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老人ギタリストもどきのブログ一覧

2024年12月18日 イイね!

宇根山至幸院・銭壺山でQRV その1

宇根山至幸院・銭壺山でQRV その12024年9月15日は、広島県三原市にある「宇根山至幸院」に移動運用に行って来ました。宇根山至幸院でのQRVは、2024年5月11日以来でしたが、その選択には、台風13号の影響が絡んでいました。元々は、広島市安芸区にある「絵下山」か、絵下山は人気の移動地だったので、もし無線局が、被ってしまったなら、広島県呉市にある「灰が峰」辺りでも問題無いと考えていました。
 
この上記の二つの移動地には、トイレが完備されている事も、移動運用にとっては、重要な要素でした。と言うのは、比叡山やいつもの公園、心霊スポットの峠道では、単独行動を許されている私でしたが、それ以外では、お目付役の家内との同伴行動になるので、トイレの有無は絶対でした。しかし、天気予報アプリで確認すると、広島市内は台風の影響を受ける予報でした。
 
そこで、思い切って、三原市に活路を見出したと言う経緯でした。2024年9月15日は、いつに無くスロースタートでした。10時過ぎに自宅を出発して、11時半過ぎに現地に到着しました。この日は、4.5mのポールには、鼻から、ナガラのデュアルバンド八木アンテナDO-2B8を、揚げる予定だったので、IC-705をダッシュボードに配し、後部座席にCAT-283チューナーを準備しました。
 
ナガラDO-2B8アンテナは、29FMの移動サービスデーの9月8日にも、総重量が増える事には目を瞑り、アンテナのブームの逆方向に、アルミパイプを伸ばして、バランスを取る為に、水の入ったペットボトルを、アルミパイプにぶら下げると言う方法を試しましたが、それが、割と順調に回転してくれたので、場所を変えての再検証を兼ねた、移動運用とした次第です。
 
準備を終えて軽く昼食を摂った後、1st-QSOとなったのは、12時38分に430MHz-FMでのCQにコールバックしてくれた香川県善通寺市移動のJF5/5局でした。続いて、12時48分には、山口県光市のコバルト台地に、福岡コンテストで泊まりがけで来ていた既知のJA4/4局でした。この2局とは、誰でもQSLのカードもどきを、ONE-WAYで送る事の了承を頂きました。
 
430MHz-FMのコールバックが途絶えたので、サブ周波数をクリアして、144MHz-FMにQSYしました。すると、13時10分に、岡山県小田郡矢掛町に移動していたJR4/4局との交信がスタートしました。この局とはJARLでのカード交換となりました。13時36分には、広島県廿日市市を移動されていたJR4/4局から、コールバックがあったものの、サフィックスが取れない状況に、突然、救世主が現れました。
 
私が戸惑って、アタフタしていると、私のスーパーローカル局であるYouTuberのJJ4局が、「〇〇さん!この局のサフィックスは、D〇〇さんですよ!」と教えてくれたのでした。私はJJ4局にお礼を言って、JR4/4局に改めてコールを送りました。すると、JR4/4局からもコールが送られて来て交信がスタートしました。その交信終わりに、突然、ある事を思い出したのでした。
 
そのある事とは、このJR4D〇〇/4局は、私が20年振りにD-STARで再開局した、2022年2月1日の21時19分に、交信した局だった事を思い出したのでした。私は4エリアで交信した局は、随時更新する、紙ログで持っているのですが、このJR4D〇〇/4局は、D-STARの紙ログには記載してありましたが、不幸にも通常運用の4エリアの紙ログには記載していませんでした。
 
このJR4D〇〇/4局は、私が20年振りの交信でもあり、D-STARのシグナルレポートの送り方さえも、儘ならない状況に、懇切丁寧に教えてくれた方でもありました。しかも、最近になって、その時のQSLカードが届いた事で、よりJR4D〇〇/4局のコールサインが、記憶に残っていたお陰で、思い出す事が出来たのでした。私は、「廿日市レピーターで、お世話になった方ですよね?」と、不躾に問い掛けていました。
 
JR4D〇〇/4は、「確かに、廿日市レピーターはいつも聴いています。でも貴局が言われた事は覚えていません」と言われた次第です。この局の後には、助け舟を出してくれたJJ4局に、メイン周波数で呼び掛けて、直ぐに応答してくれたので、13時43分に交信がスタートしました。その後は、コールバックが無かったので、気まぐれ的に144MHz-SSBを覗いて見ました。
Posted at 2024/12/18 20:19:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月30日 イイね!

