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老人ギタリストもどきのブログ一覧

2025年06月13日 イイね!

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その4

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その4そんな中、取り敢えずは、選んだ写真をベースにして、「誰でもQSL」のワンウェイのアップロードを急ぎ、それが済んでからは、前日と同様に近くのジムを制覇して、ポケモンを配置しました。途中で夕食と入浴を挟みつつ、持って来たノートパソコンで、低速のネット環境ながら、時折、配置したポケモンもチェックして、それなりにネットサーフィンを楽しみました。そして、前日と同様に、0時を過ぎてからアメブロにアップして就寝しました。

2025年2月2日の朝も、6時半に起床して、7時過ぎには、家内の実家を出発しました。この日の朝は、前日の夜から降り出した雨が、早朝には止んでいたので、ラッキーとも言える朝でした。広島の自宅で見た時の予報では、2月2日は雨の予報だったので、何か得した気分で満たされていたのでした。コンビニに立ち寄り、ランチ用の菓子パンを買い求めてから、比叡山ドライブウェイの料金所を目指しました。

比叡山ドライブウェイの料金所では、前日と同様で、車止めが中途半端な位置にありましたが、勝手知ったる我が家ではありませんが、車止めの直近を通り過ぎてゲートに入って、チケットを受け取ってから、坂道を登りました。すると、下界では雨だったものが、比叡山では雪だった様で、ドライブウェイの道路上には、雪が残っている場所が散見されました。そんな中、スタッドレスの私の車は、山頂を目指して登り続けていました。

比叡山の山頂駐車場に到着すると、そこは駐車場一面に雪が積もっていました。そんな中、前日に駐車した場所よりも、更に奥まった場所に駐車する輩がいました。駐車位置が決まってからは、粛々と準備を開始しましたが、この日は、前日とは違って、29FMと50FMでも電波を出すつもりで、AH-705チューナーの準備と、アンテナの周りにも、第一電波工業製のMAT-50も設置して、CR8900アンテナと接続させました。

前日と同じで8時40分頃から、29FMでCQを連続して発出していると、8時52分に、京都府城陽市を移動中だった既知のJH3/3局から、コールバックがありました。うっかり、そのまま、メイン周波数で交信をしてしまいます。交信途中でJH3/3局から、メイン周波数で交信してる事を告げられたものの、そのまま突っ走って、終わりかけに、ローカル各局に謝辞を送って終わりました。その後は、コールバックが無かったので、50FMにQSYしました。

51.060MHzを確保して、メイン周波数でCQを発出。再び、51.060MHzに戻ると、9時4分に大阪府松原市の、既知のJE3局から、お声掛けがありました。続いて、9時14分には、29FMでも繋がった京都府城陽市移動から、京都府宇治市移動に変わっていた、JH3/3局からコールを頂き、JH3/3局が、京都市山科区の仕事先に現着するまで交信が続きました。その後は、9時48分に、大阪府吹田市のJQ3局からコールバックがありました。

JQ3局の交信終わりには、10時8分に滋賀県大津市の既知のJE3局からコールバックがあり、交信がスタートしたものの、私の車から右手に50mくらい離れた場所に駐車した、車の屋根にモービルアンテナが設置してあるのを見た事で、大いに慌てる輩がいました。最初は29FMと50FMに浮気したものの、メインに位置付けていたのは、430MHz-FMだったので、折角、先に比叡山に来たにも関わらず、先を越されてしまうと考えて焦ったのでした。

同じ周波数の同じモードでQRVする場合には、比叡山同士では、被り合ってしまい、使い物にならなくなる事は、経験値としてあったからでした。私は、JE3局に仔細を話して謝罪して、急いで430MHzのFMモードにQSYしました。430MHzのバンド内を一巡してみましたが、それらしい局は居なかったので、間に合ったと考えて、大いに安堵したのでした。すると、先程まで交信していたJE3局からお声掛けがあったのでした。

10時41分には、前日に引き続き、京都市伏見区を移動していた、既知のJK3/3局よりコールバックがありました。JK3/3局からは、私が所有するコメットのCLA-45パワーブースターに、興味があると言われたので、それならと、「誰でもQSL」を使って、CLA-45に13.8Vを供給しているNBC BL-50TXが2台と、並列アダプターBL-50PAの写真、CLA-45の近影、車内の写真を交信記録と共に送る事を約束したのでした。

その後は、10時59分にコールバックがあった、神戸市灘区六甲山に、移動していたJP3/3局を皮切りにして、15時59分に繋がった、京都市北区にある、船岡山に移動していた、既知のJS3/3局との交信まで、11局と交信しました。何故、前日と同じ様な時間帯で終了にしたのかと言うと、前日に経験した、タイムスケジュールでは、16時過ぎに終了して撤収して家内の実家に帰っても、割とタイトなスケジュールになったからでした。
Posted at 2025/06/13 16:22:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月12日 イイね!

