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老人ギタリストもどきのブログ一覧

2025年08月24日 イイね!

フラフープ・ダイエット

フラフープ・ダイエット2017年に定年退職して、最初に嵌ったのは「熱帯魚」でした。定年退職に合わせた訳ではありませんでしたが、それまで住んでいた高台の戸建てから、いつ車に乗れなくなっても生活に困らない様にと、主要駅に隣接したリノベーションマンションに転居したのが、熱帯魚に嵌まる最初のキッカケでした。しかし、餌のやり過ぎであったり、水換えのタイミングであったりの稚拙な素人飼育により、無駄な殺生を繰り返した挙句。遂には熱帯魚の飼育を諦めたのでした。

「次に何をしようか?」と思い始めた頃、長男が「それなら、今度こそ、エレキギターでも始めたら?」と提案してくれました。長男は退職直後にも提案してくれていましたが、その時には乗り気では無かった事もあり、それを固辞して、熱帯魚の飼育に注力したのでした。私が「じゃあ、始めてみようか」と言うと、あれよあれよという間に、複数のエレキギターからシールドケーブル、アンプ代わりにオーディオプレーヤーまで持って来てくれました。

それに合わせて私も、ギタースタンドを買ったりしてましたが、その内には、どうせ始めるならと、ヤマハの「大人の音楽レッスン・エレキギター科」に申し込んだのでした。個人レッスンを経て、グループレッスンに昇格した頃、新型コロナウイルスが世界に一気に広がります。それにより、練習の成果を発表する、ヤマハ内部のイベントも悉く中止される様になり、月に3回程度通っては、講師とのグループレッスンのみの、無味乾燥なものになりました。

そんな中、講師から齎された楽曲を、姑息にも、同じグループレッスンに通う、他のメンバーを出し抜く為に、先行して自主練習を重ねた事がありました。その曲は、ベンチャーズのダイヤモンドヘッドで、辛うじて聴けるレベルの代物でしたが、それをYouTubeにあるハワイの動画と合体させて、YouTubeの動画として保存。当初は、ヤマハのメンバーだけに向けた、限定公開にしていましたが、ある日、限定公開から一般公開に切り替えたのでした。

一般公開に切り替えるに当たっては、演奏風景に、絵画風のエフェクトを掛けて出しましたが、それ以降も、その流れを踏襲したのでした。その後は、元々、大好きだったギターソロに特化させて、稚拙なアップロードを繰り返していた私でしたが、ある日、1年に1回程度、定期的に検査していた膵臓のCT検査で、下肢静脈瘤血栓症が偶然に発見されます。それにより緊急入院となり、首の直近から静脈内にステントを留置して、ワーファリンの24時間点滴となりました。

主治医と話し合った結果、下肢静脈瘤血栓症を発症した原因が、常に座った状態でのエレキギターの練習であったり、YouTube用の演奏動画の撮影であったりの、自己責任の生活習慣によるものだったと判明したものの、再発の可能性もある事から、現在でも、血液サラサラ薬の、お世話になる羽目に陥っています。一方、膵臓の検査は、出張先で「硬水に当たって下痢になった」にも関わらず、初診で膵臓を疑われた流れで、今でも半年に1度の検査を実施しています。

2021年になっても、私のヤマハのギターレッスンや、YouTubeへの動画アップは続いていましたが、コロナ禍で、各種イベントに制約があるギター教室から、徐々に気持ちが離れつつありました。そんな時、1987年から2002年頃までは、趣味の中心にあった「アマチュア無線」に、デジタルモードがあるのを知り、遽に興味が出て来ます。そのデジタルモードを使うと、それ以前には経験した事が無かった、自宅での運用が可能になる要素がありました。

私がアマチュア無線を開局した1987年は、大阪府箕面市の、マンション2階(借上げ社宅)に住んでいたので、必然的に、移動運用専門の局にならざる得なかった事情がありました。その後、転勤した香川県高松市でもマンション2階(借上げ社宅)だったので、移動運用専門が踏襲されました。1991年に地元広島にUターンしたものの、仕事で出張する事が多く、出張先では運用する事も叶わず、車移動する際に、ハンディ機で運用する程度にアクティビティも落ちていました。

そして、高台の戸建てから転居した2017年にも、奇しくも、リノベーションマンションの2階と言う数奇な運命を辿ります。ただ、その頃には、アマチュア無線を再開する事は全く考えておらず、そのワードさえ頭にありませんでした。例え、エレベーターが故障しても、出入りに不自由しない「ベストな2階」程度の認識でした。話を戻します。アマチュア無線のデジタルモードは、1階であっても2階であっても、アマチュア無線の運用を可能にするシステムを秘めていました。