松枯れした「松の木伐採」その4

松枯れした「松の木伐採」その42024年11月6日は、会社時代の同僚であるKさんが、10月24日に倒した、松の木のアフターフォローと、松の木以外で、倒れると電線に接触する恐れのある、別の木を切るために、再び、来てくれました。前日には、「明日は、秘密兵器を持って行きます」と、LINEに書いてあったので、何か、画期的な装置でもあるのかな?と考えていましたが、11月6日の8時過ぎに到着したKさんの傍には、会社時代の同僚であった、Oさんの姿がありました。Oさんとは、所属する部署が違ってはいましたが、出張工事の際には応援に来てくれたり、逆にOさんが所属していた部署に、応援に行ったりしていたので、割と知ってる仲ではありました。そんなOさんでしたが、リタイヤ後は、仕事を含めて何もしてなかった様で、そんな時に偶然、街でKさんと再会して、Kさんに誘われるままに、一緒に、スポーツセンターのプールに、行く様になってると言う話でした。

Oさんは独身でしたが、現在は、叔父さんと一緒に暮らしている様で、その叔父さんも、私が入社した時は、総務部長だった方で、私もよく知ってる方でしたが、その後、退職して起業されていました。しかし、昨年に脳出血で、目に影響が及び、両目が見えなくなったと、今回、Oさんからお聞きしました。奥さんも亡くされているので、甥っ子のOさんが、たまたま一緒に暮らしていた事で、発症した時にも、助けになったそうでした。話を戻して、11月6日のKさんは、この日は、これまでの作業には、同伴していたお目付役の先輩が居らず、単独行だった所為なのか、朝からノリノリで、いつもに増して積極的に伐採に励んでいました。Oさんは、10月24日に放置して帰った、既に伐採して地面に落ちていた、枝木の運搬をひたすら実施していました。私と言えば、自前のチェーンソーを使って、伐採して積み上げられた枝木を細断していましたが、度々のエンストに嫌気が差し始めていました。

チェーンソーのエンジンも、中々、掛からない状況に、遂に諦めた私も、Oさんに合流して枝木の運搬に勤しむ様になっていました。すると、いきなりオバさんが現れました。片言の日本語から、日本人では無い事は分かりました。注意深く聞いていると、「床下にある、物干し竿を貰って良いか?」と言ってる様でした。その竿は金属製でしたが、既に錆だらけだったので了承すると、「古い電工ドラムも良いか?」と更に言ってきました。その電工ドラムも長年に渡り、床下で忘れ去られたもので、古ぼけたものだったので、差し上げる事にしました。更には、錆だらけの草刈機まで出て来ました。それらの物は、築山を覆っていた樹木が、その存在を隠していたものでした。それが、外から見える様になって姿を現したのでした。私からすると、全て不要なものだったので、差し上げる事にしました。すると、駐車場方向から、日本人らしい年配男性が、笑みを浮かべて現れたのです。

そして、オバさんが床下から取り出して来た、物干し竿や、電工ドラム、それに草刈りを、持つと駐車場の方向に消えて行ったのでした。私が駐車場の方を見ると、いつの間にか、廃品回収の車が駐車しており、その年配男性は、その荷台に物干し竿や、電工ドラム、草刈機を投げ込む姿が見えたのでした。オバさんは、更に離れの外にある霧ヶ峰の室外機に目をやり、「これもいいか?」と言って来たので、全力で断った次第です。とは言え、これからも霧ヶ峰エアコンの出番は無く、電気も何年も切っているので、再び、通電するとなると、ショートして、火災が起きないとも限らないのですが、あまりの厚かましさに閉口して、拒絶したのですが、基本的には空家ですから、その内には、コッソリと運びだされてしまうかもですね。廃品回収業者の男女が、夫婦なのか、社長と従業員なのか、知る由もありませんが、築山の樹木を伐採した事で、全ての物が丸見えになったのでした。

