
指宿スカイラインを走行して指宿市の海沿いの道路に到達した私達は、15時過ぎには「もし時間的に余裕があったら」とアバウトなプランでいた「砂むし会館砂楽」に立ち寄る事が出来ました。その場所は遥か41年前に九州一周のバイク旅で立ち寄った、今は閉館して久しい「指宿ユースホステル」に宿泊した際に、ユースホステルのペアレント(経営者)に促されるままに、既に到着していた女の子2人組と一緒に歩いて砂湯に向かった事がありました。女の子は本当は嫌だったらしく、一緒に行くと言うよりも一定の間隔で離れて行く感じでした。
当時の「砂湯」は拙い記憶を辿ると、学校の運動会で設置する様なテントの下に、数名が横たわれるスペースが設けられていた気がします。熱い砂をスコップで客の身体にかける、係りの人は年配の女性が2人でした。私達は、別の場所で素っ裸に浴衣を纏うスタイルに着替えて、歩いて砂浜に向かいました。その時間帯は空いていたので、直ぐに砂湯体験が出来る事になります。私と女の子2人組は隣り合わせの場所に促されましたが、女の子の心情としては離れて横たわりたかったに違いありません。何か微妙な空気感を感じていた事が思い出されます。私達は係りの人のタイミングで横たわり、また、終了するタイミングも係りの人によるものでした。
砂を払い除けて立ち上がった私達は、全身に汗をベットリとかいていました。何気なく女の子の方に目をやると、素肌に浴衣が貼り付いて、ヤバイくらいに身体の線が強調されていたのでした。女の子達は、怒った様な顔を向けてから、ぷいっと背を向けたのでした。あたかも、お前は痴漢だ!と言う様な塩対応に、温厚な私もプッツン来たものでしたね。当時の着替え場所にはシャワーと湯船が併設されていましたが、先ずはシャワーで身体の砂を洗い落として、湯船に浸かってから着替えようと思っていた私に誤算が生まれます。と言うのは、湯船に浸かっていて、身体がすべすべした感じになったのでした。その理由がやがて判明する事になります。湯船にある湯は熱い海水だったのでした。結局は、シャワーを再度してから着替えた次第です。
話を現在に戻します。若干、道路からは高い位置にある「砂むし会館砂楽」の指定駐車場に車を止めた私達は、歩いて目的地である砂楽に向かいました。道路を横断した眼前に現れた施設は、近代的な建物に生まれ変わった「すな湯」ビルとも言えるものでした。エスカレーターで2階に上がって入口を入ると、ソーシャル・ディスタンスで区分けされたフロアの奥に受付と言うか料金を支払う場所がありました。首に巻くタオルは砂湯では必須アイテムらしく、持参して無かったので購入する事になります。他にはレンタルのバスタオルと浴衣一式の合計が、1人1500円と言う結構な金額となりましたね。無料鍵付きロッカーに靴や衣服を入れて、素肌に纏った浴衣姿に購入したばかりのタオルを首に巻いて、順路に沿って外に出ると家内が既に待っていました。その後、浜辺に降りる石段を降りて「すな湯」会場に行きましたね。
その場所は、かつての運動会のテント小屋から、かなりの人数が同時に入浴?できる大掛かりなエリアに変貌を遂げていました。砂をかける係りの人も数名のチームで編成されている様でした。私達は、促されるままに砂の上に横たわりました。やがて、私達の身体の上に容赦なく熱い砂が掛けられます。そして盛んに「目安は10分程度です!」と言う係りの人の声に、「砂湯は10分で終了なのか?いやに少ないな?」と訝しげながら、体の芯から熱くなる砂湯に身を任せていました。しかし、10分を過ぎても終了の合図がありません。しかも、途中で踵が熱すぎて表に露出させていたのを係りの人にチェックされて、追加の追い砂を掛けらた位でした。30分位経った頃に、家内に促されて、砂を払い除けながら立ち上がると、41年前と同様で全身が汗でべっとり状態でした。
そして、砂を叩きながら建物内に戻ると係りの若い女性からシャワーにお進み下さいと誘導されます。誘導された部屋に入ると、かなりの水量で流れて来る腰の高さに設置された「掛かり湯」の側に浴衣と帯を回収する容器が置いてありました。掛かり湯の斜め前にはシャワー室が複数ありましたが、右側に温泉らしき湯船が見えたのでシャワー室はスルーして腰タオルで湯船が見えた部屋に入りましたね。すると、その場所は体を洗う設備を有した大浴場だったのでした。しかし、そこで昔の記憶が蘇ります。つまり、湯船のお湯は「海水の温泉」じゃあないのだろうか?と言う疑問ですね。それでも、お湯を舐めるとかのアクションはせずに、湯船から上がった私は身体を洗うスペースで軽くシャワーしてから脱衣所に向かいました。