その方法とは、自宅のWi-Fiを利用して、アマチュア無線のインターネット回線に接続。その回線を利用して、遠方の無線局と交信すると言うものでしたが、自宅のWi-Fiを使用する時点で、「これは、無線と言える?」と言う疑問符でしたが、「2階で運用出来るなら良いじゃん」と、それは敢えて封じ込めたのでした。そんな頃、家内から「ところで、アマチュア無線はもうやらんの?」と言う、降って湧いた様な、千載一遇の有難い言葉尻を捉えた輩は、直ぐに言い放ちました。

「その内には再開する予定よ!」と。この家内の一言を免罪符にした輩は、2022年に再開局する為に、ひたすら機材を買い進め、2022年の2月1日に20年の時を経て、再開局に至りました。しかし、ここで家内のメスが入ります。それは、趣味にお金を掛け過ぎと言う至上命令で、エレキギターを辞めるか、アマチュアを辞めるかの2者択一でした。これにより、コロナ禍でイベントも悉く中止の憂き目に遭い、既に心が離れつつあった、ヤマハの音楽教室との決別でした。

2017年に定年退職する前の現役時代には、身長180cm弱、体重80kg弱の体躯で、全国各地に出張していましたが、熱帯魚 ⇨ エレキギター ⇨ YouTube動画と、インドア趣味に注力した所為か、とにかく、怠惰な生活が身に付いてしまいました。アマチュア無線も、登山して無線するのでは無く、車ありきで移動運用をするので、インドアと何ら変わりませんでした。それにより、体重が増加の一途を辿る事になりました。

正に、あれよあれよと言う表現が、ピタリと嵌まるやばい事になってしまいます。そして、2025年7月に罹患した、新型コロナウイルスでも、この事は、重症化候補の一因になったと考えています。そのコロナも、退院後には後遺症と思しき症状に悩まされていましたが、それが、漸く沈静化した今、遂に増え過ぎた体重をリセットする為に、具体的なアクションに打って出る事にしました。それは、あるインターネット記事によるものでした。

とは言え、これまでにも、漫然と体重増加を容認していた訳ではなく、内服薬やサプリメント、健康器具を使用したり、直近ではチョコザップにも通ってました。しかし、目に見えての改善には、程遠いと感じて足が遠のいていました。そんな中、「フラフープダイエット」と言うスキルに辿り着いた事で、起死回生とも言える目標を見出して、早速、購入する事にしました。購入に当たっては、フラフープにも種類が複数ある事を知りました。

その中でも、より動画数が多かった「スプリングフラフープ」を購入する事にします。しかも、ダイエットが目的であれば、「重さ」も重要と言う事を知り、1.5kgのタイプを購入しました。フラフープをするのは、初めての経験でしたが、現在、絶賛苦戦中なんですね。家内は、最初こそ直ぐに床に落下させていましたが、その内には、徐々に回せる様にもなり、現在では、時間は知れてるものの、連続で100回以上も回せる様に進化しています。

しかし、私はと言えば、未だに最初の段階で躓いており、TikTokの動画を参考にしては、自主練習しています。このダイエットは、お腹の脂肪に、直接的に効果が期待できるものだけに、何とか、出来る様になりたいと考えていますが、今の状況が続く様では、ダイエットも夢のまた夢ですね。同じ1.5kgモデルを使用中のユーザーも、苦戦してる人も多く、励みにする部分もあったりしますが、同類相憐れむでは進歩が無いので、とにかく、回せる様になってスタートラインに立ちたいですね。
Posted at 2025/08/24 20:14:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月18日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その19

千葉旅行とコロナ顛末記 その19結局は、リカバリーするまでに1週間を要してしまい、そのトラウマから、頭痛の兆候を少しでも感じたら、直ぐにEVEを飲むと言う事を心掛けていました。そんな時に、出会ったのが、ピップエレキバンでした。当初は、磁気が、肩凝りに効果があると言う事には、懐疑的なスタンスでした。ですから、最初の頃は、ピップエレキバンとEVEを併用して、頭痛を抑え込む様にしていました。実際、即効性のあるEVEに対して、徐々に磁気が凝りをほぐす様なピップエレキバンには、その効果の違いには、確固たる優劣がありました。頭痛薬とピップエレキバンの併用では、頭痛が幾分かは軽減されたとしても、それでも残ってしまう頭痛に対しては、簡便に使用できる頭痛薬を安易に使ってしまい、当初は、ピップエレキバンは付け足しの様な、立ち位置にしか過ぎませんでした。

