というわけで、11月も中旬だが、完全に動くのに遅れてしまい、年末年始に何か予定をぶちこむことが不可能となってしまった。
まぁ、しゃあない。混むし、高いし。
そもそも、年末年始とか正月とか、何かするわけじゃないしな。
〇 そもそも正月というのは地獄の時間だった。
「どうやら世間では正月というものは楽しい行事らしい」
そう気づいたのは小学校も高学年になったころだろうか。
それまでもお正月の歌を始め、お正月は楽しいものだという風潮と実体験に乖離があり、ずっと違和感を覚えていたのだ。
年末年始の帰省ラッシュになるとテレビのニュースとかで「田舎のおばあちゃん家に行ってきた。楽しかった」みたいな小学生が映し出されるが、まぁそれがどういうことか僕には見当もつかなかったのだ。
僕が2歳の時、いわゆる田舎の名士だった祖父が早死にした。祖母は多くは語らないが唐桑の方の出身らしい。より田舎から出てきてるくせに人一番見栄っ張りな祖母はその土地を馬鹿にし続けて、祖父の威を借りて横柄にふるまってきたため、祖父の死後、その町にいられなくなった。
で。祖父の保険金で桃生の家を引き払い、仙台市内に引っ越していた。なので、僕が「おばあちゃん家に行く」というのは仙台市内の祖母宅に行くことである。若林区の住宅街には田舎ならでは楽しみもなければ、別に知り合いもいない。
大晦日。家族はみな無言である。まるで収監される囚人のような気持ちで祖母宅へ移動する。母親はそのままキッチンに入り、私たちは祖母宅の居間に監禁される。二階の空き部屋に移動することも、携帯ゲーム機で遊ぶことも許されない。祖母宅で「家族団らん」をしなければならないのだ。
よく、正月に親戚が集まって・・というが、祖母宅には僕の家しか来ない。遠方にいるからではない、めっちゃ近所に叔父さんの家があるのだが、祖母は誰かを褒めるのに誰かを貶さないといけない人だった。兄は素晴らしいそれに比べて弟は・・みたいな育て方をしていたら、叔父さんの家は祖母宅に来ることがなくなった。当たり前だ。
なので。祖母宅にいるが親戚は誰一人として来ない。
祖母はさみしい人だ。とはうちの両親の談である。なので、「年末年始は息子が孫を連れて泊まりにきた」という事象が大切なのだ。別に孫の普段の生活やなんかには全くの興味がない。興味がないというと言いすぎか。「三越友の会」で自慢できるかどうか、それしか興味がない。
なので。我々家族は無言で年末年始を祖母宅の居間で過ごすことになる。もちろん、テレビはつけっぱなしであり、チャンネル権は祖母が握っている。
親父は速攻酒を飲んでさっさと寝てしまう。僕ら兄弟は祖母ととりとめのない話をたまにして、ただ時間が過ぎ去るのを待つ。
そして、この祖母。基本的には人の悪口を言い続ける。
というか「他人の悪口を言う」以外のコミュニケーションを知らないと言ってもいい。この人の口から、何かポジティブな話を聞いたことはない。あいつはアレがダメだ。こいつはこれがダメだという話しかしない。
まぁ、1万歩ゆずって、他人の悪口しか話題のない人。というのはまぁいるっちゃいるからいいとしよう。問題なのはその悪口を聞かされる僕ら兄弟にとって、その悪口の相手が誰なのかさっぱりわからないことだ。
苦痛の時間が続く。が、ようやっと晩飯の時間が来る。新しい地獄の始まりである。
うちがもともとどのような食卓でお正月を過ごしてきたかというのは不明である。というのも、嫁いできた祖母がすべてをぶち壊してオリジナルにしてしまったからだ。
そもそも宮城の雑煮というものが問題である。
僕は両親ともども生粋の宮城県民なので知らなかったが、宮城(仙台)の雑煮というはわりと特殊な雑煮らしい。らしい。というのはこれしか知らないからだ。
特徴を言うと、ハゼで出汁を採り、山のもの海のものをふんだんに入れ、いくらをかける。
え? 美味そうじゃん。って思った人は甘い。
えぐみが出るまで煮だした出汁。大量の大根。俺の天敵ずいき。
そしてうちの祖母はなぜか「いくら」を煮込んで白いゴム状の何かへと変貌させる。いや、マジでなぜそんなことをするのか。
これ、具沢山と言えば聞こえがいいが一歩間違えると味が複雑に絡まった苦痛の一品へと進化するのだ。
で、納豆をかける。
いや、まてまてまてまてまて。納豆餅って文化はあるよ。なんで納豆かけるん?
(一説には祖母のつくるクソ不味い雑煮をなんとか食うために亡き祖父が納豆でごまかして食ってたかららしい)
で。まぁ、なんだろう。
僕さ、祖母の雑煮さ。吐いたことあるもん。
で、うちのお母さんめっちゃ怒られてて、僕も台所で泣いててさ。
大晦日にだよ。
ちなみに僕のおかげでうちの下の妹は雑煮が免除されるシステムになった。
それもどうなんだ。
で。
地獄の食事が終わり、ただやることもなく居間で過ごすしかない。
テレビは紅白歌合戦。そしてうちの祖母はご丁寧に一人一人の歌手に「あれがすかない」「これがすかない」とずっと言い続ける。
「すかねごだ」うちの祖母はこれをどれだけ言ったのだろう。
大みそかから正月三日まで、この地獄の軟禁が続く。祖母は初詣にも行かなければ初売りにもいかない。ただ家で駅伝を見せられながら、顔が気に入らない、アナウンサーが気に入らない、あいつが気に入らない。ずっとそんな話を続けられる。
そういえば、「おせち」ってなかったな。うち。ずっと雑煮。
正月終わって家に帰る。やっと解放されたのだ。
親戚が誰も来ないもんだから、もらったお年玉は祖母からのものだけだ。
それを自由に使わせてくれたのは、親のせめてもの償いだったのかもしれない。
〇 そんなわけで。
祖母が死んで2年。あまりに祖母の支配が強すぎて、うちの実家は「お正月ってどうやって過ごすんだっけ?」と今でも戸惑っている。
Posted at 2024/11/18 17:18:09 | |
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