
近くの酒屋の駐車場に車を入れて、またしても家内が徒歩で向かったのでした。高校時代の先生に無事に金柑を手渡ししてからは、ひたすら京都市左京区岩倉にある義母が入院する病院を目指す事にします。京都外環状線から油小路を経て、国道1号線(五条通り)に乗った私でしたが、そこで痛恨のミスを遣らかします。うっかり右折してしまい、あろう事か、大渋滞の河原町通りに入り込んでしまったのでした。
本来であれば、国道1号線(五条通り)を突っ走り、道幅が広く、走り易い堀川通りまで行ってから右折するべきでしたが、河原町通りに突入してしまった所為で、牛歩の歩みレベルの進み具合に無駄な時間を過ごす事になりました。そこで、このまま、河原町通りを北進するのも、得策では無いと考えて、漸く辿り着いた四条通りを右折する事にしたのでした。しかし、この四条通りも悲惨でした。四条通りでも牛歩は変わりませんでした。
四条通りは、私が知る昔の通りでは無く、歩道を広げる為に、極端に狭くなっていて、ここでも、半端ない渋滞になっていたのでした。しかし、もう選択肢は無かったので、ひたすら、烏丸通りに到達するまで我慢の時を過ごしました。その後は、烏丸通りを右折して北進し、北山通りから宝ヶ池自動車教習所の側を通過して、宝ヶ池トンネルを通り、宝ヶ池通り沿いにある「ガスト宝ヶ池店」で遅めの昼食を摂りました。
ガスト宝ヶ池店には、近くにある同志社中学・高校の学生で一杯でしたが、それに合わせてか、料理の価格帯がリーズナブルでした。次に行く場所は、義母が入院する、京都市左京区岩倉の病院だけだったので、面会時間の開始時間である14時を睨んで、時間調整しながら、ゆっくりとランチタイムを過ごしました。そして、13時半が過ぎてから、ガストを後にして、義母が入院する病院に向かいました。病院に着くと、丁度、14時でした。
14時から15時過ぎまで病院にいた私達でしたが、その後は、家内の実家に向かいました。家内の実家に着いてからは、玄関横の応接間に荷物を運び入れ、駐車場に車を駐車してからは、応接間に陣取って、持参していたノートパソコンを広げつつ、早速、近くのジムを制覇して、ポケモンを配置して、ジムを死守しつつ、途中で食事や入浴タイムを挟みながら、0時過ぎまでジムを制覇してから、某SNSにアップしてから就寝しました。
2025年2月1日は、朝の6時半に起床して、洗面と朝食を済ませて、家内の実家を出発したのは、7時半頃でした。途中、コンビニに立ち寄りランチ用の菓子パンと調理パンを購入。北白川別当交差点から、山中越えルートに入りました。そして、比叡山ドライブウェイの料金所に到達した時、信号が赤色に点灯して、ゲート前には車止めがしてある姿に愕然とします。予想では、赤信号でも問題なく、ゲートは開くと考えていたからでした。
料金所の10m手前で思案していたところ、滋賀県方向から車が来たかと思うと、車止めは無視してゲートに突入。チケットを受け取って、登って行ったのでした。私は、えっ?車止めはどうなってる?と思いながらゲートに近付くと、私が登って来た方向から見ると、しっかりと遮断されてる様に見えていた車止めが、逆の方向から見ると、車止めが開いている様に見えていたのでした。それを見た私は、遅ればせながら車をゲートに入れたのでした。
ゲートでチケットを受け取った私は、ゆっくりと坂道を上がって行きました。8時過ぎに比叡山の山頂駐車場に到着した私は、年末年始にQRVした際に駐車した位置よりも、更に奥まったエリアに駐車する事にします。それは、山頂駐車場のバス停やトイレ、ガーデンミュージアムの方向にある、山に遮られて、いつも高槻市方向や神戸市あたりとの交信が厳しいので、ワンチャン繋がるかも?と言う胸算用があったからでした。
この日は、1月初旬に戦列に加わった、NBCのBL-50TXバッテリーと、BL-50PA並列アダプターの、比叡山デビューの日と決めていた事もあり、コメットCLA-45パワーブースターをメインにして、430MHzのFMモードでQRVすべく準備を進め、8時40分頃からバンド内のワッチに入りました。比叡山で確認すると、この日の430MHz帯は、空きが無い程に、無線を仕事で使う違法局で、溢れ返っていました。
これが地上の局同士であれば、近隣に来ない限りは影響は無いと思いますが、800m以上の標高がある比叡山においては、全ての周波数が埋まっている上に、同一周波数においても複数の局がQRVすると言う状況が見て取れました。そんな中、同じ様に、大阪府交野市の山に上がられていた、既知のJF3/3局のCQが、433.020MHzで出されました。この局とはQSOパーティーでは一番最初に交信した局と言う認識でした。
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2025/06/11 09:26:11