頭痛の大半を封じ込めていた頭痛薬を、ピップエレキバンとの併用であっても、結局は、「飲み倒す」と言う極端な手法を多用していては、いずれは、頭痛薬が効かなくなる様な、最悪の未来も想像した事から、ピップエレキバンに、完全にシフトする方法の、検証を始める事にしました。最初に考えた事は、頭痛の兆候を感じ取った時に、ピップエレキバンを貼る事は同じでしたが、貼る部位に効果が期待できるピップエレキバンでは、その数量に問題があるのでは?と考えて、その際には、「これでもか!」と言う程に、両肩から首まで貼り巡らせる事にしました。その為に、ピップエレキバンを追加購入しました。繰り返し、再使用できる、貼り替えシールの存在も、私の検証を後押ししてくれました。しかし、その方法でも、頭痛の悪化速度には、到底、追いつく事は、出来ませんでした。そこで、考えついたのは、首や肩のストレッチでした。

それは、あるキッカケがありました。頭痛の兆候を感じ取ったある日の就寝時、ピップエレキバンを両肩や首の周辺に貼り巡らせた後、たまたま、両腕を頭より高い位置に挙げて、枕の下で両手を組んで寝た事がありました。その時は、季節的には寒い時期では無かった事もあり、偶然に、起床するまで、枕の下で組んだ手は解けずにいたのですが、いつもであれば、頭痛の悪化速度にピップエレキバンの効力が追い付かず、頭痛の痛みは幾分かは解消されているものの、頭痛の解消には程遠い状態になるのが常でした。しかし、そのタイミングでは、何故か、頭痛は消え失せて、しかも両肩の肩凝りも無くなり、スッキリ感が半端ない、気持ちの良い朝を迎える事が出来たのでした。しかも、ピップエレキバンを貼った場所が、痒く感じる頃には、両肩の血行が回復した証であり、実際でも両肩のしこりは消失していました。

この成功体験から、両肩のストレッチが「肩凝り=頭痛」に有効と考えた輩は、常に両腕を挙げて就寝する様になった事は言うまでもありません。しかし、就寝直後には挙げていた両腕も、時間の経過と共に、下に降りている事は普通にあったので、どうしたら、両腕を頭の上に固定する事が出来るのか?が、一番の関心事になっていました。ある時は、両手を軽く縛ってみたり、枕の下に、両手を敷いてみたり、あるいは、枕の様に頭の下に敷いてみたりしました。すると、いつの間にか、両腕を挙げて就寝できる癖が出来たのか、就寝時には、無意識レベルで両腕を挙げて寝る様になっていました。しかし、冬場が大変でした。両腕を挙げる事で、寒さを直接感じてしまう為、上半身にダウンジャケットを着込んで、両手には手袋をすると言う徹底ぶりで、せっかく、状態化しつつあった両腕を挙げる癖をキープしたのでした。

その、ピップエレキバン+両肩ストレッチのお陰で、長年に渡り、苦しめられて来た「頭痛」は元より、酷い肩凝りからも、嘘の様に解放されて、快適な生活を取り戻す事が出来たのでした。そんな事から、コロナの後遺症にある「倦怠感」が、肩凝りに伴う体調変化に似通っていると感じた私は、実際にも肩凝りがあるのを感じて、退院後のある日、追加で最新型のピップエレキバンを購入して、徹底的とも言える程に、両肩や首に、ピップエレキバンを貼り巡らせたのでした。そして、就寝時にも、両腕を挙げて寝るストレッチを敢行したところ、身体の怠さは鳴りを潜めてくれました。病院でも、このストレッチ睡眠法は実践していましたが、コロナ重症化のプレッシャーもあったのでしょう。病院では、真に眠る事は出来なかった様でした。それの証拠に、7月20日の午後からは、昼寝が必須で、4日間程、死んだ様に惰眠を貪っていたからでした。

一方で、嗅覚・味覚障害ですが、近隣の耳鼻咽喉科で処方して頂いた漢方薬である「当帰芍薬散」が、効いてくれたのか、自前で購入した亜鉛サプリが効いてくれたのか、1週間後の8月1日の受診時には、体感的には7割程度は回復した様に感じました。更に1週間後の8月8日には、ほぼ9割程度には回復してくれました。その割合は、感覚的なものには違いが無いのですが、私の中のアバウトな基準としては、スーパーカップアイスクリームと、天狗のビーフジャーキーにあったりします。既に味覚障害を起こしていた病院で、売店で買ったスーパーカップアイスクリームの味に記憶があり、その時の味との比較で、割合を述べているのですが、残りの1割は、いつもは感じるバニラ感を微妙に感じる事が出来なかった事で、9割と表現したのですね。その感覚はビーフジャーキーもしかりだったりします。ちなみに嗅覚の方も、味覚障害に準じて改善されています。

