
皆さんどうもです🙇
自分にとって、🚃鉄道は趣味のひとつで。
毎年、3月になりますと『ダイヤ改正』実施されます。
今でこそ、📲スマホやアプリ、PC等で調べればすぐに分かりますが、かつては📖時刻表が頼り。
自分の場合は、車両にも好き嫌いがあるので、改正の度に📖時刻表(大小)と貨物時刻表、あとはこの東京時刻表を買って、自分オリジナル仕様に仕立て書き込んで、あとは頭に叩き込んで🙅
現在、📖東京時刻表は『不定期発行』になってしまいまして、今回のダイヤ改正実施にて発行になり買いました。
この時刻表は、まず『列車運行番号』が記載されており、地下鉄線に乗る時でも列車番号のアルファベットで車両が分かります。
🚃中央線快速を例に。
小さくてわかりずらいかも知れませんが、現在🚃中央線快速は、『T運用』と分割編成(真ん中に運転室が付いている)『H運用』があります。
基本的に、中央線の場合は、01→03→05と運用が流れます。
★上りは、『偶数繰り上げ』表示になります。

かつて、昭和の国鉄時代は、
👮三鷹電車区持ちの『A運用』

👮武蔵小金井電車区の『H運用』
こちらは、昭和32年から初の新性能形になる、🚃101系のみの配置で、201系が入るまでは『オール非冷房』のみの配置でした。

🚃103系電車。中央線には昭和48年から活躍。
豊田電車区に、新製冷房車両が導入されました。
👮豊田電車区持ちの『T運用』
01T~快速運用 51T~特快運用と分かれてました。
で、当時の中央線快速は、特快運用には基本的に『冷房車両』を優先に運用組まれており、
当時は、青梅線も拝島以西は7両編成しか入れなく、当時の分割編成は『H運用』しかなく、まず冷房車両が走ってきませんでした。

昭和も54年頃になると、103系電車が、京浜東北線からオレンジ色に塗り替えられて、冷房改造されて、三鷹電車区に転属されて、ようやく『分割編成』にも冷房車両が走るようになり、青梅線では初デビューになりました。
ただ、🚃103系は加速とブレーキ制動が🚃101系より悪く、早々と🚃201系導入されるに伴い、一旦三鷹電車区から豊田電車区に転属し、昭和57年頃までには、総武線や南武線等に追い出し転属されました。

『省エネ電車🚃201系』がデビューして、昭和57年にようやく青梅線青梅まで10両編成が入れるようになり、民営化されてJRになり、当時日中のみでした『特別快速』も終日走るようになり、平等化されました。

現在は、🚃E233系電車が活躍して、今に至ってます。
まだ学生の頃は、地下鉄に乗る時も、基本的に調べて乗り合わしてました。

日比谷線に乗る時は、東急車の『K運行』

都営浅草線に乗る時は、京浜急行車両の『H運用』

かつて、東武伊勢崎線・日光線の8000系も、春日部と館林、栃木所属車と運用ありました。

西武線は、『3ドア10両編成』ですと、🚃101系運用でしたので、✏チェックしてました。
今でも、🚃211系長野車は✏チェックしてます。
★一部の🚙みん友さんはご承知ですが、かつてはウチの前
走っている🚌バスも運用を頭に叩き込んでました😅

若き頃は、すぐに頭に叩き込んで忘れませんでしたが、今は紙に書いてやっと…
覚えられなくなりましたねぇ~🙍
今回のダイヤ改正にて、貨物関連には『ロクヨン機関車』が関東に来なくなり見納めになりましたが、大きな時刻変更はなく、
しかし、首都圏の初電が遅くなり、遠距離日帰り範囲が狭くなってしまいガッカリ…😭
また暇を見て、『✏あんちょこ表』作成しないと…
終わり👮
Posted at 2021/03/27 00:33:38 | |
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