
8月13日の比叡山でのアマチュア無線の移動運用が、盆休みで帰省した京都の実家での、私に許可された最初で最後の「趣味の時間」と思っていましたが、今回はいつもなら必ず一緒のタイミングで帰省する長男家族が居なかった事で、家内から翌日の14日も移動運用の許可が出たので、午後から比叡山に向かう事にしたのでした。8月14日が午後からの移動となった理由は、午前中に家内の従姉妹が来ると言う事で、もし、買い物等が発生した場合には、私が車出しをする事は決定事項だったので、午後からの移動となったのでした。しかし、午後12時を回って昼食を摂ってからも、家内のGOサインが出ませんでした。そんな中、苛立ちがピークに達した私は、遂に自らが動く事にします。
私は従姉妹と家内と義姉が談笑している部屋に足を踏み入れ、家内の従姉妹に笑顔で「ごゆっくり!」と告げて、家内の方に向き直り、目で合図を送りました。家内の「やっぱり行くんやな」と言う、不満気な声を聞きながら、心の中では「お前が言うか!」と突っ込みを入れながら出発したのでした。比叡山ドライブウェイの山頂駐車場までの通行料金が1700円とアマチュア無線目的だけで利用するのでは、あまりに割高と感じていた私も、午前中から夕方まで滞在するなら、辛うじて元は取れるかな?と言うスタンスだったにも関わらず、8月14日は午後からの出発では、鼻から短い滞在時間になるのは必至の状況で、それにも関わらず出発したのには、ある理由がありました。
先ずはお盆と言う特別な日であり、オマケに日曜日でもあったので、これはアマチュア無線を運用する局が多いのでは?と言う過度な思い込みと、比叡山の山頂駐車場であれば、例え、電波のコンディションが悪くても、815mと言う標高ありきのグランドウェーブで、麓の無線局との交信は可能と言う思い込みがあったからに他ありませんでした。この日の天候は午前中にバケツをひっくり返した様な豪雨があったものの、出発時には雨が止んでいました。ところが、比叡山の山頂駐車場に到着したところ、やはり、比叡山は地上の天気とは違ってました。その時の山頂の天気は、今にも降り出しそうな雲の動きをしていましたね。
そこで私は雨天でも使用可能な第一電波工業製のアンテナであるCR8900をセットする事にして、トランクに保管していた雨合羽を着込んで、その後も急な雨に注意しながら、粛々と準備を進めたのでした。そして、準備が完了したので、車内に乗り込み、期待しながら無線機のスイッチを入れたところ、29FMから聞こえて来るのはノイズだけでした。その時、急に横殴りにも近い豪雨が降り注ぎました。これが準備中に襲って来たならと考えると間に合って良かったな。と思ったものでした。その後、暫くメインの周波数で待機してみたものの、東南アジアの漁船と思しき無線局の電波は拾うものの、ノイズレベルが昨日とは違う事に気付き、徐々に、これは駄目かもと考え始めた私でしたが、この際だからVU帯デビューするのも良いなと考え始めてもいました。
そこで、何気なく周波数を50MHz帯のFMモードに合わせたところ、サブの周波数でローカル局同士の会話が聞こえて来ました。使用しているオートアンテナチューナーであるAH-705は50MHzまではカバーしていたので、直ぐにチューンする事が出来て、しっかりとアンテナであるCR8900との整合をとる事が出来ました。その時のチューン後のSWRの値は目分量で1.2を示していました。先ずは、順番通りに50MHz帯で交信しようと考えていた杓子定規な私は、そのローカル局同士の交信が終わるのを、ひたすら待っていました。しかし、一向に終わる気配を見せなかった事に苛立ちがマックスになり、遂には50MHz帯は諦める事にしたのでした。50MHz帯の次は順番的には144MHzでしたが、144MHzからはAH-705では整合する事が出来ませんでした。
その時点の山頂の天候は、運良く雨模様から曇り空に転じていました。私は、無線機の電源を落として無線機とアンテナチューナーを結ぶケーブルを外しました。その後、アンテナチューナーのもう一方の同軸ケーブルも外しました。一旦、車外に出てアンテナを設置してあるマグネット基台の同軸ケーブルを、ハッチバック側から取り出して、運転席側の後部座席の窓ガラスを少し降ろした隙間から差し込みました。何故、そんな間怠っこしい方法を取るかと言いますと、マグネット基台のケーブルは4mだったので、ダッシュボードに置いた無線機までは届かないとの判断からでした。つまり、アンテナチューナーを介した方法であれば、アンテナチューナーまで同軸ケーブルが届けば良かったのが、チューナーが使えない144MHzからだとダイレクトに接続する必要があると考えたからですね。
アンテナチューナーの出力側には、専用のBNCケーブルがあるので問題はありませんでした。運転席側の後部座席の窓ガラスの隙間から引き込んだ同軸ケーブルは先端の形状がM型であったので、無線機側の型であるBNC型に変更すべく変換コネクターを装着して無線機と接続しましたね。私は無線機の電源を投入後、無線機でSWR値や温度計で簡易的に表示出来るモードに設定して、マイクのスイッチを握ってSWR値を計測したところ、基準値を遥かに超える数値を示した事で大いに焦りました。焦った理由はCR8900にありました。CR8900アンテナは29MHzは調整幅が存在するものの、それ以外の周波数帯では無調整であると言う思い込みがあったからでした。
