが牛耳る秘密の場所があり、そこに入れられたら、強制的に働かされて、その金も搾取されて、飼い殺しに遭うと言う話でしたね。本当にビビったものです。
その頃、山陽新幹線が広島に乗り入れる為に線路の建設工事をしてました。その現場にも行った事がありましたが、その仕事も立ちんぼからの仕事でした。そこで初めて身の危険を感じることになります。新幹線工事も既に終盤でした。私が指示された仕事は、コンクリートの橋げたを左右から引っ張る様に作られていた支柱の清掃でした。
今では考えられませんが、地上高約15m程にある場所で、命綱もなく、ただ闇雲にその僅か20cm幅で数メートルの支柱に溜まった屑を箒で掃き落とせと言う指示でした。それは、余りに危険な作業で、形だけの作業でお茶を濁していたら、現場監督から叱責されましたね。しかし、素人から考えても、余りに危険な仕事である事は、紛れもない事実でしたから僅か1日でケツを割ってしまいました。
この仕事を境にして「立ちんぼ」から足を洗いましたが、その後、伝え聞いたアルバイトの話にのめり込んで行きます。そのアルバイトと言うのは、医学部の死体洗いのバイトでした。ホルマリン漬けの死体をプールから引き上げて、洗うと言うのが、その仕事内容でしたが、作業者の手のひらがホルマリンの匂いがついて、石鹸で何度洗っても取れないとまで、具体的な話が一人歩きして信憑性を増していました。
死体洗いのバイトは、一体に付き1万円と高額だったので、いつの間にか仲間内での一番の関心事になっていました。そんなある日、満を持して大学病院に電話をしたのでした。が、しかし、大学側の説明はそんなアルバイトは存在してません。と言う回答だったのです。そこで思った事は、もしアルバイトがあるとしたら、医学部の学生から募集する方が死体慣れしてる分、有利だろうなって事でした。でも今、現実的に考えたら、死体を洗う必要は存在するのでしょうから、強ち間違いでは無かったとも思っていますね。
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2019/06/17 20:03:26