• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

老人ギタリストもどきのブログ一覧

2025年08月14日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その15

千葉旅行とコロナ顛末記 その15しかし、この、「ほぼ、その理解で宜しいです」と主治医が言った「ほぼ」は、まだまだ、急変の可能性に言及した、主治医の布石の言葉でしたが、主治医が退室してからは、主治医の「ほぼ」はどこ吹く風とばかりに、家内に「重症化回避」の一報を、LINEで送ったのでした。これには、家内も喜んで、千葉の長女や広島市内に住む長男に知らせると言って喜んでいました。特に千葉に住む長女は、私達が、千葉に遊びに来たから、コロナに罹患したとナーバスになっていたので、この知らせは一入だったと思いますね。

その後の私はと言えば、看護師さんが、バイタルチェックで来室する度に、ナースステーションでは、私の血液検査の結果は、共有されている事は想像出来るにも関わらず、重症化が回避出来たとして、かなりのハイテンションで対応してしまい、顰蹙を買った事は言うまでもありません。その日は、14時頃になって、洗濯物を取りに来た家内とも、互いに喜び合いました。30分の面会時間が終わって家内が帰ると、予めスケジュールされていたリハビリが、翌日の7月15日からスタートすると言う事で、担当する作業療法士さんとの面談がベッドサイドで実施されました。

翌日のリハビリ初日は、家内が帰宅した14時半から実施されました。この日のメニューは、病室内で足漕ぎマシンを使用して、ベッドサイドで、10分間の足漕ぎ運動を実施する内容でしたが、初日のリハビリは、あろう事か、僅か7分間でギブアップしてしまいます。ベッドの左右に、握って、身体のバランスを保持するものが無かった所為で、腹筋のチカラで保持するしか無く、その結果、耐性の無い腹筋の所為で、僅か7分間でギブアップしてしまったと、作業療法士さんに言い訳する輩がいました。

7月16日のリハビリも、家内が帰宅する14時半から実施されました。この日は、マスクを装用して病院内を歩行。その後は、正面玄関から屋外に出て、敷地内を少し歩いてから、リハビリ室に移動しました。リハビリ室では、自転車タイプの足漕ぎマシンで、10分間の足漕ぎ運動を実施しましたが、やはり、病室での足漕ぎマシンと違って、サドルに座る事が出来たので、身体が安定して、無事に10分間の足漕ぎ運動に耐える事が出来ました。その結果に、ドヤ顔の私でしたが、その後が、いけませんでした。

リハビリ室から病室に戻る際には、リハビリ室のある1階から病室のある2階までは、階段を使うと言うルールがある様で、これが思いの外に体力を使ってしまった様で、階段を上がってから病室に戻ると、酸素量が、91パーセントまで落ちていて、ベッドサイドに座って、呼吸を整えて行くうちには、徐々に94パーセントまで、回復して行ったのでした。それを見た作業療法士さんは、「階段はまだまだ身体に負担がありますね。エレベーターを使用する様にしましょうか?」と仰ったので、「まだリハビリも始まったばかりですし、階段を使用するで良いです」と返答したのでした。

翌日の7月17日は、家内のボウリングクラブの日だった事もあり、鼻から病院には来ない事は決まっていました。しかも、前日の7月16日で、コロナの隔離期間は終了していて、この日は、それまでいた個室の部屋から、4人部屋に移る日でもありました。この話を、7月16日に看護師さんからされた際、部屋替えが面倒臭くなった私は、差額ベッド代を個人負担にして、そのまま個室を使用するつもりで返答してました。最初、看護師さんに差額ベッド代を尋ねると、1万円超の金額を言われましたが、別の看護師からは、8,800円と言われて混乱してしまいます。