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その3

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その38時58分にコールを送り交信がスタートしました。早速、JF3/3局にQSOパーティーの話を振り、JARLにはサマリーシートとログシートを送付した件を話すと、「あの時は、貴局とは交信出来なくて残念でした」と思いも寄らぬ話になって、戸惑います。私のログには、9時2分に交信した記録を残していましたが、それは、9時4分に繋がった京都市伏見区の既知のJK3/3局から、推測した時間だったのですが、完全な誤認だったのでした。

JARLには、1月2日と3日で97局の交信記録を提出しましたが、JF3/3局との交信がノーカウントになった事で、96局の交信となりました。JF3/3局との交信が終了してからは、私もCQを出す為に、バンド内を探していると、433.180MHzが空いている感じがしたので、入念に周波数チェックを敢行。空き周波数と確信してから、メインでCQを出してから433.180MHzに戻り、9時22分に大阪市西成区の既知のJP3局との交信がスタートしました。

9時28分に大阪府枚方市の既知のJG3局との交信を挟んで、10時8分に繋がった滋賀県大津市由美浜に移動されていた、JP3/3局との交信終わりに、それは起こりました。突然、「J〇3〇〇〇局!この周波数は4エリアのYL局が使ってますよ!」と言う声が入感したのでした。その交信は私には聴こえていませんでしたが、「それは、すいませんでした。QRTする事にします!各局!これにて周波数オープンします!」と宣言したのでした。

CQを出したいのは山々でしたが、大多数の違法局の狭間で、細々と交信するアマチュア局と言う構図で、おいそれとCQを出せない状況の中、CQ局にコールを送る形で、3局と交信した頃、とある周波数で、私の話をする局の声を聴きました。その内容は、「さっき比叡山の移動局が、周波数を使ってると言われてQRTしよったけど、あの局、真面目な人なんやろうな。ワシやったら、こっちも、早よから使うとるで!と返すんやけどな」でした。笑

11時が過ぎた頃、433.040MHzに空き周波数を見出して、本格的にCQを発出する事にします。11時9分に、京都市伏見区のQSOパーティーでは2局目の9時4分に繋がった、既知のJK3局の後、11時15分に繋がった大阪府高槻市のJQ3/3を挟んで、11時23分に繋がった大阪府枚方市のJO3/3局との交信の最中に、それは起こりました。「J〇3〇〇〇局!すまんけどパワーを絞ってくれる?QRTまではせんでもええから!」

続けて、「比叡山みたいな高いところから、電波出されたら、ワシのとこでは消されてしまうさかい、ゴメンやけどパワーを下げてくれる?こちらはJ〇3〇〇〇!」と言うものでした。それに対して、またしても「分かりました。すいませんでした!パワーを絞りますわ!」と答えて、2.5ワットまで出力を絞ったのでした。その後は、パワーを10ワットに固定して、16時2分に愛知県日進市のJE2局との交信まで、16局と交信しました。

JE2局のひとつ前の15時48分に繋がった、三重県津市にある青山高原に移動していた、JJ2/2局との交信中にも、ある出来事がありました。それは、JJ2/2局の交信中に、やたらと被って来る違法局がいたのですが、その信号強度が59オーバーだった所為で、JJ2/2局にマイクを渡したタイミングでは、やたら、違法局同士の会話が、JJ2/2局の声に被さる様に、入感して来たのでした。それが、最悪の59オーバーだったのでした。

その会話は以下の内容でした。「青山高原やて」「青山高原って、三重県にあるんやな」「そうやな、津市にあるらしいな」「しっかし、比叡山の局、まだ終わらんのかいな」「せやな、早よ終わればええのに」等々でした。JE2局との交信は、違法局の被りも影響していたのか、とても厳しいものだったので、JARL経由のカード交換を約束してからは、割と早目に交信が終わりました。交信が終わってからは、暫く静かにしていました。

