
そんな中、29FMを中心に運用が続くうちに、周辺の無線局にも、29FM局として認知され出した私は、馴染みの局も増え始め、遂には29FMに自分の居場所を見つけるに至ります。それからと言うもの、近畿圏内の車で登れる山に、足繁く移動運用を繰り返して、神出鬼没の無線局として、名前を馳せて行った(単なる自画自賛です。笑)のでした。その後、瀬戸大橋が開通した1988年には、香川県高松市に転勤する事になりました。
転勤先の高松市でも、相変わらずの神出鬼没の運用スタイルで、特に行きやすい「香川県」と「愛媛県」の、車で登れる山に、移動運用を繰り返していました。但し、香川県に近い徳島県には、何故か、剣山や竜王山に2〜3回行っただけで終わりました。高知県に至っては、既出の話ですが、瀬戸内海の反対側の太平洋に面している事から、僅か一度だけでしたが、愛媛県の山間の県境から、高知県に足を踏み入れた事があるだけでした。
その高知県の山は、当時、林道を整備中だった工石山(くいしやま)でしたが、あまりに遠かったので、その僅か一度のQRVで終わりになりました。今回の移動運用で行く事にした香川県仲多度郡にある「大川山」にも、1989年か1990年頃に2回程、山頂付近からQRVした事がありましたが、当時の記憶では、大川山キャンプ場は無かったイメージですね。しかも、当時はサイクル22の真っ只中であり、アマチュア無線人口も多く、交信相手には不自由しませんでした。
話を戻して、2024年10月26日の初日は、早朝4時に起床して、5時過ぎには香川県に向けて出発しました。天気予報では、両日共に雨の予報であった為、雨合羽の用意も抜かりなく、今回の移動運用ではIC-7300MとCAT-300アンテナチューナーの組み合わせで、29FMがメインとなる為、V型ダイポールアンテナを使用する予定であった為、最近、特に出番が多かったナガラのDO-2B8八木アンテナは、置いて行くつもりでした。
それと言うのは、DO-2B8アンテナは割と長さがある為、いつもは、トランク内から後部座席のドリンクホルダーの上を通して、運転席と助手席の間にある、コンソールボックスに少し掛かるくらいの状況なので、ただでさえ、ハンドリングに手間取る恐れのある雨天時には、邪魔になると考えて、自宅に置いて行く事にしたのでした。とにかく、程度の差はあれど、両日共に雨の予報下では、邪魔になる物は置いて行くスタンスでした。
それでも、パイロット運用的には、144MHz帯と430MHz帯用として、IC-705も設置する予定であった為、IC-705のアンテナとしては、第一電波工業製のCR-8900で、対応させる予定にしていました。IC-705でも29FMの運用は可能でしたが、それだと、AH-705にケーブルを差し替える必要があり、雨降りの中、車内と車外を行き来するのも問題があるので、極力、最初にセットアップした状態で、運用する事を優先させたのでした。
それと、最近の単独行の移動運用では、廿日市市の経小屋山から始まり、岩国市の銭壺山にまでエリアを広げつつありましたが、県を大きく越える様な、ましてや5エリアの香川県では、家内の同伴は必須でした。それにより、単独行であれば多用する、助手席のスペースが使えなくなるので、必然的に、IC-7300MとIC-705の両無線機、それに、IWASHN GP-50電源と、NBC BL-50TX電源までもが、ダッシュボード置きになるのでした。
その家内においては、自分の趣味でも無い、アマチュア無線の移動運用に同伴するに当たり、何かしらのインセンティブが、欲しいと言って来た事から、高松時代も含めて、これまでにも、何度も行った事のある、高松市屋島の「たらいうどんのわら家」と、2021年3月15日以来となる、水面に映る鏡面反射を利用した、インスタ映えする写真が撮れる「香川県三豊市の秩父が浜」に立ち寄る事を、約束させられたのでした。
それを受けて、当日の予定を考えたところ、必然的に「わら家」に立ち寄るのは、初日の移動運用前になり、「秩父が浜」に立ち寄るのは、2日目の移動運用後とするのが、ベストだと考えました。ただ、初日の「わら家」の開店時間が、9時半だったので、開店直後に入店して、懸命にうどんを食べたところで、わら家から大川山キャンプ場までは、1時間半の行程であった為、かなりタイトなスケジュールになる事は分かっていました。
しかも、「令和6年 西日本・秋のGW交信を楽しむ日」の運用開始時間は、12時からだったので、正に、ギリギリの状況でした。そう言う事情もあり、10月26日の初日は、早朝4時に起床して準備を急ぎ、5時過ぎには自宅を出発していました。途中で、瀬戸中央道(瀬戸大橋)の与島パーキングで、軽く休憩はしましたが、9時過ぎには高松市屋島の「わら家」や「四国村」のあるエリアの駐車場に到着する事が出来たのでした。
運良く駐車場に入庫したのは、私達が一番乗りでしたが、5分も経たずして、続々と、他府県ナンバーの車が到着して、徐々に駐車場は埋まって行きました。開店時間の9時半には、まだ少し時間がありましたが、早目に車から出て「わら家」に向かうと、店の入口前には、既に1組の男性客が並んで待っていました。しかも、2021年に来た時とは比較できない程に、劇的に周辺の風景が変貌を遂げていたのでした。
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2025/05/29 15:12:31