その後、10時になり、皆で休憩していると、Kさんが、「電線に掛かる立木は、あらかた伐採したので、これから、松の木の細断に入りますね」と言ったので、「どのくらいのスパンで切断出来そうですか?」と尋ねると、「根元に近い部分は、持って来たチェーンソーでは厳しいですが、頑張りたいと思います」と言って貰えたのでした。そして、Kさんは、早速、松の木の先の部分から、1mちょいの間隔で、細断を開始したのでした。細断が終了したのは13時前でした。1m強の間隔でカットして貰いましたが、その状態でも、おいそれとは、移動出来ないくらいの重量がありました。今後は、ダメ元で、ジモティとかの「取りに来る人にあげますコーナー」に投稿して、切った枝木や、細断した松の木の、始末を付けたいと妄想していますが、それがダメなら放置して腐るのを待つか、燃やすしかありませんが、現実的なのは、放置するのがベストでしょうね。

Kさんと、秘密兵器のOさんの、11月6日の報酬は、ファミレス「ジョイフル」の、ハンバーグの洋食セットで、勘弁して貰いました。昼食後は、江田島市にある宿泊施設で、日帰り入浴が可能な「ウミノス」で、入浴してから、フェリーで広島に帰る予定のKさんとOさんとは、ジョイフルで別れて、早瀬大橋と音戸大橋を経由して、陸回りで、広島の自宅に帰りました。自宅に到着したのは、15時を少し過ぎた頃でした。
Posted at 2024/11/30 00:06:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月29日 イイね!

松枯れした「松の木伐採」その3

松枯れした「松の木伐採」その3そして、何本かの枝木を切ったところで、電動ノコギリのバッテリーが切れてしまいました。DさんはKさんに指示して、軽トラに置いてある予備のバッテリーを取りに行ってもらう間、背負っていたナップザックをロープに固縛して、地上に降ろしていました、Kさんが予備バッテリーを持って戻ると、予備バッテリーをナップザックの中に入れる様に指示します。最頂部からロープを引っ張り、ナップザックを回収したDさんは、電動ノコギリのバッテリーを交換して、再び、伐採作業に入りました。

その後、全ての枝木の伐採が終わったDさんが、途中で引っ掛かっていた枝木を落としながら、慎重に地上に降りて来たタイミングで、Kさんが合流して、遅めの昼休憩となりました。2人は、近くのコンビニに昼ごはんを買いに出掛け、私も朝イチにコンビニで購入していた、オニギリと菓子パンを頬張って、暫しの休憩タイムとしました。短めの休憩の後で、Kさんから、「これから、切断作業に入ります」と言う言葉があったので、私も物置きから、椅子を取り出して、その動向を注視する事にしました。

しかし、その後、私の予想外の事が起こります。その直前までは、松の木の根元を切断するのは、熟練者のDさんで、間違いないと考えていた私に、冷や水を浴びせ掛ける光景を、目にする事になるのでした。それと言うのは、松の木の計測に入ったのは、熟練者のDさんでは無く、半年前までは、会社勤めしていた元同僚のKさんだったのでした。切断作業を担当するのはDさんだと思い込んでいた私からすれば、正に寝耳に水の出来事でした。しかも、ただ単純に切断すれば良いと言う話ではありませんでした。

松の木は、車用のゲート方向に少し傾いており、しかも、その方向の上部には、中国電力の電線が走っているので、切断の理想的な方向としては、正面ゲート(門)の方向に向けて斜め左に倒す必要があり、おまけに、正面ゲートから古家の玄関に掛けてには、2007年に母親が終の住処としてリフォームした際に、水洗トイレを導入する為に、浄化槽が作られていて、その上に倒す訳にも行かないので、浄化槽と橙(だいだい)の木の間のスペースに、ピンポイントで倒す精密な技術が必要でした。

そんな重責をKさんが担うと言う事実に、居ても立っても居られない輩がそこに居ました。Dさんと言えば、自分の仕事は終わったとばかりに、悠然と構えてお茶を飲んでいましたが、一応は、Kさんに対して、アドバイスをしてる風ではありました。しかし、私にとっては気が気では無く「Kさんに、切断を任せるのでは無く、Dさんが切断してよ!担当してよ!」と言う、怒りにも似た、何とも言えないモヤモヤした葛藤が、心の中の大勢を占めていました。