とは言え、18日の血液検査の結果次第で、19日の退院が決まるとも言われていたので、ミニマムの差額ベッド代で計算すると、19日に退院するとして、17日から19日までの3日間で、余計な経費が26,400円も掛かる計算になりました。そこで、少し話を遡りますが、「もし、私がコロナに罹患して無かったなら」千葉から帰った後は、7月4日には、車で京都の家内の実家に帰省する予定でした。その時は、確実に、7月5日と6日は比叡山でQRVする予定にしていました。更には、7月31日と8月1日の2日間を掛けて、千葉の長女宅に、マイカーで向かう予定までありました。

その時には、私達が千葉の長女宅に到着予定の8月1日には、同じ広島市内に住み、新幹線で移動して来る長男と息子(次男3歳)と、千葉の長女宅で合流して、その翌日の8月2日に、長女と息子(長男1歳)を加えた総勢6名で、都賀から東京駅に在来線でアクセス。東京駅からは、東北新幹線を利用して、仙台に住む、次男宅に日帰り旅行を敢行する予定にしていました。次男は、仙台市内に平屋の新築戸建てを建てたばかりで、その御披露目会がメインでしたが、次男の子供(男女)とも、久し振りの再会だった事もあり、楽しいコミュニケーションの場となる予定でした。

その日帰り旅行は、中国の寧波に転居間近の長女であったり、広島からだと仙台は、余りに遠いと感じていた私達や長男であったりの、想いを乗せての日帰り旅行でした。そして、それを計画した「親」として、せめて、千葉から仙台までの経費くらいは、負担するのが筋と考えてもいたので、コロナで入院する羽目に陥り、退院したところで、体力も戻ってない私は、日帰り旅行をパスするのは予定調和だとしても、今回のコロナ入院で給付される生命保険料を、旅行代金の一部に充当する事を考えると、急に差額ベッド代が惜しくなり、4人部屋に変更したのでした。
Posted at 2025/08/14 16:22:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月13日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その14

千葉旅行とコロナ顛末記 その14初日に、主治医と面談した家内に聞いていた、肺の状態の数値としては、酸素量が示す「94%」が下限であったので、「93%」と表示された事で、大いに凹む輩がいました。この日の夕食前の血糖値測定は、何故か、170にもなっていたので、再び、インスリン注射となりました。血糖値が高い上に、酸素量まで93%のままだったら、かなり凹むな。と考えていたところ、19時過ぎに来室して来た看護師さんの、バイタルチェックでは、酸素量が94に戻っていた事に、とても安堵して、精神的に余裕が出て来た輩は、眠剤の事を思い出し、昨日と同じく2錠お願いしたのでした。

そんな風に、一喜一憂しながら、コロナの入院生活を過ごしていましたが、体内の炎症反応を示す指針であるCRP値が、県立病院から転院した最初の血液検査においては、「28.6mg/dl」と言う異常値を検出した事から、主治医も「重症化やむなし!」言う、諦めにも似た境地にいた様で、主治医と家内との面談においては、その血液検査を反映してか、「もし、肺の陰影が真っ白になってしまった時には、手の施しようが無くなり、病院で看取るか、自宅に戻られて看取るしかありません」と、強めに言われた事で、家内も私も、戦々恐々とした日々を送る事になったのでした。

しかし、私個人の体感的には、県立病院から開始されたプレドニン(ステロイド)点滴が、効果を発揮してくれた事で、自宅で経験した様な修羅場が訪れる事はなく、1日の大半を過ごすベッドサイドの生活も、入院時の状態が嘘の様に、普通の状態に戻りつつあったので、特別、悲観的ではありませんでした。中には、プレドニン点滴が効かなくて、重症化する人も、少なからずあるとの話を、看護師さんから、リアルな話として聞いていた事もありましたが、少なくとも、自分はそうでは無いと言う私感があったからでもありました。

とは言え、看護師さんによると、前日までは、バイタルに問題の無かった患者が、翌日になって、咳や痰が出て来た事で、肺のレントゲン写真を撮ってみると、既に肺は真っ白になってしまっていて、そうなってしまうと、ECMO (エクモ=体外式膜型人工肺)を使用する事は、不可能になるらしく、医師には、それ以上の処置の選択肢は無くなり、患者の予後としては、「死」しか残されておらず、医師は、家族に対して、このまま病院で看取るか、自宅で看取るかの選択をお願いするしか無いと言う怖い話でした。