それが可能だったのは、JE2局の後にコールバックが無かったからでしたが、件の違法局が早速、声を出して来ました。「やっと終わったみたいやな」「ほんまやな」「この周波数は、ワシらがいつも使うとる所やからな」等々。この会話を聴いたからには、QRTするしかありませんでした。後ろ髪を引かれながら、粛々と撤収を開始した私でしたが、後から思った事は「430MHz帯が駄目なら、HF帯や50MHz帯にQRVすれば良かった」でした。

この日に交信したのは、比叡山での運用では少ない方の26局でした。家内の実家に戻ってからは、先ずは、比叡山で撮影した写真のチェックに入りました。その写真は「誰でもQSL」に使うものでしたが、自宅で使っているiMacでは、写真のどの位置でも、自由にコールサインを挿入する事が出来ましたが、家内の実家に持って来たノートパソコンは、苦手なWindowsだったので、単に写真をアップする事しか出来ませんでした。
Posted at 2025/06/12 11:18:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月11日 イイね!

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その2

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その2近くの酒屋の駐車場に車を入れて、またしても家内が徒歩で向かったのでした。高校時代の先生に無事に金柑を手渡ししてからは、ひたすら京都市左京区岩倉にある義母が入院する病院を目指す事にします。京都外環状線から油小路を経て、国道1号線(五条通り)に乗った私でしたが、そこで痛恨のミスを遣らかします。うっかり右折してしまい、あろう事か、大渋滞の河原町通りに入り込んでしまったのでした。

本来であれば、国道1号線(五条通り)を突っ走り、道幅が広く、走り易い堀川通りまで行ってから右折するべきでしたが、河原町通りに突入してしまった所為で、牛歩の歩みレベルの進み具合に無駄な時間を過ごす事になりました。そこで、このまま、河原町通りを北進するのも、得策では無いと考えて、漸く辿り着いた四条通りを右折する事にしたのでした。しかし、この四条通りも悲惨でした。四条通りでも牛歩は変わりませんでした。

四条通りは、私が知る昔の通りでは無く、歩道を広げる為に、極端に狭くなっていて、ここでも、半端ない渋滞になっていたのでした。しかし、もう選択肢は無かったので、ひたすら、烏丸通りに到達するまで我慢の時を過ごしました。その後は、烏丸通りを右折して北進し、北山通りから宝ヶ池自動車教習所の側を通過して、宝ヶ池トンネルを通り、宝ヶ池通り沿いにある「ガスト宝ヶ池店」で遅めの昼食を摂りました。

ガスト宝ヶ池店には、近くにある同志社中学・高校の学生で一杯でしたが、それに合わせてか、料理の価格帯がリーズナブルでした。次に行く場所は、義母が入院する、京都市左京区岩倉の病院だけだったので、面会時間の開始時間である14時を睨んで、時間調整しながら、ゆっくりとランチタイムを過ごしました。そして、13時半が過ぎてから、ガストを後にして、義母が入院する病院に向かいました。病院に着くと、丁度、14時でした。

14時から15時過ぎまで病院にいた私達でしたが、その後は、家内の実家に向かいました。家内の実家に着いてからは、玄関横の応接間に荷物を運び入れ、駐車場に車を駐車してからは、応接間に陣取って、持参していたノートパソコンを広げつつ、早速、近くのジムを制覇して、ポケモンを配置して、ジムを死守しつつ、途中で食事や入浴タイムを挟みながら、0時過ぎまでジムを制覇してから、某SNSにアップしてから就寝しました。

2025年2月1日は、朝の6時半に起床して、洗面と朝食を済ませて、家内の実家を出発したのは、7時半頃でした。途中、コンビニに立ち寄りランチ用の菓子パンと調理パンを購入。北白川別当交差点から、山中越えルートに入りました。そして、比叡山ドライブウェイの料金所に到達した時、信号が赤色に点灯して、ゲート前には車止めがしてある姿に愕然とします。予想では、赤信号でも問題なく、ゲートは開くと考えていたからでした。