一方で、Kさんは、松の木の周囲にマーキングすると、何度も、倒さなければならない方向を、指差しながら確認していました。そして、チェーンソーを取り出してエンジンを掛けると、徐ろに、松の木を切断し始めたのでした。ある程度の深さに到達してからは、倒すべき方向の上側にもから、斜めに切り込みを入れる作業に注力し、それが完成してからは、裏側にも切れ込みを入れて、その場所に3箇所の楔(くさび)を打ち込んだかと思うと、ハンマーで順番に叩き始めたのでした。

しかし、最初のアプローチでは、松の木は少し揺れたものの、倒れるまでには至りませんでした。Kさんは、一旦、3箇所に設置していた楔(くさび)を外して、再び、チェーンソーで追い込み掛け、再度、楔を打ち込んだところ、今度は、ミシッ!ミシッ!ってと言う異音と共に、松の木が傾き始め、ドーン!と言う地響きを伴って、松の木が倒れたのでした。しかも、倒れた位置は、シュミレートしていた通りの、浄化槽と橙(だいだい)の木の間と言う、正にミラクルの位置でした。私は思わず、感嘆の声を上げました。

それと同時に、Kさんの技量を完全に疑っていた自分を反省したものでした。Kさんは、定年退職してから、ボランティアで某森林組合の伐採作業に従事していましたが、師匠のMさんに指導を仰ぐ中で、理論と実践を通じて習得していた成果が、今回の松の木の切断と、理想的なピンポイントの位置に倒すと言う快挙により、高い次元で、結実した瞬間に立ち会えたのでした。Kさんは、Mさんに見せる為の写真を、切り株の側でDさんが撮影していましたが、その後でKさんに不幸が訪れます。

その不幸とは、Kさんの両足の太腿の内側が、いきなり攣り出したみたいで、足を引き摺りながら、車に戻って、足攣りの特効薬である芍薬甘草湯を飲み、更には塩飴も頬張ったものの、足攣りが一向に改善され無かった事から、私に対して、「〇〇さん!ゴメン!今日は、これ以上は作業出来そうも無いわ!また、後日、もっと大きなチェーンソーで松の木を細断するね!」と言ったので、それを了承した私は、Kさんの太腿の内側が「攣った」の原因に対してある確信を得たのでした。

それは、私も、以前、仕事中に熱中症の熱痙攣を経験した事がありましたが、その所為かは、本当のところは、判明していませんが、その熱痙攣の発症以降、ほんの僅かな塩分不足であっても、足が攣るように体質が変わったのでした。つまり、熱中症のハードルが下がってしまったイメージですね。それ以降、私も、芍薬甘草湯は手放せなくなっていますが、今回のKさんも、私が経験して来た様に、熱中症へのハードルが下がってしまった事で、暑い日でも無いのに症状が出てしまったと考える事が出来たのでした。

その後、徐々に、足攣りが治って落ち着いて来たKさんを促して、今回の伐採の謝礼金を手渡しました。その金額は、Kさん、Mさん、Dさんに対して、1人当たり幾らと言う金額でしたが、あのまま業者に頼んで、松の木の高さの電線に接触しない長さ(約3分の1程度)にしか切ってくれず、おまけにKさんのグループに支払った金額の倍額を支払っていた事を考えると、9月1日と23日の事前の伐採作業を含める上に、後日、松の木の細断作業にも従事してくれるアフターフォローを、気持ちで実施してくれる、Kさんには頭が下がる思いで一杯になりました。

10月29日にKさんからLINEが来て、11月6日は天気らしいので、松の木の細断作業をしたいのですが、都合は良いですか?と連絡が来ました。それよりも先に、倒した松の木の細断作業は、11月の中旬にどうでしょう?との問い掛けがあった際、11月の15日から18日は、京都に行く予定があると伝えていたので、それを踏まえて、11月6日を指定して来た流れですが、その際には、今回は10月24日の様にお任せの傍観者ではいけないので、私もKさんの作業に追随して頑張りたいと考えています。
Posted at 2024/11/29 00:32:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月28日 イイね!

