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老人ギタリストもどきのブログ一覧

2025年08月04日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その5

千葉旅行とコロナ顛末記 その5一体、何時間待たされる?と憂鬱になりながら、冷房の効いた店内でボーッとしていると、僅か10分後に、いきなり番号を呼ばれて慌てます。案内の女性スタッフに待ってもらって、エレベータールームの1階に居る、家内に電話しました。そして、合流すると、改めて、コーナーにあるテーブル席に誘導されたのででした。先ずは、軽いルール説明がありました。それが終わってから、長女に、200番も飛び越えて呼ばれた理由を聞いたのでした。

すると、長女は「この、Ocean tableの客層は、例え長時間待ってでも、気に入った場所で食べたい」と思う客が多く、「どこでも良い」とした、長女のオーダーが優先されて、短時間で呼ばれたのだろう」との話でした。その後は、戦闘開始となるのですが、メニューの前に長蛇の列が出来て、皆、牛歩の歩みなのには閉口でした。メニューを皿に盛るスペースが狭すぎて、列の最後には、パンを焼くスペースがある為に、そこでも渋滞が起こっていました。

それは、店の意図的な作為を感じる仕様でしたが、食事時間は「無制限」だったので、客席を優先した結果なんだろうと、1人納得したのでした。先行した家内がトレーに載せて戻って来たタイミングで、今度は、私がスタートしました。いざ並んでみると、タイミング的に欠品しているものもあったりしましたが、概ね希望するものを載せる事が出来ました。続いて、2度目の列に加わり、今度は初回に欠品だったものも確保する事が出来て、ドリンクを取ってからテーブルに戻りました。

食事をスタートさせると、「ショートケーキ類は何処?」と言う話になり、家内から「お父さんが待ってたレジの横に、ケースがあったでしょ!」と言われてしまいました。そんな風に食べ進めて行く内には、別メニューの孫も含めて、私達大人3人衆の太鼓腹は満腹感で満たされていました。そろそろ、帰ろうか?となった時、時間はまだ昼の12時前でしたが、1階の席には空席が目立ち、2階席を含めた上階の席は、いずれも満席らしく、とても賑わっていました。

そんな上階の光景を見て、取りに行くのも階段を利用する必要があり、しかも牛歩の歩みで疲れる仕様。それでも、それを持って、気に入った席に戻って、何時間でも寛ぐ事が出来るのは、この店の食べ放題時間が無制限だからで、朝食から昼食、更には夕食分まで賄えるなら、コスパが素晴らしい店だと、再認識したのでした。レジに精算に行くと、1階のテーブル席には空席があるにも関わらず、レジ前は相変わらずで、気に入ったテーブル待ちの人で溢れていました。

そんな光景を横目に見ながら、エレベーターで1階に降りて、前面の歩道に出ると、これからOcean tableで、ランチをする為のグループが、何組か歩いて来ていました。私達はと言えば、ついでだからと、左折して海の方に歩いて行き、モニュメントの前で写真を撮ろうとしていると、125ccのバイクと共に自撮りしていたお兄さんが、「撮りましょうか?僕はインフルエンサーなんで、写真は自信ありますよ!」と言ってくれたのでお願いする事にしました。

その後は、こちらからも、長女が代表して、バイクと彼を撮ってあげて、笑顔で別れました。写真会が終わってからは、再び、モノレールの駅を目指し、千葉都市モノレールに乗車して都賀駅で降りて、長女の自宅マンションに帰り着きました。時間は13時半になっていました。その後は、各自が思い思いの時間を過ごして、夜を迎えました。夕食は例によって、私はパスして、孫に食事を与える仕事に徹しましたが、初日のららぽーとの歩数と比べて、かなり少ない歩数だったので、体力的には余力がありましたね。

2025年6月30日は、長女も会社に出勤する必要があり、孫も通園日だったので、保育園には家内が連れて行くと言う体で、朝から3人で出掛けて行きました。家内は、間も無く帰って来ましたが、長女に頼まれたのか、自分から行きたいと思ったのかは不明でしたが、「午後からは、長女に行き方を教えて貰ったから、西松屋に行ってくるね!」と言って来たのでした。私はと言うと、連日のお出掛けのリカバリーデーと位置付けて、怠惰に過ごしていました。