料金所の10m手前で思案していたところ、滋賀県方向から車が来たかと思うと、車止めは無視してゲートに突入。チケットを受け取って、登って行ったのでした。私は、えっ?車止めはどうなってる?と思いながらゲートに近付くと、私が登って来た方向から見ると、しっかりと遮断されてる様に見えていた車止めが、逆の方向から見ると、車止めが開いている様に見えていたのでした。それを見た私は、遅ればせながら車をゲートに入れたのでした。

ゲートでチケットを受け取った私は、ゆっくりと坂道を上がって行きました。8時過ぎに比叡山の山頂駐車場に到着した私は、年末年始にQRVした際に駐車した位置よりも、更に奥まったエリアに駐車する事にします。それは、山頂駐車場のバス停やトイレ、ガーデンミュージアムの方向にある、山に遮られて、いつも高槻市方向や神戸市あたりとの交信が厳しいので、ワンチャン繋がるかも?と言う胸算用があったからでした。

この日は、1月初旬に戦列に加わった、NBCのBL-50TXバッテリーと、BL-50PA並列アダプターの、比叡山デビューの日と決めていた事もあり、コメットCLA-45パワーブースターをメインにして、430MHzのFMモードでQRVすべく準備を進め、8時40分頃からバンド内のワッチに入りました。比叡山で確認すると、この日の430MHz帯は、空きが無い程に、無線を仕事で使う違法局で、溢れ返っていました。

これが地上の局同士であれば、近隣に来ない限りは影響は無いと思いますが、800m以上の標高がある比叡山においては、全ての周波数が埋まっている上に、同一周波数においても複数の局がQRVすると言う状況が見て取れました。そんな中、同じ様に、大阪府交野市の山に上がられていた、既知のJF3/3局のCQが、433.020MHzで出されました。この局とはQSOパーティーでは一番最初に交信した局と言う認識でした。
Posted at 2025/06/11 09:26:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月10日 イイね!

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その1

無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その12025年1月31日は、2月1日と2日の土日に比叡山で移動運用する気満々で、京都市左京区にある家内の実家に、車で帰省しました。例年、節分の頃には、家内が1人で、新幹線で帰省するのが定番となっていましたが、それにはある理由がありました。それは、節分の日に京都市上京区にある「福勝寺」において、縁起物の扇子や瓢箪の販売があり、それを購入する為に、わざわざ帰省していたのでした。

福勝寺で販売される縁起物の扇子と瓢箪は、「宝珠尊融通御守(ほうじゅそんゆうずうおんまもり)」と呼ばれている、所謂、「融通の神様」とも呼ばれている扇子や瓢箪でしたが、毎年節分(2月3日)に販売されている縁起物のお品でした。2025年の節分は、2月2日と定義されていましたが、福勝寺では、あくまでも2月3日が、節分であると説明されており、実際に2月3日に縁起物の扇子や瓢箪が販売されていたのでした。

何故、2025年の節分は2月2日なのかと申しますと、立春は2月4日であることが多いのですが、「2025年暦要項」によれば、2025年の立春は「2月3日午後11時10分」になっており、「立春の前日」と定義されている節分も、それにより、1日早まり2月2日となったのだそうです。しかし、福勝寺における節分は、それらの理由とは関係なく、毎年、2月3日が節分となり、その日は決まって、縁起物の扇子や瓢箪が販売されるのでした。

節分の日には、京都市上京区にある福勝寺には、縁起物の扇子や瓢箪を求めて、千人以上の人が参拝して、普段は小さく閑静な境内が、大勢の参拝者で大変な賑わいを見せるのでした。「宝珠尊融通御守=ほうじゅそんゆうずうおんまもり」とは、福勝寺の歓喜天(聖天)を、大寒より7日間に渡り、二十一座ご祈祷した扇子や瓢箪のお守で、弘法大師空海が、日本に伝えた「如意宝珠の修法」に由来するそうです。

如意宝珠とは、一切の願いが、自らの意の如く叶う不思議な宝の玉で、多くの人々の諸願を成就させることによって、仏の徳を顕そうとしたものです。宝珠を二つ重ね合わせると、瓢箪の形になることから、「ひょうたんのお守」として親しまれるようになったそうです。その「融通の神様」である瓢箪を、昔から家内の両親も購入して来た歴史があり、それに習ってではありませんが、家内も購入する様にしているのでした。