とは言え、自己判断のアバウト9割では、ほぼ完治したと言えると思いますね。嗅覚・味覚障害がいつまで続くのか、全く見通しがつかない状況だっただけに、短期間に回復出来た事は、本当に嬉しい出来事でした。ただ、僅か11日間の入院生活でしたが、緊急入院時には、その時点で、脱水症状により、かなりの体力が削がれていた様で、千葉旅行以前の体力にリカバリーするには、まだ時間が掛かる事から、本来なら7月末から8月1日に掛けて、マイカーで千葉に行こうとしていた計画も、8月2日には、長男や長女を巻き込んで、千葉から仙台に日帰りで行く計画も断念して、一切合切を家内に託しました。私が断念した事により、大人1人分の交通費と、コロナ入院の生命保険料も合わせると、広島から千葉までの旅費と、千葉から仙台への、5人分の日帰り旅行に掛かる経費の、何割かに充当する事が出来たので、それはそれで良かったと自画自賛しています。

それから、直近の関心事と言えば、「お盆に比叡山でQRVする事は可能か?」言う事が、専ら夫婦間の問題になっていました。私が家内に対して、「コロナ後遺症も治りつつある」と言う主張は、お盆に比叡山でQRVしたいが為の詭弁である!と言うのが、家内の主張であり、何か言う度に、上記の布石と、捉えがちな姿勢には閉口していましたが、これだけの酷暑の中、日陰の無い比叡山の山頂駐車場での、QRVにはリスクがある事も確かな事だったので、取り敢えずは、8月9日に予定していた、田舎の山の中腹に建立している、先祖代々の墓所の清掃や親戚の挨拶回りでの、私の立ち振る舞いで判断しようと言う話になりました。しかし、この日は絶好の曇空で、気温も安全圏だったにも関わらず、大した働きも出来ずに、玉砕した輩がいました。それにより、車での、お盆の京都帰省は無くなり、当然として比叡山運用も無くなり、自宅で1人過ごす事に相成りました。

田舎の親戚には、お中元とお歳暮の時期には、欠かさず訪問しているのですが、今回、訪れた際には、ご主人から、コロナ初期に罹患した際に、患った嗅覚・味覚障害が、未だに治ってない話をお聞きして、僅か2週間余で回復した奇跡に感謝したのでした。一方で、家内は新幹線で帰省する事にして、8月12日の昼前に自宅を出発しました。私はと言えば、9月の初旬には、絶対に外せない、イベントも控えていたので、お盆のQRVは仕方ないと諦めて、ゆっくりとお盆期間を過ごす予定にしています。絶対に外せない、イベントとは、某SNSを介して実施される「オフ会」で、私が幹事をしている為、例え、這ってでも参加しないといけない、大切なイベントでした。家内としては、その外せないイベントを優先させずに、お盆に比叡山でQRVする事で、背負い込む恐れのある「疲労」であったり、不慮の事故を回避する意味合いで、「比叡山でのQRVは辞めとき!」と主張しているのでした。

しかも、その場所が京都の某所で実施予定なので、お盆には比叡山でQRVしない代わりに、9月初旬のイベントが無事に終了して以降は、比叡山でQRVする事が許されたのでした。それから、7月25日に、アイコムのリペアセンターに、内蔵時計のバックアップ電池の交換依頼として、送付したIC-7300Mですが、8月の初旬に返送されて来ました。その前日には、リペアセンターから修理完了の知らせと、翌日には代金引換で送付する旨の電話を頂きましたが、その修理明細書を見ると、私が記入したメールアドレスが、表記されて無かった事から、これは、私が記入したメールアドレスが読み取れ無かったと判断して、以前に、アイコムのリペアセンターの対応を糾弾した姿勢を反省したのでした。代引きの料金は4,950円で、行きの送料の1,470円と合わせると、6,420円の交換費用となりました。
Posted at 2025/08/18 14:39:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月17日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その18

千葉旅行とコロナ顛末記 その18それから、ピップエレキバンの適用にプラスして、就寝の際には、両腕を上に伸ばして、場合によっては、頭の下に敷くイメージで、寝る様にも気を付けました。これは、両肩のストレッチ効果を期待しての方法でした。退院した7月19日は、それ程でも無かったものの、7月20日の午後からは、「病院での睡眠は何だった?」と思える程に、食後になると、決まって睡魔が襲って来た事で、午後からは、夕方まで、ガッツリと寝てしまう事が続きました。それは、7月20日頃から7月24日頃まで続きましたが、病院での睡眠不足が解消されたのか、徐々に昼寝をしなくても午後からも活動できる様になりました。

