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ユージ&ジェノスのブログ一覧

2011年03月11日 イイね!

震災 その後で・・・

ようやく通常業務に戻った私は、ネットで情報を収集することにする。

震源地近くの東北地方の被害は計り知れない。

首都圏の交通網も麻痺したようだ。
全ての電車が運転を見合わせている。

このような大規模な地震が起きた場合、線路にゆがみなどが無いかどうか点検する必要がある。
安全の確認が取れない限り、再び運転することは不可能だ。
仕方のないことなのだ。

私は帰りの交通手段が少々心配になった。
最悪は徒歩か?!

私は試しに職場から自宅までどのぐらいの距離があるのか、ネットで調べてみた。
30.3㎞、仮に徒歩で歩いたとして6時間19分との結果が出た。

流石にちょっと歩く気にはなれなかった。

定時までに、電車が復旧することを祈ろう・・・。

定時を前に社内には早めの帰宅を許可するメールが総務から発信された。

早めに帰ったところで、電車が動いていなければ意味が無い。
私は、とりあえず、定時のチャイムが鳴るまで待つことにした。

午後6時、終業を知らせるチャイムが鳴る。

ネットの情報では、復旧している路線の情報は無い。
とりあえず、駅に向かう。

もちろん、電車が動いている様子はない。

私は首都圏で動いている路線が無いか改札に立つ駅員に聞いてみた。

「首都圏の電車は全滅です。」

“全滅”とは…もう少しいいようがあるだろうに…
だが、それは、彼が今回の地震被害に感じた素直な気持ちの表れなのであろう。
それほどまでに、今回の地震の影響は大きい。


仕方ない・・・

電車での移動は諦めた。
会社に居残るという選択肢もあったのだが、生来じっとしていられない性質(たち)なので、
なんとかして家に帰りたいと思った。

30.3㎞・・・私は先の数字を思い起こしていた。。。

フルマラソン(42.195km)よりは短いな。(苦笑)

私は高校時代、マラソン大会で15kmを約1時間で走り切ったことがある。
それの倍の距離を“歩け”ばいいだけのことだ。

なんとかなるだろう。
私は覚悟を決め、家まで歩くことにする。


すぐに幹線道路に出る。

歩道を多くの人が歩いている。
私もその波に乗り歩みを進める。

少し歩いたところで、某駅まで行くバスを見かける。
ずいぶんと人が並んでいる。
しかし、ここまで歩いてきた通りを見る限り、酷い渋滞で明らかに歩いた方が早い。

しばらく歩いて、その判断が正しかったことが良く分かった。
私は同じ行き先のバスを、歩いて何台も抜いていた。

歩いてというのは、若干語弊がある。
せっかちな私はゆっくり歩くということができない。
私は早歩きで、時には走ったりもして、家路に急いだ。

歩道は家に向かう人々であふれ、それは車道にまでも達していた。
普段であれば、交通量の多い車道を歩くなどとてもじゃないが怖くてできないが、
亀の歩みほどの車の流れの中、そんな怖さは微塵もない。
むしろ、自分のペースには合わず、ゆっくり歩かれるほうが私にとっては苦痛だ。
そんな人たちが車道を早歩きで歩いている。
私も時として、その波に乗りながら、渋滞でごったがえす幹線道路を歩いていた。

途中、地方の友人から、安否を気遣うメールやメッセージを貰った。
ニュースでことの大変さを知って連絡をくれたようだ。

幸いにも首都圏は単に交通機関がマヒしただけで、甚大な被害は無い。
この程度のことは本当の震災地の東北地方に比べればたいしたことはない。

友人の心配とはよそに私はもくもくと歩き続けた。

もちろん、そのメールやメッセージが私にとってはたいへん嬉しいものであり、
元気をくれたことは間違いない。

この場を借りて改めてお礼を言いたい。

この徒歩での帰宅において、私の中で良かったこと、それは帰りまでの道のりを全て把握していたことだ。
都心部から自宅まで歩くなんてことは、もちろん初めてのことだが、車では何度となく走っているし、渋滞時にはその抜け道までも把握している。
知っている道を歩くのと知らない道を歩くのとでは大違いだ。
ここまでくれば、あとどれぐらいという距離感もおおよそ掴める。