翌日の7月14日は、入院以来、初めてとなる血液検査がある日でした。入院直後の血液検査で、体内の炎症反応の指標であるCRPの数値「28.6mg/dl」が、プレドニン点滴を経て、どう変化したかのジャッジメント・デイでした。余談ですが、Lovebitesの楽曲の中にも同名のものがあります(笑)。この日は、前日に看護師さんが、点滴用のフックに「血液検査あり」と書かれた札を下げていたので、朝食前に血液検査をするものと考えていましたが、朝食前には検査は無く、ヤキモキしていると、結局、9時半になってから血液検査が実施されました。

10時過ぎになると、看護師さんが入室して来たので、ポータブルのX線装置が運ばれて来ると思っていたところ、私に対して、マスクを装用する様に指示があり、「これから、肺のレントゲン写真を撮りに行きます」と告げたのでした。それは、以前に主治医に直訴した事が、功を奏した瞬間でした。私は急いでマスクを装用すると、車椅子に乗って隔離病棟に入院して以来、始めてとなった独歩での退室となりました。その後、レントゲン室で写真を撮った私でしたが、久し振りの病院内の歩行で、すっかり疲れてしまい、病室に戻って来た時にはフラフラになっていました。

それでも、病室のベッドに寝転がった状態で測った、酸素濃度は、94%を保持してくれていたので、それを見た看護師さんの反応も、「久し振りの歩行で、少し疲れた様ですね。これから、リハビリも始まるので、徐々に、体力を回復させて行きましょう!」と、前向きなコメントを頂けたのでした。その後は、いつの間にか寝てしまっていた様で、昼食前には、熱いお茶をいつも運んでくれる、配膳係の人の声で起こされました。そして、昼食が終わって、ベッドに横たわってボーっとしていた時、突然、主治医が来室されました。その手には、何枚かのプリント用紙がありました。

主治医の女性医師は、開口一番「〇〇さん!身体の炎症が治ってくれた様ですよ!」と、血液検査の結果表と共に、手書きのグラフ化したもの、それに、肺のレントゲン写真のコピーを、テーブルに広げてくれたのでした。特にグラフ化した手書きのプリントには、入院時のCRP値「28.6mg/dl」から、今回の検査結果である、僅か「4.47mg/dl」まで激減した線が図示されていました。その結果を受けて私は、主治医に「これは、重症化を、回避出来たと言う理解で宜しいでしょうか?」と恐る恐る尋ねていました。

すると主治医は、「ほぼ、その理解で宜しいです。本当に良かったですね!これ程、プレドニン点滴が効いてくれるとは思ってはいませんでした!CRPとしての数値的には、まだまだ基準値からは大きく外れていますが、時間の経過と共に、下がって来るので問題はありません。それと、肺のレントゲン写真も、うっすら白く見えますが、それも時間の経過と共に、スッキリして来るので心配する事はありません。退院前には、もう一度、血液検査を予定してますが、このまま問題なく推移してくれるでしょう」と仰ったのでした。
Posted at 2025/08/13 09:11:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月12日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その13

千葉旅行とコロナ顛末記 その1312時前になり、お粥指定のメニューが配膳されて来たので、ベッドから起き上がり、暫しの昼食タイムとなりました。それを完食した後は、配膳係の方がトレーを取りに来るまで、再び、横になってiPhoneを触っていた私でしたが、その後は、面会で入室して来た、家内と長男に起こされる形で目が覚めました。いつの間にか寝ていた様で、既に14時を回っていました。家内と長男には、体調やら経過を話して談笑した後、私が取り出した汚れ物を、エコバッグに入れて、面会時間のリミットである14時30分過ぎに退室して行きました。その際、「せっかく、買ってんやから、ウィダーinゼリーくらいは飲みや!」と家内に言われたのでした。

