
学生時代にはインベーダーゲームに、めちゃくちゃ嵌りました。それもブームが最高潮だった時では無く、タイトーのインベーダーゲームの一人勝ちを阻止すべく、様々なゲームが台頭し始めていた頃でしたが、相変わらず、インベーダーゲームは一番人気でした。100円硬貨を両替しては、毎夜、ゲームセンターでインベーダーゲームの台に座って、モニターに見つめながら、必死の形相で格闘したものでしたね。
当時、私の様な学生は沢山いました。ゲームセンターと言うか、インベーダー専門の店は、いつも賑わっていました。最初は、僅か1,000点と言う数字を越える事が出来ず、熱くなってしまい、遂には1万円近く投資したものでした。しかし、最初の1,000点の壁を乗り越えてからは、10,000点までは割と近かった記憶があります。10,000点を越える事が常態化する様になってくると、後は、20,000〜50,000点までは、割と直ぐに到達出来ました。
それ以上の領域となると、流石に毎回と言う訳には行かず、その日の調子次第と言う感じになりました。当時は、ニンテンドーのドンキホーテと言う、レバーを上下左右に動かす必要のあるゲームや、その後、一世を風靡したギャラクシアンも既に登場していましたが、それに比べて、インベーダーは、単純に左右に動かすレバーと、ミサイル発射ボタンだけと言う至極単純な操作方法だった事で余計に嵌りましたね。
ただ、50,000点以上の高スコアを狙う為には、迫って来るインベーダー群の高さは、徐々に私の陣地に迫って来るものの、同じパターンの繰り返しが7回続くので、結構、忍耐力を要しました。下向きでプレイしているので、汗がモニター画面にしたたり落ちる事も多々ありました。それから、当時はゲームセンター以外にも、色々な場所で目にする機会も多かったインベーダーゲームですが、ある時には、船内でプレイした事がありました。
大阪南港と広島港を結ぶグリーンフェリー(〜1982年)に乗船した際、船内にインベーダーゲームが設置されていたのを見て、その時は、深夜帯でしたが、沢山の人が並んでいて、私もその順番に並んでプレイした事がありました。その時の私のスコアは、50,000点を少し越えたところで終わりましたが、殆どの人が10,000点以下だった事もあって、私のプレイに興味津々の体で、大いに盛り上がってくれました。
当時、京都の河原町通り沿いの商店街にあるゲームセンターでは、歩道に向けてモニターが設置してあり、道行く人に、ゲームセンター内での、インベーダーゲームの様子が映し出されると言う、手法を取る店もありました。通行人に対する訴求効果を狙っていたのですね。そんなある日、ゲームセンターが主催するインベーダーゲーム大会にも出た事がありました。日頃は、寡黙にインベーダーと向き合っている輩にとっては、正に檜舞台でした。
ただ、同時にプレイ可能な現在のオンラインゲームとは違い、当時のインベーダーゲームは、交互にプレイすると言う方法だった為、相手のプレイ中は、暇を持て余していました。しかし、いつ何時相手からゲームが渡って来るか分からないので、寝る訳にもいかず、常に相手のプレイも見る必要があったので、割と苦しい時間と感じていました。それに、同じ台で相対してプレイすると、予期せね事態に遭遇した事もありました。
インベーダーゲームは、最初の画面(位置レベル)で、全てのインベーダーを撃破すると、次に開いた画面は最初の位置から少し下がって登場します。そんな風に徐々に下がる(自陣に迫る)画面が7回続くのですが、7回目の画面をクリアしたら、元の位置から再スタートすると言う繰り返しになります。それが、6面、7面となると、一番下に来るまで待って、ひたすら「名古屋打ち」して撃破するしか方法がありません。
名古屋打ちとは、自陣に攻め込まれるギリギリの状態ではインベーダーの攻撃を受けないという仕様(もともとはバグ)を活かした攻略テクニックですが、同じ台を2人で使用する大会では、暫し、苦しい展開となる事がありました。それは、攻めてくるインベーダーを迎え撃つのは、割と簡単なんですが、逃げて行くインベーダーを追い掛けながら撃破しなければならないパターンが、この同じ台でのプレイでは発生したのでした。
名古屋打ちは、かなりハイスピードな手技を必要としましたが、逃げて行くパターンでは、本当に必死でしたね。しかも、乱れ打ちしながらも、しっかりとカウントしていて、撃ち落とすUFOは全て300点でした。インベーダーにおける、私の最高スコアは115,000点でしたが、当時、100,000点台の人は時々見掛けたものの、私と同レベルの人には会った事がありませんでしたね。
その結果、今でも左手の人差し指の第二関節には、インベーダー蛸がうっすらと残っていたりします。その後、インベーダーゲームは卒業しましたが、インベーダーゲームを最後にプレイしたのは、新婚旅行で訪れたハワイのパシフィックビーチホテルのロビーでした。その時は、ABCストアで大好きなビーフジャーキーを買い求める為に、ロビーに降りて来たところ、ロビーでインベーダーに興じる外国人(当然ですが。笑)グループに遭遇しました。
私が近づくと、その陽気なグループから、手招きされて、手振りでプレイを促されたので、ハニカミながらも、心の中では、「一丁!ブイブイいわしたろか!」とインベーダーに座った輩がいました。その時のスコアは、50,000点を少し越えた程度だったものの、外国人からは次々と「ファンタスティック!」「ブラボー!」といった様な、私を感嘆する言葉を次々と掛けられて、大いに自己顕示欲をくすぐられたものでしたね。
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2024/05/17 14:02:26