途中、裏道に入った際、それまで多くの人が並んでいた公衆電話とはよそに、一人しか待っていないコンビニに設置された公衆電話を見かけ、実家に電話してみることにする。
実家に両親が居たのは分かっていたので、可能であれば来られるところまで、迎えに来てもらおうと思ったのだ。

私の前では、一人の若者が電話を掛けていた。

「くそっ!」
その若者は受話器を叩きつけるように置いた。
「お先にどうぞ。もう1時間も掛からないんですよ。」と譲ってくれた。
その若者はどうやら1時間もの間、ずっと電話が繋がらないでいるようだ。

私はその若者に例を言い、公衆電話から実家に電話すると、すぐに繋がった。
このような災害時、公衆電話は非常に心強い。
可能な範囲内で迎えに来てもらうことを依頼し電話を切る。

先の若者にくらべ、私はすぐに繋がったので、その若者はおおかた携帯電話にでも掛けているのだろうと思い、「固定電話に掛けるとすぐ繋がるよ。」と言葉を掛けた。

「いや、自分、実家が福島なんで停電してるみたいなんですよ。」
その返事を聞き、私は一瞬言葉を失った。
「そうか。早く連絡つくと良いね。頑張って!」
なんの慰めにもならないそんな言葉を掛け、私はその場を立ち去った。
すぐに両親に連絡がついた私には、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
と同時に、自分の家族の無事が早々に分かるということは幸せなことだと改めて思った。

途中、父からメールで連絡が入った。
携帯電話の通話はまったく使い物にならないが、メールであれば多少繋がりにくく遅延はあるものの連絡手段としては、なんとか使える。
そのメールによれば幹線道路がまったく動いていないようだ。
私は自宅まで歩く覚悟を決め、父へ引き返すようにメールを返した。

更に歩みを進める。

途中、某駅のすぐ側まで来た時、踏切が鳴っているのが見えた。

?!電車が動いている?!
もしかして、復旧したのか?

その認識は踏切まで来て誤っていることに気付いた。
確かに踏切はけたたましく鳴り響いていたが、遮断機は上がりっぱなしだ。
鉄道員が誘導し、通過を促していた。
期待はもろくも崩れた。

家までの道中、半分ぐらい過ぎたころであろうか、再び父からメールが来た。
私の返信で引き返したと思っていた父は、どうやらこちらに向かって来てくれているようだった。
幹線道路が混んでいるので、別ルートを進んでいるらしい。
私はこちらの現在地を伝えた。

途中、妻の会社から電話が掛かってきた。
私の状況を心配した妻が、携帯電話が使い物にならないので、会社の電話を使って電話してきたのだ。
妻は会社の同僚と夕食を取り、会社に待機していたとのことだ。
私は家まで歩いて帰っていること、おおよその現在地、父が途中まで迎えに来ていることを告げた。
それを聞いた妻は、予想していたよりもずいぶんと早く移動していることに、呆れながらも「気を付けて」と言って電話を切った。
震災から初めて言葉を交わし、改めて互いの無事を確認し安堵した。

少しして、幹線道路沿いにあったファミリーレストランで休憩を取ることにした。

が、待ち人数が22組と聞き、私は諦め、再び歩くこととした。
とことん待てない性分だ。(苦笑)

しばらくすると、再び、父からメールが来た。
父は私の現在位置を追い越したところに居た。

父の現在地と私の移動速度、そして、道路の混雑状況を考慮し、その先にある駅ロータリーで待つことを告げ、再び、歩みを進めた。

もう間もなく、目的の駅に到着するという時に、父からの電話が繋がった。
かなりすぐ側まで来ているようだ。
私は予定通り、その先の駅のロータリーで待つことを告げ、電話を切った。

その少し後で、再び妻から電話が入った。
同じ方向に住んでいる会社の人が社用車で家まで送ってくれることになったようだ。
家に帰ったら、私が迎えに行こうかと思っていたのだが、その話を聞きホッとした。
正直、体力的にはかなりしんどかった。

そして、ようやく目的の駅にたどり着いた。
ここまで来れれば、もう安心だ。
時計を見ると23時近かった。
19時ごろに出発し、そこから約4時間
休むことなく歩き続け、なんとかそこまで辿り着いた。
(後で調べたところ、距離にして23km。)

