ちょっと前の事ですが、大学が春休みに突入した娘が帰省してくるのに合わせて、「4年ぶりでスキーに行こう!!」・・と計画していました。
娘が夜行バスで帰ってきた正にその日、高2息子が「風邪ひいたっぽい・・・」と。
金曜日の夜には発熱37.4℃、喉が痛い・・・と言っていましたが、翌朝には熱が下がっていたので、「どーすんの?そんな体調でスキー行けるの?」と聞くと、「お姉ちゃんとスキーに行くのコロナと受験のせいで4年ぶりなんだよ?これを逃したら、来年は俺の受験だからまた行けないし・・・どーしても行くよ!!」と言うので、
物置からスキー道具を取り出して、シャランにジェットバッグを載せ、スキーウェアにも防水スプレーをして準備を進めました。
息子、土曜日の夜も発熱がありましたが、念のためコロナ抗体検査キットで調べても陰性だったので、
翌朝、5時起床して検温、熱も再び下がっていたので、出発する事に・・・。
子供達はコロナ前に行っていた「木曽福島スキー場」に行きたい・・というので、今回は中央道伊那IC~権兵衛トンネル経由で19号で往復する事にしていましたが、
この日は、恵那山トンネルを抜けると園原IC~飯田~駒ヶ根~伊那IC間、ずうっと雪でした。権兵衛トンネルを抜けて19号沿いに走ると雪は止んで晴れ間が出て来ました。
いつもの通り、行きの道中は運転する私以外、全員爆睡です。
木曽福島スキー場は「スキーヤーオンリー」というのが売りなので、
昔から家族連れや高齢者のスキーヤーが多いです。
ある意味、「昭和の香り」がプンプン残っているともいえます。
暖冬の今シーズン、やはりスキー場までの道も全く雪はありませんでしたが、スノーマシンのおかげでゲレンデは全てのコースが滑走可能になっています。
もう8年くらい前から私も嫁さんも滑るのは止めて留守番役です。
昼食時のレストランの席取りなどをして待っていますと、11時前なのに娘よりLINEで「弟、林間コースから本線への合流の所で転んじゃって、風邪エライしもう滑りたくないって。」と。
レストランへようやくたどり着いた後もヘロヘロになっているので、
「食べたら車で寝る。」との事。さすがに風邪を押して来たけど無理が祟ってしまった様です。
車へ連れて行って二列目で寝させた後、息子のリフト券ももったいないので私が息子のスキー板や靴を借りて、娘と二人で滑る事になりました。
およそ8年前、息子のサッカー部試合の応援で別の小学校へ行った際、荷物を運んでいて蹴躓いて右膝半月板損傷をして以来、スキーはもう無理・・と諦めていましたが、ひょんなことから再び滑る事に・・。
最初は初級者コースの短いリフトを二回。娘の滑る様子を動画撮影などしながら、恐る恐る滑ってみると、あんがい問題なく滑れます。
調子に乗ってリフトを乗り継いで、山腹より正面に御嶽山が望める中級者コースまでやってきました。
天気にも恵まれて、絶景な中、ひさしぶりで風を切って滑る快感を味わいましたが、あまり無理して帰り道運転に支障が出てもマズイので、娘にもう一本滑らせてから、早めに13時半くらいで上がる事にしました。
夕方、帰宅してから更に具合が悪くなった息子、また熱が出て休み明け月・火と学校を欠席してしまいました。ちなみに病院で検査してもらった所、コロナもインフルも陰性との事。
その頃から息子を病院に連れて行っていた嫁さんにも風邪がうつり、発熱・喉の痛みで酷い事になってきました・・・。
水曜の夜、帰宅すると嫁さん発熱38.8℃でダウンしており、娘が晩ご飯お仕度をしてくれていました。こんな時に娘が帰省していてくれて、おまけに一人暮らしのおかげで料理もそこそこ出来る様になっていて本当に助かりました。
その後、金曜日の夜行バスで娘、上京する日、朝から私も娘も「なんか喉痛いね・・・。」と。
その日は「新東名・北沼上トンネル車両火災で上下線とも通行止め」という大事故が起こって、ヤキモキしていましたが、夜、夜行バスが出る前には上りの通行止めは解除され、娘、何とか無事に上京して行きました。
翌土曜日の夕方、咳が止まらない・・と休日診療の病院にかかった娘よりLINE、「コロナ陽性でした。」と!!
私も喉の痛み酷くなって3連休は寝込んでいましたが、コロナではなく息子からうつった風邪(溶連菌かも?)だったのですが、
どうやら娘は火曜と木曜、高校時代の友達と名古屋の方へ遊びに行っていたので、おそらくその際にコロナうつされたのかも?
・・・という訳で二週間前から息子の風邪に始まり、久しぶりにスキーを楽しんだとはいえ、家族全員、風邪とコロナで酷い目に会いましたが、一週間経過して何とか皆、快方へ。
おしまい。
Posted at 2024/02/17 23:09:16 | |
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