
前日からの燃費計算が終わった私は、最終日のメインとなる「水前寺公園」とナビに入力したところ、高速道路を使って行くルートが目に飛び込んで来たので、他のルートを確認する事なく早合点してしまいます。そこで改めて「やまなみハイウェイ」の起点と認識していた「湯布院」を入力して、小刻みに目的地を変更すると言う、恥ずかしくもアナログな方法を選択してしまったのでした。多分、最初のナビの表示でも一般道を通るルートがあった筈なんですが、その時は、何故か凝り固まった頭しか持ち合わせてなかったのでした。私達はナビの指示通りに別府インターから、鶴見岳を廻り込みながら湯布院インターを目指しました。道路は混むことなく20分程で湯布院インターに到着します。インターを降りて路側帯に停車して、凝り固まった頭の持ち主が、ナビに入力したのは、「阿蘇ロープウェイ」でした。そして、ナビの指示通りに出発したのでした。
当然の結果として、やがて「思い出のやまなみハイウェイ」に乗る事が出来ました。小中学校の修学旅行では、緑の草原を見ながら観光バスで周遊出来た、やまなみハイウェイでしたが、学生時代のバイク旅行では、時期が冬場で全面凍結により通行不可でした。(2020年1月18日に投稿した真冬のツーリング参照)その後、夫婦だけの生活になった頃にも、家内の実家に依頼されて、かつて義父が購入したと言う熊本県阿蘇郡小国町の山林が本当に実在するのかを確認しに行った事がありました。(購入当時は家族で現地に行ったそうです)、もし存在するのなら私の息子にあげると言われて、勇んで行った愚かな私がそこにいましたね。当日、私が宿泊場所に選んだ場所は、学生時代にも宿泊した事があった「阿蘇ユース・ホステル」でしたが、悲惨とも言える現状を見た家内から拒絶された為、次は無いよ!と念を押して、九重山の麓にあったユース・ホステル(外観的には阿蘇ユースよりは良かったです)に、宿泊した際にも、少しだけやまなみハイウェイを通りました。(山林は実在しましたが、購入した土地にアクセスする道が無いと言う詐欺紛いの物件でした)
そんなノスタルジーを感じていた「やまなみハイウェイ」を進むうちに、連日の強行日程で疲れたのか、僅かに睡魔に襲われた私は、たまたま目に入った入った道の駅(名称は忘れました)の駐車場で仮眠する事にします。(と言っても、いつも15分程度でスッキリします)私が仮眠してる間に、家内が周囲をググったらしく、私が目を覚ましたタイミングで、近くにあると言う「九重夢大吊橋」に行こう!と言う事になったのでした。そしてナビに入力して、ナビ通りに進行して到着した場所(駐車場)で私達は驚きました。一体、どこにいたの?という程の、車の多さ、人の多さだったからでした。しかし、目的地を「水前寺公園」に定めている私達には、悠長に吊橋を渡る時間はありませんでした。大吊橋の写真撮影とトイレだけ済ませて、元の道(やまなみハイウェイ=県道11号線)に戻るために来た道を引き返しました。
やまなみハイウェイでは、プロパイロット(半自動運転装置)のハンドル支援(ハンドルを自動操縦する機能)は期待出来なかったものの、先行車が存在する条件下では、アクセルとブレーキの自動制御が可能でした。車間距離を3段階の最大距離にする事で、ヘアピンカーブであってもスムーズな追随が出来たので、かなり楽勝に進む事が出来ました。但し、先行車が速度を上げると、自動追随にするには、あまりに怖くて、急いでマニュアル操作に切り替えましたね。私達は、大分県玖珠郡九重町を進むうちに、阿蘇郡南小国町を経て阿蘇市に入って来ました。その後、阿蘇市の一の宮町に差し掛かった時、いきなり「阿蘇神社」の看板が現れたのでした。そこで、折角だからとお参りする事にします。しかし、「阿蘇神社」は大規模な修繕工事中だったので、仮本殿でのお参りしか出来ませんでしたが、家内にとっては、しっかりと御朱印をゲットする事が出来たので家内的には良かった様です。