松枯れした「松の木伐採」その2

松枯れした「松の木伐採」その2次に、KさんからLINEで連絡が入ったのは、10月20日の日曜日でした。それによると、松の木の切断を予定している日の、天気予報を確認したKさんが、10月23日の雨の予報を憂慮して、最終的な決定を10月22日の夜にさせて欲しいとの事でした。しかも、何故か、メンバーから熟練者であり、Kさんの師匠であるMさんの名前が消え、当日は、Kさんと高所作業専門のDさんの2人で来る事になっていました。それを読んだ私は、根元からの切断は、熟練者のMさんが担当するとばかり考えていたので、未知の熟練者のDさんが高所作業も切断も担当するのだろうな。と漠然と考えたものでした。

その後、10月22日の夜なってKさんからLINEの連絡が入りましたが、10月23日は雨の予報だった事で、作業日は、翌々日の10月24日に決定すると書かれていました。しかし、翌日の天気は、予報が変わっていて、江田島市は雨の予報ではありませんでした。とは言え、既に予定は動いていたので、変更する事は出来ません。これが、私達が主導する、いつもの草刈りであれば、状況に応じて、フレキシブルに、七変化が可能な話だったのですが、今回ばかりは、Kさんのグループ在りきの作業でしたから仕方ありませんでした。

10月24日は、前日の10月23日に、近所のスーパーで買い求めていた、「お清めで使う2リットルの清酒」と、「ダイソーで購入した伯方の塩」、それに、気温も低めだったので、私と作業者2名分を考慮して「ドラッグストアで購入した大塚製薬のOS-1」を3本持って、陸路で7時前には現地に到着していました。その後、古家の鍵を開けて、中で作業着に着替えて、お清め一式を持って松の木の袂に向かいました。それから、松の木の周囲もとより、周辺の木々にも、お清めの清酒と伯方の塩を巻き、これまでの感謝をお伝えしました。その後は、古家に戻り、あるテストの準備に入りました。

そのテストとは,以前、YouTubeの挿入動画を見て、思わず衝動買いしてしまった「ワイヤータイプの草刈り機の替刃」が、思っていた程には大きくなく、おまけに、いつも利用しているYahooショッピングでも購入可能な事実に愕然とした、件のワイヤー替刃のテストをする予定でいました。しかし、最初に正面ゲートの門を開けた際、9月1日にも、草刈りをしたばかりだったにも関わらず、種が服に付く雑草が、半端なく伸びていた事で、ワイヤー替刃のテストよりも先に、いつもの草刈り機の替刃のままで、正面ゲートから数メートルの幅の道路脇の雑草を刈ることにしました。

私は、普段は家内が使用している草刈り機を手に取り、地面に置いて燃料をタンクに少量の混合燃料を注ぎ込み、そして草刈りを開始しました。すると、少しの燃料であっても、正面ゲート付近の草刈りでは消費する事が叶わず、敷地内にある車用のゲート近くの雑草も、草刈り機の燃料タンクが空になるまで、草刈りを実施する事にしたのでした。しかし、意外と燃料タンクが空になるのが遅れた為、車用のゲート周辺の雑草を、かなりの広範囲で除草する事になりましたが、これが後になって、ある事の助けになってくれたのでした。

燃料タンクが空になってエンジンが停止してからは、古家に持ち帰り、暫く休憩していると、8時過ぎになって、既に上部に引き上げていた車用ゲートから、Kさんと初対面のDさんの姿が現れました。それを認めた私も、直ぐに駆け寄って、初対面のDさんに挨拶しました。Kさんが、「ゲートの周辺を草刈りをしてくれたんやね。すいませんでした!これから着替えをして、早速、準備に入りますね!」と言って、車用ゲートから駐車場の方向に消えた後、ふと、車用ゲートの方向に目をやると、Dさんが軽トラックを車用ゲートから敷地内に乗り入れていたのでした。

前回は、Kさんの車に同乗する形でMさんは来られたので、今回、車ゲート周辺の雑草を、刈り取っていた事で、Dさんの入場が可能になった事でした。私の生家に隣接する大駐車場は、実は無許可と言いますか、過去には一度だけ、菓子折りを持って挨拶をした事はありましたが、今では、なし崩し的な、無断駐車してる場所だったので、これまでにも草刈りに来た際には、極力、目立たない様に駐車していた事情があり、駐車場も満杯には程遠いキャパシティを持っていたので、そんな事も可能な話だったのですが、今回、Dさんが敷地内に乗り入れてくれたので、私とKさんの車の2台の駐車となり、大いに助かったのでした。

