
私は高校野球が少しだけ好きでだ。
昔はプロ野球も好きだったが、それほど、熱烈なファンでもないし、王選手のような偉大なスタープレイヤーが引退した後は、ほとんど見なくなっていた。
高校時代、春の選抜甲子園に自分の母校が出場。同じクラスメイトが甲子園の土を踏むということで、新幹線を使って応援にも行ったものだ。
以来、毎年、春・夏は甲子園の出場校が気になる。
今日はそんな高校野球でのお話。
サヨナラ負けに不服!整列せずに試合終了(野球) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース
このニュースによれば、秋季高校野球兵庫大会3回戦が行われた23日、明石商―加古川北戦の9回裏、1点を追う明石商が1死満塁から右越え安打。二塁走者も生還したが加古川北側は「二塁走者が本塁を踏まなかった」とアピール。審判も一度は認めて「二塁走者はアウト。得点は1点」と判定を覆した。しかし明石商側も「本塁を踏んでいる」と猛抗議。再協議の結果、判定は元に戻って明石商のサヨナラ勝ちとした。
サヨナラ負けした加古川北校ナインは試合終了の整列に加わらずゲームセットとなっていたことが分かった。
このニュースを読んで、思うことがある。
まず、問題なのは審判の判定だ。
何を根拠にその判定をくだしたのだろうか?
きちんとした根拠があるならば、たとえ、どんなに抗議を受けようが、その判定が覆ることはないはずだ。
その根拠が曖昧だから、ちょっと抗議を受けただけで、判定が何度も変わってしまう。
そうなれば、選手は不服に思って当然だ。
次に、整列をしなかった選手達の態度だ。
確かに、二転三転する審判の判定はおかしいが、だからと言って、通常、整列をすべきところをスネテ整列しないという行動に出るのは、小学生並みだ。
整列をしなかったところで、判定が覆るわけではない。
ならば、
納得いくまできちんと抗議すべきなのだ。
そして、何よりも重要なのは、
負けた側の選手の考えだ。
「本塁を踏んだかどうか」というのは、ゲームのルール上勝敗を決めるのに大きな問題ではある。
しかしながら、投げて、打たれて、アウトに出来なかったのは事実であり、その時点で負けなのだ。
そして、それが彼らの実力だったのだ。
そのことを彼らは
どう受け止めているのだろうか?
負けたのは、自分達のせいではなく、審判の判定のせいだと思っていやしないだろうか?
本当に強くなるには、自分達の力の無さを素直に認め、更なる力をつけるために、努力、精進することだ。
それが分かっていなければ、彼らが再び勝利をつかむことは無い。
そういうことは、いくつになっても大切なことだ。
素直に負けを認めること。
自分の力の無さを認めること。
そして、どうすれば強くなれるのかを考え、努力し、上を目指す。
歳をとればとるほど、そういうことが難しくなりがちだが、歳をとるほどそういうことが大切なってくる。
私もときどき考える。
その答えは間違っていないか?
ベストを尽くしたか?
他に出来ることはないか?
この両校、事態を重く見た兵庫県高野連の理事長が「整列をしなかったのはスポーツマンとしてはあってはいけないこと」と、25日に両校関係者に事情を聴く考えを示しているそうで、試合の勝敗だけの問題では終わらなくなってしまったようだ。
Posted at 2009/09/25 15:42:11 | |
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