元々、CR8900を購入した経緯も再開局したものの、RHM12アンテナとの調整が遅々として進まず、嫌気が差していた頃に、29FMも運用出来て、基本的に無調整のアンテナに過度に魅力を感じてしまい、その頃はアンテナチューナーAH-705も持って無かったので、安易に「無調整アンテナ」と言う響きに活路を見出して手を出してしまったのでした。しかし、CR8900も思い描いた調整が出来なかった事で、最終的には、それまで貯めに貯めていたポイントを吐き出して、専用のアンテナチューナーに手を出したのでした。
でも、仕様でアンテナチューナーに接続したままでも、スルー回路があって144MHz帯以上の運用が可能だったのかも?と言う考えもありましたが、この時は石橋を叩いて渡ると言う気持ちからダイレクトに繋ぐ方法を選択したのでした。
後にアイコムサポートに問い合わせたところ、スルー回路は無く、ダイレクトに繋ぐ方法が正解でした。つまり、石橋を叩いて渡って良かったと言うオチでしたね。話を戻して、50MHzから144MHz帯に移ったところ、その時のモードは特に設定しないまでもSSBモードでした。すると、いきなりCQを出す局に遭遇したのでした。その時の私は普通では無かったのでしょうね。SWR値が異常に高いにも関わらず、いきなり、その局にコールしていました。CQ局は、滋賀県の彦根市から電波を出していた移動局でしたが、相手の局に「貴局との交信が、私にとって初めての144MHz帯での交信でした」と告げると「こんな私が初めてで良かったんですか?」と笑ながら会話したものでしたね。こうして、SWR値が高いにも関わらず初めての144MHz帯での交信は呆気なく終了したのでした。
144MHz帯のSSBモードでの無謀な交信に駆り立てたのには、ある考えが根底にありました。それは、運用モードがSSBと言う電波の占有幅が狭小であった事が、占有幅が広いFMモードと比較して影響が少ないだろうとする胸算用があったからでしたね。後から無線機の機能でSWRの数値を確認したところ、最初に確認した時からは下がっていて、SWR値が2.0に近い数値だったので少し安心したものの、Googleで更に調べて「SWRが2.0でも大丈夫」と言うコメントに活路を見出して、それを免罪符にした事は言うまでもありませんでした。ある種の免罪符を手に入れた私は、続いて、430MHz帯のFMモードに移りました。すると、ここでもローカル局同士の交信が聞こえて来ましたが、交信が終盤に差し掛かっていたのが判ったので、暫く待機して、交信が終わったのを確認してから、直ぐにその局を呼びました。
すると相手からも直ぐにコールバックがあり、VU帯のグランドウェーブ交信においての、比叡山の標高の威力を思い知った次第です。430MHz帯で繋がった局は京都府宇治市の固定局でしたが、ここでも144MHzの時と同様で、相手の局には、この430MHz帯の交信は私にとって初めての体験でした。と告げたのでした。こうして、430MHzでも初めての交信が終了したのでした。その時点で、後は、50MHz帯を残すだけになりましたが、50MHz帯はアンテナチューナーによる調整が効くバンドであったので、SWR値を2.0のままで50MHzで運用するのも本意では無かったので、元の、レイアウトに戻す事から始める必要がありました。その後、準備が整って、50MHz帯を改めて聞いてみると、先程のローカル局同士の交信は終わっている様でした。
そこで、50MHz帯では自らがCQを出す事にしたのでした。何故、これまではCQを出していた局に対してのみコールする形での受身の交信だったのが、いきなり自らがCQを出すと言う、攻めの交信に転じたかと言いますと、メイン周波数からサブの周波数に移る際の周波数のピッチが、20KHz間隔だと言う事を、最初に覗いた時点での50MHz帯での交信で判明していたからでした。つまり、それさえ解っていれば、交信のオペレーション自体には何の問題も無く運用可能だったので、その周波数のピッチさえ判れば全て解決出来るのでした。私は先ず、50MHz帯のサブ周波数で混信や妨害を他の無線局に与えてないかを確認した後、50MHz帯のFMモードのメイン周波数でCQを出しました。そして、サブの周波数に移って再度CQを出す事を告げてサブの周波数に移ったところ、いきなりのコールバックがありました。
交信自体には何の問題もないので、例の「初めての50MHz帯での交信でした」と言うセリフを入れながら、私の50MHz帯の交信は終了したのでした。続いて呼んで来た局は、昨日、電話とLINEで繋がった高槻市の局でした。高槻市の局は「LINEで明日も比叡山に登ると言ってたから、29FMで待ってたのに50MHz帯に居たんやね」と言われた次第です。高槻市の局の次に呼んで来た局は、京都府城陽市の移動局でした。その移動局に、普段は29FMで運用する事が多い事を告げると、その移動局から「それじゃあ、このまま29FMに移りましょうか?」と言うリクエストに応えるカタチで、29FMでも交信を成立させて、その局とは一気に2バンドQSO(ふたつの周波数帯での交信)と相成りました。29FMに移った時点で、その移動局は京都府宇治市の移動局となっていました。その後は、呼びかける局が居なかった事で8月14日の交信は終了しました。
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2022/08/19 15:38:05