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ジム兄ちゃんのブログ一覧

2020年07月29日 イイね!

ようやっと船舶免許を更新

 コロナ禍により4月から5月まで停止していた船舶免許の更新講習が6月から徐々に再開され、更新講習の予約申込みをしたところ1か月以上先となり、先日やっと更新してきました。
 私の小型船舶免許は、「1級・特殊・特定」というものですが、取得した昭和の頃は、船舶免許は国境を越える国際法に基づく海上衝突予防法によるものなので、船舶職員法により海員と位置付けられ、「海技免状」という大きなA4版の日本国政府発行の立派な免許証でした。

 昭和末期のバブル期には水上オートバイの出現やプレジャーボートの台頭により、小型船舶はポケットサイズのプラスチック製の免許証となり、それは便利になりましたが、規制緩和によって発行者が国土交通大臣に変わってすっかり安っぽくなってしまいました。

 「1級」とは外洋を含む航行区域の制限はなく、最大で24m 80t未満の特定漁船までの操縦が可能です。一般道路を届け出なく走れるトレーラーの長さが12mで最大積載量は 20tですから、1級免許で操縦できる船が相当な大きさであることがわかると思います。
 まして長さとは、船首の喫水線部分から操舵板の根元までなので、実際には操舵板が船尾よりも前方にある船舶は全長が24mを大きく超えることがあります。 操舵板が船尾にあると尻を振って旋回しますが、前方にあるほど小回りが効くことになります。狭い場所で転回する台船や河川に係船する大型の屋形船などに多くみられます。
 これが2級免許の場合の航行可能水域は陸岸から5海里(約9,260m)まで(領海は12海里22,224m)と制限され、そのほかに2級湖川限定という川や湖などの平水区域のみ航行可能な免許があります。
 「特殊」とは水上オートバイのことで、航行可能水域は、陸岸から2海里(約3,760m)ですが、私の場合はわざわざ取得したものではなく、水上オートバイの特殊免許制度ができた時に既得権として付与されたものです。
 「特定」とは自動車のバスやタクシーの2種免許に相当するもので、金員を得て乗客を乗船させる船舶である屋形船やはしけなどの連絡船や釣り船など営業船長の資格です。

 免許更新の間隔は5年と自動車免許と同じですが、更新期間が1年あるので最長6年先まで有効、聴力視力と四肢運動機能の身体検査と法改正などの講習受講が行われます。
 免許証の右上の発行番号の末尾「5」は5回目の更新であることを示します。
平成初期にバブルがはじけ、リーマンショックや東日本大震災によって、船舶免許の保有者数と船舶の登録数は年々減り続けているにも関わらず、海上では道路のように取締りが難しいという背景もあって、無茶をする水上オートバイやプレジャーボートの事故が年毎に増加しており、法の縛りはどんどん厳しくなっています。
 このため昭和の頃は酒気帯び操船の概念は世界的になくビール片手に釣りや船上パーティーの光景がありましたが、我が国では15年程前から罰金制度はないものの酒気帯び操船が禁止されました。
 かつては有資格者監督のもとで他の者に操縦させることもできましたが、これも日本では禁止となりました。
 近年で特に変わったのは、2020東京五輪の警備の関係でしょう、通常日本領海上の取締り権者は海上保安庁ですが、東京レインボーブリッジを境にして、これより上流側は警視庁の管轄となり、従来は酒気帯び罰金制度のない船舶に対して、都条例で50万円という自動車よりも相当に高額な罰金が科せられることになりました。
 最近は漁師さんもライフジャケットを着用して漁労をしている映像をTVなどで見かけるようになりましたが、これも法改正で船室外では着用が義務づけられるようになったものでした。
 これらの意味では海事業界の収入減対策として免許者数を増やすための規制緩和の反面、一部の心ない有資格者の無謀な運用のおかげで国内法令は益々厳しくなっています。
 海仕事をしていた祖父母の影響で幼少期から護衛艦乗りになりたかった私ですが、何故か不思議なくらい都度海から引き離される運命にあって、リタイヤしたら漁師の真似事がしたいと、これまで長いこと我慢して陸上で働いてきました。
 私には海上やレーダーの無線免許とこの船舶免許は決して失効してはならない大切な免許なのです。
Posted at 2020/07/29 08:45:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月27日 イイね!