そんな中、7月25日には、近隣の耳鼻咽喉科を受診して、嗅覚・味覚障害や倦怠感といった、コロナの後遺症の様な症状で苦しんでいる事を伝えたところ、ファイバースコープで、鼻や口の中を観察した後、「味覚障害は、嗅覚と密接に関係しているので、嗅覚が戻れば、自然と味覚障害も改善されるでしょう」と言われました。一方で、倦怠感の方は、血の巡りを改善する「当帰芍薬散」を1週間分、処方して頂きましたが、日本医事新報社のWEBサイトには、コロナ後遺症の嗅覚異常に対して、当帰芍薬散を処方するのは、漢方スッキリ方程式であると書かれていました。更には、味覚障害には亜鉛も有効と知り、ネットで亜鉛サプリを1ヶ月分購入したのでした。

上記から、受診した近隣の耳鼻咽喉科の医師は、嗅覚にも効果を期待する事が出来て、尚且つ、身体の血の巡りの改善も図り、倦怠感の改善も同時に達成すると言う、漢方薬のパワーに期待して、処方して頂いたと思うのですが、嬉しい事に、最初の1週間で、倦怠感は、ほぼ無くなり、嗅覚・味覚障害も、徐々に改善されて来ているので、改めて、漢方薬+亜鉛サプリの効果に期待しています。コロナに罹患する前は、コロナに対しては、無頓着なレベルにまで麻痺していました。そこで、2度と罹患しない為に、マスクにコロナが付着すると、直ちに不活性化する、化学会社が作った「最強マスク」10枚セットを購入してしまいました。150回以上、洗濯しても効果が持続すると言う謳い文句で購入した次第です。

「2度とコロナウィルスに罹患したくない」と、考えて購入した、最強マスクは、購入時期が連休前だった事もあり、7月24日になって、漸く、到着しました。直ぐに室内で使用を開始して、主に宅急便の対応用としての役割でしたが、屋外で初めて使用したのは、7月26日の夕方からでした。その日は、孫が通う幼稚園の盆踊り大会があり、長男夫婦は「コロナの病み上がりだから、無理はせんといて!」と言ってくれていましたが、私達にとっても、孫の盆踊り大会は、重要なイベントだったので、頑張って参加したのでした。しかし、現実は過酷でした。退院後に初めて経験する、長時間の歩きに、息絶え絶えになりながら、半端ない汗を掻いて、何度も休憩した輩がいました。

そんな中、最強マスクの生地が、汗で目詰まりを起こしてしまい、最強マスクを装着した状態では、呼吸が出来ない状況に陥ってしまいました。その日は、交換用の最強マスクを持って来てなかったと言う不手際があり、仕方が無いので、人が居ない場所では鼻マスクを多用して、電車とか人が周囲に居る場合には、頑張ってマスクの中で、口呼吸をして凌いだのでした。その反省から、最強マスクの予備は、必須事項である事を、遅ればせながら悟り、追加で4枚洗濯して、常時、1枚は使用して、残りの4枚は予備で持ち歩く様にしました。洗濯回数も記録する様にして、今後は失敗しない様、自分を戒めたのでした。それにしても、汗っかきは、余計な事に神経を使ってしまいますね。笑 

そして、7月29日の状況です。7月27日には、コロナで入院中だったY病院のベッドサイドでも、ベッドへの昇降時には、腰に負担を与えない様に、特に注意を払っていたのですが、いきなり左腰に違和感を感じて、ロキソニンテープを貼って、腰のサポーターをきつく巻いたものの、恐れていたギックリ腰を発症してしまいます。それにより、7月29日は、朝の8時頃から、家内に駅前でタクシーを拾って貰って、私が待機していたマンションの角地まで誘導。その後は、恐る恐る乗車して、広島駅の新幹線口にある、いつもお世話になっているK整形外科で、「仙骨ブロック注射」を中心に、左腰の痛い部位に直接注射するブロック注射を3箇所、注射して貰いました。仙骨ブロック注射は、ギックリ腰にとって、最適の処置と信じて疑わない輩の駆け込み寺でした。

しかし、注射する場所が、尾てい骨の近くと固定されている仙骨ブロック注射はともかくとして、痛みがある部位に直接注射して、痛みを軽減させるブロック注射は、注射直前に、自らが左腰周辺を押して確認して、打って貰った場所が、翌日の7月30日になっても、まだまだ痛みを感じてしまい、打つ場所を間違えた事を悟りました。7月29日には、上中下の3箇所にブロック注射を打って貰いましたが、どうも、自己申告した場所と、実際に痛い場所には、微妙な乖離があった様でしたが、腰の全体に効果のある仙骨ブロック注射が、その間違えた部位もカバーして、痛みを軽減してくれる事を祈ったものでした。それに、K整形外科で処方して貰っている、ギックリ腰の時には、何気なく飲んでいたトラムセット、ロキソニンの痛み止めと、ロキソニンの効果を倍増させると言う、ノイロトロピン錠の存在も心強いと感じていたのでした。