KさんとDさんの作業開始に呼応する形で、古家の軒先で、ワイヤータイプの替刃に取り替えた私は、再び、空になったタンクに燃料を少しだけ注ぎ込み、正面ゲートの右側にある狭いエリアで、草刈りテストを実施する事にします。その場所は、毎年多くの実がなる金柑の木がある場所でしたが、結果としては、YouTubeの動画にあった通りで、割と雑草は、根こそぎ除草できたイメージでしたが、不必要に地面を掘り起こしがちになり、半端ない粉塵が舞うという事態にも遭遇した事で、家内にも、面を購入する事にしました。

一方で、高所作業での伐採作業を専門にしている熟練者のDさんは、軽トラから折り畳みのアルミ梯子を降ろして、松の木に立て掛けて、その上部をロープで松の木に固縛していました。それが済むと、再び、軽トラに行き、荷台に置いていた道具箱からハーネスを取り出して、身体に装着したかと思うと、松の木の側まで戻り、ロープを持って、アルミ梯子を経由して、松の木に登り始めました。一方で、Kさんは、黙々と9月23日に、切ったままで放置していた樹木を、電動ハサミで細断しては運搬する作業を熟していました。

Dさんは、枯れた松の木の、元々の最頂部付近に到着してからは、持って行ったロープを、松の木の中心の幹に縛り付け、下に垂らしていました。松の木は、元々の最頂部から、更に、上方向に複数本の枝木が伸びて約20m弱の高さにまで成長した特異な形状であったので、Dさんは、どのポジションであれば、安全に、作業可能であるかを確かめる様に、最頂部付近のポイントを移動しては、その都度、手足を伸ばして、体勢を確認していました。そして、一定の成果が得られたのか、再び、慎重に地上に戻って来ました。

地上に降りたDさんは、Kさんに何かしらの言葉を掛けてから、再び、軽トラに行き、ナップザックを取り出して、OS-1やタオル等々を詰めてから背負い、荷台に置いていたケースからは、電動ノコギリを取り出して、腰にぶら下げて、松の木の下に戻って来ました。それから、再び、Kさんに声を掛けてから、松の木に掛けてある、アルミ梯子を登って行きました。そして、足場として利用する為に、根元を残した枝打ちを実施しながら、慎重に上部に登って行ったのでした。

Kさんは、Dさんが切り落とした枝を、電動ハサミで細断しながら、少しづつ運搬していました。Dさんは、その後も、慎重に枝打ちをしながら、徐々に最頂部付近を目指して登って行き、遂に最頂部付近に到達した時に、昼の12時を告げるチャイムが周辺に流れました。それを受けて、KさんがDさんに「昼だから休憩しましょう!」と声を掛けましたが、Dさんは続行する旨をKさんに伝えて、最頂部付近から、更に上部に伸びる、複数本の枝木を切り始めました。
Posted at 2024/11/28 00:25:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月27日 イイね!

松枯れした「松の木伐採」その1

松枯れした「松の木伐採」その1その後、Kさんが、9月1日に作成した松の木の大凡の高さや、リアルに測った太さ、それに全体のレイアウト図を見た、ボランティア仲間の熟練者の賛同を得られた事で、正式に請け負ってくれる事になりました。相見積もりという事で、散々に引き伸ばして待って貰った挙句の話で悪いとは思いましたが、苦渋の選択で断りを入れたところ、業者の担当者さんは簡単に「分かりました」と言って頂けたので助かりました。ただ、業者の見積りは、松の木の根元から切断条件ではありませんでした。

それは、様々な業者との交渉の中で、約20m弱の松の木の高さに難色を示す業者が多く、解決策として、枯れた松の木が、自然に倒れても、敷地内の電線に、接触しない高さで切断すると言うように、私が譲歩案を出した事から、以降の業者にも、その前提での話になりました。しかも、切断後の撤去及び廃棄は無しと言う条件にしたにも関わらず、それでも、かなりの高額見積もりでした。近所の親戚からの紹介の業者に至っては、根元からの切断でしたが、他の業者の3倍の見積りを吹っ掛けられた事もありました。

