
仙台市、鈎取。鈎取ってどこよって言われると、長町から286を山形方面に行ったところである。地域住民しか知らねえよ。
で。鈎取イオンから山を登ったところにあるのが、箱物大好き仙台市がいつの間にか建ててた箱物施設「縄文の森広場」である。
広場には3棟の縄文時代を再現した住居が並び、コンクリうちっぱなしのミュージアムがあって発掘された縄文土器やらミニチュアなりが置いてある。
たぶん、宮城県民の95%は行ったことがないであろう公共施設である。
〇 縄文時代
まぁそんな土器を飾ったところで雇用の創出にならないことは仙台市は百も承知であり、なんか実習室みたいなところがあって、土器作りとかできるようになってる。政令市くらいになれば市内の小学生を動員するだけで箱物施設を回せるという目論見であろう。
まぁ、土器づくり体験だって言ってのに、学芸員と思われるおっちゃんは縄文時代の説明を熱く語っている。まぁ、嫌いじゃない。給料だって嘱託でめっちゃ抑えられるだろうに。
僕の河合塾時代の世界史の講師を思い出す。
特にどうとも思わない講師だったが、最後の授業で僕ら予備校生に
「僕は専門が考古学なんですよ。マジ就職なくてこんなことやってます。皆さんも気を付けてくださいね」
予備校生というのは学歴を持って収入を得て世間を渡っていこうという集まりである。その集まりに学歴の使い方の正しさを教えてくれたのだ。
〇 そもそも掘ればわりと出る。
そもそも弥生時代から現代まで2000年だとすると、縄文時代は10000年といわれる。10000年もの間、人間はどんぐりを貯め、動物を狩り、さっさと死ぬ。それを10000年やってきたのである。
そういうわけで、縄文時代の住居跡や土器というのは掘るとそれなりに出る。なんで10000年の歴史の厚さである(そのまえの旧石器時代になると珍しいらしい)
1万年進歩なく死んでいた人間。それは貧富の差のない、皆が分け合い助け合う世界だった。さも素晴らしそうに言う。考古学者ってそういうよな。
人生後ろ向きに振り切ってるやつらだけのことはある。
粘土をこねる子供たちを後ろから見つつ、まぁ縄文時代に思いをはせれば、もうそれは生まれて死ぬ人生である。長生きできても30年くらいだろうか。生まれて死ぬ。普通に死ぬ。女性は出産で死ぬ。ケガで死ぬ。病気で死ぬ。寒さで死ぬ。飢えて死ぬ。
まぁ、それが本来の生命の姿なのだろう。
幸い、僕の祖先は誰一人かけることなく、子孫を残してから死んだ。
まぁかけてたら僕の存在はないわけで、そうやってどれだけの人間が死んで今があるのだろうか。今の僕らは、豊かな暮らしのなかで少子化で滅んでいきそうなんですが。まぁ。
そんな進歩のない10000年を終わらせたのは、イネ科植物の伝来である。
西洋では小麦であり、東洋ではコメである。
人は安定した食料を手にし、人口を増やした。より人口を増やした民族が他民族を支配に置き、滅ぼし、勢力を拡大させる。貧富の差ができた、階級ができた。
いわゆる「小麦の奴隷」になったのである。
〇 まぁ。
まぁ、そんなことをぼんやりと考える歳になった。
死が迫るからか。(まぁまだ両親も生きてるが)
仕事がうまくいってないからか。まぁうまくいってないわけではないが、死ぬまでちゃんと幸せに仕事ができるビジョンがないというか。
帰り道。うちの長女はフルーツピークスで1900円のイチゴパフェを食べた。
縄文時代との温度差で風邪ひくわ。
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Posted at
2024/04/03 00:22:09