それから、コロナ後遺症の一方の雄である「倦怠感」ですが、以前には、常に隣り合わせの状態で、散々に苦しめられていた、肩凝りに起因する頭痛であったり体調不良が、コロナ後遺症の「倦怠感」と酷似している事に気付き、その時の対処療法を実践した次第です。平成の初め頃から、幾度となく悩まされて来た「頭痛」の原因が、「肩凝り」だと知るまで、ケロリンをはじめとした頭痛薬は、私にとっては、命を繋ぐ必需品でした。これは、決してオーバーな表現では無く、その頃の手法としては、「とにかく、頭の痛みが無くなるまで飲み倒す」と言う愚策でした。ケロリンが効かなくなった頃、エスエス製薬のEVEが発売されて、それが効いてくれた事で、親の仇のように多用して行きました。ある時には、最初に2錠飲んだものの、効かなかったので、恐る恐る4錠を追加して、それでも駄目だったので、6錠ものEVEを追加した事がありました。

そして、車の中で横になっていたところ、後ろの車のクラクションで飛び起きたら、胃の中で溶け始めていたEVEが、口から飛び散ってしまい修羅場った事もありました。そんな笑い話の様な出来事も日常的に起こっていました。その頃の私は、頭痛の原因が肩凝りから来るものも、中にはあると、薄々、感じていたものの、手っ取り早く頭痛を解決出来るのは、頭痛薬以外には無いものと諦めていました。ある時、頭痛薬が手元に無くて、やむなく、頭痛を放置せざる得ない状況に、陥った事がありました。最初は頃は、とにかく頭が重くて、何をするのも億劫になっていましたが、その内には、目の奥底がジンジンして来たと思ったら、涙が止まらなくなって、そうなってしまうと立っている事も出来ず、遅ればせながら飲んだ頭痛薬も効かずで、寝て治すしか方法がありませんでした。
Posted at 2025/08/17 10:16:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月16日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その17

千葉旅行とコロナ顛末記 その17退院日の7月19日は、身の回りの整理を済ませて、11時前に病院に到着した家内と合流。病院の会計で精算を済ませてから、タクシーで広島市西区の自宅に戻りました。タクシー内では、感じなかったものの、至る所で臭っていた柿渋の臭いの正体が、自分自身の嗅覚障害だったと知ったのでした。知ったキッカケは、柿渋とは無縁の自宅でも、柿渋の臭いを感じた事もありましたが、父の日で貰った、天狗のビーフジャーキーを食べた時の味が、思っていた味とかなりの乖離があった事で、それまでの違和感が単に自分の嗅覚・味覚障害が招いた事だと知ったのでした。

ここに至って、漸く、嗅覚・味覚障害の有無を把握した稚拙な輩が、そこにいました。翌日の7月20日にはやる事がありました。それは、マイカーに関する事と、アマチュア無線に関する事でした。マイカーは、リヤに後付けしたドライブレコーダーのSDカードの初期化でした。2週間スパンで初期化するのが、いつものルーティンだったからでした。アマチュア無線に関しては、IC-7300Mの、内蔵時計のバックアップ電池の劣化に関する事でした。移動運用専門ゆえに、1ヶ月に2度程度、定期的に通電する事で、内蔵時計の電池を保護していたのですが、急な入院で、そのサイクルが、途絶えてしまっていたからでした。

駐車場には、家内も着いて来る事になりました。まだまだ、足元がおぼつかない輩を、いくら近い駐車場と言え、単独に行かす訳にはいかないと言うのが、その理由でした。その後、駐車場に到着すると、運転席に乗り込んでエンジンを始動させてから、ハッチバックに設置しているドライブレコーダーのスイッチを押して、専用のWi-Fiを起動すると、iPhoneのアプリ内で、ドライブレコーダーの初期化を実施しました。次に、再び、運転席に乗り込んでエンジンを停止させると、開けているハッチバックの方に向かって、トランク内に収納しているIC-7300Mのケースを開けて、無線機本体とシガーケーブルを取り出しました。

続いて、IWASHN GP-50ポータブルバッテリーのケースからも、ポータブルバッテリー本体を取り出して、シガーソケットに、シガーケーブルを挿入して、反対側の電源コネクターをIC-7300Mに接続して、IC-7300Mの電源を入れました。直ぐに、内蔵時計の時刻を確認したところ、00:00に戻ってしまっていて、入院している間にバックアップ電池が、逝ってしまった事を知りました。移動運用専門で楽しんで来た事で、自宅でも安定化電源を持って無かった輩は、これまで、定期的にIC-7300Mの内蔵電池をバックアップする為に、1ヶ月に2度程度、トランク内で、IWASHN GP-50ポータブルバッテリーや、NBC BL-50TXポータブルバッテリーを使用して、通電を実施して来ました。