ややもすると、実家の車が見えた。
運転していたのは母だった。
運転しながらのメールは非常に危険だと思っていたのだが、どうやら母親が運転し、父親がメールを打つようにしていたようだ。
両親に深く感謝し、後部座席に座る。
安堵と疲れがどっと出た。
私の両足はかなりの筋肉痛を感じていた。

裏道をとおり、ようやく自宅に帰ってくる。
この時ほど、マンションの階段が恨めしいと思ったことは無かった。

私はソファーに体を落とし、少しの間横になった。

1時間もすると、妻が帰ってきた。

互いの顔を見て、つくづくお互い無事で良かったと心底思った。

気付けば日付は変わっていた。


これまで、雪の影響で交通機関が一部マヒすることはあったが、完全マヒということはなく、
もちろん家まで歩くことなど考えてもみなかった。

しかし、今回のことでそういう認識を改めなければならないとつくづく痛感させられた。
交通、通信、普段当たり前のように使えているものが自然の力であっという間に使えなくなってしまう。
人間の文明とは自然の前ではかくももろいものなのだ・・・。
Posted at 2011/03/16 16:49:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 気まぐれエッセイ | 日記
2011年03月11日 イイね!

震災 その時私は・・・

2011年3月11日、この日、我々日本人は改めて自然の恐怖を知ることになる。

私はその時、高層ビルの16階のオフィスで仕事をしていた。

午後2時46分ごろ、それは起きた。

「あれ、なんか揺れてない?」
ゆっくり、ゆっくりと横に揺れるのを感じた。

この時、気象庁から発せられる緊急地震速報を伝えるエリアメールは発信されなかった。
エリアメールは大きな地震が起きなければ、発信されることが無い。
そのことが、我々を油断させた。
(後で分かったことだが、本来であればこの地震によるエリアメールは送られるはずだったが、設備故障により送られなかったようだ。)

しばらくすると、その揺れは徐々に激しさを増し、私は机にしがみついていなければ、自分の体を固定できないほどの揺れとなった。

その直後、ビル外への避難を促す館内放送が流れた。

これはただごとではないと思い、慌てて非常階段に向かった。

大勢の人間が一斉に階段を駆け下りた。
階段を下りている最中も、その揺れはおさまることを知らない。
出口に近づくにつれ、人の多さは増し、なかなか外に出ることが出来ない。

ようやく、ビルの外に出ることが出来た。

いったい、何が・・・

かつてない規模の地震に戸惑いはかくせない。
しかしながら、ビルが倒壊したわけでもなく、付近の車はいつも通りに走っている。
また、これまでの地震と同様、その被害はたいしたことはないだろうという思い込みが、
逆に平静を保たせてくれた。

しかしながら、尋常ではないその揺れに、都内の会社に勤める妻と、同じく都内に住む実家の両親が心配になり、まず、実家に居る両親に電話してみた。
ところが、携帯電話は一切使えなくなってしまっていた。。。
仕方ない。

まずは今何が起きているのか。それを知ることが大切だ。

私は携帯のワンセグ機能を使い、テレビからその情報を得た。
震源地は東北地方太平洋沖、震度7を観測する地震が起きたようだ。

テレビを見ていると、近辺の航空映像の中にお台場周辺で火災が発生しているのが見受けられた。
建物の損壊は見られない。

ビル周辺にはビル内で仕事をしていた人々で溢れかえっていた。

さて、いったいいつになったら、再びビルの中に入れるのだろうか?
しかし、こういう時の判断は難しい。
もしも、再び、同様あるいはそれ以上の地震に見舞われたら、それこそ大惨事だ。

あ!?