午後から、家内が西松屋に買い物に出掛けても、その怠惰な生活は変わらずで、YouTubeの動画視聴を中心に、時折、昼寝タイムを設けて、ゆったりと過ごしていました。15時前に家内が帰って来ると、その手には、孫用の衣類の上下が数組入った紙袋が握られていました。その家内も夕食の準備を急ぎ、ある程度の準備が整ってからは、少し横になって寛いで、16時半頃から、都賀駅前まで、長女を迎えにいくのと、その帰り道で、孫を迎え行く為に、出掛けて行きました。
Posted at 2025/08/04 09:30:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月03日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その4

千葉旅行とコロナ顛末記 その4長女とその配偶者は、同じ会社の先輩後輩で、共に中国地方の出身者として、長女が入社した頃から互いに認知する間柄でした。結婚当時、長女は営業職で主任。配偶者は設計部の管理職でした。そんな2人が、ひょんなキッカケで結ばれたのですが、現在、住んでいる都賀の、新築マンションでは、最上階の6階の一戸だけが、残っている状況だった様で、競争入札になっていたところ、長女夫婦がエントリーした事で、一気に決まったそうです。流石の旧財閥系企業の管理職夫婦でした。現在、配偶者は中国の寧波に赴任したばかりですが、早速、コロナの洗礼を受けてる様でした。

中国での仕事は、中国の寧波工場を閉鎖すると言う、複雑な、しがらみに支配されている様な仕事で、その最終判断の責任者として、配偶者は最低3年の任期で赴任して行きました。場合によっては、中国の企業に売り渡したり、譲渡する事も視野に入れての職務でした。そんな、身も心もズタボロになりそうな場所に、配偶者ひとりを行かす事は出来ないと、これまで2馬力だった長女は、新卒から勤めていた会社を退職して、中国に子供と共に着いて行く決心をしたのでした。その留守宅の相談も兼ねた、今回の千葉旅行でした。

その長女は、高校時代に書道部の全国大会で、内閣総理大臣賞を受賞。総理大臣の代役で来られていた岸田前首相から、賞状と副賞を頂きました。その副賞が、漢字の故郷への旅「中国旅行」でした。それで、すっかり中国語の魅力に取り憑かれた長女は、志望校を大阪外国語大学の中国語学科に絞ったものの、大学の改正が実施されて、大阪外国語大学は大阪大学に吸収される事になり、出鼻を挫かれてしまいました。そんな時、担任の先生が「何を悩んでるの?貴女には既にA判定の大学があるじゃない!」とゴリ押しされました。

頑張って勉強して、大阪大学の外国語学部を目指そうとしていた長女の願いは、何処かしらの大学に合格させたい担任の思惑によって、結局は、九州の公立大学の、中国語学科への進学が決まってしまいました。しかし、中国語の素質があった様で、メキメキと頭角を現し、3年次に留学した天津の南開大学では、中国人と見間違うレベルにまで、進化させていました。留学中には、野外活動も活発に行い、有名企業のメンバーが集うバスケットボールチームにも所属していました。

そんな時、中国全土では日本に対するデモが行われる事態になっており、丁度、バスケットボールの試合中に、靭帯を痛めた事もあり、少し早目ではありましたが、帰国する事にします。帰国してからは、公立の総合病院で、靭帯を内視鏡手術で修復して、改めて、新3回生として、3年次の単位を習得して、就職活動に望みましたが、家内から後から聞いた話では、長女は当時、中国語学科の主席だった様で、とある、九州では有名企業の就職試験を受けると、とんとん拍子に社長面接に進み、即、合格を勝ち取りました。

すると、長女は、「相手の会社が、私の何を見て評価してくれたのか分からない」と、内定を早々に辞退して、周囲を驚かせました。長女は自らが選んだ、東京に本社がある旧財閥系企業にエントリーすると、教養試験後に、人事課面接から重役面接、社長面接を経て、こちらもとんとん拍子に内定を勝ち取り入社する事になりました。入社2年目には、インドのチェンナイに、2年間に渡り海外赴任も経験して、若手の出世頭の筆頭に祭り上げられていました。物怖じしない性格ゆえに、上司と衝突する事もままあり、隣りの部署の現配偶者にもグチを言ってたそうでした。