しかし、00:00の表示を見て、遂に命運尽きたって感じで、一旦は諦め掛けたものの、もしかしたら、通電していたら、ひょんなことから、内蔵電池が復活するかも?と稚拙にも考えて、その後、一晩に渡り通電して、翌朝に現実を知るのでした。通電用に置いていたポータブルバッテリーの電池容量は残っていましたが、内蔵時計の時刻は、前日に見たままの「00:00」でした。仕方ないので、トランク内に収納していた、キャリーカートを取り出して、IC-7300Mのケースに、無線機本体とシガーケーブルを戻し、IWASHN GP-50のケースにも、ポータブルバッテリー本体を戻してから、キャリーカートに載せました。そして、キャリーカートを引っ張って自宅に戻ったのでした。

 そして、自宅に戻ると、改めて「内蔵時計が果たして必要なのか?」を考えて、iPhoneのSafariに「IC-7300Mの内蔵時計の意義」と入力して検索してみたのでした。すると、SafariのAI回答が「IC-7300Mの内蔵時計は、主にログの記録や、自動シャットダウン機能、スキャン機能、タイマー機能など、様々な機能で利用されます。これにより、運用効率の向上や、より快適なアマチュア無線運用をサポートします」と書かれていた事で、遂には諦めて、アイコムの紀ノ川市にあるリペアセンターに送って、修理するしか無いと考えて、7月25日に送付したのでした。送付に当たっては、これでもか!と言う程に手厚く包装して、クロネコに集荷に来て貰って送付した次第です。配送料が1,470円で済んだのはラッキーでした。

送付に当たっては、IC-7300Mの専用ケースとして使用中の、SK-11 SPB-470BKケースに収納して、開閉レバーもガムテープで開かないように固定。更には、周囲をダイソーのプチプチで囲って、大判セロテープで固定しました。自画自賛ではありますが、「完璧」に梱包したと思っていたところに、肝心要の修理依頼書を忘れていた事が発覚しました。仕方ないので、プチプチの表面に、プチプチ素材のポケットを貼り付けて、その中に、修理依頼書を入れてから大判セロテープで封入したのでした。その状態で、サイズと重量を計ると、100サイズに収まってくれて、重量も10kg以内に収まってくれたのでした。それにより、上記のリーズナブルな配送料と相成りました。、

今回、アイコムのリペアセンターに送付してみて、不満材料を述べるとするならば、修理依頼書には、電話番号もメールアドレスも記入しているにも関わらず、荷物が到着したら、「修理品を受領しました」程度の、連絡があって然るべきと思うのですが、何も無いのが不思議ですらあります。これは、修理が終わって、代引きで送付されて来る時にも、何も無いパターンだな。と思いましたね。修理費用は、ネットの情報から点検料: 3,300円(税込)部品代:220円(税込)送料 :1,320円(税込) 総合計: 4,840円(税込、荷造送料込)+行きの宅急便代1,470円の、6,310円程度になるかと考えたものでした。

話をコロナの後遺症に戻します。嗅覚・味覚障害よりも深刻な症状としては、強い倦怠感がありました。それは、肩凝りや首凝りから来る、偏頭痛にも似た症状でもありました。それを受けて、選んだ対処療法としては、ピップエレキバンに頼ることでした。とにかく、ピップエレキバンを両肩、両首付近に貼りまくりましたが、これらに用いたエレキバンは、既に20年以上は、繰り返し使用してる物でした。そんな中、最新型のエレキバンにも興味が出て来た事から、新たに、200ガウスのエレキバンが、24個入った製品も購入しました。しかし、結論から言いますと、首や肩に貼りまくる方式においては、新旧のエレキバンに大した違いが無い印象を持ちました。
Posted at 2025/08/16 10:39:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月15日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その16

千葉旅行とコロナ顛末記 その16隔離病棟の個室から移った4人部屋は、実質的には3人部屋でした。しかも、7月18日に退院される方が隣りのベッドに居られて、7月18日の午後からは、血液検査の結果次第にはなりますが、退院予定の7月19日の午前中までは、2人部屋になるのも決定してました。その2人部屋になった時には、もう1人の患者さんは寝たきりで、しかも、入口の右側に居られたので、私のベッドは、その反対側の窓際にあったので、雰囲気的には、ほぼ個室状況でした。そんな中、周辺の片付けが終了してからは、隔離期間が終了した輩は、早速、売店に行く事にしたのでした。