そんな私も、家内に感化された訳ではありませんが、何か良い事であったり、万事上手く行った時などは、「融通の神様のお陰やな」と、互いに声を掛け合う事により、福勝寺の瓢箪の御利益を確かめ合っているのでした。そんな福勝寺との付き合いでしたが、数年ほど前から、家内の友人からも、一緒に購入して欲しいと言う依頼が舞い込む様になり、毎年、家内が購入するついでに、友人の分も購入する様にしていました。  

福勝寺には、2025年の1月初旬には、メールで予約の一報を入れてあり、後は当日に購入するだけになっていました。話を戻して、2025年1月31日は、先ずは京都府宇治市の高校からの友人宅と、家内の高校時代の先生宅へ、私の田舎にある畑で採れた「金柑」を、お裾分けする為に、向かう事が最初の目的でした。高校時代の先生には、既に12月にも、一度送った事がありましたが、あるなら欲しいと言われた事で、今回も持参する事にした経緯でした。

しかも、京都府宇治市の高校時代の友人と先生宅に立ち寄った後に、向かう場所も既に決まってました。その場所とは、家内の実母(私にとっては義母)が、腰の治療の為に入院していた、京都市左京区岩倉の病院に立ち寄る事でした。しかも、その面会時間は、14時から16時の間と決まっていたので、1月31日の出発時間を考えた時、途中では、何が起こるか分からないとして、時間が余ったところで、幾らでも調整が可能と考えて、朝の6時出発としたのでした。

2025年1月31日の朝6時過ぎに、自宅を出発した私達でしたが、8時前には福山サービスエリアに到着していました。福山サービスエリアでは、マクドナルドの朝メニューを朝食にして、再び、京都府宇治市に向けて出発しました。新名神高速道路を経由して、宇治市宇治蔭山の友人宅近くに到着したのは、約束の時間よりも1時間半程早い、11時半頃でした。その日は、多分、午後からになると言っていたので、友人が在宅してるか不明でした。

友人宅の前の道が狭路で、通行し難い事は判明していたので、近くのスーパーの駐車場に車を停めて、家内が電話をすると、運良く友人が在宅だったので、家内が徒歩で金柑を渡しに向かいました。金柑を渡し終わった家内が車に戻って来たので、今度は改めて、先生宅にも電話をしてみると、先生も在宅だったので、先生が住む宇治市五ヶ庄平野に向かう事にしました。Googleナビに促されて到着すると、友人宅と同じで車では行き難い所でした。
Posted at 2025/06/10 15:48:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月09日 イイね!

年末年始の京都帰省(2024.12.30〜2025.1.4) その6

年末年始の京都帰省(2024.12.30〜2025.1.4) その68時過ぎに起床して、階下にある洗面所に向かうと、トイレの掃除をしていた家内から、既に1日延びる事を決定した事を告げられた私は、それならもっと早くに対応出来たかも?と考えたものの、それは、後の祭りの話でした。その後は、速攻で準備を進めて、9時半過ぎには、家内の実家を出発しました。途中では、いつもの様に、コンビニにも立ち寄り、ランチ用の菓子パンと調理パンを購入してから、比叡山を目指したのでした。

10時過ぎに、比叡山の山頂駐車場に到着した私は、1月2日に選んだフェンス際の区画から、それ以前の運用では、常に、運用場所として選んでいた、駐車場の中央付近に車を駐車しました。運用体制は、ニューイヤーパーティー2日目として、再び、430MHz帯のFMモードでの交信でした。SWRの調整後、サブの周波数を確保して、メイン周波数でCQを発出して、サブの周波数に戻ると、奈良県の大和高田市の移動局からコールバックがありました。

比叡山で移動運用した際には、過去に比叡山で繋がった局の、紙ログを持っていたので、それを確認したところ、大和高田市の移動局JQ3/3局のコールサインが無かった事から、初めて繋がった局との認識でしたが、いきなり、私の名前を呼ばれた事で、2nd-QSOだと知る事になります。しかし、その時は、2024年11月の最終更新版に、記入漏れした局だと、盛大に感違いした輩がいました。しかし、その後の会話で大晦日に繋がった局だと知ったのでした。