でも、多分、風呂の方は普通の温泉だったのでしょうね。後から考えると、その施設は宿泊無しの日帰り温泉施設ですから、大浴場を海水の風呂にして、更にややこしくする事は想像出来ない事ですからね。「砂むし会館砂楽」を後にした私達は、ナビに休暇村指宿を入れて出発しました。しばらく走ると左手に見えて来た古ぼけた感じの建物が「休暇村指宿」だと気付き愕然とします。と言うのは、休暇村に宿泊するのは富士宮の田貫湖にある休暇村富士に続いて2回目でしたが、前回の休暇村富士があまりに綺麗な印象が強かった事からの暫しの後悔からでした。駐車場も道路を隔てた反対側の野ざらしのスペースで、巡回の人もいない場所であったので、それも悪印象のひとつとなりました。チェック・インを済ませて通された部屋は外観に違わずの古ぼけた部屋でしたが、特にトイレが最悪でした。狭いトイレ・スペースの上、ドアが内開きであっただけで無く、表現がし辛いですが、ドアの取手も特殊だったので、結局、慣れないままに終わりました。しかし、食事と風呂は満足の行くレベルでした。食事の基本コースは「六白黒豚のしゃぶしゃぶ × ハーフビュッフェ」でしたが、ミニビュッフェが割とメニューも充実していたので良かったのです。テーブルも基本コース単位で分けられており、他のテーブルを覗くと焼肉や鉄板等々のコースも見受けられました。
食事が済んで、改めてフロントに赴いた私達に、「地域共通クーポン」の説明がなされます。それにより、3000円の土産代を捻出する事が出来て、そもそも釣り銭は戻って来ない事は判明していたので、ホテル内の売店で、それ以上の金額の土産代に化ましたね。その後、私達は部屋に戻って、入浴の準備をして温泉に向かいました。温泉は、慣れ親しんでる阿蘇地域とは異なる成分のものでしたが、硫黄の匂いは感じられ無かったものの、割と暗い中で感じた色合いは乳白色と言うか、軽い濁りのある泉色に感じたものでした。露天風呂も併設されており、そちらでも温泉を満喫してから部屋に戻りました。部屋は和室でしたが、置かれていた延長ケーブルに、USBの差し込みが装備されていたのを見て、今風だなって感じましたね。部屋は和室で窓は山側(駐車場側)でしたが、部屋の直近に海側に開けたデッキがある事が判っていたので、晴天確定であった翌朝は、錦江湾側から昇る朝日を撮る気満々で、日の出時間を確認後、就寝したのでした。
翌朝は早々に身の回りの事を済ませて、オープン・デッキに向かいましたが、そこには既に3人の人がスタンバイしてました。ソーシャル・ディスタンスを守りながら、しばらく待っていると、徐々に東の空が明るくなり、日の出が始まりました。動画を含めて、ひとしきり日の出を堪能した私達は、部屋に戻って帰り支度を始めます。それが済む頃には朝食の時間になったので、レストランでガッツリと腹を満たしてから部屋に荷物を取りに戻り、チェック・アウトしました。エクストレイルに荷物を収納して乗り込もうとすると、車体にうっすらとした付着物がある事に気付きました。もしかしたら、桜島の灰が飛んで来てる?と思いながら、ペットボトルに入れていた水を使用して、軽く車体を拭いてから乗り込みましたね。
旅行2日目の当初のプランは子供(孫です)の成長に御利益がある神社として唯一ヒットした、指宿から約1時間半の場所にある「三船神社」でしたが、御朱印ファンの家内から、現在の場所からは若干、後戻りにはなるけれど、行きたい神社があるから行こうと言われます。その神社とはズバリ「指宿神社」でした。ナビに住所を入力して到着した場所は、伝慶雲3年(706年)に創建された由緒正しき神社でした。家内が御朱印を貰う間、敷地内を散策した私でしたが、その後、合流して、本来の目的地である「三船神社」に向かいました。
フォトアルバムの写真は順に、「砂むし会館砂楽とその周辺」「夜の休暇村指宿外観」「オープンデッキからの錦江湾側の日の出」「指宿神社」です。
Posted at 2020/11/13 12:30:12 | |
トラックバック(0) | 日記