9月23日には、Kさんが、某森林組合のボランティアで知り合った熟練者のMさん(Kさんにとっては師匠と仰ぐ方)を伴って、伐採作業に来てくれると言う事で、9月23日は、9月1日に用意したポカリスエットに替えて、熱中症で救急搬送された病院で推奨された、同じく大塚製薬の「OS-1」を、ドラッグストアで購入準備して、Kさんよりも1時間早く現地に到着して待っていました。9月1日には、ポカリスエットやお茶を、氷バケツに入れて、複数本用意していましたが、それでもKさんが熱中症を発症したので、OS-1にシフトしたのでした。

9月23日に来てくれた熟練者のMさんは、私との挨拶の後、私に伐採して良いエリア(殆ど全てでしたが)を聞くと、「なんか、楽しくなって来たね!」と、Kさんに微笑みかけていました。その後のMさんは、中型のチェーンソーを巧みに操って、その言葉の通りの働きで、次々と敷地内の不要な樹木の伐採に着手していました。一方で、Kさんは主に、Mさんか伐採した樹木を、電動のハサミで、細かく細断しては、フェンス際の廃棄場所と決めた場所に移動させていました。私も微力ながら、Kさんの動きに合わせて運搬作業に従事したのでした。

枯れた松の木は、元々は、玄関横の応接間から、割と離れた場所にある祖母が使っていた「離れ」までの、どの部屋からも、鑑賞可能な築山の一画にある、むしろ、低木とも言える木でしたが、いつの間にか、スクスクと成長して、元々の最頂部から更に枝木が複数本伸びて、約20m弱の大木になっていました。そんな松の木を、根元から切断するには、松の木の周りの樹木はもとより、倒す予定の方向にある樹木は、伐採する必要がありました。既報ですが、Kさんの弁によると、松の木が倒れた際に、樹木があるとバウンドして、枝木の弱い部分が折れて、周辺に飛散して危ないという事でした。

それに伴って、運搬作業に従事していKさんと私は、正面ゲートから玄関に伸びる通路の脇に植えていた、薔薇の木や金柑の木、その他、名前も知らない木々の数々を、私はチェーンソーを使用して、Kさんは草刈り機と電動ハサミを使用して、そのエリアの樹木を一掃する事にして、伐採を開始しました。特に薔薇の木には棘があるので、中々、切ることが出来ませんでしたが、苦労に末に伐採する事が出来ました。その間もMさんは、黙々と、松の木の周辺の樹木の伐採を続け、遂には、松の木の根元も含めて、それまでは、樹木に隠れていた家屋までもが、露わになるレベルにまで、スッキリと伐採が進んでいました。

昼休憩を挟んで、引き続き伐採作業と運搬作業が進められましたが、15時前になり、作業の終了が、Kさんから告げられたタイミングで、Kさんが熱中症になった日にも、Kさんのリカバリー後に、遅めの昼食で訪れた、ファミレスの「ジョイフル」に、MさんとKさんをお誘いしました。私としては、作業後のコーヒータイム程度の気持ちでしたが、私が「何でも頼んで良いですよ」と、Mさんに振ると、Mさんが「本当に何でも良いの?じゃあ、ステーキをお願いします」と仰ったのには驚きましたが、「どうぞ!どうぞ!」と注文したのでした。

Mさんが、速攻で到着したステーキランチを食べる中、Kさんと私は、まだまだ暑い時期だった事もあり、共に「練乳あずき入りのかき氷」を注文して、クールダウンを計ったものの、到着するのが異常に遅く、Mさんが食べ終わった頃に、漸く、到着したのには参りました。それと言うのは、店内の良く効いた冷房で、充分にクールダウンした後だったので、冷たいかき氷は、逆に必要以上に身体を冷やす事になって、直に頭が痛い痛いと言いながら、懸命にかき込む2人の輩がいたのでした。その後、フェリーで帰る2人とはジョイフルで別れて、私は陸路で帰路につきました。

伐採から1週間後の9月30日には、KさんからLINEで連絡が来ました。それによると、次回は松の木の根元から切断するに予定ですが、当初の予定メンバーであった、Kさんと熟練者のMさん、それに高所作業専門の、同じく熟練者のDさんの3人で、10月23日に伺いますとの話でしたが、いつもであれば、日曜日を絡ませるところでしたが、10月23日の水曜日を指定したのには、ある理由がありました。それは、高所作業専門のDさんは、割と気難しい性格の方らしく、とにかくDさんの予定を優先しようとしたからでした。
Posted at 2024/11/27 00:11:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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