再び強い揺れを感じた。
ビルの一階ロビーにいた人々は慌てて外に出る。
また、ビルの近くにいた人々はそこから慌てて離れる。

ビルの上の方の窓ガラスを見ていると、僅かに波打つように揺れているのが分かる。

今、このビルが崩れてきたら確実に死ぬな。

その高いビルを下から眺めながら私はそう思った。
愚かしいことだが、そこまでの地震はそうそう来ることは無いだろうと私はたかをくくっていたので、
そこに恐怖は無い。

しばらくして、完全におさまったような感じがしたのと、外の寒さにトイレに行きたくなったので、ビルの一階にあるトイレに行き用をたし、一階ロビーで待機していた。

ややもすると、館内放送が流れ、安全の確認が取れた為、ビル内に戻る許可が出た。
但し、エレベーターは使用不可。
16階までの道のりを、非常階段を使って上ることにする。

階段を上っていると、高層階へ行くにつれ、壁のひび割れと壁のごく一部に崩れが見られた。
その地震の凄さを物語っている。


また、いつもの職場に戻ってきた。
中には16階までの階段の道のりに息切れしてる人も居る。(笑)

「ここまで揺れたのはたぶん生まれて初めてだと思う。」

それもそのはずだ。
この“東北地方太平洋沖地震”と名付けられた地震は、観測史上初のマグニチュード9.0もの地震。

誰もが予期しえなかったことだった。

妻はどうしたであろうか?
携帯電話は相変わらず使い物にならない。

私は妻の勤務先のメールアドレスを知っていたので、メールを出してみようと思った。
が、受信トレイには一足先に私の安否を気遣う妻からのメールが届いていた。
私は自分の妻が無事だったことに安心し、すぐに自分も無事だったことを伝えるメールを返信した。

次に気になったのは、実家に住む両親。
先にも述べたように、携帯電話が使い物にならない今、頼りは固定電話だ。

私は会社の電話から、実家への連絡を試みる。
それでも、なかなか繋がり難くなっている。

何度か掛けているうちに、ようやく実家の両親に繋がった。
どうやら無事なようだ。

家族が皆無事であることを知り、私はホッと一息をついた。


つづく
Posted at 2011/03/16 11:19:48 | コメント(5) | トラックバック(0) | 気まぐれエッセイ | 日記
2011年03月11日 イイね!

これがマツダとホンダの違い?!(※クモ嫌いの人は画像閲覧注意)

これがマツダとホンダの違い?!(※クモ嫌いの人は画像閲覧注意)先日、「マツダが米で前代未聞のリコール!その内容は…」というブログで、マツダがクモ対策でリコールを実施したことを書きましたが、この問題がホンダにも波及したそうです。

クモの巣リコール、ホンダにも波及…米国 | レスポンス自動車ニュース(Response.jp)

先日のブログにも書きましたが、リコール内容は、『マツダ6』(日本名:『アテンザ』)について、燃料の通気管に「イエローサックスパイダー」と呼ばれるクモが巣を張るトラブルが発生し、最悪の場合、空気の通りが悪くなることでガソリンタンク内の圧力に異常をきたし、燃料タンクに亀裂が入るなどして火災を起こす恐れがあるというもの。

実は、この問題について同じことが、ホンダの『アコード』(日本名:『インスパイア』)の2008-2009年モデルにも、起こりうるとのこと。
ホンダはこの事実を2009年夏に把握していたそうで、全米の販売店に対して、注意を喚起するよう促していたんだとか。
ただし、「実際に火災や燃料漏れの報告は受けていないため、リコールは行わない」とのこと。

でも、記事を読むとホンダも、クモの巣を取り除き、通気管にクモの侵入を防ぐバネを取り付ける対策を講じると書かれているのですが・・・?
リコールではなく、サービスキャンペーンとかでやるってことなのかな?
海外記事を読むと、壊れた場合に保証対応するみたいな記事も見かけましたが・・・?
実際の対応はよく分かりません。

だからといって、実際にそういう事故も起きていないから、ホンダの対応は正しいといえば正しいのかもしれず、マツダが頑張り過ぎという話もありますが・・・。
でも、事故が起きてからでは遅いし。。。
このあたりがマツダとホンダの違いなんでしょうかね。

こういう対応の違いはユーザーの信用にかかわりますから、手厚い方が良いと思うのですが…。


写真は、今回の事件の発端「イエローサックスパイダー(Yellow Sac Spyder)<『黄色いお腹の蜘蛛』の意>」(元記事の「イエローサック“”スパイダー」は誤り)
Posted at 2011/03/11 13:28:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | その他いろいろ | 日記

プロフィール

人と同じが嫌いなひねくれ者。 車好きが高じて、半ば人生を踏み外した男。 見た目は大人、頭脳は子供?! レパード乗りのユージ@町田とVM180 ZAGATO...
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