そんな、長女がまさか退職を考えていようとは、コレっぽっちも考えて無かった会社側は、当初は冗談と捉えていて、笑いのネタにされていた様でしたが、その内には、本気だと判明。大いに慌てる事態となった様です。長女も長女で、中国語を活かせる職種として、配偶者の業務をサポートする役割で、赴任させて欲しいと直談判した様でしたが、捨てる工場に、これ以上の人員を充てる事は無理とばかりに、折り合いが付かず、お盆前には、退職する事になったのでした。

現配偶者の赴任期間は、最低でも3年と言う話だったので、購入したばかりの、新居の劣化も気になる所で、定期的に私達が通って空気の入れ替えや、通電、水出し等々を、実施する役目を頼まれてましたが、配偶者の同僚から、海外赴任した家族持ちが、会社のサポートで、留守宅保全サービスを受けていた件を聞いた事から、それを会社に正すと会社も、渋々、了承した様で、定期的に、千葉の長女宅に向かうと言う話は、無くなりましたが、千葉に拠点があると便利なので、個人的に、借りる気満々の家内がいます。

2025年6月29日は、長女のスケジュールでは、ショッピングデーでは無く、千葉みなとにあるバイキングレストランに行く事でした。その場所は、千葉市中央区千葉港にある「Ocean table」でした。都賀駅から千葉都市モノレールに乗車して、千葉みなとで降車して、あとは歩きで、辿り着いた場所は、駐車場は満車で店内もごった返していました。長女から受け取った予約番号は408でしたが、長女に頼まれて店内で待機していると、リアルに呼ばれてる番号は200番台だったのには、唖然とするのでした。
Posted at 2025/08/03 10:08:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月02日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その3

千葉旅行とコロナ顛末記 その3外国人観光客は、、一様に大阪や京都で下車して行きましたが、悔しい思いをしたのは、親子も大阪で降りて行った事でした。一方で、C席の状況はと言えば、東京駅まで乗車する客だった雰囲気で、C席の年配女性は、品川駅まで10分程度になった時点で、初めてトイレに向かったので、このチャンスを活用しようと家内も、後を追ってトイレに向かいました。先にトイレから戻って来た、C席の年配の女性客が着座すると、時間差で戻って来た家内に、B席を譲って、到着駅の品川駅までは、私がA席に座る事にしました。

品川駅に到着してからは、乗客が順番に降車する中、C席の年配の女性客は、私達が通り抜ける際には、立ち上がってくれましたが、やはり、それ以上の動きは、ありませんでした。やはり、終点の東京行きの乗客でした。品川駅からは、JR横須賀線、JR総武線快速、JR成田線快速を経由。途中下車する事なく突っ切って、15時4分に長女宅のある「都賀」に到着する事が出来ました。この日の長女は、会社をリモートにしていたらしく、エントランスで部屋番号を押すと、直ぐに中に入れてくれました。

長女宅に到着して、いつも寝ている客間で、私が荷物の整理をする間、長女と家内は、保育園に孫を迎えに行きました。長女に抱かれて私を見た孫は、一瞬、嫌な顔をしましたが、その後は、直ぐに打ち解ける事が出来ました。翌日の2025年6月28日の、スケジュールは、長女によって既に、決められていました。孫が保育園で水遊びをする際の、服を買いに行くのが目的の様でしたが、買いに行く場所は、千葉県船橋市にある「ららぽーとTOKYO-BAY」の中にあるショップでした。京成津田沼駅からタクシーで到着した同店は、半端なく巨大な空間でした。

店内は冷房が行き届き、その中をひたすら孫を乗せたベビーカーを押して歩くのが、私の役割でした。最終的には、有名メーカーの子供服が、リーズナブルな価格帯で販売されていたショップで、購入する事にして、数点のカジュアルな上下を購入して、早目の昼食となりました。長女がチョイスしたのは、子供時代には足繁く通った「シェーキーズ」でした。過去にも記述してますが、当時、広島市には2店舗のシェーキーズがあり、パスタ食べ放題が350円で提供されていました。

当時は、フジグラン広陽と言う複合施設と、アルパークと言う複合施設の中にあり、その頃は己斐大迫団地の戸建て住宅に居住していたので、大迫団地3丁目から山越えして竜王公園を経由。太田川放水路の堤防にアクセスすると、割と短時間で行けるイメージだった事もあり、出張から帰って来た時には、フジグラン広陽にあるシェーキーズに子供達と通ったものでした。一方、ららぽーと内のシェーキーズは、時間がまだ11時になったばかりだった事もあり、店内の客はまだ疎でした。