Y病院の売店が何処にあるのか、全く分からなかったので、病室の近くにいた配膳係の女性に、売店の場所をお聞きしてから向かいました。売店では、甘いチョコレートを買う気満々でしたが、生憎、ガーナチョコレートのブラックしか置いてありませんでした。仕方なく、それを購入する事にして、他には、横綱あられとアイスモナカを購入してから、病室に戻りました。病室に戻って、ベッドサイドに座って、アイスモナカから食べ始めましたが、実は、その時には、ある異変が起こっていたのですが、食べる事に必死な輩は、全く、その事に気付いていませんでした。

少し話を遡り、隔離病棟での個室最終日の7月16日には、入院して、2回目となる入浴を敢行していました。その時に使用した「柿渋シャンプーと柿渋ボディーソープ」の臭いが、浴室から出た後も、病室に充満してると、絶えず感じていた私は、後から考えると、その頃から嗅覚と味覚障害が起こっていたのです。リハビリが開始されてから病室外に出る事になってからも、病院内全域にも、柿渋の臭いが漂っていると感じていた私は、看護師さんや家内に対して、柿渋の臭いの話をしていました。しかし、その答えは否定的だったのでした。

再び、話を売店から病室に帰って来た時に戻します。購入したアイスモナカは、冷たさは感じるものの、バニラの味は、かなり薄いと感じました。その時は、久し振りに食べたから、そう感じたと思いましたが、明らかに、味覚障害を起こしていたのでした。ガーナチョコレートもしかりでした。日頃から、馴染みの無いブラック味だったから、苦さも甘さも薄く感じたのだと思い、辛うじて、2個は食べたものの、後は看護師さんに進呈したのでした。そう考えると、病院食も本来の味からは乖離した味として食べていたのでしょうね。

7月17日のリハビリは、作業療法士さんが、若い女性に変更になっていました。変更は1日だけの様でしたが、この作業療法士さんは、思いの外にスパルタで、足漕ぎマシンも負荷を掛けた上に、「速度が遅いですよ!もっと速度をキープして!」と檄を飛ばされ、時間は、いつもと同じ10分間だったにも関わらず、精も根も疲れ果てて、更には階段も登らされて、病室に戻りました。その甲斐あってか、眠剤は使用したものの、21時過ぎから就寝してぐっすりと寝る事が出来ました。それでも、深夜にトイレで1回起きたものの、朝のバイタルチェックで起こされるまで、ぐっすりと眠る事が出来たのでした。

この日は、翌日の7月19日に、退院する事が出来るか否かを最終判断する、最終の血液検査が実施される日でした。そんな日に合わせた様に、ぐっすり眠れた事はラッキーでした。この日の血液検査は、前回とは違って食事前に実施されました。その検査結果は、前回と同様に、昼前に齎されましたが、主治医は、大切な面談が重なってるらしく、忙しいと言うので、検査結果を持って来てくれたのは、看護師さんでした。検査結果としては、RCP値が7月14日の「4.47mg/dl」から、更に下がった「1.85mg/dl」にまで落ちてくれていて、「7月19日に退院する事を許可する」と言う文言が添えられていました。

それを受けて、気を良くした輩は、またしても、売店に行き、スーパーカップバニラと塩味のプリッツ。東ハトの、オールレーズンを買って来たのでした。昼食が届く前に、速攻でスーパーカップを食べ進めたものの、ここぞと言うバニラ感が無く、全体的にとても薄く感じられたのでした。プリッツの塩味も、オールレーズンの甘さもしかりでした。しかし、自分が味覚障害に冒されているとは、これっぽっちも考えていませんでした。しかも、院内全域に漂う、「柿渋の臭い」にも閉口していたのでした。その臭いは、とても嫌な臭いでした。

7月18日のリハビリは、前日に担当した若い作業療法士さんから、前日は、私用でお休みだった作業療法士さんに、戻る事は分かっていましたが、血液検査の結果が順調で7月19日の退院が決まった事で、前日の過酷なリハビリは勘弁とばかりに、生粋の横着な輩は、ある秘策に打って出る事にしたのでした。それは、昼食が済んだら、即、ベッドに横になり、看護師さんが呼び掛けても、作業療法士さんが呼び掛けても、耳栓とアイマスクを使用して、ひたすら、爆睡を続けて、あわよくば、リハビリをスルーしてしまおう!と言うものでした。

しかし、この稚拙な計画は、看護師さんの強制的なバイタルチェックによって打ち砕かれ、その直後に来た作業療法士さんにも捕まってしまいました。結局は、Y病院での最後のリハビリは、16時前から通常メニューでスタートして、17時前に終了したのでした。その日の夜は、眠剤無しで寝ようと試みたものの、結局は、眠剤のお世話になったものの、熟睡とはならずに朝を迎えました。しかし、自宅でなら、充分に寝る事が出来ると踏んで、睡眠不足も気になりませんでした。
Posted at 2025/08/15 10:23:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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