家内と長男が退室した後、家内の言葉に呼応した訳ではありませんでしたが、15時頃になって、ウィダーinゼリーを1本飲むと、その後の血糖値の測定では、覿面に182の大台に乗ってしまい、インスリン注射を追加で打つ羽目に陥ったのでした。日頃から、血糖値に関しては、糖の吸収を緩やかにする薬は1錠だけ飲んでるものの、それ以外には、指に針を指して血糖値を測ったり、腹にインスリン注射を打つ様な経験をした事が無かっただけに、コロナ陽性になった事で、プレドニン(ステロイド)点滴をしてるだけで、糖尿病もしくは、予備軍の仲間入りをしてしまった様な複雑な心境になったものでした。

そんな時、バイタルチェックで入室して来た看護師さんから、「夜に寝れないんですよね?先生(主治医)から、眠剤の使用の許可が出たので、夕食後に1錠お持ちしましょうか?1錠で足らない場合には、眠剤の追加も出来ますので、その時にはナースコールでお知らせ下さい」と、私の不眠の訴えに、助け船を出してくれたのでした。その助け船に、即座に「お願いします!」と返事をした私でしたが、夕食前になって看護師さんから、眠剤を受け取ったので、夕食後に服薬しようと、配膳された夕食のトレーの中に置いたのでした。

お粥指定の夕食が終わると、貰った眠剤の効き具合が分からなかった私は、取り敢えずは、夕食後の薬と一緒に、眠剤も飲んでから、配膳係の方により、夕食のトレーが片付けられるのを待ってから、19時40分頃より、超早目の就寝体制に入ると、いつの間にか寝ていた様で、20時40分頃に、バイタルチェックで入室して来た看護師さんに起こされてしまいました。すると、夜の看護師さんは、いつもの男性看護師でした。昼間に見かけ無かったので、休日だと思っていましたが夜勤だった様でした。バイタルチェックの後にも、直ぐに寝床に入ると、直ぐに就寝する事が出来ました。

今度は、尿意により、深夜の0時過ぎに起きるまで、爆睡する事が出来ました。ストレートの睡眠では無いものの、トータルで、4時間余りの睡眠時間を確保する事が出来て、気を良くした輩は、うっかりiPhoneを掴んでしまい、3時過ぎまで遊んでしまいます。そんな時、看護師さんが深夜のパトロールで来られたので、「お陰様で、4時間余りの睡眠時間を確保する事が出来ました」と話すと、「これから朝まで眠る事が出来ますか?」と言われたので、少し不安になり、追加で眠剤を頂く事にしました。眠剤が届いたので、直ぐにお茶で服薬しました。

すると、タイミングもあったのでしょう。直ぐに眠気が襲って来たので、ベッドに横たわったところ、午前6時に血糖値測定で叩き起こされるまで、爆睡していた様でした。合計では、7時間弱の睡眠時間を確保する事が出来たので、実際のスッキリ感と共に、その7時間弱と言う数字にも、満足感を得ることが出来てダブルに喜んだ単純な輩は、血糖値測定の結果が僅か118だった事に驚いて、睡眠不足が血糖値にも影響してた?と、直ぐにiPhoneで調べたのでした。すると、そこには、睡眠不足はインスリンの効きが悪くなる「インスリン抵抗性」を引き起こし、血糖値の上昇を招くと書かれていたので、割と合ってた事に一人悦に入ったのでした。

血糖値が、118だったお陰で、朝食前のインスリン注射を回避する事が出来ました。それから、その日の、昼の看護師さんと話している時にも、重大な過誤を発見したのでした。それは、看護師さんが、バイタルチェックで入室して来た時、「県立病院を1泊で出されて、こちらの病院に転院しました」と、話を振ると、「県立病院は、コロナ患者で一杯ですから、時々、こちらの病院にも回って来るんですよ。と言っても、こちらの病院も、コロナの隔離病棟は、ほぼ満床なんですが」と教えてくれたのでした。その話によると、県立病院は、「コロナ患者の世話はお腹いっぱい」と言うスタンスでは無く、物理的に満床だったので、転院させたと言うのがリアルだった様でした。
 
