「暗く怖い場所の追想」THEME-SONG
【
ここまでのあらすじ】
自分から挨拶してしまった日を境に、毎朝ユビキタスとニアミスするようになってしまう。
いや、偶発的なニアミスであれば諦めもついたのだが・・。
「冗談ではない。」
どこかの大佐のような台詞を呟く私。
一日の中で最もテンションの低い時間帯に、知る限り最もテンションの高い人物と絡まなければならない悲劇。
おまけにユビキタスは、そこからタイムカード置き場まで私に随伴するようになった。
出くわす社員達に、横で明るく挨拶している。
これでは、まるで私と一緒に出勤して来たみたいではないか。
数日後、私は究極の選択を試みた。
いつもの駅で下車するのをやめ、他の多くの社員が使っている駅から出勤したのである。
分かっていたことだが、ここにも私の安息の場は無かった。
ゆっくりと会社に向かって歩く社員達。
1人の者もいれば、同じ部署や仲のいい人間と肩を並べている者もいる。
彼らは等間隔で列を作り、その間隔を乱そうとはしない。
私は歩行速度が速いのだろうか。
普通に歩くと追いつき追い抜いてしまうため、ペースをセーブすることを強いられた。
それが他部署の人間だとしても黙って追い抜くのは気が引けたし、かといって抜く度に挨拶していたらキリがないからだ。
他の社員も考えは同じだろう。
間隔が乱れないことが何よりの証拠だ。
道中には信号もあるのだが、そこでも大きな変化は起こらない。
かつて絹の道を旅した隊商でも、ここまで統率が取れていただろうか。
暗黙の了解、恐るべしである。
このストレスを味わう度に、私の脳裏には同じフレーズが浮かぶのだった。
「
・・疾風の如き・・死神の列・・・抗う術は・・我が手にはない・・・・」
ふと、前方の男女に気付く。
夫婦だか恋人だか知らないが、一緒に出勤とは随分な物好きもいたものだ。
あくまで個人的な意見になるが、そんな行為は頼まれても御免である。
会社一のお気に入りが相手なら2日くらいは付き合ってもいいが、ぜいぜいそこまで。
「
出勤では誰でも一人一人きり(精神的な意味で)って名台詞を知らないのかよ?」
その男女も2日目以内かもしれないのに、こんなことを思う私。
ここで、更なる事実を発見。
女の方は、なんとあのAではないか。
説明的に書くなら、私が最初のパーティーでテンションを上げたけど以降の集まりには来なくなってしまったAではないか。
「なるほど、そういうことか。」
別に少しもショックは無かったが、こんなことを考えた。
「ユビキタスもこれを見たのだろうか。」
翌朝、もう同じ駅を使うことはなかった。
やはりあのストレスには耐えられそうもなかったのだ。
以前から利用していた方の駅で下車し、暫くの間ユビキタスの思うままとなる。
ある朝、問題の路地を回避し、別のルートで会社にアプローチしてみた。
とにかくユビキタスに遭いたくない、という理由以上のものはなかったのだが。
考えなしの行動が、残念な結果を生む。
その道は、いつも私が通る路地を、出口側から見ることが出来るのだが。
出口付近の、入口から見れば死角にあたるブロック塀の陰にそれは居た。
自転車を脇に駐め、いつも私が来る方向に目だけ出して様子を伺う女。
まるで銃撃戦でもしているように、素早く顔を引っ込めたりもしている。
言うまでもなくユビキタスである。
「見るんじゃなかった。」
だが、おちおち後悔している暇もなかった。
間もなく、恐ろしいことが起こったのだ。
気配を感じたのだろうか、振り向いたユビキタスと目が合ってしまう。
一気に心拍数が上がり、早い呼吸になる。
お互いに気まずい沈黙が続くかと思ったが、違った。
「あれえ?なんで今日はこっちからなんですかあ??」
怒りを含んだ口調で質問して来るユビキタス。
完全なる逆切れである。
近くに鳥がいたら、一斉に飛び立ちそうな空気が漂う。
「た、たまたまそういう気分だったんだよっ!!」
私も切れた。
そのせいか苦手な朝のせいか、こんな判断力の欠如した返答しか出来なかった。
こちらから質問し、ユビキタスにストーキングを認めさせるターンのはずなのにだ。
「とにかくもうやめろ。」
早足でビルの入口に向かう私。
「クスクス・・クスクス・・」
追っては来なかったが、背後で上機嫌そうな笑い声を上げるユビキタス。
他にも、異常な確率でユビキタスと遭遇するタイミングがあった。
それは、社用車で外出する時と戻る時。
2階の鍵置き場か、嫌でも通る1階の通用口付近がステージとなった。
ある時、私はPCから予約出来る社用車の使用時間を、わざと実態とずらしてみた。
案の定、ユビキタスは現れない。
つまりそういうことだった。
だが、時間を実態とずらし続ければ他の使用者に迷惑がかかる。
残念ながら、毎回この手段をとるわけには行かなかった。
もう1つの遭遇タイミングが、夕方の、軽食の買い出しの前後だった。
主に近くのコンビニで買っていたが、暫く同じルートを使っていると出くわすようになった。
こちらに気付かない風に前を横切るユビキタスに、私が鉢合わせて話しかけざるを得なくなる形も朝と同じだった。
軽食を買える店は異なる方向に何軒かあったため、私は日によって店を変えてみた。
するとやがて、戻った会社の通用口で遭遇するようになる。
私はそこのエレベーターで持ち場のある6階に上がるのだが。
それまでは丁度1階に来ており、すぐに乗れることも多かったエレベーターの箱。
それが必ず別の階にあり、待たないと乗れなくなっていた。
そうしてそこにいると、脇にある階段からユビキタスが降りてくる。
上階の窓から私の戻りを確認し、通用口に達するタイミングでエレベーターのボタンを押し足止め。
大方こんなところだろう。
私はエレベーターと向き合っているため、この時は向こうから挨拶して来るが。
口元が不自然に引きつったままの笑顔を見るのが辛かった。
その日は普段以上に帰りが遅くなりそうだったため、ややボリュームのある弁当を仕入れて会社に戻った。
エレベーターを待っていると、上階から近づく女の靴音。
ジリジリ音を立てて絡め取られる感覚。
女郎蜘蛛の巣にかかった、カトンボの気分だった。
ここで、そのカトンボが抵抗を試みる。
気の重い残業を前に、精神的ストレスになるイベントを少しでも減らしたかったのだ。
咄嗟に身を隠せるポイントを探す。
真っ先に目についたのは守衛室だが、守衛に何を言って飛び込めばいいか分からなかった。
そんな私の目に、それまで意識したことのない鉄の扉が飛び込んできた。
守衛室とエレベーターに挟まれた壁に浮かび上がる、存在感の無いドア。
手をかけると、鍵は開いていた。
中は暗くてよく見えないが、電気や動力の設備を集約した部屋のようだ。
私は考えなしにそこに飛び込んだ。
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