やがて県道11号線から離れて、いつしか県道23号線を走っていました。ナビの指示通りに進むうちに、徐々に賑やかな街並みに遭遇する事になり、遂には熊本市内に入ります。そして最終的な目的地として選択した「水前寺公園」の有料駐車場に入庫する事が出来たのでした。時刻は既に15時前になっていました。私達は熊本には何度か来ていましたが、「水前寺公園」は初めてでした。写真でも見た事があった園内を散策しながら景色を撮影します。家内は公園内にある「出水神社」の御朱印もゲットした様です。こうして1時間余り園内で過ごした私達は、水前寺公園を後にしたのでした。駐車場を出て、熊本市内を少し走行した後、九州縦貫自動車道に乗りましたね。但し、夕食を摂る為に立ち寄るサービス・エリアは既に決めてました。それは、福岡県古賀市の「古賀サービス・エリア」でした。
「古賀SA」に拘る理由は、かなり前に初めて立ち寄った際に食べた「豚骨ラーメン」が、とても美味しくて、それ以来、九州にドライブする時には、必ず立ち寄る場所に決めていたからでした。18時過ぎに古賀SAに到着した私達は、豚骨ラーメン(麺大盛り)+ご飯を、カロリー摂り過ぎ!と家内に怒られながらも食べた私でしたが、初めて立ち寄った頃の古賀SAとは、いつしか趣を変えたSAに思いを馳せたものでした。最初の頃のフード・コートは豚骨ラーメンがメインで、迷う事なく豚骨ラーメンでしたが、現在の古賀SAの豚骨ラーメンは、色々ある中の豚骨ラーメンになってしまっているからですね。その後、無事に自宅に最寄りのインター・チェンジに辿り着いた私達でしたが、翌日の午前中には、自宅近くのガソリン・スタンドで最終的なジャッジを行うべく給油した次第です。最終日の走行距離が542.4Kmで燃費は15.26Kmとなりました。3日間の総走行距離は1710Kmとなり、2018年に北海道レンタカー旅で4日間で1713Km走破した記録を凌駕する結果となりましたね。やはり、日産が誇る「プロパイロット」の貢献が非常に大きい旅となりました。
実はこのロング・ドライブには後日談があります。九州ドライブから帰った3日後には京都往復で更に走行距離を伸ばした訳ですが、九州ドライブ直前の11月5日頃から、腰に痛みが出始めて、いつもお世話になっている「ロキソニン・テープ」を毎日貼り替えながら、凌いでおりましたが、前日の8日には遂にロキソニン・テープ+腰サポーターと相成りました。出発当日には上記の体制プラス、Gパンを履いて更にベルトで締め上げると言う状況にもなっていたのでした。つまりは旅行なんてとんでもない!って状況だったのですね。その事は家内には言わずに出発した私は、初日の休暇村指宿でカミングアウトしました。その頃は、何とか普通に歩く分には支障がない程度には回復していたのですが、腰を曲げるとかズボンを履くとかの動作は苦しい状態でした。
それでも、腰の痛みを騙し騙しながらもロングドライブを完遂させた私でしたが、京都から帰って来た翌日の18日には、初めて近くの整形外科を受診したのでした。そこで下された診断は「ぎっくり腰になりかけの状態」でした。その時点では急性期の厳しい状況からは脱していたものの、鈍い痛みもさる事ながら、毎日、貼り替え続けていたロキソニン・テープで被った、肌の荒れがかなり酷い状態だったのでした。私は複数あった選択肢の中から、ブロック注射を選び患部に打って貰いました。ただ、ブロック注射はステロイド薬剤を使用している為、2週間のスパンが必須と言うことで、現在、痛み止めの内服薬のみで、荒れた肌を癒しながら、場合によっては腰サポーターを併用して安静にしているところです。2週間後でも痛みが残るなら、場所を変えてブロック注射をお願いするつもりですね。(⌒-⌒; )
連動するフォトアルバムは「九重夢大吊橋とその周辺」「やまなみハイウェイ上の各所」「阿蘇市の城山展望台」「阿蘇市の阿蘇神社」「水前寺公園」「古賀SAの豚骨ラーメン」「19時39分頃の関門橋 」ですね。
Posted at 2020/11/21 14:57:53 | |
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