しかも、更に合点の行った話がありました。私が、Y病院の主治医の女性医師に、7月14日に予定している入院後では初めてとなる検査では、通常使用のX線装置で、正確な診断をお願いしたい旨の話をした際、「どうでしょうか?」と肯定とも否定とも言えない、中途半端な返答をされた理由も、近隣では、県立病院に次いで、満床になる程の患者数を抱えるY病院では、コロナ患者に対して、一般患者も使用する、通常のX線装置の使用は、現実味に欠けるお願いだったと、推測出来たからでした。それ程の患者を抱えて、苦労されてる医師や看護師の皆さんの顔を見るに付け、軽薄な意見を述べた自分が恥ずかしくなりました。

その日の朝食は完食しましたが、他には何も食べて無かったにも関わらず、昼食前の血糖値測定では、162と数値が大きくなっていたので、昼前にはインスリン注射を打つ事になりました。昼食後は、前日と同様に、家内が長男の車で面会に来るとLINEが入りました。実は、お粥を指定していたご飯を、少し前から、普通のご飯に戻してくれる様に、お願いしていたのが、この日の昼食から、普通食に切り替わるので、幾分かは期待していましたが、水気が少ない分、逆に食べ難いとも感じられ、遣らかしてしまった感を感じたのでした。その後は、配膳係の方が膳が片付けられてから、ベッドに横たわって、暫くボーっとしていると、14時前に家内と長男が来院して来ました。

家内と長男が帰る際には、冷蔵庫に保管してあった、複数のウィダーinゼリーや、100%の果汁ジュース、それにチューブ状のアイスクリームである、ロッテのクーリッシュと、振りかけや梅干しパックは、持って帰って貰う事にしました。それは、誘惑に弱い輩の事ですから、血糖値の数値が乱高下するのを嫌ったからでした。その代わりに、水のペットボトルを2本と、小さなお茶のペットボトルを買って貰って、テレビ台下の冷蔵庫に収納する事にしました。家内と長男が帰った後、16時のバイタルチェック時には、酸素量が93%に落ちていたので、手や指を替えても変化無しの状況に、大いにに焦る輩がいたのでした。
Posted at 2025/08/12 12:37:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月11日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その12

千葉旅行とコロナ顛末記 その12その後、世界的な一般公募でベースメンバーの募集が行われて、最終的に残ったのは、チャンネル登録者65万人を擁する人気YouTuberとして名を馳せていた、famiさんでした。そのfamiさんの加入で5人体制が復活して、再スタートする事になったのでした。Lovebitesは結成当時から、世界進出を視野に入れて、全曲オリジナルの英語歌詞の楽曲で突っ走っています。とにかく、ボーカルのasamiさんの歌唱力が半端ない上に、midoriさん & miyakoさんの圧倒的なギターテクニックを誇るツインリードギター、可愛らしさと技術を併せ持つfamiさんのベースに、司令塔のツーバス仕様のharunaさん!とにかく、最高なんですね。

しかし、パケットの残量が2GB近く減ってしまった事で、この日以降、YouTubeの動画視聴は封印する事にしました。そんな事をする内に、消灯の22時が近づいて来ました。看護師さんがドアをノックして「電気を消しましょうか?」と言ってくれたので、ベッドサイドから「お願いします!」と返事をすると、出入口の扉近くにあるスイッチを消してくれました。私はと言えば、ベッドをリクライニングさせると布団を被って、目を閉じたものの、一向に睡魔が襲って来る気配を感じません。自宅では、睡眠が足りていたとしても、割と簡単に眠りに着く事が出来るのですが、Y病院では、何故か眠る事が簡単ではありませんでした。

