
というわけで、東日本大震災。13年目です。
東京のちょっとの雪に北国の民が変なマウントを取るように、
宮城県民は「震度5とか朝の目覚ましにちょうどいいな」と変なマウントを取りますが、まぁ、そのくらいの揺れを経験してるんで許してください。
〇 さて。
リビングに設置してある、巨大な暖房器具。その名も蓄熱暖房。
そう、15年くらい前に建てた家はだいたいこれがついているのである。困った話だ。
13年前の今日。大地震の後停電。これ、復旧しねえなと思った僕はさっさと事務所を閉め、ふて寝したわけである。で、起きたら、電気はまだ復旧してない。まぁさすがにでかかったしな、と携帯に目をやれば「荒浜で200を超える死体」の第一報。いやいやいや、何を言っているのかと思いつつ、オール電化の事務所で唯一暖かった蓄熱暖房に背中を預け、PSPでゲームをして、晩飯代わりに柿の種を食べた。これが僕の3.11である。浜の惨状など内陸の民が知るのは数日後である。
さて。この蓄熱暖房。その巨大な体躯の中にはレンガみたいなものが詰まっており、夜間電力を用いて電力をそのまま熱に変換しレンガの中にため、昼間はその輻射熱で温まる。という仕組みである。死ぬほど単純であり、死ぬほど電気をつかい、そして撤去するにも大仕事という一品。これを当時の東北電力は「頼まれなくても」つけていた。というか、なんかほんと当時の家は何も言わないとついてたくらいのものだったんですよ。
〇 日産リーフ。
さてどっかの登山家が能登の地震に関連して「EVは近所を走るにはいいが災害の時は使えない」という超特大ポジショントークをかましていたが・・というか、三菱自動車アンバサダーとして自覚ねえのかお前って感じだが。
東日本大震災。実はすでにリーフはデビューしてたし、環境にやさしいということで地元の宮城生協が結構買ってたのである。
ガソリン不足はとにかく尾を引いたが、電気の供給は市内中心部で1日、周縁部で3日くらいで復活できた。僕も地震から3日で現れた中部電力の軽ワゴンを近所で見変えてすげえ感動した。
で、そんな中でもリーフは走っていた。震災原住民として「リーフいいやん」って思ったんよ。
だって通電してるエリアから電気を持って帰れんですよ。最高じゃん。
状況が一変するのは、そう、原発事故。
〇 さて。
廃炉。再稼働。再生エネルギー。たかが電気by坂本龍一をめぐってのgdgdはもう知られたところである。大量の人命が失われた津波被害と比べることはできないっちゃできないのだが、こちらの方でもどれだけの損失をしたのだろうか。
そういう大きな話は大きな責任を持つ人たちに任せるとして、一般ピープルに残されたのは、この巨大な、蓄熱暖房器具である。
深夜電力はどんどん上がっていき、次のシーズンあたりから使われなくなった。巨大な飾り棚が各戸に誕生したのである。
いい加減邪魔だし今後も使う予定がないので撤去したいところだが、撤去がしぬほどめんどくさいコレ。もうこのまま震災前の電力事情を語るオブジェとして後世に残すしかないのだろう。僕に震災の夜にくれた温もりの思い出とともに。
まぁ僕に温もりをくれるのが蓄熱暖房だけだったので、婚活を始めたという見方もできる。結果、結婚して家庭を持って子供が生まれた。ありがとう蓄熱暖房。とわに・・・邪魔。
〇 余談。
震災前みたいに原発動かして夜中の電気を安売りしてたら、今頃もうちょっとマシなEV環境になってたんじゃないかという気がする。世の中を変えるのはコストなのだ。
で。家を探していたとき、桜ヶ丘で僕は床に通風孔の開いた中古住宅を見つけた。嫁さんは全館暖房かな?って言ってたけど、セールスマン(女性だったが)は一切それに、気味が悪いくらいそれに触れない。エコキュートのタンクの大きさとかは言ってくれるのに。
気になった僕は家に帰り、階段下の物置にあったこれも「セールスマンが気味が悪いくらい一切触れない」操作盤をもとに調べてみた。
それは、「スラブヒーター」だった。
うちの蓄熱暖房はリビングに邪魔で巨大なレンガ(みたいなの)を置いてるわけだが、これは家の基礎のコンクリに電熱線を通し、それで基礎のコンクリに熱を持たせることで家全体を温めることができるのだ!
・・・・ちょ、ま、おまえ。何を。
なお、開発元のエナーテック(山形市)は2015年に倒産している。
これ導入したおうちとかその後どうなったんだろなぁ。
Posted at 2024/03/11 13:56:58 | |
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