
私のアマチュア無線のコールサインは昭和62年(1987年)に開局した頃に住んでいた近畿地方のものです。当時の日本のアマチュア無線人口はゆうに100万人は超えており、世界一の無線人口を誇っていました。アマチュア無線局の免許有効期間は5年間で、アマチュア無線では日本の地域を10個のエリアに区分しており、私の住んでいた近畿地方は「3エリア」と呼称されています。従って、取得したコールサインは「3」を冠するものでしたが、当時は自家用車の牽引用フックにアンテナを取り付け、グローブボックス下部に設置した専用のラックに無線機を吊り下げて「移動局」としてアマチュア無線を楽しんでいたものでした。開局当時の住居は、大阪府箕面市でしたが、勤務先のあった兵庫県西宮市まで通う171号線の道中や、勤務先からは割と簡単に行けるイメージだった甲山経由でアクセスする六甲芦有展望駐車場(昼間は有料でしたが行くのは決まって深夜だったので無料でした)を常駐場所にしたりしてました。その頃、交信中に発するコールサインの後には常に「ポータブル3やモービル3」を配してました。
その後、瀬戸大橋が開通した昭和63年(1988年)に香川県高松市に転勤します。その頃はコールサインの後に四国エリアを示すエリア番号「5」を配して「ポータブル5やモービル5」を連呼しながら、車で登れる四国4県の高い山は制覇したと豪語するまでにのめり込んだものでした。開局した最初の5年間(主に2年間程度)は主に「7MHz帯や21MHz帯、28MHz帯のSSBモード」の運用に偏っていましたが、次第に28MHz帯で唯一FMモードが使用可能な「29FM=テンメーターエフエム」に心酔して、3エリアに在住していた後半から29FM絡みの移動運用に主きを置いて行きました。その後、平成3年(1991年)になって高松市からUターンして戻った地元の広島では、既にコールサインに冠した「3エリア」からは遠く離れておりましたが、相変わらずの体で、中国地方を示す「4」を、コールサインの後ろに配して運用していたものの、興味が徐々にアマチュア無線からパソコンにシフトする事になり、合計で3期(15年)に渡って愛着を持って使用して来たコールサインを返納して廃局しました。
返納したコールサインは、その後、コールサインの再割り当て(コールサインが枯渇した事で、本人が死亡したり、閉局によって戻って来たコールサインを新しく開局申請した局に再交付する制度)により、別の方が使用していた事は、当時、広島で知り合った無線家の方に聞いていて知っていましたが、平成26年(2014年)に総務省のホームページに無線局の検索サイトがある事を知り、何気なく以前使用していたコールサインを検索したところ「検索結果が0件です」と表示されたのを見て、これは神が与えてくれたチャンス(大袈裟)と捉えて、かつて交付されていた無線局の免許状のコピーやら、交信した際に送り合うQSLカード等々を申告して、最後の5年間で使用していた29FMのハンディー機(手持ち可能なトランシーバー)で再免許申請を行ない、かつて使用していたコールサインを取り戻したのでした。(以前に使用していたコールサインを取り戻せる制度が出来たので可能になった話ですが・・・。)再免許の申請時には、居住地域が3エリアである必要があると感じていた私は、再免許で申請した住所(無線機の常置場所)を家内の実家がある京都市左京区としました。しかし、コールサインを取り戻してもアマチュア無線の運用には至りませんでした。
無線局の免許を受けたものの、何もアクションを起こさないままに5年間が経過して、更に5年間の更新手続きをした私でしたが、ある日ネットを閲覧していると、アマチュア無線に「デジタルモード」と言うものがある事を知ります。高松市に在住していた頃にも、アマチュア無線でパケット通信をしていた局はいましたが、門外漢の私にとっては想像すら出来ない世界でした。デジタルモードを調べて行くと、そのデジタルモードの運用は割と敷居が高いなって印象を持った事もあり、その時点で、自分には遠い世界の話だと既に諦めてもいました。そして昨年の事です。YouTubeで簡単にデジタルモードが設定可能な無線機がある事を知ります。その無線機のデジタルモードの方法を見て、遽(にわか)に「無線局として運用する」と言う気持ちが再燃する事になったのでした。その無線機はアイコムが発売する「IC-705」と言うモデルでした。私が一番に注目したポイントが「Wi-Fi接続で簡単に全国各地にいる無線局と交信できる」と言う点でした。しかし、このWi-Fi接続の交信をアマチュア無線では無いと言う声があるのも同時に知る事になりましたが、それを度外視しても、これまで電波障害を出したり、近所の目を気にしたりして出せなかったアマチュア無線の特徴あるアンテナを外部に設置しなくても、自宅に居りながらデジタルモードのアマチュア無線局が開設出来ることは、私にとっては最大限に魅力的に映ったのでした。