7月9日から7月10日に掛けて1泊した県立病院では、解熱剤のカロナールのお陰もあってか、爆睡する事ができましたが、Y病院に転院した初日の7月10日は、空気清浄機能を作動させたばかりに、逆に暑さ寒さの見極めが難しくなり、夜中の間中、エアコンを切ったり入れたり、パジャマの上に羽織ったフリースを着たり脱いだりを繰り返して、まともに寝れたのは、1〜2時間程度の睡眠時期で終わってしまいました。そして、2日目の7月11日の夜も、空気清浄機能はオフにして、27度設定でスタートしたものの、初日の睡眠不足が残っているにも関わらず、睡魔が襲って来る事はありませんでした。

この夜も、何度も睡眠モードに入ろうと頑張りましたが、結局は、大して眠る事が出来ずに、漸く睡魔が襲って来た午前6時過ぎに、看護師が血糖値を測りに来られた事で、すっかり目が覚めてしまいました。この日は、私の担当として名前が記載されている男性看護師はお休みの様でした。7時を回ると、主治医の女性医師が入室されたので、ある質問をぶつける事にします。「県立病院でも、こちらの病院でも、胸部の写真撮影は、ポータブルのX線装置を使用しましたが、ポータブルのX線装置だと、少しの角度のズレでも、写真の端部が白くなって正確な判定が難しくなるので、備え付けのX線装置での撮影をお願いしたいのですが・・・。」と。

すると、主治医の女性医師も、ポータブルのX線装置の使用上の問題点は、把握されていた様で、「私も、それは感じていましたが、中々、難しい問題を孕んでまして、一応、打診はして見ますが、コロナ患者が使用する事で、嫌がられる可能性もあるので、現時点では確約する事は出来ないですね」と明言を避けられてしまいました。続いて、「体調に変化はありませんか?ステロイド剤を使用すると、食欲が増して来たり、胃に穴が空いたり、不眠になったりする、副作用が出て来る場合があるの心配してるのですが・・・。」と仰ったので、「実は、こちらの病院に転院して以来、2日間に渡って、不眠状態が続いています」と正直ベースで話してしまいました。

すると、主治医の女性医師は、「でしたら、眠剤を処方しましょうか?」と仰られたものの、眠剤が、睡眠薬や睡眠導入剤の事だと、睡眠不足の呆けた頭では、直ぐには理解出来ず、曖昧に返答してしまったのでした。主治医が退室されると、配膳係の女性が、紙コップに入った熱いお茶を運んで来てくれました。そして、8時前には、お粥指定の朝食も運ばれて来たので、それを、ゆっくりと完食してからは、最後に整腸剤を飲みました。その後、自分で持ち込んでいる薬を取り出した時、前日の夕食では、自分の薬を飲むのを忘れ、病院で処方された、整腸剤しか飲んで無かった事に、気付かされたのでした。

そんな自分を戒めながら、自ら持って来た薬も服薬して、ベッドサイドに座って、ボーっとしていると、配膳の女性の方が、朝食の空きトレーを取りに来ました。配膳係の女性と入れ替わる様に入室して来たのは、バイタルチェックで訪れた看護師さんで、その手には、点滴袋が入ったトレーを持っていました。バイタルチェックの後に、点滴用の血管を確保されると言うので、腕が腫れて来たので血管から管を抜いた右腕を見せたところ、「左腕も見せて下さい」と言われたので、見せたところ、結局は、右腕の別の場所から取る事になり、右腕の関節に近い場所に確保して点滴が始まりました。

その途中で、看護師さんから「食事では、香りや味覚はありますか?」と言われたので、「ありますね」と答えると、「私も、コロナになった事があるんですが、その時、コロナが治った後から、嗅覚と味覚が駄目になったんですよ」と教えて頂き、そんなニュースもあった事を思い出しました。しかし、この事は、後述する「ある布石」に繋がっていたのでした。点滴のライン取りが済み、看護師さんが退出されてからは、取り敢えず、睡眠不足を少しでも解消する為に、ベッドをリクライニングしてフラットにして、布団を頭から被って、目を瞑って眠ろうとしました。