突然に外出自粛になった連休は、JB64Wガチャ遊び…。

 小池のおばちゃまに連休はできる限り外出を自粛、と連休前日に言われてしまったものの、何の巣ごもり準備もしていないし、4日間この梅雨空の下で籠っていたら体中がカビカビになってしまいそうなので、「できる限り」を尊重することとして、「ジム兄ちゃん」で都外には出ないことで善良な(?)都民の最低限の責務を果たすことにした。
 「みんカラ」でバンダイからJB64Wの1/43 EXCEED MODEL がガチャガチャの500円で発売されていると拝見していたので、買える場所をインターネット検索してみた。
 東京では池袋サンシャインアルパ1Fの「ガチャガチャの森」で売られているという。
 池袋駅周辺は人出が多いかも知れないが、運動を兼ねて3駅先の目的地まで電車に乗らず徒歩で往復、繁華街を避けてサンシャイン60のある東池袋へ向かい、近い戸口からピンポイントで店に入ることを決意した。
 歩き出してみると幸か不幸かゲリラ的な雨降りのせいで人通りは多くない。
 大通りを避けて裏道を選びながら歩くが、東池袋界隈もさほど人が多い印象はない。
 目的地の「ガチャガチャの森」まで徒歩約45分、店舗の性格上か店の中もさすがに密はない。

 1,240種のガチャガチャの中からお目当てのJimnyを探すのも一苦労ではあるが、それにしても色々なガチャ玩具があって目標物を探す行程も楽しめて面白いものである。
 やっと見つけたJimnyのガチャは、最上段でコインの投入口に手が届かないので、踏み台を転がして持ってくる。
 白髪爺が踏み台に登って玩具を買う健気な姿を想像して貰いたい。
 我が「ジム兄ちゃん」のジャングルグリーンが出てくれと願いつつ、100円硬貨を5枚入れてグルグルハンドルを回す。
 お約束どおり期待は見事に裏切られて出てきたのは、テニスボール大の黒いケースの隙間に見えるのピュアホワイトパールJimnyである。

 「相変わらず引きが悪いなぁ…。」と肩を落とすが、こんなことでツキを使い果たしてもつまらないので、気を取り直してもう1回チャレンジすることにする。
 ところが小銭入れを覗くと100円硬貨がないので両替機へ。
 これまた札入れの中には1万円札しかなくやむなくこれを両替。
 それがいけなかったことは後で気付くのである。
 1,000円分の100円硬貨を握りしめて、目当てのガチャへ向かう心持ちは既に少年と変わらない。
 いざ2回目に出てきたのはキネティックイエロー、3回目はプリスクブルーメタリックとあえなく敗退…。

 やめておけばよいのに、カラータイプは4色2タイプで全8種類あるのだから8回までは仕方ないと、両替機に向かい3,000円の100円硬貨を握る手に汗。
 結局お目当てのジャングルグリーンが出たのは9回目という極めて順当な結果。ガチャガチャ店の思う壺にまんまとハマる。
 こうして4,500円を出費して店舗出口にぶら下がっいる無料のレジ袋(このご時世に無料でいいのかな?)の口が閉じられない程に一杯の9台のガチャJimnyを持ち帰る始末となるのである。
 背中に店員の「またのお越しをお待ちしてます!」の無言の声を感じた。
 親戚には児童が5人いるので、「ジム爺の車だよ」と色違いを1台ずつプレゼントすることにして、1台は塗装遊び、ジャングルグリーン以外の残る2台はJB64W Jimny仲間に出会ったときのプレゼントにしようと、お目当てのジャングルグリーン以外の8台の処分方法の言い訳もちゃんと考えた。
 帰路は少し大回りして往復で約14,000歩のお散歩、健康的な約9km徒歩の運動をした。
 これはコロナ禍での立派な言い訳である。
 帰宅してからとんでもない無駄遣いをしたものだとちょっぴり考えながらも反省には至らず、ビールのプルトップを引いて気を取り直し、いつものタミヤカラーXF-5フラットグリーンを手元に出してきて老眼鏡をかけて塗装を開始する。