そんな中、一番奥まったスペースに、案内された私達は、孫用の昼食メニューを、テーブルに広げつつ、ピザやパスタを受け取りに列に並びました。皿を取って、ポテトやスパゲッティ、ピザを取ってからテーブルに運び、次は飲み物を取りに行きました。そうして、全てが揃ったところで、ランチを開始しました。ピザを取る時には、意識なく取ったものの、皿に乗っていたピザは、デザートピザでした。しかし、パイ生地の様なベースに、甘い果物が乗っていたので絶品でした。

そんな事を繰り返している内に、店内には客が溢れ出して、入店待ちの客の列まで出来始めていました。それを見たスタッフが、孫の後ろのカーテンを開いて、そのスペースへの案内を開始したのでした。本当に、11時過ぎに入店して良かったと思いましたね。孫の食事に注力している長女のリクエストで、何度かメニューを取りに行く間には、3人共に、お腹が一杯になっていました。そこで、会計を済ませてから、退室ゲートから表に出ました。

最後に、アイスクリームでも食べてから帰ろうと言う話になり、建物内にあった「マザー牧場」に立ち寄って、一番奥まった、変則的なスペースに陣取って、アイスクリームを食べる事にしました。マザー牧場を出ると、インフォメーションでタクシー乗り場を聞いてから、店外に出ました。タクシー乗り場は、道路を隔てたバスターミナルの側にありましたが、希望する車種が、ベビーカースペースありきだったので、長女がチャチャっと配車手配を済ませて、精算もしてくれた様でした。   

タクシーが到着して、京成津田沼駅まで乗車すると、京成津田沼駅から京成千葉駅までは電車移動して、JR総武本線に乗り換えて、都賀駅近にある長女の新築マンションに戻り、漸く、お役御免と相成りました。結構な歩数を歩いて疲れていましたが、その後は、各自が気ままに過ごして、その日は静かに終わりました。お腹が一杯で、夕飯をパスした私の次の任務は、孫に御飯を食べさせる事でした。そんな事もあり、孫との距離感が、一気に近づいた1日となりました。
Posted at 2025/08/02 08:45:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年08月01日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その2

千葉旅行とコロナ顛末記 その23回目の千葉行きの主目的は、お宮参りでした。先方の御両親も来られて、孫を交互に抱きながら、一緒に楽しんで、お食事会を開いてから解散となりました。その流れからは、今回の千葉行きもマイカー移動になるのが、セオリーでしたが、そこには、ボウリングクラブの、シーズン最終局面の事情が絡んでいました。絶対に休みたく無いと言う、家内の気持ちが前面に出された事で、新幹線嫌いの私も折れざる得なかったのでした。

話を少し戻して、家内的なもう一つの選択肢に、航空路+電車と言うルート選択がありましたが、これは、私の頑なとも言える拒否姿勢で、早々に消えました。そんな私も古くは、43年前にハワイに新婚旅行に行き、39年前にも会社の研修旅行で東南アジアツアーに飛行機を使った事がありました。もっと直近では2017年には、長男のフォト婚に付き合って、ハワイに先方の御両親と共に向かいました。しかし、心の底では絶えずゾクゾクしていました。

滅多に起こらない事故と言えども、いざ起こってしまうと、全員死亡する事はよくある話でしたから、極力、そんな状況には身を置きたくないと考える、防衛本能みたいなものだと思います。しかし、それらの大事なイベントでは、運良く掻い潜る事が出来た私でしたが、平成の時代にも2度ほど、已む無く、国内線でしたが、飛行機に乗る羽目に陥った事がありました。最初は同じ課から、別々に赴任した東北事業所で、先に赴任していた先輩社員とチームを組んだ時の事でした。

先輩社員がバリバリに業務を熟した事に喜んだ、東北事業の所長が、通常は新幹線移動のところ、仙台空港からの飛行機での帰任を許してくれたのでした。先輩社員は小躍りしたものの、直ぐに難しい顔を示した私を見て、先輩社員が「せっかく、所長がああ言ってくれてるのに、有り難く受け取ろうや!〇〇さん!飛行機でええじゃろ?」と押し切られてしまいました。その頃は、広島空港が広島市内にあった頃だったので、最短で帰任できるルートだったのでした。

2度目は、鼻から広島空港から鹿児島空港に飛び、鹿児島事業所に、貸し出していた特殊車両を、鹿児島空港で引き取って、同僚と交代で広島の会社に陸送すると言う仕事でしたが、余程の事情か家庭的な事が無い限りは、断る事が出来ない仕事でした。当日は、小さな飛行機が乱気流に巻き込まれて、墜落するのでは思える様な恐怖を覚えながら、かなりのお疲れモードで鹿児島空港に到着しました。特殊車両の返却には、現地社員と共に事業所長も来て頂いていて、事業所長からは、揚げたての薩摩揚げのセットをプレゼントして貰えました。

最初は同僚が運転して下関市まで運転。それ以降の会社までは私が担当しましたが、2人共に、平均速度を150km/h程度で、ぶっ飛ばしたお陰で、定時内に戻る事ができました。捕まらなくて本当に良かったです。以上が、私の飛行機嫌いの集大成とも言える出来事でしたが、話を完全に最初に戻す事にします。これまでの新幹線移動では、指定席を取得して乗車していたのに対して、6月27日の往路では、広島駅が始発の新幹線狙いにした事で、富士山が見える1列のD,E席狙いでホームに向かいました。

30分以上前に、2号車のホームに到着したにも関わらず、そこには、既に、親子らしい人が最前列で待っていました。隣りを見ると1号車の方も埋まっていました。軽く落胆しながらも、待つしかありませんでした。時間を追う毎に、後ろの列が埋まって来ました。新幹線が到着して、アナウンスがあり、順番に乗車できる様になると、「親子よ!別の席に行ってくれ!」と祈りつつも、予定調和で、最前列のD,E席に着座されてしまいました。

やっぱりか!と思いながら、一旦、D,E席の2列目に座ろうとすると、スーツケースの幅が邪魔となり、これではいけないと、ばかりに、後から乗り込もうとしていた乗客の前に、不謹慎にも立ちはだかり、隣りの列のAからC席がある、最前列のA,B席に陣取ってしまったのでした。その選択には大きなミスがありました。既に、富士山ビューは、手放してる状況でしたから、ここは、トイレに行くにも便利なB,C席に着座すべきだったのでした。

しかも、運が良ければ、大阪辺りで親子が下車してくれれば、D,E席に移動するのも容易く、そう考えると、B,C席が最適な着座シートだったのでした。しかも、B,C席に移る事を考え始めた頃、いきなり、C席に年配の女性客が座り、ノーチャンスとなった事で、完全に諦めて、A,B席に着座する事にしました。定刻の10時4分に、広島駅を出発したJR新幹線のぞみ90号東京行きは、13時49分に品川駅に到着しました。その間、新幹線の中は、外国人観光客のスーツケースで通路が、塞がった光景を目の当たりにしたのでした。

添付写真は旧広島空港の空撮写真です。(広島市西区観音)
Posted at 2025/08/01 08:39:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年07月31日 イイね!

千葉旅行とコロナ顛末記 その1

千葉旅行とコロナ顛末記 その12025年6月27日には、千葉県の都賀に新居を構えた長女宅に、孫に会いに行くついでに、諸々の用事を兼ねて、遊びに行く事にしました。交通手段としては、新幹線一択の状況でしたが、選択肢的には、飛行機+電車も残されてはいましたが、これは私が却下しました。私個人としては、マイカーで往復する事がベストでした。2024年4月に千葉のホテルでQRVすべく、SK11-SPB340BKケースに、IC-705とCAT-283チューナー、それとRH770アンテナを同梱してスーツケースに収めた事がありました。

それ以外にも、時計やログ帳、PDバッテリーやケーブル類も準備して、いざ駅前ホテルからQRVしようとすると、59オーバーの抑圧を受け続けて玉砕してしまいました。新幹線は指定席を取ったので、焦る事なく移動出来たものの、如何せん、肝心要の移動運用が失敗に終わった事で、帰りの道中はスーツケースの重さが倍増して、途轍もなく重く感じて、悲惨な復路を経験したのでした。この時の主目的は、別のブログで投稿済みですので、別途、ご参照下さい。