しかし、エアコンの設定が合って無かったのか、掛け布団が、薄手の毛布1枚だったので、足元までカバーする事が出来ず、寝るどころでは無くなったので、ナースコールを押して、看護師さんに、少し厚手の毛布を追加して頂きました。すると、そのタイミングで、ついでだからと、血糖値を測ってから退室されました。全ての問題点が解決して、仮眠に入ろうと横になると、配膳係の女性が「お昼のお茶です」と、紙コップに入った熱いお茶を持って来られたので、仮眠のタイミングを逸してしまいます。そこで、iPhoneの時計を確認すると、既に11時を回っていました。

自宅での睡眠の様に、目を瞑れば、直ぐに眠りにつける環境には程遠い、病室での睡眠では、入院以来、ずっと苦戦が続いていたので、昼ご飯までの1時間では、時間的には、仮眠するには中途半端で、「このまま昼御飯に突入だな」と独り言を漏らしながら、寝る事は諦めて、iPhoneを手に持ったのでした。すると、タイミング良く、家内からLINEが届きました。それによると、午後からの面会には、同じ広島市内に住む長男も、一緒に来る旨が書かれていました。その時は、長男が車で迎えに来てくれる様で、「助かる!」とも書かれていました。
Posted at 2025/08/11 08:36:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月10日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その11

千葉旅行とコロナ顛末記 その11湯船から飛び出した私は、湯船に貯めた水を抜きながら、常備してあった「柿渋シャンプー」を左手に取って、頭に塗ってから両手で泡立て、湯船に入り直して、シャワーしながら洗髪しました。次に、備え付けの「柿渋ポディソープ」を全身に擦り付けて、手洗いしてから、シャワーして泡を落とすと、手摺りに掛けてあったバスタオルを手に取って、身体の荒拭きをしたのでした。もう1枚のバスタオルを首に掛けると、24度に設定した病室の、足拭き用のバスタオルの上に降り立ちました。その後は、足拭き用のバスタオルの上に胡座をかいて、身体を拭いていると、男性看護師から声が掛かりました。

「〇〇さん!すいませんけど、酸素量を計らせて下さい!」と、ドア越しに声が掛かったので、「どうぞ!測って下さい」と言うと、入室して私を見て「あら、まだ裸でしたか!」「いえいえ、構いませんよ!どうぞ!」と右手の人差し指を差し出すと、値が、リミットの94を遥かに上回る97にもなっていました。その直後には、女性看護師もバイタルチェックで来られて、「失礼します!」と声が掛かりましたが、その際には、男性看護師から、「〇〇さんは、まだフリ〇〇ですよ!」と、カバーリングしてくれて事なきを得たのでした。女性看護師は、「また来ますね!」と一言言うと、去って行きました。

ゆっくりと、エアコンの風で上気していた身体をクールダウンさせていた私でしたが、体調が悪かった事も理由としてはありましたが、これまでに、何度も汗をかいては、自然乾燥させていた下着を、漸く、家内が持って来た下着に着替える事が出来た上に、株式会社アメニティからレンタルしていた、病院仕様のパジャマに袖を通す事が叶いました。そして、夕食前のお茶の配給時の事でした。私は、熱いお茶を紙コップに入れて、持って来てくれた年配の女性の方に、「申し訳ないのですが、自前のステンレスの水筒に、熱いお茶を入れて頂けますか?」とお願いしたのでした。すると、女性の答えはシンプルでした。

「この部屋からは、何も持ち出してはいけないんですよ!」つまり、この隔離された部屋にある物は、全て、新型コロナウイルスに、汚染されているかも知れないので、無闇に、室外に持ち出しては行けないと言う、ルールになっていたのでした。それを瞬時に理解した私は「そうなんですね。思慮が足りませんでした。ややこしい事を言って申し訳無かったです」と謝ったのでした。その後、バイタルチェックで看護師さんが部屋に再訪して来た後、夕食の時間となり、夕食が配膳されて、例によって、お粥指定の夕食を平らげた私は、その後は、入院して初めてになる、テレビ視聴となりました。その動機としては、日米野球の第3戦を観たいと思ったからでした。