 バンダイJB64W 1/43 EXCEED MODELは、ボンネットとリアゲートが開閉できるなかなかの構造である。
 部品はバラバラに入っているうえに接着剤を使わないハメ込み式なので塗装もしやすい。
 出来上がりの大きさも全長で80mm程あるので存在感もある。

 完成画像は塗装したもの、結構いい感じである。
Posted at 2020/07/27 10:33:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月22日 イイね!

350mℓ缶にもラッキーヱビス

 通常のヱビスビールのラベルは、恵比寿様が左手で鯛を1匹だけ抱えています。
 ところが、瓶のヱビスビールには数百本に1本だけ、「ラッキーヱビス」と呼ばれる言わば当たり瓶があることは昔から知られています。
 「ラッキーヱビス」とは、恵比寿様の脇の魚籠の中にも鯛の尾っぽが見える、つまり2匹の鯛の釣果があったという少し幸せな気分のお裾分けをご相伴できる希少ラベル瓶です。
 「ラッキーヱビス」が出たらもう1本サービスしてくれるとかいうものではありませんが、ヱビスビールを取り扱っている居酒屋へ飲みに行くとビールケースの中を覗いたりしていたものです。
 過去に2度この「ラッキーヱビス」に巡り合い、空瓶を持ち帰ったことがあります。
 (1枚目の写真は、大瓶633mℓの「ラッキーヱビス」のラベルを剥がしてラミネートしたものです。)

 過日、ヱビスビール誕生130年記念350mℓ缶のギフトを頂きました。
 そうしましたら、「ラッキーヱビス」が1本入っておりました。(2枚目の写真)
 多分130周年記念での「ラッキーヱビス」の大盤振る舞いなのでしょうが、何か良い事があるといいな!

 巷は明日から4連休、本日は都知事から都民には外出自粛要請が出るそうです。
 折角の連休なのに残念でありますすが、ヱビスビールでも飲んで巣ごもりいたします。
Posted at 2020/07/22 08:14:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月17日 イイね!