その後も連続で呼ばれたものの、ニューイヤーパーティー初日の反省から、時折、トイレ休憩を挟みながら、トイレ終わりには、早目に昼食も済ませて、余裕を持って交信を楽しんだのでした。この日も終了時間を、夕暮れが迫る17時頃と決めていましたが、例え、真っ暗闇になっても常に常備しているネックライトがあるので、撤収作業には問題ないと考えていた事もあり、17時を回っても安心感を感じていました。

ところが、肝心要のネックライトが、まさかのバッテリー切れで大いに慌てます。しかも、車外に出てみると、強風が吹いており、気温もかなり低いと感じて、急いで、ダウンジャケットを着用しました。肝心要の光がないと、撤収作業も儘ならないので、取り敢えず、適当に片付けて、翌朝にでも改めて整理をしようと気持ちを切り替えて、暗闇の中、撤収作業を急ぎ、比叡山の山頂駐車場を後にしました。途中では、夜景目的の、何台かの車と行き交いました。

比叡山ドライブウェイの料金所から、山中越えの道に降りると、運悪く、バスが先頭にいて、バスの後には、長蛇の列が出来ていました。漸く、白川通りまで降りて来た頃には、前日よりも30分程度、遅くなっていました。それにより、家内の実家に戻った時には、夕食直前にもなっていました。この日の交信では、JARLのカード交換が18局。誰でもQSLのワンウェイ送信が5局。JARL+誰でもQSLワンウェイも5局。ノーカード2局の合計30局でした。

翌日には、確実に、広島の自宅に戻る事は決定していたので、モバイルバッテリーやポータブル電源の充電は、自宅に帰ってからでも良いのでは?と思う気持ちがあったものの、それでも、ドンデン返しがあったりして?と姑息にも、往生際の悪い輩がそこにいました。いつもの様に、「誰でもQSL」にアップする写真を吟味しつつ、充電も時折、チェックしながら、ゆったりした時間を過ごして、ポケモンが0時を越したタイミングで就寝しました。

2025年1月4日は、昨夜、妄想したドンデン返しも特に無く、粛々と帰り支度が進んでいました。それでも、1月3日に移動する場合には、午後からの出発予定だった事もあり、1月4日も同じと考えていた私は、家内に「午前中は、交信記録の整理をするよ」と告げると、「それでは間に合わん!」と言われてしまいます。そこで、ハッと思い出した事がありました。1月4日に帰宅したら、長男家族が会いに来ると言うものでした。

と言うのは、年末から順番にインフルエンザに罹患していった長男家族に対して、最初はクリスマス会を中止する事から始まり、最後は、京都帰省を諦めさせるところまで行きましたが、クリスマス会を中止した時点で、孫2人に買っていたプレゼントを長男に預けた際、ついでに、お年玉も預けていたのですが、お年玉は、1月4日に帰った時に、連れて行くから、直接、本人に手渡して欲しいと言われていたのでした。

ですから、1月3日であれば、お年玉を手渡すイベントは翌日の1月4日だったので、夜までに帰れば良かったのですが、イベント当日の1月4日では、家内が主張する通りで、午前中に出発するのが、当然の話だったのでした。その後は、予定通り「辛うじての午前中」に出発する事が出来ました。そして、夕方に到着したタイミングで、家内が連絡を入れると、長男家族が車で来たので、車の窓越しにはなりましたが、無事に手渡しが出来た次第です。

2025年1月14日は、比叡山でニューイヤーパーティーに参加した時の「合計97局との交信ログシート」と「サマリーシート」を記入して、翌1月15日にJARLQSOパーティ係宛に郵送する予定です。その際、記念ステッカーは希望しないつもりです。と言うのは、今回、比叡山で正月にQRV出来たのは、単に長男家族がインフルエンザに罹患した事で、京都に帰省する話が無くなったと言うイレギュラーでの運用だったので、この様な機会は2度と来ないと言う理由からですね。
Posted at 2025/06/09 13:20:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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「無線ありきで帰省した京都(2025.1.31〜2.3) その4 http://cvw.jp/b/3142171/48483492/
何シテル?   06/13 16:22
★老人ギタリストもどきです。どうぞ、宜しくお願いします!! どうせ老い先短い身の上ならば、素人でも楽しまなくちゃ!!とyoutubeデビューしました。...
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