孫が生まれた直後の1週間は、産院の有料オプションを使って、産院のスタッフに面倒を見て貰っていた長女でしたが、家庭でのハンドリングを決定づける目的で、重要な1週間を共に過ごす為に、2回目のタイミングには、マイカーを選択しました。これには、最初に新幹線移動した際の、苦しさがあったからこその選択でしたが、この移動手段は家内にとっては、不評そのものでした。家内の希望としては、趣味のボウリングクラブを、外す日程調整が必要だったからでした。

つまり、ボウリングクラブのある木曜日は避けて、金曜日から、翌週の水曜日までの日程が希望でした。それをマイカーで往復するとなると、途中で、京都の実家に宿泊する必要が出て来るので、金曜日と土曜日、火曜日と水曜日が潰されてしまい、千葉にいる日が日曜日と月曜日の2日間に限定されてしまう事を嫌っていたのでした。しかし、最後は家内がボウリングクラブを1回休みにしてくれて、マイカー移動となりました。2回目の千葉QRVは、別途、秘策を考えていました。

車で行くからには、SAやPA等で、CQを発出しても良いじゃないか!と言う大義名分の元、近隣のハムショップでSGM570アンテナを購入。通常は、マイクロファイバークロスを敷いてから、マグネット基台を設置するシチュエーションでしたが、安易に外れてしまう事を嫌って、直接ルーフに設置すると言う強行策に打って出ました。IC-705もシフトレバーの近くにある窪みに置いて、CAT-283チューナーだけは、後部座席の中央に鎮座させました。

そして、満を持して挑んだSA、PAの声出しQRVは、時間帯的な要素もあったのでしょう。またしても、ご縁に見放されて、無交信のままに、千葉の宿に到着してしまいます。それでも諦めの悪い輩は、雨の中、駐車場に降りて、IC-705やCAT-283チューナー、RH770アンテナを取り出して、部屋に戻って窓際QRVを試みるも、またしても玉砕して、希望が粉々に砕け散ってしまったのでした。その後は、長女宅で、手助けをする日々を送っていましたが、1日だけ移動運用の許可が降りたのでした。

そんな中、選んだ場所は千葉県安房郡鋸南町にある「鋸山」でした。しかし、鋸山では中腹にある駐車場までしか行けませんでした。そんな標高では、首都圏の変調も囁き程度にしか聴こえず、コールを送る事さえ出来ない状態に、精も根も尽きてしまった私でしたが、最後に29FMで終わりにしようと、AH-705チューナーに切り替えて、ワッチに入ると、いきなり既知の福岡県のJA6/6局のCQが入感して来たのです。そのCQに夢中でコールを送り、拾って貰って交信が成立しました。

この僅か1局との交信で満足した輩は、途中で遅めの昼食を市川SAで摂り、早目に長女宅に戻ると「えっ?もう帰って来たん?駄目やったん?それにしては元気やな??」と言われてしまいます。私が1局だけど、福岡県の局と繋がった件を話すと「ご苦労様!後は、夕食までゆっくりしとき!」と言って貰えたので、寝床のある客間で、暫しの惰眠を貪ったのでした。家内に呼ばれて居間に移動すると、そこには、孫と長女が待ってくれていました。

長女宅でのルーティンワークの擦り合わせが完成してからの、復路の広島行きでも、SA、PAの声出しQRVは見事に玉砕してしまいます。車のルーフには、直接的にマグネット基台を取り付けた所為で、円形の傷が残ってしまいました。しかし、その傷跡は、人の目線の上に位置するルーフの中央にある事から、目立ち難いと判断して、車用のペイントを塗布しておきました。3回目に千葉に向かった際も車でしたが、その頃には完全に無線の気持ちはありませんでしたね。
Posted at 2025/07/31 10:52:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「これまで、移動用のアンテナポールの先端には、簡易ローテーターを取り付ける事くらいでしたが、モービルアンテナにも地上高を与えようと、この度、MJ-MJコネクターを購入して、アンテナポールに付属していた、取付金具に装着してみました。電波の飛びに期待しています。^_^」
何シテル?   08/26 11:16
★老人ギタリストもどきです。どうぞ、宜しくお願いします!! どうせ老い先短い身の上ならば、素人でも楽しまなくちゃ!!とyoutubeデビューしました。...
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