無念の青色免許証

無念の青色免許証 職場の車を車検に出す朝こと。職場の車を運転することは滅多にないのだが、忙しく働く若手職員に配慮して「オレが車検出しして来るよ。」と気軽に引き受けて出発。
 池袋駅前を通る2車線の明治通り、走行車線には駐車車両もなく気持ちよく走っていた。
 何人かの交通警察官の姿が見えたが、別に違反をしている罪悪感はないのでそのまま進んで行くと、その警察官が停止するように立ちはだかった。
 「この先で左側に寄せて止まって下さい。」と言われて、指示どおりに停車した。女性警察官が窓越しにやってきたが、「暫くこのままお待ち下さい。」と言って何台か前に止まっている車の方に行ってしまった。
 10分以上は待たされた。何の用事で止められたのかとキョロキョロと辺りを見回すがよくわからない。やがてすぐ前に止まっている車の免許を別の警察官取り上げて青切符を切り始めたではないか。
 「あれっ、オレは何か違反したのか?」と思うが、速度超過も黄色の線を跨いだつまりはない。何だろうかと後ろも振り返るが心当たりがない。
 そうこうしていると、また別の警察官が私の窓越しにやってきて免許証の提示を求めた。
 「どうかしましたか?」と尋ねると、「バス専用レーン通行違反ですが気付きませんでしたか?」と…。
 やってしまった。朝の時間帯にこの区間を通行することはない。出勤時刻が早いので、一般的には通勤時間帯であるという意識も希薄である。良かれと思って自発的に申し出た車検出しで気付かずに交通違反をしてしまうとは…。
 1点減点と6,000円の反則金のお支払いとなる。
 何台も長時間走行車線に違反車両を停車させることの方が、よほどバスの運行の妨げになるのではないかとも思ったが…。
 そうして3か月後に免許更新で5年間は青色免許証ということに…。
 本人的には順法運転を心掛けている私は、過去に速度超過などの交通違反の経歴はないのだが、以前にも似たような違反切符を普段は通行しないこの通りで切られたことがある。
 50ccのモンキーで片側2車線の明治通りを右折車線に入って、右折信号が青色になるのを待った。対向車線の右折車線にも白バイがいた。
 右折信号に従って右折したところ、白バイの赤灯が見え、サイレンが鳴り後方から近付いて来たので、緊急車に進路を譲るつもりで左側に停止したところ、私の直後に停止して白バイ隊員が白バイを降りた。
「あれっ、オレに何か用か?」と思った。
 私の右側に来た白バイ隊員は「エンジンを止めて免許証を出して下さい。」という。
私「何か交通違反しましたか?」と聞く。
白バイ「原付50ccは、3車線以上の道路は2段階右折ですよ。」
私「明治通りは2車線ですよ。」
白バイ「右折車線を含めて3車線ですよ。」
私「交差点近くになって突然出現する右折車線も車線の数に含まれるのですか?」
白バイ「そうです。」
私「それを知らなかったのは私の無知として、では貴方(白バイ隊員のこと)は、右  折車線にいて、右折車線にいる原付の私に視線も合っているのになぜ右折は  駄目だよとサインも送らなかったのですか?」
白バイ「右折しなくても直進すれば車線変更違反ですから…。」
私「つまり、もう違反から逃れられなかったということですか?」
白バイ「エンジンを止めて降車し、他の車両の通行妨害にならないように反対側    の信号が青になるのを待って、バイクを押して渡れば違反と扱うことは    微妙です。」
私「貴殿としては私を違反者と扱わざるを得ないということですね。」
白バイ「そういうことになります。」
ということで1点減点3,000円の反則金を支払ったのが前回の免許更新の間際で青色免許となり、今回の免許更新でゴールド免許に戻れるかと思っていた矢先、また青色免許が続くことになってしまった。
 負けず嫌いの私はこの時の2段階右折違反が悔しくて、モンキーのエンジンを70ccに乗せ換えて黄色ナンバーに登録し直して、見返してやろうと用もないのに何度も同じ場所を右折したのだが、二度と白バイに出会うことはなかった。
 まだ高齢者には分類されないが、確信犯ではない交通違反で2回も続けて青色免許の更新になるというのは老化なのだろうかとふと思うのである。
Posted at 2020/07/17 09:23:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月15日 イイね!