何故、「これはアマチュア無線では無い!」とまで揶揄されているデジタルモードが魅力的に映ったかと言いますと、開局した当時の住居は大阪箕面市の阪急電車の駅近の借上げマンション(社宅)の2階で、高松市の住居も同じく借上げマンション(社宅)の2階でした。おまけに現在の住居もマンションの2階と言う、素晴らしい眺望=電波が遠くに届く高層階には遠く及ばない状況なのですね。従って、アマチュア無線の交信は、平成7年(1995年)に電力会社の仕事で横浜に出張した際、上大岡のホテル(元ラブホテルらしいです)で運用していた期間以外は、常に、屋外や車で運用しなければならない状態でした。平成7年(1995年)のそれは、アンテナと同軸ケーブル、それと安定化電源を休日に秋葉原で購入して、アンテナは自由に出入り出来たホテルの屋上に看板に沿って設置(アンテナは銀色で看板の色と同化して目立たなかった)し、同軸ケーブルで3階の部屋(ホテルは3階建て)まで引き込みました。ホテルの部屋ではコンセントから安定化電源(部屋にある100ボルトのコンセントから電源を取り、無線機の動作電圧である13.8ボルトに変換する機器です)を介して、持参して来た29FMのハンディー無線機に接続して、横浜に在住するアマチュア無線局との交信を楽しんだものでした。その横浜の出張は義兄の急逝により帰任しなければならなくなり、短期間の運用で終了しましたが、部屋で気軽に楽しむ事が出来たアマチュア無線は、私に結構なインパクトを残したのでした。そんな理由で自宅でアマチュア無線が出来ることは、私にとっては理想とするアマチュア無線の姿でもあったのでした。
デジタルモード運用が簡便に可能となる無線機アイコムIC-705に対しての興味が増して来たある日、ネット上の記事でIC-705を使用して、自宅でWi-Fiを利用してデジタルモードを使用可能にするゲートウェイ通信(ゲートウェイ通信とはD-STARレピータを使わずインターネット回線や携帯電話回線を経由するシステム)と呼称される方式を運用する為には、自宅のネット環境が「iPv4」である事が必須条件である事を知るのでした。iPv4とはインターネットに接続されたコンピュータにはそれぞれのコンピュータを識別するためのIPアドレスと呼ばれる固有の番号が割り当てられる32ビットの方式で、もう一方のiPv6はiPv4方式からより進化させて、より安定感が増した新しい128ビットの方式でした。多くのネット環境がiPv6方式を採用していましたが、ネットワークゲーム等々の様な、直接パソコン同士でやり取りする環境ではiPv4方式を使用しないと成立しない条件でした。私のネット環境は元々はNTTの光回線とは別にプロバイダー契約でOCNがあると言う形態でしたが、ある日、OCNから「窓口がひとつになった」と言う、紛らわしい話(ある種の口車)に乗せられてOCNのコラボ契約でNTTから乗り換えてしまいました。これが、OCN以外のプロバイダーであれば迷わずに「NO!!」と言う返答が出来たのですが、よりによって相手がOCNだったのでウッカリと乗り換えてしまった愚かな私がいたのですね。そんな、因縁染みたOCNのサポートに、iPv4の件で電話すると、我が家の通信形式は「iPv6」だった事が判明して、大いに落胆します。しかし、よくよく聞いてみれば、元々、iPv4とiPv6の2種類の回線が存在していて、どちらも既に来ているので(その時点ではiPv4方式は待機中でした)切替は可能である事を知った私が安堵した事は言うまでもありません。
遂に自宅で運用するアマチュア無線のビジョンが定まった私は、具体的にアマチュア無線を再開局する為の準備を開始する事にしました。そこで姑息にも考えた事は、どうせ購入するなら、サポート体制が容易に得られる近場のハムショップで購入するの道は捨てて、私が重宝している「Yahoo shop」を利用して、最大限にポイントが貰えるタイミングで購入しようと画策します。年末のビッグセールで一番還元率の高いショップから購入したIC-705は慢性的な品不足(半導体不足?)により、注文日よりも1ヶ月遅い2022年の1月末に到着すると言うものでしたが、特に開局を焦ってない私にとっては問題ない事でした。これが初めての開局だったとしたら、まだか?まだか?と言うスタンスで、そんな1ヶ月後に到着する無線機には見向きもしなかったでしょうね。アンテナはIC-705の運用範囲(1.8MHz〜430MHz帯)にピタリと合致する、発売したばかりだった第一電波工業製のRHM12(1.8MHz帯と3.5MHz帯オプション付き)にして、マグネットアース(第一電波工業製MAT-50を4枚)も含めた、無線機プラス周辺機器の一切合切に対して、最高にポイントが奪取できるショップを個別に選んだものでした。しかし、年末近くのある日、翌年の1月末だと思っていたIC-705がサプライズで年末に到着して来たのでした。(IC-705を他店から調達したものと思われます)
しかし、無線機が来たからと言って直ぐに電波は出せません。総務省の近畿総合通信局に無線機の変更申請をして、新しい免許状が交付されて来ない事には無線局として開局できないのですね。令和4年(2022年)の1月4日に近畿総合通信局に対して無線機の取替えに伴う「変更申請」をネット環境から実施する電子申請で行いました。申請には所持する無線機固有のシリアルナンバーが無いと申請不可能な為、年末に到着したIC-705のシリアルナンバーを本体裏で確認してから申請に臨みました。その後、審査終了を電子申請システムで知った後で届いたメールで免許状の受取り方法を確認した私は、近畿総合通信局に対して、家内の実家(京都市)の住所を書いて切手を貼った返信用封筒を同封して、新しい無線局の免許状の受け取り申請を行いました。京都の家内の実家にいる義弟の計らいで、広島の自宅に送付されて来た免許状で、形式的には、いよいよの開局となりましたが、免許状が来たからと言って直ぐには電波を出すとは行きませんでした。と言うのは、元々、昭和62(1987年)年に開局した当初も無線機にアンテナチューナーと呼ばれる、アンテナと無線機の同調を手助けする機器を使っていた私にとっては、アンテナを調整するノウハウを持ってませんでした。アンテナと無線機の整合は定在波比と言う、通常はSWR値で表される数値です。その数値を限りなく1.0に近づける事で無線機からの出力が100パーセントに近い形で放出される事を示しており、出力が半減される状況と言うのは、その半減されたものが電波障害を他の電子機器に与えている事を示しているので、SWRを調整する事はアマチュア無線では最大限に重要な事でした。そのSWRを自動で合わせてくれる魔法の機械がアンテナチューナーと呼ばれるものだったのですね。その機器を開局当時から多用していた私にとって、チューナー無しでアンテナを調整する作業は大変でした。その為に、何度も近くの公園に出向いての調整の日々が続いたのでした。
その内には諦めに似た感情が芽生え始めます。そこで取った行動は、29FMから430MHzまでほぼ無調整(29FMは要調整)で使用できるのが謳い文句の、第一電波工業製のCR8900アンテナを安易に購入すると言う愚挙でした。しかし、CR8900を持ってしても、一番に運用したい29FMの調整が難しく、遂には、第一電波工業のサポートに電話したのでした。29FMの微調整は先端にあるエレメント(棒)をレンチで締めて長さを調整すると言うものでしたが、サポートから言われた事は「先ずは先端のエレメントを5cm程度カットしましょう!」と言うものでした。それはかなり常識的な事らしく、それすらも知らなかった恥ずかしい私がいたのでした。苦労してステンレス素材の先端部のカットに成功して、そのお陰も相まってCR8900の調整が完了した私でしたが、肝心のメインで使用するRHM12アンテナの調整が出来なければ意味はなかったので、その頃からIC-705と同じ名称を冠するアンテナチューナー「AH-705」の存在が大きくなり始めたのでした。その頃には無線機一式の購入で取得したポイント(Tポイント+PayPayポイント)の総額が2.2万円にもなっていました。そこで、このポイント吐き出して3万円前半の売価であった「AH-705」の購入に踏み切りました。
一方、無線再開の原動力となったデジタルモードでの運用は令和4年(2022年)2月1日から開始されました。デジタルモードである「D-STAR」は、調整に苦しんでいたアンテナとは無縁ではあったものの、一応、ダミーロード(ダミーロードとは高周波を発する機器の同軸ケーブルの終端に装着する抵抗のことを指します。 ロードとは負荷のことですので、機器から出る高周波をこのダミーロードで消費させることで空間に電波を発せずに機器の調整等が可能になります)も購入しました。そんな風にD-STARの運用の為の準備は着々と進められていました。ネットの通信形態もiPv4に変更され、自宅からWi-Fi利用する為に、最大のポイントであるルーター内の設定を変更する「ポート解除」も実施しました。ポート解除しなくてもIC-705にはホテル等のネット環境下であってもゲートウェイ通信が可能となる設定がありましたが、自宅で運用する予定の私にとってはポート解除は重要な事でした。ポート解除はNTTから貸与されていた終端装置(CTUと言います)から最初に接続するルーターである、RT-500KI上で静的マスカレードから指定のポート番号を設定する事で完了させる事が出来ました。ポート解除が成功したかどうかは自動で応答を返してくれるレピーターを介して確認が取れました。その後、JARL(一般社団法人 日本アマチュア無線連盟)にもD-STARの利用登録に合わせて会員登録も済ませ、QSLカード(交信した際に送り合うカード)のベース画像にする為に、広島県呉市の山に登って写真を撮り、それを元にしたカードも作成しました。しかし、2月1日に実施した20年振りとなった交信は実に緊張したものでした。事前にYouTubeの無線局の動画を参考にして「会話マニュアル」を作り、眼前にセットして臨みましたね。
2月19日現在、交信した総数は22局で、その内、デジタルモード(D-STAR)は19局です。実際に公園で電波を出しての交信は29FMで広島市内の方との僅か2局だけで、後述するアンテナチューナーAH-705が到着後には、指定駐車場の屋上で30年振りとなった7MHzで交信した1局のみとなっています。D-STARでは北は北海道の稚内430レピーターを介して交信した地元のアマチュア無線家の方から西は長崎430レピーターを介して繋がった、YouTubeにも登場した事があるアマチュア無線家の方までと多岐に渡っており、交信した記録を残す記録簿はアマチュア無線をする者なら誰もが知っている「ターボハムログ」と言う無料ソフトと、実際に文字を書いて管理するログブックの2系統管理としていますが、QSLカードの印刷はターボハムログを使用して印刷する予定でいたものの、最初に発行したカードの段階では、メインの情報は印字出来たのですが、それ以外の情報はシール付きのプリンター用紙に印字させたものを貼り付けると言う稚拙なQSLカードとなってしまいました。しかし、昨夜になってから漸く完全なターボハムログによる印刷に成功した次第です。
D-STARに慣れて行くに従って、他のデジタルモードにも興味が湧いて来た私は、音声による交信では無く、パソコン上で自動で交信が成立する?「FT8」も加えた免許状にしようと考えて、再度、更新申請をする事にします。以前にも書きましたが、既にドスパラ製の最強ゲーミング・ノートパソコン(Core i7-11800H/RTX3070/32GBメモリ/1TB SSD/17.3WQHD)も購入済みなので、それを生かしたいと思ったのが理由でした。令和4年(2022年)2月4日にFT8を追加したもので電子申請しましたが、2月16日に審査が終了して、現在はFT8を追加した新しい免許状が、京都の義弟による2度目の転送により自宅に到着するのを待っている状態です。そして、2月18日金曜日の事です。散々と変更申請した流れで、ついでだから「4エリア=中国地方」のコールサインも電子申請でゲットしようと思い立っていた私は、事前に電子申請する為のIDを中国総合通信局に申請していました。それと言うのは改めて最初からIDの申請手続きをすれば、近畿総合通信局とのネット上のやり取りとは別になると考えたからでした。しかし、到着した書類を確認してみると、そのIDが近畿総合通信局で使用しているものと一緒だった事に落胆して、これは申請したところで到底駄目だなと半ば諦め気分でいたのですが、後日、やっぱり思い返して、ダメ元でも一応中国総合通信局に「4エリア」の開局申請をしてみようと思い立って申請したタイミングでした。しかし、後になって「FT8」をする為の追記文を忘れていた事に気が付いたのでした。FT8を運用する為には、備考欄に「デジタルモード運用のためにパソコンを接続」の一文を付記するだけだったのですが、それを忘れてしまっていたのです。仕方ないので追加申請の書類としてExcelのフォーマット内に上記の文言を加えたファイルを添えて追加申請しました。
折しも、2月18日金曜日はヤマハのギター教室の日でした。いつもなら、指定駐車場まで徒歩で車を取りに行き、自宅マンション下まで移動して、LINEで連絡を取って家内が持ってくるギターケースを後部座席に積み込んでから出発と言う流れでした。午後5時前に指定駐車場を出発した私は、自宅マンションにもう直ぐ到着する段階でBluetoothで接続されたハンズフリーの車内電話が鳴ったのでした。それが、あまりに突然だったので、慌てて、いつもなら曲がるマンションの角を曲がらずに直進してしまいます。すると電話の相手は中国総合通信局の人だったのでした。その方が言うのを聞くと、貴方が提出した書類を確認すると、既に近畿総合通信局で発行されたコールサインを受けている事実が見受けられます。と言うものでした。私はこれはコールサインの2個持ちは所詮は叶わぬ夢だったのかと落胆するも、話は違っていたのでした。無線機の常置場所(書類上の無線機の設置場所)は京都で構わないので現住所だけ広島にして欲しいと言う話だったのでした。つまり、無線機の常置場所としては京都の家内の実家で手続きしている「3エリア」のコールサインが交付され、今回申請するアマチュア無線局の設置場所は広島の私の自宅として「4エリア」のコールサインが交付されると言う話だったのでした。つまり、それぞれ現住所は、どちらも広島の自宅で問題ないと言う話だったのですね。つまり、これまで2度に渡って義弟にお願いしていた転送依頼は無意味って話であり、常置場所の変更を伴わない単なる住所変更は問題なくコールサインの温存が可能であると言う事だったのです。しかも後から追加したFT8に関しては、新規に無線局を開局する場合にFT8も同時申請すると保証認定制度の対象となってしまい、費用と時間が余計に発生してしまうので、一旦は「4エリア」のコールサインを貰った後からFT8の追加申請する方が良いとのアドバイスも頂いた次第です。
中国総合通信局の担当者とのハンズフリー会話の間、私はいつものヤマハのギター教室までのルートを普通に走行していました。その間、ギターを受け取ると言うルールは完全に頭から飛んでいました。そして、会話しながらも教室のあるアルパークの東棟の駐車場に到着してしまったのでした。その駐車場の一角でエンジンを付けたままで、エアコンの暖かさの中、ボーっとして講習の時間を待っていた私に家内からのLINEが来ました。「あんた、もしかしてギターを忘れて行ったんちゃう?」と。そこで、はっと気付いた愚かな私がいました。既に取りに帰る程の時間は残されておりませんでした。仕方ないのでヤマハの講師にLINEを送って、代わりのギターを貸してもらう事にして、通常通りにレッスンを受ける事が出来たのでした。家に帰ると家内からは長時間に渡って外で待ってたから風邪引いたわ!と怒られましたね。現在、住所変更を行う為に、総務省のホームページからダウンロードした変更申請のフォーム(Word)に所定の事項を入力して、備考欄には「常置(設置)場所は親族宅(家内実家)」と明記して月曜日に送付すべく、返信用封筒も同封して準備しています。月曜日の朝9時過ぎには速達で近畿総合通信局に送付したいと思います。
話をAH-705の到着時に戻します。自力でのアンテナと無線機の整合に苦戦した挙句に購入したAH-705アンテナチューナーでしたが、この運用にも紆余曲折がありました。IC-705への電力の供給は最初はAmazonで購入したトリガーケーブルを使用して、AnkerのPDモバイルバッテリーからの予定でしたが、肝心のトリガーケーブルでは電力供給が叶わず、急遽、CQオームが販売しているモバイルバッテリーからIC-705に電力供給可能なケーブルとして定評のあったOHM-USB705/OC/PD IC-705を購入します。他にはシガーライターからも電力供給可能なOHM-CP705も購入しました。そして全ての機器を接続してAH-705のチューン動作(整合動作)に入った途端にIC-705の電源が瞬間切れて再起動が掛かったのでした。何度やっても同様の状態に遭遇しました。これでは整合どころの騒ぎではありません。その後、シガーライターからOHM-CP705を使用してIC-705に電力供給させたところ、こちらでは正常に起動が出来たので、益々、訳が分からなくなりました。(今でも判っていません)IC-705とAH-705のメーカーであるアイコムのサポートやケーブルのCQオームのサポートを巻き込んで相談する事、1週間余り、試行錯誤を重ねた結果、遂に解決をみる事になります。原因はモバイルバッテリーから無線機に電力を供給するUSBケーブルであるOHM-USB705/OC/PD IC-705に、AH-705からIC-705に接続するBNCアンテナケーブルの電波が乗っかってしまい、負荷が掛かって電源が落ちるからだと判明したのでした。その解決の為にはUSBケーブルにフェライトコアを施工すると言うものでしたが、私は独断でフェライトコアの施工前に、自宅にあった電波を遮蔽する効果が期待できるアルミホイルをケーブルの全長に巻き、その上から黒のビニールテープで更に巻いてテストする事にしました。結果、これが劇的に効いてくれて、IC-705の電源が落ちる事はなく正常に動作した為、仰々しくフェライトコアを施工する事は止めて、見た目が多少悪くはなりましたが、そのままの状態で使う事にしました。
Posted at 2022/02/19 18:03:34 | |
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