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ジム兄ちゃんのブログ一覧

2020年07月15日 イイね!

大事故の記憶

 40年以上も車を運転していると誰しも当てた擦ったという失敗のひとつやふたつは経験あるのが普通であろう。
 幸いにして私の場合は、車庫入れの運転ミスなどばかりで、他の車や人にぶつけたことはないのだが、私も九死に一生を得る事故に巻き込まれた経験がある。
 これだけ多くの車が限られた幅の道路にひしめき合っているのであるし、人は失敗することもあるのは避けられないので仕方がないが、自分が大きな事故に遭遇してみると、生命だけは取り戻せないので、車を動かす責任は重大であると痛感するものである。
 もう20年以上も前のことになる。三菱JEEP J55で入院していた母の見舞いに行き、自宅に戻る夏の日暮れまもない時刻、信号待ちで4トンアルミトラックの後ろに停止した。
 後方からヘッドライトが近づいて来たのを一瞬確認したが、次の瞬間物凄い衝撃とともに宙に浮いた後、体中が何かに叩きつけられた。
 意識はあったが、その瞬間は車の中にいることを認識できていなかったように思う。
 誰かに声を掛けられたが、障害物がまとわりついて車から抜け出すことができない。熱い冷却水の湯気と、鼻を衝く軽油の匂い、目の前はトラックの曲がったアルミ扉、頭にはJEEPの幌が被さっている。
 体感的には随分時間が経過したように感じたが、手指が以外に痛む箇所はなかった。
 パトカーの次に消防車、そのあとに救急車のサイレンが聞こえた。
 消防のオレンジ服のレスキュー隊員の「いますぐに救出しますから大丈夫ですよ」と言う声は優しい声だったことを記憶している。
 何人かに抱えられて車外に救出されると自力で立つことができた。
 だが次の瞬間、愛車JEEPを見て腰が抜けそうになった。
 頑丈な鉄の塊の三菱JEEPの車体は「へ」の字になっており、ドライブシャフトも折れ、フロントガラスは枠ごと外れ、右側前輪はちぎれ飛んでいた。
 事故は11tトラックが私のJEEPに追突し、JEEPは吹っ飛んで前の4tトラックの後方にぶつかったというか突き刺さったものだった。
 唖然としながら救急隊員が怪我のチェックを受けるが、手指が脱臼していたのと膝に少し血が滲んでいる以外には特に大きな怪我はない。
 警察官から「到着した時は生きていて欲しいと願いましたよ。」と話しかけられた。それほどにJEEPが乗り物とは思えない鉄屑に化していたにもかかわらず、私の体はうまいことシートと幌とハンドルに守られて無事であった。JEEPでなければ肉の塊に化していたかも知れない。
 救急車が向かった病院は、先ほど母を見舞った病院というのも笑える話であったが、その時はさすがに母に顔を出すことははばかれ、後日談とした。
 病院で指を整復して貰うと、パトカーが加害者の待つスバルの販売店前で起きた事故現場まで送ってくれた。スバルの整備士の方が、鉄屑と化したJEEPを道路から販売店の敷地の中に文字どおり引きずり込んでくれていた。
 加害者となってしまった11tトラックのドライバーの平身低頭の謝罪を受ける訳だが、どうも初めて見た顔ではない。会社の社長さんも現場に来ていて、名刺を渡されてビックリした。
 当時私が住んでいた家の隣は、畑をしていた老婆が亡くなられてトラックの車庫に貸し始めたところだった。そう、毎朝レガシィでやって来てトラックに乗り換えて出掛けて行くドライバーさんなのである。このスバル販売店の顧客で、展示されている車に気を取られて私の車に気付かずに追突してしまったのだと弁解していた。

 そういう訳でスバル販売店も親切だったのであるが、通常は難しくなる運送会社との間の事故の賠償交渉も、トラック車庫の隣人であったという偶然に助けられて順調に進むことになったのは幸いであった。
 鉄屑JEEPの処理や登録抹消と当面の代車を運送会社の費用でスバル販売店がしてくれることになった。元々私もスバリストであるのでスバル車は好きなのであるが、代車で出してくれた初めて乗ることになったレガシィツーリングワゴンの良さを改めて知ることになる。
 ここまで書くと勘の良い方はこのあとの成り行きは想像がつくのではないだろうか。
 数日後、鉄屑JEEPの処理してくれたスバルの整備士が、「降ひょうに当たって納車できなくなったマッキントッシュオーディオ付のレガシィ3000ランカスター6の新古車」を勧めてきた。
 新車でも200万円しないJEEP J55から350万円+αの6気筒水平対向のツアラーに乗り換えることができるのであるから断わる所以はない。
 お気に入りだったエアコンもないJEEPであったが大事故で命拾いをしたおかげで、高速道路を最高の音質で音楽を聴きながら全国へ長距離ドライブを楽しんだ車に乗ったという稀有な経験をしたのである。

 この車の次も、やはり整備士の彼がインプレッサWRXへの乗り換えの面倒をみてくれた。
 この整備士は後に地方に転勤したが、JB64W Jimny乗りとなった今でも付き合いが果てないでいる。
Posted at 2020/07/15 08:16:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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 月に数回の利用、高速道路も100km/h出れば十分、走れば燃料は消費するもの、と割り切る一方で、大型牽引車も乗って整備する無類の車好き還暦過ぎ白髪爺です。 ...
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