大事故の記憶

 40年以上も車を運転していると誰しも当てた擦ったという失敗のひとつやふたつは経験あるのが普通であろう。
 幸いにして私の場合は、車庫入れの運転ミスなどばかりで、他の車や人にぶつけたことはないのだが、私も九死に一生を得る事故に巻き込まれた経験がある。
 これだけ多くの車が限られた幅の道路にひしめき合っているのであるし、人は失敗することもあるのは避けられないので仕方がないが、自分が大きな事故に遭遇してみると、生命だけは取り戻せないので、車を動かす責任は重大であると痛感するものである。
 もう20年以上も前のことになる。三菱JEEP J55で入院していた母の見舞いに行き、自宅に戻る夏の日暮れまもない時刻、信号待ちで4トンアルミトラックの後ろに停止した。
 後方からヘッドライトが近づいて来たのを一瞬確認したが、次の瞬間物凄い衝撃とともに宙に浮いた後、体中が何かに叩きつけられた。
 意識はあったが、その瞬間は車の中にいることを認識できていなかったように思う。
 誰かに声を掛けられたが、障害物がまとわりついて車から抜け出すことができない。熱い冷却水の湯気と、鼻を衝く軽油の匂い、目の前はトラックの曲がったアルミ扉、頭にはJEEPの幌が被さっている。
 体感的には随分時間が経過したように感じたが、手指が以外に痛む箇所はなかった。
 パトカーの次に消防車、そのあとに救急車のサイレンが聞こえた。
 消防のオレンジ服のレスキュー隊員の「いますぐに救出しますから大丈夫ですよ」と言う声は優しい声だったことを記憶している。
 何人かに抱えられて車外に救出されると自力で立つことができた。
 だが次の瞬間、愛車JEEPを見て腰が抜けそうになった。
 頑丈な鉄の塊の三菱JEEPの車体は「へ」の字になっており、ドライブシャフトも折れ、フロントガラスは枠ごと外れ、右側前輪はちぎれ飛んでいた。
 事故は11tトラックが私のJEEPに追突し、JEEPは吹っ飛んで前の4tトラックの後方にぶつかったというか突き刺さったものだった。
 唖然としながら救急隊員が怪我のチェックを受けるが、手指が脱臼していたのと膝に少し血が滲んでいる以外には特に大きな怪我はない。
 警察官から「到着した時は生きていて欲しいと願いましたよ。」と話しかけられた。それほどにJEEPが乗り物とは思えない鉄屑に化していたにもかかわらず、私の体はうまいことシートと幌とハンドルに守られて無事であった。JEEPでなければ肉の塊に化していたかも知れない。
 救急車が向かった病院は、先ほど母を見舞った病院というのも笑える話であったが、その時はさすがに母に顔を出すことははばかれ、後日談とした。
 病院で指を整復して貰うと、パトカーが加害者の待つスバルの販売店前で起きた事故現場まで送ってくれた。スバルの整備士の方が、鉄屑と化したJEEPを道路から販売店の敷地の中に文字どおり引きずり込んでくれていた。
 加害者となってしまった11tトラックのドライバーの平身低頭の謝罪を受ける訳だが、どうも初めて見た顔ではない。会社の社長さんも現場に来ていて、名刺を渡されてビックリした。
 当時私が住んでいた家の隣は、畑をしていた老婆が亡くなられてトラックの車庫に貸し始めたところだった。そう、毎朝レガシィでやって来てトラックに乗り換えて出掛けて行くドライバーさんなのである。このスバル販売店の顧客で、展示されている車に気を取られて私の車に気付かずに追突してしまったのだと弁解していた。

 そういう訳でスバル販売店も親切だったのであるが、通常は難しくなる運送会社との間の事故の賠償交渉も、トラック車庫の隣人であったという偶然に助けられて順調に進むことになったのは幸いであった。
 鉄屑JEEPの処理や登録抹消と当面の代車を運送会社の費用でスバル販売店がしてくれることになった。元々私もスバリストであるのでスバル車は好きなのであるが、代車で出してくれた初めて乗ることになったレガシィツーリングワゴンの良さを改めて知ることになる。
 ここまで書くと勘の良い方はこのあとの成り行きは想像がつくのではないだろうか。
 数日後、鉄屑JEEPの処理してくれたスバルの整備士が、「降ひょうに当たって納車できなくなったマッキントッシュオーディオ付のレガシィ3000ランカスター6の新古車」を勧めてきた。
 新車でも200万円しないJEEP J55から350万円+αの6気筒水平対向のツアラーに乗り換えることができるのであるから断わる所以はない。
 お気に入りだったエアコンもないJEEPであったが大事故で命拾いをしたおかげで、高速道路を最高の音質で音楽を聴きながら全国へ長距離ドライブを楽しんだ車に乗ったという稀有な経験をしたのである。

 この車の次も、やはり整備士の彼がインプレッサWRXへの乗り換えの面倒をみてくれた。
 この整備士は後に地方に転勤したが、JB64W Jimny乗りとなった今でも付き合いが果てないでいる。
Posted at 2020/07/15 08:16:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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「[整備] #スーパーカブ90DX カブ様積載力増強計画その2 OGK RB-005 https://minkara.carview.co.jp/userid/3229083/car/3622470/8261032/note.aspx
何シテル?   06/10 10:26
 月に数回の利用、高速道路も100km/h出れば十分、走れば燃料は消費するもの、と割り切る一方で、大型牽引車も乗って整備する無類の車好き還暦過ぎ白髪爺です。 ...
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