日米野球の中継が、良いところで終わってからも、地上波の番組に良いものが無かった事もあり、BS放送の深層心理を漠然と視聴していました。議題は、ロシアとウクライナの戦況と、北朝鮮の本格的な応援体制の話でしたが、金正恩の母親が、日本生まれである話を、少し前にネットの解説動画で知っていたので、少し引き込まれてしまいました。ロシアは、ドローンのパーツを中国から仕入れて、ロシア国内で、北朝鮮兵士に組み立てさせ、尚且つ、地上兵力にも、北朝鮮兵士を送り込むと言う話に、自国の兵士の生き死に興味の無い、金正恩の金儲けの道具に使われる悲哀を垣間見たのでした。

そんなイメージを抱きながら、漠然とテレビの視聴を続けていた私でしたが、テレビ鑑賞会はひとまず終わりにする事にします。深層心理は、まだまだ続いていましたが、良いところで中継が終わった、日米野球の結果が気になって、ネットを確認する事にしました。すると、日米野球第3戦も、2-0で快勝していたので安心した私は、その後は、YouTube動画にシフトして行きました。我が家の携帯事情は、以前は、キャリア契約で携帯電話本体の代金を支払っていましたが、現在では、夫婦どちらも、iPhoneのSIMフリー版を購入して、格安のUQ回線を利用していますが、その分、パケットは最大で7GBまでの契約です。

それでも、請求金額は、夫婦で3,000円以下で収まってくれています。しかし、Wi-Fiの無い屋外では、動画を観る事が出来ない、不自由さはありますが、パケットの残量をチェックしつつ、この日は、気持ちが上がっていたのでしょう。動画はヤバイと思いながらも、チラッと観てしまいました。それにより、5GB弱のパケット残量だったのが、動画を見終わった頃には、パケット残量が3GBまで減っていました。それでも、入院以来、気が滅入りがちだった私にとっては、たまのリフレッシュタイムとして、特別、後悔はありませんでした。その時、視聴した動画は、最近ファンになった女性メタルバンドの動画でした。

最近、ファンになったのは、「Lovebites」と言う、女性5人組による本格的なメタルバンドですが、彼女達のライブパフォーマンス動画や、ミュージックビデオを視聴するのも楽しいのですが、それ以外にも、外国人視聴者のリアクション動画も楽しいのですね。その中では、彼女達の、圧倒的な技術力の高さに、度肝を抜かれる姿を観るのも、ある意味、爽快感を感じてしまいます。彼女達の生い立ちはWikipediaを参照してもらう事にして、私が、Lovebitesのメンバーの中で、特に気に入っているのは、ギタリストのmidoriさんですね。彼女の、軽やかな運指には、誰しも心奪われるに違いありません。

ボーカルのasamiさんも、半端ない声域幅の上に、圧倒的な肺活量には驚きますし、ドラムのharunaさんも女性でありながら、圧巻のツーバス仕様のパフォーマーです。以前より人気のあった、ギタリスト兼ピアノ・キーボード担当のmiyakoさんも、楽曲に華やかさを加えてくれています。更には、DTMも使い熟し、Lovebitesの楽曲も担当してるなんて、凄い才能ですね。ベースは元リーダーのミホさんが担当していましたが、コロナ禍もあり、色々と考える機会もあったのでしょう。途中で脱退して、バンドが一時宙ぶらりんとなってしまいました。
Posted at 2025/08/10 13:18:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「フラフープ・ダイエット http://cvw.jp/b/3142171/48618274/
何シテル?   08/24 20:14
★老人ギタリストもどきです。どうぞ、宜しくお願いします!! どうせ老い先短い身の上ならば、素人でも楽しまなくちゃ!!とyoutubeデビューしました。...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

      1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 181920212223
24252627282930
31      

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

ガレージにて✨ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/02/25 00:53:15

愛車一覧

日産 エクストレイル 日産 エクストレイル
日産エクストレイル 20Xi 4WD 2列シートに乗っています。登録は2019年4月です ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation